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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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東濃鉄道駄知線東駄知駅~その2~
東濃鉄道駄知線東駄知駅2回目~

P1050004.jpg
東駄知駅の機回し線末端付近から土岐市方を見た様子。
バス停の付近には木造駅舎があったそうです。
この機回し線より先にも専用線らしき線路のようなラインが延びていたのが空中写真で見られます(後述)。

P1050006.jpg
駅前広場の区画もそのままの様子。

P1050005.jpg
東駄知駅前の電柱に残る「駄知町東駅」の地名。
駄知駅は「西駅」なのですがそちらでは看板などに表記は見付けられずでした。

e-dachi-map1.png
国土地理院の空中写真から見た1948(昭和23)年4月1日の東駄知駅。
電化される2年前の様子です。
東駄知駅より先の工場に専用側線らしき線路が延びているように見えますが果たして本当に線路なのかは不明。
現在この専用側線らしきライン上は建物になっておりその先には山津製陶(1946(昭和21)年2月20日設立)の工場があります。

e-dachi-f.png
東駄知駅の貨物取扱量の推移。
発送量は元々少なく到着量も昭和30年代には急激に減っています。
1972(昭和47)年度のデータがありませんが1972(昭和47)年3月15日改正のダイヤでは2往復の貨物列車は駄知止まりになっており東駄知までの貨物列車の設定は無くなっていました。

tono-ed1001.gif

tono-cargo2.gif
東濃鉄道ED1001
東芝1950(昭和25)年製28.8t機。
予備機無しで1956(昭和31)年8月5日にモハ101と正面衝突事故を起こした際には復旧まで名鉄デキ379を借りて貨物列車を走らせてたそうですが全般検査など運用に就けないときはどうしていたのでしょうか。
保存されている松尾鉱業鉄道ED251とほぼ同型なのですがそちらは見に行けてません(- -)

DSC_0690.jpg
駄知鉄道11号と同型の西武鉄道7号機
ピッツバーグ1897(明治30)年製軸配置1Cの33.5tタンク機。
伊賀鉄道(現在の伊賀鉄道とは無関係で未成の鉄道)の注文流れで以下のような遍歴。
伊賀1号→阪鶴鉄道(現・JR福知山線)12号→国鉄2850形2850号→駄知11号→日曹炭鉱天塩12号
駄知鉄道には1923(大正12)年に転入したものの大型で使い辛かったのか東濃鉄道成立前の1938(昭和13)年11月4日に廃車。
宗谷本線豊富駅分岐の日曹炭鉱天塩鉱業所専用鉄道に転じて1955(昭和30)年頃まで使われていたそうです。
写真の西武鉄道7号は
伊賀3号→阪鶴13号→国鉄2850形2851号→播丹鉄道(現・JR加古川線)8号→西武8号→7号→日本ニッケル鉄道(→上武鉄道)貸出→西武返却廃車
こちらは1965(昭和40)年まで使われファンが現役時に撮影した写真も残っていますね。
現在は東京都品川区の東品川公園で保存されています。

参考文献:
RM LIBRARY72 東濃鉄道(清水 武/著 ネコ・パブリッシング/刊)
岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)
機関車表フル・コンプリート版(沖田 祐作/編 ネコ・パブリッシング/刊)
山津製陶株式会社ウェブサイ

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貨物側線跡 | 22:42:41 | Trackback(0) | Comments(0)
東濃鉄道駄知線東駄知駅~その1~
東濃鉄道駄知駅から盆地の真ん中へ降り終点の東駄知駅へ。

P1040997.jpg
東駄知駅の直前で小川橋梁を渡ると右手にまたいい感じの木造建築。
こちらは駄知信用組合→駄知小売商業協同組合の事務所だそう。

P1040999.jpg
直進すると100mほどで東駄知駅。
左手にもまた木造建築、こちらは旧農協?

