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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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麒麟麦酒栃木工場専用線(烏山線仁井田駅)~その1~
烏山線から分かれていた専用線。
1979(昭和54)年4月に操業開始した麒麟麦酒栃木工場からのビールの出荷に使われました。

作業キロ:国鉄機1.0km、烏山通運機0.5km
総延長キロ:3.6km
作業方法:国鉄機、烏山通運機

麒麟麦酒栃木工場は1979(昭和54)年4月に操業開始。
専用線は操業開始に間に合わず遅れて7月から運輸開始、ビール輸送用のワム80000形584000、585000番台車が入線していたようです。
専用線はあまり長く使われず、開業から5年も経たない1984(昭和59)年2月改正で使用停止になりますが宇都宮貨物ターミナル利用でその後も鉄道貨物による製品輸送を行っていたようです。
しかしビール需要の減少や合理化で工場の統廃合が行われた結果栃木工場は2010(平成22)年10月で閉鎖、プラントは取手工場に移されたそうです。

DSC_1565 (65)
現在の仁井田駅舎。
無人駅ですが北隣に栃木県立高根沢高校があり学生の利用が多いです。

DSC_1565 (63)
ホームから烏山方を見た様子。構内は1面1線のみだが烏山方でレールが交換駅のように曲がっているのが見えます。
かつて麒麟麦酒専用線があった頃は左に貨物側線がありました。
1947(昭和22)年の航空写真では向かいにもホームらしきものが見え旅客列車同士の交換もできたようだが1961(昭和36)年ではホームが無くなっているようにも見えます。

DSC_1565 (66)
宝積寺寄りの一般貨物扱いの側線跡。車止めに名残があります。
一般貨物扱いは麒麟麦酒専用線ができた頃には無くなっていたようです。
キリンビール専用線ができる前の烏山線一般貨物は宇都宮機関区のDD13が牽引しており、ビール列車は同機関区DE10重連による牽引だったとか。

DSC_1565 (69)
一般貨物側線の横には立派な石積み倉庫が並びかつての貨物の賑わいを彷彿とさせます。

DSC_1565 (72)
宝積寺方から構内を見た様子。こちらもレールが曲がっており、右には安全側線跡らしき線路式の拡がりがあります。
上り出発信号機か入換信号機の台座らしきコンクリートの土台もありました。
専用線はここから本線上を宝積寺方へを600mほど行ったところで分岐します。

DSC_1565 (75)
中央に専用線の安全側線にあった線路終端標識が見えてます。その右付近で烏山線から左へ専用線が分岐、中央の草地を烏山線と並行して続いていました。
中央から左の木立に囲まれた広大な敷地がキリンビール栃木工場跡。
7年前まで現役だった工場ですが2017(平成29)年5月現在は更地になって何も残っていない様子。

DSC_1565 (77)
専用線安全側線の線路終端標識。行灯式の立派なものですが夜間の運転もあった・・・又は想定されていたのでしょうか?

DSC_1565 (83)
線路2本分の敷地がありますが実際専用線として使われたのは北側・・・柵の右側の敷地だけ。
授受線を2本敷く計画が建設時には縮小されて1本になってしまったのでしょうかね。

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専用線跡 | 00:36:08 | Trackback(0) | Comments(0)
那珂川の尾小屋鉄道DC122
産業機が多い那珂川では唯一の旅客私鉄向け機関車。元・尾小屋鉄道DC122
1958(昭和33)年10月協三工業製12t機。
蒸機2号(1917(大正6)年大日本軌道鉄工部製)の部品流用と言いいますが実際に流用品があるのかは不明です。
尾小屋鉄道は石川県の尾小屋鉱山から小松まで銅鉱石輸送のために敷かれた鉄道でしたが鉱石輸送は1956(昭和31)年度でトラックに移行して実質終了しており、DC122はラッシュ時に客車列車牽引や僅かな一般貨物との混合列車牽引が主な役割だったようです。

DSC_1354_20170526225223434.jpg
那珂川清流鉄道保存会の係員さんによるとエアブレーキ用の圧搾空気供給に使うコンプレッサが不調で走らせられないとのこと。
森林鉄道の5t機程度なら手用ブレーキで止めますがさすがにこれだけ図体が大きいと手ブレーキのみでは不安があるのでしょう。
因みに貫通ブレーキはなく客車も機関車のブレーキのみで止めていたようです。
通勤通学列車では4、5両の客車を牽いていました。

img060.jpg
1977(昭和52)年3月20日の尾小屋鉄道廃止後も長らく赤門軽便鉄道保存会の手で旧・尾小屋駅構内にて保管されていました。
エンジン側から見た様子で奥が線路終端方向です。当時はまだクリーム色や端梁の赤塗装がよく分かりました。
尾小屋鉄道現役末期のDC122の写真を見るとエンジン側を尾小屋方、非エンジン側を新小松方に向けていたのでこの時には現役時と前後逆を向いていた事になります。
後方に見える車庫には動態保存のキハ2、ホハフ7が入っているとのこと。
赤門軽便鉄道保存会の活動も終了したようですがキハ2、ホハフ7は今どんな状態なのかも気になるところ。
撮影日:1994(平成6)年5月3日

