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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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那珂川の関西電力→ユニチカ加藤7t機
名鉄八百津線八百津駅から延びていた関西電力丸山水力専用鉄道で使われたディーゼル機関車。
戦前に大同電力が計画、日本発送電により工事が始められ専用鉄道の敷設免許も得ていましたが実際に専用鉄道が敷かれたのは戦後日本発送電解体後に引き継いだ関西電力が本格的に工事を始めた後のことです。
当初は兼山水力専用鉄道(名鉄八百津線兼山駅)からガソリン機関車2台を転用するはずが兼山多忙のため実現せず、6tバッテリー機関車2台の導入を計画。1951(昭和26)年にはかなり具体的なところまで設計も進んでいたようですが専用鉄道開業直前に土壇場でディーゼル機関車2台を新製する方針に変えたようです。

1952(昭和27)年2月には専用鉄道の運行が開始されますが機関車の新製は間に合わず仮に7tガソリン機関車で運用を開始。
このガソリン機関車は兼山水力専用鉄道で余裕ができて借用した物かどうかわかりませんが写真で見るとピンリンク連結器装備の機関車に無理やり仮の自連を取り付けたような機関車でした。

八百津~錦織~丸山ダムの内、八百津~錦織は9月に600Vで電化、関電私有機のデキ250形2台で新広見(現在の新可児)、又は新鵜沼から貨車を継走していました。加藤7t機は非電化の錦織以遠の区間で貨車の牽引、入換を行っていたようです。

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関西電力私有機デキ250から錦織で引き継ぐ貨車は国鉄、名鉄から入る貨車なので自動連結器。
一方で丸山発電所建屋へ搬入する機材は錦織で丸山発電所インクライン直通用貨車に積み替えます。
この貨車(帝国車輌製のフラットカー)はインクラの巻き上げ機につなげるためピンリンク式連結器となっており、どちらの貨車とも連結できるように2つの連結器を備えています。
因みにこの丸山発電所インクラは2016(平成28)年に確認したときもレールが残っていました。最近は見てないけどまだあるかな?
なお1954(昭和29)年5月31日に丸山水力専用鉄道は資材輸送が終了し岡山のユニチカ常盤工場専用線(伯備線総社駅)に転じていました。

DSC_1434.jpg
那珂川では上松営林署色・・・と言うよりは長野営林局標準色と言うべき色にされています。
実際には八百津では単色塗り(エンジ色か?)、総社では上回り黄色、台枠黒に塗り分けられておりこの塗装に歴史的根拠は全くありません。

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なおダムサイトのバッチャープラント線(バンカー線とも)にも同タイプの加藤7t機が5両も導入されていましたがそちらは自動連結器が無くピンリンク式連結器のみ装備でした。バッチャープラント線はセメントミルクをつくるバッチャープラントから索道停車場まで容器入りのセメントミルクを運ぶための線路で距離的には100m程度しかありません。

DSC_1438.jpg
台枠には関西電力丸山発電所建設時の銘板が残っています。
因みにもう1台導入された専用鉄道時代の相棒とバッチャープラント軌道の5台は行方不明。
次のダム建設に転用されたのかも知れませんが。

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スイッチャー | 21:25:07 | Trackback(0) | Comments(0)
那珂川の尾小屋鉄道DC122
産業機が多い那珂川では唯一の旅客私鉄向け機関車。元・尾小屋鉄道DC122
1958(昭和33)年10月協三工業製12t機。
蒸機2号(1917(大正6)年大日本軌道鉄工部製)の部品流用と言いいますが実際に流用品があるのかは不明です。
尾小屋鉄道は石川県の尾小屋鉱山から小松まで銅鉱石輸送のために敷かれた鉄道でしたが鉱石輸送は1956(昭和31)年度でトラックに移行して実質終了しており、DC122はラッシュ時に客車列車牽引や僅かな一般貨物との混合列車牽引が主な役割だったようです。

