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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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旧名鉄柳橋駅跡 補遺 ~137号の仲間~
柳橋交差点の歩道タイルに図案化されている137号は昭和初期早々に廃車されてますが、鋼体化や電動貨車化されて生き延びたものもいました。
市営化後、このグループはSSA型と呼称されていましたが、1926(大正15)年にそのうちの60,118号が改造され電動貨車1,2号となっていました。
内2号は専用軌道が多い下之一色線で保線作業や除草剤散布に1969(昭和44)年の廃線まで使われた後に保存されていました。

1995(平成7)年ですからもう18年も昔・・・(^ ^;)
当時中学生で、金沢から引っ越して半年ばかり経ち名古屋近辺をあちこち見て回ってました。

950507-1.jpg
東山動植物園で保存されていた頃の電動貨車2号。
オープンデッキですが前面窓が付き多少は運転環境が改善していた様子。

950507-2.jpg
客室部を取っ払い、モニタールーフが消え失せ無蓋化、下之一色線での架線保守用に天蓋(と言うより足場?)が付いています。
台枠は切り詰められ、台車も履き替え原型を留めている部分がどれ程かは全くもって不明・・・。
妻板も丸みを帯びていますが原型は平妻のはず、台車はBrill21-Eでしたが原型はPeckham・・・札幌市交通資料館の10号が履いているのと同じだったようです。

950507-3.jpg
運転台は至ってシンプル。

950507-4.jpg
この撮影から間もなく解体されてしまったのですが、この妻板下部は去年赤池のレトロ電車館に置いてあるのを見掛けました。

950507-5.jpg
大正15年5月改造とありますが製造年は書いてありませんでした。
古過ぎてあまりよくわからなかったのでしょうか。

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名古屋市交 | 23:52:57 | Trackback(0) | Comments(0)
旧名鉄柳橋駅
名古屋駅から伏見・栄へ広小路を歩いていくと江川線が交差する柳橋交差点に突き当たります
すぐ傍には柳橋中央市場があり朝から活気のある場所です。かつてはここに市電も平面交差していました。
その北西角に1941(昭和16)年8月12日に新名古屋地下駅開業まで存在していたのが旧名古屋鉄道柳橋駅。

DSC_3854.jpg
現在は江川線上に名古屋高速の高架ができて圧迫感があります。
向かい側の家電量販店(もうすぐ閉店らしい)や駐車場がある一角が柳橋駅の跡地です。

大正初期、名古屋電気鉄道は名古屋市内の軌道線だけでなく、軌道線と接続する押切町駅から一宮、犬山、津島、清州へ鉄道線の郡部線を次々と開業させていました。
押切町より中心街に近い地域にターミナルを置くべくして柳橋駅が1913(大正2)年11月20日に開業。
しかし、当時は郡部線建設費用を市内線運賃に転嫁しているとして名古屋市民の不満を買っていたようです。翌年に起こった名古屋電車焼き討ち事件で柳橋駅及び併設の名電本社は焼失。事態の鎮静化に名古屋城にいた陸軍まで出動してます。

その後市内線を名古屋市へ譲渡することになり、鉄道線は新会社名古屋鉄道を1921(大正10)年6月13日に設立して引き継ぐこととしました。
1922(大正11)年8月1日より名古屋市電となった後も、押切町~柳橋の市内線乗り入れは継続されました。
揖斐・谷汲線で人気だったモ750も当時は市電区間へポールを装備して乗り入れ柳橋駅に発着していました。

DSC_3852.jpg
柳橋駅の碑などは全くありませんが、柳橋交差点北東角の歩道上にはこんなタイルが埋め込まれています。

DSC_3851.jpg
1983の文字はこのタイルの設置年と思われます。
電車には社紋(?)を挟んで両側に137の番号。

実際に存在した137号は38~167号の130両存在したグループのうちの1両。
名古屋電気鉄道が1907(明治40)年より日本車輌や自社工場で製造。
明治村の京都市電のごとくベスチビュールなしの吹きっ曝し運転台。側面8枚窓、モニタールーフなどタイルの絵と一致点が多く、描く際に実際137号をモデルにしたのでしょうか。
なおこのグループは1920(大正9)年の那古野車庫火災で半数以上の66両を焼失、市営化時には64両が引き継がれました。しかし小型車で老朽化も進んでいたことからボギー車や鋼体化単車に置き換えられていきます。
因みに137号は1927(昭和2)年6月に廃車。

このタイルの絵はデフォルメされているものの進行方向のみ救助網をセット(後部の救助網は跳ね上げた状態で走行)してる様子などなかなかリアル。
柳橋にお越しの際はちょっと探して見るのもいいでしょう。

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名鉄 | 23:51:05 | Trackback(0) | Comments(0)
南木曽の酒井
桃介橋のすぐそばで保存されている林鉄車輌。

DSC_3824.jpg
No.63(旧番No.76)と運材台車。
No.63は1941(昭和16)年酒井工作所製4.1t機だそうな。
製造当初はガソリン機関車(戦中は代燃?)で戦後ディーゼル化。
木曽谷から伊那谷へ転じて浦、遠山林鉄で使われていたとのこと。

DSC_3826.jpg
軸バネが板バネなのは珍しい存在。
2010年頃には鋳物台枠が灰色(下塗りの色?)だったのですが、以前の黄色に塗り直された模様。
現役末期は台枠部分がこげ茶、上回り黄緑の王滝営林署色に近い色合いだったはずですがこの色は何か謂れがあるのかな?

