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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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西濃鉄道昼飯線美濃大久保駅の側線~その2~
1回間が開きましたが美濃大久保駅側線跡2回目。
minookubo-map1.png

P1090703.jpg
古田石灰工業所線(現在は上田石灰工業が入居)分岐付近から見た様子。
左が美濃赤坂方で右に曲がって行くと昼飯です。

P1090702.jpg
同じ場所から古田石灰工業所線(現在は上田石灰工業が入居)が道路を渡って右の鉄道門へ入っていたと思われる方向を見た様子。

P1090705.jpg
2番線のホーム上にある石灰倉庫。
配線図によるとマルアイ石灰工業のホームとなっていますが現在はそれを示すような表記は全くないので現在も同社の倉庫なのかは不明。

P1090709.jpg
倉庫の裏から末端方面を見た様子。

P1090707.jpg
レールは無くなっても線路終端標は残されていました。

P1090710.jpg
線路終端の壁の上から見た様子。
左から2番線、本線、1番線の順に並んでいます。
現役当時の入換作業を想像するに美濃赤坂、昼飯からワフを先頭に推進運転でやって来た列車は本線に到着してワフを解放。
1・2番線に貨車を置いたり回収したりして組成作業を行い本線のワフを拾って今度は機関車先頭の牽引運転で昼飯、美濃赤坂へ向け発車していたのでしょうね。

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

貨物側線跡 | 22:15:23 | Trackback(0) | Comments(0)
西濃鉄道昼飯線美濃大久保駅の側線~その1~
スイッチバック駅の美濃大久保駅。
昼飯駅との駅間距離は0.8kmとありますが美濃大久保駅を出てすぐに昼飯駅構内扱いの側線が分岐しており実質一つの構内と言っても差し支えないレベル。

minookubo-map1.png
機回し線はあるものの有効長が短く、美濃赤坂から来て美濃大久保駅着の貨車を置くためにはどうしても機関車を前にして来るわけには行きません。
従って美濃赤坂→美濃大久保の列車の先頭にはワフを連結して推進運転するため前方監視、非常ブレーキ扱いを行う乗務員が乗車していました。

P1060751.jpg
昼飯線で使用されていたワフ21000形ワフ21120。
1934(昭和9)年汽車会社製で国鉄から1977(昭和52)年に西濃鉄道へ払い下げられ休止後も長らく美濃赤坂駅構内に留置されていました。現在は貨物鉄道博物館で保存しており修復作業中。私も関係者の1人です~(爆)
西濃時代は左に見えるエアタンクを車内に据え付けて非常ブレーキ、汽笛動作用として使っていたとか。

P1090060.jpg
デッキにはホイッスルの台座が残っています。
同僚にワフ21016がいたのですがダンプと接触事故を起こして廃車されています。
ところが実際にはこのワフ21016がワフ21120とすり替わっている可能性もあるとかで謎を秘めています。

P1090697.jpg
レールが撤去されて草っ原と化した構内を美濃赤坂方から見た様子。

img143.jpg
レールがあった頃の同じ場所。
かつて右に分岐して古田石灰工業所(現在は上田石灰工業が入居)へ入る側線(上の図の点線)があったという話も聞いたのですが当時既にそれらしき分岐は有りませんでした。
2002(平成14)年2月25日撮影

P1090700.jpg
かつての古田石灰工業線分岐部と思しき辺り。線路用地の膨らみ方、右前方の門がいかにも線路が入っていそうな向きで建っているのも気になります。
ここに最近まで鉄骨組みの上屋(上の写真にも小さく写っている)があったのですがレールと一緒に撤去されています。

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貨物側線跡 | 22:53:39 | Trackback(0) | Comments(2)
西濃鉄道昼飯線昼飯駅の側線、専用線群~その2~
昼飯駅から隣の美濃大久保駅へ向かいますがずっと側線が続いて美濃大久保駅の傍まで行ってようやく本線と1番線が合流するところ。
hirui-map1.png
市橋線の乙女坂、猿岩、市橋駅が1駅のように側線がずっと連なっているのと一緒で美濃大久保、昼飯も駅間と言えそうな区間がほとんどありません。

img143-1.jpg
昼飯駅構内から東へカーブしながら延びる本線(左)と1番線(右)。
右には河合石灰工業のプラントと積込みホームが点々と続いてました。
線路にユンボが入ってますがこれは線路撤去中ではなく線路脇のプラント工事だったようです。
2002(平成14)年2月25日撮影

