投稿日:2019-11-23 Sat
うだつのある街並みで知られた美濃市街より高台に上ったところにある駅。
長良川鉄道越美南線美濃市駅。
旧名鉄美濃町線美濃駅に近いですがこちらの方がより町外れ側。

駅前左手に上る坂道の先に貨物ホームがあります。

貨物ホームと貨物側線が2本。
現在も保線用に使用されています。
白い北陸重機製モーターカーが置かれています。

軌道モーターカー
北陸重機工業2011(平成23)年5月製18t機
製番:3181-M01
型式:HDMB-18MP

飛騨小坂駅に置いてあったものと同じ型。
以前JR東海名古屋工場に同じような白いモーターカーがいましたがもしかして同一個体?
18という番号が書かれていますが長良川鉄道で18台もモーターカーがいたとは思えません。
自重を番号にしている??

旅客ホームから見た貨物側線と貨物ホーム。
越美通運の車庫もあり貨物扱いが行われていた頃の面影を感じさせます。

岐阜県統計書(岐阜県)を元に作成した越美南線美濃市駅の貨物取扱量。
1960(昭和35)年度の取扱量だけが妙に多いですね。
その後は横ばいか漸減で越美南線貨物扱い廃止の1974(昭和49)年度まで貨物扱いが行われていました。
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投稿日:2019-10-30 Wed
近鉄名古屋線の愛知県内区間で唯一貨物営業していたことが確認された米野駅。この先はもう地下の行き止まり式ホームの近鉄名古屋駅で機回しもできないのでプッシュプルの保線列車のような形態でもない限り電気機関車はここまでしか入れないはず。
実際標準軌化後のデ21、デ32は保線貨車を挟んでプッシュプル編成(多分後ろは無動力のプッシュプルもどき)を組んでたようです。
米野駅での貨物扱いは1067mm時代末期まで行っていたようですが量は僅かで1日にワやト1台分程度。
すぐ隣に全国ネットワークの国鉄笹島貨物駅があったことを考えると近鉄沿線へ貨物を運ぶ非常に限られた需要しかなさそう。

ささじまライブ駅の歩道橋から見た米野駅。
手前からあおなみ線、関西本線、名古屋車両区の広大な構内が拡がりその片隅にポツンとある下町の駅。

表から見るとバックがささじまライブのビル群とあってさらに小さな印象の駅舎。これでも有人駅です。
なおあおなみ線ささじまライブ駅とは至近距離ですが向こうは新興市街地でこっちは下町と駅前の雰囲気もまるで違います。

貨物列車が発着していたとすると現在米野車庫への入出庫線として使用されている3番線(右の線路)と思われます。
航空写真で見ても貨物現役時の昭和20年代と駅構内はあまり変わっていない様子。

近鉄難波から近鉄名古屋駅に到着しお客を降ろしてやっと一息つけるとばかりにのっそりと入線して来るアーバンライナー21000系。

名駅(めいえき・・・名古屋の人間は名古屋駅近辺のエリアをこう言います)のビル群を背景に米野車庫へ引き上げて行くアーバンライナー。
現在は近鉄名古屋に発着する特急列車用の楽屋と言う趣の米野車庫。
かつては貨物列車も車庫内に入って機回ししていたのでしょうか。

12410 or 12600?系+12200系の重連が名阪乙特急運用のため出庫~。
米野車庫は敷地面積が小さく現在では郊外に広大な面積を持つ冨吉検車区の分庫的な存在ですが引っ切り無しに特急電車が出入りするため忙しさは変わらないようです。

愛知県統計年鑑よりまとめた1950(昭和25)~1957(昭和32)年度の米野駅貨物発着量。
さほど多くもないので専用の貨物ホームを設けず旅客ホームで貨物積み降ろしをしていたのでしょうかね。
投稿日:2019-09-08 Sun
1回間が開きましたが美濃大久保駅側線跡2回目。

