■プロフィール

にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリー
■閲覧数(2014/8/12~)

閲覧数(2014/8/12~)

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
麒麟麦酒栃木工場専用線(烏山線仁井田駅)~その2~
烏山線仁井田駅の専用線続き~

DSC_1565 (85)
コンクリート製の橋梁が3か所残りますが何れも橋梁銘板が外されていますが橋台には竣工年月の1979-6の刻印が見られます。

DSC_1565 (109)
専用線の烏山線側には工場側を向いた停止目標と何やら機器が取り付けられていたらしい支柱跡。

DSC_1565 (108)
「20停止目標」とあるので出荷の貨車20車を推進運転して工場から出て来た烏山通運機がここで停止したか、工場内の貨車入換で出てきたときの停止目標か。いずれにしても烏山通運機はここまで出て来ていた様子。

DSC_1565 (91)
「麒麟第八花岡踏切 0K456M 巾員3.0M」の文字が残る専用線の踏切防護柵。
なお専用線に八か所も踏切があったのではなく平行する烏山線の踏切名「第八花岡踏切」に合わせた様子。
なお第八花岡踏切もつい最近廃止されたようで警報機はカバーが掛けられ遮断機は降りっぱなしになって閉鎖してありました。
こんなことして近所の人は不便じゃないのかな?

DSC_1565 (89)
麒麟第八花岡踏切から五行川を渡るともう一つ4種踏切があり工場の鉄道門に突き当たります。
五行川橋梁も複線分の桁が架かりますが鉄道門は烏山線寄りの1線分しかありません。

DSC_1565 (95)
五行川右岸の鉄道門前にあるもう一つの4種踏切。こちらは道自体も草ぼうぼうで廃道状態。

DSC_1565 (100)
鉄道門前から仁井田駅方向。丁度横を下野花岡駅を発車したEV-E301系が走って行きました。
ここまで来ると直線距離では隣の下野花岡駅の方が近いです。

●烏山通運のスイッチャー
仁井田駅~授受線間は宇都宮区のDE10が入換を行っていたようですが、工場内から授受線までは烏山通運の日車35t機が入換を担当していました。
この機関車は1963(昭和38)年日本車輌製35t機の元・新日鐵八幡製鉄所D349、新日鐵35t機はより大型の機関車が増備されると各地の専用線に転じたほか、日車から新車で同一設計機が多数供給されていました。
DSC_0759_20170528223208a3f.jpg
麒麟麦酒栃木工場専用線の烏山通運スイッチャーと同型の日車35t機。
紀勢本線多気駅ダイヘン専用線にいたD351


麒麟麦酒の機関車なのでやはりクリーム色でボンネット側面に赤字で"KIRIN BEER"のロゴが入ってたのでしょうかね?
1エンジン車でエンジン側(写真では左側)の方が僅かにボンネットが長いセミセンターキャブ機のようです。
運転席は入換機に多い横向きに配置、停止目標が北側にあったことからすると運転席があったのは烏山線側・・・つまりD349はエンジン側を仁井田駅方に向けていたものと推定されます。

余談ですが麒麟麦酒が使用した同型機では他に近江鉄道多賀駅(現・多賀大社前)分岐の麒麟麦酒滋賀工場専用線に元新日鐵八幡のD340が転入しています。
こちらは近江鉄道の車籍を取ってDD35形D340となり近江鉄道の電気機関車と同じグレーに塗られていました。

参考文献:
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)

スポンサーサイト

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 00:15:19 | Trackback(0) | Comments(0)
麒麟麦酒栃木工場専用線(烏山線仁井田駅)~その1~
烏山線から分かれていた専用線。
1979(昭和54)年4月に操業開始した麒麟麦酒栃木工場からのビールの出荷に使われました。

