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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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某水力発電所のインクライン
富山県の某所。
以前は釣り人が入っており軌道敷内や発電所を除いて立入禁止になってなかったのですが一昨年寄ると立入禁止っぽい雰囲気になってたので正確な場所は伏せます。

DSC_1180.jpg
大正の末に建設された発電所ですが軌道設備はあまり古い感じがしません。
金沢に住んでた頃に気付いた鉄道なので少なくとも25年前からはこの状態。
道路の末端に車庫兼原動機所があります。車両は中にいるようですが見たことはありません。
軌間を測ると1,067㎜でした。

DSC_1195_20170331210922724.jpg
河原へと続く歩道が踏切(?)に軌道敷内は急勾配で危険なため立入禁止とありました。
起点付近は勾配が緩くカーブもあるので中央にプーリーがあることを除けばどこかの専用線のようにも見えます。
すぐそばを旅客鉄道が通っており車窓からも僅かに見えるため車内から初めて見つけた時は「あんな専用線いつ分かれた?」と思ってしまいました。

DSC_1186_20170331210557a38.jpg
すぐにインクラインらしく勾配がきつくなります。

DSC_1182.jpg
正面には発電所のある川。
因みに中央で交換するような場所は無く1台の台車だけを上げ下ろしするタイプ。

DSC_1184.jpg
発電所の手前で一段と勾配がきつくなります。
歩道もここで線路から離れて行ってしまいます。
写っているのは林鉄巡りでよく同行のSKW氏。

DSC_1188.jpg
発電所の建屋に入って線路は終わりのようです。道路で直接近付けないため発電機など重量物を搬出入するときは今でも使っているのでしょう。



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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

富山の鉄道 | 21:33:51 | Trackback(0) | Comments(0)
八百津の木造バス車庫
今回は鉄道一切関係なしネタ。
岐阜県八百津町篠原バス停は八百津方面から八百津町コミュニティの802バスと恵那方面からの恵那市コミュニティバス(運行しているのは東濃鉄道)の結節点です。
現実にはどちらのバスも平日のみ運行な上に篠原で泊まらない限り乗り継ぎは出来ないダイヤですが(^ ^;)
その篠原バス停にお宝が・・・。

DSC_1340.jpg
802バスと東濃鉄道バスが夕日を浴びて仲良く道端の渋い木造車庫に収まっています。

DSC_1346.jpg
バックの雑貨店も相まって恰好良いですね~。

DSC_1344_201703262118186d8.jpg
車庫の前は細い長閑な田舎道。この道は恵那から国道418号の有名な「酷道」不通区間の迂回ルートとなる岐阜県道412号恵那八百津線です。
この狭い道を行く東濃鉄道の大型バスを見て見たい、乗って見たいところですが。

テーマ:バス関連 その1 - ジャンル:車・バイク

未分類 | 19:17:47 | Trackback(0) | Comments(0)
揖斐川国鉄砂利線(東海道本線大垣駅→樽見線東大垣駅)~その2~
DSC_0482_20170326202956f37.jpg
東大垣から揖斐川の堤防を越えるため築堤を登って行く樽見線に対し砂利線は地上へ降りて行きます。
分岐跡は雑木、雑草でよく分かりませんが・・・。

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現地では赤線の線形がうっすらと見えてました。

DSC_0485_2017032620295908e.jpg
砂利線のヤード跡は樽見鉄道の資材置き場と・・・。

DSC_0490_20170326203001fb3.jpg
鉄条網で厳重に囲われたよく分からない施設と建設会社の資材置き場になっているようです。
後ろに揖斐川の堤防が見えてます。

DSC_0494_201703262030025c2.jpg
謎の施設と建設会社の資材置き場の間の道路にはレール鉄筋と木柱の根元が飛び出た怪しげなコンクリート土台が。
砂利ホッパーの残骸でしょうか?
「岐阜工事局五十年史」によると揖斐川の河原へ長さ100m以上のベルコンが延びて砂利採取を行っていたとあります。
この上からベルコンが延びていたのでしょうか

