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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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坂下駅の専用線群(中央本線坂下駅)~その2~
中央本線坂下駅の側線続き。

P1010212.jpg
旧坂下営林署坂下貯木場の貨物側線利用と思われるバラスト積込み場。
貨物ホーム側の1線は撤去されています。
奥の貨物ホームは石積みですが名古屋寄りは直方体の石材を地面に並行に積んだ布積みになっています。

P1010210.jpg
一方で塩尻寄りは交互に斜めに積む矢筈積み。つくられた時期が違うのでしょうかね。
背後は国保坂下病院を建設したとき地面を掘り下げたのか貨物ホーム線路寄りの壁だけが張りぼてのようになっています。

P1010218.jpg
通過する下り特急しなの。
しなのがくぐっている歩道橋はかつて踏切で坂川鉄道新坂下駅の連絡道路でした。
奥には鐘釣トンネルがあります。

P1010184_20171016235708a51.jpg
近くで見ると鐘釣トンネルは新旧トンネルが並んでいます。

P1010214.jpg
元の一般貨物用と思われる駅前側の側線。
1922(大正11)年~1931(昭和6)年の間にはこの辺りに貨物索道の飛騨索道が接続しており下呂の三原まで発電所建設資材を輸送していました。
高山本線開通前のことで田瀬で北恵那鉄道と交差、付知、加子母を経由し舞台峠を越えて飛騨に入っていました。
一時は加子母森林鉄道と連絡して加子母御料林の木材を運んでいたこともあるとか。

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専用線跡 | 00:08:53 | Trackback(0) | Comments(0)
坂下駅の専用線群(中央本線坂下駅)~その1~
坂下駅には日本の専用線がありました。
いずれも短いので見た目では恐らく国鉄構内側線とあまり区別が付かない程度のものと思われますが1957(昭和32)年には国鉄動車(貨車移動機)まで入っています。

●日本発送電
作業キロ:0.1km
作業方法:手押
専用線一覧表1951(昭和26)年版で確認
賤母発電所の資材取り降ろし用か?
建設時には発電所まで手押し軌道があった様子

●長野営林局(坂下営林署?)
作業キロ:0.1km
作業方法:手押→国鉄動車
1951(昭和26)年、1957(昭和32)年版で確認
坂川鉄道→坂下森林鉄道起点の営林署貯木場が駅に隣接していた。

P1010188.jpg
坂下駅名古屋方。
右から下り本線、中線、上り本線、旧・貨物側線が並んでいます。
中線は上り名古屋方、下り松本方面とも利用可。
日に何本か普通列車が特急「しなの」通過待ちを行います。
左端の分岐器が営林署の土場、森林鉄道機関区方面へ分岐しています。
専用線もこちらにあったものと思われます。

P1010190.jpg
同じ位置から振り返り下り塩尻方を見た様子。
右に保線用と化した側線が続いています。
裏手の営林署貯木場は移転して国保坂下病院や製材所になっています。
ここには坂川鉄道→坂下森林鉄道の車庫もありました。

P1010191.jpg
側線は保線トロへバラスト積込みのため現役。
貨物ホームも一部が残っています。

P1010204.jpg
塩尻方から構内を見た様子。
現在の保線側線が専用線そのものなのか、国鉄側線に当たる部分だけなのかは確定できません。
それでも側線の残存率は結構高い駅と言えそうです。

参考文献:
専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)

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専用線跡 | 00:12:44 | Trackback(0) | Comments(0)
吉野貯木場専用線(近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅)~その4~
吉野貯木場専用線には近鉄吉野線の機関車がそのまま入っていました。
というわけで近鉄南大阪、吉野線の電気機関車の紹介。
旧吉野鉄道には1924(大正13)年電化時導入のスイス・ブラウンボベリ製凸電デ1形3~5(後に改軌、車体を大改造されデ81形→デ35形に改番。大阪線で保線用に使用)を始めユニークな電機が集まっていました。

