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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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小林三之助商店小坂工場(?)専用線(高山本線飛騨小坂駅)
以前飛騨小坂駅の営林署専用線を上げた際に名前だけ上げてましたが地元の方より詳細な工場の位置を教えてもらいました。
かつて高山線が岐阜から延び飛騨小坂まで開通した1933(昭和8)年8月25日より高山まで開通(全通して飛越線、高山線を合わせて高山本線に改称)する1934(昭和9)年10月25日までの14か月間jは飛騨小坂が終点で機関車を方転する必要があったため転車台が置かれていましたが、高山本線全通後この転車台はあまり使われなくなりいつしかレールも固定されてしまいました。

この転車台の線路脇へ1960年台に小林三之助商店が工場を設置しその専用線として転車台の線路が利用されたようです。
同社は木枕木メーカーとして有名ですがチップ貨車トラ90000とチップ積込み装置の写真が見られることから製紙原料用の木材チップも製造していたものと見られます。
また地元の方からは左官鏝の柄の部分をつくって兵庫県三木市のメーカーへ送っていたとも聞いています。
三木市は今でも左官鏝メーカーが多く国鉄三木線(後の三木鉄道)三木駅は1974(昭和49)年まで貨物営業を行っていました。
そう言えば三木鉄道時代末期でも三木駅には立派な木造貨物上屋が自転車置き場として残ってましたね。

作業方法:手押
作業キロ:0.1㎞
総延長キロ:0.1㎞

なお専用線一覧には1967(昭和42)年版、1970(昭和45)年版にのみ記載があり、飛騨小坂駅の貨物営業が1975(昭和50)年で終了していることを考えると末期の10年ほどしか存在しなかったようです。

P1040203.jpg
飛騨小坂駅富山方。
1番線(ホーム右の線路)の右に側線が敷かれていた敷地が残ります。
この線から右に分岐して中央やや右に見える2階建ての建物(消防団倉庫)の場所に転車台がありました。

P1030655.jpg
工場跡は下呂市立小坂診療所の駐車場になっています。
中央の建物が1枚目の画像にも写っていた転車台跡の消防団倉庫。

osaka-map1.jpg
国土地理院の空中写真で専用線があった時代は見られませんが転車台が写っているものはあります。

P1040201.jpg
転車台線→小林三之助商店専用線より反対側(岐阜側)は機回し線(キハ25と駅舎の間の左の撤去済みの敷地)で駅舎前を通過し営林署の大島貯木場へつながります。


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専用線跡 | 21:33:45 | Trackback(0) | Comments(0)
日窒鉱業土倉鉱業所→ヤンマーディーゼル木之本工場専用線(北陸本線木ノ本駅)
日窒鉱業土倉鉱業所の索道から鉱石を積替えていた専用線。
鉱山は1965(昭和40)年に閉山になりますが2年後の1967(昭和42)年9月には同じ土地にヤンマーディーゼル(現・ヤンマー)木之本工場が竣工しています。
鉱山時代は選鉱された黄銅鉱や黄鉄鉱の精錬所へ積出しや鉱山で使用する資材の到着に使われていたようです。
この専用線や索道ができる前に鉱山から馬車で隣の中ノ郷駅へ鉱石を輸送していた頃から出荷先の精錬所はばらばらだったようで北海道の国富精錬所(敦賀港~小樽は船舶輸送、小樽から函館本線経由、旧・岩内線国富駅より専用線が分岐)や大分県の日鉱佐賀関(関西から船舶輸送か)など非常に遠くまで送られていました。

2018(平成30)年9月26日追記
土倉鉱山が日窒鉱業の手に渡り1934(昭和9)年11月に土倉~木ノ本13,201mの架空索道が開業。
翌1935(昭和10)年2月には木ノ本駅に隣接して木之本硫酸工場を起工、1937(昭和12)年2月に操業開始しています。
この工場では土倉鉱山から索道で送られてくる黄鉄鉱、黄銅鉱から硫酸を精製していたようですが1943(昭和18)年5月に解体とのこと。
戦後の航空写真を見ると日窒鉱業の敷地が広い割にガランとしてるのはプラント跡地となっていたためのようです。
kinomoto_p.jpg
硫酸を生成した後の銅は敦賀港まで貨車で運び当時日窒の本拠地だった朝鮮半島の日窒鉱業興南精錬所(現・朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道咸興市)へ送って製錬していました。
ヤンマーディーゼルになった後は現在までトラクターを生産していますが専用線は原材料の到着か製品出荷に使っていたものと思われます。

