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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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近江鉄道モ245
彦根駅東口から見える近江鉄道ミュージアム。

P1010944.jpg
電機だけでなく引退したモハ220やアヤシゲなものも見えます。

P1010942.jpg
住友FS-40台車。
この見掛けで吊り掛け台車と言うのが面白いのですがモーターは付いてない状態。
親会社西武鉄道の車体更新吊り掛け電車で使われていたものが大量に入って、近江1、500、220形で使われていました。
奥に見えるモハ224もこの台車を履いてます。

P1010948.jpg
保線モーターカーのモ245。
何だか名鉄の電車みたいな車番ですがこの番号の由来がわかりません(^ ^;)
自重24.5tなんて重さはなさそうですしエンジン出力が245PSなのでしょうか?
富士重工業TMC200Aで1966(昭和41)年7月製造、製番60。

P1010957.jpg
22年前に見て以降ずっとこの状態で使われているのを見たことがありません。

P1010955.jpg
モ245の銘板。
ここを見ても"245"の由来は分かりません。

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

スイッチャー | 22:53:45 | Trackback(0) | Comments(2)
近江鉄道彦根の電機近況
少し前に近江鉄道電機現役時代シリーズをUPしましたが先日暫らくぶりに彦根を見て来ました。
現役時の様子も一緒にリンクを付けます。
ED311、312、315は既に解体済み。

P1010961.jpg
手前からED144、ED143、ED141。
近江鉄道ED14 1の入換

P1010963.jpg
ED144は機器室側面に1枚だけGE製造当初の田の字窓が残ります。

P1010959.jpg
唯一ナンバーが前面デッキ中央に付くED142。
側面に錆びは垂れてますが18年前に初めて車庫内で見た時よりずっとましな状態。

P1010950.jpg
ロコ1101
現役時を見てるためかこの機関車が一番くたびれてしまった感があります。
近江鉄道ロコ1101の入換

P1010947.jpg
ED313
この機関車は見た目では現役時と全く変わらない良い状態を保ってますね。
近江鉄道ED31 3の工臨

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電気機関車 | 22:57:06 | Trackback(0) | Comments(0)
柿其森林鉄道北沢支線北沢第一橋梁(仮称)
石積み築堤で分かれて行った柿其森林鉄道北沢支線へ。
kakizore-kitazawa-map.png
柿其線、北沢支線分岐点から事務所跡へ戻り北沢橋を渡って今度は柿其楢ヶ沢(北沢)林道を上ります。
間もなく北沢支線がこちら側の岸へ渡って来るはずなので木々の間から北沢の流れを確認しつつ進むと道路が右カーブするところで枕木が並ぶ橋梁が見えました。

これまで見てきたようなコンクリート橋かな?と思って河原へ降りて行くと・・・

P1010809.jpg
何と木橋でした。これだけしっかりした軌道木橋を見るのは久し振りです。
北沢奥の終点側1連がカーブした4連の木桁橋。全長10m強くらいでしょうか。
橋脚は全部コンクリート製で、上流側を岩場に守られた強固なつくり。
上空も両岸の樹木の枝で屋根がされて雪から橋を守っているかのような状態のためか保存状態は極上。

P1010806.jpg
木橋の部材は朽ちてくるとやせ細って行くのですがこの橋桁材は太く頼もしささえ感じさせます。
と言ってこの上を渡りたいなどとは絶対思いませんが・・・。

P1010796.jpg
北沢の中から見上げると至福~。
夏日でしたが北沢の水は1分と浸かっていられない冷たさでした(>皿<)

P1010800.jpg
縦構図の方が橋梁直下にある渕の柿其ブルーが際立ちます。
撮影した位置は浅瀬でしたが橋梁付近は相当深いので近付くのは危険。

P1010813.jpg
沢から林道へ上がると「何しとん?」とばかりに首を傾げるニホンカモシカが・・・
物好きがお邪魔してます(- -;)