kin-de52.png
デ51形デ51
1929(昭和4)年川崎車両製(1928(昭和3)年に川崎造船所から分社化)の48t機。
吉野鉄道51形として製造され大阪電気軌道に合併、関西急行、近鉄と会社は変わっても吉野線、南大阪線で使われ続けていました。デ52が1975(昭和50)年、デ51は1984(昭和59)年に廃車されてます。

kin-de64.png
デ61形デ64
1927(昭和2)年三菱電機、三菱造船所製35t機。
現南大阪線の前身大阪鉄道のデキA1001形1001~1004号で同時期、同メーカー製の名鉄デキ300形とよく似ています。
大阪鉄道時代からレールがつながる吉野線に車両の乗り入れや貸し出しが行われていました。
後に伊賀線、養老線へ転じたものもありましたが1984(昭和59)年に全廃されました。

de33-001105-2.jpg
デ31形デ33
1948(昭和23)年三菱電機製40t機。
今でもデ32号が車籍のない入換機械として塩浜工場にいますがデ33号が1964(昭和39)年まで南大阪線配置でした。
写真は2000(平成12)年11月5日に養老線東方操車場で廃車前に行われた撮影会での様子。
運用によっては吉野貯木場専用線にも入ってたのではないかと思われます。

吉野貯木場の名残編~
P1010415.jpg
製材所群の中に欄干だけが残るこんな光景が見られます。
かつてはここに吉野川の分流がありこの先は吉野川内の中州になっていました。


1回目にも出した地図ですが吉野川はこんな流れ方をしてました。

P1010433.jpg
もう1本の橋の跡。
こちらには水中貯木場へ取水するための水門があり現在も水門の櫓が残っています。
欄干には「吉野川」の文字も見えます因みにかつては川幅が広く欄干ももっと長かったはずですが奥の方は撤去済み。

P1010419.jpg
橋の先には吉野木材協同組合連合会の貯木場事務所。
恐らく県営貯木場ができた1937(昭和12)~1939(昭和14)年頃に建てられたものと思われます。

P1010429.jpg
「聯」の文字や軒下の飾り、羽を拡げた鶴の絵柄の鬼瓦も渋いですね~。

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専用線跡 | 00:05:25 | Trackback(0) | Comments(0)
吉野貯木場専用線(近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅)~その3~
吉野貯木場専用線の続き。

yoshino0012.jpg
近鉄吉野線アンダーパスの反対側(下流側)。架線を吊っていたと見られる碍子も一部残ってます。

yoshino0014.jpg
丹治川を渡る橋梁。林鉄のような2本の直方体を渡したコンクリートガーダー桁。
日中戦争下で既に鉄製ガーダーが手に入れ難くなっていたのでしょうか?
かつては専用線の奥に丹治川を挟んで右に第二、左に第三水中貯木場の池が並んでいました。

yoshino0015.jpg
製板所の裏手に残る線路跡のスペース。
終端までこんな感じの敷地になったり建物に飲み込まれたりの繰り返し。

yoshino0013.jpg
旧第二水中貯木場付近から見た吉野川橋梁を行くラビットカー復刻塗装6020系6051F急行阿倍野橋行き。
養老鉄道で見慣れた色ではありますが4両編成ともなるとやはり見栄えがしますね。
吉野川は底まで透き通っています。

水中貯木場は現在埋められて跡地には製材所が建ち並んでいるため元の地形が想像しがたいです。
吉野川を使った管流し、筏組の流送は1954(昭和29)年頃までと比較的遅い時期まで行われていたとか。
既にダムもできていましたが筏用の水路トンネルをダム横に別に掘り、トンネル経由で下ったりダム堤体横に滑り台を設けて筏を吉野貯木場まで直通させていたそうです。

