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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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三社合同側線(東海道本線西浜松貨物駅)2
三社合同側線の続きです。
今回は自動車・バイクヤード線です。

DSC_1548.jpg
新幹線と道路の間の敷地が線路跡で直進していました。

DSC_1547.jpg
側線廃止後に新幹線の盛土をコンクリートで固めたのか側線跡には砂利さえも残っていません。
堀留川を渡っていた跡にも橋台は残っていません。

DSC_1546.jpg
建物が建っている辺りから側線が分岐し奥にヤードが拡がっていました。

DSC_1545.jpg
ヤードの跡はパチンコ店などになっており跡形もありません。
新幹線を挟んで北側はコンテナヤードです。

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専用線跡 | 21:40:23 | Trackback(0) | Comments(0)
三社合同側線(東海道本線西浜松貨物駅)1
旅客に貨物が入り乱れ飽和状態の浜松駅から貨物を引き受けて1971(昭和46)年4月26日に開業した西浜松貨物駅。
浜松といえば自動車やバイクの生産も盛んな地域でしたね。
というわけで生産された車やバイクも西浜松発送で鉄道輸送していました。
これらはコンテナ、車扱い等のヤードから新幹線を挟んで南側にヤードがありました。
コンテナヤードは今でも盛況ですが自動車・バイク輸送は1984(昭和59)年2月改正で取り扱いが無くなってしまったようです。倉庫線も同時期に無くなったよう。

また途中で枝分かれする倉庫会社の専用線も追加されています。
こちらについては
作業キロ:国鉄機0.3km、私有機1.2km 総延長キロ:1.1km
作業方法:国鉄機、私有機
となってます。

DSC_1554.jpg
西浜松駅構内で新幹線と在来線が交差する辺り。
奥のセメントターミナルのサイロ横から始まります。

DSC_1552.jpg
セメントターミナルも鉄道輸送は終了。
2006年3月の樽見鉄道本巣からの貨物廃止で無くなりました。
今でも灰緑色のタキ1900が何かに利用されているようで留置されています。

DSC_1546.jpg
三社合同側線はその先に続いていました。
自動車・バイクヤード線は新幹線沿いに直進。
倉庫線は右へ分岐しこの道路を横切っていました。

DSC_1549.jpg
倉庫線跡はレールが撤去されたものの倉庫自体は現役。

DSC_1550.jpg
倉庫内の貨物ホームはそのまま利用されているようです。
むしろ貨車がいた時代の方がずっと短いですが・・・

入換は自動車・バイクヤードの本線が国鉄のDD13→DE10。
倉庫線は私有機の加藤15t機(元名鉄DB-9)が行っていたようです。
名鉄DB-9は廃車が1971(昭和46)年なので名鉄で廃車後すぐ転属して来たと思われます。
過去の鉄道ファンの記事によるとこの加藤15tは赤い錆止めペンキ一色の簡素な姿だったそうで・・・。
でも正月にはちゃんとしめ飾りも付けてもらっている写真が見られます。

参考:鉄道ファン282号 1984年9月号(交友社) 専用線の機関車12 東海地方のスイッチャーPart2(岩堀 春夫)

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専用線跡 | 21:50:58 | Trackback(0) | Comments(0)
三菱レイヨン幸田工場専用線(東海道本線幸田駅)
2012年3月25日撮影と10カ月も前の撮影ですが取り敢えずUP。
何にしろ直接的な痕跡は皆無に近いので(^ ^;)

岡崎から豊橋に向かい、両側に山が迫ってきた場所にある幸田駅。
因みに駅名は「こうだ」ですが現町名は「こうた」町。町制を敷く前は「こうだ」村だった名残とか・・・。

トヨタのある三河地方だけあって田園地帯に部品工場が存在してます。
ここも自動車工業以前は繊維工業が占めており紡績工場がありました。

幸田村に愛知織物の工場ができたのは1934(昭和9)年のこと。
専用線も同時に建設されたようです。
愛知織物は1936(昭和11)年11月に呉羽紡績に買収されます。
そして戦時中には軍により工場を軍需産業に転換させられ、1942(昭和17)年大日本兵器が買収。
豊川海軍工廠の下請けで航空機用機関銃を製作していたそうです。

敗戦を迎えると今度は三菱化成が繊維工場に復元。
1950(昭和25)年に三菱化成は新光レイヨンを設立、1952(昭和27)年に三菱レイヨンへ改称。
レイヨン専紡工場として操業していました。
専用線一覧では1951(昭和26)年~1970(昭和45)年版で記載が見られます。
但し1967(昭和42)年版以降は使用休止になってます。

作業キロ:0.8km 総延長キロ:0.8km
作業方法:田中組機
スイッチャーは田中組という業者の所有だったようです。

DSC_0402_20130107225013.jpg
幸田駅は島式ホーム1面を本線と待避線が囲む形。
しかし本屋側をよく見ると・・・

DSC_0403.jpg
煉瓦積みのホームの残骸があります。
貨物ホーム跡でしょうか??

