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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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長野県天竜川砂利採取専用線(飯田線千代駅)~その2~
2017(平成29)年2月9日追記
後で得た情報なのですが突っ込み線トンネル自体にも積込み用シュートの跡があるようです。
となると以下の入換手順は不正解~(_ _;)
入換作業と言うのは実に奥が深いです。
なおここのホッパートンネルや外のホッパー跡は天竜川よりかなり高い位置にあり、ダンプカーが接近できるような道路もありません。河原からここまでは砂利輸送用の索道でもあったのかと思われますが・・・まさかインクラ軌道ではあるまいな(怪)


千代駅専用線現地調査から入換手順を推定して見ました。
素人が見よう見まねで考えた入換方法であって実際はどんなだったかわかりませんがヽ( ´_`)丿
上が飯田・辰野方、下が三河川合・豊橋方です。
ホッパーには1回で3両分の砂利を積込み可能と言う前提でシミュレーションしてます。
牽引機はED21。
身延線の前身の富士身延鉄道が1928(昭和3)年に日立製作所で製造した56t機。
一地方私鉄としてはかなりの重量級です。
ED211~3の3両がおり、1953(昭和28)年に身延線から飯田線豊橋機関区へ転入(後に中部天竜支区へ移動)ということから三河川合~千代の宇連ダム砂利輸送シャトル便運行のために転入したのでしょうか。因みに飯田線転入直前に西武鉄道へも貸し出されていた様子。
ed213.png
後に黒四ダムセメント輸送の三岐鉄道へ貸し出されたり大糸線へ転出したりしてダム建設資材輸送に関わりが深かったようです。
ED211は宇連ダム輸送後1959(昭和34)年に廃車されますがED212、3は私鉄買収機国鉄居残り組としては長命で1973(昭和48)年まで活躍しました。

①三河川合発千代行貨物列車到着
chiyo1.png
三河川合からED21+トム×10両+緩急車(ワフ)の編成が2番線に到着。

②突っ込み線へ引き上げ
chiyo2.png
ワフ(緑色で示した車)を切り離して突っ込み線トンネル奥まで貨車を引き上げてホッパーのある積込線へ分岐器切替え。

③3両積込み
chiyo3.png
ホッパーに3両が掛かる位置まで推進、積込み。

④2両積込み
chiyo4.png
積込線有効長ギリギリまで編成を押し込み次の2両に積込み。

⑤突っ込み線へ引き上げ
chiyo5.png
突っ込み線トンネル奥まで一旦引上げ。分岐器を2番線へ切り替え。

⑥積込み済みのトム×5両を2番線へ突放
chiyo6.png
積込の終わったトム5両を2番線へ突放、ワフに連結して停止(又はワフ手前で停止)。
空の5両+ED21は分岐器手前で停止、再び分岐器を積込線へ切り替え。

⑦3両積込み
chiyo7.png
ホッパーに3両が掛かる位置まで推進、積込み。

⑧2両積込み
chiyo8.png
積込線有効長ギリギリまで編成を押し込み次の2両に積込み。

⑨突っ込み線へ引き上げ
chiyo9.png
突っ込み線の分岐器まで引上げ。分岐器を2番線へ切り替え。

⑩再度1本の編成に組成
chiyo10.png
2番線に入り先に積込みが済んでいた5両へ後の5両を連結。

⑪機回し
chiyo11.png
ED21がワフを迎えに機回し。

⑫ワフを引上げ
chiyo12.png
ワフを連結して推進運転で下村トンネルまで一旦引上げ。

⑬ワフを引き逃げ、編成最後尾へ連結
chiyo13.png
下村トンネルから加速、一旦ノッチを切った瞬間にワフに乗務した車掌が解放テコを上げて連結を外す。
ED21だけ本線上を急加速、分岐器を通過したらすぐに分岐器を2番線へ切り替え。
ワフは2番線へ入りトム10両の辰野方に連結。
この作業方法は引き逃げとか逆突放、引き放とか呼び方があるようですが突放以上に見かけることが少ないです。
比較的最近では5年前までワム80000が使われていた春日井の専用線で見られたくらいでしょうか。

