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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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近鉄のディーゼル機関車DB102(伊勢線本居神社前駅)
鐘淵紡績松阪工場は大正時代からある工場でしたが専用線は持っていませんでした。
戦後工場拡張の際に専用線を設けており1951(昭和26)年5月11日に大阪陸運局へ竣工届が出されています。
松江~本居神社前に信号所を設け工場まで延長678mの側線を設けました。
専用線の廃線跡については鐘淵紡績松阪工場専用線(近鉄伊勢線本居神社前駅)で取り上げてます。

<機関車緒元>
番号   DB102
製造年  1950(昭和26)年4月
製造元  加藤製作所
製番   26521
自重   6.5t
全長   L:4822mm×W:1778mm×H:2324mm
固定軸距 1057mm
車輪径  508㎜
機関   三菱KE-5(水冷式縦型直列予燃式)
出力   45馬力

図面は見つからなかったものの主要緒元を見ると広神戸のDB103と全く同じ寸法、同一仕様です。

再録ですが同型ということでDB103の図面を上げときます。
IMG_20161119_124720_109.jpg

IMG_20161119_124701_225.jpg

型式は白子の10t機と同じDB101形に編入。なお鉄道ピクトリアル誌の私鉄車両めぐりではDB103号がDB102形とされていることから後に6.5t機をDB102形に分けたのかも知れません。
近鉄では1958(昭和33)、1959(昭和34)年頃に廃車されたようですがどこかへ転属したのでしょうか。

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スイッチャー | 22:25:22 | Trackback(0) | Comments(0)
近鉄のディーゼル機関車DB101(名古屋線白子駅)
近鉄DB103号に引き続き~

DB101号は改軌前の名古屋線白子駅にいました。
戦前白子駅から出ていた軍用線第二海軍航空廠鈴鹿支廠、三菱重工業三重工場専用線が敗戦後はGHQ管理下に置かれていました。
軍需産業がなくなり主産業を失った鈴鹿市は旧工廠跡に工場を誘致するためGHQ三重軍政部より工廠跡地、軍用線の払い下げを願い出た結果受理されます。
軍用線は1949(昭和24)年6月25日に払い下げ許可が出て鈴鹿市長名義となっています。
旧・三菱重工三重工場に呉羽紡績(現在は起業合併で東洋紡)鈴鹿工場が新設されることになり、1951(昭和26)年1月31日に大阪陸運局から3,114m(蒸気動力)の専用線新設が認可されています。
専用線では当初蒸気機関車を使用するつもりだったようですが申請書類提出後ディーゼル機関車併用→ディーゼルのみと訂正され、加藤製作所でDB101を新製しました。
この機関車も近鉄の車籍を持っていましたが専用線の列車運行管理は日通津支店が行っていたようです。

<機関車緒元>
番号   DB101
製造年  1950(昭和25)年12月
製造元  加藤製作所
製番   23482
自重   10t
全長   L:5725mm×W:1829mm×H:2545mm
固定軸距 1384mm
車輪径  610㎜
機関   日野DA-50(水冷式直立4衝程ディーゼル機関)
出力   72馬力

DB101の図面は見つかっていませんが前面3枚窓であったことやスペックは分かっており名鉄DB-2とほぼ同じ姿をしていたと見られます。(塗装色などは不明)
mei-db2-2.gif
近鉄DB101と同型と見られる名鉄DB-2前面。

mei-db2-1.gif
近鉄DB101と同型と見られる名鉄DB-2側面。

専用線廃止時期は不明ですが1957(昭和32)~1958(昭和33)年にディーゼル機関車がDB103を除き廃車されていることから、近鉄名古屋線改軌より前には専用線使用停止、廃車されていたようです。
まだ新しかったので別の専用線に転属したものと思われますが行方不明。

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スイッチャー | 16:36:08 | Trackback(0) | Comments(0)
近鉄のディーゼル機関車DB103(養老線広神戸駅)
近畿日本鉄道と言うと今では電気機関車(元デ32 車籍なし)が塩浜工場の入換用に存在するだけですがかつては多くの機関車を所有しており、その中にはディーゼル機関車もいました。
現在養老鉄道になっている養老線広神戸駅には1951(昭和26)~1969(昭和44)年の間東邦レーヨン揖斐川工場専用線(駅~工場1.3㎞)が存在し、非電化の専用線用に入換機が在籍していました。
入換機とは言え近鉄の車籍を持っておりDB103を名乗っていました。(型式はDB101形なのかDB102形なのかよく分かってません。途中で改番されたのかも?)
専用線の入換運転や荷扱いは広神戸駅前にあった日通の営業所が行っていたとのこと。
機関車の主要緒元は以下の通り。

