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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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小坂森林鉄道T33BNモーターカー
名古屋営林局小坂営林署小坂森林鉄道のモーターカー。
小坂署には多い時期(1957(昭和32)~1960(昭和35)年)には3台のモーターカーがいたほどですがその実態はよくわかっていません。
唯一写真に写っているものもごく小さくしか見えませんが何とか車輌は識別できるレベルだったのでメーカーの図面からイラストを起こしてみました。
t33bn-2.png     t33bn-1.png
富士重工業 T33BN型
モノクロ写真しかなく塗装は同時期の同社国鉄、民鉄向けモーターカーの例から想像したものなので合っているかどうかわかりません。
寸法:L2,220mm×W1,460mm×H1,535mm
重量:490kg
エンジン:くろがね90V(ガソリン4サイクル2気筒)

基本はオープンカーで風防も無し。
前面窓は雨天時用の防水シートに付いており、ワイパーまで付いています。
さすがにワイパーは手動なのでしょうか?
風防までなくてはさすがに使いづらいということか返って防水シートを外して使っている写真を見たことが無いです。
全国の森林鉄道に入ったものには寒地向けなのか側面にドア付きの物も有ります。
名古屋局内では小坂のほか付知署付知森林鉄道、荘川署尾上郷森林鉄道、神岡署金木戸森林鉄道にいたのを写真で確認してます。
●小坂森林鉄道のモーターカーのエピソード
保線や治山事業、来客送迎などいろいろな目的で使われたモーターカーですが小坂では山奥の製品事業所に生活物資を運んでいた事を聞きます。
宿舎に寝泊まりし早朝から日暮れまで作業。
夜は電灯すらない宿舎もありランプの灯の元でモーターカーが運んできた雑誌を擦り切れるまで読んだとか。
娯楽の少ない山の宿舎と町を結ぶ貴重な交通機関でした。
P1030251.jpg
小坂林鉄若栃線終点付近に残る宿舎の跡。
現在は休憩所兼倉庫と見られる一部の建物だけが残っています。
表には書類倉庫、造林○○倉庫の表札が掛ってました。

また運材列車はまだしも不定期のモーターカーは電話連絡をしっかり取らずに発車させたこともあったとかで運行は危険だった(内規違反だと思いますが- -;)とのこと。
運材列車はまだ降りてこないからいいだろうということでしょうが単線区間で閉塞取らず列車を走らせたら営業鉄道なら重大事故、事案です(汗)

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

森林鉄道(名古屋営林局) | 23:45:57 | Trackback(0) | Comments(0)
西濃鉄道DD402車体塗り替え?
暫くDE10ばかりが動いてたのが最近は茶色いDD402、403に交代していると聞いた西濃鉄道。

IMG_2021.jpg
DD402は端梁の警戒色が蛍光ピンクと白から黄と黒の塗り分けに変わっていました。
車体全体も塗装し直したようですがここの機関車は整備状態が良くいつも綺麗なのでちょっと見ただけではよくわかりません。

IMG_2011.jpg
真正面から見ると以前は端梁の色でDD402かDD403か分かったのですが区別が付かなくなりました。

IMG_1929.jpg
蛍光色より落ち着いた感じにはなりました。

IMG_1910.jpg
3が日は工場に出入りするトラックもほとんどいないので普段はトラックが怖くて撮らない場所でも撮影。

IMG_1909.jpg
DD402の台車。
三菱重工業のスイッチャー特有の独特の軸箱周り。
三菱石炭鉱業大夕張鉄道のDL55は上回りがDD13そのものでしたが台車はこれとよく似てましたね。
軸バネが2本ずつ付いているのに今まで気付いてませんでした。

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私鉄貨物 | 22:03:54 | Trackback(0) | Comments(0)
日立セメント貨物索道
福島臨海の後で立ち寄った茨城県日立市。
その目的は~
IMG_1982_201801272123205c6.jpg
日立セメントの石灰石貨物索道。
鉱山から町外れのベルコンの起点まで索道が来ています。
日曜のため休みで止まってましたが現役唯一の貨物索道は前から見たかったのでした。

