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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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坂下森林鉄道(2級線)下部軌道最奥
坂下森林鉄道(2級線)川上川橋梁(仮称)の後でもう一度第二次調査に行ってきました。
坂下森林鉄道2級線中間にあったというインクラの場所は現地で聞いてわかったのですが、上部軌道の場所は分からないようです。
フォードやGMシボレーを改造したというアヤシゲな機関車がおり、上部軌道廃止後は付知森林鉄道へ転じたらしいということは分かっているのですが・・・。
今回は林鉄自体の遺跡発見よりただのハイキングになってしまったような(^ ^;)
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一つ滝、アゼ滝へ行くハイキングルートに利用された軌道敷、ハイキングルートはここで左に折れて川上川を渡ってしまいます。
軌道はこの奥に続いてたのですが土砂崩れ?を補強したような蛇籠の段が見えており、そこがインクラの跡らしいです。
当初は上下軌道に分かれておらずヘアピンカーブでつながっていた路線をインクラ化することで分断したようです。
ここは軌道を復線分敷けそうな幅があり、上り下りの運材貨車が並んでいたのでしょうか。

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脱線してアゼ滝まで行ってみることに(ひょっとしたら対岸にインクラの痕跡が見えるかも・・・と期待したのですが何もなし~)
木馬道のような桟橋(結構高さがあります)を越え・・・

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切り立った岩盤に打ち付けられたステップを降り・・・
なかなか面白怖い(^ ^;)

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アゼ滝上段の滝

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滝壺~

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底に到着~
対岸は絶壁で上の方にも軌道敷なぞありそうにありませんでした(爆)
暫く涼んでからまた昇り返し~

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帰りにはこんな可愛らしいものが咲いてました。
ギンリョウソウ(銀竜草)という腐生植物の花です。
花の形が古いモーターカーの手回しサイレンみたいで・・・(何て貧しい発想- -;)

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木橋の傍まで戻って来ると林道端にレールの継ぎ目板が落ちてました。

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森林鉄道(長野営林局) | 22:49:31 | Trackback(0) | Comments(0)
京阪中書島で
関西で学生時代の友人と待ち合わせがあったので早目に行って寄り道。
と言うわけで中書島でお気楽に京阪電車を撮っただけ~。
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伏見の柳並木や醍醐の方向の山並みがバックに写る好きな場所です。
丁度ここで上下の列車離合するダイヤになっているため暫くいるだけですれ違う列車の並びが撮れる確率も高いところ。
撮り始めて間もなく3000系特急と7200系準急が離合。

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すぐ横では分岐する宇治線を真正面から。宇治線の運用は13000系が中心ですが1本だけ10000系が混じってました。

京阪の車両はバラエティに富んでますね。
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いつの間にやら車内が随分と豪華になった8000系特急。

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京阪伝統の顔つきをした2400系。

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5扉車5000系は登場からもう45年になるそうで。
4扉超の多扉車としては最も定着した車両でしょう。首都圏の6扉車は結局あまり普及しませんでしたし。
前面のひさしがEF52辺りの国鉄旧型電機を思い起こさせて何だか好み。

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先の7200、10000系と似ていながら角張ってかちっとした印象の7000系~。

1時間ほどいれば大方の顔は見れますね~。

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関西私鉄 | 00:01:06 | Trackback(0) | Comments(0)
坂下森林鉄道(2級線)川上川橋梁(仮称)
中央西線坂下駅から奥屋、丸野まで延びていた坂下森林鉄道(1級線)。
1944(昭和19)年までは坂川鉄道という地方私鉄でしたが沿線人口も多くなく、大株主でもあった帝室林野局からの勧告により旅客営業を止めて森林鉄道になってました。
坂川鉄道時代の終点だった丸野からは坂下森林鉄道(2級線)・・・古い名前では川上森林軌道が延びていました。
1級線が川上川を渡る個所は上松のNO.139が保存されている(丸瀬布から上松、川上へ 長野営林局No.139)ので有名ですが2級線が再度川上川を渡る個所は情報がほとんどありません。
奥三界岳(標高1,811m)への登山道でハイキング客も多いルートなので目ぼしいものは残ってないんだろうな・・・と思ってましたが・・・

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あるじゃん!!!方杖橋
架橋状態の林鉄木橋を見たのは今は無き開田林鉄鹿ノ瀬線冷川橋梁以来でしょうか。
助六にでも行かない限り見るのは無理かと思いましたが夕森公園からほど近いところに残っていたとは驚きです。

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どうやら下流側の桁は落ちて上流側のみが辛うじて引っ掛かってる様子。
残念ながらもう長くはなさそうです。

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木橋アプローチ部の山側はロープで立入禁止とされています。軌道は現林道に飛び出して来てヘアピンで一段上り現林道から離れていきます。

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坂下側は近付けるものの藪でよく見えません。
冬枯れの時期を待つしかなさそうですね。

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森林鉄道(長野営林局) | 23:46:25 | Trackback(0) | Comments(0)
進駐軍滋賀農場専用線(江若鉄道滋賀駅)~その2~
滋賀海軍航空隊→進駐軍水耕農場があった方向へ直進していた線路跡は土地区画が完全に変わって線路を示すものは何も見当たらず。
他に江若鉄道本線の近江今津寄りから分岐して本線と並行に延びていたという側線跡を見に行きます。

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湖西線唐崎駅の山科寄り。江若鉄道跡を通ってきた湖西線から江若鉄道跡の道路が分岐します。
専用線は湖西線の真下辺りを通っていたのでしょうか?

