投稿日:2014-05-31 Sat
北陸旅行の最後は金沢です。津幡から北陸鉄道浅野川線へ。架線電圧が直流600Vの時代はよく見てましたが、金沢から引っ越して間もなく1500V昇圧。
その後はあまり撮影に出かけたこともなかったのですが・・・
何せ北陸では石川県が一番遠い(^ ^;)

浅野川の堤防下を行く8901F北鉄金沢行き。
のどかな田園地帯も新しい住宅や道路ができて変貌しつつありますね。
大河端~三ツ屋

三ツ屋で交換してやってきたのは8902F。
天気が徐々に悪くなってきましたね。

金沢市内を抜け松任駅の先へ。
記憶の中では一面田園地帯だった場所に巨大車両所ができてます。
もう車両はいるはずですが庫内かな?
林鉄から新幹線まで盛り沢山でしたがそろそろ日暮れ。

最後は北陸鉄道石川線鶴来駅へ。
北陸鉄道オリジナル車で最後の生き残りとなったED201。
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投稿日:2014-05-29 Thu
高岡から県境を越えて石川県津幡町にある石川県森林公園へやって来ました。ここには何故か木曽の旧上松運輸営林署No.140+B型客車+運材車×2+カブースが保存されています。
王滝森林鉄道王滝本線が廃止になった1975(昭和50)年以後も奥地の鯎川線に残り、1976(昭和51)年10月の全廃まで活躍してました。

酒井工作所製10t機、メーカー形式C4、長野営林局での形式はDBT10でした。
同型式機の中で一番新しい1963(昭和38)年製で、実際に走っていた期間よりもここに鎮座している方が遥かに長いことになります。
下半分が何故かピンクに塗られてますが・・・

24年前はこんな塗装でした。
自分にとっては林鉄好きになる元凶(笑)となった保存車です。
まさかここまではまるとは・・・
1990(平成2)年10月28日撮影

さてまた現在・・・えらくホーム側に傾いてしまってます。
24年前にはなかった窓ガラス(と言っても塩ビ板ですが)が入り、ヘッドライトが片方失われたものの残った方にはレンズが入ってます。
一旦整備されてからまた荒れてきたと言うことでしょうか。

後ろに連なるのはB型客車でも大型の車体を持つ「大B」と呼ばれたタイプ。
木曽にいた頃の番号は分かりません。
屋根が架かってるので前後の機関車やカブースと比べ保存状態が雲泥の差。
見た目では小松のなかよし鉄道で走れそうなくらいです。

運材台車は2組。積み荷の木材がえらいことになって来ました。

そしてカブース。木造車体で雨曝しなので最も傷みが激しいことに。
それでも修繕の跡はあり、苦心して直しておられる様子。
投稿日:2014-05-28 Wed

旧・越ノ潟口駅跡。ちょっと枯れた雰囲気ですがどこかのローカル線なら現役でもこんな所も・・・
1990(平成2)年に50m程高岡寄りに移転して海王丸駅に改称してます。
まあすぐ傍に綺麗な駅があるので知らずにここから電車に乗ろうという人はいませんよね(- -)

廃駅らしくないのは封鎖されてないためでしょうかね。
23年前初めて万葉線に乗った時は移転直後だったはずですが当時と今で雰囲気は全く変わっていないような気が・・・。

車を回収して昼食後は米島口へ。
旧除雪電車のデ5022と一緒に気になってた6000型除雪DLが外にいました。
2012(平成24)年新潟トランシス製とのこと。

細面の凸型車体に内側軸受けなど何とも異形ですね。
走行を見たいとこですが。デ5022の時のような奇跡は起きないかな~(笑)
投稿日:2014-05-26 Mon

臨港線らしい雰囲気の中を行く路面電車型車両というのが魅力。
実際隣に本物の臨港線である新湊線が通っていたので当然ではありますが。

今度は庄川橋梁。六渡寺~越ノ潟の区間は1966(昭和41)年4月5日に富山新港建設のため分断された富山地方鉄道射水線の西側の部分を加越能鉄道が引き継いだ区間。
地鉄に残った東側新富山~新港東口が廃止になった今となっては貴重な射水線残存区間です。

桁の製作は川崎造船所・・・現在の川崎重工業です。
かつて六渡寺~東新湊ではデキ6501が貨物列車を牽いてましたがこのデキもメーカーは同じ。
川造製の桁の上を川造の電機が走ってたんですね~。

