投稿日:2016-08-30 Tue
北海道旅行はほとんど林鉄中心になってましたがちょっと中休み。なかなか良い雰囲気の遠軽駅から。

前泊地の北見からオホーツク2号で到着。
名寄本線無き現在では全列車が方向転換のため少なくとも数分は停車するのでターミナル駅の雰囲気があります。

乗務員の前後交代の間に乗ってきた列車を見送るため外へ回ります。
編成は札幌方からキハ183-214+キロハ182-2+キハ182-39+キハ183-1554でした。
私は北海道の特急気動車と言うとこのキハ183-200番台車の前面スタイルが真っ先に頭に浮かぶ世代です。
丸瀬布に行った時は北見~遠軽でキハ183-1554、遠軽~札幌でキハ183-200番台車に乗りましたが後者は機械室から聞こえるエンジン音が常に耳に響く感じでした。
撮影するのは200番台車が良くて乗るなら1550番台車がいいかな(爆)
因みにキハ183は車内放送の前後で「アルプスの牧場」が流れます。
国鉄形急行気動車になじんだ自分にとってはもう涙物。

瞰望岩の下を札幌へ向け走り去って行きました。
見晴らしの良い瞰望岩を指したアイヌ語の「インカルシ」に漢字をあてた結果「遠軽」になったというので正に遠軽を象徴する岩山です。

市街地から一段高いところにある駅舎。見上げるととても高い建物に見えます。
構内は残念ながらキオスクも撤退して寂しくなってます。

丸瀬布から戻ってくると構内にはキハ40が2両。
薄暮のローカルターミナル駅構内に発車待ちの車両と駅の明かりが灯るというのはなかなか好みの風景。
スポンサーサイト
投稿日:2016-08-28 Sun
酒井27号の奥にはモーターカーも押し込まれてます。
富士重工業T34Nです。このクルマも大夕張署で使われていたもののようですが詳細は分かりません。
エンジンは運転席と助手席の間に日本内燃機(現・日産工機)製くろがねというのを積んでいたようですが失われてます。
当時のオート3輪や小型トラックに使われていたエンジンのようです。
富士重工業のカタログによれば自重650kg。車体は鋼製のためジュラルミンでできた岩手富士のモーターカーよりは重たくなっています。

前面の「安全第一」のヘッドマークにある札幌営林局の表記から同局内で使われていたのは確かなようです。
中央の「55-09」標記は局内での機械番号でしょうか。前2ケタの55は1955(昭和30)年購入と言うことでしょうか?
塗装は塗り分けはこの通りだったようですがモノクロ写真で現役時の様子を見るともっと明るい色に塗られていたようです。
黄色系に赤の警戒色というイメージですが実際はどのようなものだったのか・・・。
これと類似の車両は千頭でも見てます。

東京営林局千頭森林鉄道GM10。寸又峡の千頭林鉄尾崎坂停車場跡で保存されてます。
T34Nのモデルチェンジ車でR108と言う形式。ラジエターが前面に露出していない点などが異なります。
なお富士重工製モーターカーではT34N以前からT3と言うシリーズで色々なバージョンのモーターカーがあったようで、前面窓なしの完全なオープンカー(雨天時など屋根や風防が欲しい場合はシートで覆う)もありました。
前回と同じく林野庁映像アーカイブスの芦別林鉄の映像にもモーターカーが写っています。
00:55~01:11 26号牽引の運材列車の後ろをついてくる富士重T3・・・前面窓回りが防水シート(?)製
03:16~03:22 運材列車に続行運転するT3の後ろにもう1台R108がついて来てる?
03:34~03:40 運材列車続行運転。T3が箱付きフラットカー牽引中
08:00~08:23 踏切を通過するT3
09:56~10:25 酒井箱型機の横をすり抜けて先行する富士重R108
10:26~12:07 R108の後ろをついてくるT3
14:04~14:13 箱車牽引のT3?
投稿日:2016-08-21 Sun
前回の27号機ともう1台札幌営林局大夕張営林署の機関車が保存されています。
野村組工作所製5tディーゼル機関車9号機。
製作年は説明板では1950(昭和25)年、「北海道における森林鉄道用ジーゼル機関車について(小熊 米雄)」では1951(昭和26)年3月製造または購入となっています。
野村組工作所は高知のメーカーで高知営林局では同社製の機関車が主力でした。
魚梁瀬森林鉄道で同社製DLが動態保存されているのがよく知られてます
また熊本、大阪局にも同社製機が多く入っており西日本に強いイメージですが前橋、秋田局の林鉄にも納入が確認されており結構全国各地で使われてた様子。
長野局は酒井工作所がほぼ独占でしたが東京局、名古屋局はまだよく分かりません。
名古屋は大阪局から戦後編入になった奥飛騨辺りにいてそうな気も・・・。
野村組の機関車は道内北見営林局留辺蘂の温根湯森林鉄道に最大級の10t機がいました。