⑭積込み、入換完了
chiyo14.png
ED21が豊橋方に連結され三河川合へ折り返しの準備が完了。
車掌車・緩急車が付くと手順が増えて扱いが面倒ですね(- -;)


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専用線跡 | 23:57:48 | Trackback(0) | Comments(0)
長野県天竜川砂利採取専用線(飯田線千代駅)~その1~
飯田線の秘境駅として知られる千代駅。
この駅は三信鉄道時代に開業していますが貨物取り扱いを始めたのは戦後になってからです。

天竜川は天竜峡で伊那盆地から急に川幅が狭まっており土砂や砂利が溜まり易い場所です。
また下流に泰阜ダムができたことで堆砂が促進され河床が上昇していました。
これでは水害の元になるので浚渫工事が必要になります。
丁度同じ頃農林省が豊川用水の宇連ダム建設を進めておりコンクリート骨材として砂利を必要としていました。
宇連ダムは三河川合駅から2kmばかり宇連川を遡った場所で千代駅とは飯田線一本でつながっています。
そんな背景があって千代~三河川合に元富士身延鉄道の買収電機ED21+トム10両の砂利輸送のシャトル列車が運転されました。

着駅の三河川合駅については以下で以前取り上げています。
農林省京都農地事務局→愛知用水公団専用線(飯田線三河川合駅)

千代駅は1953(昭和28)年4月1日に専用線発送の車扱い貨物の取扱い開始しています。
専用線使用者が長野県となっていることから県営事業で浚渫工事を行っていたようです。
第3者使用は天竜川河床整理組合とありました。
作業キロ:0.1km
作業方法:国鉄機



DSC_0252.jpg
千代駅豊橋方。側線の一部は現在も保線車留置線として流用されています。
留置線の向こうに見えるのは天竜の流れ。

DSC_0256_20170129231148a6f.jpg
留置線はホーム中ほどで行き止まりになっています。
遠くに見える紅白の櫓は三遠南信道の天竜川架橋工事現場。

DSC_0251_201701292311351da.jpg
留置線末端には開渠の跡がしっかり残ってます。

DSC_0212_201701292311156f7.jpg
辰野方には第4種踏切がありホッパー跡のある川側へ渡れます。
踏切の向こうに四角いコンクリート塊が見えてますね。

DSC_0228_20170129231134504.jpg
ここにも開渠が2本分残ってます。奥から本線、2番線(仮)、一番手前はちょっと角度を付けて分岐した積込線のもの。

DSC_0200_20170129231109b62.jpg
積込線の橋台を2番線上から。

DSC_0227_20170129231132f71.jpg
積込線上から見た飯田方。飯田線本線はすぐに下村トンネルに入って行きます。
2番線と積込線はこの先で合流してその先には・・・。

DSC_0204_20170129231112714.jpg
下村トンネルと並ぶ2番線延長線上の突っ込み線トンネルに入って行きます。
冬枯れの時期なのにモサモサ状態で坑口上部は見えますがトンネルの穴が見えません。
この日はかなり暖かく真冬なのにハチがのんびり飛んでたり・・・暑い(- -;)

DSC_0214_2017012923112935f.jpg
積込線開渠上から末端方向を見た様子。右に見える四角い陰はホッパーのコンクリート土台です。
ここも枯草でモサモサ状態。何だか温暖な三河地方南部のような感じです。これも温暖化の影響か?

