投稿日:2012-03-28 Wed
最近これまで撮り溜めた銀塩写真の整理をしています。自分で撮ったことが分かっているもので一番古いのは1988年、
デジタルに完全に移行したのが2009年ですから約20年分の写真があるわけです・・・
といっても本格的に撮り始めたのは1997~2000年辺りからですが(^ ^;)
そんな中で出てきたものから面白かったものをスキャンしてUPしていこうかと思います。
第1回目は大学時代にたまたま撮った甲子園臨をお送りします。
改めて見ると今と撮り方も何だか違っていて妙な気分。
ホームで白線の内側から撮っているのも今では絶対しないこと・・・真似しないように。
夏休み期間中ですが集中講義で彦根まで通学していました。
この年の第83回全国高等学校野球選手権大会では市内の近江高校が特に強く決勝戦まで進みました。
そこで米原~三ノ宮(だったかな?)に甲子園まで応援に行く父兄を乗せて臨時列車を走らせる旨の貼り紙が彦根駅に出ていたのを見ています。
「まあ117系辺りを使うのかな・・・」くらいに思っていたのですが決勝戦当日の8月22日に米原駅にいたのは

何とキハ58系・・・しかも何と11連!!
向日町のキハ58ですから幼い頃から急行「丹後」や「わかさ」でお馴染みのクルマたちです。

定期列車で彦根駅へ先着し到着発車を狙います。
それにしても長い・・・キロ28を2両くらい組み込めばもう完全に急行列車全盛時代の風景です。
自分で取った記録によれば先頭から
キハ58-1032+キハ28-3009+キハ58-1029+キハ28-2310+キハ28-2386+
キハ58-1037+キハ58-447+キハ28-2312+キハ58-594+キハ28-2349+
キハ58-1024
となっています。

不思議なことに自分以外でカメラを構えていたのは地元ケーブル局?の方だけ。
米原、彦根とも同業者の人たちは皆無でした。
今ならこんな編成が走ったら凄まじいことになってしまいそう・・・。

懐かしい轟音を連ね紫煙を残しキハ58の長大編成は甲子園へと向かいます。
因みにこの時の試合相手は西東京代表の日大三高でしたが日大三 5-近江 2で敗れてしまい近江高校は惜しくも準優勝、
それでも滋賀県勢が決勝戦まで残ったのは初の快挙でした。
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投稿日:2012-03-25 Sun
10年来よく通った岳南鉄道の貨物列車もついに最後・・・
吉原本町~本吉原でまず1枚。水路工事の車両が通るために簡易併用軌道(?)になってました。

機関車乗車体験。さすがにもう忙しくてやってないだろうと思っていたら比奈駅の窓口に受付中の文字が。
早速申し込むと待ち時間もなくすぐ乗せてもらえることに!!

電気機関車に乗せてもらったのは初めて(何故か内燃機は結構乗せてもらってる)しかも元名鉄のデキ501とくれば\(^ ^)/

何人か乗車体験の後、岳南原田への区間貨物運用に就きます。
ここで突放を見るのももうこれで最後・・・。

この日はこれで貨物はお終い。愛鷹山バックの通いなれたポイントです。
私は何故か富士山とは相性が悪く、これまであまり撮れたことがありません。
この日も貨物が終わってからようやく全体像を見せていました。

吉原本町付近の踏切で。
岳南鉄道は9.2kmと短いながら商店街に住宅街に工場地帯に田園風景に様々な風景を見せてくれます。
貨物が無くなっても通うことは間違いありません。
投稿日:2012-03-07 Wed
屋代線の続きです。撮影を始めると毎回何故か自然と松代以東が主体になってしまいます。

上信越道須坂長野東インターをバックに行く須坂行O2編成(モハ3522+モハ3532)。

雪に煙る飯綱山をバックに行く屋代行O2編成。

信濃川田駅。ちゃんとロータリーもあります。

雪山をバックに発車していくO2編成。

信濃川田駅前を発車して行くバス。ローカル私鉄の駅の前にバスがいる光景もなかなか貴重ですね。

赤帯を消して日比谷線時代の姿に近付いたO6編成(モハ3536+モハ3526)。
この姿は都会の風景の中で見た方が似合いそうです。

まだまだ艶やかなステンレスボディ。
那珂湊のケハ601にしてもそうですがステンレスボディは古さを感じさせませんね。
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