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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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名古屋鉄道名古屋本線大里駅の貨物側線(?)跡
名鉄でこの駅貨物やってたんだ・・・と意外性の大きい駅の一つ。
名古屋鉄道車両史上巻(清水 武、田中 義人/著 アルファベータブックス/刊)の1943(昭和18)年4月1日時点の構内配線図を見ると行き止まり式の貨物側線と貨物ホームらしきものが描かれています。
しかし1950(昭和25)~1957(昭和32)年度の愛知県内の私鉄各駅の貨物輸送量が記載された愛知県統計年鑑(愛知県)には一度も貨物取扱い量の記録がないことから相当に早い時期に貨物営業を廃止していた様子。
よくわからないのでタイトルも貨物側線(?)にしています。

P1090084.jpg
駅舎とアパートが一体化した構造の大里駅舎。
駅の南方(豊橋方)で名古屋本線が東海道新幹線と交差しています。
名古屋鉄道(初代)が名古屋電鉄、尾西鉄道、美濃電気軌道など各社が細切れで開業していた各線をつないで名古屋~岐阜をつなぐ名岐線とすべく路線延伸していた最中の1928(昭和3)年2月3日に大佐土駅として開業しています。

P1090104.jpg
普通のほか本数が僅かな準急と朝夕の急行、ごく一部の快速急行が止まる微妙な状態。
名鉄をよく知らない人にとっては結局どの列車に乗れば止まるのか??という複雑怪奇な駅かも・・・(^ ^;)
今では複線の本線があるだけで側線などの分岐は皆無。
側線があった当時は上下線間に渡り線もありました。

P1090091.jpg
貨物側線は名鉄岐阜方から西側に分岐して行き止まりのごく簡単な配線
通過中の名鉄岐阜行2300系特急の右に側線が分岐していた名残の敷地が拡がっています。

P1090087.jpg
途中には開渠の跡も。Iビームを固定していたであろうボルトも残っています。
異様に浅い水路ですぐに水が付くのではないかと思われそうですが実際田植えの時期になるとよく冠水します。
田園地帯なので田植え期になると水路は目一杯に水が流れ田んぼの中の低い道路が冠水する光景は日常茶飯事・・・。

P1090102.jpg
下りホームの名鉄岐阜方末端部から見た貨物ホーム、側線跡。名鉄パーキングになって跡形もなし。
側線があった当時旅客ホームは現在より短く、奥に見える石積み部分だけだったものと思われます。

P1090100.jpg
ホーム上から見た側線の橋台が残る開渠。鉄製アングル架線柱が側線の真ん中付近に建てられています。
この電柱の建植時期はわかりませんが相当に古そう。側線橋台の上部が大きく欠損しているのも気になります。
1つ心当たりがあるのは60年前の衝突事故。
伊勢湾台風から間もない1959(昭和34)年10月11日夜に大里駅南方の踏切で岐阜行特急電車(初代5000系)がオート三輪と衝突転覆する事故が発生しています。
オート三輪を引っ掛けたまま大里駅に突入し岐阜方で転覆して前3両が線路脇の水田へ転落し9人死亡、120人以上負傷と言う大惨事になっています。

大里駅付近には特に大きな工場は無く当時の航空写真を見ても人家も少ない田んぼの中の駅という状態でした。
考えられそうな輸送品目は発送:農作物、到着:肥料が多そうですが確証は有りません。

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貨物側線跡 | 23:33:34 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋鉄道名古屋本線西枇杷島駅の側線群~その3~
戦前の枇杷島デルタ線付近航空写真。
撮影時期不明とのことですが既に西枇杷島~犬山方面の短絡線があること、名古屋本線新名古屋駅方面への線路がまだ建設されておらず押切町、柳橋への旧線しかないことからすると昭和10年代前半の撮影と見られます。
biwajima-map1.jpg
上の航空写真撮影と同時期の地上の写真も。
土木学会図書館所蔵の西枇杷島駅周辺が写された絵葉書の掲載許可を頂きましたので載せます。
名岐線(現・名古屋本線)押切町~新岐阜がつながり名古屋~岐阜間に大型のデボ800形を使用した特急電車も走り始めて1年ほどの情景で1936(昭和11)年4月撮影。
国道12号線(→国道22号→現・県道67・190号)の絵葉書なので鉄道主体ではないのですが枇杷島デルタ線の様子がよく写し取られています。
biwajima-a1.jpg
枇杷島陸橋岐阜方(北)から名古屋方面を見た様子。
陸橋右に西枇杷島駅のホームや機関車がぼんやりと見えています。
(土木学会附属土木図書館 土木図書館デジタルアーカイブスより許可を得て転載)

biwajima-a2.jpg
枇杷島陸橋下の踏切。
橋脚の間から見える機関車は電車改造電機のデキ50形。
西枇杷島の入換専用だったのでしょうか。
(土木学会附属土木図書館 土木図書館デジタルアーカイブスより許可を得て転載)

