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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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日本石油彦根(米原?)油槽所専用線(近江鉄道本線鳥居本駅)~その2~
近江鉄道本線鳥居本の油槽所専用線2回目~
toriimoto_map.png
鳥居本駅配線図再掲。

P1120476.jpg
油槽所も無くなって運送会社が入っていたり専用線の面影は薄いのですが昭和40年代に増設された側線の貨車門が残っています。
奥の側線は運送会社敷地内で舗装されて跡形もありません。

P1120469.jpg
米原方から鳥居本駅構内を見た様子。右に並走していた専用線の跡はススキに埋もれてしまっています。

P1120468.jpg
踏切名は今でも「鳥居本日本石油踏切」となっています。

P1120475.jpg
一般貨物の貨物ホーム。
使っていないように見えますが架線柱が木製から新しいコンクリートポールに交換されており会社としてまだ使う見込みありと見なしているようですね。

P1120473.jpg
構内踏切より見た貨物側線。

20011101-2.jpg
19年前の同じ場所。釣り掛け電車の500形モハ505+クハ1505近江八幡行が入線してくるところ。
この時点で既に灰色ワフは彦根に引き上げています。
2001(平成13)年11月1日

20021007-1.jpg
鳥居本から彦根に帰還していた灰色のワフ1形。何度か車番が読めないかと挑戦したものの結局読めず。
旧来の木造ワブなどを昭和30~40年代に鋼体化改造したものですが例によって元の部品がどの程度使われているかは不明。
後ろは左から順に同型のワフ4、ワフ5。
鳥居本では売店倉庫などとして使っていたそうですが実際に使われていたところを自身では見たことがありません。
2002(平成14)年10月7日

20011101-1.jpg
19年前の鳥居本駅駅舎。
修復から間もないころで赤い屋根が鮮やかでした。
2001(平成13)年11月1日

●日本石油彦根(米原?)油槽所専用線のスイッチャー
近畿運油の10t機が常駐し末期の1985(昭和60)年になって世代交代しています。
・無番機(初代)
日本輸送機1964(昭和39)年12月製の10tディーゼル機関車。
ロッド駆動の半キャブで北沢産業網干鉄道DB2などと同タイプ
車体は黄色一色だったようです。

・無番機(二代)
日本車輌1985(昭和60)年製の10t機。
他で類を見ない形態ですがダム工事でセメントミルク輸送に使うバンカー線用の工事機関車を貨車入換用に仕様変更したものだそう。
廃止後はまだ新しかったので横浜の内外輸送専用線に転じて新興駅で貨車入換を行っていたものの現存はしていないようです。
奥野君の専用線日記の奥野さんが現役時の映像を撮影されています

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 23:16:46 | Trackback(0) | Comments(0)
日本石油彦根(米原?)油槽所専用線(近江鉄道本線鳥居本駅)~その1~
近江鉄道で最後まで貨物輸送が行われていた本線(彦根・多賀大社線)鳥居本駅の専用線。
かつては隣接して日本石油(現・JXTGエネルギー 2020(令和2)年6月からは社名をENEOSに変更の予定)の油槽所がありました。
油槽所の開設は1963(昭和38)年だそうですが専用線の初代スイッチャーが日本輸送機で製造されたのが1964(昭和39)年12月ということなので専用線は1965(昭和40)年頃にできたものと思われます。
専用線一覧表では1983(昭和58)年版で確認されますがそれ以前の1967(昭和42)、1970(昭和45)年版には記載がありません。
鳥居本駅の貨物廃止は1988(昭和63)年3月でした。
石油は桜島線安治川口から発送され彦根で近江鉄道機に引き継いで一駅間だけの短距離輸送。
しかし彦根~鳥居本間には石田 三成の居城があったことで知られる佐和山が聳え、これを越えるのに33.3‰の急勾配区間が存在するため編成を分けて運転していました。
牽引機は主にED31、末期は多賀原石輸送が無くなって暇になっていたED14が牽引していました。
彦根より米原から入れる方が峠越えがなく運転上は楽そうですが入換で錯綜する米原操車場を擁する忙しい駅で貨車を授受するのが難しかったのでしょうか。