DSC_0404.jpg
肝心の専用線は岡崎方に延びていました。
本線との並行部分に関しては路盤が残っています。(右端の敷地)

DSC_0407_20130107225017.jpg
分岐後は築堤で幸田の市街地を横切り県道483号線をオーバークロスしていたはずですが一切の痕跡なし。
奥の架線柱が見える辺りから手前に見える上屋辺りを通り、左端へ続いていたはずなのですが・・・。
1974(昭和49)年に刊行された幸田町史には専用線の築堤が写っており、県道などのオーバークロス部はコンクリート桁が架かっていました。

DSC_0409.jpg
用水路を渡る個所も何の痕跡もなし。
現在の幸田町役場前の道路を通っていたはずですが想像もつきませんね。

DSC_0411.jpg
工場跡は公園と住宅地に。

参考文献:幸田町史

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専用線跡 | 16:56:44 | Trackback(0) | Comments(0)
菊井町交差点の架線柱標識
名古屋駅から徒歩15分程の菊井町交差点。
駅前の高層ビル街を抜けたところにある何の変哲もない交差点ですが・・・。

DSC_0907.jpg
中央にドカンとそびえるビルは名古屋プライムセントラルタワー。
このビルの場所は元々名古屋市電・・・というより名古屋の電車発祥の地と言える那古野町車庫跡です。
名古屋電車製作所というメーカーもここにありましたね。
そのすぐ北にあるのがこの菊井町交差点。

DSC_0903_20121221204802.jpg
その西北角にある信号機の柱・・・新しく塗装されてはいますが、先端の装飾など最近のデザインではありません。
これはもしや・・・。

DSC_0904.jpg
上の方を見ると古ぼけた札が付いてます。
というわけで拡大~♪

DSC_0904-1.jpg
名古屋市交通局のマークに「押切線」の文字。
この信号柱がかつて名古屋市電押切線の架線柱だった名残です。
押切線は柳橋~押切町(時代により途中区間で路線変更が行われてますが)を結んでいた路線です。
菊井町交差点の区間は1901(明治34)年2月19日開業~1972(昭和47)年3月1日廃止。

押切線には初代名古屋鉄道が一宮・津島・犬山線を敷いた頃から鉄道線用の大型車両も乗り入れてました。
市内線の市営化後も名鉄の押切線乗入れは1941(昭和16)年の新名古屋地下駅開業まで続きます。
揖斐・谷汲線で慣れ親しんだモ700・750も市電車両に混じってこの交差点を曲がって走っていたわけですね。

場所はここです↓

大きな地図で見る



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名古屋市交 | 20:55:00 | Trackback(0) | Comments(0)
日本軽金属蒲原工場専用線4(東海道本線富士川)
廃線跡巡りが終わって今回は日軽金蒲原工場専用鉄道で使われていた個性的な車両群を再現して見ました。
客車があったり、独特な機関車を導入していたり車両面でもかなり見所がありました。

蒸気機関車時代(昭和20年代後半頃まで?)

keikin-pcs1.gif
通勤列車想像図。戦後間もない頃のイメージ。実際はもっと疲弊した姿だったでしょうが。
878号+相模キハ11+相模キハ1+同キハ2

1.元国鉄878号
1901(明治34)年 イギリスNasmyth Wilson製
関西鉄道「磨墨」形→国鉄870形878号→日軽金
日軽金で独自に番号が振られていたかは不明。
A8系(400形、600形など)に準じた形状ですが速度向上のため動輪径が若干大きいそうで。

2.元相模鉄道キハ11(ホ201?)
1936(昭和11)年 日本車輌製
池田鉄道(安曇追分~北池田 1938年廃止)キハ2→相模鉄道(現JR相模線)キハ11→日軽金ホ201
元はバケット付き二軸ガソリンカー。他の私鉄では同型車や類似車も多数いました。
イラストの姿は想像図なので客車の塗装等は不明(相鉄時代にはツートン塗り分けのモノクロ写真がありますが)