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右前方はもう唐崎駅構内。江若線の道路が左に続きます。
駐車場やクリーニング屋さん辺りにヤードがあって湖西線の線路下に水耕農場の長大な上屋付き貨物ホームがあったようです。
作業キロ12.0㎞とべらぼうに長いですが構内はいったいどんな配線になっていたのでしょうね。

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高架をくぐって琵琶湖側へ。この辺はもう水耕農場の中だったのでしょう。

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唐崎駅ホームから山科寄りの水耕農場跡方向を見た様子。マンションや唐崎駅前広場が広がって軍事施設の面影はありません。

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同じく近江塩津寄りを見ると広大で怪しげな空き地が広がっています。
その奥には琵琶湖が広がり、対岸の三上山がよく見えます。
この辺もまだ専用線が続いていたものと思われます。

大津キャンプB地区、水耕農場へ入る貨物列車は部内で「滋賀臨」と通称されていたそうです。
廃止が1957(昭和32)年と考えると牽引機は英ダブス製の1118号(京都鉄道博物館の1080と同型)や自社発注のC11と言った蒸機や新三菱製CロッドDLのDC301辺りでしょうか。廃止の年には国鉄に先駆けてDD13型プロトタイプのDD1351も完成してますがぎりぎりで使われたかどうかというところ?

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専用線跡 | 23:32:38 | Trackback(0) | Comments(0)
進駐軍滋賀農場専用線(江若鉄道滋賀駅)~その1~
大津市内にあった進駐軍専用線。
1969(昭和44)年11月1日に廃止となった江若鉄道の滋賀駅から分岐していた専用線。
軍用線だけに謎が多い専用線で今後も引き続き資料調査が必要になりそう(- -)

作業キロ:12.0km
作業方法:江若鉄道機?

青線が江若鉄道の本線で、現在の湖西線とルートが被ったり離れたりしてます。
湖西線建設時に高速走行を前提とするため江若時代の急カーブを緩和したルート変更が行われたようです。

専用線は航空写真と現地調査から黒線で書き入れて見ました。

●専用線のルーツは海軍航空隊
現在の湖西線唐崎駅東側に戦前滋賀海軍航空隊が置かれ資材輸送のために既に専用線が敷かれたそうです。
1941(昭和16)年には現在の陸上自衛隊大津駐屯地の位置に大津海軍航空隊が置かれ、太平洋戦争中に滋賀飛行場の滑走路も完成したようです。

●進駐軍の水耕農場
1945(昭和20)年の太平洋戦争敗戦後、進駐軍によりこれらの海軍施設は接収されました。
滋賀海軍航空隊は進駐軍の食糧供給のため野菜を水耕栽培する農場となりました。
当時日本国内で栽培されていた人糞肥料を使用した野菜は感覚的に受け付けられなかったのでしょう。
西武多摩川線多磨墓地前駅にも同じような水耕栽培農場の専用線がありました。
大津海軍航空隊跡地は進駐軍キャンプ大津B地区(A地区は今の皇子山総合運動公園辺りとのこと)となり、かつての滋賀飛行場滑走路を横断して専用線が敷かれたようです。
この専用線は元々飛行場への資材輸送で敷かれていたのを延長したのようですが詳細は分かりません。

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江若鉄道滋賀駅の近江今津寄り。
廃止の頃まで一面の田園の中に相対式ホーム2面2線がポツンとあるだけの長閑な駅でした。
今では湖西線の高架が通り、周囲も住宅街と化したためその面影はありません。
専用線は近江今津よりにしばらく本線を走ったところから分岐していたようです。

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進駐軍キャンプ大津B地区へ向かう専用線は急カーブでUターンしていました。
そのカーブ途中が土地区画で残ってます。
左のカーブした住宅の列が専用線跡。専用線の面影があるのはここだけでした。

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専用線は左奥から右手前へ横切っていたはずですが何も残ってません。
右には一直線にフェンスが続きますが旧・滋賀飛行場滑走路の名残です。
現在は学校や保育園、自衛隊の官舎が一直線に並んでいます。

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国道161号線を横断して湖岸の進駐軍キャンプ大津B地区へ入っていました。
現在は陸上自衛隊大津駐屯地となっているので中に専用線の面影があるかどうかは分かりません。
1957(昭和32)年に進駐軍からは返還されたと言うことなので専用線の使用停止もその頃と思われます。

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専用線跡 | 23:39:54 | Trackback(0) | Comments(0)

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