DSC_0496.jpg
揖斐川堤防上から見た砂利線ヤード跡。

DSC_0498_2017032620301629e.jpg
ベルコンが延びていた揖斐川。
有名なピントラスの樽見鉄道揖斐川橋梁が架かっています。
樽見線は1941(昭和16)年3月に工事中止、架橋まで済んでいた揖斐川橋梁のトラス桁は内2連が樺太の恵須取(現在のロシア共和国サハリン州ウグレゴルスク)へ輸送中に沈没。
他の桁も九州の妻線(佐土原~杉安19.3km 1984(昭和59)年12月1日廃止)や青函埠頭(青森?函館?)などへ転用されてしまったので戦後の工事再開に当たり御殿場線第1酒匂川橋梁など樽見線と同じく戦争の影響でに撤去された中古トラスを貰ってきたものでした。

参考文献:
岐阜工事局五十年史(日本国有鉄道岐阜工事局/編)

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専用線跡 | 00:01:35 | Trackback(0) | Comments(0)
揖斐川国鉄砂利線(東海道本線大垣駅→樽見線東大垣駅)~その1~
国鉄樽見線引継ぎの樽見鉄道では大垣~本巣のセメント輸送列車が2006(平成18)年3月28日まで運転されており、本巣の住友大阪セメント岐阜工場専用線に一時は毎週のように撮影に通ってました。
さて樽見線ではそれ以外にも東大垣駅からの川砂利輸送が行われていた時代がありました。
樽見線は戦前から建設が進められていましたが戦時中に工事中断、戦後1956(昭和31)年3月20日に大垣~谷汲口が開業しています。
この砂利採取線は樽見線開業前から樽見線の路盤を利用して大垣駅分岐の構外側線として存在していたようです。
この砂利線末端には揖斐川に面して国鉄名古屋鉄道管理局直営の砂利採取場があり線路用のバラストを採取、輸送していたようです。
因みに同局内で直営の採取場はここだけだったとのことで昭和30年代に閉鎖されました。

専用線一覧を見るとこの国鉄砂利線は個人名義の専用線としても利用されたようです。
<1953(昭和28)年版>
大垣駅分岐(樽見線未開業のため樽見線大垣~東大垣も専用線として利用)
契約相手名:T氏
作業キロ:4.0km
作業方法:国鉄機

<1957(昭和32)年版>
東大垣駅分岐
契約相手名:T氏
作業キロ:0.5km
作業方法:国鉄機

DSC_0469_20170320221355eb3.jpg
1956(昭和31)年3月20日に開業した東大垣駅。駅舎はごく簡素なものです。

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島式ホーム1面2線ですがその駅舎側(右側)に1本分の側線跡があります。
平行する東海道本線上を上り回送列車が通過中。
樽見線開業前から大垣~東大垣の区間(営業キロ2.7km)は大垣駅構外側線、専用線として利用されていた様子。
樽見線時代と同じく大垣機関区のC11が入線していたのでしょうね。

DSC_0464_2017032022135279f.jpg
↑で撤去されてた側線は樽見側が残存。
たまに保線車両が留置されているのを見かけます。

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側線は一旦樽見寄りで樽見線本線に合流してから左に分岐していた様子ですが雑草雑木が茂って分岐部はあまり定かでありません。
2番線へハイモ295-315大垣行き普通が入線。

DSC_0475_2017032022135622a.jpg
本線から砂利線が分岐した先にあるガード。復線分の幅があります。
この画像は南側から撮影したもので手前から樽見線本線、砂利線の順で並んでいました。

参考文献:
岐阜工事局五十年史(日本国有鉄道岐阜工事局/編)

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専用線跡 | 23:27:46 | Trackback(0) | Comments(2)
兼山水力専用鉄道(名鉄八百津線兼山駅)~その3~
兼山水力専用鉄道の最終回です。
謎が多いのでまた新しいことがわかったら追記します。

img003.jpg
旧・副本線上から見た旅客ホーム。
昭和40年代初頭には本線以外は撤去されており末期と同じ姿になってた様子。
よく見るとキハ30の後ろに・・・

img003-1.jpg
一般貨物用貨物ホームの石積みが見えてます。
ホームは旅客、貨物とも名鉄線内でよく見られる(特に西部線側に多い)玉石練り積みでした。

DSC_0223_20170318220611964.jpg
かつての東美鉄道→名鉄、専用鉄道分界点付近。
中央に見える防災コンテナの後ろ、クリーム色で瓦屋根の魚屋町公民館が日本発送電貨物ホーム(第一停車場?)跡と見られます。