9号機は上回りが黄、下回りが黒で塗装されてますが現役時の色に由来するものかどうかは不明。
エンジンはいすずDA43。
説明板では「型式 野村プリモス型」とあります。
プリモスとは酒井工作所や加藤製作所の機関車の原型となった米フェートルートヒース社のプリムスやプリマスと呼ばれる鋳物台枠内燃機関車を指すと思われます。
プリムスと言えば見た目が如何にも鋳物と言う感じのボテッとした台枠ですが9号機は薄くて頑丈な鋼板台枠のようです。
鋳物台枠機は分厚い台枠が重りとなるため重心が低く安定する一方で台枠が鋳物であるため強度が脆くなります。
鋼板台枠機は薄い台枠で運転席が高い位置になり運転士の視界が良くなる一方で重心が高く走行時の安定性が劣ります。
前者のつもりで注文して後者が来たら購入者は戸惑うと思いますが、はてさて(・ ・)?

問題の台枠部分。点検穴内側に軸バネの重ね板バネが見えてます。
重ね板バネを支持しているのはイコライザでしょうか。
境の機関車では台枠外にむき出しの軸バネやイコライザを野村組の機関車は内側に収める独特の方法で特許を取っていたそうです。

背面。こちらは前照灯が失われてますが前面と同じく向かって左寄りの屋根上に付けられていた跡が穴で残ってました。
屋根上には27号機同様曲線区間での摩擦緩和のための散水用と思われる水タンクが載ってます。
キャブ上に平べったい水タンクを載せるという手法は大阪営林局機っぽいです。
そういえばこの黄色塗装も大阪局っぽい雰囲気。

野村組機と言えばもう一つの特徴が自動車のステアリングのような配置、形状のブレーキ(この記事の最後の画像参照)でしたが9号機は古い電車のハンドブレーキと同じ軸方向で配置されています。
参考文献
北海道における森林鉄道用ジーゼル機関車について(小熊 米雄)
RM LIBRARY 29 魚梁瀬森林鉄道(舛本 成行 写真:寺田 正/ネコ・パブリッシング)
投稿日:2016-08-19 Fri
札幌市内の北海道開拓の村で保存されている林鉄車両。巨大な野幌森林公園の一角にあるのですがこの公園自体が大きな森でこの中だけで林鉄が走っていてもおかしくないくらいの規模です。

この機関庫は復元ですが置戸林鉄の機関庫を模したものとのこと。
木曽の王滝村田島に残る王滝林鉄の機関庫とよく似た構造・・・要するに全国的に見ても標準的なつくりの木造機関庫と言うことでしょうか。

中には蒸気機関車用の煙だしも再現されています。
こうなると根利で保存されている置戸のボールドウィンをここに置いてみたくなります。

庫内には1956(昭和31)年9月酒井工作所製10t機の札幌営林局上芦別営林署芦別森林鉄道27号機。
1961(昭和36)年の芦別林鉄廃止後は同じ札幌営林局内の大夕張営林署へ転属して1966(昭和41)年に廃車されたそうです。
下夕張林鉄の廃止により廃車になったものと思われます。

引きがないので全体像が撮れません。
今はオレンジ一色に塗られてますが本来は茶色とクリームの2色塗りのはず(現地で見ると黄色の下に元の塗り分け線が見える)です。

屋根上には水タンクが載ってます。上芦別での写真や映像では載ってなかったので大夕張で改造されたものでしょう。
以下は赤沢自然休養林の姉妹機

箱型10tと言うと上松の赤沢自然休養林にいる長野営林局上松運輸営林署No.136が思い浮かびますがこちらも1956(昭和31)年7月酒井工作所製で元上芦別営林署の26号機と言うわけで北海道開拓の村の27号機とは姉妹機です。
27も元はこんな姿をしていたはず。

こちらは1962(昭和37)年5月に上松運輸営林署へ転属。
1972(昭和47)年3月まで王滝本線で主に「みやま」「おんたけ」と言った客車列車を牽いていたそうです。
林野庁の映像アーカイブにこれらの機関車が芦別林鉄で現役だった頃の貴重な映像が公開されてます。
箱型機は冒頭だけですがカラー映像です(26か27かは不明)
全編にわたり26号機が余すところなく写されてます。
途中には三井芦別鉄道の気動車の姿も。
投稿日:2016-08-13 Sat
丸瀬布の車庫で保存されている住友金属鴻之舞鉱山の車両群。隣の紋別市の山中にあった金鉱山で
鴻紋軌道という紋別~鉱山を結ぶ762㎜の蒸気軌道があったことでちょいちょい耳にすることも。
鴻紋軌道は戦中戦後の一時期にあっただけですがこちらは鉱内軌道で使われたものです。

1954(昭和29)年協三工業製のマイニングDLの3005。台枠形状は同時期の林鉄協三機と似たようなものですが3.5t機よりもさらに小さいので全体的に簡略化されたようなスタイル。
旧鉱山跡近くの上藻別駅逓所には一番違いの3006が似たような編成で保存されてるそうな。