番号   DB103
製造年  1951(昭和26)年3月
製造元  加藤製作所
製番   26502
自重   6.5t
全長   L:4822mm×W:1778mm×H:2324mm
固定軸距 1057mm
車輪径  508mm
機関   三菱KE-5(水冷式縦型直列予燃式)
出力   45馬力

国立公文書館ではまさかの図面発見~。
「鉄道免許・近畿日本鉄道・昭和27~31年 内燃機関車特別設計認可申請書」より
IMG_20161119_124642_835.jpg
DB103はブレーキが手用ブレーキのみで地方鉄道建設規定に抵触するので特別設計認可を得るため提出された申請書類に添付してあったもの。

IMG_20161119_124720_109.jpg
南甲府の6.5t機とほぼ同型。

IMG_20161119_124701_225.jpg
前面は南甲府のが3枚窓なのに対しこちらは引違式2枚窓だったようです。

地元の方からの情報では車体の色は黒だったとのこと。
車庫は工場内の揖斐川堤防下に専用線廃止後も長らく残ってた(中身は不明)そうです。

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スイッチャー | 23:22:27 | Trackback(0) | Comments(0)
谷汲駅のアント
20日(日)の朝刊で旧・名鉄谷汲線谷汲駅でモ755を動かすイベント開催の記事が載っていました。
よく綱引きで移動させるという話は聞いてましたが今回は「動力車」で移動させると載っていたため気になってお出かけ~。
はて?谷汲駅にある動力車と言えば軌道自転車(エンジン付きで人力でない)くらいで電車を牽けるほどのアントやスイッチャーはいなかったはず・・・。
他の用事を済ませ大垣から樽見鉄道、揖斐川町コミュニティバス(運行は名阪近鉄バス)を乗り継ぎ到着。
うう~ん、谷汲線があった頃と比べると本当に不便になったなあ・・・(- -;)

DSC_0263.jpg
行ってみると軌道自転車とモ755が並走して入線して来るとこ。

DSC_0269_201611202130083f7.jpg
後ろに付いてたのはやっぱりアントでした。

モ755のコンプレッサは作動していなかったもののブレーキ緩解時のエアが抜ける音、タイホーンは生きてたので圧搾空気を使っていたのでしょうか。
ブレーキ緩解音は生きた電車の雰囲気を感じさせてくれます。

DSC_0233_201611202130034d5.jpg
運行時以外はアントとモ755を切り離して各車単体の撮影がし易いようにしていました。
現役時はこんなところで撮れませんね。

DSC_0240_20161120213005507.jpg
そして運転時間が近付くとアントの連結作業。

DSC_0215_20161120213002a00.jpg
今回のアントは何者か?ということで観察~
車体に「ANT-15」と陽刻あります。
銘板は
アント車両移動機
型式  :ANT15ⅢS型
製造年月:1970-7
重量  :350kg s
製造番号:NO5106G
と読めました。

係の方に伺うと貨物鉄道博物館からの借り物(所有は三岐鉄道)とのこと・・・そう言えばアント15が2台いましたね。
結局はよく見知ったアントなのでした(笑)


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名鉄 | 21:58:07 | Trackback(0) | Comments(2)
理髪車の台車
赤沢自然休養林の森林鉄道記念館。
中学生の頃から何度行ってることか・・・というはずが。

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上松運輸営林署の理髪車。元はB型客車No.8です。
車内に理髪店と同じ設備を持ち林鉄のレールが延びる各現場で作業に従事する人たちの調髪、カットを行ってました。
営林署の福利厚生で上運署のほか王滝署にもあったそうです。

DSC_0758.jpg
台車として使われている運材貨車は現役時の写真を見ると岩崎レール製運材貨車だったようですが・・・。

DSC_0731_20161116213304b52.jpg
今は富士重工業製運材貨車に乗っかってます。
客車用運材貨車のようにステップが張り出してないので元々は運材用だったものと思われますがエアブレーキが付いていません。
かつての台車を赤沢で現在運転している客車用に差し替えて代わりに富士重台車を履かせたのではないかと思います。

