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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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城址公園の旧・蒲原鉄道モハ11
村上藩から分藩された村松藩3万石堀氏の居城として1644(寛永21)年に築かれた村松城。
城は幕末の動乱で焼け落ち、明治には廃藩置県時に村松県庁が置かれたものの統廃合により新潟県となって県庁もなくなりました。
その後は農地や、蒲原鉄道の線路が敷かれて現在は五泉市立村松小学校や城跡公園となっています。

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城址公園の旧蒲原鉄道村松~西村松の路盤跡(1985(昭和60)年4月1日廃止区間)の道路に面した場所に置かれているモハ11。ED1と同じく1930(昭和5)年日本車輌製。
当初は型式の記号が「モハ」でなく「デ」だったためデ11を名乗っていました。
庄内交通モハ3と同タイプの車両ですが庄内が2段上昇窓なのに対しこちらは1段下降窓でより古典的な姿に見えます。

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同型車はモハ12,13がいましたがモハ12は蒲鉄線全線廃止後に個人に引き取られたとかで、モハ13は車両改造時の玉突き部品を利用し、モハ51形モハ51に型式変更されてます。

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モハ11は村松~加茂廃止時にワンマン化されることなく廃車。村松~加茂開業時に準備され、同線廃止とともに消え現在はその線路跡に保存という完全な地元っ子電車。
半鋼製電車のはずですが窓が小さいので見た目は木造電車の延長という雰囲気が拭え切れていません。

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保存車 | 22:23:34 | Trackback(0) | Comments(0)
旧・蒲原鉄道冬鳥越駅跡~その3~
冬鳥越最後の一台は唯一の電機ED1。25t機で1930(昭和5)年の日本車輌、東洋電機製。
車体をボールドウィン、電装品をウェスチングハウスが量産して米国内は元より世界各地の電気鉄道に輸出していたものと同タイプです。同型の機関車では近所で見慣れていた名鉄デキ370もデキ373~379は車体が日車製でしたが電装品はウェスチングハウス製だったようです。
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多くの同タイプ車は前面が乗務員扉+前面2枚窓なのに対しこちらは前面窓1枚で大人しい表情。
前面スタイルだけでいうとむしろ三菱製の名鉄デキ300や近鉄デ61が近いかも?

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側面から見ると名鉄デキ370や弘南、三岐ED22、松本ED30と変わりません。

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車内は電車と同じ左手マスコン、右手ブレーキの配置。
機関車にしてはシンプル過ぎるような・・・。

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除雪作業時に車体に付いた雪を落とすためのヘラ。
車庫で職員さんが他の仕事の合間に拵えた・・・と言う感じ。

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柄にはEL1号の文字が刻まれています。
元は型式がEL形で登場して後にED1形と改番されているそうな。



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保存車 | 23:24:55 | Trackback(0) | Comments(2)
三岐鉄道のチキとED5081重連
新潟保存車シリーズが続いてましたがちょいと中断して地元に近い話題。
最近しばらく行ってなかった三岐鉄道へ~。
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東藤原に着いてみると安治川口からお客さんのようです。
三岐には7月頃に来ることが多いチキですがまさかお盆中に来てたとは。
東藤原←チキ6306+チキ6168→富田の編成でした。

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ホームには東武鉄道から来たED5081+ED5082が止まってます。
東武貨物廃止から10年以上経ってようやく8月から重連の姿で復活したようです。
さて沿線どこで撮るか・・・車を置いて取り敢えず電車で大安まで行くことに。

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宇賀川の鉄橋は何度も撮ってるのでその富田寄りにできた踏切から。
東武時代を髣髴とさせる姿ですが塗装の茶色が三岐の方が明るい色なのでこちらのがより撮影し易いかな?