DSC_1028.jpg
錆び具合がさらに進んでこのような状態に。
それでも上の写真の位置から留置場所が移動してます。
草生して分かり辛いですがレールの上には載ってます。
動態保存のキハ2で移動させたのでしょうか?
撮影日:2011(平成23)年9月11日

DSC_1032_20170526225308fbb.jpg
非エンジン側はラジエターグリルの代わりに3本のビードが目立っていました。
こんな状態から一枚目の写真の状態まで復元したんですねえ。
撮影日:2011(平成23)年9月11日

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スイッチャー | 06:46:43 | Trackback(0) | Comments(0)
那珂川の関西電力私有車(王滝森林鉄道用)
王滝の関西電力私有機。
木曽川沿いの地域は中部電力の配電区域ですが木曽川の水力発電所は関西電力(以下 関電)が持っています。
そもそも木曽谷に森林鉄道が敷かれることになった直接の原因は関西電力の前身・大同電力のダム建設により木曽川の水流を利用した木材の流送が行えなくなったためです。
大同電力やその系列会社による補償として複数の森林鉄道、さらには電化私鉄の北恵那鉄道も敷かれました。
王滝川沿いも関電のダム、発電所が複数あり、関電が森林鉄道を利用して資材、人員輸送を行っており専用の車両が用意されてました。

DSC_1367.jpg
松岡産業製10t機。製造年などは分かっていませんが酒井C4を模した車体など恐らくは昭和30年代前半につくられたものでしょう。前面上半分は後退角が付いてますが鼻筋は取ってないので惜しくも(?)湘南フェイスにはなっていません。
現役時代の塗装は現在の関電社用車と同じオレンジと茶色の関西電力カラーですが那珂川ではなぜか蒲原鉄道色(旧西武色)に塗られています。
松岡産業の機関車で現存するものはこの10t機とサイパン島の製糖鉄道で使われたもの(台枠だけ残ってるらしい)だけかと思ってたのですが・・・。

DSC_1427.jpg
加藤製作所製3t機。1960(昭和35)年11月製造とかなり新しいですが小型車ゆえかエアブレーキを装備しておらずあまり使われることがなかったようです。現役時は単色塗り(恐らく関西電力車旧塗色のエンジ色)でした。

DSC_1429_201705232249047fe.jpg
3t機と言っても周りの4.8~5tクラス機と比べそれほど小さいようには感じられません。
排気筒がボンネット側面から生えているのが珍しいですね。

DSC_1424_2017052322490266f.jpg
前部、後部窓もHゴム押さえで上辺を軸に押し開けることができる構造。
前後進とも降雨時に窓を開けても室内に雨水が入りにくい構造となっています。

DSC_1480.jpg
須原発電所から来た加藤製作所製7t機と岩崎レール客車は他の車両と共に隙間なく押し込まれていたためまともに撮れませんでした。
この2両は関電カラーを堅持しています。
加藤7t機は台枠側面の陽刻上段は"KATO WORKS"、下段"TOKYO"ですがこの機関車は中段にも"SHINAGAWA"と入っています。この文字は1938(昭和13)年頃より以前に製造された物にだけ見られるそうな。
那珂川清流鉄道のHPでは1939(昭和14)年製造になっています。
岩崎客車は1960(昭和35)年10月製造とあるのでやまばと号客車よりちょっと新しいくらいですね。
須原発電所保存時代の姿

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森林鉄道(長野営林局) | 18:37:19 | Trackback(0) | Comments(0)
別府鉄道キハ2修復プロジェクト
クラウドファンディングで別府鉄道キハ2の修復資金募集を行っています。
日本最古の機械式気動車 旧別府鉄道車両キハ2号を永久保存へ!!
元・三岐鉄道のキハということもあり応援の意味を込めて臨時UPします~。
募集期限は2017(平成29)年6月28日23:00までとなるので応援してもいいよと言う方はよろしくお願いします。

代燃車になったり、戦車のエンジンを載せたりと昭和史を体現した貴重な生き証人。残したいものです。

img059.jpg
別府鉄道野口線円長寺駅跡付近に保存のキハ2。
この写真を撮った13年前はまだ大部分の窓枠が原形をとどめていたが・・・
2004(平成16)年8月19日撮影

●三岐鉄道キハ5→別府鉄道キハ2
三岐鉄道が1931(昭和6)年の開業に向けて日本車輌で新製したガソリンカー5両キハ1~5の末っ子キハ5でした。
戦時中の燃料統制下では代燃装置を積んでガソリン代燃併用車となります。
キハ2のチャームポイントともいえる前後の荷物バケットは代燃ガス発生装置を搭載するためのスペースでもあったようです。
1951(昭和26)年には終戦で不要となっていた旧陸軍の戦車用ディーゼルエンジン相模N-80を搭載してディーゼルカーに変わっています。エンジンはさらに日野DA-55へ交換されます。

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三岐鉄道キハ5

三岐鉄道が直流電化された後も当時非電化の関西本線乗り入れ四日市駅直通列車に使われていましたがこの乗入運転が1964(昭和39)年5月に廃止されると不要になり翌1965(昭和40)年1月廃車、別府鉄道に譲渡されキハ2(二代目)となり1984(昭和59)年2月1日の同鉄道廃止まで野口線で使用されました。