P1090688.jpg
夏草に埋もれた昼飯線。河合石灰工業のプラットホームや上屋は健在。

img143-2.jpg
河合石灰工業のプラットホーム、上屋前に線路があった頃。
右に見える貨物上屋の形状が一枚前の写真と一致しています。

P1090687.jpg
線路と中山道(撮影位置)の間に建っていた建物も一緒に取り壊され草地と化しています。

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貨物側線跡 | 20:51:53 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋鉄道名古屋本線大里駅の貨物側線(?)跡
名鉄でこの駅貨物やってたんだ・・・と意外性の大きい駅の一つ。
名古屋鉄道車両史上巻(清水 武、田中 義人/著 アルファベータブックス/刊)の1943(昭和18)年4月1日時点の構内配線図を見ると行き止まり式の貨物側線と貨物ホームらしきものが描かれています。
しかし1950(昭和25)~1957(昭和32)年度の愛知県内の私鉄各駅の貨物輸送量が記載された愛知県統計年鑑(愛知県)には一度も貨物取扱い量の記録がないことから相当に早い時期に貨物営業を廃止していた様子。
よくわからないのでタイトルも貨物側線(?)にしています。

P1090084.jpg
駅舎とアパートが一体化した構造の大里駅舎。
駅の南方(豊橋方)で名古屋本線が東海道新幹線と交差しています。
名古屋鉄道(初代)が名古屋電鉄、尾西鉄道、美濃電気軌道など各社が細切れで開業していた各線をつないで名古屋~岐阜をつなぐ名岐線とすべく路線延伸していた最中の1928(昭和3)年2月3日に大佐土駅として開業しています。

P1090104.jpg
普通のほか本数が僅かな準急と朝夕の急行、ごく一部の快速急行が止まる微妙な状態。
名鉄をよく知らない人にとっては結局どの列車に乗れば止まるのか??という複雑怪奇な駅かも・・・(^ ^;)
今では複線の本線があるだけで側線などの分岐は皆無。
側線があった当時は上下線間に渡り線もありました。

P1090091.jpg
貨物側線は名鉄岐阜方から西側に分岐して行き止まりのごく簡単な配線
通過中の名鉄岐阜行2300系特急の右に側線が分岐していた名残の敷地が拡がっています。

P1090087.jpg
途中には開渠の跡も。Iビームを固定していたであろうボルトも残っています。
異様に浅い水路ですぐに水が付くのではないかと思われそうですが実際田植えの時期になるとよく冠水します。
田園地帯なので田植え期になると水路は目一杯に水が流れ田んぼの中の低い道路が冠水する光景は日常茶飯事・・・。

P1090102.jpg
下りホームの名鉄岐阜方末端部から見た貨物ホーム、側線跡。名鉄パーキングになって跡形もなし。
側線があった当時旅客ホームは現在より短く、奥に見える石積み部分だけだったものと思われます。

P1090100.jpg
ホーム上から見た側線の橋台が残る開渠。鉄製アングル架線柱が側線の真ん中付近に建てられています。
この電柱の建植時期はわかりませんが相当に古そう。側線橋台の上部が大きく欠損しているのも気になります。
1つ心当たりがあるのは60年前の衝突事故。
伊勢湾台風から間もない1959(昭和34)年10月11日夜に大里駅南方の踏切で岐阜行特急電車(初代5000系)がオート三輪と衝突転覆する事故が発生しています。
オート三輪を引っ掛けたまま大里駅に突入し岐阜方で転覆して前3両が線路脇の水田へ転落し9人死亡、120人以上負傷と言う大惨事になっています。