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東藤原に戻ると白ホキ2両の後ろにチキをくっつける入換が行われてました。

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短い編成なので東藤原からほど近い多志田谷の築堤ならサイド狙いで撮れるだろうと移動。
結果は・・・架線柱は上手い具合にクリアしたものの手前の道路の電柱がギリギリ掛かっちゃいました~(- -)



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私鉄貨物 | 00:26:42 | Trackback(0) | Comments(2)
旧・蒲原鉄道冬鳥越駅跡~その2~
蒲原鉄道で1999(平成11)年10月4日の全線廃止まで使われていたモハ61。
1940(昭和15)年の日本鉄道自動車製の武蔵野鉄道クハ5855形クハ5857→元西武鉄道クハ1231形クハ1233ということですが、1958(昭和33)年に電動車化改造した上で蒲原鉄道に入っているのでほとんどの時期を蒲鉄で過ごした車と言って良いでしょう。
西武時代の写真などはほとんど見たことがないです。
三岐や一畑にも仲間が転属しているのですが三岐では前面貫通化、一畑ではヘッダが一直線に改造されてみんな互いに似て非なる外観になっていました。
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蒲原に来てた後も現在まで、旧西武カラーを堅持しています。

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戦中の名鉄、富山地鉄、終戦後に近江、北陸など日鉄自製車体の電車は多かったですがそれらとも少し違った雰囲気。
前面のヘッダが緩やかな曲線を描いており、これ以後の戦中、戦後に多くつくられた直線的デザインの同社製電車より古典的な美しさがありますね。

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車内。晩年の蒲原鉄道共通の赤いモケットが張られたシート。まだ色鮮やかで草臥れていないため現役感があります。
前面窓は中央が左右のより若干広いので中央運転台になってそうなものですが実際には片隅運転台構造になっています。

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保存車 | 00:07:30 | Trackback(0) | Comments(0)
旧・蒲原鉄道冬鳥越駅跡~その1~
旧・月潟駅から南下して加茂から旧・蒲原鉄道沿いに村松方面へ向かいます。
加茂から先は山中に入って人家はめっきり減り、国道を行き交う車も少なくなります。
やがて見えてくるのが冬鳥越スキー場。

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蒲原鉄道デ1形デ2→モハ1形モハ1。1923(大正12)年7月蒲田車輌製作所製とのこと。
以前光明電気鉄道の回で出てきたメーカーですが羽後交通雄勝線のデハ以外にも現存車があったんですね。
この電車は1923(大正12)年10月20日の蒲原鉄道五泉~村松開業時に用意された新潟県下初の電車で、1954(昭和29)年に電装品や台車をモハ31に譲って車体は村松車庫で蒲鉄線全線廃止まで詰所や倉庫として利用された後、下回りや電装品の一部を復活させて保存されました。
目黒蒲田電鉄(目蒲電鉄・・・東急目黒線、多摩川線、池上線)のデハ1(→モハ1)、デハ6(→モハ6…デハ1より車幅が20cmほど広い)と同型車とされますが、車体細部には差異もあります。目蒲デハ1は10枚の側窓が等間隔に並ぶのに対し、蒲原デ1両側のドアから見てそれぞれ内側3枚目と4枚目の間の窓柱が太くなっています。

違いをまとめると・・・





 目蒲デハ1目蒲デハ6蒲原デ1
製造年月1922(大正11)年1923(大正12)年7月1923(大正12)年7月
メーカー汽車会社汽車会社蒲田車輌
窓配置D10DD10DD343D


関西では目蒲より先に阪神急行電鉄(阪急)37,40形、北大阪電気鉄道1形など同型車が導入されていました。こちらは1921(大正9)年に堺の梅鉢鉄工所(後の帝国車輌→東急車輌→総合車両製作所)製でした。東急の母体となる目蒲の五島慶太は阪急の小林一三を師としており、阪急を範として同タイプの電車を汽車会社に発注したのかも知れませんね。

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モハ41に機器を譲ってからは車体のみが村松車庫でダルマさんになっていましたが、新潟県最古の電車ということで台車やパンタなど一部の機器が取り付けられて電車らしい姿を取り戻しました。
これらの部品は全線廃止後に解体されたモハ31の部品でしょうかね?
台車はデ2からモハ21に引き継がれ1979(昭和54)年にモハ21が廃車となった後も残っていたのでしょうかね。

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車内・・・つり革や運転台のマスコンが木造電車にとっては新し過ぎる感じはしますがこれらもモハ31の「遺品」?
ダブルルーフの構造がよく分かる貴重な存在です。

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保存車 | 22:39:12 | Trackback(0) | Comments(0)
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その3~
月潟駅の保存車最後はキ116。
国鉄でDD15やDE15以前にラッセル車と言えばこれでしたが自分も実際DE15以降しか見てない世代なので国鉄線上で現役の姿は見たことがありませんね。
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1932(昭和7)年鉄道省大宮工場製。
新潟交通で先代の雪掻車キ36(1914(大正2)年こちらも大宮工場製)が老朽化したためその代替で1968(昭和43)年5月に新庄配置だった同車を譲受したとのこと。外観は国鉄時代と変わっていません。

