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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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艶金興業奥町工場専用線(?)(名古屋鉄道尾西線奥町駅)~その3~
尾西線奥町駅の専用線跡3回目~
P1080628_201905152353015cd.jpg
奥町駅のホーム名鉄一宮方から玉ノ井方面を見た様子。
かつてはホームの右に副本線、その右に貨物側線、貨物ホームがあったようですが
名鉄協商の駐車場や駐輪場に利用されて跡形もなし。

P1080627_20190515235300ec8.jpg
名鉄一宮方。
敷地の窄まり方からかつての構内の線形が思い起こされます。
玉ノ井線は起点の名鉄一宮以外一切分岐がない路線ですが何故か分岐器のクロッシングが置かれていますね。

P1080635.jpg
貨物側線や副本線が合流して本線と専用線に集約されて奥町駅を出る辺り。
未舗装道として続いてますが左に赤い頭を見せる用地境界標からこの道の部分もかつて線路用地だったことが偲ばれます。

P1080639.jpg
未舗装道は奥町駅から名鉄一宮方最初の踏切で終り。
奥町駅方向を振り返った様子。

P1080644.jpg
ここから名鉄一宮方は専用線が撤去された路盤が残っています。
6800系名鉄一宮行の電車左に路盤が続いてますが知らなきゃ気付きませんね。
私も野府川橋梁架け替え時の仮線路盤跡か何かだろうくらいにしか思ってませんでした。

P1080645.jpg
専用線が尾西線本線からカーブして工場内へと分かれていた辺り。
左の住宅が並んでいる辺りが線路跡と思われます。

●艶金興業奥町工場専用線についての考察
この専用線による輸送品ですがよくわかっていません。
染色する織物は地元の織物工場から集荷して染色整理後はまた元の織物工場へ配送するのが主でトラックで事足りたはず。
私の学生時代の同級生でも親御さんが織物工場~染色工場のトラック集配の仕事をしており地元の小工場をトラックで周っていました。
これだけでは専用線まで敷く理由は薄そうです。
染色原料となる染料や硫安(硫酸アンモニウム)、燃料の石炭などの搬入に使用していたのでしょうか。

1935(昭和10)年という工場開設時期を考えると同年4月29日に名鉄名岐線(現・名古屋本線)新一宮~新笠松が開業し名古屋~岐阜が電車路線で繋がりました。
これと同時にそれまでの柳橋(名古屋)~新一宮~木曽川橋-(バス連絡)-笠松~新岐阜の電車、バス乗り継ぎルートが解消し奥町を経由する現在の玉ノ井線に当たる新一宮~奥町~木曽川橋は幹線から一支線へ転落。
柳橋~木曽川橋で運転されていた急行電車も名岐線経由で岐阜に直通するようになりました。
名岐線全通後の新一宮~奥町~木曽川橋の輸送量落ち込み対策として貨物需要の喚起のため名鉄が奥町に専用線を敷くことを勧めたとも考えられそう・・・。

●奥町駅の貨物扱い
その後の奥町駅の貨物取扱いですが愛知県統計年鑑(愛知県)によると昭和30年前後の輸送量は以下の通り。
okucho.png
地元の主産業が繊維業のためか出荷量は少なく到着量が多いです。
原料の羊毛は名古屋港や四日市港で陸揚げされたものが貨車積され大口輸送となるため鉄道輸送に適しますが製品は小口で取引先へ発送となるためトラック輸送の方が適していました。
とは言え短い支線区の駅で輸送量も知れているため取扱い駅の集約やトラック輸送へ移行が進んだのでしょう。
奥町駅の貨物取扱いは1962(昭和37)年度に廃止されました。

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専用線跡 | 22:10:32 | Trackback(0) | Comments(0)
艶金興業奥町工場専用線(?)(名古屋鉄道尾西線奥町駅)~その2~
尾西線奥町駅の専用線跡2回目~

okucho-map.png
名古屋鉄道車両史上巻(清水 武、田中 義人/著 アルファベータブックス/刊)の1943(昭和18)年4月1日時点の構内配線図と現地で調査を元に作成した昭和10年代の奥町駅配線推測図。