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別府鉄道キハ2



廃線跡(一般鉄道) | 22:47:37 | Trackback(0) | Comments(0)
那珂川の岩崎レール工業モーターカー
国道19号のガソリンスタンド前にいたモーターカー。
現役時どこの営林署にいたのかも分からず、現役時代の林鉄の写真でも全く見かけません。

長野営林局?営林署 番号不明
製造:岩崎レール工業
購入年:不明
自 重:不明
局型式:不明

DSC_1365_201705212238041ee.jpg
赤沢自然休養林のNo.64や王滝の松原運動公園にいるNo.65と基本的に同型ですが、側面に扉がある点が異なります。
この扉は下半分はオリジナル、上半分は改造で付け足したものではないかと思われます。
東京局千頭署の千頭森林鉄道では扉上部が防水シート張りになっている同型車の写真が見られます。

DSC_1366_20170521223806fd9.jpg
窓が開けられないようですが夏場はドアを取っ払って他のモーターカーと同じような開放状態で使ったのでしょうか?
そう言えば王滝署モーターカーNo.74もHゴム固定で窓が一切開きませんでしたね。

DSC_3804.jpg
野尻で保存されていた頃。国道19号線沿いに保存されていたので見覚えのある方も多いのでは?

DSC_3806.jpg
後ろには上松運輸営林署の制動車の制6号がいました。
制動車としては最も現役時代に近い塗装で雨ざらしの割にさほど荒れてもいなかったのですがこちらは解体してしまったとのこと。

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森林鉄道(長野営林局) | 19:46:02 | Trackback(0) | Comments(0)
那珂川の秋田営林局能代営林署番号不明機
秋田営林局能代営林署所属機だったとのことから旧・仁鮒森林鉄道の機関車と思われます。
秋田営林局はディーゼル機関車はD~、ガソリン機関車はG~というように付番されていましたがこの機関車がD何号かは不明。

秋田営林局能代営林署D?
製造:酒井工作所
購入年:1960(昭和35)年 ※那珂川清流鉄道保存会公式ページでは1958(昭和33)年製造となっている。
自 重:4.8t

DSC_1418.jpg
正面3枚窓は本来Hゴム押さえですが那珂川では黒縁のアクリル板?で似せた様子。
秋田局の運材貨車は貫通エアーブレーキでなく自動ブレーキを使用していたため機関車にもエアコンプレッサを覆うカバーの出っ張りがありません。
秋田時代の塗装の緑一色としたようですが現役時はもっと暗いダークグリーンだった様子。

DSC_1421.jpg
前部の点検カバー下部手前側に見える穴は排気口。
大概の場合L字型機関車の排気口はフード上部に立ち上がっていますが秋田営林局では下から排気させるのを好んだようです。
排気筒を上に向けると雨水が侵入してエンジンを痛めるためその対策と思われます。
真室川の元・仁別森林鉄道D40も鋳物台枠側面に穴をあけて排気口を設けていました。
鋳物台枠は長野営林局王滝営林署No.76と同タイプ。

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真室川梅里苑で動態保存の秋田営林局秋田営林署仁別森林鉄道D40。前輪の軸受左に見える穴が排気口。

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背面はサイズが合う窓が無かったためかやたらとサイズが小さくなっています。
ヘッドライトは角型になってますがこれは秋田で保存されていた頃から四角いものになっていたのを踏襲したものと思われます。
そう言えば最近専用線のスイッチャーで前照灯がこのような角型ライトに変わる例が多いですね。

能代営林署と言うと秋田市の仁別森林博物館で保存されているD29(1955(昭和30)年 酒井工作所製8t機)の僚車だったのでしょう。
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仁別森林博物館で静態保存されている秋田営林局能代営林署D29


林野庁映像アーカイブスで仁鮒森林鉄道の酒井4.8~5t機が写っている箇所があります。
本機かどうかはわかりませんが秋田局の林鉄動画は貴重ですね。

●枕木のうた(秋田営林局1970(昭和45)年3月製作)

仁鮒森林鉄道廃止を記念して製作されたようです。
酒井のほか蒸機や仁鮒オリジナル加藤が各所で出てきます。
一方で木曽の映像がかなり混入しており誤解を招きそうな箇所も・・・。
・酒井機(01:09~02:18、10:19~12:07、12:57~13:51、14:58~15:03)
・加藤機(19:58~22:46 1969(昭和44)年11月29日最終運材列車)
・協三機(14:41~14:49 保線さんの後ろをちょっとかすめるだけ)
その他林鉄車両の映像、静止画像多数。
※混入してる木曽の映像~これはこれで貴重。他にもあるかも~
・王滝・小川森林鉄道(07:57~08:09、08:44~08:49、09:00~09:05 ボールドウィンなど、上松貯木場で撮影か?)
・阿寺、柿其森林鉄道運材貨車(09:09~09:22 野尻式自動連結器を装備した貨車)
・王滝・小川森林鉄道(09:23~09:31 ボールドウィン蒸機など)
・王滝・小川森林鉄道(15:07~15:11 No.98 or 99、試作箱型5t機No.108など、上松の機関庫で撮影)

●能代の筏(秋田営林局製作)