DSC_0217_20170129231131db1.jpg
ホッパー跡から飯田方を見た様子。左に見える円筒形のコンクリートは古井戸。
中に水があるのかは周囲が明々としてるためコントラストがきつく確認できず。
はまると危険なので訪れる方はくれぐれもご注意を。
この井戸はホッパー関係ではなく隣の畑のものと思いますが詳細不明~。

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専用線跡 | 23:44:34 | Trackback(0) | Comments(0)
移動機アルバム更新
西宮後停留場の「移動機アルバム」久々の更新です。
北の貨車移動機ですが動けるものが一つもない・・・(^ ^;)

濁川の古典移動機 ・・・旧・渚滑線北見滝ノ上駅
丸瀬布いこいの森の半キャブラッセル・・・丸瀬布いこいの森
北見の半キャブ保存機 ・・・北見市内石北本線の直上

nigorikawa-160717-1.jpg
濁川駅にいた5t移動機。
配置された頃は北見営林局滝ノ上営林署濁川森林鉄道が健在でした。
林鉄の機関車とも並んだり・・・あるいは林鉄廃止後上松へ転属する機関車が積載されたチキ車を入換したりしてたのでしょうか。

IMG_3465.jpg
因みにうちから近いところにいる滝ノ上から上松へ転じた協三10t機。
北見局滝ノ上署濁川林鉄46 or 47→長野局上松運輸署王滝林鉄No.127
定光寺自然休養林の長野営林局No.127


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スイッチャー | 23:28:41 | Trackback(0) | Comments(0)
魚梁瀬森林鉄道宝蔵線(2級線)~水面下から現れる軌道~
魚梁瀬ダムによる水没区間の石仙で田野、奈半利の両貯木場から延びてきた魚梁瀬森林鉄道1級線区間は終り。
さらに奥へ2級線の支線が延びていました。
その内の宝蔵線がダム湖水面上に出てくるところ。
DSC_0620.jpg
左の西川(奈半利川本流)と右の中川の出合。
西川沿いに西川事業所方面の宝蔵線、中川沿いに中川事業所方面の中川線が延びていました。

DSC_0628.jpg
中川橋よりダム湖側を見た様子。

DSC_0626_20170119233843d41.jpg
変わって上流側を見ると西川事業所へと延びていた宝蔵線の軌道跡が水面下・・・というより堆積土砂の下から現れます。
堆積土砂が一杯ある割に水は澄んだ美しい青を見せています。
この辺は多雨地帯ですが大雨が降ると土石を大量に押し流して来るのでしょうか。
丁度この却下付近で中川線が分岐して奈半利川を渡り中川の谷へ入っていました。

DSC_0623_20170119233841cd4.jpg
右岸沿いにうねりながら遡って行く路盤がくっきりと見えます。

DSC_0618.jpg
道路上から見下ろすと2本のコンクリート割り箸・・・ではなくてガーダーが残ってるのも見えました。
宝蔵線はこの先さらに赤度支線を分岐しそれぞれの線路が徳島県境近くまで延びていました。

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森林鉄道(高知営林局) | 00:01:32 | Trackback(0) | Comments(0)
桑名駅~貯木場連絡側線&運河 ~その2 桑名貯木場~
桑名貯木場への流送材は飛騨材が主だったということから飛騨小坂の朝六橋~桑名貯木場~桑名駅までのルートを描いてみました。

川の形は明治時代のヨハネス・デ・レーケによる治水工事以後の姿としてます。それ以前は流路が複雑過ぎて良く分かっていない(^ ^;)
実に160㎞以上の長さ。途中下麻生綱場(岐阜県川辺町。高山本線下麻生駅付近)までは1本ずつの管流しを行い、下麻生で筏に編成、犬山や笠松で乗り組む筏師が交代して桑名まで下ります。
途中木曽川、長良川、揖斐川と移りますが木曽川と長良川では水位に大きな差があるため両河川間に船頭平閘門を挟みます。

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揖斐川から桑名貯木場への入り口。
石積みは大半が積み直されているようですがこの水門付近は当時からのものでしょう。
桑名貯木場は桑名城址の堀を利用し1882(明治15)年に農商務省山林局が設置。
宮内省御料局(後の帝室林野局)が新設されるとそちらに引き継がれ名古屋の白鳥貯木場を補完する役割を持っていました。