道路が整備される以前、起伏が多い鉄道を敷くのが難しいルートを通すため全国各地に貨物索道が存在しました。
鉱石や石炭、木材、生活雑貨、表向きは禁止されていたものの人が便乗することもあったり・・・。
山深い地域へのダム建設時にも資材輸送のため最寄りの国鉄駅などから索道がセメントや骨材を運んでいました。
貨物索道の多くは自動車道路や鉄道が延伸された昭和初期までに姿を消しています。
山深い急峻な地域で残ったダム建設索道や鉱山索道も昭和40年代にはほとんどが姿を消したようです。
戦後占領下の時代に進められたあるダム建設で索道によるセメント輸送を行おうとしたときGHQから送られてきた顧問の突っ込み「索道なんて仮設備をつくって撤収するくらいなら工事道路をつくって工事後は地元に払い下げた方が役立つだろ?」
・・・まあ、仰る通りで(^ ^;)
ダム工事の仮設索道もつくられることがほとんど無くなりました。

IMG_1983.jpg
そんなわけで専用線や専用鉄道よりもずっと希少価値の高い貨物索道ですがここまで関心を持つのはよほどコアなファンしかいないのでしょうか。

IMG_1981.jpg
動いてる平日であれば公道からでも搬器のおナベがひっくり返されるところまで見えそうですが。

IMG_1988.jpg
隣にはゴルフの打ちっぱなしがありその上に貨物索道の搬器がぶら下がっている奇妙な光景が。
SKW氏と「いっそのことプレイして中から撮ろうか?」などと話していましたが次の目的もあったので今回は保留~。

IMG_1991.jpg
阿字ヶ浦まで行ってキハ205を撮りたかったもので~。

鉱山 | 22:04:48 | Trackback(0) | Comments(0)
小坂森林鉄道No.7(2代目?)
名古屋営林局小坂営林署小坂森林鉄道の協三5t機 第2弾~
No7-2.png     No7-1.png
No.7(2代目)・・・この機関車は背面からの写真しか確認できてないので前面は同型機を参考にしてます。
エアブレーキ装備でNO12、13と似てますが古いモデルのため下方確認用の小窓以外は金属窓枠になってます。
小坂ではこの窓枠を白塗りして強調していました。
キャブ外板もリベット止めで林鉄車両としては比較的スマートなイメージのNO12,13と比べると武骨な感じが残りますね。
番号が「No.7」と"o"が小文字、数字との間にドットが入る点が他の機関車と異なります。
他の新製機関車が2桁番号なのに対しわざわざ古い番号を名乗っていることからすると他所からの転属機なのかも知れません。
なお「NO7(初代)」は加藤製作所製1939(昭和14)年6月購入の4.0t機で1952(昭和27)年時点ではまだ初代機がいたことがわかっています。

DSC_0986.jpg
同タイプのものは鳥取県智頭町で沖ノ山森林鉄道の協三5t機が保存されています。
小坂からも近い同じ名古屋営林局管内の付知森林鉄道から沖ノ山へ移った機関車ではないか?という話も聞きますが真相や如何に?

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森林鉄道(名古屋営林局) | 23:29:03 | Trackback(0) | Comments(0)
小坂森林鉄道NO12、13
名古屋営林局小坂営林署の小坂森林鉄道の協三5t機を再現して見ました。
協三5t機の名古屋営林局納入機は機関車表フルコンプリート版(沖田 祐作編 ネコ・パブリッシング)によれば1953年1台、1954年1台、1955年1台、1956年2台、1958年1台が見られその内の2台と思われます。
小坂で今のところ番号まで確認できている同型機はNO7(2代目?)、10、12、13、24、25の6台。
ただし他局からの転入車もあったようで実際には機関車表以上の数の協三機が名古屋局内の各林鉄に入っていたようなのであくまで推定の域を出ませんが(^ ^;)

No12-2.png     No12-1.png
NO12
ボンネット向かって右にエアブレーキ用のコンプレッサ、屋根上にはエアタンクが載ったタイプ。
窓抑えがHゴム化された後期スタイルで寸又峡温泉で保存されている千頭森林鉄道DB12と同型。
濁河線のカラー映像と機関車は青かったという証言からこの色にしてます。
昨年白鳥の歴史館で行われた森林鉄道資料展のチラシにはこのNO12が牽引する運材列車が写っています。
ラジエター横に立っているアンテナのような棒の正体は次のイラストを見てもらえばわかるかと。

