投稿日:2014-07-23 Wed
762mmゲージで有名な近鉄内部線終点から内部側へ続く未成線と砂利線の跡。内部線の前身、三重鉄道鈴鹿支線が1922(大正11)年6月21日に内部まで延びて来ましたが内部から先の伊船(東名阪道鈴鹿IC付近)までは開業させることができず免許失効となっていました。
内部川までの線路は砂利取り線として使っていたと言いますがいつ頃まで使っていたのか分かりません。
国土地理院のサイトで公開されている航空写真では1946(昭和21)年時点でも砂利線としてさえ使っていなかったようです。
なお三重交通三重線(現在の近鉄内部、八王子、湯の山線)は1956(昭和31)年4月で貨物営業を廃止しています。
電車が停車中の内部駅から手前に見える国道1号バイパスまでの区間は留置線として現役。
なお内部線は1943(昭和18)年12月に直流600V(現在は昇圧されて750V)電化されてますが、砂利線は既に廃止されていたとすれば終始非電化だったと見られます。
1枚目の画像の場所から反対方向を見るともう内部川の終点までが見渡せてしまいます。
歩道橋から続く細長い草地と民家が廃線跡。
歩道橋下に残る複線分の橋台。
右の高い方が鈴鹿川の堤防へアプローチするための鈴鹿支線で右の低い方が砂利線とも聞いたのですが実際のところは分かりません。
橋台を別の角度から。水路を見るとかザリガニが大量発生してました。
橋台を覗くと一斉に逃げだしたので水面が泥だらけに(^ ^;)
草地の先に残る橋台。反対側は道路工事でかなり削られてしまった様子。
低い方の橋台には桁が載っていますがもっと新しい貧弱なもので砂利線時代のものではないでしょう。
これより内部川方向は新し目の住宅になっており痕跡はありません。
内部川も堤防が立派になりこの程度の高さの築堤では到底越えることはできなくなっています。
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