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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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えちぜん鉄道テキ521+522撮影イベント~その3~
1914(大正3)年の開業時につくられた旧・京都電燈古市変電所。
京都電燈は越前電気鉄道の母体となった京都の老舗電力会社です。
今でも同社の重厚な本社ビル(現在は関西電力京都支店)が京都駅烏丸口に建っているので覚えのある方も見えるかも。
京都市内の嵐電こと京福嵐山線や叡電こと叡山電鉄も元は京都電燈がつくった電気鉄道です。
まだ電気を引いてない家も多かった当時のこと。
電車は余剰電力を使うというだけでなく自社製品である電気の広告塔という意味もあったようですね。

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以前は叢に荒れ果てた姿で建っていたこの変電所でしたが周りも整備されて随分とさっぱりしました。
前のあの怪しげな雰囲気もあれはあれで良かったですけどね(^ ^;)
福井市付近の赤煉瓦建物は福井空襲や1948(昭和23)年の福井地震であらかた失われているため非常に貴重な存在です。

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永平寺口駅新駅舎。金津~永平寺直通時代の旧・永平寺線ホーム跡に建てられました・・・以前は駅裏の永平寺行バス乗り場があった方に駅舎も移転したわけですね。

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旧・駅舎は地域交流館として健在。
集落中心部はこちらなのでここからも駅構内に入れるよう配慮されているようです。

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新駅舎ができても各所に彫刻が施され、デザイン性では旧駅舎に軍配が上がりますね。
現在ではコストの問題でとてもではないですがこういう駅舎はつくれないでしょうね。

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永平寺口から福井口へのテキ返却回送を撮りにリンク先の社長さんと観音町まで移動~。
松岡~観音町の併用軌道風な場所で撮ることにしました。
軌道線車両がこういうところを走るのも面白いのですが電気機関車ともなるとあまりに異様な雰囲気です。

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振り返って後打ち。
道路標識やミラーが林立してごちゃごちゃしますが、こちらの方がより道端の雰囲気が出ますね。
かつては中竜鉱山からの鉱石輸送やダム資材輸送などがあり、こんな路地裏軌道でも長大貨物列車が走っていました。

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電気機関車 | 21:51:05 | Trackback(0) | Comments(2)
えちぜん鉄道テキ521+522撮影イベント~その2~
越前島橋駅からテキ521+テキ522展示場所の永平寺口駅へ移動してきました。
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末期の永平寺線乗り場だった1番線留置なのはいつも通り。
しかし背後に見える駅舎が既に駅舎としての使命を終えて新駅舎が反対側にできています。

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テキ522勝山側の尾灯を見ると茶色の塗装の下から緑色が見えています。
京福電気鉄道時代の昭和40年代中頃まで電車に塗られていた色なので廃車からの再利用品なのでしょう。

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京福福井の電車がクリームと緑の塗り分けだった頃。
クリーム部分が黄色っぽかったり、赤味がかっていたり、屋根がえんじ色に塗られたりで同じ塗装でも時期によって結構ばらつきがあったようです。
車輌イラストは永平寺鉄道引き継ぎのホデハ104形(1930(昭和5)年日本車両製)。
越前電気鉄道(現・勝山永平寺線)や三国芦原電鉄(現・三国芦原線)と同タイプの電車でしたがこちらは制御装置が直接制御で2両以上では総括制御不可という路面電車のような構造でした。
2両以上で運転するときは機関車が客貨車を引っ張るように無動力とするか、後ろの電車にも運転士が乗務して警笛合図などで力行、惰行、ブレーキなど息を合わせて運転しなければなりません。

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今年も福井方の桜と撮れるポイントでの撮影会が2回。
今年は係員さんの誘導で休耕田(?)内からの撮影もできました。

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曇っているので今年は反対側からも。
永平寺町保健センターの駐車場から見るとすぐ下の田んぼには既に水が張られておりヘッドライトが水鏡に。
この場所は1969(昭和44)年9月18日に廃止された永平寺線 金津(現・芦原温泉)~東古市(現・永平寺口)の路盤の上でもあります。

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今年は駅の勝山方での撮影会もありました。赤レンガの旧・古市変電所と桜との組み合わせとのことでしたが、あまりそれにはこだわらず撮影~。

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変電所との組み合わせより勝山方からテキが入線してくる風景を撮りたかったもので・・・。
右下には旧永平寺線のレールが見えてジャンクション駅の面影が残ります。
金津まで線路が延びていた頃は永平寺から来た永平寺線がテキがいるところで越前本線(現・勝山永平寺線)と平面クロス、北側の永平寺線ホームに達していました。
長らく残っていたその永平寺線ホームは永平寺口駅新駅舎が建ったことで撤去されています。