No13-2.png      monocock.png
NO13
NO12と全くの同型。岩崎レール製のモノコックタイプ運材貨車を牽かせてみました。
ラジエター脇の棒の正体は旗棹でした。このように安全旗をはためかせて走るなかなか恰好のいい写真も見られます。
なお軸箱蓋の「協」の鋳出し文字がNO12は白塗りされているのに対しNO13は特に塗り分けられていませんでした。

DSC_0600.jpg
かつてこれらの機関車が通っていた小坂森林鉄道大洞川橋梁。
NO12、13は飛騨小坂駅隣接の大島運輸事業所の所属だったようで本線に当たる小坂線で撮影されたと見られる写真が多く見られます。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 23:22:37 | Trackback(0) | Comments(0)
静岡鉄道300系→福井鉄道モハ300形
前回のクモハ352で懐かしくなったので今回は福井鉄道300形。
1966(昭和41)~1967(昭和42)年に静岡鉄道長沼工場で新製された300系3編成。
こちらもクモハ300+クハ300の2両固定編成を組んでました。
走行機器は新調品で平行カルダン車となり静岡鉄道オリジナル製作最高峰の車両と言えるでしょう。
1000系に置換えられた後も福井鉄道で主力として活躍しました。

IMG_8325.jpg
三十八社 2005(平成17)年6月19日
前面両側の窓が広いためかこちらの方がよりスマートな印象。
福井では冷房化、パンタの前面移設や幸橋の重量制限から車体重量を分散するためクモハ連結面寄りのモーターを下ろしクハの運転台側にモーターを設置、両車ともモハ300形を名乗りました。

IMG_8326.jpg
三十八社 2005(平成17)年6月19日
福井では塗色が初期は静鉄色→静鉄色で塗り分け線が直線的になったバージョン→福鉄色(クリームに青帯)→写真の塗装と変化しました。
末期は広告塗装が多かったですがやはりこの塗装が一番印象深いです。

IMG_1058.jpg
木田四ツ辻(現・商工会議所前) 2005(平成17)年11月5日
併用軌道区間で見ると2両でも堂々たる姿。

IMG_4841.jpg
上鯖江(現・サンドーム西)~家久 2004(平成16)年7月3日
撮影名所の日野川橋梁

IMG_4842.jpg
家久~上鯖江(現・サンドーム西) 2004(平成16)年7月3日
丹生山地をバックに。

IMG_4154.jpg
80形、120形引退イベント時に西武生車庫の片隅で。
解体されて唯一残っていたFS363T台車。これが300形を撮影した最後の1枚です。
西武生(現・北府) 2006(平成18)年6月25日

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北陸私鉄 | 23:32:07 | Trackback(0) | Comments(0)
畑の中の静岡鉄道→日立電鉄クモハ352
鉾田市内の畑に残る日立電鉄クモハ352の廃車体。
塗装が静岡鉄道時代末期から日立電鉄譲渡後初期の塗装に復元されています。
元は静岡鉄道のクモハ352でクモハ351+クモハ352の固定編成を組んでいました。
IMG_2000.jpg
元を正す1930(昭和5)年新潟鐵工所製の鶴見臨港鉄道モハ107(後モハ117に改番)、国有化後1953(昭和28)年にモハ1503に改番されたものの2年で廃車されて静鉄モハ19に。
仲間のモハ18(鶴臨モハ103→113→国鉄→モハ1503→)と編成を組んで静岡~清水の都市間輸送に就いていました。
1964(昭和39)年には静鉄の型式称号改正でモハから私鉄では珍しいクモハに。
1968(昭和43)年10月には静鉄長沼工場でこの車体を新造して日立電鉄譲渡後までの車番であるクモハ352に改番、同様に車体新造されたクモハ18改めクモハ351と引き続き編成を組んでいました。

IMG_2004.jpg
製造当時としては垢抜けた車体で静岡鉄道の技術力の高さを窺わせます。
先に登場していた300系と同等の車体ですが機器流用車のため足回りは古めかしい吊り掛け電車でした。
日立電鉄には1985(昭和60)年に転入しましたが足回りが旧型なため1994(平成6)年に営団地下鉄(現・東京メトロ)銀座線2000形に置き換えられています。

IMG_2005.jpg
クモハ351も払い下げられ最近まで日立電鉄のオレンジクリーム色のまま残ってたらしいのですが撤去されたそうで。
北陸出身者としては福井鉄道に転属してた静鉄300系と同型車体なので親近感があります。

