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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その4~
二俣線(現・天竜浜浜名湖鉄道天浜線)の謎の側線4回目

P1030015.jpg
ホッパーを末端から見た様子。
右の木立の中がホッパー。微妙にカーブした線形そのままのホッパーだったようです。
目測ですがトム車4、5台くらいは同時に積込みができそう。

P1030013.jpg
雨垂川がホッパーの山手に直交して来る箇所では鉄砲水が起きた際の対策なのか護岸が補強されています。

P1030014.jpg
ホッパーのすぐ傍にはよく森林鉄道跡で見掛けるリスの看板~。
国有林ではないので「~営林署」の文字は有りません。
静岡県とあるからには県有林なのでしょうか。
雨垂川の上流には古くから農業用の溜め池があるのですが鉱山があったような記述を豊岡村史からは見付けられませんでした。
一方でネット上の情報では雨垂の森にトロッコがあったという情報が・・・。
採掘に至らなかったかあるいは戦時中のごく短期間だけ存在した鉱山なのでしょうか。

P1030012.jpg
ホッパーから上流側を見ると何やらアヤシゲな構造物が見えます。
石積みの間に隙間がありアーチが架かっています。
どうも水門のような構造ですが小水力発電でも行っていたのか?

nobe-map4.png
ホッパー付近を略図で示すとこんな感じです。
ホッパーに機回し線があったかも知れませんがよくわからないので取り敢えず棒線配置としてます。

二俣線が全通した1940(昭和15)年6月1日当時遠江二俣機関区には8620形蒸機が12台(78649、78661、78663、78664、78665、78691、78692、78695、78697、78698、78699、88633)いたので野部(現・豊岡)駅から構外側線への貨車入換作業もこれらの機関車が行っていたものと考えられます。
後1959(昭和34)年にC58形への置換えが行われこれら8620形は廃車、転属して残念ながらこの中に現存機は有りません。

この構外側線に付いては大きな謎を残したままになってしまいました。
真夏の昼時で外に人影が無く周囲で尋ねることができませんでしたが秋になったら現地で聞き込みをして見ましょうかね(- -)

参考文献:
鉄道ピクトリアルNo.250(鉄道図書刊行会/編) ローカル線を探る 二俣線(奥田 愛三/著)
機関車表フル・コンプリート版(沖田 祐作/編 ネコ・パブリッシング)

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貨物側線跡 | 20:41:37 | Trackback(0) | Comments(0)
二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その3~
二俣線(現・天竜浜浜名湖鉄道天浜線)の謎の側線3回目

P1030002.jpg
雨垂(うたり)川を渡る雨垂橋(1972(昭和47)年3月竣工)には鉄道用の橋台は残ってませんでした。
廃線跡の直上に新しい橋を架け橋台も作り直したのでしょう。
それにしても雨垂で「うたり」と読む地名は風情がありますね。

P1030005.jpg
雨垂の谷が狭まり栗下地区の集落の終りが近付いてきました。
何の関係があるのかシルクロード美術館という施設がありますが浜松の運送会社が元々ここにあった古民家を利用して美術品を展示している様子。

P1030008.jpg
集落を抜けると再度雨垂川を渡りますがこの橋は橋梁名や仮設時期が不明。
渡ると舗装も尽きます。

P1030009.jpg
雨垂川の左岸に戻ったところで間もなく左に土留擁壁が現れます。
この左側はすぐ雨垂川のはずですが何で谷側に擁壁が必要なの(・ ・?)

P1030023.jpg
擁壁の上には鉄筋として入れられたレールの切れ端が飛び出しています。
レールを鉄筋に使うのは珍しいことではないですが何やら怪しげな雰囲気になってきました。

P1030017.jpg
擁壁の区間を側線奥の側から見た様子。
カーブしながら微妙に上り勾配になっています。

P1030019.jpg
擁壁の上を見ると手前と奥の2列で柱の台座が無数に並んでます。
この形状や柱の密度・・・貯鉱用木造ホッパーの土台なのでは?
となるとこの謎の構外側線は鉱山から鉱石を運び出すための専用線だったということでしょうか?

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貨物側線跡 | 00:01:51 | Trackback(0) | Comments(0)
二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その2~
二俣線(現・天竜浜浜名湖鉄道天浜線)の謎の側線2回目

P1020989.jpg
静岡県道40号掛川天竜線を押しボタン式の信号交差点で渡ると磐田用水と交差。
コンクリート橋の本村上橋(1961(昭和36)年5月竣工)の南(右)側には・・・

P1020992.jpg
並行して橋梁が架かっていた跡が残っています。
コンクリートの橋台本体向かって左に石積みで補強したか拡幅したような跡。
側線廃止後に現本村上橋が出来るまでの間鉄道用の橋梁を道路橋として流用したときの施工でしょうか?