作業キロ:国鉄機1.0km、烏山通運機0.5km
総延長キロ:3.6km
作業方法:国鉄機、烏山通運機

麒麟麦酒栃木工場は1979(昭和54)年4月に操業開始。
専用線は操業開始に間に合わず遅れて7月から運輸開始、ビール輸送用のワム80000形584000、585000番台車が入線していたようです。
専用線はあまり長く使われず、開業から5年も経たない1984(昭和59)年2月改正で使用停止になりますが宇都宮貨物ターミナル利用でその後も鉄道貨物による製品輸送を行っていたようです。
しかしビール需要の減少や合理化で工場の統廃合が行われた結果栃木工場は2010(平成22)年10月で閉鎖、プラントは取手工場に移されたそうです。

DSC_1565 (65)
現在の仁井田駅舎。
無人駅ですが北隣に栃木県立高根沢高校があり学生の利用が多いです。

DSC_1565 (63)
ホームから烏山方を見た様子。構内は1面1線のみだが烏山方でレールが交換駅のように曲がっているのが見えます。
かつて麒麟麦酒専用線があった頃は左に貨物側線がありました。
1947(昭和22)年の航空写真では向かいにもホームらしきものが見え旅客列車同士の交換もできたようだが1961(昭和36)年ではホームが無くなっているようにも見えます。

DSC_1565 (66)
宝積寺寄りの一般貨物扱いの側線跡。車止めに名残があります。
一般貨物扱いは麒麟麦酒専用線ができた頃には無くなっていたようです。
キリンビール専用線ができる前の烏山線一般貨物は宇都宮機関区のDD13が牽引しており、ビール列車は同機関区DE10重連による牽引だったとか。

DSC_1565 (69)
一般貨物側線の横には立派な石積み倉庫が並びかつての貨物の賑わいを彷彿とさせます。

DSC_1565 (72)
宝積寺方から構内を見た様子。こちらもレールが曲がっており、右には安全側線跡らしき線路式の拡がりがあります。
上り出発信号機か入換信号機の台座らしきコンクリートの土台もありました。
専用線はここから本線上を宝積寺方へを600mほど行ったところで分岐します。

DSC_1565 (75)
中央に専用線の安全側線にあった線路終端標識が見えてます。その右付近で烏山線から左へ専用線が分岐、中央の草地を烏山線と並行して続いていました。
中央から左の木立に囲まれた広大な敷地がキリンビール栃木工場跡。
7年前まで現役だった工場ですが2017(平成29)年5月現在は更地になって何も残っていない様子。

DSC_1565 (77)
専用線安全側線の線路終端標識。行灯式の立派なものですが夜間の運転もあった・・・又は想定されていたのでしょうか?

DSC_1565 (83)
線路2本分の敷地がありますが実際専用線として使われたのは北側・・・柵の右側の敷地だけ。
授受線を2本敷く計画が建設時には縮小されて1本になってしまったのでしょうかね。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 00:36:08 | Trackback(0) | Comments(0)
岐阜セメント富秋工場専用線(谷汲鉄道北野畑駅)~その2~
谷汲線北野畑駅の専用線続き。

DSC_1392_201705102321221db.jpg
駅舎の入り口から構内を見た様子。
現在周辺に人家はありません。なお開業時も人家は無く石灰石用の貨物駅、又は信号場と言った方が良いような状態だったようです。
鉱山でサイレンが鳴ると発破の音が轟きます。
本巣の専用線の運転は12時過ぎだったので正午のサイレンが鳴ると沿線で構えるという習慣になっていました。
そのため11時40分頃に発破予告のサイレンが鳴ると正午のサイレンと誤認し「あれ?もう12時!?」と慌てたことも(笑)

img056-2.jpg
谷汲山命日の列車増発。これが谷汲線現役時最後の命日輸送でした。
モ513+モ514黒野行きが待っているところへモ751+モ755谷汲行きが到着。
右の草叢が専用線跡です。
撮影:2001(平成13)年9月18日

DSC_1394_20170510232124d8b.jpg
島式の旅客ホームの向こうには専用線貨物ホームの石積みが残っています。
専用線は下り線(島式ホームの向こう側)の奥側に平行して延びていた様子。
黒野方、谷汲方どちらからも進入できたような配線だったのか一方からしか進入できない線形だったのかは不明。
このホームから袋詰めセメントを無蓋車に載せて忠節まで運んでいたようです。