DSC_0768.jpg
2009(平成21)年8月7日銚子電鉄外川にて撮影
鶴見臨港→国鉄時代に同型式、同型車体だった銚子電鉄デハ301。
こちらも同じ新潟鐵工所製でモハ105→モハ115と改番。一足先の1949(昭和24)年に国鉄で廃車となり銚子電鉄入りしてます。銚子には60年あまり居着いてました。
営業運転からは外れ足場を取り付け架線点検用に使われてたそうですがこの撮影後まもなく解体されたとのこと。
静鉄長沼工場には無車籍の牽引車として車体未更新のまま残ったクモハ20(鶴臨モハ109→モハ119→国鉄→モハ1505)が2007(平成19)年まで残っていましたが車内から見ただけで撮影してません(^ ^;)
こちらも同型車ですがメーカーが違い浅野造船所製でした。

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保存車 | 23:58:27 | Trackback(0) | Comments(0)
津海軍工廠専用線(参宮線(当時)高茶屋駅)~その2~
津海軍工廠専用線2回目~

IMG_1798.jpg
ほとんど宅地と畑になっていますが僅かに当時の路盤と思われるものが残っています。
奥が高茶屋駅方向です。

IMG_1799.jpg
反対は畑と宅地に。道路左の住宅の部分が線路跡と見られます。

IMG_1801.jpg
住宅に突き当たるだけでどこにも行けず橋の役目を果たしていない不自然な開渠があります。
幅は線路を通すのに丁度いいくらいで軍用線由来のものではないかと思われますが?
現在は水道管かガス管でも通してあるのでしょうか。

IMG_1802.jpg
軍用線は雲出川の河岸段丘上に上がっています。遠くには紀勢本線の雲出川橋梁が見えます。

IMG_1810.jpg
軍用線は河岸段丘上を西へ向かって走り国道23号線バイパスと突き当たったところで北へ向きを変えます。
軍用線のホームなどがあったはずですがバイパス工事が大規模で何も雰囲気は残ってはいません。
画像は国道23号バイパスと国道165号線交差点の歩道橋上から撮影したもの。
右奥が軍用線高茶屋駅方向で左手前方向へ線路が通っていたはず・・・。

IMG_1804.jpg
この辺が末端と思われますが最早何もありません。
津海軍工廠の痕跡自体もほとんど撤去されて残っていないそうです。

参考文献:
トワイライトゾーンマニュアル15 津海軍工廠線跡を訪ねて-地形図にのらない軍用鉄道-(吉田明雄 ネコ・パブリッシング刊)

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専用線跡 | 22:04:32 | Trackback(0) | Comments(0)
津海軍工廠専用線(参宮線(当時)高茶屋駅)~その1~
紀勢本線高茶屋駅より西へ延びる全長3,568mの軍用線。
1941(昭和16)年12月8日の太平洋戦争開戦により建設が促進された津海軍工廠、しかし戦局が優勢だったのは最初の一時期だけ。
工廠も空襲の危険から建設途中で疎開が始まったりしてまともに稼働することなく1945(昭和20)年8月15日の敗戦を迎えます。
戦後跡地には井村屋のお菓子工場や松坂鉄工所の機械工場などが進出しますが軍用線が工場の専用線に転用されることはなかったようです。
因みに近隣鈴鹿市の第二海軍航空廠鈴鹿支廠、三菱重工業三重工場専用線は呉羽紡績専用線に転用されていますが自治体の方針の違いによるものでしょうか。


IMG_1787.jpg
軍用線は高茶屋駅松阪方で分岐していましたが伊勢街道の踏切から見ても特に痕跡はなし。
上の道路は国道165号線。
因みに軍用線があった頃高茶屋駅を含む亀山~鳥羽の区間は参宮線であり、紀勢本線に編入されたのは1959(昭和34)年7月15日に三木里~新鹿がつながって紀勢本線が全通した時の事。

IMG_1788.jpg
伊勢街道の踏切から松阪方を見た様子。
紀勢本線の右に並行して軍用線の線路敷が残っています。

IMG_1790.jpg
紀勢本線が雲出川へ向かっていくのに対し軍用線は雲出川を遠くに臨む丘陵上へ上って行きます。

IMG_1793.jpg
カーブまでは残ってますがその先は何もなし。
道路右の竹藪の中、またはそれより奥の荒れ地を通っていたのでしょうか?