DSC_0240_20170318221442b76.jpg
左は八百津線の廃線敷。
専用鉄道が右に分かれて行ってたはずですが既に何の痕跡も見当たらず。
分岐部の盛り土さえも掘り返されたようです。
この先兼山ダムまでの区間も区画にさえ面影が見られません。
専用鉄道廃止前は田園が拡がっていたところに住宅地ができて区画整理の結果消滅したようですね。

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専用鉄道分岐より100mほど八百津側。本線の跡が砂利敷の駐車場になっているところ。
隣の工場との間に名鉄の用地境界標と混じって・・・。

DSC_0239_20170318221440bb9.jpg
こんな境界標が。
このマークは兼山ダム、水力発電所を建設した。日本発送電の社章です。
専用鉄道の線路敷からは外れるはずですが倉庫や資材置き場がここまで拡がっていたのでしょうか。
現在の発電所敷地境界で見られるのは関西電力の社章ばかりで日本発送電の社章を見たのは初めてです。
見落としてるだけなのか、貴重な発見なのか?

日本発送電は1951(昭和26)年5月に9つの地域区分で分割解体され、業務や施設は9電力会社に引き継がれました。
兼山発電所の区域への給電は中部電力の管轄ですが、木曽川のダム、発電所は殆どが関西電力に引き継がれて今日に至っています。

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専用線跡 | 19:36:20 | Trackback(0) | Comments(0)
兼山水力専用鉄道(名鉄八百津線兼山駅)~その2~
2001(平成13)年9月30日の運行を最後に廃止された名鉄八百津線。
兼山駅自体も跡を残すのみです。

DSC_0218.jpg
兼山駅を旧本線上明智側から見た様子。
末期は棒線1本の単純な配線になってましたが↓の配線図のように旅客用島式ホーム1、貨物ホーム1の2面3線になっていました。
左の出っ張りは専用鉄道建設時に増設されたと思われる引上げ線(東美鉄道の構内側線)跡。右に副本線(?)が分岐してました。

img002.jpg
八百津線現役時に駅旅客ホームから明智方を見た様子。
架線柱が本線の左右に拡がり3線分の広いものが使われています。
右が引上げ線、左が副本線跡。
廃止間近ですが列車の運行本数は30分に1本。意外と頻繁に運転されてました。
2001(平成13)年9月26日撮影

IMG_20161119_113414.jpg
←伏見口(現・明智)   八百津→
前回にも出した兼山停車場平面図ですがおさらい~。
島式の旅客ホームより本線、貨物側線を挟んで北側にある一般用貨物ホームの方が大きい気が。
貨物ホームの左にある小さな長方形は「本屋」・・・駅舎です。

img012.jpg
最後まで残っていた兼山駅の小さな木造駅舎。
同駅での貨物取扱いは1961(昭和36)年度に廃止。
無人化は兼山町史によると1970(昭和45)年10月、Wikipediaでは1969(昭和44)年11月6日とあります。
2001(平成13)年9月26日撮影

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駅舎、旅客ホーム、貨物ホームは今では跡形もなく。

DSC_0221_2017031822060971c.jpg
駐輪場と廃止時真新しかったトイレ、駅前倉庫が残ります。

参考文献:
鉄道省文書・日本発送電・昭和十五年~昭和二十四年(日本発送電、鉄道省)
名古屋鉄道百年史(名古屋鉄道広報宣伝部/編)
兼山町史(兼山町史編纂委員会)
Wikipedia 兼山駅

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専用線跡 | 00:02:01 | Trackback(0) | Comments(0)
兼山水力専用鉄道(名鉄八百津線兼山駅)~その1~
兼山ダム、兼山発電所は木曽川本流に戦時中建設されたダム発電所です。
竣工は1943(昭和18)年と戦局が悪化し資材も手に入れ難く工事が難航しましたが何とか完成に漕ぎ着けました。
このダム発電所は大同電力が建設を計画し、1938(昭和13)年に名鉄八百津線の前身東美鉄道の兼山駅から分岐する専用鉄道の敷設認可を申請、1939(昭和14)年2月26日に専用鉄道敷設が認可されています。
その直後戦時統制により電力事業は国家管理下に置かれ1939(昭和14)年4月に国策会社日本発送電が発足。
兼山ダム建設事業も日本発送電に移管されました。

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専用鉄道末端と思われる付近から見た兼山ダム。

ルートは判明していますが現地に痕跡は殆ど残っていません。
大体以下のようなルートだったようです。
黒線が八百津線、水色線が専用鉄道です。


<兼山水力専用鉄道>
延長:555m
軌間:1067mm
動力:ガソリン及び木炭ガス
工事費:142,450円(社債による)
なお免許状は日本発送電名古屋支店で保管していたところ空襲で焼失したとのこと。

以下2点は国立公文書館所蔵の日本発送電の専用鉄道許認可書類から。
IMG_20161119_113414.jpg
兼山停車場平面図。左が伏見口(現在の明智)、右が八百津方面です。
八百津方で分岐する専用鉄道と日本発送電の上屋付き貨物ホーム(第一停車場?)があります。

IMG_20161119_113214.jpg
貨物ホームの先で線路が3本に分かれてヤードになっていたようです。(第二停車場?)