DSC_0730_201611162133021ef.jpg
反対側も富士重製。
木曽の運材貨車は当初富士重製試作車が試験的に導入されたりしてましたが圧倒的に岩崎レール製が多く、現在この周辺で保存されてる運材貨車で富士重製は見た覚えがありません。

DSC_0751.jpg
しかもこの貨車・・・自動ブレーキが入ってます。
自動ブレーキ車を秋田や青森まで見に行かなくともこんな近所にあったとは・・・(- -)
自動ブレーキは木曽では野尻署伊奈川林鉄で試用されただけで本格採用は見送られたらしいのですがこの貨車は東北か北海道辺りから転属して来たものなのでしょうか。

<秋田の自動ブレーキ付き貨車>
仁別森林博物館の保存車~2~林鉄の自動ブレーキ

<青森の自動ブレーキ付き貨車>
芦野公園の津軽森林鉄道保存車~2~
中泊町博物館の保存機~2~

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森林鉄道(長野営林局) | 22:18:18 | Trackback(0) | Comments(0)
とある木橋の紅葉
以前もとある木橋とある木橋の秋姿で上げた木橋の紅葉風景を見たい・・・とまたまた訪問~。

DSC_0108.jpg
周囲の山はいい具合に紅葉してるし文句ない秋の青空が拡がっています。
時間は12:00・・・太陽の南中する時間です。
が・・・

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木橋には日が当たってません・・・orz
昨年はどん曇りの中で見たので全然気になってませんでしたがここは日が当たりにくい両岸が迫った谷底。

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去年見たニチユ4tバテロコの廃車体はスクラップされたのかきれいさっぱり消えていました。

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ちょっと日の当たる角度が変わるまで近所の道の駅へ行って帰ってくると。向き的にもうこちらは全く日が当たらないことに・・・。
「君の名は。」の台詞にあった「日照時間は短いし」どころか「日照時間は無いし」・・・(- -;)

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紅葉をバックにシルエットで魅せる大木橋。これはこれで美しいのでまあいいか・・・(^ ^)

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ナローゲージ | 23:11:02 | Trackback(0) | Comments(0)
関西電力打保水力発電所建設所専用線坂上側線(高山本線坂上駅)
坂上駅・・・読みは「さかかみ」で濁りません。
駅前にはJAのビルや飛騨市宮川振興事務所(旧・宮川村役場)も建って隣の打保駅と比べると開けた感じがします。

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随分と立派な駅舎が建ってますが駅員配置なし。
特急ワイドビューひだは通過しますが2016(平成28)年11月現在当駅終点の列車(高山始発1837D)が存在。
ここには前回の打保駅と組で使用された発電所建設用の専用線が敷かれ「坂上側線」と言われてたようです。

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2,3番線ホームより富山方を見た様子。
構内は2面3線で追い越しが可能な構造。
3番線(ホーム右の線路)南側にもう1本側線があり保線車用の機関庫が設けられてます。

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1番線の駅表側にも側線と貨物ホーム、機関庫があります。3番線側が貨車留置線で、必要に応じて貨物ホーム側へ貨車を牽き入れて荷卸ししていたのでしょうか。
後ろの洞泉寺の屋根飾りが何とも豪壮です。
禅宗のお寺ですが・・・そう言えば飛騨は禅寺が多いような気が。
濃尾平野まで来ると真宗ばっかりですが永平寺と山繋がりなのでしょうか。

DSC_0026_2016111100204960e.jpg
2,3番線ホームより岐阜方。
丁度通過したのはワイドビューひだ7号富山行。
3両しかつないでないのに先頭は丸々1両グリーン車のキロ85って需要的にどうよ・・・と思うのですが(^ ^;)


<坂上側線のカトー>
坂上側線にはダム建設時に入換機として日通の加藤製作所製6.5t機が新製配置されていました。
製番:27809 製造年月:1952(昭和27)年11月 機関:KD-4
恐らく見た目は南甲府のカトー君と同型だったのでしょう。
発電所工事終了後はどこか別の専用線へ転属したものと思われますが行方不明です。

