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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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小坂、王滝の岩崎レール製土運車
中部森林管理局名古屋事務所併設の熱田白鳥の歴史館で開催中の「森林鉄道資料展」が本日8月31日(木)で最終日です。
熱田区制80周年記念・山の日関連事業特別企画『森林鉄道資料展』

1m3.jpg
小坂森林鉄道で撮影された写真でこのようなダンプ貨車が写っているものがあります。
元画像はモノクロで、より鮮明なものを森林鉄道資料展で展示中です。
「ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け」にてカラー化)
撮影場所は不明(背後に休泊所らしき建物が写っている)なのですがどこかで見たことがある貨車です。

P1000614.jpg
長野県王滝村の松原運動公園でいつも見てるダンプ貨車が同型。
岩崎レール工業1956(昭和31)年7月製造の土運車。容量形式1㎥、製番10967。
元は長野営林局王滝営林署所属で番号は王土7でした。

P1000618.jpg
左のカプラーは小坂の写真では丸棒になってますが木曽のものは後で角材を溶接して取り替えてしまったようです。
恐らく元は取り降ろし時に邪魔にならないよう取り外し可能だったのでしょうが強度上問題でもあったのでしょうか?

P1000619.jpg
以前は王滝森林鉄道せせらぎ線の線路延伸工事によく使ってましたが最近は一段落してあまり動かしてませんね。

P1000621.jpg
デッキには色々なハンドルやペダルが並び実にメカニカル。
左のL字型ハンドルは手ブレーキ、運材貨車にも同じ形状のものが付いてます。
右の丸ハンドルは荷台の傾きを操作するもの。
荷台のレバーはあおり戸のロック、右下のペダルは荷台の固定を外すためのクラッチペダルです。

P1000627.jpg
荷台はこのようにデッキ部を除き270度ほど回転可能で線路周りに描く方向に土砂やバラストの散布ができる優れものです。
同型車は各地の森林鉄道で使われていたようですが裏方のためかあまり写真で見たことはありません。
他では東京営林局気多営林署気田森林鉄道(現在の静岡県浜松市内の路線)の写真を見たくらいでしょうか。

王滝での写真はりんてつ倶楽部様ご協力の元撮影させて頂きました。
いつもお世話になっております(_ _)

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森林鉄道(長野営林局) | 00:14:42 | Trackback(0) | Comments(0)
富山地方鉄道デキ12021のバラスト貨物入換
新潟・富山旅行の最後。
越中三郷で10020形撮影を終えて後は富山から「ひだ」で帰るだけ~と思ってたら稲荷町でホキが動いてるのが見えたので慌てて下車。
不二越線ホームに上がってデキ12021の推進運転を撮影できました。
これまでデキ12021はイベント展示後の入換を期待して待っていたらその場でパンタを降ろしただけで終わってしまったり、撮ろうとしたらそんな時に限って電車が手前に入ってきたりで散々な目に遭わされてきましたが(笑)ようやく動いてるところが見られました。

P1000580.jpg
ホキ81
1962(昭和37)年富士重工業製。JRのホキ800と同型ですが富山地鉄自社発注車。
電鉄富山方(左)のホキ82はJRの中古車で1965(昭和40)年東急・協三製ホキ1749とのこと。

P1000582.jpg
デキ12021
1958(昭和33)年東芝製30t機。
黒四建設時に関西電力私有機として登場してるので当初は地鉄と関電両社の社章が入っていたそうですがその頃の写真は見たことがありませんね。
台車上部の芯皿が無くミンデン風の独特な台車構造がよく(?)話題になりますがボンネット上の複雑な形状のベンチレータも気になりますね。
全般的に東濃鉄道駄知線ED1001、松尾鉱業鉄道ED251、252をさらに進化させたスマートな形状で太平洋戦争前後の資材難の時期につくられた武骨な東芝戦時型凸電のイメージは払拭されてます。

P1000585.jpg
普段留置されている手前の側線から工場建屋側の側線へ移動中のデキ12021+ホキ81+ホキ82。
何をしようというのかな?

P1000589.jpg
ホキ81の右にコンクリートの台座が見えます。
ダンプカーからホッパ貨車への砂利積込み用の台座のようです。
近い内に保線工事があるので砂利の積込み準備をしていたというところでしょうか?