●停車場一覧
第一停車場:50m
第二停車場:245m
第三停車場:385m20
第四停車場:482m50
短距離の割に停車場が第一~第四停車場と4つも置かれてますがこれは荷卸し場所と言う程度で駅と言うほどの意味はないようです。

●ガソリン機関車
1940(昭和15)年5月4日に加藤製作所製のガソリン機関車1台が設計認可されています。
鋳物台枠チェーン駆動の加藤くんだったようで、1938(昭和13)年まで大同電力が寝覚水力発電所建設のため中央本線上松駅大同電力西側線(王滝・小川森林鉄道の上松西貯木場があった場所?)で使っていたものでした。
自重6.4t
全長:3,912mm(車台部分のみで自動連結器の長さは含んでない)
全幅:1,780mm
全高:2,200mm
軸距:1,200mm
エンジン:コンチネンタルE-603水冷式ガソリンエンジン
出力:61馬力

この機関車は戦後1950(昭和25)年に八百津の丸山発電所建設のため敷設工事中の丸山水力専用鉄道へ転用するつもりだったのが兼山水力専用鉄道がまだ業務が忙しく廃止できないため転用できないため代わりにバッテリー機関車を導入したい旨を名古屋陸運局に届けていることから戦後もしばらくは専用鉄道が残っていたことが伺えます。
実際には丸山水力発電所にバッテリー機関車が入ったことはないようで加藤製作所製のディーゼル機関車が入るまでガソリン機関車が使われていました。恐らく都合をつけて兼山水力の機関車を転用したものと思われます。
加藤製作所製6.5t機というとこんなイメージですが見た目は大井川鉄道DB1~7のディーゼル化改造前GS1~7の姿に似たキャブの低い機関車でした。
連結器は元はピンリンク連結器で自動連結器を後付けしたようです。

●専用鉄道の廃止 2017(平成29)年6月3日追記
兼山水力専用鉄道廃止届は1955(昭和30)年6月25日に出されており、ダム完成後関西電力に移管されてからも暫くは使われていました。

参考文献:
鉄道省文書・日本発送電・昭和十五年~昭和二十四年(日本発送電、鉄道省)
可茂地域にある木曽川水力の歴史(和田 義昭/編 八百津町教育委員会発電所資料収集展示研究会)

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専用線跡 | 00:00:00 | Trackback(0) | Comments(0)
大井川鉄道SLフェスタ2017~その3~
川根両国から千頭を越えてスタート地点の崎平まで歩いて戻ってきました。
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丸ズーム21000系を撮るため午前中に目を付けていた崎平駅千頭方の踏切へ。
ですがまずC11 190+トーマス客車で練習。

DSC_1136.jpg
本命の21000系。モハ21003をどアップで。
引きつけ過ぎてパンタ上の余裕がほとんど無い・・・(爆)

DSC_1131.jpg
その前に気付いたこと。
左に見える速度制限標識が八角形の旧型ですね。

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かつては国鉄もこれだったようですが今でも一部私鉄で見られます。写真は北陸鉄道浅野川線北間駅付近のもの。
ほかでもえちぜん鉄道や山陽電鉄、大手私鉄では阪急、阪神電鉄でも見た覚えがあります。
因みに阪急、阪神は同じ八角形でもサイズが小さいのであまり目立ちません。

DSC_1140.jpg
最後は千頭からE102牽引の客車急行でお帰り~。
特急はつかりスタイルのスハフ43に乗ろうかと思ったら既に席が塞がってました~(- -)~
帰りはED501いぶきがおらず重連ではありません。
ED501は一足先に蒸機列車の後補機に付いて新金谷へお戻りでした。

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東海私鉄 | 23:41:50 | Trackback(0) | Comments(0)
大井川鉄道SLフェスタ2017~その2~
千頭の後は川根両国へ。
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黒貨車の列がいつも気になります。

