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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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滝上森林鉄道の軌跡ガイドツアー~オシラネップ線 その2~
滝上森林鉄道の軌跡ガイドツアー濁川(渚滑)森林鉄道オシラネップ線の続き。

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中雄柏付近で道道617号オシラネップ原野濁川停車場線と並行して西側に見える軌道跡の築堤。

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イワナ沢付近の土場跡。奥が濁川駅方面です。
ここで山元から5t機に牽かれてきた運材車は10t機に付替えて濁川貯木場へ向かっていたそうで側線が数本あった様子。
恐らく10t機は運輸事業所、5t機は製品事業所所属で運用区間も普段は区別されていたものと思います。
左のオシラネップ川を挟んで対岸(左岸)には飯場があったそうです。
また現在この辺は無人の山野ですがかつては入植した農家、牧場が散在し人跡未踏の原野ではありませんでした。

当時滝上営林署にお勤めだった方が発表した論文の一部から当時のこの地域の様子が垣間見えます。

私達の事業所は濁川駅を離れること5里半にして此処へ到着しますので山の事業所としては非常にめぐまれた位置であるわけで、此処より1里程は開拓者が入殖しております。
事業所迄の間に学校は二つで、事業所より100m位の所に分教場があります。この様な環境の中に子小屋が18軒あり、居住者総員66名で、1戸当たり家族数は4人強となっております。

技術研究 第一号(北見営林局 1953(昭和28)年5月) 飯場の経営について 滝上営林署 大谷 栄一氏の発表より

森林鉄道があった時代の山の事業所は山深い合宿所に住み込みで家族とはたまの下山の時にしか会えないという生活が普通でした。
それから見ると戸建ての「社宅」に家族住まいで近所に学校もあるというのは破格の環境と言えます。

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イワナ沢の橋梁跡に残る円筒形橋脚。紅葉の季節(11月初旬頃とのこと)が美しそうな沢です。
結構高い橋脚でガーダー橋が架かっていた様子。
ここも1級線区間ですが入線するのが5t機だけのためか橋脚は1本だけ。
北見局内には一時期北見営林署内に2級線があった以外1級森林鉄道しか存在していません。
殆んどの路線が2級線の本州、九州、四国から見ると信じられないような線路規格です。

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イワナ沢の鉄橋跡の先には大きな切通し。
オシラネップ川やイワナ沢の堆積土砂を掘ったらしく断面には丸い川砂利がたくさん入っています。
以前より緑が濃くなったそうで北海道らしい大きな蕗の葉が目立ちます。
木曽でも開田高原にはある程度大きな蕗の葉が有りますがここまで大きいのは見かけませんね。

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切通しを抜けてイワナ沢の谷からオシラネップ川沿いに出てきた軌道。
一見ただのフラットダートですが線路左右とも石垣で切り立った築堤になっています。
1級線だけあって路盤も平坦で非常に頑丈そうなものです。

ではでは10/1(日)は初の軽便鉄道模型祭に行ってきます~。

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森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 00:02:54 | Trackback(0) | Comments(0)
滝上森林鉄道の軌跡ガイドツアー~オシラネップ線 その1~
丸瀬布から峠を越えた道の駅 香りの里たきのうえへ移動。
観光協会にお願いしていた「滝上森林鉄道の軌跡ガイドツアー」のため道の駅2階の滝上町観光協会へ。
北見営林局滝ノ上営林署の濁川(渚滑)森林鉄道跡を巡るツアーです。

道の駅自体が国鉄渚滑線と濁川森林鉄道本流線の並行区間跡に位置しており、滝上の森林鉄道を調べる会の方々のご案内の元まずは濁川貯木場へ。
まずは全長28㎞(資料によって距離が違う)のオシラネップ線跡を辿りました。