P1000592.jpg
見ていた間では砂利積込み場所まで移動しただけでパンタを降ろしてしまいダンプカーが来る気配もありませんでした。
最後に京阪テレビカー、地鉄オリジナルモハ14722との並びを撮っておしまい~。
最後まで気の抜けない新潟・富山旅行でした(笑)

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私鉄貨物 | 21:36:14 | Trackback(0) | Comments(0)
富山地方鉄道立山線釜ヶ淵駅の貨物遺構~その2~
富山地方鉄道立山線釜ヶ淵駅の旧配線想像図。
kamagafuchi-map_2017082623134394b.png
農協倉庫前に側線があるので肥料の到着、米など農産物の発送が主体で、貨車はワ、ワム程度の有蓋貨車を使っていたのでしょう。
側線の有効長を考えると一度に入れるのはせいぜい2、3車程度でしょうか?
航空写真で見ると1961(昭和36)年では側線に貨車らしき影が見えており、1975(昭和50)年では側線が撤去されているように見えます。

P1000555.jpg
前々回画像の再録ですが入線するモハ10025+モハ10026+クハ175左の複線分架線柱下のスペースが貨物側線跡。
今では跡地がパークアンドライド用の駐車場として利用されています。

P1000549.jpg
立山側から貨物側線の引上げ線末端を見た様子。
車止めの跡と見られるコンクリート壁が横たわっています。

P1000548.jpg
寺田側から見ると車止めの壁がよくわかります。
勾配を登って行く本線に対し側線は平坦につくられているのでスイッチバック駅のような構造。

P1000550.jpg
貨物側線から道路を挟んで向かいにあるアルプス農協釜ヶ渕農業倉庫。
奥の棟は航空写真を見ると鉄道貨物廃止後の1977(昭和52)~1981(昭和56)年辺りで建った新しい建物のようです。

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私鉄貨物 | 23:27:40 | Trackback(0) | Comments(0)
富山地方鉄道立山線釜ヶ淵駅の貨物遺構~その1~
富山地方鉄道立山線釜ヶ淵駅の貨物側線遺構など~。
釜ヶ淵駅は非電化762mmゲージの立山鉄道が1921(大正10)年3月19日に五百石~立山(現・岩峅寺)を開業したときにできた駅です。田園地帯の中にある長閑な小集落の駅ですが急行も止まります。

P1000536.jpg
釜ヶ淵駅の木造駅舎。
車寄せの柱の意匠などが富山電気鉄道が開業させた区間の駅舎と共通のものであることから立山鉄道が1931(昭和6)年4月6日に富山電気鉄道と合併した後に建てられた駅舎と思われます。
寺田駅と同じくこの駅舎も元のデザインのまま改築されています。

P1000535.jpg
駅舎内。窓口は封鎖されてますが掃除も行き届いて綺麗な状態。
地元の「釜ヶ淵駅をよくする会」の皆さんにより良い状態を保ってるようです。
改札口の向こうは冬季に一面の田んぼから吹き付ける風が吹き込まないようにホームと仕切られた構造となってます。

P1000538.jpg
寺田方から見た様子。
現在の旅客ホームは1面1線ですが元々旅客ホームは相対式2面1線だった名残りで向かいのホームも残ってます。

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架線柱の銘板にはこの路線が五百石線(寺田~岩峅寺)だった頃の名残りがあります。
かつての立山線は南富山経由の現在の不二越・上滝線を指していました。
富山から立山方面の直通列車は南富山経由で運転されていましたが徐々に線形の良い五百石線経由で運転されるようになり、1969(昭和44)年4月1日には五百石線区間を立山線に編入、入れ替わりに南富山経由の路線は不二越・上滝線に変わっています。

P1000531.jpg
対向側のホームにはプランターの花々が並んでいます。
貨物側線は右の架線柱が不自然に広い側にあったものと見られます。

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対向ホーム立山方の階段跡。
かつてはここに構内踏切があったのでしょうが現在はホームが延長されたのかこちら側のホームにそれらしい痕跡が見えません。

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私鉄貨物 | 21:57:03 | Trackback(0) | Comments(0)
富山地方鉄道モハ10020とクハ175の3連乗車&撮影~その2~

P1000555.jpg
釜ヶ淵に到着する1328レ普通電鉄富山行き。
白くて丸みのあるこの車体はお気に入り。
輪郭は長野電鉄2000系や名鉄5200系(→豊橋鉄道1900系)に近いか。
横の側線跡らしい用地(次回予定)が気になりますね。

P1000562.jpg
寺田で下車。駅舎は木造のまま整備されました。

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立山発宇奈月温泉行アルペン特急は立山線から本線に直接入れないため立山線4番線から一旦電鉄富山方に引き上げ本線2番線へ転線する構内入換を行います。

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駅舎より強烈な存在感を放つ大きな待合室。
本線と立山線の間の扇型ホーム上に聳えます。
こちらは未整備。建物はモダンな意匠があちこちにありえち鉄勝山駅見たくカフェでも入れたら似合いそうですが場所が場所だけに需要が難しいか。

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本線2番線に停車中の17480形。

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越中三郷に移動して越中三郷15:42発普通岩峅寺行1333レを後打ち。