作業方法:私有機
作業キロ:0.1km

toriimoto_map.png
貨物取扱いがあったころの鳥居本駅構内配線図。
奥野さん撮影の鳥居本貨物現役時の映像を元に作成してみました。
奥野さんの映像は1987(昭和62)年の撮影ということで牽引機はED14 4。
佐和山越え区間は緑が鬱蒼として仙山線で活躍していた頃を彷彿とさせます。

toriimoto_19821013.jpg
国土地理院の空中写真に写る1982(昭和57)年10月13日の鳥居本駅。
貨車や電機?スイッチャーの日輸10t機まで写っています。

P1120480.jpg
中山道63番目の宿場町鳥居本の玄関口鳥居本駅。
駅舎はマンサード屋根のお洒落な洋館風で人気ですが真ん前が国道8号線のため排ガスや粉じんで汚されてしまうようです。

P1120474.jpg
構内踏切から彦根方を見た様子。
左端の線路は貨物側線で専用線に貨車を入れた後電気機関車がこの側線で待機していました。
P1120486.jpg
彦根方より構内を見た様子。
正面架線柱左のポール付近に側線が分岐しており左にスイッチャーが留置されていました。

P1120477.jpg
鳥居本駅旅客ホーム上から彦根方を見た様子。
左の貨物ホーム上にはかつて木造の貨物倉庫が建っていました。
その後は灰色のワフ(車番不明)が止められていましたが2001年頃に彦根へ引き上げています。
専用線は右の看板が並んでいる前のスペースに敷かれていました。

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専用線跡 | 21:59:12 | Trackback(0) | Comments(2)
中央倉庫梅小路営業所専用線(東海道本線梅小路(貨)駅)
京都市場と七条通を挟んで南側にあった専用線。
中央倉庫は1927(昭和2)年10月に設立された京都中央市場倉庫が前身、同年12月の京都中央卸売市場開設に伴い市場構内で営業を開始しています。
1940(昭和15)年1月に七条通南側に本店、梅小路営業所を設けており専用線もこの頃に敷かれたものと思われます。
専用線一覧表1983(昭和58)年版にも載っていますが子供の頃ここで貨車を見た覚えがないです。
倉庫に囲まれて見えなかっただけかも知れませんが。

作業キロ:0.4km
総延長キロ:0.8km
作業方法:国鉄機

P1120451.jpg
梅小路駅(現・京都貨物駅)から梅小路短絡線に沿って延びていた専用線。
左奥が貨物駅構内で右手前方向に延びていたはず。現在は梅小路公園の駐車場になっています。
この短絡線が高架化された後も専用線は運行していたはずですがどこで高架をくぐっていたんでしょうね?

P1120450.jpg
振り返ると駐車場の一段上にかつての鉄道門の門柱らしいものが残されています。

P1120320.jpg
手前の倉庫が無くなったため梅小路短絡線跡の歩道橋から専用線跡が一望できるようになっていました。
左の細くて高い倉庫と右の倉庫群の間にカーブしながら分け入っていました。

P1120323.jpg
構内には専用線のレールが敷かれたまま残っていたらしいのですが今もあるのかな?

P1120324.jpg
専用線は七条通に突き当たって終点。
通りを挟んで京都中央卸売市場と向かい合っていますが向かいの市場には山陰本線丹波口駅(高架化後は京都市場駅として分離)側から専用線が入っていました。

参考:
株式会社中央倉庫Webページ

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専用線跡 | 23:02:05 | Trackback(0) | Comments(0)
日本土地山林専用線(播但線新井駅)
播但線新井駅は一円電車で有名な三菱金属鉱業→三菱金属→明延工業明延鉱山から錫鉱石運搬の新神軌道が1957(昭和32)年まで、進藤林業の森林軌道が1969(昭和44)年頃まで乗り入れ木材、鉱石を播但線へ継走していました。
新井駅構内の専用線は日本土地山林と後に一時期関西電力専用線があったそうですが後者はデータがなくてよくわかっていません。

日本土地山林専用線
作業方法:手押
総延長キロ:0.1km
作業キロ:0.1km

P1110758.jpg
作業方法が手押となっていますが新井駅構内用の国鉄貨車移動機が専用線に入っている写真を見たことがあり実際には末期は動力化されていたようです。
貨車移動機については↓の前回記事をご参照下さい。
新井の8t貨車移動機