形式DB3とはメーカー形式でしょうか。

二軸の人車。この辺はメーカーや製造時期が全く分かりません。

バケットローダー。

手前はグランビーで奥の底が丸いのは何と言うのか知らず・・・別の鉱山跡でも見たことある形なので同一メーカー製と思われますが。

こっちの鉱車は762㎜に改軌したのか動態保存で雨宮のための薪、石炭車(?)として重宝されているようです。
投稿日:2016-08-09 Tue
丸瀬布いこいの森ヤードの裏手にはキャブ付きの岩手富士産業製集材機が3台。手前が丸瀬布営林署16-2-216、真ん中は白滝営林署15-4-197、奥は営林署不明です。
丸瀬布の林鉄よりは新しい世代の集材機でしょうが木曽ではこんな集材機を運材貨車に載せて運んでいる写真を見かけます。

いずれもワイヤーロープを巻くドラムが二つの複胴式。

簡易の索道を架設して切り出した木材を伐採現場から林鉄の側線末端や林道傍の盤台まで吊り上げて運ぶ「架線集材」で巻き上げ機として使用します。
2つのドラムの内1つで搬器を上下させ、もう一つで木材を吊り上げたり降ろします。
実際の索の張り方はかなり複雑で方法もたくさんあるため実務経験を積まないと覚えられそうにありません・・・(^ ^;)

後ろから見るとエンジン部分が機関車のエンジンに見えるため廃線跡などで「すわ機関車か!?」と林鉄ちゃんをぬか喜びさせるアイテムの1つ(爆)
実際に名古屋営林局付知営林署には加藤製作所製機関車のトランスミッションを流用した集材機があったそうです。
付知森林鉄道で脱線事故をよく起こすあまり調子の良くなかった機関車を潰して転用したものと見られます。
投稿日:2016-08-07 Sun
丸瀬布には運材貨車が一組います。夕張製作所(北海道炭鉱汽船系のメーカー、後に北炭機械工業となっている)が製作した運材貨車で北海道から長野営林局に転じ王滝森林鉄道(但しどこの営林署で使われたかは不明・・・上松運輸か王滝のどちらかでしょうが)。
モノコック型同様の構造ですが本家の富士重工業よりは岩崎レール工業製に近い形状。
車輪径が大きいのかやけに車輪が目立ちます。

この運材貨車も動態保存車ですがこの日は動きなし。
車体の番号は木曽での番号。

こちらも木曽から帰還組み(とは言え北海道ではどこの路線で使われてたのか分かってません)
1359にはブレーキハンドルはあるもののそこから続くブレーキ引き棒や制輪子が撤去されています。
投稿日:2016-08-07 Sun
鶴居村営軌道のDL。鶴居村は名前の通りタンチョウヅルの越冬地として有名な釧路近郊の村です。
殖民軌道→簡易軌道については不明な点が多いのですが基本的には殖民軌道雪裡線、幌呂線として1927(昭和2)年に開業。
列車の運行は地元の組合が行い、動力は馬力だったようです。
1941(昭和16)年にバス改造ガソリンカーで機械動力化。
軌道が村営となったのは1954(昭和29)年とのこと。
路線は釧路市内の根室本線新富士駅から鶴居村を結ぶもので新富士~下雪裡~中雪裡28.7km、下雪裡~新幌呂19.3㎞の2路線を運営していました。

さてこの機関車は村営化後に導入されたものですが車番は不明(そもそもそんなものが無かったようで・・・)。
銘板には「札幌 運輸工業 昭和34年9月製作」とありました。
伊勢湾台風の頃ですね。
札幌のメーカーでつくられた道産子機関車で林鉄や土工用の多くの産業用機関車より丸っこいスタイル。
自重は6tと言うことなので森林鉄道で言うと1級線(要するに幹線)クラス。
エンジンもいすゞDA120と林鉄でもよく使われてたエンジンを積んでます。

加藤や酒井、協三機と違い下回りが台枠で覆われてないので動力伝達構造がよく見えます。
キャブ下にトランスミッションから後輪軸へのチェーン、前後車輪とその間の中間伝導軸をつなぐチェーンが丸見え。

背面も単純な造形なのに妙に印象に残る顔をしてます。
1968(昭和43)年に廃止(1967(昭和42)年に運行停止?)した後は釧路の新宮商工木材防腐工場で圧力釜へ木材を出し入れするために使われ故障して放置されていたものを修復。長年の使用で車体も歪んでいたのが新車のように生まれ変わり丸瀬布入りしました。

この日は鉱車+B客No.14+開放型客車の編成を担当。

駅発車後雨宮編成の後ろを続行運転でキャンプ場内を一周後、駅を通過して先行の雨宮は右回りで湖畔を回るのに対し村営軌道DLは左回り。先行の雨宮編成とは車庫横で交換しました。

湖畔側の線路を雨宮と逆ルート(これが丸瀬布での正向き運転らしい)で走りました。

森の区間を抜けると間もなく終点。
△ PAGE UP