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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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小坂森林鉄道7t機No.16
名古屋営林局小坂営林署小坂森林鉄道のNo.16。
小坂森林鉄道の機関車で把握できているものでは最大の7t機(運転手OBの方によると8t機もいたという話が・・・)です。
酒井工作所製で戦時中帝室林野局名古屋支局小坂出張所時代の1944(昭和19)年9月に製作(納入後の検品や手直しが済んだタイミングと思われる)。
エンジンは戦争が始まる前のストック品と思われるアメリカのブダ(Buda)L525 50馬力を搭載しており、当時の燃料入手難を反映してガソリン・木炭ガスのハイブリッド機関車でした。
1級森林鉄道の小坂線用機関車ですが貫通エアブレーキ搭載の貨車が投入された後もエアブレーキ化改造はなされていなかった様子。
戦後は線路強化された若栃線にも入っていたようです。

osaka16-2.png
キャブが角張った屋根の7t機。
前照灯は前面向かって左に取り付けられているので独特の雰囲気。

osaka16-1.png
台枠の"SAKAI.WORKS"の文字が大きいのが特徴的。
同じ1944(昭和19)年度に木曽支局へ納入された王滝小川森林鉄道No.83→No.69(上松運輸営林署で1962(昭和37)年廃車)と外観に共通点が多く酒井工作所で同時期に製作された姉妹機だったようです。
現存する酒井7t機で近いものでは王滝森林鉄道せせらぎ線で動態復活したNo.84が挙げられます。

参考文献:
昭和27年度事業概要(小坂営林署)


28日に大雨で大洞川の護岸(旧・小坂森林鉄道下島停車場付近)が一部破損したり、濁河温泉の県道が寸断され一時孤立状態となっていましたが幸い大事には至らなかったようですね。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 23:59:56 | Trackback(0) | Comments(0)
三岐鉄道丹生川駅青川砂利採取線~その2~
三岐鉄道丹生川駅青川砂利採取線の続き。

P1010255.jpg
三岐線と並行して青川のそばまで降りてきた砂利線跡の道。
この辺で右にカーブしていたのですがカーブ築堤は圃場整備で消え失せた様子。

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三岐線は青川橋梁を渡り伊勢治田駅へと向かっています。

P1010259.jpg
かつて河原の線路だった場所にはソーラーバッテリーが並んでいます。
昔は今よりも広い範囲に砂利の河原が拡がっていたようですが貨車でみんな運び出されて跡地が畑→ソーラーバッテリー発電プラントになったのでしょうか。

P1010260.jpg
振り返ると三岐線青川橋梁のバックに青川の源流である鈴鹿山脈が聳えます。
因みに青川上流部は砂防ダムで砂利を止めてるものの航空写真で見ると堆積量がかなりの量に上るようです。
川砂利採取は河床低下を招くとして各地の河川で禁止されましたがこちらの場合は上流部の川砂利を持っていかないと土石流になって下流に押し寄せて来るのでは?という心配が・・・(- -;)

P1000682_20180628222324cda.jpg
西藤原駅で保存されている三岐鉄道E101型E102号
三岐鉄道開業に合わせ用意された1931(昭和6)年汽車会社製の軸配置1C1のタンク機。
自重43.5tと私鉄では大きめのタンク機で青川砂利採取線にも入っていたものと思われます。
ボイラー前頭部脇には後付けの空気ブレーキ用のコンプレッサが目立ちます。
余談ですがこの空気ブレーキ改造工事の竣工届が青川砂利線延長認可申請を出した1934(昭和9)年3月27日前日の3月26日付けでした。
それまでの2年半は林鉄のように貨車数両おきに乗務するブレーキ手がブレーキを掛けていたのでしょうか。
セメントや砂利など貨物事業の拡大に伴い安全強化策としての空気ブレーキ化だったのでしょうね。

