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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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丸瀬布から上松、川上へ 長野営林局No.139
岐阜県なのに長野営林局坂下営林署管内に入っていた旧・坂下町、川上村。
森林鉄道として計画したものの地元からの要望などで坂川鉄道と言う地方私鉄として開業し、結局は森林鉄道になった数奇な路線の廃線跡にこれまた特殊な協三10t機と運材列車編成が保存されています。

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坂川鉄道の旅客列車終点だった奥屋駅より先の貨物線(事実上の森林鉄道)区間、丸野貨物駅直前の川上川を渡っていた橋梁上に保存されている編成。
説明版には坂川鉄道を走ったのと同型の機関車とされていますが、実際の坂下署の機関車は蒸機はコッペル5.5t機、ガソリン、ディーゼル機も5t以下のもっと小さなものでした。

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1957(昭和32)年協三工業製10tディーゼル機関車。
北見営林局No.52として丸瀬布営林署武利意(表記は「武利」、「ムリイ」だったりもする)・上丸瀬布森林鉄道に入線しています。
武利意森林鉄道は北海道庁拓殖部林務課が1928(昭和3)年に開業させた森林鉄道で支線を含め60.5㎞、上丸瀬布森林鉄道は14.0㎞。ともに石北本線丸瀬布駅隣接の丸瀬布貯木場から延びていました。

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丸瀬布では1947(昭和22)年の加藤5t機No.2導入以後、酒井、野村組、協三の5~10t級DLが続々と投入されており、NO.52入線の翌1958(昭和33)年に北海道庁拓殖部林務課以来活躍していた蒸機は全廃。このとき現在丸瀬布憩いの森で動態保存されていることで有名な雨宮21号機も廃車されています。
蒸機は駆逐したものの間もなく林鉄自体が道路化されることになりNo.52は1963(昭和38)年5月に長野営林局上松運輸営林署に移籍してNo.139の番号を与えられます。

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No.139の台枠を見ると協三工業機10tクラスの他の機関車が鋳物台枠なのに対して鋼板台枠を採用しています。
この特殊な構造のため上松ではほとんど使用されなかったということで現役時代の走行写真も見たことがありません。
車庫内に押し込められた写真では塗装が上運のクリームと茶色でなく王滝色のライトグリーンと茶色に塗り分けれた写真を見たことがありますが実際どんなものだったかよく分かりません。

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後ろの運材貨車は岩崎レール工業製のようですが銘板までは見えません。

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車掌車のような存在の制動車は制1~8の8両あったそうですがこれがそのうちの何号車かは不明。

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森林鉄道(長野営林局) | 23:08:56 | Trackback(0) | Comments(0)
日本車輌大江輸出車輌留置線(?)(名古屋鉄道東名古屋港駅)
昭和20年代の市街地図で東名古屋港駅の辺りを見ると今でも盛業中の三菱重工の工場一角に「日本車輌」の文字があり引込み線がありました。
東名古屋港駅の北西にはかつて日本車輌大江工場(橋梁や高圧タンク、タンク車などを製造。現在は衣浦工場に統合)がありましたが同工場は1961(昭和36)年に置かれたもので昭和20年代にはまだなし。となるとこの「日本車輌」とは?

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現在の東名古屋港貨物ヤード。線路は激減し架線も取り払われて名鉄線ですが入って来れるのは名古屋臨海鉄道のDLのみ。
右には三菱重工、左には中部電力や日本車輌大江工場、大協石油の専用線が分かれてましたが線路が分岐していた面影はなし。

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東名古屋港貨物ヤードの南側にはかつ三菱商事専用線がありました。こちらは電化されており直接名鉄のデキが乗り入れていたようです。輸送品はわかりませんが三菱自動車の工場があるので自動車部品でしょうか?
現在では道路に対して斜めに建つプレハブとカーブして続くフェンスに側線があったことが窺われるくらい。
こちらは名鉄貨物末期まで使われていたようです。

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そしてこの海側にもう1本踏切を埋めて舗装した跡。こちらが日本車輌の大江留置線(?)につながっていた線路跡のようです。