●滝ノ上営林署濁川(渚滑)森林鉄道
林政統一前は内務省北海道庁拓殖部林務課紋別営林区署の管轄で渚滑森林鉄道と呼ばれていました。
1935(昭和10)年度に着工し本流線が翌1936(昭和11)年度より運材開始、オシラネップ線は1938(昭和13)年度に運材が始まりその後も両線の延長、支線群の敷設が行われています。
本江機械(後の立山重工)、中山機械製のCタンク蒸機が多数活躍していました。
林政統一後は農林省北見営林局滝ノ上営林署(表記は滝上、滝ノ上両方あり。北見営林局資料ではノが入ってることが多い)の管轄となり濁川森林鉄道と呼ばれています。他に滝上森林鉄道、北雄森林鉄道という記述も見られややこしいです(^ ^;)
1954(昭和29)年の15号台風(函館湾で青函連絡船の貨客船を多数沈め洞爺丸台風として知られる)で発生した大量の風倒木輸送のためディーゼル機関車を大量増備してますがそれから間もない1957(昭和32)年度に本流線、1959(昭和34)年度にオシラネップ線が廃止となり姿を消しました。

ツアーで巡った順番は道路からのアクセスがし易い順でしたが記事上では濁川貯木場から山元への順に構成し直してます。
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渚滑線濁川駅に隣接した第2貯木場の跡。
線路跡の道路のカーブは貯木場を囲むために線路が曲がっていた跡。
右がその貯木場で渚滑線から専用線が入り国鉄の貨車移動機や操縦車が入換、木材の積替えを行っていました。
なお奥は本流線へ線路が続き北見滝ノ上方面への渚滑線と並走していました。

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同じ場所から濁川の林鉄車庫方面を見た様子。
第2貯木場は現在も貯木場として使われており木材が積んであります。

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林鉄車庫付近からは旧・運輸事務所の建物も見えます。
奥に渚滑線の線路が通っており、左手には第1貯木場がありましたがこちらの貯木場は跡形もなし。

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機関区の前に立つ森林鉄道起点跡の碑。
右後方に機関車庫の上屋やヤードが拡がっていました。

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濁り川貯木場を出て最初にオシラネップ川を渡っていた橋梁跡。
一見複線橋梁の跡のようですが左右2本の橋脚で両脇から1本の桁を支える構造をしていました。
最初は木造トラス桁(恐らく下路トラス)、後に鉄製ガーダーに架け替えられたとのことです。
他でこんな橋脚構造の鉄道橋あったかな?と考えて見たら名鉄犬山線の犬山橋(1926(大正15)年架設)も架設当初は2本の円筒形橋脚にトラス桁を載せてましたね。
犬山橋の橋脚は現在左右の橋脚間がコンクリートで埋められ一体化したため何の変哲もない見た目になってます。

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この橋梁で凄いのは橋台まで半円筒形の突起が2つ飛び出して桁を支える構造に揃えていること。
あまりに特異な構造で施工が難しくなるだけに思えますがどのようなコンセプトで設計されたのか気になります。
セメント使用量を抑えるための試行錯誤の結果でしょうか?



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森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 00:03:48 | Trackback(0) | Comments(0)
生の運材列車
丸瀬布いこいの森編は一応ここまで。

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鶴居DL編成は11:03発の便を撮影し、11:33の便に乗車。

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後ろに夕張製作所製運材貨車が木材(カラマツ材かな?)を積載状態で連結されているのでB客車内からはこんな走行風景が・・・。

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運材越しに交換する21号を撮影。逆光ですが・・・。

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林の中を行く運材~。
この風景を目に焼き付けたまま午後は次の目的地へ。

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森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 00:10:46 | Trackback(0) | Comments(0)
丸瀬布いこいの森 武利ダム側軌道
10:00、10:30発の列車は雨宮21号編成の単独運転でダム側軌道を時計回り。
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貯炭場脇に積み上げられた薪の間から見た21号。

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林を抜けて。

11:00発以降は鶴居村営軌道DL編成との同時運転になり、雨宮編成はダム側周回軌道で逆向きの反時計回り運転となります。
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客貨車庫横で両列車が交換。

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運材車とカブースがいい味出してます。
鶴居のDLと井笠の客車が隠れ林鉄車両が見える位置となるのでかつての林鉄の複線(交換所)の雰囲気に。

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客貨車庫入出庫線分岐点を行く21号機UP。

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森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 21:11:49 | Trackback(0) | Comments(0)
丸瀬布いこいの森 キャンプ場側軌道
雨宮21号+井笠編成の車内から見た昨年夏の豪雨水害復旧跡。
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井笠ホハ13の車内より。
武利川を渡ると右岸(向かって左)の堤防が切れた個所を固めたのが見えます。