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貨物側線跡 | 22:39:44 | Trackback(0) | Comments(0)
三岐鉄道丹生川駅青川砂利採取線~その1~
三岐鉄道三岐線丹生川駅から青川の河原へ川砂利輸送のため延びていた青川砂利採取線。
貨物鉄道博物館のお膝元であり以前から噂には聞いていましたが具体的にいつ頃敷かれたものかはよくわかっていませんでした。
鉄道省の記録を見ると三岐鉄道が1934(昭和9)年3月27日に構外側線延長の認可申請を提出、4月には受理されたようです。
延長目的は砂利積込みの利便と運搬能力の増大のためとのこと。

延長線区間のスペックは以下の通り
延長:415m20
動力:蒸汽
最小曲線半径:150m
最急勾配:17‰



いつ頃まで構外側線があったかはわかりませんが戦後まではあったようです。
電化後も生き残ったかは微妙なところ。

P1010303.jpg
丹生川駅の貨物鉄道博物館前。
貨鉄博の建屋として残る貨物倉庫は砂利線廃止より後につくられたものと思いますが台座となる貨物ホームは古そうな石積みも見られ当時もあったのかも。

P1010242.jpg
貨鉄博の展示線の位置に砂利線が延びていたものと思われます。

P1010247.jpg
展示線の車止めより先は草むらになってますが三岐線自体よりも高く何故か盛り上げられた様子。
青川を渡るため高さを保つ三岐線に対し砂利線は河原へ下って行くので砂利線現役時代にこんな盛り上がりがあったとは思えずよくわからない地形です。周囲の農地整理の結果こうなったのかも(・ ・?)

P1010251.jpg
その先は砂利線は道路に。
三岐線は丹生川駅のある台地から飛び出し築堤で青川へ向かいます。

P1010252.jpg
青川砂利採取線跡の道。
ゆるゆると下って行く感じは確かに線路が敷けそうなレベルの勾配。
ここが17‰の区間なのでしょうかね?
貨鉄博に来て走行写真撮影に良さそうな場所を探してこの道を歩いた方も多いのでは?



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貨物側線跡 | 22:56:44 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道近江本線日野駅の貨物側線~その2~
P1010987_20180624205606fec.jpg
LEカーの給油設備。
すっかり夏草に埋もれてます。

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貨物ホームはかつて倉庫が建っていたらしく結構敷地が広いです。

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貨物ホーム上から駅構内を見た様子。
手前の側線は定期的に車両が入っている様子。
電車の夜間滞泊があるのでしょうか。
貨物側線はそのもう一本手前に敷かれていたようで1線分のスペースがあります。

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駅前から貨物ホームへ至る道。広いホームとは言え貨物ホーム上にトラックが入ったら折り返しが大変そう。
かつては駅前には日通事務所があったそうで貨車入換用にタグローダーもいたということはそれなりの貨物取扱量があったのでしょうね。
日野駅がいつまで貨物営業していたかは未調査です(^ ^;)
なおモユニによる郵便荷物列車は1984(昭和59)年2月1日改正まで日野駅発着がありました。

P1010991.jpg
貨物ホームから駅前に出ると昔の銀行と思しき建物があります。

日野商人の町なので貨物も農産物や肥料だけではなさそうな気がしますが主な取扱い品は何だったのでしょうね。

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貨物側線跡 | 21:15:18 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道近江本線日野駅の貨物側線~その1~
以前はクハ1212の旧車体やタッグローダーが藪に落ちていた近江鉄道近江本線日野駅。
駅舎は旧設計のまま部材も利用して昨年改築されました。

P1010992.jpg
日野駅の駅舎。
平や木造のオーソドックスな建物、近江鉄道標準なのか以前の高宮駅もこんな建物でした。
なお内部は駅務室の位置が向かって左から右入れ替わりかつての駅務室はカフェなど多目的利用の共有空間になっていました。
日野町は近江商人の中でも資力に富んだ日野商人の町、近江鉄道創業時も資金面や経営面で多大な貢献があったのですが駅は市街地から遠く離れたところに置かれています。
改札の天井には向かって右にあった貴賓室の豪壮な格天井が移されて一般の目に止まりやすくされていました。
当時会社の上層部には旧・彦根藩士が就いていましたが「資金力もない士族など何ほどのものか」という近江商人たちの隠れた対抗意識が感じられます。

