投稿日:2014-06-28 Sat
近鉄名古屋線楠駅から延びていたもう1本の専用線宝酒造の系列会社として1939(昭和14)年に東亞酒精工業が設立されました。
当時四日市には海軍燃料廠が置かれ、燃料供給を補完するため燃料用アルコール工場設置要請があったようです。
楠工場は1943(昭和18)年6月30日に落成。
サツマイモ、トウモロコシ、澱粉粕を原料として酒精・・・つまりアルコール(エタノール)燃料を製造していました。
今で言うバイオ燃料ですね。
当時の関西急行鉄道名古屋線楠駅からの専用線は原料や製品輸送のため操業開始当初から敷設されていたものと思われます。
操業開始当時の工場の鳥瞰図を見る限り専用線は工場構内まで架線も張られて、機回し線もあるので電気機関車が乗入れて入換を行っていました。
1945(昭和20)年に社名は日本酒精に変わりますが敗戦を迎え海軍の需要が消失。
戦後は親会社の宝酒造と合併し焼酎の製造に変わり、現在もタカラcanチューハイを世に送り込むなど盛業中です。
この専用線は1959(昭和34)年の近鉄名古屋線改軌による貨物輸送廃止で無くなったようですが、その後も関西本線南四日市駅に専用線を保有して鉄道輸送を行っていたようです。
作業キロ:0.5km
作業方法:社機、手押

楠駅を名古屋方から見た様子。
東亜紡織専用線とは逆に楠駅の名古屋方から分岐しており板塀の手前のスペースが専用線跡と見られます。
因みに専用線敷設時は名古屋線も単線区間が多かったのですが塩浜~楠は当時既に複線化されていました。

難波行きの21020系アーバンライナーnextが通過中。
砂利敷きの駐車場になっているスペースが専用線跡。奥の工場敷地を隔てる柵は旧鉄道門(当時のままの門柱ではなさそう)跡と思われます。

工場と名古屋線に挟まれた狭い歩道から見ると構内に木製電柱が並んでいるのが見られるのですがひょっとして専用線の架線柱?
電柱間の幅も丁度線路3本分くらいで当時の鳥瞰図の線路配置と一致します。
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投稿日:2014-06-27 Fri
三重県四日市市の南端、近鉄名古屋線楠駅に隣接する東亜紡織楠工場の専用線。毛糸紡績の工場で1934(昭和9)年に中央毛糸紡績四日市工場として操業開始しています。
当時の伊勢電気鉄道楠駅に隣接して原材料や製品輸送の便の良さもこの地に工場を建設した理由の一つです。
伊勢電は四日市港に陸揚げされる羊毛をここまで運び込んでいたと思われます。
戦時中の1941(昭和16)年に合併で東亜紡織となり(同社は津や大垣にも工場があり、近鉄の専用線が延びてました)
1944(昭和19)年には名古屋から陸軍工廠の一部が移転してきて高蔵製造所楠分工場とされてしまい、機関砲の弾丸製造に使われていましたが戦後ふたたび毛糸紡績工場に戻りました。
専用線は創業時から1959(昭和34)年の近鉄名古屋線改軌による貨物輸送廃止まで使っていたものと思われます。
作業キロ:0.2km
作業方法:手押

楠駅の横には創業以来のものと思われる塀が線路との間に立っています。

伊勢中川方には倉庫に隣接した貨物ホームの上屋が残ってます。
専用線はこの倉庫まで行き止まり式の線路が1本延びていただけのようです。

工場から踏切を挟んで保線車両用の側線があります。国土地理院の航空写真を見ると専用線現役時代にここに貨車らしき影が見えますが、貨物ヤードだったのでしょうかね?
楠駅は2本の専用線が延び貨物扱い量も多い駅だったのでありえそうです。

今度は側線が分岐していた名古屋方から。
現在の楠駅は本線が真ん中で、ホームは待避線上にある新幹線形の配線ですが当時は本線に相対式ホームがあり、上り線からホームを挟んで貨物側線があったものと見られます。
専用線は手前右寄りで分岐し工場の塀に沿って延びていました。