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Cシキ301。1954(昭和29)年飯野産業で製造された大物車。
飯野産業製ってことは舞鶴生まれの貨車と言うことですね。

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さらに川根両国へ近付くと側線がまた1本分岐し・・・

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貨物ホームにCトキ226+Cトキ230が止まっています。
このホームのある場所は中部電力の敷地内のようですが中部電力専用側線なのでしょうか。
それにしては枕木ばかりが置いてあるので大井川鉄道の業務用(保線?)側線かも知れませんが。

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川根両国では井川寄りの両国吊橋から3両のDL並びを撮影できるようになっていました。
左からDB8(加藤製作所1952年製)、DD107(三菱重工業1960年製)、DD206(日本車輌1986年製)。
塗装し直されたばかりと見られる右2両は白で塗られていた部分が黄味の強い色になっています。
DD107は廃車から30年以上経ちましたが新車のような状態。
それにしても吊り橋上なので撮影するにも足元が揺れて手振れ以前の問題が(爆)
歩くときはお静かに(笑)

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DD107は台車まで美しい状態。
構内入換用に現役のDB8は順番的に今度再塗装かな?

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こちらは足元はしっかりしてますが歩道がないので自動車に気を付けねばなりません。
交通量は少なく静かな場所なので音に注意すれば良いのですがたまに来る車が高確率で大型車です。

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この日は井川線の土砂崩れ不通区間接岨峡温泉~井川が全通した日でもありました。
また近いうちに乗りに行きたいところ。

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スイッチャー | 00:08:12 | Trackback(0) | Comments(0)
大井川鉄道SLフェスタ2017~その1~
大井川イベントに行ってきました。
そんなメジャーなところに何故?と言われそうですがC10 8ラサ工業仕様に魅かれて行ってきました。

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まずは崎平で降りて大井川第二橋梁へ。
超有名どころですがバックの大札山(1373.6m)に雲で陰影が付いたさまが渋くて気に入ったのでここで撮影することに決定。
金谷から乗って来た旧南海高野線の丸ズームモハ21003+モハ21004が千頭から戻ってきたのを後打ち。
因みにこの周囲は物凄い人出・・・中にはマナーの悪い路駐もあり静岡県警のミニパトの姿も。

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E102+ED501重連の客車急行。最後尾のスハフ42は大阪環状線仕様(嘘)
この三菱電機標準型も今ではここと近鉄塩浜工場のデ32だけになってしまいました。

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ラサ工業仕様C10 8+C56 44+客車7連。
大札山に煙幕張られてしまいました~(T T)
通常鉄ちゃんは爆煙に喜ぶはずですが(^ ^;)

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1駅歩いて千頭へ。間にトンネルがぶち抜かれたため歩いても20分程度。
着いたら丁度入換を始めたところ。
後ろの方がトラジマにヘッドマーク無しで専用線の機関車らしい雰囲気です。
元々広大な貨物ヤードを有する千頭駅の情景、これで入換する車両が黒ワムとかだったらもう完璧です。

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本線走行より入換の方がやはり雰囲気がいいですね。

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今度は転車台への入換中。
そう言えば今時本線上にダルマ転轍機があるのも珍しいですね。

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向きを変えて再び出てきたところ。
トラジマ塗装がイベント期間の2日間限定と言うのは惜しい気がします。
新金谷での入換も撮って見たかったです。

●ラサ工業宮古工場専用線
C10 8が活躍したのは山田線宮古~磯鶏駅間の貨物ヤードから分岐していたラサ工業宮古工場専用線
作業キロ:私有機3.0km、国鉄機1.4km
総延長キロ:6.1㎞
作業方法:国鉄機、私有機、移動機
ラサ工業宮古工場は田老鉱山の銅鉱石精錬を行っており、高さ160mの大煙突は宮古市のシンボルタワーでもありました。
田老鉱山で採掘された銅鉱石は索道で宮古港へ運ばれ、宮古臨港線、山田線、専用線を経由して工場へ搬入していました。
専用線ではC10 8の他にこれも国鉄払い下げのC11 247、無煙化後の後継機としては国鉄DD16同型のDD52 1がいました。
DD52 1はラサ工業専用線廃止後も最近まで岩国の日本製紙専用線にいましたね。

