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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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日本専売公社名古屋工場専用線
大曽根駅からナゴヤドームのそばまで延びていた専用線。
かつての工場街も今では三菱電機以外工場も無くなって面影が薄れています。

ozone-map.gif

●三菱重工業名古屋発動機製作所の進出
三菱重工業が航空機用の発動機工場を建設するため大幸町に工場用地を取得したのは1937(昭和12)年8月。
245,000㎡の広大な敷地を鐘ヶ淵紡績より購入しています。
翌1938(昭和13)年に工場が完成し軍用機のエンジン製作を始めています。
専用線もこの時期に敷かれたものと思われます。
三菱時代は専用線は三菱電機構内を横切っていたようです。

●敗戦そして日本専売公社へ
航空産業の中心都市名古屋の中枢とも言えたこの工場はやはり連合軍機の猛爆に曝されます。
1944(昭和19)年12月の空襲をはじめたびたび襲われて敗戦を迎えます。
戦後は財閥解体により三菱重工業が分割され、工場も縮小されますが三菱系で残っていました。
専用線はこの時に手放されたのか、隣接した土地に1949(昭和24)年に進出した専売公社名古屋工場のものとなります。
この時に配線が変わったようで、途中にスイッチバックを要するようになりました。

●平面クロス
専用線は途中で市道環状線を横断しますがここには無軌条電車(トロリーバス)の路線がありました。
この無軌条電車は戦時中の酷使もたたり、1951(昭和26)年1月16日に廃止。
代わりに1953(昭和28)年8月14日より名古屋市電循環東線が走り始めます。
このため市電と専用線の平面クロスが発生し、専用線を列車が通る場合は市電が通過を待つようになりました。
市電のこの路線は名古屋市電で最後まで残り1974(昭和49)年3月31日に廃止されています。

●廃止
大曽根駅は1982(昭和57)年11月15日で貨物扱いを廃止。
専用線もこの時に廃止されたものと見られます。

DSC_2635.jpg
スイッチバック引上げ線跡。土が盛られて遊歩道になっています。
専用線は右方向へ分岐していました。

DSC_2637.jpg
引上げ線はこの陸橋に突き当たって終わっていた様子。

DSC_2524.jpg
廃線跡が公園や建物になった面影のない部分を過ぎると駐車場と化します。
旧線はこの辺で合流してたと思われますが旧線は三菱電機工場内なので不明。

DSC_2526.jpg
駐車場に残る用地境界標。

DSC_2525.jpg
市電と交差していた環状線を渡ります。

DSC_2531.jpg
その先も駐車場や住宅が建っています。
細長い駐車場に若干面影が・・・。

DSC_2533.jpg
踏切跡部分だけ道路が盛り上がってます。
路側帯表示の白帯を見れば起伏が一目瞭然。

DSC_2534.jpg
専売公社名古屋工場は専用線跡でお馴染み(?)のイオンに。
道を挟んで向かいの三菱重工はナゴヤドームとなっています。

●スイッチャー
ここも日通のスイッチャーがいました。
わかっているものでは1956(昭和31)年加藤製作所製15t機(名鉄DB-6と同タイプ)。
後任で1975(昭和50)年日車製25t機(春日井で現役)が入線し置き換えたようです。
加藤15t機は1967(昭和42)年入線のようですがそれ以前は不明。

参考:三菱重工名古屋機器製作所三十年史(三菱重工名古屋機器製作所)
    名古屋市東区史(東区史編纂委員会)
    世界の鉄道’70(朝日新聞社)

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専用線跡 | 20:38:11 | Trackback(0) | Comments(0)
東亜紡織津工場専用線(近鉄伊勢線部田駅)
1961(昭和36)年1月22日で廃止になった近鉄伊勢線。
元は伊勢電気鉄道(以下伊勢電)として桑名~大神宮前(伊勢市内)に特急電車を走らせ参宮急行や国鉄に対抗していたことで廃線ファンには知られていますね。
桑名~江戸橋は今でも近鉄名古屋線として現役ですが江戸橋~新松阪~大神宮前は廃止になっています。
伊勢電は軌間が国鉄と同じ1067mmで貨物輸送も行っており、国鉄と接続していた伊勢電津(後の部田)駅からは専用線も分かれていました。

●錦華毛糸の三重県進出
金沢に本拠を置いていた錦華紡績が太平洋側に毛糸紡績で進出を試み、津に工場を建設。
1935(昭和10)年3月18日に伊勢電津~錦華毛糸津工場の専用線が直流1500V電化で竣工しました。
入換用スイッチャーはなく伊勢電の電気機関車が直接乗入れていたようです。
当時四日市港は国内有数の羊毛輸入拠点で、伊勢電経由で原料の羊毛を搬入していたものと思われます。

●戦時統合
戦時色が濃くなって来た1941(昭和16)年に錦華毛糸は中央毛糸と合併、東亜紡織となります。
さらに1943(昭和18)年には航空機部品をつくる軍需工場にされてしまい、紡織機は打ち壊され専用線でスクラップとして運び出されてしまったと言います。

●専用線廃止
戦後は東亜紡織の手に戻り繊維工場に復元されますが、専用線がいつ頃まで使われていたかは不明。
名古屋線改軌の1959(昭和34)年までには使用停止されていたと思われますが、伊勢線廃止時にもレールはまだ残っていたそうです。

専用線一覧では1953(昭和28)年版に載ってますが、契約相手名が合併前の中央毛織になっていたり、起点駅が隣の津新地駅になっていたり疑問点が残りますがデータは以下の通り
作業キロ:1.0km
作業方法:相手方機(?)、手押

DSC_2609.jpg
部田駅跡。
植込みの奥に旅客ホームの残骸が見えています。
手前に本線と側線が複線区間のように並んでいたそうです。

DSC_2611.jpg
伊勢線との並走区間。国道23号線と交差したところで伊勢線は右へ、専用線は左へ分かれます。
どちらも宅地化しているため、交差点に立っても線形を追うことができません。
この辺に90年代初頭まで複線分の架線柱が残っていたらしいのですが今は何もなし。

DSC_2613.jpg
国道23号線の裏手に専用線跡を利用した細長い駐車場があります。
さらに線路跡に建った住宅も線路の向きに忠実に土地を利用しているので周囲の建物と向きが違っています。

DSC_2614.jpg
住宅街を斜めに突っ切る専用線跡の敷地。
奥のマンションが工場跡地で、専用線もマンションに沿う形で右へ曲がります。

DSC_2615.jpg
工場跡。前方には工場跡でお馴染みのあの大型ショッピングセンターがあります。


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専用線跡 | 22:34:08 | Trackback(0) | Comments(0)

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