1964(昭和39)年度を最後に廃止された米代川の流送のカラー映像という超貴重記録。
流送の筏が主題ですが、密接に関係していた仁鮒森林鉄道がちょいちょい登場します。
酒井の後には仁鮒林鉄→米代川流送への水陸連絡の風景が余すところなく写されており林鉄・林業ファン必見です。
仁鮒オリジナル改造の加藤が牽く運材列車も見逃せません。
・酒井機(01:38~01:56 仁鮒貯木場)
・加藤機(11:53~12:49)


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森林鉄道(青森、秋田営林局) | 00:03:19 | Trackback(0) | Comments(0)
東野鉄道箒川橋梁跡
那珂川清流鉄道~番外編 最寄りの鉄道跡~
那珂川清流鉄道保存会の最寄り駅は烏山ですが、それより近い駅がありました。
東野鉄道那須小川駅(現在の那珂川町立小川中学校の位置)です。

東野鉄道は1918(大正7)年に西那須野~黒羽13.1kmが開業、常陸大子を目指し延伸を進め1924(大正13)年黒羽~那須小川11.3kmを延伸しています。
間には那珂川の支流箒川を跨ぐ長大橋梁がありました。
那須小川より先の工事は進まず黒羽~那須小川の区間は存在意義が薄れてしまい、箒川橋梁も1938(昭和13)年夏の水害で破損、何とか復旧させたものの1939(昭和14)年6月1日に廃止されています。

DSC_1565 (37)
那須小川駅から延びる廃線跡の道を北へ進むと国道294号線バイパスができておりそのまま箒川を渡ります。
新箒橋 橋長179.5m、幅14.5m5連桁の橋で今年2月26日に開通したそうな。
廃線跡は一足間に合わず潰されてしまったのか?(・ ・;)

DSC_1565 (38)
反対側は箒川の広い河川敷に山科の大カーブのような巨大築堤。

DSC_1565 (40)
すぐ横に那須小川方(右岸)橋台が残ってました!
右岸は切り立った崖になっており両岸の高低差が大きいです。
鉄道現役時は那須小川方に掘割区間を設け橋高を抑えていたようですが今は畑になって埋められています。
それにしても橋台の幅が広く2車線道路の橋梁跡かと思えそうなほど。
架かっていたのはトラス桁だったのでしょうか。
ごつい橋梁ですが2軸ガソリンカーか蒸機の貨客混合列車程度しか走ってないはず。

DSC_1565 (39)
箒川の流れの中に残る橋脚基部。

DSC_1565 (42)
西那須野方(左岸)の橋台・・・ひょっとすると左岸河川敷区間は築堤になっていてこの橋台は架道橋の橋台に過ぎないのかも知れませんが。

DSC_1565 (46)
橋台の下まで行って見ました。
こちらは標準的な単線鉄道幅、載せられる桁の厚みを考えるとIビーム桁が架かっていたのか。

DSC_1565 (43)
箒川橋梁跡から箒川沿いに那須の山々へ延びる高圧線鉄塔の列が見事だったのでつい一枚。

東野鉄道西那須野~黒羽は1968(昭和43)年12月16日廃止まで残ります。
地味な鉄道ながら蒸機は朴訥な坂東武者と言う感じのボールドウィン1,2号機(元・播但L2→山陽→国鉄200)が昭和30年代まで生き残り、非電化私鉄では有り勝ちな元国鉄キハ04のほかキハ04の側面にキハ07の前面を持つ旧・五日市鉄道のキハ501や津軽鉄道からやって来た箱型ロッド駆動ディーゼル機関車DC20などアヤシゲな車両がいました。
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キハ501 1936(昭和11)年新潟鉄工所製 五日市キハ501→南武→国鉄→東野

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DC201 1952(昭和27)年新潟鐵工所製20t機 津軽DC201→東野

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廃線跡(一般鉄道) | 22:12:58 | Trackback(0) | Comments(0)
那珂川の長野営林局上松運輸営林署No.133
一般で目にすることができる唯一の動態の酒井C4。
今回は動いてるところは見られませんでしたがまた見に行きたいところですね。

長野営林局上松運輸営林署No.133
製造:酒井工作所
購入年:1961(昭和36)年
自 重:10t
局形式:DBT10

王滝、小川森林鉄道1級線で活躍した最大級の10tディーゼル機関車。
トルクコンバータ装備なので局型式は国鉄形式と同じDBにTが付加されてます。
局形式よりは酒井工作所のメーカー形式C4の方が知られています。

DSC_1404_201705182148348de.jpg
キャブフォワード型なので前位(上松方)は湘南フェイスのこちら側。
運転席もこちらを向いています。
現在の塗装はC4現役時に近いですが本来は端梁が真っ黒なのでライトなイメージに。
なお現役末期のNo.133はクリーム部分をグレーに塗って異彩を放っていました。

DSC_1407.jpg
那珂川では向かって左一灯だった尾灯がなぜか右側にも増設されています。
No.133は1975(昭和50)年5月30日の王滝森林鉄道「さようなら林鉄」記念式典でボールドウィン1号機と重連でB客3両を牽いて上松~田島を往復。最後に鬼淵鉄橋を渡り上松構内へ入線するときはボールドウィンを先頭にして王滝本線の最後を飾りました。
なお廃車時期は王滝本線廃止時なのか翌年の鯎川線廃止時なのかは分かりません。