P1000569.jpg
駅舎は富山地方鉄道成立前の富山電気鉄道時代に建てられた名残りで「富山電鐵」の文字が掲げられたまま。

P1000578.jpg
この台秤がまた懐かしい。
かつて当駅から発送する小荷物の目方を測っていたものでしょうか。

7/18(火)のモハ10020+クハ175運用
※朝の不二越、上滝線運用は見てないです。
1033レ電鉄富山12:50→上市13:16
1034レ上市13:27→電鉄富山13:52
1329レ電鉄富山14:00→岩峅寺14:38(寺田経由)
1328レ岩峅寺14:44→電鉄富山15:22(寺田経由)
1333レ電鉄富山15:30→岩峅寺16:10(寺田経由)
1332レ岩峅寺16:19→電鉄富山16:56(寺田経由)

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撮影行 | 00:01:03 | Trackback(0) | Comments(0)
富山地方鉄道モハ10020とクハ175の3連乗車&撮影~その1~
以前は平日ラッシュ時のみの運用だった富山地方鉄道モハ10020形とクハ175形の3両編成(モハ10025+モハ10026+クハ175)が日中に本線、立山線で走ってます。
車両については西宮後停留場の富山地鉄10020系、14720系で紹介してます。
区間は電鉄富山~上市、電鉄富山~岩峅寺で山岳区間の立山や宇奈月温泉までは入りませんが今や貴重な日車ロマンスカータイプの電車で乗車&走行撮影が楽しめます。
本数が少ないけれど乗車、撮影ともしたいという欲張りな前提で計画~。

P1000514.jpg
モハ10020、クハ175の3両編成は電鉄富山12:50発普通上市行1033レから運用に入りました。
3両編成でクハとモハの間は車内で行き来できない構造なので車掌さんが乗務しています。

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1033レモハ10026に乗って相ノ木で下車。
駅の傍の跨線橋に登ってみたところで14760形の特急うなづき宇奈月温泉行が通過。

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跨線橋を越えて上市寄りに見えたポイントで上市から折り返してきた1034レを撮影。

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隣の新相ノ木駅まで歩いて駅前のファミマで飲み物調達&涼んでから

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駅に戻ると普通宇奈月温泉行135レにかぼちゃ色のモハ14769+モハ14770が入ってました。
地元から要望があって開業した新駅だけあってか昼下がりの閑散時間帯でも意外と降りてくる人が多かったです。

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新相ノ木13:49発普通電鉄富山行き136レに乗り寺田で立山線に乗り換え。
13:57発急行立山行B327レで釜ヶ淵下車。

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後を追って来る岩峅寺行1329レを寺田寄りに少し戻った踏切で撮影。
撮影がどうしてもモハ10020に偏っていたので今回はクハ175を前にして撮影。

P1000542.jpg
この場所は遮るものがない上に勾配が急な富山平野らしく日本海までぼんやりながら見えています。
空気が澄んだ冬に来たら能登半島まで見えるかな?

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撮影行 | 00:01:27 | Trackback(0) | Comments(0)
不二越駅の専用線群(富山地方鉄道不二越線不二越駅)
失言とその謝罪問題による一波乱でニュースになった企業もありますが一時的な話題でしょうしこのページの趣旨からも外れるのでここでは触れません。
因みに私は富山が閉鎖的とは全く思いません。
江戸時代には封建社会にあって官民連携した薬売りの全国展開、大正・昭和期の水力発電事業の発展、並びに重化学工業の発展など過去から現在まで北陸地方で最も積極的に新しいことに取り組む先進的な地域と思っています。

テツの目で見てもコンパクトシティーの実践として市内電車は新しく延びていくし、新駅設置、路線も私鉄、専用線にナローまであって興味深いことが多過ぎて帰れなくなります(^ ^;)
脱線しましたが以下本編~。

側線の内各で専用線と富山地鉄の管理境界は判然としませんが以下の専用線がありました。
富山冷蔵製氷専用線は駅前の大通り(富山県道6号線)を挟んで北側だったようですがスーパーになっており何も廃線跡を見いだせず終いでした。
<不二越富山本社工場専用線>
作業方法:私有機
作業キロ:0.7km

<富山冷蔵製氷専用線>
作業方法:手押
作業キロ:0.1km

<日本通運専用線>
作業方法:手押
作業キロ:0.1km

不二越は1928(昭和3)年に不二越鋼材工業として設立。
ベアリングや工作機械の製造を行いました。
1963(昭和38)年に社名が現在の不二越に変わっています。
現在では従来からの事業に加え産業用ロボットなど新しい事業も加わっています。

P1000479.jpg
不二越線不二越駅を電鉄富山方から見た様子。
路線名駅名ともに企業名に由来するという稀有な例です。
元は立山線(初代)山室駅でしたが1958(昭和33)年4月12日に駅名が不二越駅へ、1969(昭和44)年4月1日に線名が不二越線へと改められました。
現在の駅構内配線は1面1線の至極単純なもの。
駅入口の上には事業所の案内看板にブランド名の”NACHI”(昭和天皇が関西巡幸時に不二越の製品を視察したことを記念してその際に御料艦として使用された巡洋艦「那智」から命名)が大きく掲げられています。
1984(昭和59)年4月1日までは西町方面から軌道線の山室線がすぐそばの不二越駅前電停まで延びていました。