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那珂川清流鉄道保存会の係員さんによるとエアブレーキ用の圧搾空気供給に使うコンプレッサが不調で走らせられないとのこと。
森林鉄道の5t機程度なら手用ブレーキで止めますがさすがにこれだけ図体が大きいと手ブレーキのみでは不安があるのでしょう。
因みに貫通ブレーキはなく客車も機関車のブレーキのみで止めていたようです。
通勤通学列車では4、5両の客車を牽いていました。

img060.jpg
1977(昭和52)年3月20日の尾小屋鉄道廃止後も長らく赤門軽便鉄道保存会の手で旧・尾小屋駅構内にて保管されていました。
エンジン側から見た様子で奥が線路終端方向です。当時はまだクリーム色や端梁の赤塗装がよく分かりました。
尾小屋鉄道現役末期のDC122の写真を見るとエンジン側を尾小屋方、非エンジン側を新小松方に向けていたのでこの時には現役時と前後逆を向いていた事になります。
後方に見える車庫には動態保存のキハ2、ホハフ7が入っているとのこと。
赤門軽便鉄道保存会の活動も終了したようですがキハ2、ホハフ7は今どんな状態なのかも気になるところ。
撮影日:1994(平成6)年5月3日

DSC_1028.jpg
錆び具合がさらに進んでこのような状態に。
それでも上の写真の位置から留置場所が移動してます。
草生して分かり辛いですがレールの上には載ってます。
動態保存のキハ2で移動させたのでしょうか?
撮影日:2011(平成23)年9月11日

DSC_1032_20170526225308fbb.jpg
非エンジン側はラジエターグリルの代わりに3本のビードが目立っていました。
こんな状態から一枚目の写真の状態まで復元したんですねえ。
撮影日:2011(平成23)年9月11日

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スイッチャー | 06:46:43 | Trackback(0) | Comments(0)
住友大阪セメント岐阜工場専用線(樽見鉄道本巣駅)~その4~
専用線廃止前のスイッチャー。

画像 022
D101(車籍:樽見鉄道)
1962(昭和37)年日立製作所製45t機、製番12727。
冬場は過冷却防止のためかラジエター前にシートが掛けられていました。
走行中はキャブ上のオレンジ回転灯が回っていました。

IMG_0699.jpg
D102(車籍:樽見鉄道)
1962(昭和37)年日立製作所製35t機、製番12732。
D101とよく似てますがサイズは一回り小さく、前面窓のスタイルも異なっています。
あまり調子が良い機関車ではなかったようで入換中に急に止まってD101に工場内へ引き込まれて行ったのを見たことも(^ ^;)

db91-020413-2.jpg
無番機
1964(昭和39)年日立製作所製15t機、製番12775。
元は近畿日本鉄道養老線東方貨物駅分岐の住友セメント桑名SS専用線D101。
近畿日本鉄道の車籍ではDB91形DB91号となっていました。

001_20120924212854.jpg
D-152(奥に見える機関車)
1969(昭和44)年日立製作所製15t機、製番13097。
元は高山本線飛騨一ノ宮駅分岐の住友セメント飛騨一宮SS専用線で使われていました。
無番機と同タイプですが曲線が少ない直線的なスタイルに変わっています。

この他、無番機と同型のD103 1963(昭和38)年日立製15t機、製番12749がいたそうですが一度も見たことがありません。

初期にいた川崎重工業製の101,102は田村に転じた姿をリンク先の奥野さんが撮影されています。
奥野君の専用線日記大越報告(1993年7月25日)
101
1959(昭和34)年川崎重工業製35t機、製番41。
102
1959(昭和34)年川崎重工業製35t機、製番42。

番外編
IMG_1982.jpg
保線用に樽見鉄道が所有していたものだったようですが実のところは不明のまま。
1981(昭和56)年富士重工製16t機、製番2。
東海道本線稲沢駅の昭和シェル専用線から転属。見た目は除雪、保線用モーターカーTMC300そのものです。
入換業務は昭和シェル系列の平和汽船が行っていたようで内陸部の稲沢で何故に汽船と書いてあるのか不思議に思ったもの。

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スイッチャー | 23:40:23 | Trackback(0) | Comments(0)
大井川鉄道SLフェスタ2017~その2~
千頭の後は川根両国へ。
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黒貨車の列がいつも気になります。

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Cシキ301。1954(昭和29)年飯野産業で製造された大物車。
飯野産業製ってことは舞鶴生まれの貨車と言うことですね。

