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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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住友セメント富山SS専用線、日本アルコール販売富山保管庫専用線(高山本線西富山駅)
<住友セメント富山SS専用線>
1964(昭和39)年には製鉄所専用線から本線を挟んだ東側に住友セメントのSS(サービスステーション)が開設されています。

作業方法:私有機
作業キロ:0.4km
総延長キロ:0.6km

P1000422.jpg
2番ホーム末端から富山方を見た様子。
左は前回の報国製鉄→新報国製鉄→呉羽製鉄富山工場跡地の住宅地、右のトレインと言う文字が見えるアパートの辺りがかつての住友セメント富山SS跡。

●住友セメント富山SS専用線の機関車
こちらには日通機と別にSS用の私有機がいました。
・301
1959(昭和34)年7月川崎車輌製で製番38。
機関車表には35t機軸配置BBとあるが実際には↓の同型車302を見ての通り15t機軸配置B。
正体は編集長敬白アーカイブの以下の記事に詳細が上げられています。
住友セメント広田SSのこと。
060216.jpg
301と同時製造の302。こちらは磐越西線広田駅の住友大阪セメント広田SS専用線に転じていました。
SSがもう閉まっている時間帯で許可を得る相手も無く敷地外から後ろ姿を撮っただけです(_ _)
現存するものでは和田岬線から分かれる川崎重工兵庫工場にいるスイッチャーに似てるかな?
2006(平成18)年2月16日撮影

・D151
1969(昭和44)年6月日立製作所笠戸工場製15t機で製番13072。
住友セメント松任SSから転属してきた標準的な日立15t機。
専用線廃止後は東新湊の日本高周波鋼業構内鉄道へ移り、さらに日立製作所笠戸工場(山陽本線下松駅)に里帰りして新車の出荷に使われました。
奥野さんの↓の記事で写ってる重連の前の機関車と思われます。
下松情報
下松の機関車は北陸重機の新車に変わったので現在は引退してます。



<日本アルコール販売富山保管庫専用線>
専用線一覧表では1984(昭和59)年版になって出てくる新しい専用線。
現役時代の様子を奥野さんが撮影されてます。
西富山報告

作業方法:国鉄機
作業キロ:0.1km
総延長キロ:0.1km

P1000428.jpg
1番ホーム岐阜方の構内踏切から富山方を見た様子。
右のアパートの場所も貨物側線の跡。

P1000434.jpg
日本アルコール販売の専用線は報国製鉄→新報国製鉄→呉羽製鉄富山工場の専用線の一部を利用していたようです。
この専用線にはスイッチャーはおらず国鉄→JR機が入換を担当していました。

参考文献:
専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 21:39:41 | Trackback(0) | Comments(0)
報国製鉄→新報国製鉄→呉羽製鉄富山工場専用線(高山本線西富山駅)
富山市街の西郊。呉羽山の下にある駅です。
今では住宅街の駅ですがかつては専用線がありました。
というわけで古い順に上げていきます。

作業方法:手押、相手方機→手押→日通機
作業キロ:0.5km
総延長キロ:0.9km

報国製鉄は調査してもいつ頃出来た会社かが分かりませんでした。社名からすると戦時中の設立でしょうか。
砂鉄を原料に製鉄を行っていたようです。
敗戦で軍需が無くなると業績が悪化したようで1949(昭和24)年10月に再建のため埼玉県川越市の新三徳工業と合併し新報国製鉄を設立しています。
新報国製鉄時代に株式上場までこぎつけており当時の様子が「証券」1952(昭和27)年10月号(東京証券取引所 東京証券取引所総務部)に載っていました。
当時の生産品は低リン銑18%、低硫低銅銑19%、純鉄5%、溶接棒鋼塊54%、チタライト1%、その他3%となっています。
聞き慣れない名前ですが低リン銑、低硫低銅銑はリン、硫黄、銅などの不純物が少ない銑鉄ということらしいです。
これらはさらに炭素量を減らして鋼に加工するためさらに高炉メーカーへ送られていたようです。
製品の半分以上をを占める溶接棒鋼塊は溶接器具のあのバチバチいってる先端部分の材料で、富山工場で砂鉄を溶かしてインゴットにして川越工場へ送り溶接棒に仕上げていました。

新報国製鉄は当時国内の三大砂鉄メーカーでしたが富山工場の業績は芳しくなかったようで1955(昭和30)年に川越を存続工場として富山は分離売却。
会社自体は現在も当時の名前のまま盛業中です。
専用線一覧1957(昭和32)年版では専用線使用者名が呉羽製鉄(株)となっています。
会社が変わっても貨車輸送は続いていましたが航空写真を見ると1980(昭和55)年にはあった工場、専用線が1983(昭和58)年には宅地化されておりこの間に工場閉鎖、専用線廃止となったのでしょう。

P1000429.jpg
西富山駅の駅舎。
高山本線JR西日本区間木造駅共通の配色です。
背後の呉羽山との間に工場がありました。

P1000424.jpg
2番ホームから岐阜方を見た様子。
停車中の列車は速星から乗って来た富山行きキハ120。
右の側線、専用線跡はレールが撤去され空き地になっています。
更にその右の工場跡地は宅地化されています。
かつてはここで水力発電王国富山の安価で豊富な電力を生かした電気炉8基(1953(昭和28)年当時)が稼働する製鉄所がありました。