P1000477.jpg
構内を南富山方から見た様子。
かつては相対式ホームを持つ交換駅だったようで右の対面にもう1本の線路とホームがあり、これらの相対式ホームを挟むように左右に貨物側線がありました。
ホームは新しくなって数mほど電鉄富山寄りに移動しているようです。

P1000473.jpg
同じ場所から南富山方を見た様子。
塀や土地の区割りからかつての構内の拡がりが伺えます。

P1000440.jpg
因みに稲荷町に留置されているデキ12021の台車をよく見ると。

P1000438.jpg
ここにもNACHIブランドの軸受が使われています。

●不二越富山本社工場専用線の機関車
・DL1(?)
1952(昭和27)年7月加藤製作所製6.5t機で製番は28883。
標準的な6.5t機でしょうがキャブが広い方か狭い方か不明。
まだわからない点が多い機関車です。
機関車表では1954(昭和29)年12月24日認可で富山地鉄籍DL1となって1965(昭和40)年8月7日に加越能鉄道へ譲渡となっています。因みに加越能へ譲渡されたDL1は1963(昭和38)年富士重製のラッセル車のはずなのでこちらと混同されたものと見られ、DL1と言う番号を実際に取得していたかは確認が取れません。

参考文献:
株式会社不二越Webページ
専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)
加藤製作所機関車図鑑(岡本憲之/著 イカロス出版)
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)

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専用線跡 | 22:44:38 | Trackback(0) | Comments(0)
住友セメント富山SS専用線、日本アルコール販売富山保管庫専用線(高山本線西富山駅)
<住友セメント富山SS専用線>
1964(昭和39)年には製鉄所専用線から本線を挟んだ東側に住友セメントのSS(サービスステーション)が開設されています。

作業方法:私有機
作業キロ:0.4km
総延長キロ:0.6km

P1000422.jpg
2番ホーム末端から富山方を見た様子。
左は前回の報国製鉄→新報国製鉄→呉羽製鉄富山工場跡地の住宅地、右のトレインと言う文字が見えるアパートの辺りがかつての住友セメント富山SS跡。

●住友セメント富山SS専用線の機関車
こちらには日通機と別にSS用の私有機がいました。
・301
1959(昭和34)年7月川崎車輌製で製番38。
機関車表には35t機軸配置BBとあるが実際には↓の同型車302を見ての通り15t機軸配置B。
正体は編集長敬白アーカイブの以下の記事に詳細が上げられています。
住友セメント広田SSのこと。
060216.jpg
301と同時製造の302。こちらは磐越西線広田駅の住友大阪セメント広田SS専用線に転じていました。
SSがもう閉まっている時間帯で許可を得る相手も無く敷地外から後ろ姿を撮っただけです(_ _)
現存するものでは和田岬線から分かれる川崎重工兵庫工場にいるスイッチャーに似てるかな?
2006(平成18)年2月16日撮影

・D151
1969(昭和44)年6月日立製作所笠戸工場製15t機で製番13072。
住友セメント松任SSから転属してきた標準的な日立15t機。
専用線廃止後は東新湊の日本高周波鋼業構内鉄道へ移り、さらに日立製作所笠戸工場(山陽本線下松駅)に里帰りして新車の出荷に使われました。
奥野さんの↓の記事で写ってる重連の前の機関車と思われます。
下松情報
下松の機関車は北陸重機の新車に変わったので現在は引退してます。



<日本アルコール販売富山保管庫専用線>
専用線一覧表では1984(昭和59)年版になって出てくる新しい専用線。
現役時代の様子を奥野さんが撮影されてます。
西富山報告

作業方法:国鉄機
作業キロ:0.1km
総延長キロ:0.1km

P1000428.jpg
1番ホーム岐阜方の構内踏切から富山方を見た様子。
右のアパートの場所も貨物側線の跡。

P1000434.jpg
日本アルコール販売の専用線は報国製鉄→新報国製鉄→呉羽製鉄富山工場の専用線の一部を利用していたようです。
この専用線にはスイッチャーはおらず国鉄→JR機が入換を担当していました。

参考文献:
専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)

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専用線跡 | 21:39:41 | Trackback(0) | Comments(0)
報国製鉄→新報国製鉄→呉羽製鉄富山工場専用線(高山本線西富山駅)
富山市街の西郊。呉羽山の下にある駅です。
今では住宅街の駅ですがかつては専用線がありました。
というわけで古い順に上げていきます。