P1020990.jpg
反対側にも側線用と思われる橋台が残存。
磐田用水は江戸時代に計画されたものの計画への賛同が得られなかったり幕府が倒れたりで明治に入ると今度は内務省の設計ミスで失敗、昭和に入ると太平洋戦争でまたも工事中止かと思われたものの寄付や関係者の尽力で1944(昭和19)年7月に通水。
1945(昭和20)年の米軍地図Akiba-san(秋葉山)にも乗ってますね。
二俣線開通が1940(昭和15)年6月1日、側線開業は当然その後でしょうが用水と側線工事の前後関係は不明。

P1020997.jpg
その先は里道にしてはちょっと広いかな?という程度の道が続きます。

P1020998.jpg
小さな谷なのですぐに奥が見えて来ました。

P1020999.jpg
線路跡の道の両側に時折朽ちた枕木が刺してあります。

P1030001.jpg
鉄道柵のようにも思えますがかなり短いので用地境界標の代わりに刺してあるのかも?
この側線が敷かれたのは戦時中と見られコンクリートの節約のため古枕木を使ったのではないかと推測。

参考:
水土里ネットいわた用水(磐田用水東部土地改良区)耕地整理~悲願の用水編<偉人達の活躍>


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貨物側線跡 | 00:02:16 | Trackback(0) | Comments(0)
二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その1~
アメリカのテキサス大学が太平洋戦争中から終戦直後にかけ米軍が作成した日本の地形図が大量に公開されています。
テキサス大学Perry-Castañeda Library Map Collection Japan Maps
その中でも1/12,500都市地図、1/50,000地形図は所々欠けがあるものの本州、九州、南西諸島、樺太を網羅しておりたびたび参照させてもらっています。
国土地理院の前身に当たる陸軍参謀本部陸地測量部が作成した地形図などを元にしているものと思われますが都市から僻地ま大字にまで全てアルファベット表記がなされ、工場はプラントの配置まで、鉄道では専用側線や森林鉄道までもが描かれ米軍の情報取集能力の精密さに驚かされます。

その中のAkiba-san(秋葉山)に気になる線路を見付けました。
現在の浜松市天竜区に当たり、図中左よりに見える大きな天竜川の下の方にはFutamata(二俣)の町が開け、二俣線(現・天竜浜名湖鉄道天浜線)が横切り、対岸のNishi-kajima(西鹿島)からは遠州鉄道二俣線(現・西鹿島線)が分かれる現在と変わらない姿が見られます。
その二俣線の天竜川の右側下の方にkurishita(栗下)とある辺りで二俣線から線路が分かれ谷の奥の何もないところで終点になっているのが見えます。

同じ場所を写した国土地理院の空中写真を見ると・・・
nobe-map1.jpg
確かに線路らしきものが見えますね。


googleマップに落としてみると緑の線に当たります。
長さは野部駅(現・豊岡)から分岐点まで950m、分岐点から終点まで1,000mほど。
専用線一覧で野部駅は見たことが無いし、そもそもこの谷に一体何があって線路が敷かれたのか??
あれほど工場や軍事施設を事細かに書いた米軍地図もその線路末端には何も書いていないというのも何だか不気味です。

P1020983.jpg
この側線分岐に近いのは現在の上野部駅。
Akiba-san(秋葉山)の地図ではKandakoen-mae(神田公園前)という駅の場所。
神田公園前という駅は1928(昭和3)年~1935(昭和10)年の短期間だけ存在した光明電気鉄道のもの。
旧版の電車駅を消し忘れたまま新設の二俣線を描いてしまったのでしょうか。

P1020985.jpg
光明電鉄廃止後に国鉄二俣線が1940(昭和15)年6月1日に開業かつての光明電鉄の電車が走っていた線路上を汽車が走り出し1955(昭和30)年6月1日に上野部駅が開業しました。
しかし神田公園前駅と全く同じ位置なのかは不明。

P1030029_201808112340488af.jpg
豊岡側から見た分岐点。
手前から3番目の電信柱辺りで右に分岐していたものと思われますが名残りは何も無し。
分岐点付近は早い時期に圃場整備されたようです。

P1030030.jpg
カーブが終わる辺りからは線路跡が道路になっています。

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貨物側線跡 | 00:02:02 | Trackback(0) | Comments(0)
養老鉄道(旧・近鉄養老線)友江駅の側線~その2~
養老鉄道友江駅2回目貨物ホーム編。

P1020227.jpg
友江駅大垣方。本線の転轍機は発条式で、2号線と3号線の分岐は電気転轍機。
というわけで上り列車(桑名方面)は2号線(中央)か3号線(右)に入れる構造。

P1020225.jpg
そしてさらに左手前の1号線奥には貨物ホームが残っています。

P1020212.jpg
大垣側の踏切から見た様子。
右端の1号線のさらに右(西側)に1線分スペースがあります。

P1020199.jpg
石積みの貨物ホーム。
貨車は大垣方から押し込むか突放作業で入れてたのでしょう。
友江駅の貨物扱いは1970(昭和45)年11月30日廃止ですがそれまで使われていたのでしょうか。
なお貨物以外に荷物扱いもありましたがこちらも翌1971(昭和46)年9月1日に廃止されています。
養老線にはかつてモニ、クニ(国鉄・JR流に言うとモハニ、クハニ)と言った旅客荷物合造電車がいたのでこれらに小荷物を載せていたのでしょう。

参考文献:
養老線開通70年のあゆみ(近畿日本鉄道養老線西大垣駅 編著)

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貨物側線跡 | 22:01:54 | Trackback(0) | Comments(0)
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