投稿日:2015-01-31 Sat
うちの最も近所でDLが常駐している場所・・・と言っても保線モーターカーですが。
最近ピカピカの新車が入りました。
銘板の製造年月、製番は読めないのですが松山重車輌工業2014(平成26)年製の20t機と見られます。
「37号」と付番されていました。
どこかのスイッチャーと同じように小さいながら注連飾りも付けられていました。

こちらのレール輸送トロもセットで納車されたようです。

観音寺駅の様子。JR東海道本線の尾張一宮駅、名鉄名古屋本線と接続する名鉄一宮の次駅で、住宅街の外れにある1面1線+保線車側線があるだけ。
駅名の由来は近くにあった観音寺の住職が駅を誘致したためと言いますが観音寺は既に遺構と化しています。

ホームは1面しかないものの構内は意外に広く20年ほど前までは名鉄各線の高架化や橋梁架け替えで不要となったガーダー桁が大量に置かれていました。
以前は車庫でもあったのかと思わせるほどの広い敷地ですが特にそんなものはなかったようです。
因みに尾西鉄道時代以来の車庫は津島駅構内にあったとのこと(1969(昭和44)年の津島駅高架化で廃止)

もう1台いるDLは以前から常駐する一回り小型のモーターカー(この後ろの道が高校時代の通学路だったのでもっとも見慣れたDLかも・・・)
こちらも松山重車両工業製で「19号」とあります。
名鉄ではよく見られるものですがそろそろ世代交代でしょうか。
スポンサーサイト
投稿日:2015-01-23 Fri
田峯駅にあった営林署土場の側線です。専用線ではなくあくまで鉄道事業者側の構内側線のようですが、営林署の専用線的な雰囲気なのでこちらに載せてます。
田峯駅では宮内省帝室林野局名古屋支局新城出張所→林野庁名古屋営林局新城営林署の田峰森林鉄道(林鉄は「田峰」表記のようです)鰻沢線と接続しており、林鉄鰻沢線や支線の栃洞線で運ばれてきた木材の中継を行っていました。
田峯駅とは隣接して竹桑田土場があり、田口線や乗り入れて来る国鉄、私鉄貨車などに積み込みを行う側線もありました。一応以下では「土場側線」と呼ぶことにします。
因みに田口鉄道は1956(昭和31)年10月1日に豊橋鉄道と合併して同社田口線となっていますが土場側線が豊橋鉄道になってからも使っていたのかはわからないので表題は「田口鉄道」としてます。
田峰森林鉄道の廃止時期は資料によりばらつきがあるのですが、名古屋営林局統計書によると1959(昭和34)年度中に撤去されたようです。同時期に土場側線も無くなったと思われます。
田口線自体も1968(昭和43年)9月1日全廃、三河海老~田峯~清崎は8月29日に豪雨で不通になったまま廃止の日を迎えています。

田峯駅付近の配線図。上が北で清崎・三河田口方面、下が本長篠方面です。
寒狭川が曲がりくねってまるで「田峯島」という感じ。
古い航空写真や断片的な構内写真から推定したものです。
竹桑田土場の側線は機回し線がない棒線のように見える写真もありよくわかっていません。
田峰林鉄の配線に至ってはほとんど想像です。車庫は奥地の団子島にあったようですがここにも最低限機回し線はあったはず(^ ^;)

田峯駅を三河田口方から見た様子。
上り線や一般貨物用の側線があったと思われる辺りは愛知県道389号線の車道、島式ホームと下り線、駅舎、営林署土場側線分岐には建物ができてます。
当時の県道は歩道部分のみだったと思われます・・・そりゃ田口線を使うしかないですね(・ ・;)
急峻な山が寒狭川に迫るごく僅かな平地に鉄道駅や駅前商店街、県道が集まり交差していたんですねえ。

土場側線は駅舎を挟んで山側に延びていた様子。
駅の真横にはすぐ山が迫っているので土場を作る余地がないのです。
右の軽トラから並木の下に続く道が側線跡。軽トラ前方が田峯駅舎となります。
一段高い土地は田峯森林鉄道の軌道敷。林鉄のガソリン・代燃機関車と田口鉄道の40t電気機関車デキ53の並びが見られたのでしょうか。

軽トラの尻から右を見れば林鉄のトンネル。遊歩道になっており電灯も完備されてますがトンネルの先が土砂崩れで通れなくなってます。
右の坂道を上ると田峯集落の中心地、田峯観音や田峯城跡があります。

軽トラから左の道に入ると苔むした貨物ホームが続いています。

「山」の文字が入った旧・営林署の用地境界標。因みに宮内省帝室林野局時代のものは「宮」と掘られています。
プラットホームの線路側の際に立っているこの境界標・・・貨車へ木材を積み込むのに邪魔なだけでは?と思うのですがはてさて??

