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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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旧・京福電鉄越前本線下荒井トンネル大野方の扁額
1974(昭和49)年8月13日に廃止になった京福越前本線勝山~越前大野。
勝山から下荒井トンネルまでは現存区間のえちぜん鉄道勝山永平寺線と似たような九頭竜川沿いの線路、その先は拡がる大野盆地の平野部を坦々と大野市街地まで行く路線でした。

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その下荒井トンネルが現存しているのは何度も見ているのですが草木に覆われて扁額が読めたことはなかったので冬枯れの時期に何とか解読して見ました。

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1924(大正13)年に線形改良のため初代トンネルに変わって掘られた521mのトンネル。
扁額も当然右書きで書かれています。
京都電燈→京福電鉄の稲妻社紋の下に掘り込まれた四文字。
現地で文字を撮影してから帰宅後くずし字解読辞典片手に解読~。

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「至」

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「誠」

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こちらはそのまま読み易く「貫一」ですね。

つなげると「至誠一貫」・・・誠意を以て貫き通す・・・といかにもトンネルらしい文言です。
左端のスペースには揮毫した人物の銘が入っているのでしょうが流石に小さい文字だと草木に少しでも被られると解読には致命的で読めてません(^ ^;)

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このトンネル福井方の扁額も解読できそうですがどうも人様のお庭のような雰囲気なので傍まで入ってません。

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

廃線跡(一般鉄道) | 23:20:49 | Trackback(0) | Comments(2)
バッテリー機関車の駆動部
車は乗り入れられないものの徒歩なら入れる某林道脇の空き地に転がる怪しげなもの。
坑道内の施設撤去作業で出されたものでしょうか。
置かれているものは行くたびに毎回違うので坑内から出しては屑鉄屋さんで処分している様子。
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佇むグランビー鉱車たち。奥の1台はまだレールの上に載っています。

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グランビー鉱車に電池箱のはずされたバッテリー機関車(多分ニチユ製4t機)。
モーターの銘板に昭和58年とあり、その姿とは裏腹に意外と新しい車のようです。
錆び錆びですが機関車は元々濃紺に塗られていた様子。
左端にちょっと見えるのは機関車から外された電池箱でしょう。

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バッテリー箱がないので走り装置が丸見え。
610mmゲージでモーターを車軸方向に配置できないためモーターは縦方向に配置してベベルギアで横向きの車軸を回す構造となっているようです。
モーターが縦向きなので直角カルダンっぽい駆動方式。
とは言えギアボックスのサイズからしてカルダン駆動の最大の特徴である振動吸収のための自在継手が入っているようには見えないです。自在継手が無いとなるとこの駆動方式は何と呼べばいいのでしょうね?
直角吊り掛け??

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軸ばねは重ね板ばね、台枠内側に付いています。

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ナローゲージ | 22:18:56 | Trackback(0) | Comments(0)
とある木橋の秋姿
以前とある木橋で紹介したあの木橋の秋・・・というより冬姿。
回りが落葉して観察し易い姿を拝みに再訪しました。

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もうすぐ雪に埋もれてこの場所に近付くことも容易ではなくなるでしょう。

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下の水面まで見えますが夏に想像したより案外高さはありませんでした。

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手前の桁に段差がありますがこれは手前の短い桁2連の高さが違っているため・・・となると鉱山軌道時代からは架け替えが行われた新しい木橋ということ?

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雪が解けた来春もこの姿を見たいものです。

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ナローゲージ | 22:00:16 | Trackback(0) | Comments(0)
上松貯木場跡のNo.74→No.52→No.76
中央本線上松駅裏・・・つまり木曽の林鉄最大の拠点であった上松貯木場跡上松電子さんの敷地に林鉄の車輌が戻って来ました。

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中央本線ホーム向こうに見える機関車+運材貨車1組+B形客車という森林鉄道の保存車では標準的な編成。