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森林鉄道(長野営林局) | 22:29:26 | Trackback(0) | Comments(0)
那珂川の長野営林局王滝営林署モーターカーNo.74
モ-ターカーのNo.74。
富士重工業メーカー形式R108です。
王滝へは東京営林局千頭営林署・・・つまり千頭森林鉄道から転入したとのこと。
寸又峡温泉奥の尾崎坂で保存されてるGM10と同型ですがこちらは密閉型の車体で、王滝転入時に改造されたものと見られますが詳細は不明です。
DSC_1358_2017051417435343a.jpg

東京営林局千頭営林署GM?→長野営林局王滝営林署No.74
購入年:1965(昭和40)年6月
製造:富士重工業
自重:?
長野局型式:R108(メーカー形式そのまま)

千頭での番号は分かりませんが廃止4年前の導入なのでかなり新しい番号だったものとは思います。
「私が見た木曽森林鉄道」(今井 啓輔/著、レイルロード/刊)に1970(昭和45)年に田島で撮影された写真で東京局から転入の富士重R108と思われるオープン型のモーターカーにGM16と言う番号が入っているのが見られます。
これが改造されてNo.74かNo.75になったものと思われますがどちらかは不明。

DSC_1359_201705141743540a7.jpg
木曽で現役時代の写真を見るとNo.74はワイパーが運転手側のみ、No.75は助手席側にも装備だったようです。
現車はワイパーが失われ運転手側(向かって右)上部にワイパー取付け跡が残るだけ。
因みにGM16の写真はワイパーが無く取付け跡の穴?っぽいのが見えるだけでNo.74、75のどちらかは特定はできず(- -)
王滝での現役時は以下のような屋根赤+上半クリーム+赤太帯&細帯+下半緑でした。
otaki-No74_20170517230100336.png
No.74の塗装イメージ

因みに塗り分け線だけで言うとNo.75のものに近いです。
otaki-No75_20170517230101584.png
No.75の塗装イメージ。

王滝現役時のNo.74の写真で塗装のハゲたところを見ると千頭時代の色が見えており旧塗装は寸又峡のGM10と同じ色だったようです。

DSC_0886.jpg
かつての同僚、東京営林局千頭営林署千頭森林鉄道GM10

後部の写真がないですが撮り忘れたことに気付かず帰って来てしまいました(爆)
あまりに車両が多くて何を撮ったか途中で分からなくなるのでこれから行くという方はご注意を~。

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森林鉄道(長野営林局) | 22:43:20 | Trackback(0) | Comments(0)
那珂川の長野営林局王滝営林署No.76(初代)
栃木の那珂川清流鉄道へ行ってきました。
と言うわけで王滝森林鉄道で未見だった車両もまとめて大量に見ることに。
まずはNo.76(初代)
DSC_1428.jpg
酒井工作所製ですが屋根の曲線が他の酒井機と比べると深く独特の風貌を持つ機関車です。
ラジエターグリルの縦棒が中央だけ逆Uの字型になっているのも特徴的。
那珂川では光沢の強い緑に塗られてますが現役時はダークグリーン→王滝色と変遷した様子。

長野営林局王滝営林署No.76(初代)→No.52(3代目)?
製造:酒井工作所
購入年:1948(昭和23)年
自 重:4.5t(製造時)
局形式:GB4→DB4

王滝営林署内の各支線で使われており「木曽谷の森林鉄道」(西 裕之/著 ネコ・パブリッシング)では田島、本谷停車場、白川線で撮られた写真が見られます。
当初は旧番No.90を名乗り新番No.76に改番されています。
当初キャブは角屋根だったようですが事故で破損して修復したのか、運転手から「天井が低い!」と苦情が来て作り直したのか深い丸屋根になっています。
パッと見のイメージはタコ坊主・・・(^ ^;)

DSC_1517_20170513210910a05.jpg
また台枠も楕円にSKWマークが入った新しいものに振り替えられてるため正体を掴みにくいものにしてます。
止めは廃車間際に旧番No.88→新番No.74→No.52(2代目)と車番を交換してもうわけのわからないことに(^ ^;)
そもそも実際にNo.52と標記を書き換えて運転されたことがあるのかも不明。
No.52(2代目)改めNo.76(2代目)も同じ1948(昭和23)年度購入機なので最初は両機は全く同じ姿をしていたものと思われますが現在ではお互い改造を重ね随分と印象の違う姿になっています。

因みにNo.52(2代目)改めNo.76(2代目)はボンネット両脇の2つ目ライトが特徴ですが1969(昭和44)年に白川線で撮られた写真では初代も同じような2つ目ライトを付けており、その後廃車までにまたオデコ1灯に戻ってます。

DSC_1425_201705141610431c2.jpg
那珂川では窓サッシが全取り替えになっており、キャブ側面の窓が丸味のあるHゴム押さえの窓から角張った窓に変わったため現役末期と印象が異なります。
因みに木曽の機関車で古い物は原型はドアにしか側窓が無いのですがキャブ前寄りにHゴム押さえの窓を開けています。
運転手の視認性向上のための改良でしょうね。