No106-3.png
柿其の5t機No.106。モノクロ写真しか見てないので現役時の塗装はわかっていません。従ってこの塗装はあくまで想像。
1952(昭和27)年三殿営林署製となってますが台枠にはSAKAI WORKSの文字が。
酒井から台枠などを購入、手持ちのエンジンやキャブなど部品を掻き集めて組み立てたのでしょうか?
当初は蘭、与川森林鉄道で使っていたものと思われますが1957(昭和32)年度に野尻署から柿其線が移管された頃に柿其へ移ったものと思われます。
前面イラストが準備できてませんが正面から見ると台枠上に2つ目ライトに改造され独特の風貌になっていました。
1966(昭和41)年度の柿其線運材終了後も撤去作業などに使われたのか1970(昭和45)年8月まで在籍。
その後木曽福島の関山公園で保存されていたのですが2005(平成17)年頃に撤去。
見に行ったら直前に撤去されていたという苦い記憶のある機関車です。

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森林鉄道(長野営林局) | 22:05:56 | Trackback(0) | Comments(0)
柿其森林鉄道北沢停車場の施設~その2~
柿其森林鉄道北沢停車場構内2回目 柿其線、北沢支線の分岐。
現役時代を見て見たいヘアピンカーブで線路が錯綜していたところです。

kakizore-kitazawa-map.png
柿其線は1958(昭和33)年に2級線北沢~大沢3,601mの内3,142mが廃止。北沢支線は1954(昭和29)年度1,500m開設で以降路線を延ばしているので実質的には事業地が大沢から北沢奥に移ったものと思われ、両線に同時に運材列車が走った期間はほとんど、あるいは全くないのかも知れません。

P1010735.jpg
線路上は最近重機が入ったようで。地均しされてます。
奥が大沢、北沢方面。
1954(昭和29)年度に柿其~北沢10,391mが1級森林鉄道に格上げされてますがこれより奥は終始2級森林鉄道のままでした。
柿其からここまではコンクリート橋の跡ばかりでしたが1級線に格上げする際の線路改良の跡だったのでしょうか。

P1010737.jpg
地均しされた一角に円形のコンクリートに金輪が嵌められた物体が埋まっています。
外径190cmほど。モーターカーの転車台でしょうか。
軸距からしたら機関車でも乗れますが機関車の重量に心棒が耐えられるかどうか。
因みに柿其の機関車は写真で見ると川下向きのものばかりで終端で一々方転していた様子がありません。
機関車用の転車台があった森林鉄道でも「回す方が面倒だからそのうち使わなくなった」という話を聞きます。

P1010736.jpg
転車台のすぐ先で分岐する柿其線(左の掘割)と北沢支線。
柿其線は一旦左に分れΩカーブを描いて柿其本谷林道をかすめ正面一段上の平場に上ります。

P1010745.jpg
まずは北沢支線の軌道敷に入り北沢停車場方を振り返ったところ。
見事な石積みの上に並行して続く柿其線の線路。

P1010746.jpg
今度は柿其線の軌道敷上から北沢支線を見下ろした様子。右奥が北沢支線終点側です。

P1010750.jpg
柿其線のヘアピンカーブ付近、右から大沢へ上って行く柿其線、1段下に北沢から上ってくる柿其線、さらに下に北沢支線と3本の線路が並んでいます。

P1010755_201807062318517fc.jpg
柿其線のヘアピンカーブは桟橋軌道だったらしく北沢停車場から上ってくる線は橋台で一旦路盤が尽きます。
隣り合う右の平場は大沢へ続く柿其線上段の線路跡。

P1010760.jpg
桟橋の跡に撤去された枕木が2山積まれたまま朽ちていました。

P1010757.jpg
その右下には北沢を上って行く北沢支線の石積み築堤が見えます。



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森林鉄道(長野営林局) | 22:17:14 | Trackback(0) | Comments(0)
柿其森林鉄道北沢停車場の施設~その1~
柿其森林鉄道1、2級線と北沢支線が接続していた北沢停車場。
柿其停車場から柿其川沿いに10,391m進んだ地点。林道ゲートからは徒歩で6kmほどです。
帝室林野局野尻出張所の柿其軌道の終点として1930(昭和5)年度に開業。
1936(昭和11)年度には大沢まで3,601m延長されています。
1954(昭和29)年度には柿其~北沢が1級森林鉄道へ格上げ、また同時期に北沢支線1,500mが開業しています。
大沢から北沢へ施業地が移転したようで北沢の線路は延長される一方で大沢への線路は1958(昭和33)年度に撤去されます。
また各営林署の領域配分の見直しにより1955(昭和30)年度に柿其国有林が三殿営林署へ移管、柿其森林鉄道も1957(昭和32)年度に三殿署へ移管されています。
1962(昭和37)年度には北沢支線も撤去、1966(昭和41)年度には柿其1級線の運材も終了し林鉄の停車場としての役目は終わりました。
kakizore-kitazawa-map.png
構内配線はあくまで想像で実際はもっと側線の数が多かったのではないかと思われます。
勾配緩和のためさほど広くない構内に線路が複雑に入り組んで模型にしたら面白そうです。
なお1962(昭和37)年度までレールが繋がっていた野尻(阿寺)森林鉄道にも同じ北沢、北沢線があるので紛らわしいです(^ ^;)