P1050001.jpg
かつての駅構内は隣接していた工場の敷地に組み込まれています。
昭和20年代の航空写真を見ると工場建屋部分にもかつては側線や貨物ホームらしきものが見えますが駄知線廃止直前の写真では電車の背後にこの工場建屋が写っていることから現役時から構内規模は段々縮小されていたのでしょう。

e-dachi-map2.png
昭和40年頃の写真から推定した東駄知駅構内配線。
本当に合ってるかはわかりませんが(^ ^;)

P1050008.jpg
末期は櫛形ホーム1面2線の島式ホームと左端に貨物側線、右側に機回し線があった様子。
アスファルト舗装部分のトラックが止まっている部分から右へ貨物側線、1番線(?)、草地の奥の建屋部分がホームと2番線(?)、機回し線の跡のようです。
土地が右に膨らんでいるところが機回し線分岐の名残。

P1050003.jpg
東駄知駅末端側から。
こちらも土地の膨らみから機回し線の線形がよくわかります。

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貨物側線跡 | 23:00:39 | Trackback(0) | Comments(0)
東濃鉄道駄知線駄知駅の貨物ホーム
1972(昭和47)年7月13日に土岐川橋梁が流失したことで運行休止、1974(昭和49)年10月21日に廃止となった東濃鉄道駄知線。
沿線は窯業の盛んな土地で全駅で貨物営業を行っており末期でも土岐市~駄知に2往復の貨物列車が設定されていました。
車庫が置かれ線名にもなっている駄知は現在土岐市の一部ですが土岐市中心とは山を隔てた別の盆地になっています。
昔からどんぶりの生産が行われており現在駄知にある道の駅の名前も「土岐美濃焼街道どんぶり会館」です。

駄知駅は元はスイッチバック駅で現在は東濃鉄道バスの営業所、車庫になっています。
土岐市から来た列車が終点東駄知へ行く場合、一旦駄知駅に停車し土岐市方にある引上げ線へ入って東駄知へと下って行きました。
そのスイッチバック引上げ線付近に貨物ホームが残っています。
P1040974.jpg
貨物ホーム上から土岐市方を見た様子。
柵に囲まれた遊歩道の位置が引上げ線、その手前の草地に本線と貨物側線がありました。

P1040969.jpg
元の本線と貨物側線の間辺りから見た貨物ホーム。
現在はホーム上、線路跡とも駐車場になっています。

P1040975.jpg
貨物ホーム上から駄知、東駄知方面を見た様子。
こうして見ると鉄道のプラットホームと言うことがよくわかります。
線路上にできた東鉄タクシーの工場、営業所(中央の白い建物)に阻まれ駄知駅構内は見渡せません。
東鉄タクシーと左の煉瓦煙突のある工場の間に続く道が東駄知へ続く線路跡の道。

P1040972.jpg
広大な駄知駅構内。右のバスが止まっている辺りにも上屋付きの貨物ホームがありましたがこちらは跡形もなし。
左に見える電車の検車庫は今もそのままバスの検修庫として現役。

dachi_freight.png
駄知駅の貨物取扱量の変遷。
最終年度の1972(昭和47)年は駅別データが無く不明。
発着量ともに全盛期の1956(昭和31)年から見ると末期は1/5~1/4程度に減っており貨物列車の廃止は水害があろうとなかろうと時間の問題だったように見えます。
貨物の内訳はわかりませんが到着貨物は窯で使う燃料の石炭や原料の陶土、陶石、発送貨物は陶器が主でしょうか。

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貨物側線跡 | 22:47:49 | Trackback(0) | Comments(0)
二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その4~
二俣線(現・天竜浜浜名湖鉄道天浜線)の謎の側線4回目

P1030015.jpg
ホッパーを末端から見た様子。
右の木立の中がホッパー。微妙にカーブした線形そのままのホッパーだったようです。
目測ですがトム車4、5台くらいは同時に積込みができそう。