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森林鉄道(長野営林局) | 15:38:48 | Trackback(0) | Comments(0)
岐阜セメント富秋工場専用線(谷汲鉄道北野畑駅)~その2~
谷汲線北野畑駅の専用線続き。

DSC_1392_201705102321221db.jpg
駅舎の入り口から構内を見た様子。
現在周辺に人家はありません。なお開業時も人家は無く石灰石用の貨物駅、又は信号場と言った方が良いような状態だったようです。
鉱山でサイレンが鳴ると発破の音が轟きます。
本巣の専用線の運転は12時過ぎだったので正午のサイレンが鳴ると沿線で構えるという習慣になっていました。
そのため11時40分頃に発破予告のサイレンが鳴ると正午のサイレンと誤認し「あれ?もう12時!?」と慌てたことも(笑)

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谷汲山命日の列車増発。これが谷汲線現役時最後の命日輸送でした。
モ513+モ514黒野行きが待っているところへモ751+モ755谷汲行きが到着。
右の草叢が専用線跡です。
撮影:2001(平成13)年9月18日

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島式の旅客ホームの向こうには専用線貨物ホームの石積みが残っています。
専用線は下り線(島式ホームの向こう側)の奥側に平行して延びていた様子。
黒野方、谷汲方どちらからも進入できたような配線だったのか一方からしか進入できない線形だったのかは不明。
このホームから袋詰めセメントを無蓋車に載せて忠節まで運んでいたようです。

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●機関車代用電車
谷汲鉄道、美濃電気軌道は電気機関車など持っておらず電車が貨車を牽引していました。
何れも二軸単車でデロ1が木製、後の3形式は半鋼製で当時のボギー電車を半分に割ったような車体を持っていました。
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谷汲デロ1(後の名鉄モ50→モ100) 1926(大正15)年 日本車輌製
イラストは名鉄時代のイメージ

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美濃電セミシ64(後の名鉄モ60→モ110→連接車改造モ400) 1926(大正15)年 日本車輌製
セミシ64、65→モ61、62→モ110、111を1952(昭和27)年に2車体1組の連接電車モ400形モ401号に改造。
1973(昭和48)年廃車後に愛知県岡崎市の岡崎南公園で保存 2011(平成23)年3月21日撮影

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谷汲デロ7(後の名鉄モ80→モ130) 1927(昭和2)年 日本車輌、藤永田造船所製
美濃電セミシ67(後の名鉄モ70→モ120) 1927(昭和2)年 日本車輌、藤永田造船所製
イラストは名鉄時代のイメージ

●貨車
無蓋貨車は以下のような陣容。ただし美濃電の貨車は笠松線(現・名鉄名古屋本線と竹鼻線の一部)、美濃町線にも配置されていましたがどの車両が北方線(後の名鉄揖斐線)配置だったかはわかりません。
谷汲チ1,2→ト53,54 1926(大正15)年 日本車輌製 名鉄合併時引継ぎ?
美濃電トフ301~318 1912(大正元)~1919(大正8)年、製造所不明(一部は日本車輌と判明)
美濃電トフは名鉄引継ぎ前に大部分が休車になっていたようで末期は一部が保線用にトフ30形として残っていた様子。
最後のトフ32が1960(昭和35)年廃車。

参考文献
谷汲線 その歴史とレール―ローカル線からかいま見る激動の日本と世界(大島 一朗/著 岐阜新聞社)
RMライブラリー129 名鉄岐阜線の電車-美濃電の終焉-(上)(清水 武/著 ネコ・パブリッシング)

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専用線跡 | 19:38:06 | Trackback(0) | Comments(0)
岐阜セメント富秋工場専用線(谷汲鉄道北野畑駅)~その1~
住友大阪セメント岐阜工場へ石灰石を供給する鉱山の一つは工場から根尾川を隔て右岸にあります。
鉱山の前には2001(平成13)年10月1日に廃止された名鉄谷汲線北野畑駅がありました。
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北野畑駅の駅舎 2000(平成12)年5月撮影

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谷汲線は1927(昭和2)年製のモ750形が2001(平成13)年9月30日の最終運行日まで使われ、毎月18日の谷汲山命日など電車が増発されるときには北野畑駅で列車交換が行われ駅員さんによるタブレット(正確にはスタフ)扱いが見られました。
この谷汲線が石灰石輸送に使われたことはあまり知られていません。

●谷汲鉄道と石灰輸送
1926(大正15)年4月6日に谷汲山華厳寺への参詣鉄道として黒野~谷汲が開業しており、貨物輸送の比重は微々たるものでしたが北野畑駅そばへ1936(昭和11)年岐阜セメント富秋工場ができたことで貨物輸送量が急に延びます。
工場名の富秋は当時の自治体名で岐阜県揖斐郡富秋村(1954(昭和29)年4月1日に町村合併で大野町となる)から来ています。
1937(昭和12)年には工場に支障する北野畑駅付近の線路、駅を移設、新駅には専用線も敷設されました。
これらの工事費は岐阜セメントが負担したそうです。

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当時は美濃電気軌道北方線を介して岐阜市街と長良川を挟んで北の忠節までレールがつながっていましたが市内線とは線路がつながっておらず離れ小島の路線でしたがこれだけの短距離でも道路がしょぼかったため貨物輸送が延びたのでしょう。