DSC_1034.jpg
さらに川根両国へ近付くと側線がまた1本分岐し・・・

DSC_1032_20170314231434a55.jpg
貨物ホームにCトキ226+Cトキ230が止まっています。
このホームのある場所は中部電力の敷地内のようですが中部電力専用側線なのでしょうか。
それにしては枕木ばかりが置いてあるので大井川鉄道の業務用(保線?)側線かも知れませんが。

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川根両国では井川寄りの両国吊橋から3両のDL並びを撮影できるようになっていました。
左からDB8(加藤製作所1952年製)、DD107(三菱重工業1960年製)、DD206(日本車輌1986年製)。
塗装し直されたばかりと見られる右2両は白で塗られていた部分が黄味の強い色になっています。
DD107は廃車から30年以上経ちましたが新車のような状態。
それにしても吊り橋上なので撮影するにも足元が揺れて手振れ以前の問題が(爆)
歩くときはお静かに(笑)

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DD107は台車まで美しい状態。
構内入換用に現役のDB8は順番的に今度再塗装かな?

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こちらは足元はしっかりしてますが歩道がないので自動車に気を付けねばなりません。
交通量は少なく静かな場所なので音に注意すれば良いのですがたまに来る車が高確率で大型車です。

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この日は井川線の土砂崩れ不通区間接岨峡温泉~井川が全通した日でもありました。
また近いうちに乗りに行きたいところ。

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スイッチャー | 00:08:12 | Trackback(0) | Comments(0)
大井川鉄道SLフェスタ2017~その1~
大井川イベントに行ってきました。
そんなメジャーなところに何故?と言われそうですがC10 8ラサ工業仕様に魅かれて行ってきました。

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まずは崎平で降りて大井川第二橋梁へ。
超有名どころですがバックの大札山(1373.6m)に雲で陰影が付いたさまが渋くて気に入ったのでここで撮影することに決定。
金谷から乗って来た旧南海高野線の丸ズームモハ21003+モハ21004が千頭から戻ってきたのを後打ち。
因みにこの周囲は物凄い人出・・・中にはマナーの悪い路駐もあり静岡県警のミニパトの姿も。

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E102+ED501重連の客車急行。最後尾のスハフ42は大阪環状線仕様(嘘)
この三菱電機標準型も今ではここと近鉄塩浜工場のデ32だけになってしまいました。

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ラサ工業仕様C10 8+C56 44+客車7連。
大札山に煙幕張られてしまいました~(T T)
通常鉄ちゃんは爆煙に喜ぶはずですが(^ ^;)

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1駅歩いて千頭へ。間にトンネルがぶち抜かれたため歩いても20分程度。
着いたら丁度入換を始めたところ。
後ろの方がトラジマにヘッドマーク無しで専用線の機関車らしい雰囲気です。
元々広大な貨物ヤードを有する千頭駅の情景、これで入換する車両が黒ワムとかだったらもう完璧です。

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本線走行より入換の方がやはり雰囲気がいいですね。

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今度は転車台への入換中。
そう言えば今時本線上にダルマ転轍機があるのも珍しいですね。

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向きを変えて再び出てきたところ。
トラジマ塗装がイベント期間の2日間限定と言うのは惜しい気がします。
新金谷での入換も撮って見たかったです。

●ラサ工業宮古工場専用線
C10 8が活躍したのは山田線宮古~磯鶏駅間の貨物ヤードから分岐していたラサ工業宮古工場専用線
作業キロ:私有機3.0km、国鉄機1.4km
総延長キロ:6.1㎞
作業方法:国鉄機、私有機、移動機
ラサ工業宮古工場は田老鉱山の銅鉱石精錬を行っており、高さ160mの大煙突は宮古市のシンボルタワーでもありました。
田老鉱山で採掘された銅鉱石は索道で宮古港へ運ばれ、宮古臨港線、山田線、専用線を経由して工場へ搬入していました。
専用線ではC10 8の他にこれも国鉄払い下げのC11 247、無煙化後の後継機としては国鉄DD16同型のDD52 1がいました。
DD52 1はラサ工業専用線廃止後も最近まで岩国の日本製紙専用線にいましたね。

宮古港や臨港線など所縁のある地域は東日本大震災の地震、津波の被害を受けています。
山田線宮古~磯鶏~釜石の区間もまだ鉄道の不通が続いてます。

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スイッチャー | 23:41:31 | Trackback(0) | Comments(0)
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