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米原方から見た様子。
日野駅は2面3線で貨物待避用に中線を有しこの点でも高宮駅とよく似ています。

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貴生川方から見た様子。
右には側線と貨物ホーム。

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駅舎寄りにはかつてのLEカー運転時の車庫と給油設備が残ります。
ローカル電化路線にLEカーを導入し合理化を図った名鉄と近江鉄道でしたがどちらも小形のLEカーで朝夕混雑時の対応に苦慮しています。名鉄はLEカーを大型化、3扉車も導入しましたが近江の場合は電車運転に戻しました。
結局名鉄のLEカー路線は廃止され、近江鉄道も電車運転で残っているとは言えあまり芳しくはない様子。
15年前の学生時代と比べて近江本線の運転本数が減って乗るときに予めダイヤを調べて置かないと待ち時間が大きくなりました。
まあ15年前じゃスマホでダイヤを簡単に調べることもできなかったので当時と現在で利便性はさほど変わらないかも(^ ^;)

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貨物側線跡 | 23:09:43 | Trackback(0) | Comments(0)
上前津東公園の名古屋市電179号車
名古屋の下町の繁華街大須に程近い上前津東公園。
マンションの谷間のような小さな公園に60年以上前に廃車された名古屋市電179号車のダルマが残っています。

P1020374_2018061923410065c.jpg
老朽化した木造単車のLSA型の内54台を1935(昭和10)~1939(昭和14)年にかけ名古屋市電気局西町工場(熱田区一番3丁目 日比野中学校南校舎付近)で半鋼製車体化改造した151~204号車。
その内の1937(昭和12)、1938(昭和13)年に工事が行われた171~190のグループの1台です。
現在は台車が残ってませんが現役時はブリル21Eを履いていました。
meicity-179.png
元を正すと市営化前の名古屋電気鉄道時代1918(大正7)年3月~1919(大正8)年4月に車体を自社製造した木造単車191~204号車グループの197で鋼体化時に179に番号が振り替わったようです。
1952(昭和27)年には集電装置をポールからビューゲルに交換。
同年10月当時179号は高辻車庫に在籍しており名古屋南東部の路線で活躍していたものと思われます。
そして1956(昭和31)年11月25日名古屋市電の営業用単車全廃により廃車されました。
廃車後ずっと上前津に置かれているのかどうかは分かりません。

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車体は1937(昭和12)年登場のボギー車1400型とよく似ており戸袋には名古屋市電特有の剣先窓もありますが1400型はリベット無し、張り上げ屋根のスマートな車体だったのに対し市電お手製の車体はリベットごつごつで屋根も布張りで野暮ったさが残ります。
名古屋で廃車後16台が豊橋鉄道に譲渡されモハ500型501~516として1966(昭和41)年まで使われています。
豊橋で廃車された中にもダルマ化されて残ってる車体があるそうな。

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外板下半分にトタンが張られ何だか木造電車のような趣。
なお名古屋市電の緑と黄色がかったクリームのツートンカラーはこの171~190号が初めてだったとか。
当時はクリームと言っても戦後の名古屋市電より黄味の強い色だったようです。

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乗務員スペース側面にあった細い剣先窓と前面窓は埋められています。

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以前は錆止めの色そのままでした。
2005(平成17)年4月2日撮影

IMG_7378.jpg
方向幕を埋めた跡がよくわかります。
2005(平成17)年4月2日撮影

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ドアや窓サッシ交換の上ツートンに赤帯塗装となっていた179号車。
名古屋市電の赤帯はワンマン電車の意味でした。
名古屋市電では1954(昭和29)年2月28日に日本初のワンマン電車を下之一色線で運行開始してますが単車はワンマン化されてなかったのでこの赤帯はやり過ぎでしたね(^ ^;)
2010(平成22)年6月20日撮影