DSC_1397_201705102321259af.jpg

●機関車代用電車
谷汲鉄道、美濃電気軌道は電気機関車など持っておらず電車が貨車を牽引していました。
何れも二軸単車でデロ1が木製、後の3形式は半鋼製で当時のボギー電車を半分に割ったような車体を持っていました。
mei-mc105.gif
谷汲デロ1(後の名鉄モ50→モ100) 1926(大正15)年 日本車輌製
イラストは名鉄時代のイメージ

DSC_0473_20170511231233f7b.jpg
美濃電セミシ64(後の名鉄モ60→モ110→連接車改造モ400) 1926(大正15)年 日本車輌製
セミシ64、65→モ61、62→モ110、111を1952(昭和27)年に2車体1組の連接電車モ400形モ401号に改造。
1973(昭和48)年廃車後に愛知県岡崎市の岡崎南公園で保存 2011(平成23)年3月21日撮影

mei-mc127.gif
谷汲デロ7(後の名鉄モ80→モ130) 1927(昭和2)年 日本車輌、藤永田造船所製
美濃電セミシ67(後の名鉄モ70→モ120) 1927(昭和2)年 日本車輌、藤永田造船所製
イラストは名鉄時代のイメージ

●貨車
無蓋貨車は以下のような陣容。ただし美濃電の貨車は笠松線(現・名鉄名古屋本線と竹鼻線の一部)、美濃町線にも配置されていましたがどの車両が北方線(後の名鉄揖斐線)配置だったかはわかりません。
谷汲チ1,2→ト53,54 1926(大正15)年 日本車輌製 名鉄合併時引継ぎ?
美濃電トフ301~318 1912(大正元)~1919(大正8)年、製造所不明(一部は日本車輌と判明)
美濃電トフは名鉄引継ぎ前に大部分が休車になっていたようで末期は一部が保線用にトフ30形として残っていた様子。
最後のトフ32が1960(昭和35)年廃車。

参考文献
谷汲線 その歴史とレール―ローカル線からかいま見る激動の日本と世界(大島 一朗/著 岐阜新聞社)
RMライブラリー129 名鉄岐阜線の電車-美濃電の終焉-(上)(清水 武/著 ネコ・パブリッシング)

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 19:38:06 | Trackback(0) | Comments(0)
岐阜セメント富秋工場専用線(谷汲鉄道北野畑駅)~その1~
住友大阪セメント岐阜工場へ石灰石を供給する鉱山の一つは工場から根尾川を隔て右岸にあります。
鉱山の前には2001(平成13)年10月1日に廃止された名鉄谷汲線北野畑駅がありました。
img058.jpg
北野畑駅の駅舎 2000(平成12)年5月撮影

img056.jpg
谷汲線は1927(昭和2)年製のモ750形が2001(平成13)年9月30日の最終運行日まで使われ、毎月18日の谷汲山命日など電車が増発されるときには北野畑駅で列車交換が行われ駅員さんによるタブレット(正確にはスタフ)扱いが見られました。
この谷汲線が石灰石輸送に使われたことはあまり知られていません。

●谷汲鉄道と石灰輸送
1926(大正15)年4月6日に谷汲山華厳寺への参詣鉄道として黒野~谷汲が開業しており、貨物輸送の比重は微々たるものでしたが北野畑駅そばへ1936(昭和11)年岐阜セメント富秋工場ができたことで貨物輸送量が急に延びます。
工場名の富秋は当時の自治体名で岐阜県揖斐郡富秋村(1954(昭和29)年4月1日に町村合併で大野町となる)から来ています。
1937(昭和12)年には工場に支障する北野畑駅付近の線路、駅を移設、新駅には専用線も敷設されました。
これらの工事費は岐阜セメントが負担したそうです。

tanigumi-freight.png
当時は美濃電気軌道北方線を介して岐阜市街と長良川を挟んで北の忠節までレールがつながっていましたが市内線とは線路がつながっておらず離れ小島の路線でしたがこれだけの短距離でも道路がしょぼかったため貨物輸送が延びたのでしょう。