P1000421.jpg
富山側。特急ワイドビューひだ8号名古屋行が通過。
専用線の貨物積卸場所はこの画像左奥にあったようです。

P1000430.jpg
西富山駅岐阜方の踏切名には・・・

P1000432.jpg
1949(昭和24)年以前の報国製鉄の名前が今でも使われています。

●新報国製鉄→呉羽製鉄専用線の機関車
日通富山支店西富山営業所が入換を担当しており
専用線一覧では
1951(昭和26)年版 手押、相手方機
1953(昭和28)年版 手押
1957(昭和32)年版 日通機
1964(昭和39)年版 日通機
1970(昭和45)年版 日通機
となってました。
1953(昭和28)年版で機関車がいなくなり1957(昭和32)年版で再び導入されているのは工場の業績と関係するのでしょうか?
機関車表に載っていたものは以下の通り。

・無番機
1953(昭和28)年12月加藤製作所製10t機で製番28969。
当初は日通千頭支店に配属され大井川鉄道千頭駅構内の入換に使われた機関車。
車籍は大井川鉄道にあり番号はD1でした。
機関車表 沖田 祐作編には1969(昭和44)年9月30日西富山営業所移管とあります。
恐らく千頭駅で接続していた千頭森林鉄道が前年に廃止され入換の仕事が無くなったため転属してきたものと思われます。
senzu-d1.png
イラストは賛歌 千頭森林鉄道(谷田部 英雄・著)に掲載されていた写真を元に描いた大井川鉄道D1時代のイメージ
写真では機関車が後ろから写されているため前照灯の位置はわかっていません。

・7
1965(昭和40)年1月日立製作所笠戸工場製15t機で製番12815。
製造当初からいたのではなく富山営業所圏内のどこかの駅から転属してきたようです。
後に南福井へ転属し現在は個人蔵で保存されているそうな??
類似タイプと見られる日本冶金川崎事業所専用線日立15t機

参考文献:
証券 昭和27年10月号(東京証券取引所 東京証券取引所総務部)
新報国製鉄株式会社webサイト
専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)
賛歌 千頭森林鉄道(谷田部 英雄・著)


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専用線跡 | 20:22:36 | Trackback(0) | Comments(0)
日東紡績泊工場専用線(北陸本線泊駅)
北陸本線・・・現在はあいの風とやま鉄道泊駅(北陸本線代替の3社とも名前が長ったらしいので今でも北陸本線と言ってしまう(爆))です。
P1000348.jpg
まずは直江津方の一般貨物側線。保線車の車庫やレール積込み場所に利用されてます。

P1000350.jpg
モーターカーとレール輸送用保線トロも。

P1000351.jpg
直江津から乗って来たえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインのET122が泊折り返しで発車。
行く手には親不知の険しい山並みが連なります。

泊駅のある朝日町(1954(昭和29)年に泊町ほか6か村が合併)は穏やかな富山平野の東の端に位置し、その先は親不知の険が日本海に突出しています。
黒部川の豊富な伏流水や安い電力に着目し1934(昭和9)年に泊紡績が設立されました。
工場工事中の1937(昭和12)年10月より一部操業開始、1938(昭和13)年10月に完成、工場全体が操業に入ります。
工場は泊駅のすぐ隣で専用側線も最初からあったのでしょう。
綿紡績工場なので専用線には有蓋車で原綿が到着していたものと思われます。

作業方法:手押し
作業キロ:0.3km
総延長キロ:0.2km

P1000342.jpg
駅の南側に拡がる旧・泊工場・・・現在は日東紡泊事業センター。

しばらくは業績も良かったようですが戦時統制により中小紡績企業は紡錘器100万錘を持つ企業となるように政府から合併を強要されます。
泊紡績は紡績大手で戦前10大紡に数えられた福島県が本拠の日東紡績と1942(昭和17)年1月に合併、同社泊工場となりました。
戦時中は軍需工場とされたり戦災も受けたりもせずに済んだようです。
戦後は1952(昭和27)年に工場を拡張、紡錘器は17,100錘から37.100錘と倍以上に増えます。
1953(昭和28)年当時は従業員569人、敷地面積14,873坪、建坪8,173坪となっていました。

P1000345.jpg
跨線橋上から見た米原側。
側線撤去跡の敷地が多く見られます。構内側線と専用線の境目はわかりませんが左の倉庫方面に延びていたのでしょうか。

P1000343.jpg
現在綿紡績は行っておらずニットービバレッジ株式会社と分社化されペットボトルと清涼飲料水製造を行っています。
ペットボトルは化学繊維、清涼飲料水は黒部の冷たくて豊富な地下水利用と業種は変われどもこの工場の強みを生かした事業が行われているわけですね。