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電気機関車 | 22:18:08 | Trackback(0) | Comments(2)
えちぜん鉄道テキ521+522撮影イベント~その1~
毎年恒例のえちぜん鉄道永平寺口での桜とテキ521+テキ522撮影イベントにお誘いを受けて出かけて来ました。
正式にはML521+ML522ですが「ML」より京福時代からなじんだ「テキ」の方がしっくり来るのでこの名前で書きます。
まずは福井口車庫から永平寺口への回送を越前島橋駅勝山側の跨線橋上から。
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背後が北陸自動車道なので騒がしいですが長閑なローカル私鉄らしい交換駅の全景を見下ろせる好みのポイント。

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待っていると横からトコトコと線路際に何か近寄ってくる影が2つ・・・
片割れはすぐにやぶの中へ消えまてしまいましたが。

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キジ君でした。もう一羽はメスでしたがどうも彼がアタックしたところ玉砕した様子・・・(- -)
とは言えそんなことどこ吹く風というのほほんとした表情。

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そんな彼はさすがは地元だからかえち鉄の電車が来ても「いつもの電車か~」とばかりに線路端で寛いで逃げる様子もなし。

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これはキジ君とテキの組み合わせが撮れるかな・・・と思ったもののテキが出て来ると慌てて叢に隠れてしまいました。
見慣れない茶一色の凸型ボディーにラッセルブレードの攻撃的な姿に驚いちゃったのでしょうかね~。

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電気機関車 | 00:13:48 | Trackback(0) | Comments(2)
光明電気鉄道二俣口駅のプラットホーム
天竜浜名湖鉄道天浜線の天竜二俣駅。
国鉄二俣線としての開業以来75年経ち、木造の駅舎やラウンドハウスが文化財となるほどの歴史を持つ駅です。
しかしこの場所にはそれ以前にも直流1500V電化の鉄道が来ていました。
1928(昭和3)年から1935(昭和10)年のほんの短い期間、中泉(磐田)~二俣町を結んでいた光明電気鉄道です。

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天竜二俣駅構内北西の駐車場端に光明電鉄二俣口駅の1面1線のホームが残っていました。

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二俣町寄りから見ると階段が付いているので、よりプラットホームらしい雰囲気が濃いですね。
奥の車と住宅の間を天浜線の線路が通っており、左奥が天竜二俣駅となります。
光明電鉄線はこの先左にカーブして現在の天竜二俣駅構内からは豊岡付近まで天浜線の線路と同じルートを通っていました。

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ホーム上から終点の二俣町方面を見た様子。
緩いカーブがいかにも鉄道らしく、中泉行の電車がトンネルを抜けて秋葉海道の踏切を横切り進入して来る・・・そんな雰囲気が感じられます。

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イラストは光明電鉄モハ301,302をモデルとして塗装などは推定

光明電気鉄道の電車は自社発注の蒲田車両製モハ301、302、モハニ311のほか東武からの借入車がいたとのこと。
当時の東武や関西私鉄を思わせる大型パンタが目を引きますが、木造、トラス棒付きで当時既に半鋼製、鋼製車が出てきている中ではいくらか時代遅れな印象。
メーカーは大手に断られたのか蒲田車輛という零細メーカー。このメーカーは戦前にはなくなっているので作例も少なく、電車では秋田県の雄勝鉄道(後の羽後交通雄勝線)デハ1~3と島根県の広瀬鉄道(後山陰中央鉄道→一畑電鉄広瀬線)デハ1、2、サハ3、4。後はどこか向けにガソリンカーをつくってたくらいだったはず。いずれもダブルルーフの木造2軸単車ばかりでボギー車は光明電鉄向けくらいだった気が・・・
羽後交通雄勝線のデハ1が現在も雄勝線梺駅跡に極上の状態で保存されてますが前面中央の窓が一段高くつくられているなどデザインに共通点が見られます。
モハ301、302、モハニ311の3両は光明電鉄末期に富山電気鉄道(現・富山地方鉄道)へ売却され、戦後も富山地方鉄道モニ6571~6573として1969(昭和44)年まで使われていたようです。

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イラストは富山地鉄で戦後鋼体化された後の姿。

木造車体では痛みが激しかったのか1949(昭和24)年に日本海ドックという造船所で鋼体化されました。
モニを名乗っていますが構造的には荷物室と客室が分かれたモハニの合造車だったようです。
実際には客室部分も荷物室扱いでお客さんは乗せてなかったようなことを聞きました。

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廃線跡(一般鉄道) | 17:36:21 | Trackback(0) | Comments(0)

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