P1010786.jpg
北沢停車場の柿其側、左の平坦な方が柿其森林鉄道1級線、右に上って行くのは柿其樽ヶ沢(北沢)林道。

P1010780_20180523224431602.jpg
柿其1級線は北沢を渡って停車場に入ります。

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現在の林道は停車場構内を坂で一気に上ってしまいますが林鉄は一旦川寄りへカーブ。

P1010666.jpg
浅い切通しを抜けると林道と交差し停車場構内へ。

P1010671.jpg
林鉄・林道交差点には6kgレールが転がってます。
鉄道電話の通信線電柱に使われていたのが倒されたのでしょうか?

P1010734.jpg
停車場事務所と思しき建物基礎のコンクリート。
他にも周辺には建物の残骸らしき木材などがちらほら。製品事業所、休泊所もあってかつては賑わっていたのでしょうか。
左の木立から前方の一段高い広場が線路跡。広場は線路3本くらいは引けそうな広さがあります。

P1010676.jpg
停車場や建物の有ったところより一段下、北沢の河原にはコンクリートと石材の土台から鉄管が突き出た異様な物体があります。
恐らくかつては上部の水槽に北沢上流から水路、樋で水が導かれ鉄管に接続した水車と発電機で停車場、事業所などで使う電力を賄っていたのでしょう。言うなればサージタンクでしょうか?


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森林鉄道(長野営林局) | 23:28:55 | Trackback(0) | Comments(0)
豊和工業本社工場専用線(名鉄名古屋本線須ケ口駅)~その2~
豊田式織機→豊和工業本社工場専用線跡の続き~
P1010448.jpg
専用線は須ケ口駅北口へのアクセス路兼自転車置き場になってます。

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専用線延長線上の豊橋方にあるのは信号扱所?
ここから右を見ると豊和工業本社工場の正門があります。

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ホームから豊橋方を見た様子。
以前はデキが常駐していた新川工場(現在は機能が縮小して正式には検車区)の方にどうしても目が行ってしまいますが(笑)
専用線の入換にも新川工場常駐のデキが使われていたのでしょうか。
名鉄電機在来のデキが壊滅してから新川工場で機関車を見ることはほとんど無くなりましたが・・・

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この日は久し振りにいました!
EL120が大江常駐のチキを挟んで検査入場でしょうか?

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新川工場の側線にあった標語看板。
名鉄線ではよくこういうクスッとなる標語が掲げられてて和みます。

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何やら6000系普通を撮影しているファンがちらほらいるなと思ってたら。

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三河高浜駅開業100周年記念方向版が入ってました。
車両イラストはサーモンピンクとマルーンの旧塗色5500系のようですね。

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専用線跡 | 22:27:14 | Trackback(0) | Comments(0)
豊和工業本社工場専用線(名鉄名古屋本線須ケ口駅)~その1~
名鉄名古屋本線と津島線が接続する清須市の須ケ口駅。
名古屋市の北隣で駅には名鉄新川工場が隣接、駅前には東海道、中山道の連絡道だった美濃路も通り交通の要衝です。
この駅にもかつては専用線がありました。
専用線一覧表では1964(昭和39)年版でしか確認できてませんが昭和初期からあったはず。
なお須ケ口駅の貨物取扱いは1965(昭和40)年度に廃止されています。

作業キロ:0.1km
作業方法:社機

P1010434.jpg
美濃路の橋上から見た名古屋本線の新川橋梁。
左に見える塔は豊和工業本社工場の給水塔。
この新川もかつては名古屋港と結ぶ運河として使われ豊和工業前身の豊田式織機時代は専用の河岸を設け艀による輸送も行われていた様子。

