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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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名鉄名古屋本線堀田駅貨物側線跡
堀田駅岐阜方の貨物側線跡は高架化のため当然線路はありませんが。何かないかな?
堀田駅は貨物扱いが多く入換のため構内運転士も常駐していたようです。

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線路の両側に側線がありました。
北側は細長い小公園の緑地に。

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南側は公団住宅になっています。

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北側の側線から旧・貨物ホーム(正面ビルの位置にあった)を見た様子。

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戦中、終戦直後は屎尿輸送の中間貯留槽があり、名古屋市内で集めた屎尿を名鉄東部線(神宮前より豊橋側)の農村部へ運んでいたとのこと。
500石=90,195.3ℓ入りの大きな貯留槽で当時の写真を見るとこの辺りにあったようですが・・・。
15t積み無蓋貨車(トム)に木製タンクを据え付けて運んでいました。
ここからの行き先の一つだったと思われる西尾線福地駅の貯留槽は2017(平成29)年4月現在も残っており、この貯留槽を大型化したものがここ堀田のほか西枇杷島にもありました。

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駐車場の使用者名を書いた枕木が立ってますが裏には上下2列の横木を固定していた跡の釘があります。
地上線時代に本線と側線を仕切っていた鉄道柵の名残でしょうか?

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名鉄 | 00:02:31 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄三河線大浜口駅
1914(大正3)年2月5日に三河鉄道が大浜港駅(現・碧南駅)まで延び、その翌1915(大正4)年11月29日大浜口駅まで0.4㎞の臨港線が開業しています。大浜口駅は碧南駅からすぐの源氏橋付近にあったとのこと。
陶器や鋳物産業の燃料となる石炭や日用品などを輸送する舟と貨車を連絡させていましたが貨物取扱量の減少から1946(昭和21)年8月1日に廃線となっています。
廃線と言うよりは短距離なので合理化のため大浜港駅構内扱いとしたもののようです。
実際三河鉄道時代の1926(大正15)年9月1日に大浜港~神谷(後の松木島)が開業すると臨港線の大部分が本線となり、そこからちょっと分かれるだけになっていたものと思われます。大浜港~大浜口支線分岐点までは本線と臨港線の2重戸籍になっていたのでしょうか。
実際にいつレールが撤去されたかはわかりません(航空写真でも側線の有無が判別できない)が、中小港での貨物取扱いが大規模港湾に統合され消えて行ったものと思われます。

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本線だった碧南~吉良吉田間さえ廃止されてしまい行き止まりとなっている吉良吉田、大浜口方から碧南駅構内を見た様子。
車止めのある2線がかつての本線。
かつての駅名はこちらが「大浜港」駅で舟と連絡してた臨港線の駅の方が「大浜口」駅であり一般的なイメージと逆のネーミングなため何ともややこしい(^ ^;)

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暫くはレールが撤去されただけの路盤でカーブしながら続き・・・。

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源氏橋西交差点を越えたところ。奥にはまだ碧南駅が見えてます。

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源氏橋西交差点より南は碧南レールパークという三河線をテーマにした遊歩道となっています。
この場所で西側に分岐し運河に突き当たり行き止まりとなる側線が大浜口駅だったそうで。
ここには大浜口駅をイメージさせるためか分岐の模様や転轍標識なども置かれ、詳細な説明板まであります。

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名鉄 | 19:41:02 | Trackback(0) | Comments(0)
谷汲駅のアント
20日(日)の朝刊で旧・名鉄谷汲線谷汲駅でモ755を動かすイベント開催の記事が載っていました。
よく綱引きで移動させるという話は聞いてましたが今回は「動力車」で移動させると載っていたため気になってお出かけ~。
はて?谷汲駅にある動力車と言えば軌道自転車(エンジン付きで人力でない)くらいで電車を牽けるほどのアントやスイッチャーはいなかったはず・・・。
他の用事を済ませ大垣から樽見鉄道、揖斐川町コミュニティバス(運行は名阪近鉄バス)を乗り継ぎ到着。
うう~ん、谷汲線があった頃と比べると本当に不便になったなあ・・・(- -;)

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行ってみると軌道自転車とモ755が並走して入線して来るとこ。

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後ろに付いてたのはやっぱりアントでした。

モ755のコンプレッサは作動していなかったもののブレーキ緩解時のエアが抜ける音、タイホーンは生きてたので圧搾空気を使っていたのでしょうか。
ブレーキ緩解音は生きた電車の雰囲気を感じさせてくれます。

