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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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旧名鉄一宮線の岩倉跨線橋撤去
1965(昭和40)年4月25日に廃止になった名鉄一宮線の岩倉~元小山にあった愛知県道63号名古屋江南線の跨線橋。
一宮線廃線後跡地を利用した愛知県道149号浅野羽根岩倉線を跨ぐ跨道橋となってからも半世紀以上使われましたが最近通ったところ取り壊し中でした。

IMG_1367.jpg
廃線後も「名鉄線」の文字が刻まれていた銘板が付いた親柱は既に撤去済み。

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明治から大正に改元された直後の1912(大正元年)8月6日に犬山への路線と共に名古屋電気鉄道初の本格的鉄道線として開業した頃は複線でしたが名岐線(現在の名古屋本線)開業後は存在意義が薄れ第二次大戦中に単線化。
跨線橋は単線化後につくられたものですが複線分の桁が単線の上を跨いでいました。

IMG_1370.jpg
架線を吊っていた碍子かスパーク避けの板を支えていたものと見られるボルトが突き出ていました。

IMG_1371.jpg
名古屋側の盛り土は既に取り除かれており岩倉跨線橋撤去後はただの交差点になるようです。

IMG_1584.jpg
一宮線最終日に運用に就いていたという3730系ク2740+モ3740編成を鉄コレ豊橋鉄道モ1751+ク2751(元名鉄モ3755+ク2755)発売時に購入して改装しました。
少し待てば名鉄仕様も発売されたのですが・・・(^ ^;)

名鉄一宮線は尾張一宮、新一宮駅まで後ちょっとの場所で途切れた東一宮駅が終点。
末期のダイヤは30分ヘッドだったそうですが列車代行の名鉄バスは1時間に3,4本で尾張一宮駅前まで乗り入れ。
公共交通機関の利便性が上がっているのは良いことで僕もよく使う路線です。

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名鉄 | 23:37:55 | Trackback(0) | Comments(0)
新鵜沼短絡線(名鉄犬山線新鵜沼駅~JR高山本線鵜沼駅)~その2~
新鵜沼短絡線の続き。

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高山本線鵜沼駅富山方の山崎街道踏切から鵜沼駅構内を見た様子。
辛うじて引上げ線の一部が残ってますが短絡線部分は住宅になって面影なし。

DSC_0097_201712172105189bc.jpg
同じ場所に短絡線のレールが一部残っていた頃。
新鵜沼方には既に住宅建築中で犬山線との接続は切られてますが辛うじて一部のレールが残ってました。
右の側線の車止めも木組みの味わい深いものでした。
2012(平成24)年5月5日撮影

新鵜沼短絡線からは犬山線、小牧線内各駅発着の貨物、さらに広見線新広見駅が発着していました。
ここから入る貨車の発着先としてはニチボー(犬山線犬山)、東洋紡(犬山線木津用水)、福玉精麦(犬山線布袋)、進駐軍→自衛隊小牧基地(小牧線豊山)に専用線がありました。
1950年代の関西電力丸山ダム建設時には最寄りの国鉄連絡駅で太多線と接続する広見線新広見駅だけでは容量が足りず新鵜沼短絡線でも貨車を授受していました。
電気機関車は大型機は入って無かったようですが旧名岐デキ100、旧三河デキ300、旧愛電デキ370、東洋紡私有機デキ110、元関電私有機デキ250、電動貨車デキ1500など多彩な顔ぶれが見られたようです。


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名鉄 | 21:27:24 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄各務原線新鵜沼駅旧ホーム跡
JR高山本線、名鉄犬山線、各務原線の集まる鵜沼。
JRは鵜沼駅、名鉄は新鵜沼駅と別々ですが以前は改札口も共同でした。
名鉄の架線電圧はかつて600Vだったのが1500Vに昇圧されています。
昇圧は犬山線1948(昭和23)年5月、各務原線1964(昭和39)年3月と16年の開きがあり、その間は3600系のような複電圧車を除けば直通運転ができず、新鵜沼駅も乗り場が分かれて高山本線と並行に各務原線ホームがありました。

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かつての各務原線ホームを鵜沼駅自由通路上から見た様子。
奥が岐阜方で左からカーブして奥へ続く複線電化線が各務原線、右の非電化線が高山本線。
かつての各務原線は直進して来て左の空きスペースに止まっていました。