P1000340.jpg
接続列車到着までしばらく時間があるので夕暮れの風景をまったりと。

P1000356.jpg
あいの風とやま鉄道521系が到着。
IRいしかわ鉄道乗入で金沢直通です。

それにしても社名、路線名がややこしい(爆)
親しみを持ってもらおうという意図なのでしょうが地名を装飾する平仮名、片仮名、漢字の表記箇所が覚えられないです(- -)
単純に越後鉄道、富山鉄道、石川鉄道の方が覚え易い気がします。
全部過去存在した鉄道名になっちゃってますが今は存在しないので良いと思うのですが・・・。

参考文献:回顧参拾年(日東紡績株式会社)

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専用線跡 | 23:59:09 | Trackback(0) | Comments(0)
電気化学工業長岡SS専用線(越後交通長岡線才津駅)
越後交通長岡線で1995(平成7)年4月1日廃止(営業運転は3月23日が最後)まで残った専用線。
電気化学工業のセメント・・・デンカセメントのSS(サービスステーション)があり、同じ新潟県内に本拠の鉱山があり、専用鉄道を介して北陸本線青海駅から貨車が来ていました。
長岡SSは1968(昭和43)年10月25日開設。「ヨンサントオ」で知られる1968(昭和43)年10月1日ダイヤ改正の直後に設置されたことになります。
サイロの貯蔵能力は2,500t。40t積みセメント貨車タキ1900で言うと62.5台分と言うことになりますね。

作業方法:社機
作業キロ:0.2km

IMG_20170716_144127.jpg
才津駅来迎寺方。北陸自動車道の下をくぐって来る長岡線跡。

IMG_20170716_144133.jpg
才津駅のSSは無くなっています。側線分路盤の拡がりが残る程度。
現役時代末期の姿はリンク先の奥野さんが撮影されてます。
越後交通報告

IMG_20170716_144325.jpg
駅前はコンクリート舗装の道路。この舗装し方がいかにもSSの門前と言う感じがします。
メーカーは違ってもどこもセメントサイロの前にこんな道がありますね。

ekk-ed5102.gif
越後交通と言えばED5100形電機が名物でしたね。
1957(昭和32)年三菱電機、三菱重工製50t機で定山渓鉄道ED500形ED501,502→長野電鉄ED5100形ED5101,5102→越後交通と転じてます。
イラストでは両パンタとも上げてますが定山渓、越後交通での運用時は片パン、長野電鉄のときは両パンのことが多かったようですね。
実際に現物を見たかったなあ(- -)

ekk-pcs1.gif
スタイリッシュな車体なので西武E851引退時みたく客車を牽かせてみたいですね。

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専用線跡 | 23:46:50 | Trackback(0) | Comments(0)
小宮製菓専用線(魚沼線片貝駅)~その2~
魚沼線は片貝駅小千谷方で東へ方向転換しますが小宮製菓の工場はこの地点にありました。

IMG_20170716_135858.jpg
魚沼線の路盤上小千谷方から見た元・小宮製菓工場・・・現在は越後製菓片貝西工場となっています。
右へ曲がると100mほどで片貝駅です。
魚沼線は来迎時~片貝間の路盤が片貝バイパスに利用されていますが工場の前でバイパスから分岐すると路盤がそのまま残る区間に入ります。
航空写真を見ると工場は魚沼線跡に片貝バイパスを建設する際敷地を削られたようでかつては魚沼線のカーブ外側まで工場建屋が迫っていたようです。
なおご近所の方によると「駅に貨車の出入りはあったけど工場まで引込線は入って無かったと思う」とのこと。
専用線現役時の1964(昭和39)年の運転線路図表を見ても駅部分にしか側線が無く工場までレールはつながってなかったようです。

IMG_20170716_135840.jpg
上の画像と同一地点から西小千谷方面を見た様子。
ここから関越自動車道交差までは魚沼線の路盤そのままです。
線路奥の方に見える工場は越後製菓片貝工場。
片貝駅北にも沼田工場がありこの辺りは越後製菓の工場で一杯です。
同社は高橋英樹さんのCMのイメージが強いですね。名古屋でも見るし全国区と見ていいのかな?
因みに本社は隣の長岡市とのこと。

IMG_20170716_140041.jpg
大正時代創業の古い工場なので中にはこんな味のある建物も。
奥の木立の辺りが片貝バイパス、魚沼線跡分岐点。
工場の向かいに胸像があり工場創業者の像かな?と思ったら田中 角栄元首相でした。
長岡鉄道→越後交通社長を務めてたのはよく知られてますが製菓事業に関係してたのかは不明。

IMG_20170716_140318.jpg
工場の南側に来ると妙なものが・・・。
バイパス建設時に工場の水タンクが削り取られてしまったようで、コンクリート製のタンクが一部欠けた状態という不思議な光景が見られます。

専用線一覧と鉄道統計年報以外あまり情報もなくよく分らない専用線ですが一体どのような機関車がいたのか気になるところです。

参考文献:
専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)
運転関係線路図 第3分冊(日本国有鉄道新潟支社)
鉄道統計年報(日本国有鉄道新潟鉄道管理局)
越後製菓株式会社Webサイト

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専用線跡 | 22:30:35 | Trackback(0) | Comments(0)
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