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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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宮津臨港線(宮津線宮津駅)~その3~
宮津臨港線3回目~。

P1110653.jpg
用水路に架かるコンクリート橋を別角度から。
奥に見える橋もスイッチバックして京都府漁業協同組合連合会(漁連)宮津支所へ向かっていた線路跡ですが向こうは架け替え済み。
その先は宮津湾、天橋立も見えています。

P1110650.jpg
右の建屋後方から奥へカーブしながら埠頭へ線路が延びていました。宮津港は京都府営なので京都府専用線となっているのはこの埠頭内の側線のことだったのでしょうか。
以前はガントリークレーンなどがあったのですが今ではそれらしいものが見当たらなくなりました。
手前の路面に現れている舗装の継目はスイッチバックして漁連へ向かっていた線路の跡では?

この埠頭ではニューカレドニアから日本冶金大江山製造所向けのニッケル鉱石を陸揚げ貨車積して臨港線、宮津線経由で丹後山田へ。
丹後山田から加悦鉄道機が入換業務を行っていたことで知られる日本冶金大江山製造所専用線で工場まで運ばれていました。
当日は入港していませんでしたがニューカレドニアからのニッケル鉱石輸送は現在も行われており宮津湾から艀で天橋立の有名な回転橋の小天橋を通過して大江山製造所まで運んでいます。
戦時中大江山鉱山のニッケル鉱石を加悦鉄道で輸送していた大江山製造所は敗戦とともに操業停止していたのですが1952(昭和27)年1月にニューカレドニアからの輸入鉱石で再開することになり、1952(昭和27)年6月15日には宮津港へニューカレドニアからの第1便が到着。
宮津港~大江山製造所で3軸貨車のトキ900を連ねた鉱石シャトル列車が1日3往復走ったそうですが1956(昭和31)年10月には沖合に停泊した本船から艀で工場まで鉱石を海上輸送するように変わってしまい臨港線の華やかな時代は4年ほどで終わってしまったようです。

P1110645.jpg
ニッケル輸送の関係か漁連への線路沿いには加悦鉄道の後身、宮津海陸運輸の事務所があり社屋には↓の加悦鉄道の気動車などに描かれていたのと同じ社紋が掲げられています。
IMG_5196.jpg
加悦鉄道キハ51の社紋。

P1110642.jpg
漁連方面は駐車場になって何も残っていません。

P1110640.jpg
漁連の魚河岸辺りまで線路が入っていたそうですが白い冷蔵貨車も入線していたのかな?

参考文献:
RM LIBRARY180 加悦鉄道 -丹後ちりめんを運んだ「絹の鉄道」-(上)、(下) (NPO法人加悦鐵道保存会/著 ネコ・パブリッシング/刊)

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専用線跡 | 23:56:25 | Trackback(0) | Comments(2)
宮津臨港線(宮津線宮津駅)~その2~
宮津臨港線2回目

P1110662.jpg
宮津駅構内を西舞鶴方から見た様子。
貨物側線に面した道路は石畳になっています。
まだ舗装されていない道路が多かった時代、貨物の授受で多くの荷馬車、トラックが錯綜することを想定して砂埃やぬかるみ防止のため敷かれたものでしょう。

P1110665.jpg
石畳の横にはまた古そうな倉庫。外壁は波板に変わっていますが恐らくオリジナルは木造のかなり古いものでは。

P1110660.jpg
西舞鶴方を見た様子。ここにも保線MC庫があります。
貨物扱いを行っていた時代は日通所属の日本輸送機1960(昭和35年)製の10t半キャブロッド貨車移動機(製番:33539)が常駐していました。
僕は宮津駅貨物廃止前に生まれて帰省もしていたのですが物心つく前のことなので全く覚えがないです(- -;)
京都の日通機は独特の付番をしており頭には支店名を片仮名で付けていました。
宮津の機関車はキヨW1-4という番号で頭2文字は京都支店を表しています。
宮津には宮津支店があったのですが京都市内の山陰本線丹波口駅で使われていた時代の番号のままだったのでしょう。
現存するものでは北沢産業網干鉄道DB2とよく似ています。

P1110659.jpg
宮津線本線から分岐してリレーボックスの辺りを通っていた臨港線。舗装の境目が斜めになっているので多少面影がありますがその先急カーブで分かれていく路盤はよく分からなくなっています。