1950(昭和25)年6月に勃発した朝鮮戦争で朝鮮民主主義人民共和国軍に攻め込まれた大韓民国軍支援のため米軍を中心とした国連軍が朝鮮半島へ派兵されました。
占領下の日本が補給基地とされ物資の調達のため日本各地の工場がフル操業・・・いわゆる朝鮮特需の状態に。
日本車輌も例外ではなく、国連軍向けの蒸気機関車、貨車を中心とした輸出車輌が大量発注されます。
熱田の本社工場で製造された車両は名鉄常滑線、築港線経由で東名古屋港で船積みされるのですが、これらの車輌は東名古屋港の側線に納まりきらず東名古屋港駅より道路を挟ん新三菱重工の工場一角の敷地を買い取り輸出車輌の留置線を置きました。

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国連軍向けに旧・朝鮮総督府鉄道以来の型式で新製されたミカイ型蒸気機関車や冷蔵貨車などが一時留置され戦場へ送られて行ったのでしょう。これらの車両が戦後まで生き延び韓国国鉄の車両として平和に使われていて欲しいものですが実態はどんなものだったのでしょう。

大江の留置線は後に大江工場を置くときに候補地としていたようですが、三菱側から土地の交換の要望があったようで留置線の土地は三菱に返還。道路を隔て北寄りの土地に大江工場が建設されることになりました。
こちらにも当然専用線が敷かれ、構内用の入換機関車も在籍していました。

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専用線跡 | 00:25:39 | Trackback(0) | Comments(0)
上条跨道橋から
中央本線春日井駅の西にある古めの跨線橋です。
読みは普通では「かみじょう」となりそうなところですが「じょうじょう」と読みます。
なおこの南には下条もあり読みは「げじょう」・・・。
あまり古くはなさそうな住宅街が拡がる場所ですが地名にはかなりの歴史がありそう。

この跨線橋王子製紙専用線のスイッチャーを俯瞰するのに良いところ。
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JR貨物機が専用線までコキを押し込んだところで工場からお迎えの機関車を待ちます。

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その間には石油貨物も通ったりして中央本線名古屋口の貨物が賑やかな時間帯です。

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この日はいつもの日車35t機ではなく同25t機がお出迎え。
前照灯がオリジナルの丸型から長方形のものに取り替えられています。

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スイッチャー | 23:14:49 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄常滑線天白川橋梁付近の旧線跡(柴田~名和)
名古屋臨海鉄道の赤いND552 7の撮影のため南港線の天白川左岸踏切へ行って来ました。
ここは天白川南側の築堤を上ってくる上り列車向けの撮影地ですが日が差すとモロに逆光となってしまうため曇天時限定の場所な上に名鉄常滑線柴田駅、名和駅のどちらから歩いても中途半端に遠い場所だったのでこれまでほとんど行ったことがありませんでした。

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結果は列車通過直前になってこれまた中途半端に日が差して何だか黒っぽい仕上がりに(- -)

臨海撮影はいまいちな結果となりましたがその行き帰りに見たものが・・・これ
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この周辺は臨海撮影で15年以上通ってるのにこんな廃線跡があることに一度も気付かなかったなんて・・・。
場所は常滑線天白川橋梁名和側アプローチ部のガード横で、奥(上流側)に見えるのが現・常滑線のガードです。

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コンクリート製橋台(旧上り線)と石積み橋台(旧下り線)が並んでいます。
コンクリート製橋台は1925(大正14)年に愛知電気鉄道常滑線柴田~名和村(現・名和)が複線化された時につくられたものでしょう。

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石積みの方は1912(明治45)年2月18日愛知電気鉄道傳馬町(神宮前の近く)~大野町開業時のものでしょう。
愛電草創期104年前の堂々たる石積みです。

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因みに現在の天白川橋梁。1963(昭和38)年の航空写真を見ると丁度架け替え工事を行っており、あの橋台は廃止されてからでだけを見ても半世紀は経ているようです。

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柴田の駅から現天白川橋梁を見ると前後にカーブがあり付け替え工事を行った形跡が感じられます。
旧線は天白川南詰に急カーブが存在しており曲線緩和のため付け替えられたものと思われます。
また1959(昭和34)年9月の伊勢湾台風では線路が長期間水没し名鉄線上で最も復旧が遅れた区間でもあり、災害対策という意味もあったのでしょうか。

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現在のトラス橋はトラスの上部がアーチを描いており電車から見るとユニークな形状に見えます。
そろそろ引退も近そうなSR車5300系普通が接近~。

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名鉄 | 23:37:45 | Trackback(0) | Comments(0)

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