豊和工業は工作機械や変わったところでは自衛隊の銃器製造でも知られますが1927(昭和2)年3月に名古屋市内から工場が移ってきた当時の社名は豊田式織機株式会社・・・当時中京地方で盛んだった繊維産業の織機を製作する会社でした。
似たような名前の企業が多いことで混乱しますが「豊田」の名前がある通り現在のトヨタ自動車の元をつくった豊田佐吉(1867~1930)が関係しています。
豊田佐吉は機械動力による力織機を発明し特許を得ていますが一介の発明家で個人で工場を起こすような資金は持っていませんでした。
知人の工場で発明した織機を使っていたところこれが三井物産の目に留まり1906(明治39)年に設立されたのが豊田式織機株式会社です。
彼自身も常務取締役についてましたが業績不振により解任。
発明家として自由を得られず苦悩していたようで解任後間もなく渡米、海外の織機事情を目の当たりにして帰国後自前で資金を調達し1911(明治44)年に豊田自動織布工場(現・トヨタ紡織)、1926(大正15)年には豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)を設立しておりいずれの企業とも現在も盛業中です。

話が脱線しましたが豊田式自動織機本社工場の専用線に戻ります。
1927(昭和2)年3月に工場ができた頃は名古屋鉄道(初代)の時代で名古屋本線に当たる区間でつながってたのは押切町~新一宮(現・名鉄一宮)の区間でした。
名古屋市内は市電乗入で名古屋駅近くの柳橋駅にターミナルがありましたが国鉄との貨物連絡は新一宮か弥富経由で行っていたものと思われます。

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須ケ口駅の北側。右が名古屋本線で左が津島線。
津島線から須ケ口終点の5000系普通が名古屋本線下り線と平面クロスして入線してくるところ。
現在はホームを方向別とするためこのような配線になっていますがこれは専用線廃止後に大きく配線変更したもの。
かつては名古屋本線と津島線でホームが分かれていました。

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目線を右に移すと名古屋本線上り線、その向こうが豊和工業本社工場。
専用線は上り線と工場の間の通路、自転車置き場の場所にあったようです。

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実際に専用線があった場所に行ってもただの自転車置き場があるだけ(^ ^;)
工場が操業開始した昭和初期の写真では織物工場(自社製造品のテスト用の工場か?)があり、その前に架線と貨車が写っている写真があったことからかつては中まで線路が入っていたのかも知れません。
その工場前には荷造場があったので製品の織機を積んで出荷していたようです。


専用線跡 | 23:49:09 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道クハ1212→モハ204→モユニ11のこと
クハ1212は1973(昭和48)年にモハ203形モハ204、さらに郵便荷物合造車モユニ11形モユニ11に改造されたことになっています。

img093.jpg
見ての通り全く別の車両で京王デハ1700形デハ1707の車体と手持ちの電装品、台車を組み合わせてつくった車両。
郵便荷物合造車に改造され廃車された後の姿ですが正面右窓上には「204」の番号も残っていました。
この手持ちの部品にクハ1212の部品があったのかどうかは分かりません(- -)
2001(平成13)年10月14日 彦根車庫 ※許可を得て撮影

モハ204の種車となったデハ1707もややこしい歴史を持ったクルマです。
1946(昭和21)年汽車会社製で当時東急の井の頭線に入ったデハ1700形のラストナンバー車。
片運転台車で正面3枚窓の平凡な関東私鉄スタイルの電車です。
当初はこちらも当時東急の路線だった京浜線(現・京浜急行)へ入れるはずだったのが1945(昭和20)年5月25日の山手空襲で永福町車庫が壊滅し車両不足に陥っていた井の頭線へ回されます。
戦後は東急から分離して京王帝都電鉄となり引き続き井の頭線で20年ほど使われますがステンレス車3000系が増備されると軌間の違う京王線へ移ります。
当初1,435mm軌間の京浜線に入るはずが1,067mmの井の頭線、そして1,372mmの京王線へ~

keio-mc1707-1-2.png  keio-mc1707-1-1.png
京王線時代のデハ1700形デハ1707
末期はオデコに前照灯を2つ載っけた京王独特の2灯化改造が行われていました。