宮古港や臨港線など所縁のある地域は東日本大震災の地震、津波の被害を受けています。
山田線宮古~磯鶏~釜石の区間もまだ鉄道の不通が続いてます。

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スイッチャー | 23:41:31 | Trackback(0) | Comments(0)
旧・荘川営林署庁舎のレール
水没した荘川営林署尾上郷、森茂・六厩川森林鉄道のレールですが荘川から離れた場所で今も使われています。

1960(昭和35)年の御母衣ダム完成後1962(昭和37)年に荘川営林署は庁舎を荘川村(現・高山市荘川町)から白鳥町(現・郡上市白鳥町)へ引っ越しました。
尾上郷林鉄、森茂・六厩川林鉄は大部分の区間が水没するため撤去、電源開発の保障による道路林道への付替えがなされたものの一部の区間がまだ残っていたようです。ただし1961(昭和36)年度を最後に林鉄車輌の配置が無くなっているので実質廃止状態だったのでしょう。
村の多くの地域が水没し人口の流出した荘川村にとって村民の大口雇用先である営林署に出て行かれては堪りません。
引き止めましたが荘川営林署としてはダムに管轄区域が分断され、特に森茂、六厩川国有林へのアクセスが非常に不便になったことから管轄区域の再編を考えてのことでした。
後に岐阜営林署の管轄区域を一部所管替えされ、森茂、六厩川国有林は1964(昭和39)年に飛騨古川の古川営林署に引き継がれ、残っていた森茂・六厩川林鉄六厩川線も引き継がれてます(古川営林署への機関車、運材貨車、モーターカーの配置は無くこちらも列車の運転は無かった様子)。
営林署管轄区域自体が大きく南へオフセットしたことになります。

さて引越し先の荘川営林署新庁舎・・・当時署内の路線撤去で発生した林鉄用6~9kgレールも資材として持って行ったようで・・・。

DSC_0837_20170312212208a50.jpg
長良川鉄道美濃白鳥駅のすぐ傍にある旧・荘川営林署庁舎。
横を通って行くのは美濃白鳥を発車した北濃行ナガラ306。
この敷地には元々省営→国鉄バスの営業所があり、その移転した跡を譲り受けて庁舎と貯木場をつくったとか。

DSC_0838.jpg
現在は中部森林管理局岐阜森林管理署(元の小坂営林署)の白鳥森林事務所となり、隣に木造庁舎を建てて再移転したようです。
尾上郷国有林も今では高山の飛騨森林管理署の管轄となり、元々荘川署の地盤だった地域とは関係が無くなってしまいました。

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その裏手、貯木場の跡には郡上市立図書館が建っており、駐車場の柵に林鉄のものと思しきレールが使われています。
長良川鉄道の前身・国鉄越美南線が貨物営業を行っていた頃は側線もあってここから木材が貨車積みされていたようです。

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か細い6kgレールの向こうに見えるのはそれよりはるかに太い長良川鉄道のレール。

荘川村に営林署があった頃は国鉄線も通っておらず名古屋営林局管内で最も不便な地にあるとして同署への転勤は敬遠されたとか。
荘川以外から転勤して来た署員には町場の白鳥への庁舎移転は歓迎されたようです。(- -;)
飛騨の田舎で「こんな町もう嫌や」と言ってたら町の大部分が水没(原因は違うけど)して移転・・・ってそんな映画が去年ありましたね。
飛騨古川も山越えて隣ですし・・・。

参考文献:
白き山を守り継ぐ 荘川営林署開設100周年・白鳥町移転30周年記念誌(荘川営林署記念誌編集委員会 編)
荘川村史 下巻(荘川村)

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森林鉄道(名古屋営林局) | 21:55:02 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋営林局荘川営林署尾上郷森林鉄道~尾上郷(海上)貯木場2~
引き続きダム底から現れる荘川営林署尾上郷貯木場~。

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林鉄関係の施設は尾上郷川上流側(右)に固まっていました。

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尾上郷貯木場平面図を元に線路(赤線)と林鉄関係の施設を書き込み。
製材工場へ引き込まれていた線路は直角で描かれています。転車台で山トロを1台ずつ90度方向転換して手押しで建屋内に押し込んでいたのでしょうか?
砂焼場では機関車の滑り止めの砂を焼いていたものと思われます。

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尾神橋上から上流側を見た様子。森林鉄道尾上郷幹線の路盤は見出せません。
上の方には電源開発の手で森林鉄道から付け替えた道路林道の日照岳林道の橋が見えています。
この林道は入口にゲートがあり車輌での進入は不可です。