吉野貯木場専用線(近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅)~その2~

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専用線跡 | 00:14:35 | Trackback(0) | Comments(0)
吉野貯木場専用線(近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅)~その2~
吉野神宮の吉野貯木場専用線2回目。
yoshino0009.jpg
専用線と交差する道路から吉野神宮駅方面の線路跡を見た様子。線路跡は左奥へカーブして続いてます。
まだこの辺りも33.3‰の勾配が続いてます。
木材や板材を満載した貨車を吉野線名物の丸窓電機デ51などが重低音を響かせて押し上げていたのでしょうか。

yoshino0007.jpg
その背後に残る開渠のコンクリート橋。
左奥の青い標識手前にはスイッチバックして吉野川と並行に延びる下段の線路が横切っていましたが製材所の敷地に飲み込まれ現地ではわかりにくいです。むしろgoogleマップの航空写真で見た方が建物のカーブ具合で線路跡に建物が建っていることがよくわかります。

P1010435.jpg
2枚目画像の場所から坂を下り下段の線路を越えたところにある吉野貯木場碑。
背後に見える建物は下段の線路上に建ったものなのでかつては石碑の後ろを近鉄電機や貨車が通っていたはず。
以下碑文の内容
本来の碑文は漢字片仮名文ですが片仮名は平仮名に直したほか句読点を追加してます。
●は碑文の摩耗で解読できなかった箇所です。

吉野地方は遠く四百年の昔日より杉檜人工林の美を以て顕れ良材の誉れ宇内に冠絶す。
然るに其の販売施設これに伴はず概ね管外市場に依存し当業者は永年其の不利に悩めり。
是に於て昭和十年組合積年の研鑽に基き此の地に全生産材を一元的に集荷保管し製材販売運搬金融統制等諸般の施設を整へ以て新市場の開設を企画す。
爾来苦心経営、幸に関係官民多大の支援を得、遂に昭和十二年八月工を県営として起し然も組合自ら建設の責に任じ十四年十月竣工す。規模の雄大施設の整備、蓋し稀に見る所也。
開業以来業績大いに揚り特に戦時下其の任務の完遂に邁進し昭和十七年七月 畏くも侍従の御差遣を賜ふ感激奈そ●へん今也。
木材統制法に基き文禄以来三百年の歴史を有する組合一切の事業を奈良県林材株式会社に委譲するに際し茲に其の経歴を叙して以て之を記念す。

昭和十七年八月 奈良県知事正五位勲四等 堀田健男題
奈良県吉野林業学校教諭 中西信雄撰


言い回しが現代と異なり読み辛いですが短い文章内で貯木場に関する重要な情報がしっかり入っています。
文中の組合とは吉野木材同業組合連合会(現在の吉野木材協同組合連合会の前身)のことでしょう。
県に働きかけ県営事業として貯木場を建設したことがわかります。
また戦時中に国策でつくられた統制会社の奈良県林材株式会社に事業を譲り組合が一旦消滅する時に碑を建てたこともわかります。
組合は戦後1950(昭和25)年に吉野木材協同組合連合会として復活し今日も貯木場を守っています。

yoshino0008.jpg
駅からの線路と下段の線路がこの辺で合流、スイッチバックの突っ込み線になってましたが跡形もなし。
右後方が吉野神宮駅、道路がオフセットしてる先のプラントが突っ込み線が延びていた方向です。

P1010412.jpg
その辺を歩いているとチルド車輪が転がっているのが見えたり・・・。
軌間は610mmか762mmくらいかな?
林鉄ではなく製材所内のトロッコのものと思われます。
吉野の山林は大半が私有林(県有林も私有林に含まれる)で国有林が無いため営林署の森林鉄道は有りませんでした。
私有の手押し軌道などはあったかも知れませんが情報が有りませんね。
吉野山の木馬の写真は見たことがありますが。

yoshino0010.jpg
スイッチバックした先の下段の線路跡。
2つ並ぶ細長い建物から手前の道路にかけてが線路跡、この辺り私有地なのか公道なのかが曖昧で通っていいのかが分からないところも(^ ^;)
まあ危ない機械の傍に寄ったりしなければ挨拶して通れば咎められはしないでしょうが。

yoshino0011.jpg
後ろを見ると吉野線本線と直交するアンダーパス。
左が吉野神宮駅の北端(あべの橋側)に当たり、右が吉野川橋梁です。

吉野貯木場専用線(近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅)~その3~

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専用線跡 | 06:52:55 | Trackback(0) | Comments(0)
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