P1110657.jpg
お菊稲荷の前で国道178号線を横断していました。臨港線は右のタイヤ店の横へ延びていました。
お菊稲荷は番町皿屋敷と同じような話で18世紀の宮津藩で起きた不祥事に由来。
その結果藩主青山氏が美濃郡上藩へ移されたとのこと。
郡上藩では郡上一揆、石徹白騒動が起きて不祥事がばれた前の郡上藩主金森氏が徳川幕府によりお取り潰し。
代わりに宮津から青山幸道が移封されたわけですがこっちも不祥事?どこまでが本当なのやら。
因みに大規模一揆後の沈滞ムード漂う郡上藩で青山幸道が景気付けに始めさせたのが現在の郡上八幡名物の郡上踊りとも言われています。
うちの先祖は片や丹後、片や石徹白出身ですが何か関係してたりして・・・(^ ^;)

P1110654.jpg
国道178号線の踏切は信号交差点を臨港線が斜めに突っ切る線形。
交通量の多いところなので入換時はかなりの渋滞を引き起こしていたのでは?
その交差点の海側には臨港線のコンクリート橋が残っています。

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専用線跡 | 22:56:51 | Trackback(0) | Comments(0)
宮津臨港線(宮津線宮津駅)~その1~
宮津線(現・京都丹後鉄道)宮津駅から埠頭へ延びていた専用線。
親類が多いので帰省で馴染みの場所ですが私が物心ついた頃には宮津線は既に貨物営業を廃止していたので現役時代は覚えのない専用線です。
「お菊稲荷の前を貨物列車が通っていた」と父や祖母から聞いていたのですがいつ頃まで走っていたのかを聞くと「昭和30年代くらいじゃなかったかな?」と言う答え・・・実際には1981(昭和56)年まであったようですが一般の専用線の記憶なんてそんなものでしょうかね。

①日本通運専用線(国鉄側線(宮津臨港線と呼称))
作業方法:日通機
作業キロ:0.6km
総延長キロ:0.6km

②日本通運専用線(国鉄側線)
作業方法:日通機
作業キロ:0.1km
総延長キロ:0.1km

③京都府専用線(宮津臨港線に接続)
作業方法:日通機
作業キロ:0.4km
総延長キロ:0.4km

P1110670.jpg
木造跨線橋、上屋が木造のまま更新工事が行われており構内には新しい杉材の香りとペンキの臭いが入り混じってました。
子供の頃から馴染みの構造物を残していただけるのは嬉しいことです。
しかしホームの順番がわけのわからないことに・・・改札側から1,2,3,4番線だったのが3,2,1,4番線の順に変わっています。何でまたそんなややこしいことに??(・ ・?)

P1110672.jpg
既存の跨線橋と別に新しくできたバリアフリー跨線橋上から西舞鶴方を見た様子。
左の保線車がいる側線がかつての一般貨物側線。
子供の頃は左の駐車場には日通のトラックが並んでいた覚えがあります。

P1110673.jpg
西舞鶴方拡大。
臨港線はモーターカー庫の右辺り、上下線が合流した先で左に分岐、踏切先の黄葉した銀杏の木の方へ曲っていました。

P1110667.jpg
貨物側線上のマルタイ。この車も小学生の頃から見ているのでかなり長いこと使われていますね。

P1110668.jpg
軽ワゴン改のモーターカー。これは昔はいなかったような。
左にももう一本側線があった気がしますがいつ撤去されたのかは不明。

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専用線跡 | 23:32:03 | Trackback(0) | Comments(0)
日本通運専用線(高山本線上麻生駅)~その2~
間が開きましたが高山本線上麻生駅の側線、専用線の後編~。

P1110538.jpg
駅前側の富山方にある貨物ホームと側線。
60年近く前に貨物側線、専用線としては使用されなくなっているはずですが保線用側線として現役。
この先高山本線は飛水峡の険を抜けるためか保線の最前線基地としての役割もあるよう。
応急処置用のガーダーが2本置かれています。
かつてはガーダーが積まれている側にも側線があったように見受けられます。

P1110539.jpg
上に積まれた桁には鐵道省、日本橋梁株式会社製作、昭和十四年などの文字が入った銘板が付いています。

P1110541.jpg
貨物ホームの奥にはコミュニティバスの車庫が見られますがここも土場の跡地?

P1110542.jpg
富山方で下り本線と合流する側線。

kamiaso.png
岐阜県統計書(岐阜県)を元に作成した年度別の上麻生駅貨物取扱量。
七宗森林鉄道縮小期以後のデータしかないためか発着量ともに非常に少ない状態。
それも1960(昭和35)年度を最後に無くなり、翌1961(昭和36)年8月1日には貨物営業廃止となっています。

●七宗御料林と七宗森林鉄道
七宗町には江戸時代尾張藩領の御林山がありました。
名古屋城が火災に遭ったときなど非常時のための備蓄林があり、明治には皇室財産の御料林に指定。
御料林の規模は小さいものの1935(昭和10)年には室兼~佐口谷4,852mの森林鉄道も敷設されてガソリン機関車による運材が始まっています。