参考文献:
坂上水力発電所工事記録(関西電力 坂上水力発電所建設所)
打保発電所新設工事・工事記録(関西電力 打保水力発電所建設所)
加藤製作所 機関車図鑑(岡本憲之編/著 イカロス・ムック)


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専用線跡 | 22:16:49 | Trackback(0) | Comments(2)
関西電力打保水力発電所建設所専用線(高山本線打保駅)
宮川につくられた関西電力打保水力発電所建設資材搬入のための専用線です。
戦時中の日本発送電時代に戦局悪化のため計画が中断していたのを戦後1952(昭和27)年に再開しています。
ダム、発電所は一つ岐阜寄りの坂上駅との間にあり、打保駅と坂上駅に専用線や倉庫がつくられ両駅から現場まではトラック輸送を行っていました。
発電所が完成した1954(昭和29)年以降も専用線は残り、専用線一覧では1964(昭和39)年版、1967(昭和42)年版でも使用休止とあります。
なお打保駅での貨物扱いは1967(昭和42)年度には実質終了していた様子です。

作業キロ:0.2km
作業方法:手押

DSC_0013_20161106211452efa.jpg
高山本線の中でも最も奥地感のある打保駅。駅舎は何だかかまぼこ兵舎のようです。

DSC_0006_20161106211448a09.jpg
分岐部はスノーシェルターがあります。元の貨物側線は保線用に残ってますが、これが専用線その物かは不明。
ここには関電の倉庫があり
ここでトラックに積み替えて越中西街道(現在の国道360号線)を現場まで輸送していたはず。

DSC_0011_20161106211450f0c.jpg
1,2番線とその左に貨物側線&貨物ホーム

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貨物ホームの車止め。



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専用線跡 | 21:35:45 | Trackback(0) | Comments(0)
帝国鉱業開発天生鉱山専用線~2~(高山本線角川駅)
帝国鉱業開発天生鉱山専用線の続き~。
富山方の神社踏切を渡ってホッパーの傍へやって来ました。

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ホッパーまで自動車が近付ける道路はありません。
向こうから現れたのはワイドビューひだ14号名古屋行。

DSC_0056_2016110321373989e.jpg
貨車への積込口の跡が5か所。
今では枕木を挟んで塞いであります。コンクリートは荒っぽい作り。
ここで通りかかった農作業帰りの地元の方に伺うと天生(あもう)金山の鉱石輸送のためにできたホッパーとのこと。
天生鉱山から角川駅ホッパーまでは索道で鉱石輸送を行っていたそうです。

DSC_0044.jpg
バラストに混じる白い石が貨車からこぼれた鉱石と教えてもらいました。
白い石の正体は石英です。金鉱脈は石英の周りに集まるとブラタモリで言ってましたね。

DSC_0053.jpg
ホッパー上部。積み出し口の跡。右の索道発着所は墓地や畑になってます。

DSC_0064_20161103213740065.jpg
神社踏切越しに見たホッパー、その後ろの山へ天生鉱山への索道が続いていたはずです。



現地調査の後で教えてもらった天生鉱山のことを資料調査すべくこういう時の駆け込み寺=図書館の郷土資料コーナーへ♪
「君の名は」劇中にも出てた飛騨市図書館が丁度次の目的地飛騨古川駅のそばにあります。
聖地巡礼してる人が館内で撮影しているのが思っていた以上に多かったですが・・・君の名は効果恐るべし。

さて資料調査からわかったことは以下の通り。ホッパー発見から約1時間半でここまで調査できました。
現地で天生鉱山と教えていただいたおかげです。
参考資料:飛騨河合村誌 通史編(河合村役場/編)

<天生金山>
江戸時代から採掘されていた歴史のある金山で、伝承では飛騨の鉱山王・茂住宗貞が発見したとされる。
明治以降は個人経営が続き1939(昭和14)年に国策企業の日本産金株式会社の経営に移る。
当時は鉱夫200人、社宅27棟や診療所、商店が建ち並び鉱山が経営する小学校もあったとのこと。
居住者は500人を数え鉱山町となっていた。1941(昭和16)年の産金量は94.4kg。
1943(昭和18)年 大火消失
1944(昭和19)年 帝国鉱業開発が引き継いで再建したものの再び大火で焼失。
  ※復旧時に荒町精錬所~角川駅ホッパー索道建設。
  ※当時は金より製鋼用の硝酸鉱生産が軍需物資として優先されていた様子
戦後 帝国鉱業開発から合同資源に改称
1947(昭和22)年頃 政府補助打ち切りにより経営難。閉山。