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水門から水中貯木場(堀)を見た様子。
桑名城は廃城後石積みが四日市築港に利用され城郭時代の石垣はあまり残っていません。
桑名藩幕末の藩主松平定敬は幕府側の会津藩主松平容保の弟で明治新政府側からも敵視されてましたが桑名では会津若松のような市街戦が行われることはなく無血開城してます。

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がここまで徹底的に城址が潰されてるのは賊軍の城と言う考えが山林局の役人にあったのか・・・ついつい勘繰ってしまいます。
今は水中貯木場がそのまま九華公園の池となっています。

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桑名貯木場の運河とは別に堀を利用したこんな風情のある運河もあります。
ここの石積みは桑名城時代のものが残っているとのこと。

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そしてこんな運河も。
この運河は三重交通北勢線桑名京橋駅(西桑名~桑名京橋は1961(昭和36)年11月1日廃止)に続いておりかつては北勢線とも水陸連絡が行われていたのでしょうか。
背後は諸戸氏庭園。重厚な和風建築の諸戸家本邸、コンクリート倉庫、赤レンガ倉庫が並び建物見本市状態。
諸戸家の諸戸清六は明治時代に桑名で急成長した実業家ですが紀伊半島などで木材業も営み現在の諸戸ホールディングスに連なります。
紀伊半島には諸戸林業の森林軌道(スーパーカブで運材貨車を牽いていた!)もありました。

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未分類 | 23:10:35 | Trackback(0) | Comments(0)
桑名駅~貯木場連絡側線&運河 ~その1~
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桑名駅名古屋方にあった日通専用線跡。
時を遡ると帝室林野局熱田出張所桑名貯木場から木材を搬出、後には民間の貯木場へ木材を搬入する役割を持っていたようです。
側線跡には以前倉庫が建っていましたがいつしか駐車場になってしまいました。

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道路を挟んで反対側にはぷっつりと不自然に途絶えたドブ川が・・・。

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これこそが桑名城址の桑名貯木場と側線を結んだ運河です。

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多くの橋が架かって舟で通ることは難しそうですが丸太を上げ潮に載せて駅まで運んでいたとのこと。

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国道1号線を越えると後につくられたという民間の水中貯木場跡。
今は埋め立てられてマンション群や西松屋、スポーツクラブが建ってます。

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そこを過ぎるともう揖斐川の堤防(奥の並木)が見えてきます。

DSC_0086_201701102205135bc.jpg
堤防上から桑名駅方向を見た様子。
現在は揖斐川との間にはポンプ場があり、運河と揖斐川は直接つながっていないようです。

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反対側は揖斐川と長良川。ちょうど長良川河口堰のすぐ傍です。

専用線跡 | 23:35:04 | Trackback(0) | Comments(0)
魚梁瀬にいる特殊軽量機関車
魚梁瀬には地元だけでなく鳥取や静岡の林鉄機関車もいます。

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岩手富士産業K-22D形特殊軽量機関車。
自重はバラストで調整することができ1.9~2.5tの間で変更することができます。
この機関車は大阪営林局1953(昭和28)年購入の局番21号機で当初は新宮営林署大塔林道(和歌山県)で使われたようですが間もなく鳥取営林署畑ケ平林道へ転属。
こちらでは1956(昭和31)年度で直営生産事業(営林署が直営の伐採事業)が中止となると運材を請け負う木材業者に払い下げられます。
国有林、林道は営林署が持ち、伐採や造林、運材列車の運転は業者任せになったということでしょうか。
その後残っていた畑ケ平林道霧ヶ滝線の軌道運材が1964(昭和39)年に廃止されてからも長く保管され1994(平成6)年に魚梁瀬入り、動態復活しています。

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自重や運転装置は機関車と言うよりモーターカーに近いです。
それでも小さいなりに両運転台構造になっており、林鉄の一般的なL字型車体の片運転台機関車のように後進時に運転士さんが体を無理に捩じって運転する必要はありません。

DSC_0679_2017010623145565a.jpg
運転台構造。
中央のブレーキレバーはオリジナルでしょうがスロットルなどは垣内で動態復元した際にオリジナルとはちょっと違う形になったようです。
メーカーカタログによるとK-22D型は自動遠心クラッチ装備。
自動遠心クラッチ装備の小型モーターカーはシフトチェンジの操作が不要ですがこの機関車にはクラッチペダルが付いてました。
スーパーカブは自動遠心クラッチ装備でもシフトチェンジ操作が必要なのでそれと同じなのでしょうか?