mei-deki51-1.gif mei-deki51-2.gif
名古屋電気鉄道時代168号形→デシ500形2軸電車をボギー車化して製作した電気機関車。
戦時中に2台が2軸台車に戻されてデキ30形となりデキ51のみがボギー車デキ50形として残りました。
瀬戸線小幡のデキ31竹鼻線西笠松のデキ32でも紹介しましたがこの頃は3台ともボギー車のデキ50形だったのでどの車両かまでは特定が難しそう。
パンタ搭載位置が車端部なのでデキ51かデキ52→デキ31のどちらかでしょうね。
当時の名岐線電車の多くは名古屋市電経由で柳橋乗入のため集電装置は中央に鉄道線用パンタグラフ、両端に軌道線用ポールを装備していましたがこの画像のデキ50形は市電乗り入れは想定しなかったようです。

biwajima-a3.jpg
手前の線路は名岐線(現・名古屋本線)。奥に単線の短絡線があり、合流したところが西枇杷島駅。
この頃はまだ戦時中増設のヤードや貨物ホームがなく、現在の旅客駅の位置で貨物も取り扱っていたようです。
この写真は枇杷島分岐点の信号扱い所から撮影したもののようです。
(土木学会附属土木図書館 土木図書館デジタルアーカイブスより許可を得て転載)

P1080874.jpg
現在もデルタ線の中に建つ信号扱い所の建物。
手前は名古屋本線、左手前方向が西枇杷島駅です。

biwajima-a4.jpg
改修前の国道・・・というよりは枇杷島青物市場の写真と言うべきか。
後方の東海道本線のガード上を通過して行く2軸貨車のジョイント音や市場の喧騒が聞こえてきそうな好みの1枚~。
この道は東海道の熱田と中山道垂井をつなぐ美濃路で、この街道沿いに江戸時代初期より青物市場が発達。
名鉄郡部線(名古屋本線、犬山、津島線など)が開業すると農産品の集約に便利な位置にあることから益々栄えていました。
線内輸送なので小回りが利く電動貨車が多用されたのでしょうか。
(土木学会附属土木図書館 土木図書館デジタルアーカイブスより許可を得て転載)

P1080863.jpg
西枇杷島市場の記念碑。
江戸時代から栄えた市場も手狭なため名古屋市熱田区の名古屋市中央卸売市場や1955(昭和30)年開場の東枇杷島の枇杷島市場(現在は豊山町へ再移転して北部市場)へ移され現在では住宅街になっています。

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貨物側線跡 | 22:39:27 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋鉄道名古屋本線西枇杷島駅の側線群~その1~
とある森林鉄道に関して執筆活動やその他もろもろのためブログに大穴開けてます。
何故かひとつ忙しくなるとドミノ的に関連性のないことまで忙しくなってしまうのは何故なんでしょうね??
やりがいのある事で忙しくなることは有りがたいことなのですが今秋まではこんな状態かも・・・(^ ^;)

2019(平成30)年3月16日のダイヤ改正で列車の待避が無くなったという名鉄名古屋本線西枇杷島駅。
普通列車のみ停車でこの駅を通る列車の殆どは通過列車で停車するのは30分に1本の普通のみ。
名古屋に近いのに停車列車数は異様に少ないです。
600m西に準急停車駅の二ツ杁駅があるのでそちらを使った方が便利な気もします。

P1080819.jpg
西枇杷島駅舎
旧国道22号線の古典的な陸橋下に建つ木造モルタルの駅舎。
トランパス導入で駅前に券売機の建屋が増築されていますが昔ながらの駅舎がこれまで残されていました。

P1080889.jpg
名鉄全線を見てもこのような昔ながらの駅舎はここ15年ほどの間にほとんどが姿を消しました。

P1080884.jpg
旅客ホームが極細のため停車列車が来る直前の列車が通過するまで改札口の遮断機が開かないことで知られる独特の駅でしたが待避線が不要になったことでホームを拡幅、独特の改札風景も解消します。

P1080885.jpg
駅員配置はあるものの安全要員で切符の販売は自販機のみで窓口は閉鎖されています。

P1080893.jpg
西枇杷島を象徴する極細ホーム。
旅客はこんな状態で戦時中は休止されていたほど・・・しかしこの駅の重要性は貨物扱いにこそありました。

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貨物側線跡 | 22:36:59 | Trackback(0) | Comments(2)
名古屋鉄道瀬戸線小幡駅の貨物側線~その2~
obata-map.png
入換機留置線から瀬戸電上下本線を挟んで南に貨物側線と貨物ホームがありました。
また図中下りホームの左側(堀川側)にも何やら側線が見られます。
到着する貨物列車の編成によって入換機が待機する位置を変えるため設けたもう一つの入換機留置線かも知れませんがよくわかりません。