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復旧したキャンプ場周回軌道の路盤。

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昨年はこの内側がキャンプ客でごった返してましたがまだ軌道内側のキャンプ設備は復旧してない様子。
なお軌道外側は復旧してるようで今年も賑わっていました。

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取り換えられて残る被災レール?昨年はあのレールの上を走ったんですね。

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中央にそびえたつロボット君滑り台も寂しげ。


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森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 21:11:30 | Trackback(0) | Comments(0)
丸瀬布の入換~その3~
丸瀬布入換編の締め。

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21号が井笠鉄道ホハ19+ホハ13を牽いて出てきました。
こちらは去年来たときと同じ編成。

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鶴居DL編成も前に出してミニ撮影会。

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10:00始発運転のため21号は駅へ出て行きます。

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蒸機らしいブラスト音は本線運転よりこういう入換時の方が激しく力強いものが聞けます。

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鶴居DL編成は11:03が始発なので1時間は待機です。
去年と比べB客までは去年と同じですが後ろに運材とカブースが付いたのでより魅力的になりました。
乗せる側としては収容人数が少ないという難点は有りますね。

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森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 20:47:57 | Trackback(0) | Comments(0)
丸瀬布の入換~その2~
丸瀬布の入換2回目。
JRや私鉄と違いこの後どうなるかわからない楽しさがありますね。

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鶴居村営軌道DLが本線上に転線すると駅から21号の編成が東の貯炭場の線へ再び推進運転で入って来てオープン客車4台を解放。

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21号+鉱車+B客14号の編成で車庫の本線寄り側線に転線。
実務で使われた車両だけの本物感がある編成になりました。
この編成を庫内に押し込み運材貨車+カブースを増結。

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21号だけ単機で庫内から出てきました。
鶴居村営軌道DLはまだ本線上で待機中。

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今度は21号が井笠客車の前に移動・連結します。

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入れ替わりに鶴居村営軌道DLが鉱車+B客+運材+カブース編成に連結されます。

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森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 00:05:15 | Trackback(0) | Comments(0)
丸瀬布の入換~その1~
3連休に渡道して御大と専用線跡、林鉄巡りしてきました。
まずは「丸瀬布いこいの森」の雨宮21号と鶴居村営軌道DL運転開始前の入換。
編成差し替えが行われるので色んな編成を牽き出しては別線に押し込んで連結、解放するため見ていてとても面白いです。

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機関庫から出てきた旧・丸瀬布営林署21号機。

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まずは鴻之舞鉱山出身の鉱車を利用したという石炭車から石炭を補給。
タンク機関車ですがコールバンカーなどなく石炭は運転台の床に盛ってあるという感じ。

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機関車への石炭積込みが終わると鉱車+岩崎レール客車(北見局→長野局B型客車No.14)+オープン客車×4を駅寄りへ牽き出して東側の側線へ転線。

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鉱車の石炭が少なくなったのかホイールローダーで鉱車へ石炭を積込み。
この作業が終わると再び駅寄りへ牽き上げ。

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21号の編成が退いた後に今度は同じ側線の奥にいた鶴居村営軌道DLが出てきました。

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森林鉄道(北見、旭川、帯広、札幌営林局) | 21:54:06 | Trackback(0) | Comments(0)
坂下の「木曽あずさ」回送と中央本線旧線
中央本線第二木曽川橋梁で木曽あずさの神領回送を撮影にお出かけ~。
前回までの賤母発電所工事軌道は坂下駅からこの撮影地に移動するための行き帰りの寄り道でした~。
バックには賤母発電所工事軌道の対鶴橋が架かっています。

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南松本から四日市への石油貨物返空列車。
JR貨物標準色+広島色のEF64 1000重連。前後が逆ならな~(- -)というお約束のパターン。

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6両編成の「しなの」「木曽あずさ」と同じ長さの編成と言うことで目安を図るために撮影。

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「木曽あずさ」回送。
個人的には新あずさ色の方が爽やかで好きかな?
この色のあずさは子供の頃写真で見た程度であまり縁が無いです。

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なお中央本線この区間の旧線は現在線が第二、第三木曽川橋梁で串刺しにする流れを西から望んでいました。

