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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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遠州西ヶ崎のモーターカー
遠州鉄道遠州西ヶ崎駅の側線にはイギリス製の凸型電機ED282がいることで知られますが、今回はモーターカーの話題です。
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松山重車両工業製のワゴンタイプモーターカーです。
浜松という大都市の郊外電車線よりは森林鉄道にでもいそうな感じです。
山中の軽便軌道をトコトコ走ってきたら似合いそう。

DSC_0354.jpg
横向き座席一列ごとに引戸が付いたスタイルはマッチ箱客車を思い起こさせます。
そう言えば林鉄のモーターカーは運転席と助士席は軽ワゴンのような開き戸で、後部座席の乗員は後ろから乗り込む構造。

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こちらは後ろにも前面と同じような顔が付いてます。同じよう・・・とは言えエンジンがない分すっきりしてますが。

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小柄なED282と比べても半分ほどの高さしかありません。
何とも愛くるしい姿です。
ED282を撮影するのに邪魔などと思ってはいけませんよ~(笑)

DSC_0357_2015022523423027e.jpg
最後にED282の撮影。
昨年車体塗り直したばかりの状態で撮影会がありましたがそれから1年ほど建っても色あせたようなこともなく綺麗な姿。
ボンネット内に納められた抵抗器冷却のためかボンネット上面には木造電車・客車のようなトルペード型ベンチレータが埋め込まれてます。

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スイッチャー | 00:09:20 | Trackback(0) | Comments(0)
豊橋鉄道渥美線老津駅側線
豊橋鉄道渥美線の中ほどにある駅。
渥美半島を走っているけれどもほとんど海が見えない渥美線。
この辺から2駅先のやぐま台までは遠くに田原湾を見ることができます。
新豊橋から市街地m住宅に畑が混じる感じで続いてきますがこの辺から畑の割合が高くなりローカル線の雰囲気です。
DSC_0336.jpg
新豊橋方から見た老津駅、相対式ホームと三河田原方面のホーム(左)裏手に貨物側線を利用した保線車用側線があります。
以前は木造の貨物倉庫も建っていたのですがいつしか消え失せました。

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老津駅から新豊橋方に歩くと本線とつながっていない側線が3本。
高師の車庫を移転するつもりで敷設したとも聞きますが??
高師の車庫を新しくしてしまったのでこちらは未成となるか。

DSC_0334.jpg
旧・貨物側線に留め置かれた元・名鉄と思われるモーターカー。
1978(昭和53)年4月松山重車輌工業製5.5t機
型式MJK-MR-540
製造番号101303(?) よく読めない・・・(^ ^;)

DSC_0332.jpg
レールが積んであるホーム上にはかつて駅舎があり、側線もこんなに奥までは敷かれておらず駅舎で打ちと目となっていた様子。
恐らく二軸貨車1,2両を止めて積み下ろしを行う程度の側線だったのでしょう。

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田原方を見ると複線区間のようにも見えますが右は側線。
かつて東急7200系入線時に改造待ち車輌がここに並んでいましたがそれ以来使うことはあったのかな?
手前の架線柱が右にもう1本線路を敷けそうなスペースを持っているのも気になるところ。


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専用線跡 | 00:36:34 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄EL121,122の試運転
前回はデキ401,402の入換を見たものの、EL121,122は工場内に収まったままだった舞木工場。
試運転は平日でしょうから土日祝しか休みがない勤め人に撮影は困難かと思われましたが、2月11日(水)は建国記念日。
前後に土日がある連休ではないので、土日休みの事業所でも或いは稼働している可能性があります。
ということで何か予感に突き動かされ再び舞木へ~。