京王線でも新形車が増えてくると1972(昭和47)年に廃車、車体だけ近江鉄道に譲渡されます。
元小田急デハ1600形の車体と近江手持ち部品を組み合わせたモハ203形モハ203の次の番号モハ204が当てられました。
小田急デハ1600も同時期製造の似たようなスタイルの電車で編成を組んでもあまり違和感は有りません。
近江では両運転台に改造、元々運転台があった側にも貫通扉が追加されて表情が変わりました。

img094.jpg
京王時代からの運転台側前面。中央の狭窓部分に貫通扉が設けられた。
彦根車庫留置時はこちらにモハ103が常に連結されており上手く撮れませんでした(- -)
車体検査標記は1980(昭和55)年7月になっておりモユニ改造前の表記だった様子。
2001(平成13)年10月14日 彦根車庫 ※許可を得て撮影

img093_2018051723230804f.jpg
こちら側は近江入りの際に増設された運転台。
貫通化せず前面2枚窓にしていたらクハ1212と似ていたかも?
2001(平成13)年10月14日 彦根車庫 ※許可を得て撮影

両運転台を生かし単行や増結運用に就いていましたが1981(昭和56)年1月26日付で郵便荷物合造車のモユニ11に改造。
しかし国鉄の1984(昭和59)年2月ダイヤ改正で郵便輸送が縮小されると近江鉄道の郵便荷物輸送は廃止。
休、廃車として彦根車庫に留置されていました。

img093-2.jpg
増設運転台側の郵便室。
鉄道郵便現役時の姿は物心つく前で見た覚えが無く貴重な存在でした。
2001(平成13)年10月14日 彦根車庫 ※許可を得て撮影

大正、昭和、平成と変転を重ねたこの車両、1914(大正3)年のフホハ26登場から90年目の2004(平成16)年に彦根駅東口の再開発でついに姿を消しました。
フホハ26→クハ1212→モハ204→モユニ11

参考文献:
鉄道ピクトリアル2000年5月増刊号(No.685)【特集】関西地方のローカル私鉄(鉄道図書刊行会/刊) ~近江鉄道電車沿革史(藤井 信夫)~
鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション19 私鉄車両めぐり 関西(鉄道図書刊行会/刊) ~私鉄車両めぐり 近江鉄道(白土 貞夫)~

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関西私鉄 | 23:37:52 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道クハ1212のこと~その2~
クハ1212その後~。
1961(昭和36)年に近江鉄道彦根工場自家製の車体に載せ替えています。
台枠は鋼体化改造のため取り換えられた上毛クハ1061(元西武の木造電車クハ1251)の旧車体のものを使用。
因みに車体のどこか初代クハ1212の部品がどこか一部にでも使われていたのかは不明~。多分ないんだろうな(^ ^;)
当初僅かな期間のみ前面3枚窓だったようですが間もなく2枚窓に改造。
湘南フェイスを扁平にした顔つきで側面はモハ1、前面スタイルはモハ51、52(→銚子電鉄モハ701、702)そのもの。
ohmi-tc1212-2-2.png
モハ52(右)と編成を組んだ姿で描いて見ました。
日本鉄道自動車製の標準車体だったモハ51もクハ1212と同様の前面に改造されていました。
側面形状は後に多数自家製で登場させた湘南フェイスモハ1、131系と同じ。
通風器は独特の尖った形状のグロベンを載せています。
ohmi-tc1212-2-1.png
クハ1212前面
その後1系や500系の増備が進み標準化が進むとクハ1212は使い難くなったのか1973(昭和48)年に廃車。
十和田観光電鉄へ譲渡の話もあったようですが実現してません。
クハ1212は廃車になったものの車籍は使い回され、同年購入のモハ203形モハ204号に改造したことになっています(- -;)
と言うわけでまだ続きます(爆)


クハ1212の仲間~近江型の電車~
img092.jpg
クハ1212の側面スタイルを引き継ぎ自社彦根工場で大量増備した近江鉄道モハ1系。
これらの新製車も木造電車改造名義のため車籍は複雑怪奇。
モハ5+クハ1221
1998(平成10)年3月28日 高宮