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長野営林局王滝営林署?No.76(2代目)
購入年:1948(昭和23)年
自 重:4.5t(製造時)
局形式:GB4→DB4
林政統一後の長野営林局になってすぐに導入された機関車のようです。
旧番No.88→新番No.74→No.52→No.76と非常にややこしい改番履歴を持つ機関車です。
栃木の那珂川清流鉄道さんで保存されている機関車も同じNo.76(初代)を名乗っており初代が廃車になるとき車番をもらったようです。
東京営林局にいそうな2つ目ライト、昭和30年代の酒井の末期製造機を模した(?)けど何か違うものになってしまった2枚窓のキャブなど一癖も二癖もありそうな外観。
木曽谷の森林鉄道(西 裕之/著)によるとNo.74は1962(昭和37)年頃飯田営林署から上松運輸営林署に転入し1963(昭和38)年6月廃車となってますが実際はその後も残って1976(昭和51)年5月に王滝営林署で廃車されたようです。
飯田営林署と言うと遠山森林鉄道で使われていたのでしょうか。
「木曽谷の森林鉄道」掲載の1973(昭和48)年8月撮影の写真では白川線で現在保存されているものに近い塗り分け(ただし上部はクリームではなくライトグリーンと思われる)、翌年には標準的な王滝色に塗られていたようです。

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鋳物台枠のSAKAI.WORKSの陽刻はSAKAIとWORKSの間にドットが入るタイプで前回の「山の歴史館」の長野営林局No.63と同じ書式。ただしこちらは台枠中央に文字が入り軸ばねも標準的なコイルバネに戻っています。
エアブレーキの後付け改造の仕方もNo.63と同じ。

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キャブは事故で潰してしまった後で取り替えたものとのこと。後部窓は2枚引違だったのが嵌め殺しの大きな1枚窓に変わっています。
後部窓下両脇の飾りの意匠(No.63にもあった)からするとこのキャブは戦前に製造された酒井から改造、転用したものと思われます。

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この機関車は5月にも撮っているのですがその時は両脇の前照灯が小型で、前面窓にはHゴムがありませんでした。

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夏頃に改装されたようで11月現在では前照灯が大型のものに交換され、黒Hゴムがはまって凛々しい顔つきになりました。
しかも前照灯は電気系統がちゃんと接続されているようです。
この記事を書いてるときに改めて気付いたのですがラジエターも新しいものに交換されているようで・・・これは今後に期待したいですね(^ ^)

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森林鉄道(長野営林局) | 00:00:47 | Trackback(0) | Comments(0)
「山の歴史館」の長野営林局No.63
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長野県南木曽町の「山の歴史館」は旧御料局の妻籠出張所の建物が南木曽の街中に移築されていたのを再移築したものです。
後に帝室林野局木曽支局妻籠出張所→地方帝室林野局妻籠出張所→長野営林局妻籠営林署と移り変わり、営林署として用途廃止後個人宅として移築利用されていたとのことでした。
中には事務室、宿直室などのほか留置場まであります。
帝室林野局には御料林内の警察権もあり、職員がサーベルを吊っていたというのも肯けます。
中には林野関係の展示、大型の木馬や珍しい与川森林鉄道の写真の展示もありました。

そして外には・・・
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長野営林局王滝営林署No.63
購入年:1941(昭和16)年購入
製造元:酒井工作所
自  重:4.1t(製造時)
局形式:GB4→DB4
帝室林野局木曽支局納入当初の配属先はわかりません。
日中戦争中で年末には太平洋戦争に突入する時期に誕生しており、時局柄ガソリンはほとんど使えず木炭ガス発生器搭載トロを連結して代燃機関車となっていたはずです。
木曽谷の森林鉄道(西 裕之/著)によると林政統一後の長野営林局では上松運輸営林署に配属されて小川森林鉄道の支線区などで運用されていたようです。
新番No.63に改番された後エアブレーキ試験車となりブレーキ用エアタンクをキャブ頭に載せて小川線で試験を行っていました。
その後中央アルプスを挟んで東側の伊那営林署浦森林鉄道へ移りますが浦林鉄廃止により1962(昭和37)年に上松運輸署へ戻ります。一時期No.49に改番されていたようですが詳しくは不明。
さらに1966(昭和41)年に王滝営林署へ移って王滝方面の支線区で使われ1971(昭和46)年5月に廃車となりました。