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路盤はこのように残ってます。

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新旧線は坂下駅構内で合流、新旧上鐘山トンネルが並んでます。
この上を坂川鉄道がオーバークロスしていました。


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JR東海 | 00:02:40 | Trackback(0) | Comments(0)
賤母発電所工事軌道(?)~その2~
木曽の入り口にあった短い発電所工事軌道の続きです~。

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木曽川を跨ぐ対鶴橋を渡ります。
賤母発電所建設時に架けられた吊り橋です。
すぐ隣には中央本線の第二木曽川橋梁が架かっています。

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老朽化のため四輪車は通れず、歩行者と二輪車(ただし手押し)で通行可。
2005(平成17)年まではこの橋の上が岐阜・長野県境でした。
手前の駅側が岐阜県恵那郡坂下町、発電所側は長野県木曽郡山口村でしたが現在は越県合併によりどちらも岐阜県中津川市になっています。
山口村の馬籠宿が観光地として信州ブランドを持続するため長野県に残るか住民の利便性を取って岐阜県に入るかで紛糾したニュースを覚えている方も多いのでは?

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対鶴橋の銘、当時の帝室林野管理局の南部光臣長官による題字。
対鶴と言う名前も南部家の家紋に因んだものとか。

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木製トラス桁をワイヤーで吊る方式は近隣の桃介橋とも似ています。
2009(平成21)年に改修工事が行われています。

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対鶴橋を渡ると賤母発電所の構内。
敷地の一部は発電所と同時につくられた賤母公園として公開されています。

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フェンスを隔てた発電所内に見える記念碑。

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人物像のレリーフが施されています。
名古屋電燈、木曽電気製鉄の重役の面々でしょう。
最上段左から2番目は福沢 桃介社長、「電力王」として毀誉褒貶が激しい人物ですが様々な企業の設立や経営に関わっており現在の産業の基盤をつくったことは確かです。
その右は下出 民義副社長でしょうか。こちらの人物も実業家ですが私財を投じて現在の東邦高校(名古屋市)をつくるなど教育家としての面もありました。


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ナローゲージ | 00:05:11 | Trackback(0) | Comments(0)
賤母発電所工事軌道跡(?)~その1~
木曽川の岐阜・長野県境近くにある賤母(しずも)発電所は名古屋電燈が1917(大正6)年8月に工事を始め、途中1918(大正7)年9月に分かれた木曽電気製鉄が引き継いで完成させた水路式水力発電所(現在は山口ダムからの取水に変わっているためダム水路式)です。
水力発電所建設にあたり従来から行われていた木曽川の木材流送の代替交通機関として木曽川沿岸森林鉄道が建設されておりナロー軌道との関係の深い発電所です。
この発電所の工事にも中央本線坂下駅~発電所工事現場で手押し軌道が敷設されたようで跡を辿ってみました。

坂下駅から途中までは1926(大正15)年開業の坂川鉄道→坂下森林鉄道が路盤を利用した様子。

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坂川鉄道新坂下駅から300mほどは同鉄道の廃線跡がそのまま発電所軌道の廃線跡でもあるようです。
左の2車線道路が坂川鉄道の線路跡、直進する細い道が発電所軌道の跡と見られます。

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細い道に入ったところ。右下に用地境界標があります。

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賤母発電所を戦後運営している関西電力の社章が刻まれています。
賤母発電所の運営企業は改称や戦時統合、解体などややこしい歴史をたどっています。
名古屋電燈→木曽電気製鉄→木曽電気興業→大同電力→日本発送電→関西電力

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一旦太い道に飲み込まれまた奥の方へ細い道となって分岐。

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坂下駅方向を見た様子。上に見える建物は坂川鉄道跡の道に面しています。
急勾配で上って行く坂川鉄道線に対し発電所軌道は緩く木曽川の方へと下って行くためかいつの間にかかなり高度差が付いています。

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人家が尽き木曽川に面した渓谷区間の趣になって来ます。

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右上に見えるガードレールは岐阜・長野県境を越えて田立方面へ向かう岐阜・長野県道6号中津川田立線。