東新湊~海王丸。
草蒸す軌道を行く路面電車型車両は何とも味があります。

こちらは猫電車デ7073の23年前の姿。越ノ潟で撮影してます。
撮影は自分だったか親だったかは覚えてません。
砺波のチューリップ祭りに行った後で時間が余ったので往復したのだったと思いますが、自分にとっては初めて乗った路面電車でした。
投稿日:2014-05-19 Mon
翌日は寝坊で城端線キハの北陸本線乗り入れ列車を撮り逃し。二塚に移動すると工場はやっているものの貨物はお休みでした。
朝っぱらから既に2敗(^ ^;)
二塚でお話ししたファンからは「北陸本線と氷見・新湊線の貨物は走ってたよ」とのこと。
高岡貨物に行ってみると・・・確かにDE10はいましたが肝心の日車35t機D352はクラの中(爆)
負けが込んできました(笑)
仕方がないので伏木ヤードへ。

秋田臨海鉄道から来た元DD351らしき日立35t機

南松本でお馴染だった日車45t機DD453。
元をたどっていくと倉賀野・熊谷貨物さらにその前は新茂原の化学工場の専用線にいたようです。

もう1台の協三20t機はこれも秋田臨海鉄道から来たという元DB203。元を正せばJR土崎工場の移動機のようです。
とは言えただの移動機と侮るなかれ。キャブがこちら側だけ拡げられた変わり種です。
何だか頬をつねられたような顔になっちゃってます。
念のため・・・これら3枚は全て公道上から撮影してます。
貨物はもう期待できなさそうなので万葉線に乗ることに。

海王丸付近の踏切で。

中伏木で降りると裏は旧JR新湊線新湊駅舎の基礎コンクリートやホームがそのまま。
ヤード照明も蔦に絡まれて異様な雰囲気。

併用軌道と専用軌道の境目でドラえもん電車を撮影。

専用軌道側で今度はネコ電車デ7073~。この踏切の雰囲気が何とも好ましいです。
さらにこの踏切の名前が「油会社踏切」と来たのでまたまたお気に入り。
それにしても最近廃線跡と保存車ばかりで動いている電車の写真のUPは久し振りです。
別に廃線跡にしか関心がないとかでもなく、普段の撮影枚数は現役車両のが多いんですが何故でしょうね~(- -;)~
投稿日:2014-05-16 Fri
宿までは加越線沿いに移動。列車は来ないのについつい撮影地探し気分に(爆)

サイクリングロードになっていますが築堤には鉄錆色のバラストが見られます。
左の踏切跡に立つ古びた電柱は踏切の給電線跡でしょうか。
旧・加越線 本江~津沢

並んで立つ用地境界標。
県の境界標は廃止後のサイクリングロード化の際に立てたのでしょうか。
万葉線沿いで見られる「加鉄」の境界標と違いフルネームで刻まれています。
旧・加越線本江~津沢

渋江川橋梁。新しくてあまり鉄道用らしく見えない橋桁ですが廃止3年前の1969(昭和44)年に架け替えられた橋です。
当時は会社にもまだ加越線を存続させる気があったのでしょうか。
旧・加越線 四日町~南石動

橋梁銘板。「加越能鉄道」の文字が見られます。
製作は地元福野駅横のメーカーですね。
旧・加越線 四日町~南石動

渋江川橋梁前後は線路が弓なりになっており付け替えたのが良く分かります。画像は福野・庄川町方のカーブ。
旧・加越線 四日町~南石動

今晩の宿は四日町駅(跡)からも近い元・糸魚川の日立35t機がいる宿です。
投稿日:2014-05-15 Thu
加越能鉄道加越線は1972(昭和47)年9月16日の廃止まで貨物営業を行っており、井波駅には専用線もありました。
加越線の本線貨物を牽引した汽車会社製のDL-101の彫刻。
うう~む・・・見事!
剣道の面のような独特のラジエターグリルが夕陽に輝き実に美しい。
井波駅構内と専用線の入換には加藤製作所製6.5tディーゼル機関車が在籍。
1952(昭和27)年製で南甲府の加藤6.5tと同型でした。
加越能鉄道に車籍があり形式は040形651号・・・重量由来の651号(6.5t機の1号)は分かるのですが何故040形なのかは不明(・・?)
塗装は日通の入換機のような黄色でした。
専用線は2本、会社名からすると両社とも伊藤忠系のようです。
1.大建木材工業井波工場専用線
現在は建材メーカーさんですが木材とあるだけに庄川を下って来る木材を仕入れる目的で工場ができたのでしょうか。
庄川流木事件の1933(昭和8)年以降庄川を下って来る木材は激減したはずなので末期は輸入材が伏木港辺りから入ってたのかな?

