投稿日:2014-03-27 Thu
陸地と川が逆になったピヤーから大河内川上流側です。
○栃谷を少し遡って渡り、再び大河内川本流へと復帰するため船津線は浅い切通しで突っ切っています。

大河内川の谷沿いを行く船津線。足元には当時の石積みが健在。
・・・と思っていたら上から大量に土砂を盛って作業道が乱入してきます。
廃線跡は幅が広げられたのか石垣が見えなくなります。

すぐ上には県道603号線のガードレールが並走。
作業道は砂防ダムで尽きていました。どうやら砂防ダム建設用にキャタピラダンプやユンボを船津線の路盤へ乗り入れさせていたようです。

木に捕まって斜面をヘツっていくことはできそうですがこの日は単独行かつ後の予定もあったので深入りしないことに。
大河内川の河原に出てみると半分が吹き飛んだ石積みの砂防ダム跡がありました。
ひたすら「暴れ川」という感じのする場所ばかり続く川です。雨の日は絶対近付いてはいけませんね~。
この先線路は不動滝の先の柚ノ木から帝室林野局建設区間となりインクラ谷のインクライン、水越峠と続いているのですが、ちょっと林鉄歩きをした程度の人間では気軽に行ける状態ではありません。
カーナビに「不動滝」が表示されていたので滝見の道の踏み跡くらいはあるのかと思ったのですが皆無でした。
どうやって行くんだろう?
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投稿日:2014-03-27 Thu
引き続き大杉谷森林鉄道船津線を上流へ向かいます。
ずっと三重県道603号線となって登ってきた船津線跡ですが、ようやく道路から分岐します。
場所は大河内川本流から離れ支流の谷筋(谷の名前を失念してしまいました。確か○栃谷というような名前だったと思いますが・・・)に入ったところ。谷側にそれっぽい平場が出てきます。

そして川に何やら異形の物体が・・・。

対岸に回るとこんな感じ。ピヤー(橋台)跡なのですが橋桁が架かるはずの部分が土砂で埋もれ、築堤があるべき部分に川が流れるという異様な状態になっています。

林鉄が走っていた頃はこうなっていたはずですが、大水で川の流れが変わったようですね。
このピヤーもいつかは土石流に流されてしまいそうです。
投稿日:2014-03-25 Tue
今回は大杉谷森林鉄道船津線の上流方向。上里貯木場からここまではあまりに何も残ってないので省略~ 悪しからず(_ _)
大河内川は酷い水害があったようでかなり河床が荒れています。

最大の遺跡である大郷谷の落合橋も船津寄りワンスパンだけが残り上流側は流されてしまったらしいです。
そもそも開業時の写真を見ると結構高い木橋だったのですが河床がかなり上昇しているようですね。

橋脚上部にも土石流で転がってきた岩が激突したのでしょうか。削られた跡が痛々しいです。

ここを渡った上流側からは大郷谷を遡る大郷支線がありましたがこちらも林道化されて線形以外は痕跡なし。
落合橋上から見た林道大郷線。

少し上流で大河内川本流を渡る地奈谷橋は橋台脇の石積みだけが残り、橋脚などは見当たりません。
他の橋も大部分がこんな感じであまり廃線跡らしい遺跡が残ってません。

地奈谷橋から上流方向。
河原は荒れてますがあちこちからカジカガエルとウグイスの鳴き声がして長閑です。
まだヤマビルは出てきていないようですがこれからは彼らの季節・・・^ ^;
投稿日:2014-03-23 Sun
身延線南甲府駅近くの倉庫会社さんが保存しているこの加藤製作所製6.5t機。鋳鉄製台枠の前後にエンジンとキャブを載せており、森林鉄道の機関車と同様のスタイルです。
大体の林鉄機関車は5~10t程度なので大きさも似たようなものですが、上松運輸営林署にいた10t機の酒井C4何かと比べたらこちらの方がずっと小柄。