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ナローゲージ | 23:08:09 | Trackback(0) | Comments(0)
四日市採石専用線(三岐鉄道西藤原駅)
西藤原駅富田方にあった採石場の専用線。
白石工業桑名工場専用線の先にあったようで、専用線一覧表では1957(昭和32)年版まで記載があり1964(昭和39)年版ではなくなっているのを確認。1961(昭和36)年版は未確認です。
今では聞かない会社名ですが小野田セメントと関係する会社だったのでしょうか?
小野田セメント藤原工場、三岐鉄道ができた昭和初期に東藤原~伊勢治田にある多志田谷以北は小野田セメント、以南は浅野セメントの鉱区と言うように折半(現在は企業合併によりどちらも太平洋セメント)されており、この採石場は小野田セメント藤原鉱山と隣り合っています。
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東藤原駅南方の多志田谷を築堤で横断する三岐鉄道の炭カル+レール輸送チキの編成。
下方には多志田川を跨ぐメガネ橋も存在。
ここより南(画像右 富田方)は浅野セメントの鉱区とされましたが実際には開発されず今では1か所採石場が存在するのみ。

作業キロ:0.3km
作業方法:社機

P1010510.jpg
西藤原駅富田方より。
本線は22‰の勾配で下っていますが架線柱は本線左側の平坦に敷設された専用線に合わせて作られてます。
そのため本線側は支柱を介して架線を吊る構造に。

P1010512.jpg
西藤原駅との位置関係はこんな感じ。
電車が止まっているのが西藤原駅旅客ホームです。

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発車して専用線横を下って行く普通近鉄富田行クモハ101+クモハ102。

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南野さんに書き込みいただいたように専用線は踏切付近から手前方向へカーブして延びていた様子。

P1010511-2.jpg
反対方向。
右のフェンスで囲まれた広場が採石場跡。
正面に延びる未舗装道が専用線跡と思われますがこの区間には架線柱など線路を思わせるものは見当たりませんでした。

ここの採石専用線がいつからあったかはわかりませんが砕石とセメントの需要先として同じ三岐線の保々駅に隣接して1940(昭和15)年3月に大同コンクリート工業保々工場ができています。
この工場は四日市石油コンビナートの原形となった第二海軍燃料廠(現在は昭和四日市石油四日市製油所)を建設する資材供給のためにできた工場でした。
燃料廠建設にあたりコンクリート材料のほか埋め立てのためにも大量の砕石を必要としたでしょうからこの専用線ができたのもあるいはこの頃かも知れません。

続きを読む >>

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専用線跡 | 23:50:41 | Trackback(0) | Comments(2)
三岐鉄道西藤原駅の引上げ線
西藤原には白石工業以外にもう1本、四日市採石の専用線があったのですがこちらは再調査した方が良いかな?

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西藤原駅構内。三岐通運DB25、三岐鉄道ED222、同102号の保存されている線路は現在も本線と接続しています。

P1000696.jpg
西藤原駅末端の引上げ線から見るとDB25は現役のスイッチャーが待機しているようにしか見えません。
右に分岐する側線の奥が前回の白石工業専用線
白石工業線は留置線としての意味もあって電化されたままですが保存線は架線が撤去されてます。
2017(平成29)年9月現在の時刻表を見ると西藤原発22:05発の上り終電が出た後西藤原止まりの下り電車3本が到着します。
3本は止まれないのでうち1本は回送、後の2本は当駅で滞泊しているのでしょうか。


南野哲志さんより3列車とも滞泊と言う情報をいただきました。
夜の西藤原駅は電車をぎちぎちに詰め込むのですね(^ ^;)



P1000694.jpg
引上げ線は途中で踏切が横断してます。その先は竹藪手前で線路が終わり。
三岐鉄道は名前の通り岐阜県の関ヶ原まで延長する構想でしたが特にこの先の工事など具体的なことは行われなかった様子。

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白石工業線手前の留置線で待機するデキ203。
鉄道の日イベントで601Fを牽引(というより協調運転?)で西藤原まで入線しました。
この側線に機関車が入っているのを見たのは今のところこの時が最初で最後。
2002(平成14)年10月14日撮影

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貨物営業廃止後の西藤原駅構内は機回し線がないので機関車を付け替えるには機関車がまず留置線に入って待避、その後客車に当たる601系を一旦引上げ線に入れてその富田方へデキを連結するという手順でした。
2002(平成14)年10月14日撮影