P1070787.jpg
小幡駅橋上駅通路の南側より尾張瀬戸方面を見た様子。
駐輪場の建物付近に貨物ホームがあったものと思われます。

P1070782.jpg
P1070783.jpg
貨物ホーム跡の駐輪場から尾張瀬戸方に延びる引上線と思われる跡は駐車場になっていましたが連続立体交差化の工事のため使用中止になっている模様。
高架化されたら側線跡はどんな風になるでしょうね。

P1070795.jpg
堀川方(現在は線路付替えで栄町方)の側線跡は道路になって難の面影も無し。
吊り掛け6750系が走っていた頃よく電車を撮影したポイントですが側線があったような雰囲気は皆無でした。

P1070796.jpg
小幡駅の上りホームから下りホームを見ていると軌道線の低床ホーム時代の名残が。

P1070797.jpg
このスロープの形からするとかつてはこの右付近に下りホームから上りホームへ渡る構内踏切があったのでしょう。

obata_20190421212932eb0.png
愛知県統計年鑑から作成した1950(昭和25)~1957(昭和32)年度の小幡駅貨物取扱量推移。
到着が圧倒的に多いので山田タイルで使用するタイル原料の陶土や燃料の石炭が多かったのでしょうか。

参考文献:
愛知県統計年鑑(愛知県)
名古屋鉄道車両史 上巻(清水 武、田中 義人/著 アルファベータブックス/刊)


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貨物側線跡 | 21:51:15 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋鉄道瀬戸線小幡駅の貨物側線~その1~
名鉄瀬戸線は名古屋と瀬戸市をつなぐ路線ですが元は瀬戸電気鉄道で現在も他の名鉄線と接続が無いため独特の雰囲気があり近隣の人には今も「せとでん」の愛称で親しまれています。
磁器が瀬戸物と言われるだけあって焼き物の産地瀬戸市から瀬戸電による陶磁器輸送が盛んでしたが途中駅からも貨物輸送が行われていました。

P1070792.jpg
小幡駅はかつて近くの竜泉寺をイメージしたという味のある丸い駅舎が名物でしたが今は典型的な大都市近郊駅。
現在は名古屋市守山区で名古屋市バスも発着しますが貨物輸送が行われていた頃は守山市という別個の市でした。

obata.png
国土地理院の1948(昭和23)年米軍撮影空中写真より小幡駅付近を見た様子。
駅の南にかつては山田タイル(現・KYタイル)守山工場が存在し原材料の搬入や製品の搬出に使われていたとのこと。
貨物側線の入換機として電動貨車や電車改造電機も配置されていました。

obata-map.png
1943(昭和18)年当時の小幡駅配線図。
名古屋鉄道車両史 上巻(清水 武、田中 義人/著 アルファベータブックス/刊)掲載の名鉄線配線図を元に作成。
昭和30年代の写真を見ても駅東側の配線は変わっていなかった様子。
戦前の瀬戸電は軌道線で電車も大型ステップ付きの路面電車タイプで、電車は単行かサや貨車を1両を牽く程度のため旅客ホームも短いものでした。

P1070774.jpg
現在の小幡駅。今では乗降客も増え全列車が4両編成。
準急尾張瀬戸行4000系が止まっている辺りかその若干手前がかつての下り(尾張瀬戸方面)旅客ホーム末端と思われます。
留置線はその手前側(尾張瀬戸側)にありました。

P1070778.jpg
橋上駅舎上から尾張瀬戸方面を見た様子。
小幡~大森金城学院前は交通量の多い瀬戸街道(愛知県道15号名古屋多治見線)や国道302号線と交差するため高架化工事が進められていますが踏切の奥に留置線が分岐していた線形が残っています。
手前の自転車置き場辺りに1960(昭和35)年まではデキ31が留置されていたのでしょう。

P1070781.jpg
留置線分岐部。
貨物側線(引上線)は踏切を挟んで向かいの線路沿いに細長く続く駐車場(跡?)になっています。

P1070780.jpg
留置線跡を尾張瀬戸寄りから見た様子。
跡地はホームの延伸スペースや駐輪場に利用されています。

mei-deki31-1.gif  mei-deki31-2.gif
かつての小幡駅のヌシだったデキ30形31。
元は名古屋電気鉄道の1912(大正元)年名古屋電車製作所製168号型193号。
番号は以下のように変遷しています。
193→526→デシ526→デワ52(?)→デキ52→デキ31 1960(昭和35)年8月廃車
竹鼻線西笠松駅の側線入換に使われたデキ32とは同形式ですがパンタが中央に設けられていたり前照灯の位置が違ったりと微妙に形態に違いが出ていました。
本線系から瀬戸線に移ってきたのは戦後だったようです。

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貨物側線跡 | 23:33:54 | Trackback(0) | Comments(0)
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