●岐阜セメント工場の撤退
工場が置かれてまだ間もない1939(昭和14)年、岐阜セメントは南満州鉄道系列の満州軽金属工業に売却され、富秋工場の設備は満州の安東(現在の中華人民共和国遼寧省丹東市)へ移されてしまい北野畑駅専用側線も撤去されます。
その後は助六石灰工業の手で採掘が再開、側線も敷き直されたそうですが輸送量は岐阜セメント時代と比べれば少ないものでした。
専用線がいつ頃まで使用されたかはわかりませんが戦後助六石灰工業は磐城セメントと合併、本格的な開発は1960(昭和35)年川崎セメント大垣工場→磐城セメント岐阜工場ができてからとなります。
その時には貨物は本巣からの専用線、樽見線経由となっており名鉄谷汲線経由の輸送はなかったはずです。

DSC_1379_20170510230620f0c.jpg
旧・北野畑駅黒野寄りで谷汲線の下をくぐり根尾川をトラス橋で渡り住友大阪セメント岐阜工場へ延びるベルトコンベア。

DSC_1380.jpg
路盤にはキロポスト(黒野起点5.5km)が残ってます。
鉱山ができる前の旧線はこの左側に並行して延びていたようです。

DSC_1384.jpg
新線と旧線(いまとなってはどちらも線路跡ですが- -;)を挟んで鉱山の砕石散布塔と砂利山が見えます。

DSC_1385_20170510230624300.jpg
踏切跡から見た北野畑駅構内。専用線は左に分岐していたようですが正確な線路配置は不明。

DSC_1389.jpg
北野畑駅の駅舎と旅客ホーム跡。1枚目の駅現役時画像とほぼ同じ位置から撮影。
2000(平成12)年には青々と茂っていた坪庭の木は枯れてしまいました。

参考文献
谷汲線 その歴史とレール―ローカル線からかいま見る激動の日本と世界(大島 一朗/著 岐阜新聞社)


テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 23:17:03 | Trackback(0) | Comments(0)
住友大阪セメント岐阜工場専用線(樽見鉄道本巣駅)~その3~
DSC_1324_201705062127123a0.jpg
用水路の橋の先でカーブして再び真北を目指します。

DSC_1322_20170506212711082.jpg
住友大阪セメントの社宅の横を行く専用線跡。

画像 019
同じ場所の専用線現役時代。
2006(平成18)年1月28日撮影

DSC_1319.jpg
緩い勾配を登りながら300mほどで工場ヤードの南端に達します。

DSC_1317.jpg
かつてのヤード南端に専用線廃止後新しい道ができました。

DSC_1313.jpg
タキ1900、12200、19000がたむろしたヤードはレールが無くなった以外はそのまま。

IMG_0704.jpg
ここではよく貨車の写真を撮りました。
タキ19171。旧・大阪セメントの近江長岡駅常備。
2003(平成15)年3月29日撮影

IMG_0705.jpg
電化セメントのタキ12250。電化セメントの出荷も行っていました。
この近辺で電化セメントのSSは坂祝にありましたが電化セメントの鉱山・工場がある青海から出荷していては距離が遠く輸送コストもかさむため会社同士で出荷元が需要先の近隣になるよう交換し合っているとか。
2003(平成15)年3月29日撮影

DSC_1309.jpg
かつてヤードを横断していた踏切から工場側を見た様子。
右のサイロに描かれている絵が、専用線現役時はホタルの絵でしたがいつの間にか本巣市のゆるキャラもとまるに変わってます。

DSC_1312.jpg
工場内の配置は線路が撤去されて舗装された以外変わってない様子。
車庫や積込み施設の上屋もそのまま。

IMG_1121.jpg
以前は工場入口にこんな雷太鼓のような踏切警報機がありました。
音はベルが断続的に鳴るタイプでした。
2005(平成17)年11月12日撮影


テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

専用線跡 | 21:49:56 | Trackback(0) | Comments(2)
次のページ

FC2Ad

まとめ