3.元相模鉄道キハ1,2
1932(昭和7)年 日本車輌製
相模鉄道キハ1,2→日軽金
こちらも元ガソリンカー。キハ11と比べ窓も小さく鈍重なイメージの車体でした。
日軽金での番号は不明です。
↑のキハ11のパターンからするとホ101,102といった辺りの番号が与えられてそうですが・・・。

keikin-6.gif
元南薩鉄道5
1898(明治31)年 アメリカBaldwin製
北海道炭鉱鉄道16→国鉄→5形6に改番→薩南中央鉄道6→南薩鉄道6→日軽金
こちらも日軽金で番号が独自にあったかは不明。
サドルタンク機で、ボイラーに覆いかぶさる亀の甲羅のような水タンクが特徴。
当初は軸配置Bだったが、従輪追加でB1に改造。

DL化後(昭和20年代後半~廃止)
DD102,103,DF105が確認できています。(忌み数の4号車となる104は欠番と思われる)
101もいたと思われますが詳細不明。
蒲原工場は三菱製で固めてます。しかも一癖も二癖もある車両ばかりで何かこだわりがあったのでしょうか?
因みに清水工場は川崎重工1,2、新潟工場は新潟鐵工所DL301~303と単一メーカーで揃えてました。

keikin-pcs2.gif
昭和20年代後半になると機関車はDL化。通勤列車にはボギー車が入っています。
DD102+三岐ホハフ201

1.DD102
1954(昭和29)年 新三菱重工業(現三菱重工業)製 38t機
日軽金→西濃鉄道
変速器は機械式変速と大型ディーゼル機としては初期のもの。
筑波鉄道DD501と同型。
日通の社史所収のカラー写真に小さく写ってました。
車体裾や端梁は白く塗られていたようです。
1966(昭和41)年に西濃鉄道へ譲渡。

2.元三岐ホハフ201
1899(明治32)年東京車輌工業所製
九州鉄道??→国鉄ホハユ3315→神中鉄道ホハ200→相模鉄道(合併)→三岐ホハフ201
神中鉄道入線時に新しい木製車体を載せ替えているので上回りは原型ではありません。
三岐鉄道では1953(昭和28)年に廃車されて日軽金入り。
塗装は不明なのでイラストは三岐時代のままということにしてます。
通勤列車がいつ頃まで運行していたかは不明です。

DD103
1961(昭和36)年 新三菱重工業製 50t機
軸配置Dで各車輪をロッドで結ぶという独特の構造。
キャブ下にジャック軸があり、ロッドと直結、両側各2軸の同軸に回転運動を伝えていました。
車体は凸型35t機のような(安中のDD352と似てる)のですが下回りがあまりに異様な機関車でした。
全軸を結ぶロッドの構造が複雑で曲線通過時などを考えるとかなり無理がありそうな機関車ですが実際どうだったのでしょう?
似たような機関車としてやはり新三菱が1959(昭和34)年に試作したDD451(片上鉄道→関東鉄道→八戸通運)があります。こちらは片上でも関東でもあまり評価が良くなかったようで、どちらでもそんなに使わないうちに手放しています。
三菱としてはDD451で失敗したものの当機で再チャレンジしたかったのでしょうか?
そんな機関車を引き受けた日軽金も相当冒険しているように見えますが(^ ^;)

keikin-df105.gif
DF105
1965(昭和40)年 三菱重工業製 70t機
軸配置BA+ABの永久連結機。
35t片ボギー機を背中合わせ重連にして、片方のキャブを取っ払ったようなスタイル。
このような運転台なしの機関車をブースターと呼ぶそうですが、国内では珍しいです。
連結部はゴム幌らしきもので覆われています。
先述のDD102置き換え用に導入されたのでしょうか?
キャブやボンネットの形状など車体各部の雰囲気はDD103と似ています。
モノクロ写真しか見てないので塗装は想像。

なお製品輸送には一般貨車を使っていたようですが、アルミナ輸送では私有貨車を使っていました。
タンク体が鋼製のタキ2000、アルミ製のタキ7400、8400、8450が清水港線三保~富士川、新潟を走っていました。
今でもタキ8450形8453が清水港線三保駅跡に保存されています。
DSC_0953_20130106132647.jpg

参考文献:
日本軽金属二十年史(日本軽金属)
日本軽金属三十年史(日本軽金属)
日本軽金属五十年史(日本軽金属)
RMライブラリ 三岐鉄道の車輌たち―開業からの50年―(ネコ・パブリッシング刊 南野 哲志、加納 俊彦/著)
RMライブラリ 西濃鉄道(ネコ・パブリッシング刊 清水 武/著)
レイル・マガジン2008年9月号特別付録CD-ROM 機関車表 国鉄編Ⅰ 蒸気機関車の部(沖田 祐作編 ネコ・パブリッシング)
鉄道番外録1~11(ないねん出版)
内燃動車発達史〈上巻〉戦前私鉄編(ネコパプリッシング刊 湯口 徹/著)
内燃動車発達史〈下巻〉戦前メーカー編(ネコパプリッシング刊 湯口 徹/著)