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真っ黒な車体で車内はさぞ暑いもの・・・と思いましたが3両の中で一番涼しかった(あくまで比較的)です。
窓が少なく車内に日が当たらないためでしょうか。

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左右の除雪翼を操作していたハンドル。国鉄では左右に2人が乗務していましたが・・・

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キ116の前面には国鉄時代にはなかった運転台が追加されたため前面では3人で乗務していたようですね。
キ100形などの除雪貨車は本来機関車から後押しされるもので、除雪に関する操作と前方監視は行うものの、運転操作は後押しの機関車で行うという代物でした。
キ116は新潟交通譲渡時にモワ51と総括制御できるように電車用のマスコンとブレーキ装置を設置しており事実上「クキ116」になっていました。


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保存車 | 20:57:10 | Trackback(0) | Comments(0)
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その2~
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キ116と連結されているモワ51。
モハ11と同じく1933(昭和8)年日本車輌製です。モハ11の旧車体はモワ51を引き延ばして側面窓配置を1D9D1としたもので、前面スタイルはほとんど同じでした。
モワ51の現役末期は今の展示状態と同じくキ116と編成を組んで除雪専業になってましたが、「モワ」とある通り元々は電動貨車。越後平野の米や野菜など主に農産物輸送に活躍していました。

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新潟電鉄にとって旅客輸送だけでなく貨物輸送も大きな意味がありました。
これにはすぐ隣を流れる中ノ口川が大きく関係しています。
信越本線や越後線、新潟交通の開業する前、港湾都市新潟と後背地となる越後平野を結んでいたのは信濃川や中ノ口川の水運でした。
信越本線や越後線が開業した後も中ノ口川沿いの汽船は重要な交通手段として残り月潟の町にも船着き場があり賑わっていたということです。
ところが1927(昭和2)年に上流の信濃川にあった大河津分水の堰が陥没し信濃川本流、中ノ口川の水が大河津分水に流れ込み中ノ口川の水位が低下。汽船の運航ができなくなってしまったため代替交通機関として新潟電鉄の前身となる中ノ口電気鉄道が1929(昭和4)年に設立されたのでした。
汽船から電車へ旅客・物資輸送のバトンが渡され、電鉄開業時に用意されたモワ51も重責を担うことになったのでした。

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さて、そのモワ51は構造的に非常に簡素にできてます。
運転台の主な機器はマスコンとブレーキに圧力計くらい。
床下も台車の間の狭い空間しかないので少々機器箱がある程度で、エアタンクやコンプレッサなどは車内の運転席の後ろに置いてありました。
外観がシンプルなおかげでモデル化し易く模型ファンにも人気のある電車です。

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旅客用ではないので車内も天井は骨組み剥き出しで、車内灯があることを除けば木造のワムなどとあまり変わりません。

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床下に抵抗器があるためかこんな注意書きも。
因みに新潟電鉄は軌道線が直流600Vで開業したものの鉄道線は直流1500Vで開業。後には軌道線も特例で1500Vに昇圧しており架線電圧だけ見ると当時としては破格の幹線クラスでした。

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保存車 | 18:26:09 | Trackback(0) | Comments(0)
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その1~
新潟一泊の翌朝は今までと打って変わって雲一つない夏空。
旧・月潟駅へは線路跡を眺めつつレンタカーで中之口川に堤防道路を遡ってたどり着きました。
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着いてみて驚いたのは真新しいコンクリート製架線柱が建っていたこと。
電車線復活の計画でもあるのかと思いました(笑)

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モハ11、モワ51+キ116の3両が保存されているのはこれまでも趣味誌等で知っていましたが綺麗過ぎず、くたびれ過ぎずの現役感さえ感じられる極上の保存状態です。
雪国で車両を野天で保存するのは非常に御苦労の多いこととと思いますが屋根を付けて現役時の雰囲気を損ないたくないというこだわりがあるのでしょうか。

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青空とかぼちゃ電車の色のコントラストがまた実に美しいです。
ここだけ見ると廃線の駅には全く見えません。月潟終着の電車が東関屋へ折り返し待ちしている所を構内踏切上から見てるようです。