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名古屋市交 | 23:00:41 | Trackback(0) | Comments(0)
釜口水門のプリムス4t機
岡谷市釜口水門のプリムス。
アメリカオハイオ州のフェート・ルート・ヒース(Fate Root Heath)社製のガソリン機関車。
円盤をこすり合わせるだけの変速機工フリクションドライブが特徴的な4t機。
未だにBudaのガソリンエンジンを積んだでいる点も貴重です。
1923(大正12)年製造で当初は内務省に納入された様子。
名古屋土木出張所太田川改良とあるのですが名鉄常滑線の太田川付近のことでしょうか?
岡谷組には1928(昭和3)年頃払い下げられた様子。

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上回りは戦後オリジナルから大きく改造された様子。

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台枠の陽刻最下段最後にある"CLI"はメーカー形式と思われます。
CLは3.5~4tクラス、最後のIはエンジンのメーカーを表すはず・・・となると現在のBudaのエンジンは換装されたものということに?
イニシャルがIのメーカーってどこだろう?
因みにエンジンの例としてはブダ(Buda)、クライマックス(Climax)、ハーキュレス(Hercules)、ウォーケッシャ(Waukesha)などが挙げられます。
plymouth-fl-2.png plymouth-fl-1.png
例えば帝室林野局に多かったFL型でハーキュレスのエンジンを積んだら"FLH"型になります。

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外から見えるブダのエンジン。

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真正面から見ると後の酒井機そのもの。酒井や加藤の機関車の原型はここにあります。

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ナローゲージ | 00:11:49 | Trackback(0) | Comments(0)
定光寺お出かけ序でにEF64 1023
今日は用事で定光寺へ。
中央本線貨物が上下とも来る時間帯なのでちょっと駅で撮影してから。

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コンテナの81レの牽引機はピカピカの国鉄色EF64 1023。
検査上がり立てで5月26日の大宮工場公開イベントでも展示されたそうですね。
職場から20km圏内なのに木曽路並みの深山幽谷の雰囲気が味わえる好きな駅です。

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愛知・岐阜県境の愛岐トンネルから出てくる石油返空3084レ。
EF64 1005の汚れ具合が逞しい貨物機らしいですね。

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今日の用事は駅から25分ほど歩いた定光寺自然休養林でした。
王滝森林鉄道の協三10t機長野営林局上松運輸営林署No.127
日本農林製の運材貨車、客車台車は遠山森林鉄道に行って機関車だけが残った状態。

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ポツンと1台だけ佇むことになっています。

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用事終了後帰宅中に神領で降りてしまいました。

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愛知環状鉄道2000系が神領区に入庫中なのが見えたもので。
神領には名古屋臨海高速鉄道ことあおなみ線1000形も来るので意外と他社線車両の乗入を見ることができます。

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JR貨物 | 23:02:39 | Trackback(0) | Comments(0)
野辺山SLランドの井笠7とTMC
野辺山SLランドで静態保存されているコッペルとモーターカー。

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井笠鉄道のCコッペルと岐阜工事局の富士重TMC200。変わった組み合わせです。

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まずは井笠鉄道の7号機。
独オーレンシュタイン ウント コッペル(Orenstein und Koppel)社1925(大正14)年製のCサイドタンク機。
自重12.19tと現在でも残る軽便コッペル機では結構大きめ。

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井笠鉄道で1955(昭和30)年10月の廃車まで活躍しました。
今は丸瀬布にいるホハ13、1418、19を牽いて走っていたのでしょうね。

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井笠で廃車後も鬮場(くじば)車庫で保管され1961(昭和36)年頃より兵庫県内で保存、保存先は転々と移っていたようで流れ流れて2003(平成15)年に野辺山へたどり着いたようです。

P1020241.jpg
岐阜工事局 土車モ-200。
富士重工業1965(昭和40)年製のTMC200AS。自重は13t。
近江鉄道モ245と同タイプですがこちらは前面3枚窓でキャブ後方に貨物室か客室(?)らしきスペースがあり折り戸が付いてるのが特徴的。
オレンジ色なので鉄道建設公団のモーターカーを連想しますがこちらは国鉄の岐阜工事局のクルマ。
国鉄の工事局は主に鉄道の線路工事を行ってましたが鉄道に関係ない道路、橋梁工事も請け負っておりその実態がよくわかりません。