作業方法:手押、相手方機→手押→日通機
作業キロ:0.5km
総延長キロ:0.9km

報国製鉄は調査してもいつ頃出来た会社かが分かりませんでした。社名からすると戦時中の設立でしょうか。
砂鉄を原料に製鉄を行っていたようです。
敗戦で軍需が無くなると業績が悪化したようで1949(昭和24)年10月に再建のため埼玉県川越市の新三徳工業と合併し新報国製鉄を設立しています。
新報国製鉄時代に株式上場までこぎつけており当時の様子が「証券」1952(昭和27)年10月号(東京証券取引所 東京証券取引所総務部)に載っていました。
当時の生産品は低リン銑18%、低硫低銅銑19%、純鉄5%、溶接棒鋼塊54%、チタライト1%、その他3%となっています。
聞き慣れない名前ですが低リン銑、低硫低銅銑はリン、硫黄、銅などの不純物が少ない銑鉄ということらしいです。
これらはさらに炭素量を減らして鋼に加工するためさらに高炉メーカーへ送られていたようです。
製品の半分以上をを占める溶接棒鋼塊は溶接器具のあのバチバチいってる先端部分の材料で、富山工場で砂鉄を溶かしてインゴットにして川越工場へ送り溶接棒に仕上げていました。

新報国製鉄は当時国内の三大砂鉄メーカーでしたが富山工場の業績は芳しくなかったようで1955(昭和30)年に川越を存続工場として富山は分離売却。
会社自体は現在も当時の名前のまま盛業中です。
専用線一覧1957(昭和32)年版では専用線使用者名が呉羽製鉄(株)となっています。
会社が変わっても貨車輸送は続いていましたが航空写真を見ると1980(昭和55)年にはあった工場、専用線が1983(昭和58)年には宅地化されておりこの間に工場閉鎖、専用線廃止となったのでしょう。

P1000429.jpg
西富山駅の駅舎。
高山本線JR西日本区間木造駅共通の配色です。
背後の呉羽山との間に工場がありました。

P1000424.jpg
2番ホームから岐阜方を見た様子。
停車中の列車は速星から乗って来た富山行きキハ120。
右の側線、専用線跡はレールが撤去され空き地になっています。
更にその右の工場跡地は宅地化されています。
かつてはここで水力発電王国富山の安価で豊富な電力を生かした電気炉8基(1953(昭和28)年当時)が稼働する製鉄所がありました。

P1000421.jpg
富山側。特急ワイドビューひだ8号名古屋行が通過。
専用線の貨物積卸場所はこの画像左奥にあったようです。

P1000430.jpg
西富山駅岐阜方の踏切名には・・・

P1000432.jpg
1949(昭和24)年以前の報国製鉄の名前が今でも使われています。

●新報国製鉄→呉羽製鉄専用線の機関車
日通富山支店西富山営業所が入換を担当しており
専用線一覧では
1951(昭和26)年版 手押、相手方機
1953(昭和28)年版 手押
1957(昭和32)年版 日通機
1964(昭和39)年版 日通機
1970(昭和45)年版 日通機
となってました。
1953(昭和28)年版で機関車がいなくなり1957(昭和32)年版で再び導入されているのは工場の業績と関係するのでしょうか?
機関車表に載っていたものは以下の通り。

・無番機
1953(昭和28)年12月加藤製作所製10t機で製番28969。
当初は日通千頭支店に配属され大井川鉄道千頭駅構内の入換に使われた機関車。
車籍は大井川鉄道にあり番号はD1でした。
機関車表 沖田 祐作編には1969(昭和44)年9月30日西富山営業所移管とあります。
恐らく千頭駅で接続していた千頭森林鉄道が前年に廃止され入換の仕事が無くなったため転属してきたものと思われます。
senzu-d1.png
イラストは賛歌 千頭森林鉄道(谷田部 英雄・著)に掲載されていた写真を元に描いた大井川鉄道D1時代のイメージ
写真では機関車が後ろから写されているため前照灯の位置はわかっていません。

・7
1965(昭和40)年1月日立製作所笠戸工場製15t機で製番12815。
製造当初からいたのではなく富山営業所圏内のどこかの駅から転属してきたようです。
後に南福井へ転属し現在は個人蔵で保存されているそうな??
類似タイプと見られる日本冶金川崎事業所専用線日立15t機

参考文献:
証券 昭和27年10月号(東京証券取引所 東京証券取引所総務部)
新報国製鉄株式会社webサイト
専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)
賛歌 千頭森林鉄道(谷田部 英雄・著)


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専用線跡 | 20:22:36 | Trackback(0) | Comments(0)
白鳥の歴史館で「森林鉄道資料展」開催中
2017(平成29)年7月31日(月)~8月31日(木)の間、名古屋市熱田区にある中部森林管理局名古屋事務所併設の「白鳥の歴史館」で森林鉄道資料展開催中です。
詳細は以下チラシをご覧ください。
29rintetu-1.jpg