P1110775.jpg
新井駅の駅舎。
JR西日本の駅員配置はありませんが簡易委託駅で日中は委託の人が常駐。

P1110716.jpg
跨線橋から姫路方を見た様子。
右のホームの先、新しいPC枕木が置かれているところに1線分スペースがありますがここが専用線と積み込みホームの跡。
左にも待避線、側線の跡が広がっています。

P1110728.jpg
貨物ホーム上の日本土地山林の上屋や積み込み用のクレーンがあった跡は駐車場になっています。
ここに森林軌道も乗り入れていたものと思われますがどんな配線になっていたのか現状からは想像が付きません。
機関車表によると森林軌道では新神軌道より譲り受けた酒井工作所性4t機(恐らくGL・・・代燃併用か?)を500mmから610mmに改軌して使っていたようですが写真などは全く見たことがありません。

P1110730.jpg
播但線に平行して新神軌道(500mm軌間)、進藤林業森林軌道(610mm)の3線軌道が通っていたという跡は道路に取り込まれている様子。

P1110732.jpg
播但線沿いに姫路方へ5分ほど歩いたところにある日本土地山林(日林)の製材所。
前の道には森林軌道と新神軌道の3線軌道が通り製材所へは森林軌道が引き込まれていたものと思われます。
専用線企業の日本土地山林と森林軌道のあった進藤林業のつながりがよくわかりませんが、進藤林業と日本土地山林が合併して後者が存続会社となったのか?
専用線名義は専用線一覧1951(昭和26)年版で既に日本土地山林になっています。

参考文献:
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)

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専用線跡 | 23:38:14 | Trackback(0) | Comments(0)
宮津臨港線(宮津線宮津駅)~その3~
宮津臨港線3回目~。

P1110653.jpg
用水路に架かるコンクリート橋を別角度から。
奥に見える橋もスイッチバックして京都府漁業協同組合連合会(漁連)宮津支所へ向かっていた線路跡ですが向こうは架け替え済み。
その先は宮津湾、天橋立も見えています。

P1110650.jpg
右の建屋後方から奥へカーブしながら埠頭へ線路が延びていました。宮津港は京都府営なので京都府専用線となっているのはこの埠頭内の側線のことだったのでしょうか。
以前はガントリークレーンなどがあったのですが今ではそれらしいものが見当たらなくなりました。
手前の路面に現れている舗装の継目はスイッチバックして漁連へ向かっていた線路の跡では?

この埠頭ではニューカレドニアから日本冶金大江山製造所向けのニッケル鉱石を陸揚げ貨車積して臨港線、宮津線経由で丹後山田へ。
丹後山田から加悦鉄道機が入換業務を行っていたことで知られる日本冶金大江山製造所専用線で工場まで運ばれていました。
当日は入港していませんでしたがニューカレドニアからのニッケル鉱石輸送は現在も行われており宮津湾から艀で天橋立の有名な回転橋の小天橋を通過して大江山製造所まで運んでいます。
戦時中大江山鉱山のニッケル鉱石を加悦鉄道で輸送していた大江山製造所は敗戦とともに操業停止していたのですが1952(昭和27)年1月にニューカレドニアからの輸入鉱石で再開することになり、1952(昭和27)年6月15日には宮津港へニューカレドニアからの第1便が到着。
宮津港~大江山製造所で3軸貨車のトキ900を連ねた鉱石シャトル列車が1日3往復走ったそうですが1956(昭和31)年10月には沖合に停泊した本船から艀で工場まで鉱石を海上輸送するように変わってしまい臨港線の華やかな時代は4年ほどで終わってしまったようです。

P1110645.jpg
ニッケル輸送の関係か漁連への線路沿いには加悦鉄道の後身、宮津海陸運輸の事務所があり社屋には↓の加悦鉄道の気動車などに描かれていたのと同じ社紋が掲げられています。
IMG_5196.jpg
加悦鉄道キハ51の社紋。

P1110642.jpg
漁連方面は駐車場になって何も残っていません。

P1110640.jpg
漁連の魚河岸辺りまで線路が入っていたそうですが白い冷蔵貨車も入線していたのかな?

参考文献:
RM LIBRARY180 加悦鉄道 -丹後ちりめんを運んだ「絹の鉄道」-(上)、(下) (NPO法人加悦鐵道保存会/著 ネコ・パブリッシング/刊)

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専用線跡 | 23:56:25 | Trackback(0) | Comments(2)
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