DSC_1050.jpg
銚子電鉄モハ702。クハ1212と前面スタイルが同じで近江時代はコンビを組んでいたモハ52。
1978(昭和53)年に銚子電鉄に譲渡されたモハ51、52は2010(平成22)年まで活躍、現在も千葉県いすみ市ぽっぽの丘で保存されて旧近江型の姿を偲ばせる存在となっています。
銚子電鉄モハ702(元近江モハ52)+モハ801(元伊予鉄クハ405→モハ106)
2010(平成22)年1月23日 仲ノ町

DSC_1151_20180514225640050.jpg
銚子電鉄モハ701(元近江モハ51)
モハ51もクハ1212タイプの前面を持つクハ1207と編成を組んでいた。
クハ1207は名義上1898(明治31)年福岡工場製だが車体は1927(昭和2)年川崎造船所製(豊川鉄道モハ22→国鉄モハ1601→上信電鉄クハニ21、台車は旧西武と言うとんでもない怪車。
2010(平成22)年1月23日 銚子

関西私鉄 | 23:19:46 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道クハ1212のこと~その1~
今から20年以上前の話~
京都からの帰りに草津線貴生川で乗り換えた電車が日野までの区間運転だったため日野で途中下車。
夕暮れの雰囲気がとてもいいローカル駅だったので次の米原行まで30分待ちの間に駅の周辺を見ることに。
写真の撮影は3枚とも1997(平成9)年8月15日です。

img091.jpg
乗って来たモハ224が貴生川へ折り返していくのを見送り。
左のLEカー車庫は今も残ってますね。右の小屋の間に黄色い物体が見えますがどうやらタッグローダーだったようです。
このタッグローダーが最近復元されイベントなどで日野駅に展示されるようです。
ここから目線を右に振って行くと・・・

img090.jpg
ホーム横に怪しい木造の廃車体がありました。
クハ1212形クハ1212号の初代車体です。

img090-1.jpg
拡大~。
クハ1212は片運転台車で右(米原側)に乗務員扉があることから右が前面。
この車体が現役当時の写真を見ると当時も米原方向を向いていた様子。
前面幕板にはピンクっぽい塗装(茶色が退色した?)、側面窓周りには黄色の塗装が残ってました。

クハ1212は1914(大正3)年多賀線開業時に用意された両端オープンデッキの加藤車輌製作所製ボギー客車イ4号が前身。
因みにメーカーの加藤車輌製作所は小形内燃機関車製造の加藤製作所とは別会社です。
国鉄で「イ」は1等車を意味しますが当時の近江鉄道では1、2等合造車の意味だったそうで1926(大正15)年には形式称号変更でフホロハ4号に変わります。
当初は蒸気機関車に牽引されてましたが1930(昭和5)年に電化されると電車に牽かれるようになり、また優等車廃止によりフホハ26号へ再改番。
1940(昭和15)年には両端のオープンデッキをやめて扉に改造、さらに戦時中には中扉を増設して3扉車となっています。

ohmi-fc26-1-2.png
3扉化改造後のフホハ26
戦中、戦後のガラス不足の時代のままなのか縦桟の入った窓になっている。

戦後西武鉄道の木造電車が大挙して転入、1956(昭和31)年に他の客車たちは台車を西武から譲り受けた車体に渡してクハ1205~1211になり車体は廃棄されましたがフホハ26号は車体の状態が良かったのでそのままクハに改造。
続番でクハ1212形クハ1212号になっています。

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元・神姫電鉄(現在の山陽電鉄)デハニ2(左)と編成を組んだクハ1212
クハ化に際し両端の客扉が内側に移され乗務員室を設置、窓も新たに開けられていくらか整った外観になった。

ohmi-tc1212-1-1.png
クハ1212前面(米原方)

台車を高野山電気鉄道放出品の汽車会社製BW54-18Lに履き替え使われたものの1958(昭和33)年には結局西武クハ1203の車体に載せ替え、製造時からの旧車体は半分に切られて日野駅で倉庫として利用されました。
旧車体は車両としては引退したもののクハ1212はまだ変転を続けます。

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関西私鉄 | 18:25:43 | Trackback(0) | Comments(0)
柿其森林鉄道~その2~
三殿営林署柿其森林鉄道2回目。

P1010587.jpg
柿其川左岸に渡っても高い桟橋軌道が多かった様子。
現在の林道桟橋は幅広で恐怖感も何もないがあの幅の橋でここを通ると怖いでしょうね~。

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林道の人工地盤に埋め殺されてるかつての林鉄桟橋の橋脚。

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途中で分かれる橋は老朽化のためことごとく封鎖されてましたが忠兵衛沢手前にあったこの橋だけは渡れるようになってました。
よく見ると方杖橋です。

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構造が林鉄木橋そのものでまさか作業軌道の橋を利用したのか?と渡って見ましたが対岸にも軌道を付けられるような場所は見当たらず。
岩に突き当たって直角に曲がる道があるだけ・・・。
林鉄の架橋経験がある親方が同じ感覚で架けたのかな?

