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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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養老鉄道(旧・近鉄養老線)友江駅の側線~その2~
養老鉄道友江駅2回目貨物ホーム編。

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友江駅大垣方。本線の転轍機は発条式で、2号線と3号線の分岐は電気転轍機。
というわけで上り列車(桑名方面)は2号線(中央)か3号線(右)に入れる構造。

P1020225.jpg
そしてさらに左手前の1号線奥には貨物ホームが残っています。

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大垣側の踏切から見た様子。
右端の1号線のさらに右(西側)に1線分スペースがあります。

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石積みの貨物ホーム。
貨車は大垣方から押し込むか突放作業で入れてたのでしょう。
友江駅の貨物扱いは1970(昭和45)年11月30日廃止ですがそれまで使われていたのでしょうか。
なお貨物以外に荷物扱いもありましたがこちらも翌1971(昭和46)年9月1日に廃止されています。
養老線にはかつてモニ、クニ(国鉄・JR流に言うとモハニ、クハニ)と言った旅客荷物合造電車がいたのでこれらに小荷物を載せていたのでしょう。

参考文献:
養老線開通70年のあゆみ(近畿日本鉄道養老線西大垣駅 編著)

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貨物側線跡 | 22:01:54 | Trackback(0) | Comments(0)
養老鉄道(旧・近鉄養老線)友江駅の側線~その1~
大垣市郊外の養老鉄道友江駅。
これより大垣寄りは西大垣、美濃青柳と重化学工業系の専用線が接続して工場の駅と言う雰囲気でしたがここまで来ると長閑なローカル線の駅になります。
P1020228.jpg
駅舎は無くなったものの改札口の階段は残りました。
養老線は西大垣や揖斐など改札に階段のある駅が多いですがホームを嵩上げしたためでしょうか?

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2、3号線ホームの向こうには田園風景が広がります。

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現役の1、2号線の東側(左)には3号線がありますがいつの間にか信号機や架線が撤去されています。
かつては貨物列車の発着や待避に使っていたのでしょう。
2000(平成12)年11月に西大垣~東方操車場でデ31、33のさよなら運転がありましたがその時はこの3号線にデ31、33重連が入り定期列車をやり過ごしていた覚えがあります。
その後も回送列車が待避しているのを何度か見掛けましたが使用頻度は低かったです。

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2面3線の国鉄、JR線ではよく見られる配線ですが幅の狭いホームはやはり私鉄らしい雰囲気。

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大垣市制100周年記念ラッピングの610系モ613+ク513の大垣行が入って来ました。
大垣が市制を敷いたのは1918(大正7)年4月1日、養老鉄道(初代)が揖斐まで全通したのは1年後の1919(大正8)年4月27日。
揖斐川とつながる運河が発達し「水都」と呼ばれた大垣、揖斐川水系の河川交通機関を代替すべく開通した養老鉄道ですが今では物流は完全に国道258号に移行。
それだけでなく県境を挟んだ大垣~桑名のつながり自体も薄れてしまった感があります。

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貨物側線跡 | 23:37:42 | Trackback(0) | Comments(0)
三岐鉄道丹生川駅青川砂利採取線~その2~
三岐鉄道丹生川駅青川砂利採取線の続き。

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三岐線と並行して青川のそばまで降りてきた砂利線跡の道。
この辺で右にカーブしていたのですがカーブ築堤は圃場整備で消え失せた様子。

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三岐線は青川橋梁を渡り伊勢治田駅へと向かっています。

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かつて河原の線路だった場所にはソーラーバッテリーが並んでいます。
昔は今よりも広い範囲に砂利の河原が拡がっていたようですが貨車でみんな運び出されて跡地が畑→ソーラーバッテリー発電プラントになったのでしょうか。

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振り返ると三岐線青川橋梁のバックに青川の源流である鈴鹿山脈が聳えます。
因みに青川上流部は砂防ダムで砂利を止めてるものの航空写真で見ると堆積量がかなりの量に上るようです。
川砂利採取は河床低下を招くとして各地の河川で禁止されましたがこちらの場合は上流部の川砂利を持っていかないと土石流になって下流に押し寄せて来るのでは?という心配が・・・(- -;)