所属する小坂森林鉄道研究会からも資料提供させて頂いてるので本日会場を見てきました。

P1000806.jpg
白鳥貯木場の南端、旧・名古屋営林支局があった場所の一角に中部森林管理局名古屋事務所併設の「白鳥の歴史館」があります。
駅は地下鉄名城線西高蔵駅か名港線日比野駅が最寄ですが多少距離があります。
また名古屋市バス「熱田巡回」神宮東門発~神宮東門行に乗り「生涯学習センター」で降りると生涯学習センターのすぐ裏(東隣)です。このバスは名鉄神宮前駅前の神宮東門バス停、JR熱田駅前の熱田西バス停、JR・名鉄・地下鉄金山駅南口の金山南口バス停から乗り継ぐことができます。

P1000807.jpg
森林鉄道資料展のコーナー。
なお常設展示にも森林鉄道や白鳥貨物線が写った写真があります。

P1000813.jpg
リンク先で研究会先輩であるくるまやさんの小坂モジュール&協三機群が牽く運材貨車が多数。

P1000895.jpg
係の方にお願いすれば小坂森林鉄道濁河線末期の伐採、運材風景の貴重なカラー映像も放映してもらえます。
こちらからも小坂森林鉄道の車両詳細解説資料を会場に置かせて頂いてるので写真展示や映像、模型の機関車、貨車の正体が気になる方はご覧ください。

ナロー、林鉄好きでお盆休み最後の1日をどうしようかと考えている方、夏休みにどこか行くところを探してる方は会場へ是非お越しください~。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

森林鉄道(名古屋営林局) | 22:27:34 | Trackback(0) | Comments(0)
速星入換~2017夏編~
速星の入換。
以前速星のスイッチャー で紹介したときと変わってはいませんがホームの側線側に柵ができていました。

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この日の入換は251が担当。

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希硝酸タンクコンテナを載せたコキ200を入換。

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富山貨~速星の牽引機は東新潟区のDE10 3505。
元は1976(昭和51)年日本車両製DE15 1523で仙台から転入してきた機関車。

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農業倉庫と一般貨物側線をバックに入換開始。

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前回の冬場と違って真夏に行ったので機関車の窓は全開。

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DE10 3505と251の一瞬の並び。

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コキ100系列のコンテナを押し込み中。

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スイッチャー | 20:58:58 | Trackback(0) | Comments(0)
速星の謎貨車
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高山本線速星駅。
駅舎は高山本線JR西日本区間標準(?)の塗り分け。
今も有人駅、JR東海区間と違ってまだ有人駅が多いですね。

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跨線橋から見た岐阜方。
右に現役の日産化学側線があるほか左には農業倉庫と一般貨物用側線が残ってます。

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富山方は橋梁架け替え中で一部仮設線になってます。
左には日産化学のスイッチャーたちが見えます。

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専用線には機関車やJRコンテナ車のほかタキのタンク体を取り払ったアヤシゲな車両とコキ50000の番号を塗りつぶしたものがいます。
中央はコキ50000で前後の車両は化成品タンク車の再利用のようです。
手前の車両は台車がTR41Dでかなり短い車体。。
後ろの車両は台車がTR213かTR225辺りか?種車はタキ10700?さすがに遠過ぎて分かりません。
右奥の方にも同じような貨車がもう1台見えてます。


速星駅常備のタンク車は現役時代僅かながら撮ってますがこの中に種車となった型式がいるかどうか?
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タキ4200形タキ14291
東海道本線米原 2003(平成15)年10月16日

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タキ10700形タキ10729
東海道本線近江長岡~柏原 2004(平成16)年1月15日

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タキ8100形タキ8135、8136他(左の銀タキ)
大阪環状線(浪速貨物線)浪速(貨) 2003(平成15)年9月10日

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スイッチャー | 22:24:14 | Trackback(0) | Comments(0)
日東紡績泊工場専用線(北陸本線泊駅)
北陸本線・・・現在はあいの風とやま鉄道泊駅(北陸本線代替の3社とも名前が長ったらしいので今でも北陸本線と言ってしまう(爆))です。
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まずは直江津方の一般貨物側線。保線車の車庫やレール積込み場所に利用されてます。

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モーターカーとレール輸送用保線トロも。

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直江津から乗って来たえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインのET122が泊折り返しで発車。
行く手には親不知の険しい山並みが連なります。

泊駅のある朝日町(1954(昭和29)年に泊町ほか6か村が合併)は穏やかな富山平野の東の端に位置し、その先は親不知の険が日本海に突出しています。
黒部川の豊富な伏流水や安い電力に着目し1934(昭和9)年に泊紡績が設立されました。
工場工事中の1937(昭和12)年10月より一部操業開始、1938(昭和13)年10月に完成、工場全体が操業に入ります。
工場は泊駅のすぐ隣で専用側線も最初からあったのでしょう。
綿紡績工場なので専用線には有蓋車で原綿が到着していたものと思われます。