因みにホーム上の竹桑田土場跡。この辺では珍しく広々とした平地となっています。
林鉄はこの右の隅の方に敷かれていたものと思われますが特に痕跡はなし。
因みに現在では林鉄沿いに国道257、420号を行くと新段戸トンネルを越えて足助、豊田経由で名古屋へ1時間半程度。
田口線、森林鉄道があった時代から木材は足助、西中金、刈谷経由で名古屋へ運ばれるものが多く、三河鉄道(現・名鉄三河線)がライバルとなっていたようです。
投稿日:2015-01-19 Mon

レール電柱の切り株。10㎏レールの底面を削って両面から主柱となるレールを挟み込むように支える構造。

支流の沢を渡る厳床橋から上流側を覗き込むと橋脚が2本。
カーブ木橋が架かっていたようです。因みにこちらは旧線。

厳床橋の直下には新線のものと思われる橋脚。
こちらはコンクリートか鋼製のガーダー橋が架かっていたようです。
林道を建設した際に上部をボッキリと折られてしまった様子。
3㎞ポストを過ぎた辺りで林道はまだまだ続いてますがそろそろ折り返さないと真っ暗になりそう・・・。
というわけで続きはまたの機会に。

末期にいたのと同型と思われる協三4.8t機。
寸又峡温泉で保存されている同じ東京営林局の機関車です。
熊切林鉄は小規模ですが先に廃止された気田林鉄から転出してきた機関車なので貫通エアーブレーキ装備の豪華仕様(?)だったようです。

運材車も恐らくこれと同型の富士重製モノコックトロだった様子。
投稿日:2015-01-18 Sun
薬師橋を越えて暫く杉川の右岸を行きます。
おんやあ?

レールを使用した電柱です。
ブラケットや碍子もそのままで通信線が張られていないことを除けば現役時代そのままの姿と思われます。
サイズからすると10㎏レールのようですね。
大部分が錆色になってますがかつては緑色ペンキが塗られていたようです。

山側から見るとこんな感じ。何の変哲もない林道ですがこの電柱だけでいかにも廃線跡らしくなります。
今にも向こうから協三5t機が空車列車を引いてやって来そう。

1本目の電柱を過ぎると杉川の谷が狭まり、再び左岸へ渡ります。
渡った先もすぐ目の前に崖が迫り急カーブ。

手前の石垣は林鉄時代からのものでしょうね。

そして2本目の電柱。
ここで電信線が曲がっていたようでブラケットと碍子が上下に直交する形で2対あります。
投稿日:2015-01-14 Wed
1938(昭和13)年に帝室林野局名古屋支局気田出張所が敷設した路線。1947(昭和22)年の林政統一後は東京営林局気田営林署管轄下となっています。
路線は麦島貯木場~川上国有林に敷かれており、長い時で6,697mあったようです。
同じ営林署内の本線格(?)に当たる気田森林鉄道とは線路はつながっていない離れ小島的な存在の小さな森林鉄道でした。
それでも気田森林鉄道廃線後も残り1966(昭和41)年まで運材列車が走っていたようです。
大井川鉄道下泉駅側(静岡方面)から国道362号線でハナヅラ峠、久保尾辻(峠の上に交差点がある)を越えて杉川を渡るところに起点となる麦島土場がありました。
この地は林鉄が開業した頃は静岡県周智郡熊切村、1956(昭和31)年の昭和の大合併で春野町、平成の大合併を経た今日では浜松市天竜区となっています。

麦島土場の跡。
以前は建物などが残っていたようですが今となってはただの広場に・・・ちょっと来るのが遅かったかな?(^ ^;)
土場を出るとすぐに杉川を渡って右岸の集落を通り抜けます。
しばらくは併用林道なのかゲートも何もなくフラットダートの走りやすい道が続きます。
ところが次に杉川を渡る薬師橋の手前で倒木が道を塞いでました。
そう太くはないけど人力では退かせないので、歩いてちょっくら先まで行こうかと・・・。