P1080648.jpg
2019(令和元)年5月現在の奥町駅・・・名鉄標準の簡易駅舎になっています。

IMG_6929.jpg
取り壊し前の先代奥町駅舎。
奥町駅は尾西鉄道が1914(大正3)年8月4日に新一宮~木曽川橋を開業した時に開設。
この駅舎もその当時からのものと思われますが正確なことは不明。
2007(平成19)年3月2日撮影

IMG_6914.jpg
装飾付きの車寄せに丸ポストが立ってなかなか良い雰囲気でした。
因みに一宮市の旧・尾西市、木曽川町域は以前より減ったものの郵便ポストの丸ポスト率が高いです。
2007(平成19)年3月2日撮影

IMG_7256.jpg
因みに上の写真撮影より12日後には取り壊されてこのようなお姿に・・・(- -)
なお駅舎前に立っていた丸ポストは生き延びて駅舎向かいの名鉄協商パーキング駐輪場詰所脇に移設されました。
googleストリートビューでは写っているのを確認しましたが今回取材時には撮影を忘れました(^ ^;)
2007(平成19)年3月14日撮影

P1080649.jpg
玉ノ井方より見た構内。
現在は棒線一本の最も単純な配線。
左の駅舎部分にもかつては線路があり島式ホームになっていたそうですが昭和40年代以前に撤去された様子。
1943(昭和18)年の配線図には無いもののホームと反対側にも側線跡のような敷地があります。

IMG_6937.jpg
旧駅舎時代にほぼ同位置から見た様子。
ホーム上の上屋のつくりから反対側にも線路があったことが窺われます。
その左の駐輪場の屋根が見える辺りに貨物側線、貨物ホームがあったようです。
2007(平成19)年3月2日撮影

IMG_6919.jpg
有人駅時代の奥町駅改札。
スロープと改札の間に構内踏切があったことを窺わせるスペースがありました。
ホームに6800系玉ノ井行が到着すると駅員さんが改札前に立ち降車客を迎えていました。
今は自動改札機があるだけの無機質な空間になっています。なおかつての線路上に建てられたトイレは現在も変わっていません。
2007(平成19)年3月2日撮影

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専用線跡 | 23:34:57 | Trackback(0) | Comments(0)
艶金興業奥町工場専用線(?)(名古屋鉄道尾西線奥町駅)~その1~
うちのごく近所で「あそこの工場専用線あったのか!」と驚いたところ。
名鉄尾西線の中でもさらに盲腸線となっている名鉄一宮~玉ノ井の区間、地元では玉ノ井線と通称された5.6kmの区間内の主要駅で2007(平成19)年までは駅員配置駅だった奥町駅から延びていた側線。
戦前のことで専用線なのか名鉄扱いなのかはよくわかっていないので(?)が付いています。

●染色工場の専用線
愛知県一宮市の周辺はかつて毛織物工業が盛んで織り上げた毛織物を染める染色工場も多数存在しました。
その中でも艶金興業は明治以来続く大手企業でしたが毛織工業の衰退と共に工場閉鎖が相次ぎ染色を行っているのは独立した元の子会社のみです。
艶金の名前は元々この地方で盛んだった綿織物の布地に艶を付けるため砧(きぬた・・・布をたたく木槌)で布地を打つ「艶屋」を家業としていたこと、創業者の墨 宇吉の通称が金兵衛だったことから「艶金」となったそうです。
創業期には一宮周辺での生産品が綿織物から毛織物へシフトが進んでおり毛織物メーカーが製造した毛織物の汚れや油を落とし染色、艶出しなどの加工を行う染色整理業を始めました。
当初は個人事業として行っていましたが一宮工場を建設した1924(大正13)年に株式会社化して艶金興業株式会社となっています。
奥町工場は1934(昭和9)年に奥町(当時は一宮市でなく愛知県中島郡奥町と言う別個の自治体)からの工場誘致に応え12月19日に地鎮祭、1935(昭和10)年12月14日に開業。
一方で国立公文書館所蔵の鉄道免許・名古屋鉄道13・昭和10年の簿冊一覧を見ると1935(昭和10)年3月19日付けの「奥町停車場構外側線敷設の件」という書類が存在するようです。
恐らく工場開設時に側線も使用開始されたものと思われます。