DSC_0466.jpg
というわけで構内の1番線を利用して習熟運転中(?)の様子が見られました。
まずは窓上の前照灯を点灯して走行。
前から見るとEL121、122とも「EL120」のナンバーが付いています。
普通は車番の「EL121」「EL122」と入るはずですが何故かこんなことに。
これでは前面だけ見てもどっちがどっちか判別できませんね(^ ^;)
因みに構内で習熟運転(?)を行っていたのはEL122号。
最近の名鉄ステンレス電車(3150,5000系など)と同じ電笛を鳴らしては構内を行ったり来たり。

さてEL122は構内を何度も往復運転しているもののEL121は建屋内にいるのか・・・と思っていたところ何とEL121が下の本線上を名古屋方面から豊橋方面へ駆け抜けてて行くのが見えました。

DSC_0479.jpg
一時間もすれば帰って来るだろうと近くの踏切へ~。
舞木信号場を通過していくEL121を後打ち。
やっぱりスノープラウのある機関車はいいですね~。

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舞木工場の下手から見たEL122。
ところでEL120形なのかデキ120形なのか情報が錯綜してまだよくわかりません。
「120」という番号はデキ100形(1924,1926年 名古屋電車製作所製20t機)、デキ110形(1951年 東洋電機・東洋工機製25t東洋紡私有機 現在の福井鉄道デキ3)があったのでその続番かと思いきや名鉄120周年にちなんだものだそうで。

DSC_0495.jpg
美合~藤川の旧・東海道松並木からEL121が伊奈へ走り去っていく様子を。
台車が電車用のため機関車にしては車輪径が小さく、車体を1色に塗っては胴長短足な感じになってしまいます。
そこで裾部を床下機器と同じグレーに塗り分けて見た目のバランスを整えることにしたようです。
似たような手法は西武→大井川E31や松本→岳南ED40など比較的新しめの私鉄電機に見られますね。


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電気機関車 | 20:36:07 | Trackback(0) | Comments(2)
名鉄広見線明智駅~貨物設備編~
1961(昭和36)年度と早い内に廃止された明智駅(当時は伏見口駅)の貨物営業。
当時の名残は御嵩方に残っています。
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八百津線分岐。
電化設備末端部の架線柱が残っています。
八百津線は電化路線だったのが1984(昭和59)年9月23日レールバスのLEカー導入により非電化となりました。
それでも廃止時まで架線柱は結構残っていました。
伏見口の貨物営業廃止後も八百津駅では貨物営業があり、貨物列車は走っていたようで。

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橋梁やレールは撤去されたもののバラストや枕木が見えてます。
かつて関西電力丸山ダム・水力発電所建設時は貨物で賑わい、ダム完成後もパノラマカー蘇水湖号などが乗り入れて賑わったそうですが・・・。

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今度は八百津線分岐跡から御嵩側へ。
本線の南側には留置線となった貨物側線とコンクリート製のプラットホームが残ります。

DSC_0281_20150211222537c84.jpg
本線を挟んで北側にも側線跡と思しき用地と石積みのホームがあります。
貨物ホームなのかナローゲージ時代の駅遺構かは不明。

かつて可児、御嵩は未熟な石炭である亜炭の採掘が盛んでした。
とは言えカロリーが低く、燃やすと異臭を放つ亜炭は敬遠されて戦中、戦後の燃料入手難の時代が終わると急速に需要が低下しました。
これらの貨物ホームも当時地元で採掘した亜炭などを積み出していた頃の名残と思われます。

可児市内や御嵩町内でそこら中にあった亜炭の採掘跡は現在も放置されたままのところが多く、上の建物や道路、田畑が陥没する事故が頻発して問題になっています。当時の坑道跡にセメントを充填して埋める工事も見られますが、零細業者や家内工業が多かった亜炭鉱は全貌がはっきりしていないようで対応が難しいようです。