作業方法:手押し
作業キロ:0.3km
総延長キロ:0.2km

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駅の南側に拡がる旧・泊工場・・・現在は日東紡泊事業センター。

しばらくは業績も良かったようですが戦時統制により中小紡績企業は紡錘器100万錘を持つ企業となるように政府から合併を強要されます。
泊紡績は紡績大手で戦前10大紡に数えられた福島県が本拠の日東紡績と1942(昭和17)年1月に合併、同社泊工場となりました。
戦時中は軍需工場とされたり戦災も受けたりもせずに済んだようです。
戦後は1952(昭和27)年に工場を拡張、紡錘器は17,100錘から37.100錘と倍以上に増えます。
1953(昭和28)年当時は従業員569人、敷地面積14,873坪、建坪8,173坪となっていました。

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跨線橋上から見た米原側。
側線撤去跡の敷地が多く見られます。構内側線と専用線の境目はわかりませんが左の倉庫方面に延びていたのでしょうか。

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現在綿紡績は行っておらずニットービバレッジ株式会社と分社化されペットボトルと清涼飲料水製造を行っています。
ペットボトルは化学繊維、清涼飲料水は黒部の冷たくて豊富な地下水利用と業種は変われどもこの工場の強みを生かした事業が行われているわけですね。

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接続列車到着までしばらく時間があるので夕暮れの風景をまったりと。

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あいの風とやま鉄道521系が到着。
IRいしかわ鉄道乗入で金沢直通です。

それにしても社名、路線名がややこしい(爆)
親しみを持ってもらおうという意図なのでしょうが地名を装飾する平仮名、片仮名、漢字の表記箇所が覚えられないです(- -)
単純に越後鉄道、富山鉄道、石川鉄道の方が覚え易い気がします。
全部過去存在した鉄道名になっちゃってますが今は存在しないので良いと思うのですが・・・。

参考文献:回顧参拾年(日東紡績株式会社)

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専用線跡 | 23:59:09 | Trackback(0) | Comments(0)
越後線の115系
新潟3日目~。
午前中は磐越西線で喜多方か会津若松まで往復するつもりが前夜に新潟県立図書館の蔵書検索してたら貴重資料を見付けてしまいそちらへ~。
午後は越後線経由で富山へ移動。
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越後線新潟~吉田で見かけた電車は殆んどがE129系。巻ですれ違った電車は新潟色115系でしたが撮れずじまい。
一方で吉田~柏崎は115系ばかり(列車本数自体が圧倒的に少ないですが)でした。
乗車したのは湘南色のN-40編成。
実はこれを書くまで復刻色だと知らなかったのでした。
乗ったときは新前橋から転属して来たのかな?くらいに思ってました(^ ^;)

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新潟近郊区間の新潟~吉田と違い吉田~柏崎は完全にローカル線の趣。
午前中に入手した新潟鉄道管理局内の運転線路図表片手に各駅で専用線跡を探しますが草深い季節であまりわかりません。
石油関係の専用線が多いですが新潟と言う土地柄油田から発送するための専用線だったのでしょうね。

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柏崎到着。
ローカル線らしい隅っこの行き止まり式ホームです。

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隣には越乃Shu*Kuraが入ってました。
昔はこのホームに水色の20t貨車移動機が止まってたのを見た覚えがありますが今では貨物扱いがありません。
この貨車移動機は奥野さんが撮影されてました。
柏崎報告

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柏崎からは信越本線快速に乗り換え。やって来たのは115系N34編成。
前2日間E129ばかり乗ってましたがここに来て115系率が高くなった気が?

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115系の窓越しに日本海を見られるのももうそんなに間がなさそうですね。

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撮影行 | 22:36:28 | Trackback(0) | Comments(0)
新潟交通電車線月潟駅と白根駅付近
西長岡付近の渋滞で意外と時間を取られレンタカー返却時間のこともあり旧新潟交通月潟駅再訪の見学はほんの数分だけ。
前回行った時の様子は↓
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その1~
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その2~
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その3~

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モハ11
現役時のような雰囲気は今回も維持されていました。

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モワ51
こちらも状態は変わりありません。

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キ116
前面ガラスが割れてしまったようです。
これは割られたのか、老朽化で割れたのか?
旋回窓付きなので修復は大変そうです。

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中ノ口川堤防下の白根駅跡。元の駅前売店は公園前売店となっています。
駅構内は左の拡張された堤防で埋められています。新潟交通電車線の主要駅だったのですがそんな面影は有りません。

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千日~白根の廃線跡。
枕木の柵と一本だけとなった木製架線柱が残ってます。
この架線柱だけ残ったのは街路灯が取り付けられているためでしょう。
この架線柱と線路を挟んだ反対側の木柱には4灯式の白根駅上り場内信号機が取り付けられていていました。

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千日~白根の廃線跡。
風雨で大荒れになった直後で暗い天気だったため暑いはずなのにどこか寒々とした光景に。
木造の小さな鉄工所に灯る裸電球だけが温もりを感じさせます。