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北沢を渡ると線路は左に分岐して林道の勾配部分を回り込み直角に交差し右の北沢上流方へ延びていました。
この辺は大沢へ延びる柿其線と北沢線の分岐点で停車場や休泊所、自家用発電所があったようです。

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森林鉄道(長野営林局) | 22:21:57 | Trackback(0) | Comments(0)
柿其森林鉄道~その1~
三殿営林署の森林鉄道路線群の中で離れ小島となっていた柿其森林鉄道を下見してきました。
1966(昭和41)年の運材終了時は中央本線十二兼駅から木曽川対岸の柿其中継土場~北沢分岐~大沢10,605mの路線でした。

元々帝室林野局野尻出張所の野尻森林鉄道の延長線で中央本線野尻駅に接続していたものの沿線の御料林は三殿出張所管轄で作業軌道も三殿管理と管轄部署が入り組んで煩雑だったため1946(昭和21)年に御料林、作業軌道を野尻出張所へ編入。
林政統一後出張所は営林署に変わります。
今度は野尻営林署の管轄範囲が大きくなり過ぎたことが問題となり1955(昭和30)年度に柿其国有林、1957(昭和32)年度に柿其森林鉄道も三殿営林署へ移管。
森林鉄道の三殿移管は道路林道化したときのことを考えるとわざわざ遠い野尻の土場まで木材を持って行く理由が乏しいということもあったようです。
中継土場~野尻の森林鉄道が廃止、柿其中継土場~大沢の区間だけ宙ぶらりんで残った後は林鉄で奥地から運ばれてきた木材を三殿土場までトラックで運材するようになっていました。

管轄の移管を繰り返したややこしい路線ですが柿其渓谷の美しい路線で今もハイカーが多いところです。
今回は中継土場~北沢分岐点を下見~。
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柿其集落外れにあるくちなし沢のコンクリート橋。

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車止めゲートの先には古レールを利用した鉄道電話の電信柱が多数。
一本の線をぶら下げただけの至極簡単なものだったようです。

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比高100m以上はあろうかと言う深い谷へ分け入ります。

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滝や道順の案内板に混じって立つ6kmの距離標。
中継土場から森林鉄道跡を忠実に辿った場合の距離のようで林鉄由来のものかも(何度か塗り直し、立て直しは行っているかも)
新しいキロポストはゲートからの距離が書かれています。

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大垂橋の横にはコンクリートガーダー橋が健在。
元は7連の橋だったようですが現在橋架設時に干渉する部分は撤去したようです。

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一部枕木も残存~。
橋脚の一部には木橋時代の橋脚も残ってました。
因みに谷底までは30m位、しかも谷底では深い淵が逆巻いています。
4~5tの内燃機関車がエンジンの爆音も打ち消すような激流の上に架かる木橋を軋ませて行く姿は・・・何とも恐ろしい(・ ・;)

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森林鉄道(長野営林局) | 23:49:08 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道ED14 1の入換
私鉄では西武E851に次ぐ60t級大型機のED14。
1925(大正14)年4月アメリカ生まれで電装品や走行機器はGE、車体はアルコ(Alco)製ですが車体のメーカーについてはあまり言及されませんね。
大学生だった2000(平成12)~2004(平成16)年当時可動状態だったのはED14 1。
2,3号機は休車でED14 4も故障していたようで無動力回送をみたことがあるだけ。
なおED14 1もその重量ゆえに近江本線高宮以西に入線できないため工臨に使われることもなくガチャコン祭り展示の移動以外で動くことは試運転と構内入換くらいでした。
ED14 1は国府津、甲府などに配置、戦中から戦後にかけ長いこと仙山線作並機関区に配置され仙山線全面交流化3年前の1965(昭和40)年9月に国鉄で廃車、年末には近江で使われ始めたようです。