okucho-tsuyakin.jpg
艶金興業奥町工場の鳥瞰図
左下端に奥町駅のプラットホーム、その右に行き交う電車、工場に入る構外側線上には凸型電機(デキ100?)が無蓋貨車2両を従えた姿が描かれている。
左に見える電車は無蓋貨車2両を牽引して新一宮方面(右方向)へ発車。
本来この区間は単線なのでこんな数の列車が同時に走ることはないはずだが一見複線区間のように描かれている。
当時名鉄西部線の電車はデボ800形(後のモ800形)以外名古屋市電乗入のため中央に鉄道線用パンタグラフ、両端に軌道線用ポールを装備しておりこのイラストでも中央のパンタを上げていることが見て取れる。
奥町誌(奥町教育会/編 1936)より引用


●側線はいつまで使用されたか?
戦時中の1943(昭和18)年4月1日調査の配線略図には側線が描かれているが専用線企業名などは書かれていません。
戦時中は軍需と直接関係のない繊維産業にとっては受難の時代で工場や従業員を軍需産業に振り向けるよう強制や圧力を受けていました。
奥町工場も航空機の車輪などを製造していた岡本工業(後に岡本自転車工業)へ譲渡することになり1943(昭和18)年10月1日に艶金興業としての操業停止、12月には工場を岡本工業へ譲渡しています。
なお名鉄尾西線も奥町より先、木曽川港(貨)までの路線が不要不急路線とされ1944(昭和19)年3月21日に休止、戦後奥町~玉ノ井の一駅間のみが1951(昭和26)年12月28日に再開業しますが木曽川橋や木曽川港(貨)は名古屋本線木曽川堤駅と近接し必要性が薄れていたこともあり復活しませんでした。
岡本工業に譲渡されていた奥町工場は直接の戦災は被りませんでしたが戦後もなかなか返還されず10年以上を経た1956(昭和31)年8月にようやく染色工場として復帰、新たに設立した艶金染工の本社工場となりましたが専用線は既に使用されていなかったようです。
okucho-map.jpg
1975(昭和50)年9月10日国土地理院撮影の空中写真
専用線は既に廃止されているが専用線に沿って建てられた工場の塀に線形の名残が見られる。
後にさらに外側に尾西線に沿った壁が新設され2001(平成13)年の工場閉鎖時にはカーブした塀が外から見えなくなっていた様子・・・何度も横を通っていながら気付かなかったわけで(言い訳^ ^;)。


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専用線跡 | 21:33:16 | Trackback(0) | Comments(2)
福玉精麦布袋倉庫専用線(名古屋鉄道犬山線布袋駅)~その2~
布袋駅の専用線2回目

hotei_map1.jpg
1977(昭和52)年の空中写真では貨物側線はあるものの福玉精麦専用線は既に無くなっていたようで写っていません。
1967(昭和42)~1970(昭和45)年頃に無くなったようです。

hotei-map2.png
2008(平成20)年当時の配線から専用線があった頃の姿を推定。
1番線から分岐して倉庫沿いに続いていたものと思われます。

P1070695.jpg
新鵜沼方にある図中の①の倉庫。

P1070696.jpg
①の倉庫と線路の間のフェンスに囲まれたスペース・・・ここに側線が入っていたら荷卸しできそうですが有効長から見るとワム1車は入るかどうかくらいしかありません。1961(昭和36)年の空中写真で見てもどうも線路が入っているようには見えません。

P1070693.jpg
高架化で東口が福玉精麦倉庫の敷地間に割り込み駅前広場をつくっています。

P1070692.jpg
図中の③、④の倉庫。
裏手には上り待避線が接していましたが今は高架が近接して線路側は見ることができません。

IMG_9136.jpg
高架化前の様子。下りホームから上りホーム越しに③、④の倉庫を見た様子。
2008(平成20)年7月12日撮影

IMG_9177.jpg
③、④の倉庫は名古屋方面の待避線に接しておりここで荷降ろしすれば倉庫へ貨物を運び込むことも出来ますがその間待避線に普通列車が入れません。
待避線から⑤、⑥の倉庫に沿って専用線が分岐していたものと思われますがよくわからないところも。
⑥の倉庫は新しいので⑥の倉庫の位置まで線路があったものと想像しますが。
2008(平成20)年7月12日撮影