<日窒鉱業土倉鉱業所専用線>
作業キロ:0.3km(内国鉄動車作業キロ0.1km)
作業方法:国鉄動車、手押

<ヤンマーディーゼル木之本工場専用線>
作業キロ:0.3km
作業方法:国鉄動車、手押

1969(昭和44)年時点で国鉄動車こと貨車移動機は5t機が2台在籍。
C5形かC6形だったらしいのですが詳しくはわかっていません。

P1040095.jpg
木ノ本駅旧駅舎と後方の現橋上駅。
2006(平成18)年の長浜~敦賀直流電化切換え時に駅舎が変わりましたが1936(昭和11)年建築の旧駅舎も「まちの駅」として地元で利用されています。

pkinomoto-yana.jpg
向かいの1番線ホーム反対側の駐車場になっている場所には北陸本線柳ケ瀬ルート旧線を新線開業後引き継いだ柳ケ瀬線の発着線と貨物側線がありました。
1964(昭和39)年5月10日までキハ52が細々と発着していたその先にはさっき中ノ郷駅跡で見掛けた柳ケ瀬線部分引継ぎの余呉バス柳ケ瀬線が止まっているのが見えます。

P1040118.jpg
左がかつての日窒鉱業→現ヤンマー工場。
下り本線の左に保線用と見られる側線がありますが専用線の名残でしょうか?

P1040111.jpg
敦賀方から見た様子。
左(東)から右のヤンマー木之本工場の中央付近に土倉鉱山からの索道が到着していました。
鉱石の積込み線はこの辺にあったのかと思いますが下り本線が結構工場建屋まで迫っていて側線を敷く余地が無いような気も。

P1040099.jpg
かつての一般貨物側線と見られる場所は保線側線になってモーターカーが待機しています。
2002(平成14)年7月新潟鐵工所製TMC-400、製番4009。
JR西日本の保線機械としての番号は4624。

P1040112.jpg
旧柳ケ瀬線乗り場方向。
ピンクのTMC-400を後ろから見るとどことなくかつてここで活躍したED70を思い起こさせます。

P1040113_20180924221422863.jpg
木ノ本~敦賀の豪雪地帯を控え除雪装置を常備。
かつて土倉鉱山は冬季雪に閉ざされは交通が途絶していたそうですが今では国道303号線は冬季閉鎖もなく通年揖斐まで通行可能。
便利な時代になったというべきなのか温暖化の影響と危惧すべきなのか・・・。


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専用線跡 | 22:33:54 | Trackback(0) | Comments(0)
敦賀港駅~その2~
敦賀港駅の線路末端までレールは撤去されてないので現役時代の草深い時期とあまり風景は変わってません。
コキ車がいないという程度ですがまだ復活させることも視野にあるのでしょうか。
P1030421.jpg

P1030420.jpg
以前はここにロータリータイプの貨車移動機が置かれていました。

004.jpg
再録ですがこんな感じ。
右の角張った方は千葉県いすみ市のぽっぽの丘で動態保存されている機械番号06-28-01-258と見られます。
撮影年月日確認中

P1030455.jpg
駅北側。駅構内出発信号機が横に向けられています。
このスペースは以前は駐車場として使われてましたが雑草が茂って今では車が止められることもない様子。

P1030458.jpg
駐車場となる前は敦賀セメント専用線の授受線がありました。
名残りで専用線のトンネルが口を開けています。

P1030453.jpg
トンネルを正面から。
冬場に来るとフェンス越しにトンネル内部のレールが見えましたが今日は草が茂って見えません。

P1030454.jpg
トンネルの外壁には「安全第一」と書かれているらしいペイントの跡が雑木に埋もれていました。
左下のお地蔵さんは真新しいですが専用線廃止後に安置されたのでしょうか?

20050825-1.jpg
敦賀セメント専用線で末期使われていた1981(昭和56)年日本車輌製15t機D15-2。
敦賀セメント線廃止後深坂峠の向こう北陸本線高月駅分岐の日本電気硝子滋賀高月事業場専用線で使われていた頃の様子。
ここも廃線になり現在は伊予三島の大王製紙三島工場専用線で使われてますが予備車になっている様子。
なおD15-2というからには同型のD15-1、D15-3もいて大阪の桜島や京都市場で使われ一族離散したもの。
現在D15-1は那珂川清流鉄道で動態保存、D15-3は伯耆大山の王子製紙専用線に行きましたがまだ使われているのかな?
2005(平成17)年8月25日撮影


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専用線跡 | 23:46:09 | Trackback(0) | Comments(0)
大同コンクリート三重保々工場専用線(三岐鉄道三岐線保々駅)
三岐鉄道保々駅にあったコンクリートパイル、ヒューム管工場の専用線。
現在工場は閉鎖されて別の会社が入ってますが当時の煙突だけが保存(?)されてます。
元々は大同コンクリート工業(現・ジャパンパイル)沼津工場の分工場として開設され他工場で操業開始は1940(昭和15)年3月3日。
四日市コンビナートの原型となる四日市海軍燃料工廠建設のためのコンクリートパイル製造を同社が海軍から要請され石灰産地の藤原鉱山と四日市の間にある保々に工場を置いたようです。
海軍からは伊勢湾に付き出す突堤に使う巨大なコンクリートパイルの受注が舞い込んでいます。
海軍から受注したものは以下の通り
φ600mm×25m:80本
φ450mm×20m:150本
φ400mm×18m:200本
25mとなると長さ13.6mのチキ1500形でも2台に跨ってしまいますね。
レールならある程度曲がるもののコンクリートパイルでは運ぶのが大変そう・・・(^ ^;)