番号の変遷は以下の通り
国鉄1061→ED14 1→近江ED14 1

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2002(平成14)年10月19日 高宮
ガチャコン祭りで高宮のヤードに展示されるED14 1。
後ろに石灰石輸送でかつて牽引したセキ1形が並び現役当時を思い起こさせる光景が見られました。

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2002(平成14)年12月12日 彦根
珍しく構内入換で動いたED14 1。

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2002(平成14)年12月12日 彦根
工場入場車の入換で頻繁に動いていたロコ1101、工臨や入換で月1くらいは動いているのを見掛けたED31と比べると全くと言っていいほど動きのない機関車で動いているのを見掛けた回数は4年間合わせても片手で数えられるレベル。
ED31 4と並んだシーンは近江鉄道ED31 4の入換で載せました。

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2004(平成16)年10月10日 多賀大社前
ガチャコン祭りの機関車展示が多賀大社前で行われたときの様子。
かつてはこの駅手前で分岐し多賀鉱山までの石灰石輸送列車を牽引していました。

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2004(平成16)年10月10日 多賀大社前
ガチャコン祭り後彦根へ回送するため入換中。
残念ながら本線上でED14 1は無動力でED31 4に牽引されての回送でした。

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電気機関車 | 21:33:43 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道ED31 4の工臨
今回はED31 4の本線走行。
学生時代なので電車と自転車を駆使して追っ掛けました(笑)

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2003(平成15)年10月27日 彦根口~高宮
今はここも右に住宅が建て込んでます。

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2003(平成15)年10月31日 豊郷~愛知川
宇曽川橋梁左岸の踏切。当時この踏切の警報器は電鈴式でした。

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2003(平成15)年11月12日 五個荘
五個荘に到着するED31 4+ホキ×3。
確かこのときはホームは通過してそのまま砂利線に入って停車。
電車を待避してからホームまで戻り機回しを行っていました。

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2003(平成15)年11月12日 高宮~彦根口
1枚前の工臨が五個荘で砂利を積み終え彦根に帰るところ。
ED31は鈍重な見かけに反して案外高速走行を見せこの時も定期の電車並みの速さで走り去って行きました。

因みにこの後彦根車庫に戻って入換を撮影していると降りてきた運転士さんが「まさか自転車で五個荘から追っ掛けて来たの?」と爆笑~自転車で行く先々に現れる暇学生に呆れたようで(^ ^;)
正解は近江鉄道のサイクルトレイン利用で五個荘~高宮は自転車を電車に載せて移動。
高宮~彦根は抜け道を幾らでも知ってるのでショートカットして入換には間に合った・・・と言うだけのこと。
彦根の町は狭い道が多いので車での移動には不向きですね。


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電気機関車 | 21:31:28 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道ED31 4の入換
ED31で当時動いていたのはED31 3とED31 4の2台でした。
ED31 5は既に廃車されており仮台車を履いて車庫裏に置いてありました。
ED31 1、ED31 2はまだ車籍はあったものの実質廃車状態。

ED31 4はPS13を装備し、運転士側の前面窓がHゴム支持になっていました。
また当時はED31 3より濃い色合いの灰色で塗装されており、側面の近江鉄道社紋標記がないなどナンバープレートを見なくても見分けることができました。
近江に来るまでの前歴はED31 3と全く同じです。
伊那電気鉄道4→同デキ4→国鉄デキ4→同ED31 4

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2001(平成13)年11月9日 彦根
彦根車庫で五個荘へ向け出発準備中のED31 4。

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2002(平成14)年10月19日 五個荘
この日は高宮のヤードでガチャコン祭りが行われており他の機関車たちが展示され脚光を浴びていたのに対しこちらは地味な業務のため五個荘砂利側線にて待機中。
ホキがカーブ上にかかってパンタが上がっていれば入換中のような光景です。
個人的にはこういう姿の方が魅力的。

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2002(平成14)年12月12日 彦根
夕闇迫る彦根車庫で珍しくED14 1と同時入換。
並びを見せてくれました。

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2002(平成14)年12月12日 彦根
レール貨車編成を入換。

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2003(平成15)年1月8日 彦根
積雪の中を入換。
検査のため留置場所から車庫へ移動するところだったようです。


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電気機関車 | 22:10:40 | Trackback(0) | Comments(0)

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