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電気機関車 | 18:36:52 | Trackback(0) | Comments(2)
白石工業桑名工場専用線(三岐鉄道西藤原駅)
白石鉱山として知られた炭酸カルシウム鉱山からの製品輸送を行った専用線。
鉱山は駅から5㎞ほど北西に離れていたので西藤原駅まではトラック輸送されていたものと思われます。

作業キロ:0.1km
作業方法:社機

白石工業桑名工場は三岐鉄道開業より10年前の1921(大正10)年9月に操業開始した炭酸カルシウム鉱山です。
今でも三岐鉄道がセメントなどを運ぶ太平洋セメント藤原工場はすぐ傍、山の反対側は近江鉄道が石灰石輸送を行っていた多賀鉱山もあり西濃、鈴鹿に多い石灰鉱山群の一つです。
ここでは歯磨き粉やゴム原料向けに炭酸カルシウムを生産しており、1976(昭和51)年9月に操業停止した後も鉱業所の建物がそのまま残りある筋にはよく知られる存在でした。
IMG_1096.jpg
白石工業桑名工場跡。現在は建屋が撤去されています。
坑道のほかに鍾乳洞も多く、地下で滋賀県までつながっていると言われます。
地元では「鍾乳洞でいなくなった犬が滋賀で見つかった」何ていう都市伝説も・・・。
 2003(平成15)年4月27日

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鉱業所跡の公道から見える位置にあった軌道橋。最近は見かけないので撤去された様子。 2003(平成15)年4月27日

鉱山ができた当時は北勢鉄道(現在は三岐鉄道北勢線)が阿下喜東駅(後の六石駅2004(平成16)年4月1日廃止)まで開業しており、袋詰めの炭カルを北勢線の貨物、混合列車が西桑名まで輸送し国鉄に積み替えていました。
三岐鉄道西藤原駅の専用線は専用線一覧表1964(昭和39)年版から確認、1961(昭和36)年版は未確認です。
ナローゲージの北勢線より国鉄線と貨車が直通可能な三岐線の方が輸送に便利と言うことでシフトしたのでしょうか。
鉱山、工場は先述の通り1976(昭和51)年9月に操業停止してますが専用線は専用線一覧表1983(昭和58)年版にも掲載されています。桑名工場以外の輸送にも使われていたのか名前だけ残っていたのかは分かりませんが・・・。

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三岐鉄道西藤原駅。右の車止めより先に続くレールが専用線跡のようです。

P1000678.jpg
側線脇にホッパーの土台のような石積みがあります。
車止めまでが三岐鉄道の構内でそれより先の30mほどのレールが専用線部なのでしょうか。

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専用線末端部から駅構内を見た様子。
右には三岐102号などが展示された側線もあります。
保存車群の右、以前ウィステリア公園があった広場にもかつては倉庫が建ち並んでいた様子。

P1000671.jpg
ホッパー土台(?)らしき石積み。

P1000675.jpg
白石工業専用線末端の踏切でレール、架線は終わっているのですが架線柱を見ると富田方にも側線が続いていた気配~。

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専用線跡 | 23:02:52 | Trackback(0) | Comments(2)
尾鷲で森林鉄道の企画展
尾鷲の熊野古道センターで森林鉄道の企画展開催中です。
期間:2017(平成29)年9月2日(土)~11月19日(日)
企画展「尾鷲林業物語~森林鉄道と索道の軌跡~」

《展示構成》
①尾鷲林業の歴史
②尾鷲港を中心とした索道の歴史
③銚子川流域における軌道と索道の歴史
④大杉谷森林鉄道の盛衰と大杉谷国有林の変遷
⑤赤羽川流域軌道の盛衰

紀伊半島は山林局、帝室林野局、民間の森林軌道が狭い範囲内に入り乱れバラエティに富んでいました。
索道というのもまたまたアヤシゲですね。
かつて熊野地方には旅客営業をしていた矢ノ川索道を始め無数の貨物索道が存在していました。