●岐阜セメント工場の撤退
工場が置かれてまだ間もない1939(昭和14)年、岐阜セメントは南満州鉄道系列の満州軽金属工業に売却され、富秋工場の設備は満州の安東(現在の中華人民共和国遼寧省丹東市)へ移されてしまい北野畑駅専用側線も撤去されます。
その後は助六石灰工業の手で採掘が再開、側線も敷き直されたそうですが輸送量は岐阜セメント時代と比べれば少ないものでした。
専用線がいつ頃まで使用されたかはわかりませんが戦後助六石灰工業は磐城セメントと合併、本格的な開発は1960(昭和35)年川崎セメント大垣工場→磐城セメント岐阜工場ができてからとなります。
その時には貨物は本巣からの専用線、樽見線経由となっており名鉄谷汲線経由の輸送はなかったはずです。

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旧・北野畑駅黒野寄りで谷汲線の下をくぐり根尾川をトラス橋で渡り住友大阪セメント岐阜工場へ延びるベルトコンベア。

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路盤にはキロポスト(黒野起点5.5km)が残ってます。
鉱山ができる前の旧線はこの左側に並行して延びていたようです。

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新線と旧線(いまとなってはどちらも線路跡ですが- -;)を挟んで鉱山の砕石散布塔と砂利山が見えます。

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踏切跡から見た北野畑駅構内。専用線は左に分岐していたようですが正確な線路配置は不明。

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北野畑駅の駅舎と旅客ホーム跡。1枚目の駅現役時画像とほぼ同じ位置から撮影。
2000(平成12)年には青々と茂っていた坪庭の木は枯れてしまいました。

参考文献
谷汲線 その歴史とレール―ローカル線からかいま見る激動の日本と世界(大島 一朗/著 岐阜新聞社)


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専用線跡 | 23:17:03 | Trackback(0) | Comments(0)
住友大阪セメント岐阜工場専用線(樽見鉄道本巣駅)~その4~
専用線廃止前のスイッチャー。

画像 022
D101(車籍:樽見鉄道)
1962(昭和37)年日立製作所製45t機、製番12727。
冬場は過冷却防止のためかラジエター前にシートが掛けられていました。
走行中はキャブ上のオレンジ回転灯が回っていました。

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D102(車籍:樽見鉄道)
1962(昭和37)年日立製作所製35t機、製番12732。
D101とよく似てますがサイズは一回り小さく、前面窓のスタイルも異なっています。
あまり調子が良い機関車ではなかったようで入換中に急に止まってD101に工場内へ引き込まれて行ったのを見たことも(^ ^;)

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無番機
1964(昭和39)年日立製作所製15t機、製番12775。
元は近畿日本鉄道養老線東方貨物駅分岐の住友セメント桑名SS専用線D101。
近畿日本鉄道の車籍ではDB91形DB91号となっていました。

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D-152(奥に見える機関車)
1969(昭和44)年日立製作所製15t機、製番13097。
元は高山本線飛騨一ノ宮駅分岐の住友セメント飛騨一宮SS専用線で使われていました。
無番機と同タイプですが曲線が少ない直線的なスタイルに変わっています。

この他、無番機と同型のD103 1963(昭和38)年日立製15t機、製番12749がいたそうですが一度も見たことがありません。

初期にいた川崎重工業製の101,102は田村に転じた姿をリンク先の奥野さんが撮影されています。
奥野君の専用線日記大越報告(1993年7月25日)
101
1959(昭和34)年川崎重工業製35t機、製番41。
102
1959(昭和34)年川崎重工業製35t機、製番42。

番外編
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保線用に樽見鉄道が所有していたものだったようですが実のところは不明のまま。
1981(昭和56)年富士重工製16t機、製番2。
東海道本線稲沢駅の昭和シェル専用線から転属。見た目は除雪、保線用モーターカーTMC300そのものです。
入換業務は昭和シェル系列の平和汽船が行っていたようで内陸部の稲沢で何故に汽船と書いてあるのか不思議に思ったもの。

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スイッチャー | 23:40:23 | Trackback(0) | Comments(0)
住友大阪セメント岐阜工場専用線(樽見鉄道本巣駅)~その3~
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用水路の橋の先でカーブして再び真北を目指します。

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住友大阪セメントの社宅の横を行く専用線跡。

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同じ場所の専用線現役時代。
2006(平成18)年1月28日撮影

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緩い勾配を登りながら300mほどで工場ヤードの南端に達します。

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かつてのヤード南端に専用線廃止後新しい道ができました。

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タキ1900、12200、19000がたむろしたヤードはレールが無くなった以外はそのまま。

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ここではよく貨車の写真を撮りました。
タキ19171。旧・大阪セメントの近江長岡駅常備。
2003(平成15)年3月29日撮影

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電化セメントのタキ12250。電化セメントの出荷も行っていました。
この近辺で電化セメントのSSは坂祝にありましたが電化セメントの鉱山・工場がある青海から出荷していては距離が遠く輸送コストもかさむため会社同士で出荷元が需要先の近隣になるよう交換し合っているとか。
2003(平成15)年3月29日撮影

