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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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那珂川の北鉄金沢市内線モハ2302→豊橋鉄道モハ3302
那珂川の北陸鉄道金沢市内線モハ2300形モハ2302。
やはり元金沢市民としてこの車両は外せませんね(^ ^)
1961(昭和36)年日本車輌で2両製造された内の1台。
間接制御を採用し台車はオイルダンパ付きNS-16を履き、車輪には防振ゴムも入って乗り心地を改善しており市内線車両の頂点にありました。
しかし金沢市内線は1967(昭和42)年2月11日に全廃されてしまいモハ2301,2302とも豊橋鉄道に譲渡されます。
豊橋ではモハ300形(2代目)を名乗り豊橋市内の東田本線に投入されました。
型式は間もなく改番になってモハ3300形となります。豊橋では2000(平成12)年3月まで活躍。
その後は国立の鉄道総合技術研究所で架線、バッテリーのハイブリッド車試験に使われていました。

DSC_1519_20170608225426951.jpg
那珂川では鉄道総研時代の仕様のままになっているようで菱型パンタではなくシングルアームパンタを搭載。
塗装は豊橋鉄道時代末期に再現された金沢市内線時代のシャンゼリゼルージュ&クリームになっています。

DSC_1415.jpg
方向幕はなぜか「故障」。実際に故障しているのかどうかは聞いてません。
道路の狭い金沢市内線で使用するため細面の車体になっています。
豊橋で当時在籍した車両の中では新しい方だったにもかかわらず廃車されたのはこの車体の小ささ故だったようです。


以下は2000(平成12)年7月30日に豊橋鉄道赤岩口車庫の撮影イベントでの様子。
廃車後4ヶ月が経ってましたがより金沢時代に近付けた姿が再現されてました。
パンタの位置が豊橋では車体中央に移設されてましたが端に寄せ、前面中央窓も小さくなっていたのを大きく作り直し・・・と非常に原型復元へのこだわりが感じられました。
img061-04.jpg
赤丸に白字で1と書かれた1系統の運転区間は金沢~武蔵ヶ辻~兼六園下~小立野。
方向幕も「金沢驛」となっています。
金沢駅前から武蔵ヶ辻を直進、橋場町で右折し、車庫の有った兼六園下から兼六園の横の尻垂坂を上って台地上の小立野へ達していました。

img061-01.jpg
四角い白板に黒字で3の3系統の運転区間は小立野~兼六園下~香林坊~野町駅前。
方向幕も「野町驛」。
小立野から兼六園下に降りると左折して金沢城石川門の前を通って右折、香林坊で再び左折して犀川大橋を渡り、専用軌道を駆け下ると石川線と接続する野町駅前でした。

img061-02.jpg
四角い青地に黄色で4の4系統の運転区間は野町駅前~香林坊~武蔵ヶ辻~橋場町~鳴和。
これも方向幕は「野町驛」。
野町駅から香林坊までは3系統と一緒。香林坊で直進して尾山神社の前を通り武蔵ヶ辻で右折、1系統と同じ区間を走り橋場町で左折、浅野川大橋を渡るとひがし茶屋街のすぐそば。線路は後1区間単線の専用軌道となって東金沢駅前に続いてましたが4系統は鳴和で打ち止めになってました。

img061-03.jpg
モハ3301と並び。元モハ2301でこちらは豊橋時代の姿のまま。
当時はモハ2302はアメリカの博物館譲渡の予定でしたが9月の同時多発テロで話が流れモハ3301と一緒に鉄道総研入りしました。
モハ3301はまだ鉄道総研にいるのかな?


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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

路面電車 | 23:58:35 | Trackback(0) | Comments(0)

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