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車輌や駅舎の外観だけ見るつもりで行ったのですが、月潟駅の保存をなさっている「かぼちゃ電車保存会」の方がいらして車内の見学や貴重なお話を伺うことができました。思い掛けないところで大収穫!お礼申し上げます。
元々新潟交通沿線御在住の方でしきりに「電鉄」と呼んでおられたのが印象に残りました。
新潟交通と言うと地元ではバス会社を指す名称であって、戦時統合前の旧称・新潟「電鉄」の方が電車線を指す言葉として生き残ったようですね。

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モハ11の扉を見てみると電車の扉としては妙な構造になっていることに気づきました。
扉の下端がステップまで届いていないのです。
扉が閉まってもステップは車外に出たままとなる構造で手動扉の旧型客車や戦前のガソリンカーではよく見られた構造です。
しかしモハ11は元々新潟交通電車線の前身である新潟電鉄開業時の1933(昭和8)年に日本車輌でつくられた純粋な電車であってガソリンカー改造電車ではありません。しかも車体は1966(昭和41)年に新しく作り変えられており、当時新製された車両でこんな構造の車輌は他に思いつきません。そもそもどういう目的でこんな構造にしたのかな?

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保存車 | 22:48:35 | Trackback(0) | Comments(6)
きらきらうえつと隠れ遺産~
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鶴岡からはきらきらうえつで羽越本線を新潟へ。
ご存知の通り国鉄時代からの特急車485系を改造したものなので走行音は懐かしい昔ながらの特急電車。
眺望を確保するため高床式に改造されており、冷房機器も床下に設置されている様子。
それほどの音ではないのですが停車中や徐行中など静かな時には床下から電気機関車のブロワー音のような音が聞こえます。

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きらきらうえつは日本海を眺めるための列車ですが羽越本線では鉄道好きには山側にも面白いものがあります。
あつみ温泉付近では未供用の複線断面トンネルが口を開けているのが見えます。
住吉山トンネルというトンネルだそうで国鉄時代末期に完成してから列車が通らないままこの状態。

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村上からは平野部を走り終点新潟駅に到着。きらきらうえつと並ぶ115系越後線普通列車。
新潟駅は高架化工事が進んでいるためか何だかゴチャゴチャした光景になってます。

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ホームにあった懐かしい新幹線のサイン。これも工事が進むと見られなくなりそうです。

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新潟駅。駅舎と言っても国鉄時代は新潟鉄道管理局の庁舎としての役割の方が大きかったでしょう。
JR東日本の新潟支社はこの右の棟に入っているようで、駅直上の階からは明かりが漏れていませんが空っぽなんでしょうか?

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新潟駅舎夜景。
こんな感じの駅舎も少し前までは珍しくありませんでしたが高架化や再開発で今ではほとんど姿を消してしまいました。
まだ産業遺産、文化遺産と認識されるほどには古くもないためかこの手の建築物はなかなか残りませんね。

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撮影行 | 23:10:45 | Trackback(0) | Comments(2)
松に埋もれた善宝寺駅
酒田港からは庄内平野を少し内陸に入って行く羽越本線から離れて海岸沿いに湯野浜温泉方面へ。
酒田から鶴岡に近づくと天気が良くなってきました。同時に暑くもなってきました。(- -;)

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1975(昭和50)年4月1日に廃線になった庄内交通湯野浜線の善宝寺駅・・・なのですが、何じゃこりゃ・・・(・ ・;)
相対式ホームが見えてますがかつての線路やホーム上に松の木が育っています。

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鉄製架線柱だけが辛うじて見えますが置かれているはずのモハ3が全く見えません。
善宝寺駅跡の鉄道資料館が閉鎖されてから荒れているとは聞いてましたがよもやここまでとは・・・。
駅前の善宝寺は1200年の歴史を持つ古刹で観光客も結構多かったです。
旧・善宝寺駅も駐車場の一角と言う感じになってしまってます。

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駅前から見た善宝寺駅の旧・駅舎。善宝寺を意識したようで屋根上には鴟尾まで付いていますが右側(鶴岡方)が失われてます。
お寺の駐車場が手狭だからここも潰して駐車場に・・・何てことにはならないで欲しいですが。