製造は1952(昭和27)年。前面窓は3枚窓の内、両端の窓が天端を中心に前へ開く方式。
これ以前は引き違い式の2枚窓(その型のは鹿児島で保存されているはず)でしたが、窓が大きくなって明るい印象になりました。
機械式(自動車で言うとマニュアル)変速で動力伝達はチェーン、この機関車は貫通ブレーキも装備していなかったようでエアーの配管がありません。

昔は貨物扱いが盛んなところにはよくいた鋳物台枠の6.5~15t機。今や貴重な存在となってしまい、現役線路上で動ける状態のものは大井川鉄道井川線のDBくらいでしょうか。

1067mmゲージ用ですが、車体幅は狭く1800mm弱(同型車で1778mmとあったので)しかありません。
そうなると困るのは入換で貨車を推進運転する時・・・貨車の車幅の方が大きいので運転手の視界を貨車の妻板が占めてしまい前が全く見えません(^ ^;)
操車さんが貨車の先頭に添乗するだけでは手旗合図が見えないので、もう1人機関車と並んで歩きながら先頭で振られる手旗を監視しながら運転士さんに手旗を振る係が必要になりますね。
投稿日:2014-03-11 Tue
紀勢本線のアンダーパス跡。
河川敷な上に堀割区間となっているせいか水はけが悪いようです。
こうして見るとただの水路のようですね(^ ^;)

紀勢本線をくぐると再び堤防に上っていたようで緩やかに上る道になってます。
自動車道路であればもっと勾配がきつくても問題ないので鉄道らしい勾配と言えるでしょう。
運材列車にとっては苦手な逆勾配なので船津貯木場までで最後の難所だったのかな?

なかなかいい雰囲気のカーブ築堤。
この先貯木場までは再び堤防を降りるはずなのですが、そこまで行ってると遅くなりそうな上にあちこちで何匹もの犬が吠えはじめて近所迷惑になってきたので今日はもう撤退~(- -)
投稿日:2014-03-09 Sun
3月2日(日)に尾鷲まで出かけて大杉谷森林鉄道記録フィルム映写会&座談会へお邪魔してきました。朝早めに尾鷲のすぐ手前の船津へ到着して船津貯木場~インクラ下の廃線跡偵察をしようと思ってたのですが、結構な本降り~(- -;)
林道部分だけ走って往復しただけで熊野古道センター会場入り。
貴重な映像に座談会、講師のJOINさん方ともお話しでき楽しくも有意義な一時を過ごすことができました。
千尋の谷を渡る大杉谷索道や断崖絶壁の木橋上を行く怪しげな岩崎レール製機関車の映像が脳裏に焼き付いてしまいました(笑)
興奮冷めやらぬまま会場を出ると雨が止んでおり時折晴れ間も見えるほどになってきたのでせめて船津貯木場(JR船津駅裏)~上里間1,160mの上里線くらいは辿れないかと寄道しました。

大河内土工保護森林組合の森林軌道が1932(昭和7)年に上里貯木場~柚ノ木11,189mを開業しました。
その上里貯木場と思われる場所。
当時の写真を見ると線路は山際(今の三重県道603号線の場所か?)にあったようで。
当時は積み降ろし用のクレーンがあり、1941(昭和16)年に線路が船津貯木場へ延長される以前はここでトラックに載せ替え相賀貯木場まで木材を運んで船積みしていました。

三重県道603号線から分岐する細道。どうも軌道跡らしい感じがします。

大河内川の堤防が線路の盛土を兼ねていたようでな感じ。
そのまま行くと国道42号線と交差します。

堤防上のお地蔵さまの右の民家との間のスペースが線路跡のよう。

上の画像の場所から振り返り船津貯木場方向を見るとこうなります。
右の築堤がいかにも線路っぽいのですが、この上を行くと紀勢本線のガーダー橋にぶつかってしまいます。
というわけでアンダークロスするため林鉄の線路は左の道路のルートで河原へと降りていたようです。
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