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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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旧・蒲原鉄道冬鳥越駅跡~その1~
旧・月潟駅から南下して加茂から旧・蒲原鉄道沿いに村松方面へ向かいます。
加茂から先は山中に入って人家はめっきり減り、国道を行き交う車も少なくなります。
やがて見えてくるのが冬鳥越スキー場。

DSC_0371.jpg
蒲原鉄道デ1形デ2→モハ1形モハ1。1923(大正12)年7月蒲田車輌製作所製とのこと。
以前光明電気鉄道の回で出てきたメーカーですが羽後交通雄勝線のデハ以外にも現存車があったんですね。
この電車は1923(大正12)年10月20日の蒲原鉄道五泉~村松開業時に用意された新潟県下初の電車で、1954(昭和29)年に電装品や台車をモハ31に譲って車体は村松車庫で蒲鉄線全線廃止まで詰所や倉庫として利用された後、下回りや電装品の一部を復活させて保存されました。
目黒蒲田電鉄(目蒲電鉄・・・東急目黒線、多摩川線、池上線)のデハ1(→モハ1)、デハ6(→モハ6…デハ1より車幅が20cmほど広い)と同型車とされますが、車体細部には差異もあります。目蒲デハ1は10枚の側窓が等間隔に並ぶのに対し、蒲原デ1両側のドアから見てそれぞれ内側3枚目と4枚目の間の窓柱が太くなっています。

違いをまとめると・・・





 目蒲デハ1目蒲デハ6蒲原デ1
製造年月1922(大正11)年1923(大正12)年7月1923(大正12)年7月
メーカー汽車会社汽車会社蒲田車輌
窓配置D10DD10DD343D


関西では目蒲より先に阪神急行電鉄(阪急)37,40形、北大阪電気鉄道1形など同型車が導入されていました。こちらは1921(大正9)年に堺の梅鉢鉄工所(後の帝国車輌→東急車輌→総合車両製作所)製でした。東急の母体となる目蒲の五島慶太は阪急の小林一三を師としており、阪急を範として同タイプの電車を汽車会社に発注したのかも知れませんね。

DSC_0367_20150809145133ffb.jpg
モハ41に機器を譲ってからは車体のみが村松車庫でダルマさんになっていましたが、新潟県最古の電車ということで台車やパンタなど一部の機器が取り付けられて電車らしい姿を取り戻しました。
これらの部品は全線廃止後に解体されたモハ31の部品でしょうかね?
台車はデ2からモハ21に引き継がれ1979(昭和54)年にモハ21が廃車となった後も残っていたのでしょうかね。

DSC_0375.jpg
車内・・・つり革や運転台のマスコンが木造電車にとっては新し過ぎる感じはしますがこれらもモハ31の「遺品」?
ダブルルーフの構造がよく分かる貴重な存在です。

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

保存車 | 22:39:12 | Trackback(0) | Comments(0)