車を止めた横を見ると林道上に枕木?
いやいや・・・こういう場合はどうせ砂利流出防止用のゴム版を嵌めてた土台跡とかでしょう(- -)
でも念のため少し地表を削ると

あっさり犬釘が出てきた・・・枕木に砂利を被せて埋めただけですね。
車であっさり通過したら気が付かなかったことでしょう。

薬師橋の下流側にある林鉄の橋梁跡。麦島側の橋台は現林道建設の際に壊されたようで、コンクリート橋脚も1基は倒壊。終点側の橋脚1本が見えますが構造は気田森林鉄道で見たのとよく似ています。

薬師橋の終点側橋台、木橋だったようです。
ひょっとしたら新線の鉄橋が現林道の側に架かっていたかもしれませんが日暮れ近い時間だったこともありよく見ていません(_ _)

林道起点から2kmのキロポスト。
鉄道用と同じ根元が黒で上が白地に黒文字のキロポストも良いですが、この八角形のキロポストもなかなか味がありますねえ。
こちらも0.5㎞毎に立てられています。
投稿日:2015-01-12 Mon
寸又峡温泉へ千頭森林鉄道保存車をまたも見に行った後で冬の短い日が暮れた千頭駅へ~。
千頭は大井川中流域の集落としては大きい方ですが千頭駅の規模はそれにしても巨大。
かつての木材輸送。電源開発など貨物輸送華やかなりし頃の面影を伝えます。
駅裏の千頭営林署、貯木場、千頭林鉄車庫は道の駅「音戯の郷」となり跡形もなく消滅、駅も観光地化した面が大きいのですが廃車体の電車や貨車が並んでいたりかなりアヤシゲな雰囲気も。

17:38井川線の最終列車208レが千頭到着。

同じ踏切から見た構内。
翌朝の運転まで客車は千頭駅留置、機関車は川根両国へ単機回送となります。
というわけで川根両国駅北側の構内を跨ぐ両国吊橋へ先回り。

庫内でオレンジ色のカトーがこちらに背を向けているのが見えます。
機関車トーマスイベントでラスティになったDB9です。
井川線のDBは本来エンジン側を井川方へ向けているのですが千頭の転車台で方転したようですね。
それにしてもこの色と形・・・後ろに大きく「丸通」のマークを入れたら昔の加藤製作所製スイッチャーのようでなかなか味が出そう・・・。

さっきのDD201が到着。
今朝201レで乗った列車の牽引(推進)機でした。この日の運用は川根両国を出て千頭~接阻峡温泉を4往復。

振られるカンテラの青灯に迎えられ入庫~お疲れ様でした。
投稿日:2015-01-08 Thu

205レを押し上げていくED901。
撮影する方は引いてみたり、ズームしたり色々楽しめます。

今度は長島ダムで交換した204レの先頭に立って下って来ます。
こうして見ると本数が少ないようで結構忙しい運用ですね。

カーブの向こうから列車が表れてアプトいちしろに付くまで約5分間楽しめます。

大井川を渡り、トンネルに入ると木霊していたED901のブロワー音が消え一瞬の静寂・・・そしてトンネルを抜けるとカーブしながら大井川ダムに隣接したアプトいちしろへ到着。

アプトいちしろ駅。
大井川ダムができたことでそれまでの木材流送がここでストップしてしまいました。
ここから大井川本線の崎平駅先の河原の側線まで木材輸送に専用鉄道を使用していました。
アプトいちしろは機関区など広い構内を持っていますが、ここはかつて大井川を流れ下ってきた木材が山積みになり貨車への積み込みを待っていた場所なのです。

ED901と「お疲れ~」と言葉を交わすようにタイホーンを残し204レはトンネルへ消えていきました。
投稿日:2015-01-05 Mon

接阻峡温泉より402レに乗車して長島ダム着。
ED901を連結している間にデポしておいた車で先回り~。

ED901のホイッスルは通常のもの(AW-2)と金谷方のみスイス国鉄より送られたものが付いています。
これまで実際に聞いたことはなかったのですが撮影している我々の姿を認めてサービスしてくれたようで思いっきり吹鳴してくれました。
運転士さん、ありがとうございます(_ _)
というわけで今回は初の動画付きです。