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運行時以外はアントとモ755を切り離して各車単体の撮影がし易いようにしていました。
現役時はこんなところで撮れませんね。

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そして運転時間が近付くとアントの連結作業。

DSC_0215_20161120213002a00.jpg
今回のアントは何者か?ということで観察~
車体に「ANT-15」と陽刻あります。
銘板は
アント車両移動機
型式  :ANT15ⅢS型
製造年月:1970-7
重量  :350kg s
製造番号:NO5106G
と読めました。

係の方に伺うと貨物鉄道博物館からの借り物(所有は三岐鉄道)とのこと・・・そう言えばアント15が2台いましたね。
結局はよく見知ったアントなのでした(笑)


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名鉄 | 21:58:07 | Trackback(0) | Comments(2)
名鉄尾西線六輪駅貨物側線跡
名鉄尾西線の元貨物扱い駅。
尾西線沿線はかつてはウドやフキの栽培が盛んで六輪駅などから貨車積みで出荷されていました。
現在この辺の農産物としては植木や銀杏の方が知られてますね。
切り干し大根も尾西線沿線から貨車で一宮へ輸送して取引が行われていたそうです。

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六輪駅構内は複線化され相対式ホームがあるだけの何の変哲もない配線。
輸送量の割には復線なのが意外と言うくらいです。

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駅西側から一宮方を見た様子。
かつて貨物扱いをしていた頃の退避側線3番線の跡のようです。

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弥富方の東側にはかつての貨物ホームが残ります。

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貨物ホームを東側の道路から見るとこちらにも鉄粉が付着した跡があります。
かつては貨物ホームを挟んだ道路側にも側線が入っていたのでしょうか?

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側線跡や貨物ホームは今は保線用の資材置き場となっています。

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側線が本線に合流していたであろう場所には尾西鉄道時代からの鉄製架線柱が一本だけ混じってました。
弥富付近にはまだいくらか残ってますがその他の区間では絶滅したものと思ってました。
以前は尾西線新一宮(現・名鉄一宮)~弥富でよく見かけましたがあれよあれよと言う間にコンクリート架線柱に建て替えられてしまいました。
尾西鉄道が開業させた名古屋本線新一宮(現・名鉄一宮)~国府宮にもかつては同様の架線柱があったようです。


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名鉄 | 20:43:52 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄常滑線天白川橋梁付近の旧線跡(柴田~名和)
名古屋臨海鉄道の赤いND552 7の撮影のため南港線の天白川左岸踏切へ行って来ました。
ここは天白川南側の築堤を上ってくる上り列車向けの撮影地ですが日が差すとモロに逆光となってしまうため曇天時限定の場所な上に名鉄常滑線柴田駅、名和駅のどちらから歩いても中途半端に遠い場所だったのでこれまでほとんど行ったことがありませんでした。

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結果は列車通過直前になってこれまた中途半端に日が差して何だか黒っぽい仕上がりに(- -)

臨海撮影はいまいちな結果となりましたがその行き帰りに見たものが・・・これ
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この周辺は臨海撮影で15年以上通ってるのにこんな廃線跡があることに一度も気付かなかったなんて・・・。
場所は常滑線天白川橋梁名和側アプローチ部のガード横で、奥(上流側)に見えるのが現・常滑線のガードです。

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コンクリート製橋台(旧上り線)と石積み橋台(旧下り線)が並んでいます。
コンクリート製橋台は1925(大正14)年に愛知電気鉄道常滑線柴田~名和村(現・名和)が複線化された時につくられたものでしょう。

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石積みの方は1912(明治45)年2月18日愛知電気鉄道傳馬町(神宮前の近く)~大野町開業時のものでしょう。
愛電草創期104年前の堂々たる石積みです。

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因みに現在の天白川橋梁。1963(昭和38)年の航空写真を見ると丁度架け替え工事を行っており、あの橋台は廃止されてからでだけを見ても半世紀は経ているようです。

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柴田の駅から現天白川橋梁を見ると前後にカーブがあり付け替え工事を行った形跡が感じられます。
旧線は天白川南詰に急カーブが存在しており曲線緩和のため付け替えられたものと思われます。
また1959(昭和34)年9月の伊勢湾台風では線路が長期間水没し名鉄線上で最も復旧が遅れた区間でもあり、災害対策という意味もあったのでしょうか。

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現在のトラス橋はトラスの上部がアーチを描いており電車から見るとユニークな形状に見えます。
そろそろ引退も近そうなSR車5300系普通が接近~。

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名鉄 | 23:37:45 | Trackback(0) | Comments(0)
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