IMG_9172.jpg
貨物側線で廃車前提留置中の7019Fと上り待避線から発車して行く現役の7000系普通。
バックは⑥の倉庫。
2008(平成20)年7月12日撮影

hotei.png
愛知県の名鉄各駅の貨物取扱量データは愛知県統計年鑑(愛知県)で1950(昭和25)~1957(昭和32)年度のものしかありませんが福玉精麦布袋倉庫と専用線が開設された1954(昭和29)年度から到着量が伸びていることがわかります。

参考文献:
愛知県統計年鑑(愛知県)
明日への礎石 ~福玉の百年~(福玉精穀倉庫)

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専用線跡 | 22:50:15 | Trackback(0) | Comments(0)
福玉精麦布袋倉庫専用線(名古屋鉄道犬山線布袋駅)~その1~
福玉精麦は布袋駅からも程近い五条川で明治時代から水車による精麦、精米、製麺を行っていたのがルーツで1951(昭和26)年より倉庫業を始めていました。
当時は名古屋港湾地区で慢性的に倉庫が不足していました。
と言って港湾部に倉庫を新設することが難しく内陸部の布袋へ倉庫を建設することになりました。
1954(昭和29)年6月に専用側線付き一号庫が完成。
以降1962(昭和37)年4月の7号倉庫完成まで拡張が続けられています。
政府食糧保管のための倉庫で船から陸揚げされた米や麦などの食糧を名古屋港から貨車で布袋まで輸送・保管していたようです。
この専用線は専用線一覧表では1967(昭和42)年版まで存在を確認しています。

布袋駅自体は元々隣の古知野駅(現・江南駅)より貨物取扱量は少なかったのですが1958(昭和33)、1959(昭和34)年頃に布袋駅へ貨物扱いを移したのか古知野駅の貨物扱いは早々と廃止されています。
布袋駅での貨物扱いは犬山線でも最後まで残り1983(昭和58)年度に廃止されています。

作業方法:社機
作業キロ:0.1km

hotei_map1.jpg
1977(昭和52)年の布袋駅。
専用線は廃止されていますが構内には貨物ホームや黒貨車の姿が見られます。

P1070699.jpg
高架工事中の布袋駅。
2019(平成31)年4月現在上り線のみが高架化完了し、引き続き下り線の高架化工事が進められています。

IMG_9139.jpg
高架化されて貨物扱い時の面影が消えた画像を上げるよりは面影の有った頃の画像を上げます。
1912(明治45)年に名古屋電気鉄道郡部線として開業した当時の駅舎が残っていた頃。
2008(平成16)年7月12日撮影

IMG_9176.jpg
入口には旧・名古屋電気鉄道の社章が彫刻されたアーチがあり地元からは駅舎保存の要望もありましたが残念ながら解体。
一部部材が保存されており地元で公開へ向け準備中とのこと。
2008(平成20)年7月12日撮影

IMG_9134.jpg
撮影当時は旧・貨物ヤードが廃車予定の車を疎開留置するのに使われていました。
前面の逆富士形表示板が外された7000系パノラマカーが並んでいました。
右は7019Fで左の編成番号は失念
2008(平成20)年7月12日撮影

IMG_9150.jpg
7019Fの左に貨物ホームがあったそうですが案の定駐車場にされていました。
2008(平成20)年7月12日撮影

IMG_6891.jpg
2005(平成17)年1月30日撮影
前日で引退した3色の5500系が連結されて留置中。

IMG_6893.jpg
2005(平成17)年1月30日撮影
奥の方に駅舎と構内踏切が見えます。
貨物側線は改札口前の構内踏切で分岐していました。
入換をされると上下ホームとも出入りができなくなってしまう形態・・・まあ貨車入換中であれば電車も発車できないのですが。

IMG_6897.jpg
貨物側線を名古屋方から見た様子。
2005(平成17)年1月30日撮影

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専用線跡 | 22:43:41 | Trackback(0) | Comments(0)
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