IMG_1796.jpg
中央やや左の電柱からこちらの方へ路盤が延びていたはずですが畑になっておりご覧の有り様。



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専用線跡 | 23:39:44 | Trackback(0) | Comments(0)
9年越しの小名浜~その2~
福島臨海鉄道2回目~

IMG_1969.jpg
小名浜駅と統合されたものの宮下駅の駅舎は変わらず残っていました。

IMG_1970.jpg
駅舎前にある「馬頭観世音」の文字が見える碑。
大正4年10月建之とあり、福島臨海鉄道の前身企業でもある東商会の文字も見えます。
当時東商会は小名浜馬車軌道というナローの馬車軌道を泉~小名浜で運行しており製塩工場からの塩輸送を行っていたとのこと。
東商会が自社で使っていた馬に関連して建てた碑なのでしょうか。

IMG_1967.jpg
構内には腕木式信号機とDD501(1960(昭和35)年新潟鐵工所製50t機)の車輪がロッド付きで保管されています。

IMG_3611.jpg
2009(平成21)年4月10日宮下駅の場内信号機に腕木式信号機が使われていた頃。

IMG_3585.jpg
2009(平成21)年4月10日訪問時はDD501の台車も小名浜駅の本社前で保存されていました。
当時は台車枠も残されていました
ご厚意で本社前に入れていただき撮影することができました。


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私鉄貨物 | 21:45:50 | Trackback(0) | Comments(0)
9年越しの小名浜~その1~
SKW氏と福島臨海鉄道へ行ってきました。
こちらは地震前に一度行って以来、常磐線交差付近が宅地開発され風景が随分変わっていました。
IMG_1960.jpg
常磐線交差より西側はあまり変わってませんが以前撮れた場所には立入禁止看板が立ってました。
牽引機はDD55 31。随分とインフレ番号ですがDD55 3が東日本大震災による津波で被災しエンジン換装した際に改番したとのこと。

IMG_3530.jpg
2009(平成21)年4月10日の泉駅付近。当時はまだ腕木式信号機が使われてました。
機関車は津波被災前のDD55 3。

IMG_1963.jpg
返しのDD5531単機回送。この背後は以前広大な空き地でしたが宅地化が進んでいます。
間に津波被害を受けてますが2009年に見た時と変わらず美しい機関車です。

IMG_3543.jpg
2009年4月10日の同一地点を引いて撮った様子。
今では建物ができて同じ構図では撮れなくなりました。

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私鉄貨物 | 23:19:04 | Trackback(0) | Comments(0)
大阪セメント高茶屋SS専用線(紀勢本線高茶屋駅)
1968(昭和43)年開設、1987(昭和62)年廃止と20年にも満たず廃止になっています。
高茶屋駅貨物扱い廃止によりSSも廃止されたものと思われます。
サイロの貯蔵量も600tとあまり大きくはありません。

作業キロ:0.1km
総延長キロ:0.1km
作業方法:移動機→手押?

専用線一覧表では1970(昭和45)年版が移動機、1983(昭和58)年版では手押に退化してますが重量物の積車タキを手押するとも思えません。誤植でしょうか??
移動機はただのアントかと思いきや日立15t機が2台配置されていたようです。
・日立製作所笠戸工場製15t機 1969(昭和44)年9月 製番13113、13114
住友セメントに多いセミセンターキャブ機でしょうか?

IMG_1758.jpg
駅舎の亀山方に隣接して旧貨物ホームとサイロがありました。
旧貨物ホームは航空写真では1975(昭和50)年頃にはまだ使われており昭和50年代半ばに新・貨物ホームへ移転したようです。
現在新たな建物ができて面影なし~。

IMG_1782.jpg
亀山方から見た様子。
右に側線が分岐していました。

IMG_1781.jpg
踏切には側線、専用線があった名残で現在の踏切柵、警報機より手前にもう一つ古い踏切柵が残っています。

参考文献:
専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)

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専用線跡 | 22:37:29 | Trackback(0) | Comments(0)
高茶屋の貨物ホーム(紀勢本線高茶屋駅)~その2~
高茶屋駅新宮方の国道165号線の跨線橋上から。
IMG_1769.jpg
1番線に入って行く亀山行のキハ25。
右の3番線横に少し前まで貨物上屋の側線が残っていたのですが現在は撤去済み。