ホームから本線を挟み手前側が専用線のはず。
当時の写真を見ても専用線と言っても駅構内の側線のようなもので、右の駅舎から手前側へ旅客ホームと本線、留置線、専用線という順に並んでいたようです。
2.東洋紡績井波工場専用線
東洋紡績井波工場は1931(昭和6)年にできた富山紡績井波工場が前身。
専用線も創業当時からあったものと思われます。
後に合併で呉羽紡績→東洋紡績と移り変わって現在に至ってますが往時の歴史的建造物が残っておりなかなかの雰囲気。
綿紡績の原料(綿花)・燃料(石炭)や製品輸送に使われていたようです。

1つ前の写真の位置から振り返った(福野・石動方)様子。
左の木造倉庫がまたいい感じ。

サイクリングロードになってる方が専用線で、すぐに工場内へ入ってました。石動への本線は右の車が止まっている辺りを通っていました。
工場建屋左には工場内で発生する綿ぼこりなどを排出する煙突ならぬ「塵突」が突き出てます。
古代中国の城郭にあった櫓のような見かけです・・・上から矢を射かけられそう(^ ^;)
作業方法:手押→社機(日通機)
作業キロ:大建木材線0.1km、東洋紡線0.3km
投稿日:2014-05-14 Wed
ようやく山地を抜けて富山平野へ、大谷山林鉄からここまでも色々山の中で寄り道していますがそれはまた別の時に(_ _)高山本線で富山平野へ出た時、東海北陸道で砺波平野に抜けた時、さらに一般道の国道41号や156号で出抜ける時も狭苦しい谷が劇的に開ける瞬間が何とも良いです。
逆に名古屋・岐阜方面ではゆるゆると開けていくのでさほど解放感がありませんね。

平野に抜け出てまずは旧加越線井波駅へ。
井波彫刻の町だけに凝った寺院風デザインの駅舎が有名ですね。
ここは何度も行ってますが中を見学したことが一度もないんです。
というのも平日しか開いてないもので(- -;)
覗いてみると興味深い当時の写真やら資料が展示されているのが見えて何とももどかしい。

かつての駅前通りから見るとご覧の通り駅舎がオフセットしてしまってます。
加越線廃止後駅舎の位置に道路を通すため現在の位置へずらしたのだとか。

加越線の車両は地元に1両も残ってないのですがこんな素晴らしい彫刻があります。
見事なコッペル3131号。
さすが井波彫刻・・・我が家にも欲しいところです。
しかし家のふすま上にはそもそも欄間の入るスペースがない(爆)

元国鉄キハ07のキハ173。
それにしても精巧でいて愛嬌のある感じがいいですね。
広告看板が入っていたり、窓が何枚か開いているところなどローカル線らしい雰囲気が溢れ出ています。
個人的には窓がきっちり全部閉まった形式写真よりこんな風なのが好きなもので・・・。

元江若のキハ162・・・これも元はキハ07ですが前面改造済み・・・もいます。
末期にいた車両はDL-112以外全形式揃ってるのでご興味のある方は是非お出かけを。
投稿日:2014-05-04 Sun
大谷山森林鉄道の続きです。
軌道跡かどうかまだ分かりませんが水路を辿って行くとやはり軌道敷らしい雰囲気はあります。
橋台などが出てくればより確実なのですが交差する水路は新しくコンクリートで固められていおり、決定打には今一歩足りないようなもどかしい状況(- -;)

降り積もった落ち葉や腐葉土の下から石積みも顔を覗かせており、水路が作られたのよりも古い時代からこのルートに道があったことを示す遺構が見えてきたところで大き目の沢に突き当たります。
水路はその沢から取水しているようで、コンクリートで固められた岸に橋台は残ってません。
しかも対岸から先は笹に覆われ辿るのが難しそう(T T)
取り敢えず今回の現地調査はここまで。
因みに軌道跡(?)上方を通っている林道は金山谷へと続いているのですが、車が入れないように意図的なのか林道を横断する溝が掘られていました。
特に立ち入りを禁止するようなゲートはなく、片野川の河原へ降りる支道も見られるので林鉄跡にアクセスするには最も都合の良い道なのですがね~。

最後に古川営林署の林鉄データを。
前々回の荘川営林署のデータと同じく名古屋営林局統計書を元にまとめています。
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