P1030013.jpg
雨垂川がホッパーの山手に直交して来る箇所では鉄砲水が起きた際の対策なのか護岸が補強されています。

P1030014.jpg
ホッパーのすぐ傍にはよく森林鉄道跡で見掛けるリスの看板~。
国有林ではないので「~営林署」の文字は有りません。
静岡県とあるからには県有林なのでしょうか。
雨垂川の上流には古くから農業用の溜め池があるのですが鉱山があったような記述を豊岡村史からは見付けられませんでした。
一方でネット上の情報では雨垂の森にトロッコがあったという情報が・・・。
採掘に至らなかったかあるいは戦時中のごく短期間だけ存在した鉱山なのでしょうか。

P1030012.jpg
ホッパーから上流側を見ると何やらアヤシゲな構造物が見えます。
石積みの間に隙間がありアーチが架かっています。
どうも水門のような構造ですが小水力発電でも行っていたのか?

nobe-map4.png
ホッパー付近を略図で示すとこんな感じです。
ホッパーに機回し線があったかも知れませんがよくわからないので取り敢えず棒線配置としてます。

二俣線が全通した1940(昭和15)年6月1日当時遠江二俣機関区には8620形蒸機が12台(78649、78661、78663、78664、78665、78691、78692、78695、78697、78698、78699、88633)いたので野部(現・豊岡)駅から構外側線への貨車入換作業もこれらの機関車が行っていたものと考えられます。
後1959(昭和34)年にC58形への置換えが行われこれら8620形は廃車、転属して残念ながらこの中に現存機は有りません。

この構外側線に付いては大きな謎を残したままになってしまいました。
真夏の昼時で外に人影が無く周囲で尋ねることができませんでしたが秋になったら現地で聞き込みをして見ましょうかね(- -)

参考文献:
鉄道ピクトリアルNo.250(鉄道図書刊行会/編) ローカル線を探る 二俣線(奥田 愛三/著)
機関車表フル・コンプリート版(沖田 祐作/編 ネコ・パブリッシング)

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貨物側線跡 | 20:41:37 | Trackback(0) | Comments(0)
二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その3~
二俣線(現・天竜浜浜名湖鉄道天浜線)の謎の側線3回目

P1030002.jpg
雨垂(うたり)川を渡る雨垂橋(1972(昭和47)年3月竣工)には鉄道用の橋台は残ってませんでした。
廃線跡の直上に新しい橋を架け橋台も作り直したのでしょう。
それにしても雨垂で「うたり」と読む地名は風情がありますね。

P1030005.jpg
雨垂の谷が狭まり栗下地区の集落の終りが近付いてきました。
何の関係があるのかシルクロード美術館という施設がありますが浜松の運送会社が元々ここにあった古民家を利用して美術品を展示している様子。

P1030008.jpg
集落を抜けると再度雨垂川を渡りますがこの橋は橋梁名や仮設時期が不明。
渡ると舗装も尽きます。

P1030009.jpg
雨垂川の左岸に戻ったところで間もなく左に土留擁壁が現れます。
この左側はすぐ雨垂川のはずですが何で谷側に擁壁が必要なの(・ ・?)

P1030023.jpg
擁壁の上には鉄筋として入れられたレールの切れ端が飛び出しています。
レールを鉄筋に使うのは珍しいことではないですが何やら怪しげな雰囲気になってきました。

P1030017.jpg
擁壁の区間を側線奥の側から見た様子。
カーブしながら微妙に上り勾配になっています。

P1030019.jpg
擁壁の上を見ると手前と奥の2列で柱の台座が無数に並んでます。
この形状や柱の密度・・・貯鉱用木造ホッパーの土台なのでは?
となるとこの謎の構外側線は鉱山から鉱石を運び出すための専用線だったということでしょうか?

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貨物側線跡 | 00:01:51 | Trackback(0) | Comments(0)
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