参考文献
林鉄の軌跡―大阪営林局管内の森林鉄道と機関車調査報告書(伊藤 誠一・著/ないねん出版)
林業機械(三品忠男 著/林野共済会)


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森林鉄道(大阪営林局) | 08:45:38 | Trackback(0) | Comments(2)
笹島散歩~その3~
笹島シリーズの終わりは向野橋。
笹島貨物駅廃止後も信号場として残っている側線や名古屋車両区を見渡せるため鉄道ファンの人気スポットです。

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この橋自体も旧・山陰本線保津川橋梁からの転用と言う年代物のトラス橋。

DSC_0026_20170106221853be7.jpg
1899(明治32)年アメリカA&Pロバーツ社製のプラットトラス橋です。
この橋は1928(昭和3)年に架け替えられていますが新設から30年足らず・・・とやけに早い時期に架け替えられてます。

DSC_0023.jpg
その原因としてはこのトラス橋が保津川に架かっていた当時起きた脱線事故が絡んでいるようです。
1922(大正11)年4月3日山陰本線園部17時2分発京都行110列車。
編成は251+ト25123+ト18612+ト18652+カ5749+ワ50509+クム34355+ホト6075+ワフ31196+ヨ4428+ハ4992+ハ4990+ロ459+ハ4986+ハ4985+ハフ2857。
タンク機が貨車9両、マッチ箱客車7両を牽く貨客混合列車でした。
ホトだけボギー車で後は全て二軸車ばかりの編成です。
この列車は亀岡を17時36分に発車、17時45分頃に保津川鉄橋東口第二隊道通過中に4両目の貨車(ト18652)が脱線、後続の貨車、客車も巻き込まれて保津川橋梁に突っ込み車両は大破、トラス橋を破損して一部車両が乗客、乗務員もろとも保津川に転落。
この列車には当時の京都を代表する実業家 田中源太郎が乗車していました。
彼は京都電燈(現在の関西電力、京福電気鉄道)や京都株式取引所(京都証券取引所)、さらに山陰本線国有化前の京都鉄道設立にも携わり社長を務めています。
明治になって寂れていた京都を産業、政治面から建て直した人物でしたが皮肉なことに元の自分の会社の鉄道事故で亡くなりました。

DSC_0029.jpg

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事故の後しばらくは折れた梁を修復して使っていましたが新しいトラス(汽車会社製)を調達できたためか事故から6年後に名古屋の現在位置へ道路橋として転用されています。
よく見ると今でも当時列車がぶつかって破損した個所を切り継いだ跡が残ります。


以下は話まで脱線して余談です・・・。
事故列車ですが編成が切れて無事だった牽引機230形251号(汽車会社製)はトラス橋と同じ名鉄局に移ったようで戦後1951(昭和26)年美濃太田区で廃車。

DSC_3667.jpg
客車にはハ4975形が4両(ハ4986,4985,4990,4992)も入ってますが加悦SL広場で保存されてるハ4995号と同型車。
ロ400形(ロ459)も同型ロ481号がJR四国の多度津工場で保存されてます。
牽引機の230形251号も同型の233号が京都鉄道博物館で保存されてますね。

参考文献
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)
京都企業家の伝統と革新(安岡 重明・著/同文舘)