P1020572.jpg
鵜沼駅3番ホームから各務原線の電車を見ると線形的にはこちらに入ってくる方が自然な感じ。

P1020571.jpg
今では橋上駅舎化されてすっきりしてますがかつては・・・

画像 002
空きスペース部分に名鉄の電化線路が入ってました。
かつて鵜沼駅富山方に特急北アルプスが高山本線に乗り入れる短絡線がありましたがこの短絡線を介して名鉄犬山線とつながっていました。
この側線に名古屋市交鶴舞線3000形が留置されていたのを見たこともあります。
2002(平成14)年9月3日撮影

画像 001
各務原線との連絡は既に切られていました。
2002(平成14)年9月3日撮影

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名鉄 | 23:22:35 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄名古屋本線堀田駅貨物側線跡
堀田駅岐阜方の貨物側線跡は高架化のため当然線路はありませんが。何かないかな?
堀田駅は貨物扱いが多く入換のため構内運転士も常駐していたようです。

DSC_1330.jpg
線路の両側に側線がありました。
北側は細長い小公園の緑地に。

DSC_1337_2017042921271078b.jpg
南側は公団住宅になっています。

DSC_1321_201704292127070d6.jpg
北側の側線から旧・貨物ホーム(正面ビルの位置にあった)を見た様子。

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戦中、終戦直後は屎尿輸送の中間貯留槽があり、名古屋市内で集めた屎尿を名鉄東部線(神宮前より豊橋側)の農村部へ運んでいたとのこと。
500石=90,195.3ℓ入りの大きな貯留槽で当時の写真を見るとこの辺りにあったようですが・・・。
15t積み無蓋貨車(トム)に木製タンクを据え付けて運んでいました。
ここからの行き先の一つだったと思われる西尾線福地駅の貯留槽は2017(平成29)年4月現在も残っており、この貯留槽を大型化したものがここ堀田のほか西枇杷島にもありました。

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駐車場の使用者名を書いた枕木が立ってますが裏には上下2列の横木を固定していた跡の釘があります。
地上線時代に本線と側線を仕切っていた鉄道柵の名残でしょうか?

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名鉄 | 00:02:31 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄三河線大浜口駅
1914(大正3)年2月5日に三河鉄道が大浜港駅(現・碧南駅)まで延び、その翌1915(大正4)年11月29日大浜口駅まで0.4㎞の臨港線が開業しています。大浜口駅は碧南駅からすぐの源氏橋付近にあったとのこと。
陶器や鋳物産業の燃料となる石炭や日用品などを輸送する舟と貨車を連絡させていましたが貨物取扱量の減少から1946(昭和21)年8月1日に廃線となっています。
廃線と言うよりは短距離なので合理化のため大浜港駅構内扱いとしたもののようです。
実際三河鉄道時代の1926(大正15)年9月1日に大浜港~神谷(後の松木島)が開業すると臨港線の大部分が本線となり、そこからちょっと分かれるだけになっていたものと思われます。大浜港~大浜口支線分岐点までは本線と臨港線の2重戸籍になっていたのでしょうか。
実際にいつレールが撤去されたかはわかりません(航空写真でも側線の有無が判別できない)が、中小港での貨物取扱いが大規模港湾に統合され消えて行ったものと思われます。

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本線だった碧南~吉良吉田間さえ廃止されてしまい行き止まりとなっている吉良吉田、大浜口方から碧南駅構内を見た様子。
車止めのある2線がかつての本線。
かつての駅名はこちらが「大浜港」駅で舟と連絡してた臨港線の駅の方が「大浜口」駅であり一般的なイメージと逆のネーミングなため何ともややこしい(^ ^;)

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暫くはレールが撤去されただけの路盤でカーブしながら続き・・・。

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源氏橋西交差点を越えたところ。奥にはまだ碧南駅が見えてます。

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源氏橋西交差点より南は碧南レールパークという三河線をテーマにした遊歩道となっています。
この場所で西側に分岐し運河に突き当たり行き止まりとなる側線が大浜口駅だったそうで。
ここには大浜口駅をイメージさせるためか分岐の模様や転轍標識なども置かれ、詳細な説明板まであります。

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名鉄 | 19:41:02 | Trackback(0) | Comments(0)
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