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1941(昭和16)年頃の増備機の特徴で鋳物台枠機なのに軸バネがコイルバネでなく板バネとなっています。
直前に導入されていた鋼板台枠のメーカー形式C形に合わせたのでしょうか。その後の増備機はまたコイルばねに戻っています。さらにフードカバーの内前寄りのルーバーが傾けられているという特徴があります。
名古屋局の加子母森林鉄道→付知森林鉄道No.5も同じタイプ(こちらも1941年製らしい)だったようです。

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エアブレーキ試験機当時は屋根にエアタンクがありましたが長野局標準のボンネット内装備に改造されたようです。
ボンネット側面からチョロンと出てエアホースにつながるブレーキ配管がいかにも後付けと言う感じ。
Hゴムの側窓は視界確保のため後に開けられ、保存後前面中央窓の引き違い窓が失われたようですが他は原形のままのようです。

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福沢桃介記念館との間にある渡り廊下から俯瞰。
前灯がぐびゃりと曲がってしまっているのが残念ですが屋根上の構造がよく分かります。
ボンネット前方の左に飛び出しているのはエンジン横に付いたブレーキエア供給用に付けられたコンプレッサのカバー。
エアブレーキ化で取り付けられたものですが試験機時代はコンプレッサは反対のボンネット右側に付いていたようです。

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森林鉄道(長野営林局) | 22:31:46 | Trackback(0) | Comments(0)
住友セメント釜戸サービスステーション専用線(中央本線釜戸駅)
釜戸駅に住友セメント(現・住友大阪セメント)の包装所(後のサービスステーション、以下SSと表記)が置かれたのは1968(昭和43)年。当駅を含む中央本線多治見~中津川の複線、電化開業が同年夏なので電化による輸送力増強を考慮してSSを設置したのでしょうか。
岐阜県内と言う場所柄セメントは主に同社岐阜工場(樽見線本巣駅から専用線分岐)から運ばれ地元東濃地方の需要先へトラックで配送していたものと思われます。
釜戸駅へのセメント鉄道輸送は1984(昭和59)年に廃止され、以後はトラック輸送に切り替わったようです。

作業キロ:0.2km、総延長:0.2km
作業方法:私有機

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専用線があった頃の釜戸駅配線図。
右上の青線が専用線です。丸いのはサイロ。
1番上の貨物ホーム寄りの側線を授受線としてスイッチャーが貨車を右端の突込み線へ引き込み、推進運転でサイロ前へ据え付けていたのでしょう。
サイロ前の線路上にある枠線は荷降ろし設備兼スイッチャー庫と見られる上屋です。

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1902(明治35)年の中央線多治見~中津川開業時に置かれた釜戸駅。
今でも味のある木造駅舎が建つ有人駅・・・ただし窓口営業は7:10~12:00、13:00~16:50で早朝、昼休み、夜間は無人駅です。背後には住友セメントの巨大なサイロが見えており、その裏には国道19号線が通っています。
この場所にSSを設置したのは列車で到着したセメントをトラックで出荷し易い立地だったからかな?

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構内を下りホームの名古屋方から見た様子。
右から順に「しなの」が通過している上り線(1番線)、中線(2番線)、下りホームを挟んで下り線(3番線)、保線用側線があります。
保線用側線は貨物廃止後に貨物用の側線を敷き直したようで、かつては2本の側線がありました。

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下りホーム端より名古屋方を見た様子。
右端の分岐器が保線用側線の分岐。中線(2番線)に到着したEF64は授受線へセメント貨車の入換を行っていたのでしょう。
SSができた年1968(昭和43)年7月31日に隣の瑞浪駅との間に設けられていた下畑(信)~釜戸の複線化が完成、8月16日には電化開業しており、下畑(信)~釜戸が現在の新線に切り替わっています。
それ以前釜戸駅を出て名古屋方面へ向かう列車は下り勾配で右にカーブする旧線に入っていました。

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授受線となっていた側線は現在の保線用側線より左の貨物ホーム寄りにあったものと見られます。
サイロ前は専用線や荷降ろし設備があった分の線路用地がそのまま残り、その分架線柱も広くなっています。