IMG_1772.jpg
トラックで入口から貨物上屋を見た様子。
実際使われた期間より放置されてる期間の方が遥かに長そうです。
紀勢本線を境に西(左方向)は住宅地、東は田んぼが拡がり200mほど離れて平行に伊勢電(伊勢電気鉄道→近鉄伊勢線)が通っていました。伊勢電の線路跡は郊外型店舗が並ぶ道路となっておりかつて伊勢電特急「かみぢ」が複線電化の線路を疾走していた名残りは有りません。

IMG_1775.jpg
裏に回ったところ。上屋は左右対称ですがこちら側は線路が入っておらずトラック用。

IMG_1776.jpg
そのまま亀山方の踏切へ出ました。
こちらも側線は撤去済み。新しい住宅が建っている位置も古い時代は鉄道用地だったようですが1952(昭和27)、1961(昭和36)年の航空写真を見ても何やら車庫のような上屋は見られますが線路が敷かれた様子がありません。
津海軍工廠専用線(後日取り上げる予定)建設時にヤードの敷地を用意したものの間もなく敗戦となって使わずじまいだったのかも?

IMG_1777.jpg
同じ踏切から亀山方を見た様子。
3つ並んだ出発信号機の後ろに何やら石積みが・・・。

IMG_1784.jpg
信号塔の基礎のようです。かつてはこの上に建てられた鉄柱に3つの腕木式信号機が並んでいたのでしょうね。

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専用線跡 | 15:01:45 | Trackback(0) | Comments(0)
高茶屋の貨物ホーム(紀勢本線高茶屋駅)~その1~
紀勢本線で津から2番目の高茶屋駅。
参宮鉄道の駅として1893(明治26)年12月31日開業ともうすぐ125年にもなる歴史ある駅です。
IMG_1764.jpg
駅舎は古いものの開業当時からのものではなさそう。
無人化されており風がきつい日で駅前の駐輪自転車が倒れて何だか荒んだ印象が残ってしまいました。

IMG_1760.jpg
参宮鉄道→参宮線として伊勢への表玄関として栄えた頃の名残かローカル線としては長大なホームや上屋、信号塔の跡など立派な駅設備が見られます。
なおこの前後の区間はかつて複線区間でしたが戦時中に単線化されています。

IMG_1757.jpg
高茶屋駅2番線を通過する快速みえ。
2番線が1線スルーになっており通過列車は上下とも2番線を通るようです。

IMG_1762.jpg
跨線橋上から亀山方を見た様子。
左の1番ホーム下には駅舎の信号扱い所から腕木式信号機へ延びていたワイヤや分岐器へ延びていたロッドが出ていた穴が開いています。
上下方向に3線分の場内信号機、出発信号機、遠方信号機があったのでしょうね。
優等列車や団体列車など通過も多かったので通過信号機もあったことでしょう。

IMG_1761.jpg
駅舎から線路を挟んで反対側に比較的新し目の貨物上屋が残っています。
津駅の貨物扱いをこちらに移して客貨分離を図ろうとしたのでしょうか?
近くには津海軍工廠跡に進出した工場群もあるのでこちらに貨物扱いを集中した方が良いということだったのかも知れません。
高茶屋駅の貨物扱いは1986(昭和61)年度までだったので国鉄分割民営化と同時期に廃止となったようです。

なお高茶屋駅には以下の貨車移動機が配置されていた様子。3台同時期にいたのではなく入れ替わりがあったようです。
標準的な協三10t半キャブとL型20t機でしょうね。
・06-28-01-129 1965(昭和40)年協三工業製10t機
・06-28-01-149 1981(昭和56)年協三工業製10t機
・06-28-01-136 1971(昭和46)年協三工業製20t機


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専用線跡 | 22:32:53 | Trackback(0) | Comments(0)
蘭、与川森林鉄道、津別の移動機
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

休み中に西宮後停留場のコンテンツ構成を見直し、時事的な記事はブログで掲載することにして古い記事を整理しました。
森林鉄道コンテンツ用に新たに森の鉄路を作って廃線巡りだけでない詳細なレポートを移設してます。

今回の新記事は以下の二つです。
蘭、与川森林鉄道
araragi171223-32.jpg

津別21世紀の森キャンプ場の保存機
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未分類 | 14:00:18 | Trackback(0) | Comments(0)