講演会もあります。(要予約)
9月10日(日) 13:30~15:00
Ⅰ.講演会「大杉谷森林鉄道の今~現地踏査から見えるもの~」

10月8日(日) 13:30~15:00
Ⅱ講演会「銚子川流域森林鉄道と索道を訪ねて~」
林鉄でたびたびお世話になっているJOINさんが講師をされるそうです。

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昨年行った銚子川の相賀森林鉄道二ノ俣線のコンクリート橋。
また奥地にも出かけたいところです。

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森林鉄道(大阪営林局) | 22:40:18 | Trackback(0) | Comments(0)
明星セメント芦原SS専用線(北陸本線金津→芦原温泉駅)
明星セメント芦原SS(サービスステーション)の専用線。
芦原温泉駅から北西方向、1972(昭和47)年3月1日に廃止された旧国鉄三国線の路盤と並走して延びていました。
鉱山・工場のある糸魚川から貨車が来ていたものと思われます。
専用線一覧では1970(昭和45)年版、1983(昭和58)年版に載っています。
航空写真を見ると1970(昭和45)年5月22日時点ではSS建設中のようで、同年中に完成、営業開始したのでしょうか。
私が見ていた1990年代もSSは営業していたようですが貨車が出入りしている様子は見受けられませんでした。

作業キロ:0.2km
総延長キロ:0.4km
作業方法:国鉄動車、移動機

P1010016.jpg
芦原温泉駅を直江津方から見た様子。
右に見える保線車両の車庫手前に専用線と三国線が通っていました。

P1010015.jpg
路盤はそのまま。保線車両基地の場所にはかつて転車台もあったようです。
専用線をつくるにあたって埋められたのでしょうか?

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宮谷川を越えていた橋は専用線、三国線とも橋台まで撤去済み。
SS跡は2017(平成29)年8月現在あわら市給食センターになってます。

●芦原温泉駅の動車
芦原温泉駅の国鉄動車は1984(昭和59)年時点で協三工業1979(昭和54)年製ロータリー除雪機付き10t機06-28-01-252がいました。製番はA10061です。この機関車は後に南福井貨物駅に転じており今もいるはず。
こちらで以前取り上げました(下の方に載せてます)。福井周辺の移動機
06-28-01-252が南福井に行った後は同タイプで1980(昭和55)年製の06-28-01-254に変わります。製番はA10083です。
これも後に小松へ、さらに敦賀へ転じたようです。
それにしてもロータリー付きの移動機が貨車を入換しているのは見たことがありませんが昔はやってたのかな?
SS内には移動機(多分アント)もいたようですね。

参考文献:
専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)

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専用線跡 | 22:48:03 | Trackback(0) | Comments(0)
北陸本線・京福電気鉄道永平寺線金津駅の専用線群(北陸本線・京福電気鉄道永平寺線金津駅)
北陸本線芦原温泉駅は1972(昭和47)年3月15日に改称されるまで金津駅と言う駅名で、京福電気鉄道永平寺線や国鉄三国線が分岐し、東西南北4方向に鉄道が延びる駅でした。
京福永平寺線金津~東古市は1969(昭和44)年9月18日に廃止されましたが起点部分の僅かな区間が段ボール紙工場の専用線として15年ほど生き長らえてます。
専用線は京福時代は分岐駅の名義が金津駅だったり2つ先の伊井駅になったりした後、永平寺線廃止により国鉄金津駅名義となっていました。

●京福電気鉄道永平寺線と絡む専用線群
1.旭化学工業専用線
作業キロ:0.3km
作業方法:社機
専用線一覧1951(昭和26)~1957(昭和32)年版に載ってるのを確認。1961(昭和36)年版にも載ってるようです。
何をつくっていた化学工場かは分かりませんが国土地理院のページで航空写真を見ると1946(昭和21)年~1962(昭和37)年のものに永平寺線から南側へ分岐する専用線や何のんか煙突のある小さな工場が写ってます。
場所は現在の金津自動車学校、JA花咲ふくい金津の場所。