古田石灰工業所線(現在は上田石灰工業が入居)分岐付近から見た様子。
左が美濃赤坂方で右に曲がって行くと昼飯です。

同じ場所から古田石灰工業所線(現在は上田石灰工業が入居)が道路を渡って右の鉄道門へ入っていたと思われる方向を見た様子。

2番線のホーム上にある石灰倉庫。
配線図によるとマルアイ石灰工業のホームとなっていますが現在はそれを示すような表記は全くないので現在も同社の倉庫なのかは不明。

倉庫の裏から末端方面を見た様子。

レールは無くなっても線路終端標は残されていました。

線路終端の壁の上から見た様子。
左から2番線、本線、1番線の順に並んでいます。
現役当時の入換作業を想像するに美濃赤坂、昼飯からワフを先頭に推進運転でやって来た列車は本線に到着してワフを解放。
1・2番線に貨車を置いたり回収したりして組成作業を行い本線のワフを拾って今度は機関車先頭の牽引運転で昼飯、美濃赤坂へ向け発車していたのでしょうね。
投稿日:2019-09-04 Wed
スイッチバック駅の美濃大久保駅。昼飯駅との駅間距離は0.8kmとありますが美濃大久保駅を出てすぐに昼飯駅構内扱いの側線が分岐しており実質一つの構内と言っても差し支えないレベル。

機回し線はあるものの有効長が短く、美濃赤坂から来て美濃大久保駅着の貨車を置くためにはどうしても機関車を前にして来るわけには行きません。
従って美濃赤坂→美濃大久保の列車の先頭にはワフを連結して推進運転するため前方監視、非常ブレーキ扱いを行う乗務員が乗車していました。

昼飯線で使用されていたワフ21000形ワフ21120。
1934(昭和9)年汽車会社製で国鉄から1977(昭和52)年に西濃鉄道へ払い下げられ休止後も長らく美濃赤坂駅構内に留置されていました。現在は貨物鉄道博物館で保存しており修復作業中。私も関係者の1人です~(爆)
西濃時代は左に見えるエアタンクを車内に据え付けて非常ブレーキ、汽笛動作用として使っていたとか。

デッキにはホイッスルの台座が残っています。
同僚にワフ21016がいたのですがダンプと接触事故を起こして廃車されています。
ところが実際にはこのワフ21016がワフ21120とすり替わっている可能性もあるとかで謎を秘めています。

レールが撤去されて草っ原と化した構内を美濃赤坂方から見た様子。

レールがあった頃の同じ場所。
かつて右に分岐して古田石灰工業所(現在は上田石灰工業が入居)へ入る側線(上の図の点線)があったという話も聞いたのですが当時既にそれらしき分岐は有りませんでした。
2002(平成14)年2月25日撮影

かつての古田石灰工業線分岐部と思しき辺り。線路用地の膨らみ方、右前方の門がいかにも線路が入っていそうな向きで建っているのも気になります。
ここに最近まで鉄骨組みの上屋(上の写真にも小さく写っている)があったのですがレールと一緒に撤去されています。
投稿日:2019-09-02 Mon
昼飯駅から隣の美濃大久保駅へ向かいますがずっと側線が続いて美濃大久保駅の傍まで行ってようやく本線と1番線が合流するところ。
市橋線の乙女坂、猿岩、市橋駅が1駅のように側線がずっと連なっているのと一緒で美濃大久保、昼飯も駅間と言えそうな区間がほとんどありません。

昼飯駅構内から東へカーブしながら延びる本線(左)と1番線(右)。
右には河合石灰工業のプラントと積込みホームが点々と続いてました。
線路にユンボが入ってますがこれは線路撤去中ではなく線路脇のプラント工事だったようです。
2002(平成14)年2月25日撮影

夏草に埋もれた昼飯線。河合石灰工業のプラットホームや上屋は健在。

河合石灰工業のプラットホーム、上屋前に線路があった頃。
右に見える貨物上屋の形状が一枚前の写真と一致しています。

線路と中山道(撮影位置)の間に建っていた建物も一緒に取り壊され草地と化しています。
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