●尾上郷森林鉄道の車両
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以前の再録ですが荘川営林署の各年度別車両は図の通り、この内で尾上郷所属がどれだけかは不明。
北飛騨の森林鉄道は大阪営林局の手で運営されていたためか帝室林野系が主体の名古屋営林局の他の林鉄とは毛色が違います。
機関車を取って見てもホイットカムや松岡産業機など近畿、中国地方の林鉄機関車に近いです。

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イラストは加藤製作所の代燃ガソリン併用機関車。重量は4~5tクラスでしょう。
モノクロ写真しかなく塗色は不明なので取り敢えず林鉄に多いグリーンにしてます。
屋根上には水タンクが載ってます。札幌営林局大夕張営林署9号機の水タンクをさらに大きくしたような感じです。
水タンクからパイプが動輪上に引き込まれてますが急カーブの多い尾上郷林鉄では常時動輪に散水して横方向の摩擦を軽減していたようです。
また急勾配区間で砂を撒き粘着力を得たい場合、動輪上によく焼いて乾燥させた砂と水を撒くことで踏面に砂を付着させ滑り止め効果を高めるという工夫を凝らしていました。
通常のレール面へ砂を撒く方法では6kgレールは細過ぎて動輪通過前に振動で砂が落ちてしまい滑り止めの効果が薄かったとか。
運材貨車は最後まで木製の山トロが中心で堀田式ブレーキ付き、自動ブレーキ付き、ブレーキ無しなどの種類があった様子。
森茂の写真ではボギー運材貨車もあったようですが尾上郷にいたかは不明。
モーターカーは尾上郷貯木場車庫に富士重工業製T3らしき車が入庫してる写真を見たことがあります。

●運材列車
列車は機関車+山トロ10両程度を牽き、孕車(木材を積んだ列車)も乗り下げではなく機関車が牽引しました。
尾上郷では中間に自署製の自動ブレーキ付き山トロ、最後尾から2両目に堀田式ブレーキ付き山トロをつなぎ最後尾に制動手が乗務し堀田式ブレーキを操りました。

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尾上郷貯木場の南側から秋町方面を見た様子。
尾上郷川を挟んでこちら側は高山市荘川町(旧・荘川村)、向こう側は白川村です。
白川村側で正面の山の裏側には荘川署もう一つの林鉄森茂・六厩川森林鉄道の起点となっていた秋町貯木場がありましたがそちらはダムサイトに近いせいか水をもっと抜かない限り水面上に出てくることはないようです。

参考文献:
白き山を守り継ぐ 荘川営林署開設100周年・白鳥町移転30周年記念誌(荘川営林署記念誌編集委員会 編)
直営生産研究報告集 昭和27年度(名古屋営林局作業課)
  トロリー自動制動機に対する一考案(荘川営林署農林技官 檜坂 正男)
  内燃機関車マグネットに関する一考案外(荘川営林署林業手 谷川 一一)
   Ⅰマグネットに関する一考案
   Ⅱトロリーの堀田式制動と自動制動の併用について
名古屋営林局統計書(名古屋営林局)

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森林鉄道(名古屋営林局) | 22:48:31 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋営林局荘川営林署尾上郷森林鉄道~尾上郷(海上)貯木場1~
1957(昭和32)年に着工した電源開発(現J POWER)御母衣ダム。
1960(昭和35)年に完成し荘川村(現在は高山市荘川町)は中野、岩瀬、尾神地区など村の3分の1、白川村の秋町、福島地区などの合掌造り集落のほか荘川営林署の森林鉄道2路線も湖底に沈みました。
尾上郷森林鉄道の拠点となっていた尾上郷貯木場・・・地区名から海上(かいしょう)貯木場とも呼ばれました。
普段は見ることができませんが雪解け水の流入に備えて水が抜かれる冬場にその姿を甦らせます。

尾上郷森林鉄道は1935(昭和10)年に開業してますがその翌1936(昭和11)年に尾上郷貯木場が開設されています。
当時は大阪営林局荘川営林署でしたが1947(昭和22)年4月の林政統一時に名古屋営林局に編入されています。
閉鎖されたのは御母衣ダム建設中の1958(昭和33)年です。

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国道156号線上から見た荘川営林署尾上郷貯木場全景。
手前を流れるのが尾上郷川で奥が庄川の本流です。