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森林鉄道(長野営林局) | 23:45:39 | Trackback(0) | Comments(0)
桃介橋の軌道跡
今回はナローの手押し軌道ネタで、専用線と言うにはちょっと違いますがお付き合いください。
中央本線南木曽駅近くの桃介橋上に残る軌道の話題です。

桃介橋は読書発電所の建設資材運搬のため1922(大正11)年木曽川に架設された吊り橋です。
読書発電所を建設したのは大同電力、電力王と呼ばれた福沢 桃介社長の名前から桃介橋と呼ばれました。
橋の詳細は他所様でも既に紹介されているのでここでは省略~。
DSC_3815.jpg
発電所工事終了後も周辺住民の通行路として使われ、老朽化で放置された後に復元整備されています。

DSC_3811.jpg
橋上には読書発電所建設資材輸送手押し軌道が敷かれ、三留野駅(現南木曽駅)~読書発電所導水路をつないでいたようです。
踏み板にレールがあった部分を埋めた名残が見られるほか・・・

DSC_3813.jpg
主塔部分には本物の当時のレールが残っています。
軌間を測ってみたら約585mm・・・1フィート11インチでしょうか?

他の軌道ではあまり聞いたことがない軌間ですね。
桃介橋から先はどんな風に軌道が延びていたかも気になるところですが、現地を見回してもさっぱりわかりませんでした。

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ナローゲージ | 22:57:28 | Trackback(0) | Comments(0)
陸軍名古屋兵器支廠・陸軍造兵廠名古屋工廠千種機器製造所専用鉄道
●兵器支廠の開設
1906(明治29)年にまだ名古屋の市街地からも離れた千種に兵器支廠ができました。
千種駅からの専用鉄道も同時に開業したようで、かなり古い歴史のある専用鉄道といえます。

●名古屋機器製造所の開設
1920(大正9)年11月20日には兵器支廠の南隣へ東京砲兵工廠名古屋機器製造所が完成、大規模な航空機エンジンの工場でした。
こちらにも既存の兵器支廠専用鉄道から分岐する線が敷かれています。
1923(大正12)年4月1日には組織替えで名古屋工廠千種機器製造所となります。
航空エンジンのほかに銃器製造も始まり工廠は徐々に拡張されていきます。
1940(昭和15)年に航空エンジンの製造は立川へ移転、敗戦まで銃器製造を行っていました。
戦時中は連合軍の標的となり、特に1945(昭和20)年6月26日の空襲では本部に直撃弾が命中したり、74人が死亡とほぼ壊滅した状態で敗戦を迎えます。

●廃止
戦後は連合軍により接収され機器製造所は1946(昭和21)年3月より撤去作業が始まります。
兵器支廠も同時に撤去されたと思われますがよく分かりません。
専用鉄道も同時に無くなったものと思われます。

作業キロ:1.7km 作業方法:省機関車(国鉄機)、手押

DSC_2645.jpg
中央本線との分岐部。千種駅から大曽根寄りに並走してから分岐してました。

DSC_2646.jpg
カーブして続く路地に線形が残っています。
当時は掘割から徐々に這い上がってくるような形で線路が敷かれていたものと思われます。

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保育所、マンションに突き当たり一旦廃線跡は途切れますが、日本専売公社名古屋工場専用線でも横断していた市道環状線を渡ると再び道路となっています。

DSC_2666.jpg
ほどなく千種公園に到着。
千種公園が名古屋機器製造所の跡で、北(画面左方)の市邨学園などがある区画が兵器支廠の跡です。

DSC_2669.jpg
名古屋機器製造所構内の機回し線があった辺り。

DSC_2654.jpg
千種公園内には名古屋機器製造所当時のコンクリート塀の一部が保存されています。
空襲の跡が残る痛々しい姿です。

DSC_2660.jpg
その横には記念碑が建立されています。

「ここに涙あり されど平和は永遠に」

今では何の変哲もない公園ですがここも戦跡。
大勢の方がこの地で犠牲になっているのです。
合掌

参考文献:名古屋陸軍造兵廠史・陸軍航空工廠史(名古屋陸軍造兵廠記念碑建立委員)
千種区史(千種区制施行50周年記念事業実行委員会)

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専用線跡 | 21:27:33 | Trackback(0) | Comments(0)

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