2.西野製紙所金津工場→福井化学工業金津工場専用線
作業キロ:1番線0.3km、2番線0.1km、3番線0.2km(永平寺線伊井~金津途中分岐) 専用線一覧1967(昭和42年版)
      →0.7km 専用線一覧1970(昭和45)年版以降
総延長キロ:1.5km 専用線一覧1970(昭和45)年版
作業方法:社機→私有機
西野製紙所金津工場は1961(昭和36)年に設立された段ボール紙工場です。
ただそれ以前にも北陸パルプ工業の工場があったようで合併により自社工場としたものを拡張したようです。
1968(昭和43)年10月には社名を福井化学工業と変えています。
化学工業と言うと化成品の企業のようですが段ボール紙の製紙工場に変わりありませんでした。
実際の工程を考えると製紙過程では化学薬品(苛性ソーダなど)でチップ材を煮溶かして繊維を取り出しており化学工業と言えます。
専用線一覧では1967(昭和42)年版以降しか載っていませんが古い地図では1962(昭和37)年時点でも専用線が見えてるので1964(昭和39)年版で掲載されていない理由は謎のまま。
専用線では原料の木材チップ、苛性ソーダ到着、製品の段ボール紙発送があったのでしょうか。
正確な廃止時期は分かってませんが1983(昭和58)年版では既に専用線使用中止となっていました。
工場は専用線使用停止後1991(平成3)年10月に合併によりレンゴー金津工場となり、現在でも段ボールの中しん(段ボールの2層になった紙の真ん中に入る波形の紙)をつくっているそうです。

3.セキサン工業金津パイル工場専用線
作業キロ:0.2km(永平寺線伊井~金津途中分岐) 専用線一覧1967(昭和42年版)
作業方法:社機
1967(昭和42)年版にだけ出ている専用線。前述の福井化学工業と永平寺線を挟んだ南側に1962(昭和37)年11月にできたコンクリートパイル工場。1966(昭和41)年の航空写真で永平寺線南側にも並行した側線がある様子。
原料のセメント搬入やコンクリートポール出荷に使われていたのでしょうか。

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現在の北陸本線芦原温泉駅。かつて京福電気鉄道の駅や車庫があった部分は空いたまま。
専用線廃止後も結構後までレールはそのまま残ってました。

P1010024.jpg
京福永平寺線→専用線跡は歩行者専用道になってます。
構内を出てすぐ北陸本線と分かれるとすぐ右の金津自動車学院の方角に旭化学工業金津工場専用線が分かれていました。
工場跡地は自動車学校のコースやJAの事務所に変わって面影はなし。
京福永平寺線廃止より前に工場ごと無くなっていたようです。
左には何かアヤシゲな柵が見えます。

P1010025.jpg
コンクリート製の踏切防護柵ですね。ここは警報機も何もない4種踏切だったと思います。
レールが無くなった後も踏切の面影を残す遺物です。

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線路跡から芦原温泉駅を振り返ると下りのサンダーバードが到着するところ。
左は旭化学工業の工場跡の金津自動車学院教習コース~。
この自動車学校は1969(昭和44)年6月創立というので永平寺線が廃止になる直前にできてます。

P1010028.jpg
すぐに福井化学工業改めレンゴー金津工場に突っ込むので奥で右に分岐していたであろうセキサン工業金津パイル工場専用線は遠望するだけ。左には福井化学工業の側線が拡がっていました。

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工場手前の踏切跡脇にあった道路標識の跡。
多分「踏切あり」の標識だったのでは?

・京福電気鉄道機
京福永平寺線があった時代はいずれの専用線も「作業方法:社機」とあり京福電気鉄道の2軸機関車、電動貨車テキ6~10、20、デワ100辺りが工場内まで入換で乗り入れてたものと思われます。
永平寺線では電車も貨車を牽いてたので或いは電車も機関車代用で入ってたかも?
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車輌イラストは永平寺鉄道引き継ぎのホデハ104形(1930(昭和5)年日本車両製)

●福井化学工業金津工場専用線の私有機
日本輸送機1969(昭和44)年8月製の15t機で製番1203001。
標準的なニチユ15tディーゼル機関車で南四日市の山九DB15などと同型です。
新製時期からすると永平寺線が廃止になり京福電気鉄道の機関車が使えなくなるため代替に購入したものでしょうか。
車体色は日通色で専用線廃止後も個人の手で動態保存されてるとのことで90年代の子供の頃何かテレビ番組に出てきたのを見た覚えがあります。

参考文献:
専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)
レンゴー株式会社Webページ
三谷セキサン株式会社Webページ


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専用線跡 | 23:19:59 | Trackback(0) | Comments(0)

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まとめ