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かつてヤードを横断していた踏切から工場側を見た様子。
右のサイロに描かれている絵が、専用線現役時はホタルの絵でしたがいつの間にか本巣市のゆるキャラもとまるに変わってます。

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工場内の配置は線路が撤去されて舗装された以外変わってない様子。
車庫や積込み施設の上屋もそのまま。

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以前は工場入口にこんな雷太鼓のような踏切警報機がありました。
音はベルが断続的に鳴るタイプでした。
2005(平成17)年11月12日撮影


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専用線跡 | 21:49:56 | Trackback(0) | Comments(2)
住友大阪セメント岐阜工場専用線(樽見鉄道本巣駅)~その2~
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レールが撤去された区間も路盤はそのまま。

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みぞれの降る中やって来たD101牽引の出荷列車。
2005(平成17)年12月3日

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何か所か開渠の跡もあります。

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この光景もあまり変わりません。
現役時から草生した線路だったのでそう感じるのかも。

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時折残る用地境界標。
丸の中にIのマークは旧・磐城セメントのマークです。

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コンクリート橋の先で2車線道路を横断。
ここには警報機、遮断機付きの踏切がありました。

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水量が多く流れの速い水路を渡りますが橋桁は撤去されています。
この水路は根尾川から取水しており水が綺麗でホタルも生息してるらしいです。

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専用線現役時の同じ場所。PC桁が架かっていました。
2006(平成18)年1月28日

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専用線跡 | 22:04:13 | Trackback(0) | Comments(0)
住友大阪セメント岐阜工場専用線(樽見鉄道本巣駅)~その1~
岐阜県本巣市にあったセメント工場の専用線です。
樽見鉄道本巣駅から出ていた専用線や樽見鉄道大垣~本巣で運転されていたセメント貨物列車はまだ記憶に新しいところです。
樽見のセメント貨物は2006(平成18)年3月28日の運転を最後に無くなり専用線も廃止になりました。
(専用線の貨物出荷は前日の3月27日が最後)
作業キロ:2.2km
総延長キロ:6.6km
作業方法:私有機

住友大阪セメント岐阜工場は現在でも年間約110万tの生産量があり、巨大なプラントの姿は13km離れた東海道本線の車窓からも見ることができます。
この工場は当初川崎セメント大垣工場として建設されました。
同社は川崎重工業がセメントプラントの製造に乗り出すのにプラント建設の経験を積むため磐城セメントと共同設立した企業で実験工場としての要素が大きかったようです
工場が完成してしまうと所期の目的は達成されたとして1960(昭和35)年1月の工場竣工から間もない1960(昭和35)年3月に会社ごと磐城セメントへ譲渡され同社岐阜工場となっています。
その後会社は1963(昭和38)年10月に住友グループ入りして住友セメントに、1994(平成6)年6月に大阪セメントと合併して住友大阪セメントとなっています。

専用線は工場建設時から資材輸送に使われたようで工場竣工より3年前の専用線一覧表1957(昭和32)年版には既に川崎セメント(株)専用線 作業キロ2.1km(一部使用開始)と掲載されています。
キルンなど大型のプラントだけでなく専用線の機関車も川崎重工製で1959(昭和34)年製の35t機101、102が使われました。
この機関車は1963(昭和38)年に田村工場(福島県田村市2000(平成12)年3月閉鎖…磐越東線大越駅から専用線があった)が竣工するとそちらに移り、その後は岐阜工場専用線廃止まで日立製の45t機D101、35t機D102が主力を務めました。

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樽見鉄道本巣駅構内。
構内配線は貨物廃止前と全く変わっていません。
貨物列車が使っていた下り2番線用上り出発信号機(左の信号機)も残っています。

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下り2番線の転轍機。
前の木札には「あわてるな双動だぞ」の文字の跡があります。
双動・・・転轍リバー横と本線寄りの転轍機が2か所連動するから気を付けろと言う注意喚起の標語です。
樽見貨物現役時によく見ていたので懐かしい標語。
左端から上り本線、下り本線、下り1番線、下り2番線と並んでいます。

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樽見側から見た構内。車庫の位置には国鉄時代上屋付きの貨物ホームがあったそうです。
右端の保線車がいるのは授受線。工場から出てきた貨車はここに置かれ翌朝の上り貨物発車前に下り2番線へ転線してから出発信号機の現示に従い発車してました。

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樽見側、留置車両がいなくなり線路が錆びて草が濃くなった以外周囲の風景は全く変わってませんね。

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専用線分岐部に置かれた車止め。

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1本だけ残る通信線電柱。まだこの区間はレールが残っています。

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2005(平成17)年12月3日の同じ場所。
発送車を授受線に届け、到着車が着くのを待つD101。
右の側線にはDE10 1516+富士重TMC+DE10 1519の廃車体がいました。
DE10 1516、1519はどちらも1970(昭和45)年川崎重工製、JR東海静岡運転所で1996(平成8)年に廃車となっています。
中間のTMCがこれまた興味深いのですがこれはまた後で~。

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2017(平成29)年4月現在のレール末端部。
貨物廃止後暫くはここまでの区間が車両解体スペースに使われていました。

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専用線跡 | 00:04:26 | Trackback(0) | Comments(0)

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まとめ