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西藤原駅で保存されている三岐鉄道E101型E102号
三岐鉄道開業に合わせ用意された1931(昭和6)年汽車会社製の軸配置1C1のタンク機。
自重43.5tと私鉄では大きめのタンク機で青川砂利採取線にも入っていたものと思われます。
ボイラー前頭部脇には後付けの空気ブレーキ用のコンプレッサが目立ちます。
余談ですがこの空気ブレーキ改造工事の竣工届が青川砂利線延長認可申請を出した1934(昭和9)年3月27日前日の3月26日付けでした。
それまでの2年半は林鉄のように貨車数両おきに乗務するブレーキ手がブレーキを掛けていたのでしょうか。
セメントや砂利など貨物事業の拡大に伴い安全強化策としての空気ブレーキ化だったのでしょうね。

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貨物側線跡 | 22:39:44 | Trackback(0) | Comments(0)
三岐鉄道丹生川駅青川砂利採取線~その1~
三岐鉄道三岐線丹生川駅から青川の河原へ川砂利輸送のため延びていた青川砂利採取線。
貨物鉄道博物館のお膝元であり以前から噂には聞いていましたが具体的にいつ頃敷かれたものかはよくわかっていませんでした。
鉄道省の記録を見ると三岐鉄道が1934(昭和9)年3月27日に構外側線延長の認可申請を提出、4月には受理されたようです。
延長目的は砂利積込みの利便と運搬能力の増大のためとのこと。

延長線区間のスペックは以下の通り
延長:415m20
動力:蒸汽
最小曲線半径:150m
最急勾配:17‰



いつ頃まで構外側線があったかはわかりませんが戦後まではあったようです。
電化後も生き残ったかは微妙なところ。

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丹生川駅の貨物鉄道博物館前。
貨鉄博の建屋として残る貨物倉庫は砂利線廃止より後につくられたものと思いますが台座となる貨物ホームは古そうな石積みも見られ当時もあったのかも。

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貨鉄博の展示線の位置に砂利線が延びていたものと思われます。

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展示線の車止めより先は草むらになってますが三岐線自体よりも高く何故か盛り上げられた様子。
青川を渡るため高さを保つ三岐線に対し砂利線は河原へ下って行くので砂利線現役時代にこんな盛り上がりがあったとは思えずよくわからない地形です。周囲の農地整理の結果こうなったのかも(・ ・?)

P1010251.jpg
その先は砂利線は道路に。
三岐線は丹生川駅のある台地から飛び出し築堤で青川へ向かいます。

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青川砂利採取線跡の道。
ゆるゆると下って行く感じは確かに線路が敷けそうなレベルの勾配。
ここが17‰の区間なのでしょうかね?
貨鉄博に来て走行写真撮影に良さそうな場所を探してこの道を歩いた方も多いのでは?



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貨物側線跡 | 22:56:44 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道近江本線日野駅の貨物側線~その2~
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LEカーの給油設備。
すっかり夏草に埋もれてます。

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貨物ホームはかつて倉庫が建っていたらしく結構敷地が広いです。

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貨物ホーム上から駅構内を見た様子。
手前の側線は定期的に車両が入っている様子。
電車の夜間滞泊があるのでしょうか。
貨物側線はそのもう一本手前に敷かれていたようで1線分のスペースがあります。

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駅前から貨物ホームへ至る道。広いホームとは言え貨物ホーム上にトラックが入ったら折り返しが大変そう。
かつては駅前には日通事務所があったそうで貨車入換用にタグローダーもいたということはそれなりの貨物取扱量があったのでしょうね。
日野駅がいつまで貨物営業していたかは未調査です(^ ^;)
なおモユニによる郵便荷物列車は1984(昭和59)年2月1日改正まで日野駅発着がありました。

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貨物ホームから駅前に出ると昔の銀行と思しき建物があります。

日野商人の町なので貨物も農産物や肥料だけではなさそうな気がしますが主な取扱い品は何だったのでしょうね。

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貨物側線跡 | 21:15:18 | Trackback(0) | Comments(0)
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