今度は長島ダムへED901単機回送の701レが登って行くところを後打ち。
バックの緑に赤い車体が映えて、車両単体の撮影にも適した場所です。
さて701レが長島ダムへ迎えに行った次の202レの発車までは30分ほどあるので場所を移動、ひらんだから寸又峡方面への林道に入り、アプト軌道の上方を通って次の撮影ポイントへ移動しようとしたのですが途中から落石ゴロゴロの悪路に変わりました。
途中何度も石をどかしつつ進んでいたら目的地まで結局40分ほどかかってしまい、目当ての202レがアプトいちしろを発車するところしか見られず。
奥泉周りで行った方が遥かに速くて楽でしたね。

しかしこの大俯瞰を目にすると列車を撮影したくなりますね。
大きく曲流する大井川の右にはアプトいちしろ駅と機関区。
左には長島ダムが聳えています。
アプトいちしろでは大井川の水面近くにあった線路が長島ダム越えのために一気に上っている様子が一望できます。
投稿日:2015-01-04 Sun

さっき車を置きに来た長島ダムに到着するとED901が切り離されます。
切り離し後すぐに702レ(単機回送)となりアプトいちしろへ帰って行くのを201レ車内よりお見送り。

奥大井湖上駅到着前にレインボーブリッジ上から旧線跡を見下ろすと乗車中の201レの陰が廃線敷手前の湖面に映りなんとなくほっこりした気分に・・・。

奥大井湖上駅を挟んで両側にあるレインボーブリッジには二灯式の信号機があります。
画像ではわかり辛いですが橙の注意信号ではなく、白熱灯が点灯している状態。
風速計と連動している信号機なのでしょう。上は風速が強い時に停止信号(赤色灯)が点灯するのかな?
奥大井湖上駅停車中に風速が規制値を超えた場合は尾根伝いの遊歩道ルートで林道へ脱出することになるのでしょうかね。

2014年12月時点では接阻峡温泉~井川が土砂災害で不通のため全列車が接阻峡温泉で折り返し。
乗ってきた列車が折り返しの402レになるのかと思ったら前日より滞泊していたと思われる別の編成が待っていました。
今まで乗ってきた編成は一旦井川方へ引き上げ先発の402レの後ろに縦列停車し次発の202レとなります。

接阻峡温泉駅千頭・金谷方の踏切から構内を見た様子。
島式ホーム1面2線と車庫(中には軌道バイク?が収まっていた)があります。
かつてはこんな立派(?)なホームはなく、現ホーム部分にも1本線路があって計3線敷かれていたようです。

駅前にはこんなものも・・・接阻峡温泉駅のアプト新線開業前の駅名「川根長島駅」の名残。
投稿日:2015-01-03 Sat
2014年の暮れも前年(2013年暮れ)に引き続きSKW氏と井川線へお出かけ~。長島ダム~接阻峡温泉を列車で往復して長島ダムにデポした車で沿線撮影をしようという試みを実行。
というわけで長島ダム駅まで車で行き201レ(長島ダム10:07発)に乗車しているSKW氏と合流する予定だったですが思っていたよりだいぶ早く(8:50頃)着いたので1駅歩いてアプトいちしろ(9:56発)から乗ることに~。

長島ダム駅から坂道を下り、井川線旧線跡を通ると近道になります。(若干遠回りで車が通れる林道もあり)
アプトいちしろキャンプ場を抜けて旧16号トンネルへ。

去年はSKW氏と連れ立って通りましたが今回は単独行。
延長375mに過ぎませんがカーブしているので中央部は真っ暗、懐中電灯無しだと方向を見失うのでご注意を。

途中には去年と同じお化けたちも。
素掘り部分とコンクリート覆工部分の境目では足音の反響具合が違うので目で見えなくても周囲の状態が察せられます。
フラッシュをたくとトンネル内に別のトンネルの坑門があるかのよう。
光って見えるのはなぜか中央部にだけある反射板です。

6分かかって通過。
金谷側出口付近にはレールが顔を出しています。
この後長島ダム水没部分の旧線跡を列車内から眺めることになるのですが、水位が下がって露出する廃線跡にもレールが残ってました。
旧線は全線に渡ってレールを撤去してないのでしょうかね?
トンネル内も掘り返したら線路がそのままなのかも・・・(は?やりませんよスコップ持ってきたりとか・・・そんな迷惑なことは^ ^;)

201レ到着前に出庫するアプト式電機ED901の入換も撮ることができました。

SKW氏乗車の201レ到着~♪

専用鉄道市代開業当初の旧線が渡っていた市代吊り橋をバックに入換中。
△ PAGE UP