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最も目立つのは学校のプールのような2つの水中貯木場。
荘川署の木材の主役ブナ材は腐り易いため虫が付いたりしないように水中に浮かべて保管していました。
森林鉄道はこの水中貯木場を取り囲むように敷設されていました。
山トロに載せられてきたブナ材はここに投入されます。
ヒノキやスギなどは逆に良く乾かさなければならないので地上に積み上げられます。

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貯木場の横には工場、製材工場の跡があります。
左(北側)が工場、右が製材工場。モルダーや鋸など大型機械の据え付け跡でしょうか。
右奥には事務所や木炭倉庫が並んでいた様子。
工場や倉庫へは当然林鉄の側線が引き込まれていました。

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北の角には国道156号線旧道のカーブが見えます。高台の貯木場から尾上郷川へ降りて先代の尾神橋で渡ってました。
既に水位が上がっており橋の取り付け部などは水没してます。
ここをかつては国鉄バス白城線(美濃白鳥~鳩ヶ谷・・・後に名古屋~金沢に延伸され名金線)も通っていました。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 23:00:55 | Trackback(0) | Comments(0)
松村商店、石山商店専用線(北陸鉄道金石線長田町駅)
中橋を出て次の長田町駅との間に専用側線が本線と並行していたようです。
松村商店(現在は松村物産)は石油、石炭、ガスの販売を行っており、無蓋車で石炭、タンク車で石油の到着があったものと思われます。
石山商店の方は不明ですがこちらも石油?
専用線敷設時期は不明ですが、1971(昭和46)年9月1日の金石線廃止の頃まで残っていたようです。
同社のWebサイトによるとは1927(昭和2)年12月創業、石炭、コークスの販売を始め1931(昭和6)年4月より石油製品の販売を開始したとあります。

●松村商店専用線
作業キロ:0.5km
作業方法:社機

●石山商店専用線
作業キロ:0.1km
作業方法:社機

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中橋から県道60号線を渡ってすぐ東側(右)に松村物産管理の土地が駐車場になって拡がります。
当時の航空写真では工場になっており、長田町側から専用線が分岐して中に入っていた様子。
歩行者専用道が金石線本線で右に側線が入ってました。
この右の建物は窓サッシがスチールサッシで古めかしく専用線現役時から建っていたものではないかと思われます。

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中橋方面を振り返った様子。中央奥に見えるビル群の手前が金沢駅。
駐車場はかなり広大です。

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鉄道門・・・ではないですよね。
位置的には線路があってもおかしくない場所でしたが・・・。

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遊歩道が金石街道に合流する個所が長田町駅。
石油タンクなどは当時もここにあったようです。
長田町駅があった場所は松村物産のGSになってます。横を金石線代行の路線バスが通過中。


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専用線跡 | 21:04:03 | Trackback(0) | Comments(0)
上越、ほくほく線経由で金沢へ
今回は専用線跡めぐり合間(?)に乗った列車~。
朝宿泊地の高崎から金沢まで~。
上越線でのんびりしてたのに上越妙高~金沢間で新幹線を使うとそれでも昼時に金沢へ着いてしまいます。

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高崎から。最初は107系。車内はロングシートですが走行音はかつての急行型電車そのもの。

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トンネルを抜ける前から雪国です。水上で長岡行に乗り換え。

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今回初乗りのE129系。
まだ新しい車輌ですが貫通幌に雪が溜まって都会の新形電車とは違う趣のある表情に。

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越後湯沢から乗った北越急行HK100形、超快速スノーラビット。この車両も初乗り。
トンネル内の氷柱対策で設けられた前面窓の防護柵が厳めしいです。
JR上越線→北越急行ほくほく線→JR信越本線→越後トキめき鉄道と3社4路線直通と言うのも魅力的。
雪煙を巻き上げて赤倉トンネルに突入、この先まだ雪が深くなるぞと思ってたら十日町もまつだいも越後湯沢より雪がなかったです。

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新幹線はお土産買ってたので撮れてません(爆)
次は西泉の政府倉庫専用線跡を巡った後。
北陸鉄道石川線7000形。この車両も東急から金沢に来てもう27年目。
このクハ7011+モハ7001。東急時代の番号はそれぞれデハ7049、デハ7050とのこと。
この編成は非冷房車なので夏場は基本的に走りません。

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撮影行 | 23:06:52 | Trackback(0) | Comments(0)

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