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廃線跡(一般鉄道) | 21:16:03 | Trackback(0) | Comments(0)
電気化学工業長岡SS専用線(越後交通長岡線才津駅)
越後交通長岡線で1995(平成7)年4月1日廃止(営業運転は3月23日が最後)まで残った専用線。
電気化学工業のセメント・・・デンカセメントのSS(サービスステーション)があり、同じ新潟県内に本拠の鉱山があり、専用鉄道を介して北陸本線青海駅から貨車が来ていました。
長岡SSは1968(昭和43)年10月25日開設。「ヨンサントオ」で知られる1968(昭和43)年10月1日ダイヤ改正の直後に設置されたことになります。
サイロの貯蔵能力は2,500t。40t積みセメント貨車タキ1900で言うと62.5台分と言うことになりますね。

作業方法:社機
作業キロ:0.2km

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才津駅来迎寺方。北陸自動車道の下をくぐって来る長岡線跡。

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才津駅のSSは無くなっています。側線分路盤の拡がりが残る程度。
現役時代末期の姿はリンク先の奥野さんが撮影されてます。
越後交通報告

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駅前はコンクリート舗装の道路。この舗装し方がいかにもSSの門前と言う感じがします。
メーカーは違ってもどこもセメントサイロの前にこんな道がありますね。

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越後交通と言えばED5100形電機が名物でしたね。
1957(昭和32)年三菱電機、三菱重工製50t機で定山渓鉄道ED500形ED501,502→長野電鉄ED5100形ED5101,5102→越後交通と転じてます。
イラストでは両パンタとも上げてますが定山渓、越後交通での運用時は片パン、長野電鉄のときは両パンのことが多かったようですね。
実際に現物を見たかったなあ(- -)

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スタイリッシュな車体なので西武E851引退時みたく客車を牽かせてみたいですね。

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専用線跡 | 23:46:50 | Trackback(0) | Comments(0)
越後交通長岡線深沢駅
今度は来迎寺から逆に海側へ分かれていた越後交通長岡線。
来迎寺~寺泊39.2kmの電気鉄道でした。
通常のローカル線は貨物が先に無くなった後に旅客列車も廃止と言う例が多いですがここでは1975(昭和50)年4月1日の旅客営業廃止後も来迎寺~西長岡~越後関原の貨物営業が続けられ部分廃止はあったものの最終的に1995(平成7)年4月1日まで残っていたのが特徴です。
なお来迎寺~西長岡は他区間より貨主客従の強い区間で旅客営業は1972(昭和47)年4月16日に一足早く止めていました。
西長岡~寺泊はちゃんと電車が使われてましたがこの区間では木造二軸客車やモーターを外した電車を貨車の後ろにつなげた貨客混合列車が走っていました。
しかもここでの貨物は有蓋、無蓋車のような一般貨車だけでなく高圧ガス、化成品タンク車に客車が連結されるわけですから何とも異様です。

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来迎寺駅を出てすぐ信越本線と分かれて渋海川橋梁へ至る築堤。この区間には水路を渡るガーダー橋も残ってます。
小学生の頃(1992(平成4)年)に家族旅行で新潟へ行くとき「西長岡駅に行きたい!」と希望を出したところ速攻却下(爆)
特急「北越」の車内からこの何ともそそるカーブ築堤(当時はもち現役線路!)と来迎寺駅構内留置の越後交通社車のワラ1だけ見て終わりでした(T T)
四半世紀を経てようやくこの先の区間を見ることに。

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渋海川を渡って北東へカーブする場所が1つ目の深沢駅。
奥が来迎寺方。プラットホームや農業倉庫が残ります。
最後の1995(平成7)年4月1日廃止区間ですが末期は全く駅としての機能を果たして無かったようです。
1面2線で左から本線、側線、プラットホーム。
本線側には元々ホームが無かったようで停車列車だけがホームに面した側線へ入っていたということでしょうか。

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プラットホームレールと木組みで土盛りを囲った簡素なホーム。

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それでもホーム上は舗装されてます。一応肥料などの到着貨物があったらしくホーム上に倉庫も建っていたようです。

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架線柱の台座と架線柱を囲っていたガードのアングルが残ってます。
作業中の車が架線柱に引っ掛けて破損、倒壊してしまうのを防ぐために設置したのでしょう。
かつてはトラックなどがホームに横付けして荷物を積み替えることが多かったのでしょうか。

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元の駅前は広場や床屋さんがあって意外と駅前らしい風情が感じられます。

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もうぼろぼろですが農業倉庫も。

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西長岡方の踏切に残っていた標示板。
錆びの濃さの違いから「ふみきりちゅうい」と書いてあったのではないかと推定。

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廃線跡(一般鉄道) | 00:12:15 | Trackback(0) | Comments(0)

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まとめ