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千葉県の個人所蔵を経ての入線らしいですが岐阜工事局というと東海道本線清州駅の旧敦賀セメント専用線にオレンジ色の保線車を大量に保管してましたがそのうちの1台なのでしょうか?因みに検査標記は「甲検 昭和55年11月」とかなり古いです。
岐阜工事局は後にJR東海建設工事部となっていましたがこの側線も最後まで残っていたバラストスイーパが姿を消しました。

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保存車 | 22:48:42 | Trackback(0) | Comments(0)
野辺山SLランドの酒井No.143
相互リンクしている奥野君の専用線日記の奥野さんと野辺山SLランドの酒井を撮りに行ってきました。

P1020248.jpg
酒井は平日しか動かないので何とか休みを取って~。
元は某製鋼所の762mm軌間構内軌道で鋼塊などの輸送に使われていた産業機関車。
製造年がわからないのですが1960年台中盤以降の酒井工作所としては最末期の機関車と思われます。
自重は7.0t。
王滝森林鉄道のC4風塗装になっています。

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御大を乗せて出発~
前面は鋼塊の輻射熱からラジエターを守るためプロテクターで覆われ独特の雰囲気。

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客車は独特の丸屋根~木曽の野尻森林鉄道にこんな屋根の客車がいました。

P1020280.jpg
下回りが板台枠なのでC形機関車に分類されるのでしょう。
板バネに前後左右の車輪をつなぐイコライザは付いていませんね。

P1020251.jpg
標記類。
形式はDB70だそうで。
番号のNo.143は長野営林局の森林鉄道内燃機関車番号に因んでます。
長野営林局最新の機関車はNo.141、王滝村の動態保存線王滝森林鉄道せせらぎ線にいる元立山砂防改軌車がその続きでNo.142を名乗っているためさらにその次の番号でNo.143となったようです。

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ナローゲージ | 23:41:11 | Trackback(0) | Comments(0)
津田沼駅周辺と鉄道聯隊K2型134
津田沼の森林公園は周囲が丘陵に囲まれ谷戸になっているようです。
池も谷戸から湧く水が溜まった池を利用しているのでしょうか。

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王滝森林鉄道田島停車場の前の池。
林鉄車両保存に当たって池を牧尾ダムのダム湖おんたけ湖に見立てたのでしょうか。

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森林公園を後にして津田沼駅へ向かいますが鬱蒼とした森林公園を出てローカルムードのある畑を抜けると嘘のような住宅密集地。
津田沼駅は坂の上にあり、森林公園側から見上げると新京成電鉄がヘアピンカーブを描き丘の上を回っています。
何とも複雑な地形ですが新京成線などかつて陸軍鉄道第二聯隊が演習線にしていたのはこの地形の複雑さが実戦経験になると踏んだからなのでしょうか。

P1020117.jpg
その津田沼駅付近の津田沼一丁目公園には元鉄道連隊K2型134号Eタンク機が保存されてます。
煙突のタライのような形をした火の粉止めが特徴的です。

P1020126.jpg
1943(昭和18)年川崎車輌製13t機で当初は600mm軌間で製造されたものが国鉄側線等で使用できるように1067mmに改軌されたようです。
となると朝顔カプラー上がごちゃっとしてるのは自動連結器取付け跡なのでしょうか?
戦後は西武鉄道に払い下げられますが実際使われたのかよく分からないようです。
入間川砂利採取のため敷かれた安比奈線安比奈のヤードで入換に使われたのかも・・・とのことでしたが断定は出来ないようで。
西武のユネスコ村で保存後津田沼に里帰りしています。