DSC_0573_201912052214530fc.jpg
七宗森林鉄道が岩の間を縫うように通っていた「空のふさがり」。
このアングルで加藤製作所製の代燃装置付ガソリン機関車が写された写真があった。


七宗の御料林は太田出張所、戦時中に統廃合が行われた結果1941(昭和16)年1月1日には下呂出張所所管となり戦局が悪化している中でも御料林から袋坂方面に出る林道が開通し飛騨金山方面へ搬出するルートが完成。
恐らくこの林道開通により森林鉄道→トラック→上麻生駅のルートからトラック→飛騨金山駅のルートへの移管が進んだ結果上麻生駅の貨物取り扱い量が減ったのではないかと思われます。

戦後1947(昭和22)年4月1日の林政統一により七宗御料林は国有林となり下呂出張所から岐阜営林署へと管轄が移っています。
旧帝室林野局系の御料林や林鉄は大抵そのまま元の帝室林野局の出張所が営林署に変わって引き継がれることが多いのに対し七宗の場合は下呂出張所改め下呂営林署に引き継がれることなく旧山林局の岐阜営林署に引き継がれました。
(国有林は林鉄廃止後1962(昭和37)年に下呂営林署へ再移管)

1935(昭和10)年度    七宗軌道4,852m開設
1941(昭和16)年1月1日 太田出張所廃止→下呂出張所へ移管
1943(昭和18)年7月1日 七宗軌道→七宗森林鉄道(乙)に改称
1945(昭和20)年頃    袋坂経由の道路林道開設
1947(昭和22)年4月1日 林政統一。七宗御料林、七宗森林鉄道は岐阜営林署に移管
1953(昭和28)年度    七宗森林鉄道1,676m撤去
1956(昭和31)年度    七宗森林鉄道440m撤去
1957(昭和32)年度    七宗森林鉄道全線撤去

車両は1954(昭和29)年度時点でガソリン機関車2台、運材貨車36台がありました。
路線撤去が進むと1956(昭和31)年度には半減してガソリン機関車1台、運材貨車18台、全線撤去後もそのまま車両はしばらく保管されていたのか1958(昭和33)年度まで在籍車両数はそのままでした。

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専用線跡 | 22:33:05 | Trackback(0) | Comments(0)
日本通運専用線(高山本線上麻生駅)~その1~
何を運んでいたのか調査が難しい通運会社名義の専用線。
専用線一覧表では1951(昭和26)、1953(昭和28)年版で確認しており、1957(昭和32)年版ではもうなくなっています。
七宗森林鉄道(1957(昭和32)年度全線撤去)があった七宗御料林→国有林の最寄駅なので木材搬出が最有力候補。
航空写真でも土場に木材が積んであるように見えなくもないです・・・(^ ^;)
あるいは近くの上麻生発電所資材輸送と言うのも考えられますが発電所建設は1926(大正15)年なので建設資材輸送と異なりメンテナンス資材搬入に専用線まで必要かはやや疑問。

作業キロ:0.1km
作業方法:手押

P1110557.jpg
現在の上麻生駅。
駅舎は極小レベルになっています。待合室も密閉構造でなく冬場にこれはちときついのでは(- -)

P1110558.jpg
駅前はかつて駅前旅館や商店だったのだろうなと思われる家屋やその跡地になって閑散としています。
上麻生は飛騨川と神淵(かぶち)川が合流する谷間に開けた町で七宗町の中心地。
美濃加茂市や可児市のある盆地に飛騨川が流れ込む入口に当たります。

P1110547.jpg
跨線橋より岐阜側を見た様子。

P1110548.jpg
同じく跨線橋上より富山側を見た様子。
専用線があったのは左のガーダーが積んである場所と見られます。

P1110533.jpg
駅前広場の富山側にはC12 163を保存した展示館が建っています。

P1110534.jpg
この辺だと越美南線はC10、11で、C12は中央本線各駅の入換や明知線のイメージ。
なお一番違いのC12 164が大井川で動態保存されていましたがそちらは木曽福島区配置が長く主に中央西線各駅の入換機として活躍していました。

P1110535.jpg
C12 163の説明板。
補足すると新製時は広島局配備、その後は小松島や徳島、高松、松山など1967(昭和42)年頃まで四国を中心に活躍していましたが1939(昭和14)年頃に滝川機関区(函館本線)、1941(昭和16)~1942(昭和17)年頃に美濃太田機関区に配備されていたことがあるようです。
その後は北関東、南東北方面に移り平機関区配備、その後の高崎第一機関区時代には無煙化直前の足尾線で活躍。
1970(昭和45)年の足尾線無煙化後は小郡機関区に移り1971(昭和46)年に休車、最後は保存のため名義を稲沢第一機関区に移して3月15日に廃車されています。

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専用線跡 | 23:15:31 | Trackback(0) | Comments(0)
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