投稿日:2012-01-03 Tue
相賀林道古和谷線の続き。
大部分は枕木からも外れゲージは目茶苦茶・・・でも2条のレールが続いているというだけで嬉しいものがあります。

向こうから機関車が現れそうな気がしてしまいます。
この部分は登山道としても使われているようで、路盤崩壊箇所にも新たに桟橋が架けられています。
しかも一部では補強にちゃっかりレールを使っていたり(笑)

巨岩の切通しでSKW氏が立ち止っています。
「この先の路盤がない・・・」

これは・・・(・・;)
しかしよくよく見ると左に崩れた橋台が見えてますな。
今の装備ではこの先は止した方が良さそう。
一応この先にインクラインがあり、現在も遺構が残っているらしいです。
さらにインクらの上にも上部軌道があったそうですが、こちらのレールは撤去済みとか。

線路脇で道の駅で買った焼きさんま寿司を頂き帰路につきます。
この築堤もいい雰囲気。

まだレールが枕木に固定された部分を選びゲージを計測。計測係はSKW氏。
か細いレールは9kgレールと思われます。
因みに古和谷線は1917(大正6)年に開業(といっても当然全線開業ではないと思われ)。
機関車は1941(昭和16)年にフォードA型自動車のエンジンを使って製作した自家製の1tガソリン機関車が登場。
恐らくそれまでは人力か牛馬によるトロ引上げが行われていたものと思われます。
当の機関車も戦時中では薪炭ガス利用(要するに木炭車)か闇ルートのガソリンでも入手して走らせていたのでしょうか?
廃止は1969(昭和44)年だそうです。

大体762㎜の近似値が出ました。

帰りの林道で見掛けた伐採地に一本だけ残る異様な木。
古木から若芽が出た結果こうなったのでしょうか。
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投稿日:2012-01-02 Mon
明けましておめでとうございます。今年も早速アヤシゲな活動を始めています(笑)
大晦日には2011年の総決算ということで友人SKW氏と熊野へお出かけ。
鵜殿貨物があれば鵜殿へ、無ければ相賀森林鉄道跡巡りという予定で午前4:30に一宮を出発。
案の定鵜殿貨物はお休み。三瀬谷の鉄橋でキハ40系を撮影したりしつつ相賀までやってきました。
相賀森林鉄道は三重県紀北町海山区の相賀地区を起点に伸びていた森林鉄道。
この名前も正式名称ではなく、実際は相賀林道(森林鉄道は分類的には林道の一種)だったようです。
その中でも線路が残っているという古和谷線を目指します。

森林鉄道跡はクチスボダムまで三重県道760号線となっています。
二ノ又線と魚飛支線が分岐したところにある魚飛橋。
銚子川を渡っています。

その上流側にはやはり怪しげな橋台がありますねぇ。
しかしこれが旧県道のものなのか林鉄のものなのかは断定ができません。
ルート的には林鉄魚飛支線のものと思われますが・・・。

クチスボダムの傍で古和谷林道が分岐。
一般車通行止めのゲートがあるので、1tモーターカー(ただのマーチ)を留置してここからは徒歩で林道終点を目指します。

林道入り口には早速遺跡が。
製品事業所の跡でしょうか。土台だけでなく、タイル作りの風呂窯や台所がしっかり残っています。
かつては山男たちが仕事の疲れを癒していたのでしょうね。

その片隅にはまたアヤシゲなギアが。索道かインクラインの巻き上げ装置の部品か?とSKW氏と盛り上がり

古和谷の奥を目指します。
林道が軌道跡と聞いてはいるのですがどう考えても勾配がきつ過ぎ。
険しい渓谷は林鉄の痕跡を全く見せてくれません。

林道を横切る排水路の蓋は林鉄のレールが利用されているので、この谷に軌道があったのは確かなようですが不安になってきます。
木曽や丹沢の世附での経験がなければ諦めて帰っていたでしょうね。

特にどういうこともない林道を歩くこと1時間半、林道入り口には全くなかった雪が現れ、凍りついた小さな滝など温暖な紀伊半島らしからぬ景色になり車道が尽きます。
真っ白な広場には引き返す轍がいくつも残っていますが、その先に軽便鉄道幅の路盤がまだ続いています。

キターーーーーーーーーーーーーーー(゚∀゚)ーーーーーーーーーーーーーーーー
線路を見たときはもうこれしか言えませんでした(苦笑)
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