P1020124.jpg
JR津田沼駅と新京成新津田沼駅に挟まれた狭い空間にイトーヨーカドー、イオンがひしめき合いカオスな場所で保存されてますがこの場所には戦前、戦中は鉄道第2聯隊、戦後は大栄車輛があり京成や新京成の電車、関東鉄道の気動車の製造や改造を行っていました。
工場内には1963(昭和38)年日立製20tDLのDL-2もいたようですがこちらは津田沼工場から京成宗吾車両基地の宗吾工場へ移って使われた後廃車になったようです。
珍しい1435mm軌間のDLですが元々新幹線工場用の入換機の払い下げを受けたものだそうです。

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ドイツナロー機風に動軸5軸が並ぶ内中央の第3動輪はフランジレス。

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津田沼一丁目公園からJR総武線を越えるとかつての鉄道第二聯隊の正門が残ってます。

P1020129.jpg
現在は千葉工業大学の正門。
手前の六角形の台座跡は門衛小屋が建っていた跡でしょうね。


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スイッチャー | 21:50:24 | Trackback(0) | Comments(4)
津田沼の長野営林局王滝営林署 助六のB客と運材貨車
津田沼の王滝森林鉄道車両2回目

P1020080.jpg
田島停車場の停車場標も掲げられています。
上松起点:20,560.8m 延長2,303m
王滝村中心部に近く、今も巨大な修理工場の建屋が残る大きな停車場ですが構内延長2,303mもあったのか・・・。

P1020057.jpg
製造年月日が1940(昭和15)年9月10日と具体的な日付まで出てますが木曽谷の森林鉄道(西 裕之・著/ネコ・パブリッシング)や機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)によれば機関車は1951(昭和26)年製・・・となるとこの日付は何の日付なのか気になります。

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B型客車の王営No.4。
元は鮮やかな赤色だったのが色あせて薄いピンク色になってます。
車体には安全の文字と緑十字も残り標記類は現役時代の名残を良く残しています。

P1020058.jpg
「王営」は王滝営林署の略、「助六」は木曽の林鉄で最後まで残った鯎川線最奥部の助六谷。
林鉄は元よりナローファンの間で助六谷は伝説的な響きを持っています。
王滝営林署所属の客車は車体の隅に「五味沢」など所属する製品事業所名を表記していたようです。
王営No.4は板張りが横長に張られたタイプ。
ブレーキ制輪子は両輪とも画像の向かって右に付いています。
台車に使われてる運材貨車は岩崎レール製モノコックタイプ貨車と見られますが銘板がペンキベタ塗りで読み取れず。

運材貨車はどちらも岩崎レール工業製モノコックタイプ貨車。
客車の台車と異なりブレーキ制輪子が2つとも台車内側に付くタイプです。
P1020074.jpg
王営No.7

P1020075.jpg
王営No.6
こちらは銘板が残っていました。
製造:1960(昭和35)年6月 製造番号:20926

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森林鉄道(長野営林局) | 22:36:44 | Trackback(0) | Comments(0)
津田沼の長野営林局王滝営林署No.92
千葉県習志野市藤崎7丁目の森林公園。
最寄駅は京成本線の京成大久保駅ですが道が入り組んで分かり辛いのでJR総武線津田沼、新京成の新津田沼からのがアクセスし易いかも知れません。
何故か木曽から遠く離れたこの地に王滝森林鉄道の「田島停車場」があります。
その田島停車場で保存されている車両たちです。

P1020071.jpg
長野営林局野尻営林署No.107(旧番)→No.92→王滝営林署No.92
製造:酒井工作所
購入年:1951(昭和26)年
自 重:5t
局形式:GB5→DB5

1951年度に購入された5台の5t機No.91~No.93、No.95、No.96のグループ。
上松の赤沢自然休養林にNo.93、中央本線奈良井駅付近にNo.95、遠山の梨元ていしゃばでNo.96とNo.91以外はいずれも保存されており生存率が高いです。
No.107として野尻に配置された当初は加藤K-3エンジンを積んだガソリン機関車でしたがディーゼルの三菱セントラルKE-5に換装されています。
1966(昭和41)年4月には野尻森林鉄道廃止に伴い王滝営林署へ転属、1977(昭和52)年2月廃車とのことですが現地の説明板によれば1976(昭和51)年11月7日にはこの地へ搬入されていたようです。