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授受線の山側には石積みの古そうな貨物ホームがあります。1902(明治35)年の開業以来のものでしょうか。
この上にも珪石を扱う工場が建っていますがこの工場は戦後できたようです。
釜戸駅付近で土岐川から分かれる佐々良木川沿いには陶土原料の工場が多く、貨物ホームからは陶土、陶石などが発送されていたのでしょう。

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専用線と反対の本屋側にも貨物ホームがありこちらも保線側線として使われている様子。

●住友セメント釜戸SS専用線の機関車
機関車はSS開設の1968(昭和43)年7月に新製された日立15tロッド機(製番13004)が配置されていました。
キャブにはD-151と言う番号が付いていたようです。
住友セメント飛騨一宮サービスステーション専用線で画像を上げたD-152と同タイプのもので、塗装も同様の水色だった様子。
貨物廃止後は名古屋市内の某工場構内鉄道に転じてますが現在も使われているのかは不明。

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専用線跡 | 20:26:43 | Trackback(0) | Comments(0)
水間鉄道~関西に東急電車~
大阪府内で関東大手私鉄の車両ばかりがいるという独特な雰囲気を持った水間鉄道。
ここが大阪と言うことを忘れれば地方によくある都市近郊私鉄なのですが、こういう鉄道ほど歴代車両は地味ながら複雑な歴史を持っています。ローカル私鉄の歴代車両は地元ファンでもなければ鉄道好きでもあまり興味を持つ人は少ないようです。
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名越~森
現在の主力1000形。この車両も東急7000系時代から見ると半世紀を超えて現役と言うことに。

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三ツ松~三ヶ山口
この日は東急時代から元々先頭車の1004F,1002Fの2編成が使われ、中間車改造の編成は車庫にいました。

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先代の車両は南海1201形。そのまま南海の車両を入れ続けたら南海の一支線という雰囲気だったでしょうが。

水間鉄道には現在の1000系の前にも東急に関係がありそうな車両がいました。


<南海テイストの目蒲電鉄車?>
1925(大正14)年12月24日の貝塚南~名越開業時に用意された2両の電車1、2(後のモハ1、2)は南海電気鉄道の電1形を譲受したものでしたが、その後増備された1927(昭和2)年に増備されたモハ3、4は南海の車両ではありませんでした。
この電車は水間鉄道設立前の1924(大正13)年12月に汽車会社で製造され、1927(昭和2)年1月に水間鉄道入籍と、新製から水間入りまで2年の空白があります。
この電車は旧・蒲原鉄道冬鳥越駅跡~その1~の蒲原デ2と同型の電車で、汽車会社のほか梅鉢鉄工所、蒲田車輌が同型を製造していました。
汽車会社で同タイプの車両と言うと目黒蒲田電鉄のデハ1、6形(後の東急モハ1)がいました。
水間のモハ3、4は目蒲電鉄がキャンセルしたか見込製造した分がストックされていたのを純然たる新車よりは安価なのに目を付けて購入したのかも知れませんね。
当時の水間鉄道の電車は緑の車体色にニス塗窓枠の南海スタイルを装っており、目蒲(後に東急)タイプのモハ3、4もこの色に塗られていたようです。
なおモハ3は旅客営業に使われなくなった後も貨車入換用などで昭和30年代半ばまで水間の車庫におり、その後もしばらくは貝塚の本社で車体のみ会議室として使われていたとか。

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南海風の緑塗装にニス塗窓枠のモハ3

4は踏切事故に遭い、縁起の悪い番号でもあることから5号に改番したものの今度は火災により焼失。
台車など焼け残った部品と広瀬車輌で製造した鋼製車体を組み合わせてモハ55(初代)となりましたが間もなく尾道鉄道に譲渡されてデキ25(「デキ」とあるが電気機関車ではなく「電動客車」という意味)となっています・・・が、実際には機器の調子が悪かったのか電装解除されてトレーラーになってました。

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尾道鉄道デキ25(右の車両)

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関西私鉄 | 21:59:53 | Trackback(0) | Comments(0)

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まとめ