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未分類 | 22:53:36 | Trackback(0) | Comments(0)
笹島散歩~その2~
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名鉄、JR東海道線、中央線、東海道新幹線のガードをくぐってささしまライブ24に入ったときに南に目をやるとこんな線路が新幹線高架下に残っているのが見られます。

DSC_0042_20170103234747dfe.jpg
しかも向こう(南)から来る線路と不自然な形で交差するように延びてます。
その接続していたはずの場所には円形に何かを埋めた跡・・・そう、転車台の跡です。
ここには二軸貨車用の小型転車台がありました。

DSC_0044_201701032347498de.jpg
この横に拡がる光景は近代的なささしまライブ・・・転車台や線路跡とはまったく異次元の世界です。

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反対側から見ると新幹線や名古屋駅のビル群がバックに・・・かなり異様な光景ですね。

sasashima.png
この線路や転車台はは櫛形に入っていた側線群を後ろからつなぐ役割を持っていました。
普通に入換で貨車Aを貨車Bの後ろに連結しようとすると編成を牽きだしたり押し込んだりかなり面倒な手順が必要になりますね。
これを転車台と側線どうしを横につなぐ上の線路を使用すると貨車A以外の車両を移動させる必要がなくなります。
この上の線路には機関車は入れませんが貨車をワイヤーとウインチで移動させる装置があったそうです。

DSC_0064_20170103234752026.jpg
ささしまライブの西寄りにあるマンションの下にはこんなものが・・・
ナベトロ風の花壇??
貨物駅跡に因んだものなのでしょう。

DSC_0067_201701032348173d5.jpg
レールや車輪はJRの中古でしょうかね?
実測してませんがゲージは恐らく1067㎜でしょうね。
レールはトロ用ではナローばかり目にしてるため滅茶苦茶にごつく見えてしまいます(爆)

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真横から見るとますますナベトロっぽいですね。
それとも昔の九州の石炭車?

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専用線跡 | 17:31:46 | Trackback(0) | Comments(0)
笹島散歩~その1~
名古屋で船から鉄道への水陸連絡は東海道本線貨物支線の名古屋港線(東臨港線)が開業していましたが更なる輸送力増強のため名古屋港線に並行する形で1930(昭和5)年に中川運河が開通しています。
港で水陸連絡するのでなく笹島貨物駅まではしけを乗り入れ鉄道と運河の2本立ての輸送ルートが確立しました。
今では名古屋港線はJR東海の業務用貨物(レール輸送)のみ、中川運河も運河としては実質使われてない状況です。

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旧・笹島貨物駅南側にある中川運河の船溜まり。西側を埋めて何やら工事中。

DSC_1013.jpg
かつては船溜まりと側線の間に倉庫が並んでいたのですが今ではほとんど取り壊されてしまいました。
それでも三井倉庫の渋い倉庫が名古屋高速5号万場線の下に巨大な姿を残しています。

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かつての石積み岸壁は手前にコンクリートで新たな護岸がつくられて船を横付けして荷物の積み降ろしをすることは出来ないようです。
かつて船との積み降ろしに使われたクレーンが残ります。
2,3階のバルコニーがまた良いデザイン。

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倉庫の北側には笹島貨物駅の側線が入っていました。
フェンス右側の道路に貨車が並んでいたわけです。

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右に目を移すと旧貨物駅側は大規模再開発エリア「ささしまライブ24」として開発中。
愛知大学や中京テレビが入って別世界になっています。

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旧側線跡から見た倉庫。
2階より上は基本的に船溜まり側と同じスタイルですが外壁が茶色で印象が違います。

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バルコニーとクレーン。

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さてささしまライブ24は現在も工事中ですがそこに気になるものが。
中川運河に水上バスのようなイラストが描かれています。

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地図にも「乗船場」の文字。中川運河を活用して名古屋港や金城埠頭方面へ水上バスを運行する計画のようです。
飽和状態の地上交通に代わり運河の復権・・・これは期待したいところです。

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専用線跡 | 11:56:21 | Trackback(0) | Comments(0)

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まとめ