その後も藤原鉱山に砂利の産地となる員弁川が近いという地の利から本工場の沼津より独立しコンクリートパイル、ヒューム管を生産。
これらを積みだしていた専用線は専用線一覧では1953(昭和28)~1983(昭和58)年版で確認できます。

作業キロ:0.1km
作業方法:社機

以下の写真は1枚目を除き車庫での撮影会の折に撮影したもので普段は立入できない場所です。
P1020602.jpg
保々駅ホームから見た大同コンクリート三重保々工場跡。
煙突が1本だけ屹立しています。
冬になると電飾されたりしてますが何故これだけ残っているのかは不明。
旧積出ホームの辺りにはソーラーバッテリーのパネルが並んでいます。

P1020653.jpg
三岐鉄道保々工場の富田側、工場への線路は左の方で分岐していました。
古い時代は富田側の現在の保線基地付近で本線から分岐してはいることも出来たようです。

P1020679.jpg
保々駅の北東側にはワム200形を置き換えた国鉄ワム80000払い下げのワム700形が車輪付き倉庫として置かれています。
このワム700が置かれてるのがかつての専用線のレールのようです。

P1020682.jpg
煙突の手前にはワム700から砂利に埋もれた専用線のレールが続いてるのが見えます。
これより富田側は撤去されたか埋められたかわかりませんがレールは見えませんでした。

参考文献:
創立二十五年(大同コンクリート工業株式会社)

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専用線跡 | 22:27:30 | Trackback(0) | Comments(0)
石原産業海運四日市工場採石場→四日市採石専用線(三岐鉄道西藤原駅)~補遺~
2017年9月11日にUPした四日市採石専用線ですがその後の資料調査結果報告~。

鉄道省文書の三岐鉄道の免許で「西藤原停車場構外側線敷設ノ件」と言う記録がありした。
当初は石原産業海運(現・石原産業)の専用線で、同社の石灰石採掘場からの原石発送に使われたようです。
三岐鉄道から鉄道省への構外側線敷設申請は1941(昭和16)年6月1日に出され翌月には認可されたようです。

三岐鉄道からの提出書類によると・・・
構外側線延長280m
工費26,000円
一日の出荷量は石灰石約100t、1日2回程度の運転を予定としています。

専用線やホッパーの図面は色が薄くて見辛かったのでコントラストを強くしてあります。
IMG_20180602_132356.jpg
図面①
右が西藤原駅で点線の専用線が分岐して上へ延びています。
機回し線のようなものが見えますが構外側線内の運転は西藤原駅から機関車が無蓋貨車を推進して入線していたとのこと。

P1020190.jpg
図面①の下部中央右寄りの踏切から専用線分岐を見た様子。
これより駅寄りの区間は2017年9月11日の記事を参照してください。
図面①では腕木式の場内信号機が書かれている場所に現在は遠方信号機があります。
専用線は三岐鉄道本線と砂利道の間の草叢のようです。

P1020183.jpg
左奥が西藤原駅方面。
専用線は左の草叢と砂利道部分に分岐して2線区間になっていた様子。

P1020173.jpg
2股に分かれていた線路が合流しホッパーへと達していました。
右奥の木立の辺りに木造ホッパーがあったようですが跡形もなし。

IMG_20180602_132400.jpg
ホッパー上部には手押しトロッコがケーブル(索道)の卸し場との間を連絡していたようです。

P1020175.jpg
ホッパー跡から西藤原駅方を見た様子。
手前に見える錆びた部品はホッパーではなく水利関係のもののようです。

nishifuji.jpg
ホッパー(貨車積貯鉱槽)の側面図(上)と平面図(下)
長さ20mとあるので当時三岐鉄道10t積み無蓋貨車ト101、200形3台が同時に積み込みできるくらいでしょうか。
1日2回運転で100t、となると1回当たりト5両が入線、2線区間8で編成を2~3両ずつに分割してホッパーへ押し込んでいたものと思われます。

IMG_20180602_132608.jpg
ホッパーの断面図(貨車積貯鉱断面図)。手押しトロと無蓋貨車も簡単に描かれてます。

DSC_4383.jpg
木造ホッパーと言うともうほとんど残っていませんがサイズや構造が近い例として旧・北陸鉄道金名線大日川駅の河合鉱山側線跡にあった鉱石ホッパー画像を上げます。

参考文献:
鉄道省文書 地方鉄道免許 三岐鉄道 自昭和十三年 至昭和十四年
 

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専用線跡 | 22:26:40 | Trackback(0) | Comments(0)
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