<天生鉱山索道(仮称)>
運行区間:荒町精錬所~角川駅ホッパー:8.2㎞(地図上実測直線距離)
運行期間:1944(昭和19)年頃?~1954(昭和29)年10月
金山の精錬所があった荒町から角川駅のホッパーを結んだ貨物索道。
金山の閉山後も天生黒鉛鉱山の黒鉛鉱石輸送に引き続き使用。
1950(昭和25)年には帝国鉱業開発が新工業開発に社名変更し朝鮮戦争特需で黒鉛鉱山は活況を呈します。
しかし1954(昭和29)年には経営不振に陥り10月には索道が廃止されたとのこと。
ホッパーも索道と共に生まれ使用停止になったのでしょう。

精錬所と角川駅を直線で結んでみるとこんな感じ。基本的に索道は直線なので以下ルートを通っていたのでしょうね。


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専用線跡 | 22:00:11 | Trackback(0) | Comments(0)
帝国鉱業開発天生鉱山専用線~1~(高山本線角川駅)
高山本線角川駅にあった天生鉱山専用線。
日通の専用線というだけでは何だかわからず一筋縄に行きそうにないと思っていましたが・・・。
角川駅には専用線一覧1951(昭和26)年版で帝国鉱業開発株式会社の専用線が記載されています。
1953(昭和28)年版では専用線一覧から消え、1957(昭和32)年版より1970(昭和45)年版まで日通の専用線が記載されています。

<帝国鉱業開発>
作業キロ:0.2km
作業方法:手押

<日通>駅表のバス駐車場?痕跡無し
作業キロ:0.1km
作業方法:手押

DSC_0032_201611032137081c3.jpg
角川駅の駅舎。最近まで木造駅舎でしたがJR東海のローカル線に増えつつある簡易な駅舎。寒冷地なのでさすがにドア付きの密閉構造。
駅裏の諏訪神社が良い雰囲気。

DSC_0035_2016110321371053c.jpg
以前あった2番線は撤去され棒線化されてます。2番ホームと諏訪神社の間が側線だった様子。
これで車両が入っていれば時刻表の表紙か青春18きっぷのポスターにでもなりそうな情景ですね。

DSC_0034_201611032137106f9.jpg
富山方を見た様子。駅舎は建て替えられたものの待合室はいい雰囲気の木造です。

DSC_0039_20161103213712810.jpg
ホーム富山方末端より見た様子。

DSC_0040_20161103213714659.jpg
振り返って富山方を見るとホッパー跡のコンクリートが見えます。

以下次回~

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専用線跡 | 20:05:08 | Trackback(0) | Comments(0)
赤沢のトイレ客車
赤沢自然休養林の保存森林鉄道終点に当たる丸山渡停車場。
入換中のAFT-02(酒井機に似せた北陸重機工業製DL)手前に分岐する線路は漆沢へと続く線路です。

DSC_0823_20161101223838722.jpg

今回の話題の主はこの漆沢への線路上にいます。
DSC_0849_2016110122363179e.jpg
今年の春に入った「トイレ客車」。
こちらは起点方(森林鉄道記念館)の妻面。
かつてのB型客車を模したものなのでしょうがとにかくでかい!
中央に仮設トイレ3つを納め、起点側に洗面所、漆沢方は掃除用具入れになっています。

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漆沢方の妻面。
なかなか味わい深い木造車の雰囲気です。

DSC_0796_201611012236280c0.jpg
足回りは運材貨車の流用かと思いきや完全新製。しかもブレーキホースまで完備しています。
これは屎尿輸送時にそのまま機関車で起点まで引っ張って行ってバキュームカーに積み替えるのかと思ったのですがここで汲み取りを行いトイレ客車自体は定置だそうです。
当初は本線走行を考えていたのが実際には重心が高過ぎてここまで運んでくるのさえ難しかったとか。

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銘板によると2016(平成28)年3月北陸重機工業製。自重は4tとガソリン機関車並みの重さです。

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森林鉄道(長野営林局) | 22:55:47 | Trackback(0) | Comments(0)

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まとめ