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専用線跡 | 14:00:40 | Trackback(0) | Comments(0)
日本軽金属蒲原工場専用線3(東海道本線富士川)
廃線跡は道路と斜めに交差し、その先は宅地と化します。

DSC_0963.jpg
それでも道路を横断する箇所では路盤の盛り上がりが見られます。

DSC_0961_20121228231828.jpg
落輪防止用と思われる警戒色のブロックがそのまま残ってました。
この先はまた宅地、さらにはアパートに。
廃線跡に建つアパート群はどうやら日軽金が大家さん(?)のよう。

DSC_0965.jpg
廃線跡の道路上から富士川駅方を見ると富士山が見事。
今でも現役なら人気が出そうな専用線ですね。

DSC_0966.jpg
道路は工場直前で終わります。
かつての鉄道門は塞がれていますが・・・

DSC_0968.jpg
その前には水路を跨いでいた橋梁の工場側橋台と・・・

DSC_0967.jpg
警報機の台座や配線が残ります。
工場前でT字路になっているため新蒲原駅側を向いた警報機と山側の陸橋を向いた警報機があったようです。

専用鉄道は工場構内奥深くに延び、機関庫なども残っているそうですが見ることはできません。

この専用鉄道はアルミナ供給元の清水工場が三保にあることから清水港線と一蓮托生の存在で、1984(昭和59)年4月1日の清水港線廃止により同時に消えています。

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専用線跡 | 13:47:56 | Trackback(0) | Comments(0)
日本軽金属蒲原工場専用線2(東海道本線富士川)
専用鉄道跡は富士川駅構内神戸方から始まります。
この専用鉄道は戦中の開業から戦後にかけて通勤輸送も行っており、蒸気機関車がエンジンを降ろした二軸ガソリンカーを客車として牽いていたそうです。

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右はかつての本州製紙(現在は王子製紙系の会社になってます)の工場。
煉瓦積みなのですが上から白く塗ったくられてしまっているのが見かけ的に残念。
ここもかつては専用線があり奥に怪しげな貨物ホームが残ってます。

DSC_0955.jpg
横に残る日軽金専用鉄道跡の路盤。
かつては日軽金専用通勤列車乗降用ホームもあったと思われるのですがどこにあったのやら?

DSC_0956.jpg
↑2枚の画像を撮影した踏切の名前はずばり「軽金踏切」。

DSC_0957.jpg
東海道本線に沿って進み軽金踏切の先で東海道新幹線をくぐります。
その下には・・・

DSC_0958.jpg
コンクリート橋が残っています。

DSC_0959.jpg
その先は線路跡に日軽金系列の会社が建ってます。
道路の左にあるのは昔の社宅でしょうか?

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専用線跡 | 20:22:23 | Trackback(0) | Comments(0)
日本軽金属蒲原工場専用線1(東海道本線富士川)
明けましておめでとうございます!!・・・ってことで今年初のUPは富士山の見える廃線跡から。
因みにここは専用線ではなく専用鉄道でした。
法規上の違いなのでここでは特に解説はしません。悪しからず(_ _)

作業キロ:2.9km 総延長キロ:6.1km
作業方法:私有機

日本軽金属はアルミニウムの一貫生産を行っているメーカーです。
ここでまずアルミニウムの精製過程をざっくりと書くと
1.ボーキサイトと苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を混ぜて加熱し、アルミナ(酸化アルミニウム)を精製。
2.アルミナを氷晶石などと混ぜ1000℃に加熱、電気分解してアルミニウムを精製。

上の工程の内1.は清水の三保(現在は市町村合併で同じ静岡市内)にある清水工場で行います。
蒲原工場では2.の工程を行っており、アルミナを清水工場から鉄道輸送していました。
また製品であるアルミのインゴットなども専用線から鉄道で出荷されていました。

蒲原工場は1939(昭和14)年5月に着工、1940(昭和15)年10月より工事と並行して操業開始、1943(昭和18)年9月に完工。
当時は清水港線がまだ三保まで開業しておらず、清水工場からのアルミナ輸送は船舶により行われていました。
1944(昭和19)年7月1日に清水港線(当時は東海道本線の支線扱い)が三保まで開業、三保~清水工場の専用線も同時に開業しアルミナが鉄道輸送されるようになりました。

shi-kan-map.gif

アルミナは蒲原工場のほか新潟工場へも輸送されており、新潟駅から専用線が延びていたそうです。
次回は実際の廃線巡りです。

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専用線跡 | 20:16:48 | Trackback(0) | Comments(0)

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まとめ