ホーム上から見ると手前だけ明らかに新しそうな塀になっており、ここから貨車が入っていた様子。
投稿日:2014-06-25 Wed

不動岩の上には柵なんぞという過保護なものはなくこんなです。
そんな狭い場所でもないので崖っぷちに近付かなければいいだけのことですが足元にはくれぐれもご注意を。

不動岩から50mばかりで作業軌道跡の林道に出て左折。
林道自体は拡幅されてるのであまり風情はないですが間もなく目的のものが見えてきます。

にしても・・・断面でかっ!!林鉄のままとは思えない大きさ・・・やはりトラックを通すために拡幅されたものかと思われます。
JRの電車であっても余裕で通れそうな大きさです。

トンネル前には説明板も立てられてます。

トンネルの山側はこんな感じ。あまり地被りもなく切通し化しても不思議ではない程度。
横幅を測ってみたところ地面の部分で4400mm・・・やはり電車でも余裕で通れる幅です。

トンネル内にはドリル刃の跡が。φ30mmです。
これは軌道廃止後の昭和30年代にトンネルを拡幅したときの痕跡だと思いますが作業軌道建設時は本当に手掘りだったのでしょうか。
坂下営林署には岩手富士産業製の特殊軽量機関車No.103が在籍しており、この作業軌道で使っていたのではないかと思われます。というわけで下に高知の魚梁瀬にいる同型機の写真をあげときます。

特殊軽量が入る前にはバイク改造機関車という代物もいたようでなかなか面白げな軌道です。
投稿日:2014-06-22 Sun
長野営林局坂下営林署田立森林鉄道を「停留場」で紹介してから結構経ちました。岐阜・長野県の県境を跨ぐ珍しい林鉄で、2級線終点の馬小屋付近までを扱っていました。
今回はその先に続くインクラインの上にあった作業軌道のトンネルです。
田立の滝の上に林鉄のトンネルがあるということは滝の観光案内にも出ており結構有名な様子。
これは見て置かねばと調査に行って来ました。

まずは田立森林鉄道2級線終点馬小屋から少し登ったところにあるる田立の滝駐車場から出発。
因みに林鉄のインクラとは全然違うルートなので鉄道とは何の関係もない登山道です。
協力金1人当たり100円を支払い登山開始~。

遥か上に聳える不動岩。作業軌道はあの岩のてっぺんと同じレベルを走っていました。
一見しただけではあんな高さを鉄道が走っていたとは現実味が感じられませんねぇ(^ ^;)

「田立の滝」は複数の滝の総称ですがその内の一つ天河滝。
のしかかって来るような大岸壁から清流が落ちています。

1時間ほど登り(撮影しながらなのでペースは遅い)涼しい渓流から離れ不動岩への登りにかかり・・・

ほどなく不動岩の上に到着。水場を離れ風もない山中を登ってきたので吹き抜ける風が気持ちいい。
思いっきりガスってますが眼下には田立や坂下の町並みが望めます。

因みに中央西線を書き加えるとこんな感じ。

逆に中央西線沿いの行きつけ撮影ポイント(坂下駅の中津川寄り)から見上げるとこうなります。
田立林鉄の列車が直通で乗り入れていた坂川鉄道(→坂下森林鉄道)新坂下駅から高低差で見ると何とも凄まじい・・・。
運材台車はインクラインを介して作業軌道と直通していたので不動岩の高さから新坂下駅まで実際に下っていたことになります。
国土地理院の電子国土基本図から各地の大まかな標高を出すと不動岩(1300m)~馬小屋(700m)~奥屋駅(530m)~新坂下駅(325m)と運材台車は高低差1000mを走り抜けていたことに・・・間にインクラを挟むとは言えとんでもない登山鉄道です(・・;)
次回はトンネル調査編
投稿日:2014-06-04 Wed
今回のネタは引込線ですが貨物ではなく路面電車の留置線です。豊橋鉄道東田本線(市内線)競輪場前電停の引込線。

競輪場前電停前には市内線の営業所があり運転士さんが交代する光景を見たことがある人も多いと思います。
この営業所前には電車2両が収まるだけのささやかな留置線があります。

終点の赤岩口まで行くつもりで乗っていると留置車両の前照灯が灯っているではありませんか!
前々からここで電車が出て来るところを見たいなと思ってたので即決で下車。
夕方ラッシュ前に豊橋駅前へ送り込むためモハ3502が出ていくところ。

幕が「回送」でなく「駅前」になってますが隣の東田始発(競輪場前は配線の都合上入れないため)になるのでしょうか?

側線の奥行きはたったこれだけ。裏は畑のようです。
狭いところに小さな電車が押し込まれている光景は何とも微笑ましく、通るたびに今日はどの車両が入っているだろうかと楽しみなところです。
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