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色褪せてはいるものの屋根の下なので保存状態は良いです。
エアブレーキ化改造されているため前部向かって右にコンプレッサがありますが野尻署時代の改造か王滝での改造かは不明。
ラジエター周りは黒塗りでコンプレッサ部以外塗り分けられてません。

P1020072.jpg
塗装は現役末期の王滝色ほぼそのままと思われますがドア下端、エンジンカバー前下端の黒塗りが省略されています。
また王滝色でも元々ちょっと変わった塗り分けで黒の細帯がえらく高い位置に入っています。
野尻森林鉄道のほかの機関車でも見られる塗り分けなのであるいは「野尻色」なのかも??

P1020073.jpg
背面は3枚窓。ところどころ塗装が剥げた個所からかつての塗色と思われるモスグリーンが見えています。

P1020068.jpg
No.92最大の特徴(?)キャブ前面に突き出た謎の配管跡。
かつては屋根上にエアタンクか水タンクでも載せていたのでしょうか。
これは車内を調査しなければわからなそうですが公開されることがあるのかな?

森林鉄道(長野営林局) | 22:38:00 | Trackback(0) | Comments(2)
石原産業海運四日市工場採石場→四日市採石専用線(三岐鉄道西藤原駅)~補遺~
2017年9月11日にUPした四日市採石専用線ですがその後の資料調査結果報告~。

鉄道省文書の三岐鉄道の免許で「西藤原停車場構外側線敷設ノ件」と言う記録がありした。
当初は石原産業海運(現・石原産業)の専用線で、同社の石灰石採掘場からの原石発送に使われたようです。
三岐鉄道から鉄道省への構外側線敷設申請は1941(昭和16)年6月1日に出され翌月には認可されたようです。

三岐鉄道からの提出書類によると・・・
構外側線延長280m
工費26,000円
一日の出荷量は石灰石約100t、1日2回程度の運転を予定としています。

専用線やホッパーの図面は色が薄くて見辛かったのでコントラストを強くしてあります。
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図面①
右が西藤原駅で点線の専用線が分岐して上へ延びています。
機回し線のようなものが見えますが構外側線内の運転は西藤原駅から機関車が無蓋貨車を推進して入線していたとのこと。

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図面①の下部中央右寄りの踏切から専用線分岐を見た様子。
これより駅寄りの区間は2017年9月11日の記事を参照してください。
図面①では腕木式の場内信号機が書かれている場所に現在は遠方信号機があります。
専用線は三岐鉄道本線と砂利道の間の草叢のようです。

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左奥が西藤原駅方面。
専用線は左の草叢と砂利道部分に分岐して2線区間になっていた様子。

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2股に分かれていた線路が合流しホッパーへと達していました。
右奥の木立の辺りに木造ホッパーがあったようですが跡形もなし。

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ホッパー上部には手押しトロッコがケーブル(索道)の卸し場との間を連絡していたようです。

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ホッパー跡から西藤原駅方を見た様子。
手前に見える錆びた部品はホッパーではなく水利関係のもののようです。

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ホッパー(貨車積貯鉱槽)の側面図(上)と平面図(下)
長さ20mとあるので当時三岐鉄道10t積み無蓋貨車ト101、200形3台が同時に積み込みできるくらいでしょうか。
1日2回運転で100t、となると1回当たりト5両が入線、2線区間8で編成を2~3両ずつに分割してホッパーへ押し込んでいたものと思われます。

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ホッパーの断面図(貨車積貯鉱断面図)。手押しトロと無蓋貨車も簡単に描かれてます。

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木造ホッパーと言うともうほとんど残っていませんがサイズや構造が近い例として旧・北陸鉄道金名線大日川駅の河合鉱山側線跡にあった鉱石ホッパー画像を上げます。

参考文献:
鉄道省文書 地方鉄道免許 三岐鉄道 自昭和十三年 至昭和十四年
 

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 22:26:40 | Trackback(0) | Comments(0)

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まとめ