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元の善宝寺鉄道記念館の入口と思われるところから辛うじてモハ3の生存が確認できました。
鶴岡方の踏切跡から見ても植込みで目隠しがされており、ここからしか見ることができません。
モハ3は1930(昭和5)年日本車輌製の小型電車。同型がモハ1,3,5と奇数で存在しました。

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因みに駅前の善宝寺。象徴とも言える五重塔・・・魚鱗一切の供養塔をはじめ漁業にまつわるものが多いようです。
ここだけを見ると山の中のような感じはしますがこの山の向こうはすぐに日本海です。
そこには海に面した湯野浜温泉があり湯野浜線の終点でもありました

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善宝寺駅鶴岡方面の路盤跡は道路になってます。そして立派な農業倉庫群には側線もあったそうで。
かつての1965(昭和40)年の時刻表を見ると1時間に1,2本の電車は走っていたようです。鶴岡接続の羽越本線の汽車ダイヤに合わせたためか等間隔にはなってませんがまずまずの本数。
因みに現在の庄内交通バスで善宝寺を通る路線は平日5往復、休日に至っては3往復。

ところで善宝寺駅にはかつて林鉄タイプのナローゲージ協三5t機に無理やり1067mmゲージ用の下回りを取り付けたようなスイッチャー(?)がいたというのですが入換用なのか保線モーターカー代わりだったかは分かっていません。

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廃線跡(一般鉄道) | 23:51:43 | Trackback(0) | Comments(0)
酒田港駅と東北東ソー専用線跡
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仁別の翌日は新庄でレンタカーを借りて再度真室川へ。
奥羽本線普通列車が秋田を出る1分後に新幹線が追ってくるダイヤになっていたので列車最後尾で待ち構えて撮影~。
真室川は前日と同じく雨だったので早々に切上げて国道344号で山越えをして酒田港へ向かいます。

酒田港では雨が上がり多少明るくなってきました。
とは言えスイッチャーも処分されて錆びた線路が目立つだけ。

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風車をバックにDE10 3511を先頭にした列車が1本。

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見覚えのある青いタンクコンテナがあります。専用線が廃止になった羽前水沢からトラックで持って来てここで列車に積み降ろしを行っているようです。

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こちらは東北東ソー専用線跡。

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東北東ソー酒田西工場へと向かう線路は酒田方面(奥方向)から分岐し左奥の建物の向こうへ延びていました。
こちらはかつては日新電化という会社でした。名鉄広見線ライン遊園駅(現・可児川駅)から分かれていた名古屋パルプ専用線にいたDB-20という1956(昭和31)年日本車輌製20tDLが日車で整備の上転売されていますがこの専用線で使われていたのかも知れません。
ジャックロッド式で関東鉄道のDD502をL型機にしたようなスタイル・・・今でも同型機が千葉の某専用線で工場内の入換のみに使われているそうです。


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専用線跡 | 23:30:25 | Trackback(0) | Comments(0)
旭川川沿いの仁別森林鉄道跡
夏の恒例行事になってきた秋田の仁別通い。
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能代署仁鮒林鉄の酒井8t箱型機ももうお馴染みですが廃線跡はまだぽつりぽつりとしか見てないんですね。
まあ酷暑の時期に廃線跡巡りは効率は悪いし、熱中症にもなるしであまり良くないのですが・・・(^ ^;)

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仁別集落から旭川を少し上流に遡ったところに旭川ダムという治水ダムがあります。
ダム湖川の水位がえらく低く渇水か?とも思ったのですが木の茂り方を見るとこれが通常水位のようですね。
この水底に仁別林鉄の本線が水没しているはずですが。

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堰堤上から見てもダム湖を見ているとは思えない光景。
左が砥沢支線が通っていた砥沢で、この上流にはオッカナ橋があります。
砥沢支線は水面より高い位置を通ってたので路盤が見えるかなとも思ったのですが深い草に覆われてわからず(- -)

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堰堤上から仁別集落方面を見ると秋田杉の森が拡がります。
秋田杉ともなるとやはりうちの近所で見かけるスギとは何か雰囲気が違う気がします。
遠くから見ると輪郭がシャープで山字体のシルエットも岐阜や愛知のスギの山とはどことなく違います。

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こちらはもっと下流。仁別~松原のサイクリングロードとなっている区間。
ここに真室川のD-40を走らせて見たいですね。

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森林鉄道(青森、秋田営林局) | 22:12:22 | Trackback(0) | Comments(0)

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まとめ