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専用線跡 | 18:02:47 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄広見線明智駅~旅客設備編~
名鉄広見線明智駅。旧・中山道の宿場町伏見宿の近くであることからかつては伏見口駅と名乗っていました。
2001(平成13)年9月30日までは八百津線が接続し、30分おきに広見線電車の上下列車と八百津線の気動車が並び賑わっていました。
ちょっとしゃれたデザインの木造駅舎も現在では無人化され、日中は広見線の列車交換もなく寂しくなりました。
因みに当駅での貨物営業は1961(昭和36)年度に廃止されています。
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今も駅舎は変わらないのですが窓口が開いているかシャッターが閉まっているかでやはり印象が変わってしまいますね。
駅舎の築年代は分かりませんが名鉄合併前の東美鉄道以来のものでしょうか。

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旧八百津線の列車が発着していた1番線。
現在も回送列車の発着がある様子。

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2,3番線。ここだけを見る限りでは八百津線現役時代とあまり雰囲気は変わりません。

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3番線裏のスペース。側線があった雰囲気が濃厚ですね。

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6000系ワンマン編成が到着。何はともあれ列車が走ってくれているのは有難いことです。
列車が来る時間帯になるとちらほら乗客の姿も。
手前に延びる線路は旧八百津線乗り場の1番線へ延びている線路。
当時は新可児に気動車検修設備があったので常時1両が八百津線で稼働、もう1両は新可児で待機してましたが、車両交換のために新可児~八百津直通の気動車列車が存在しておりこの線路も通ったことがあります。

次回は明智駅の貨物施設編~

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名鉄 | 22:54:38 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄舞木工場の入換
名鉄電機の新車EL121,122が2月1日(日)早朝にデキ400形のプッシュプルで大江~舞木工場で回送されたようです。
工場が休みの日なのでちょっと寄り道というくらいの気で舞木へ行ってきました。
因みにEL121,122のどちらかは外からも遠望できましたが屋内の奥深くを写した画像をネット上に載せるのはお行儀が悪かろうということで写真はなしです。悪しからず(_ _)

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2014(平成26)年に全廃されたデキ300形。デキ305、306は解体されてしまいましたがデキ303は車籍を抜かれただけでまだ現役。
建屋の扉のうち3番線だけが開いており、顔を覗かせたデキ401のパンタは上がっていました。

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これは入換があるかも・・・と昼休みの終わり頃に再び工場前へ。
それまで開いていた3番線の隣、4番線の扉が開けられてデキ402が出てきました。
デキ402は板台枠をつんのめらせながらこちらの真横で停車。
運転士さんが運転席を移動してエンド交換を済ますとつんのめった台車を整えるためか少し動かしてすぐブレーキ。
傾いてずれた台車の位置が揃ったところで1番線へと入って行きました。
車体更新されているとはいえ85歳を迎える古典電機ですからあちこちガタピシしている様子。

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古い国鉄電機のような面構え・・・角張った感じはEF10初期型やEF15のような印象ですがこちらの方が年上。
国鉄機は前面窓に対して間柱の比率が大きくて間延びした感じですがこちらは小顔にパーツが集まって引き締まってます。
左右の窓下に配された砂箱も印象に変化を与えて良い感じですね。

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続いて3番線からデキ401が出てきます。
庫内には車号は分かりませんがデキ600も見えますね。

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屋根上に梯子もデキ400形の特徴の一つ。
1959(昭和34)年の伊勢湾台風のときにはデキ401+デキ377の重連が常滑線大江付近で停電のため立ち往生。
車体の大半が水没する暴風雨の中で乗務員が屋根上で一夜を明かし、翌朝自衛隊員に救助されたということもありました。

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この日の夜中にホキ車が待つ豊明へ重連で返却回送となるらしくデキ401とデキ402の連結作業が行われました。
普段は重連を組んでいるかホキを挟んでプッシュプル編成を組んでいるためデキ401とデキ402の顔が並ぶことはあまりありません。

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4番線の奥には新車のEL120もいるため肉眼では新旧4形式の私鉄電機が一堂に会するというこの上なく豪華な並びが見られました。

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電気機関車 | 00:22:00 | Trackback(0) | Comments(0)