大里駅付近には特に大きな工場は無く当時の航空写真を見ても人家も少ない田んぼの中の駅という状態でした。
考えられそうな輸送品目は発送:農作物、到着:肥料が多そうですが確証は有りません。

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貨物側線跡 | 23:33:34 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋鉄道名古屋本線西枇杷島駅の側線群~その3~
戦前の枇杷島デルタ線付近航空写真。
撮影時期不明とのことですが既に西枇杷島~犬山方面の短絡線があること、名古屋本線新名古屋駅方面への線路がまだ建設されておらず押切町、柳橋への旧線しかないことからすると昭和10年代前半の撮影と見られます。
biwajima-map1.jpg
上の航空写真撮影と同時期の地上の写真も。
土木学会図書館所蔵の西枇杷島駅周辺が写された絵葉書の掲載許可を頂きましたので載せます。
名岐線(現・名古屋本線)押切町~新岐阜がつながり名古屋~岐阜間に大型のデボ800形を使用した特急電車も走り始めて1年ほどの情景で1936(昭和11)年4月撮影。
国道12号線(→国道22号→現・県道67・190号)の絵葉書なので鉄道主体ではないのですが枇杷島デルタ線の様子がよく写し取られています。
biwajima-a1.jpg
枇杷島陸橋岐阜方(北)から名古屋方面を見た様子。
陸橋右に西枇杷島駅のホームや機関車がぼんやりと見えています。
(土木学会附属土木図書館 土木図書館デジタルアーカイブスより許可を得て転載)

biwajima-a2.jpg
枇杷島陸橋下の踏切。
橋脚の間から見える機関車は電車改造電機のデキ50形。
西枇杷島の入換専用だったのでしょうか。
(土木学会附属土木図書館 土木図書館デジタルアーカイブスより許可を得て転載)

mei-deki51-1.gif mei-deki51-2.gif
名古屋電気鉄道時代168号形→デシ500形2軸電車をボギー車化して製作した電気機関車。
戦時中に2台が2軸台車に戻されてデキ30形となりデキ51のみがボギー車デキ50形として残りました。
瀬戸線小幡のデキ31竹鼻線西笠松のデキ32でも紹介しましたがこの頃は3台ともボギー車のデキ50形だったのでどの車両かまでは特定が難しそう。
パンタ搭載位置が車端部なのでデキ51かデキ52→デキ31のどちらかでしょうね。
当時の名岐線電車の多くは名古屋市電経由で柳橋乗入のため集電装置は中央に鉄道線用パンタグラフ、両端に軌道線用ポールを装備していましたがこの画像のデキ50形は市電乗り入れは想定しなかったようです。

biwajima-a3.jpg
手前の線路は名岐線(現・名古屋本線)。奥に単線の短絡線があり、合流したところが西枇杷島駅。
この頃はまだ戦時中増設のヤードや貨物ホームがなく、現在の旅客駅の位置で貨物も取り扱っていたようです。
この写真は枇杷島分岐点の信号扱い所から撮影したもののようです。
(土木学会附属土木図書館 土木図書館デジタルアーカイブスより許可を得て転載)

P1080874.jpg
現在もデルタ線の中に建つ信号扱い所の建物。
手前は名古屋本線、左手前方向が西枇杷島駅です。

biwajima-a4.jpg
改修前の国道・・・というよりは枇杷島青物市場の写真と言うべきか。
後方の東海道本線のガード上を通過して行く2軸貨車のジョイント音や市場の喧騒が聞こえてきそうな好みの1枚~。
この道は東海道の熱田と中山道垂井をつなぐ美濃路で、この街道沿いに江戸時代初期より青物市場が発達。
名鉄郡部線(名古屋本線、犬山、津島線など)が開業すると農産品の集約に便利な位置にあることから益々栄えていました。
線内輸送なので小回りが利く電動貨車が多用されたのでしょうか。
(土木学会附属土木図書館 土木図書館デジタルアーカイブスより許可を得て転載)

P1080863.jpg
西枇杷島市場の記念碑。
江戸時代から栄えた市場も手狭なため名古屋市熱田区の名古屋市中央卸売市場や1955(昭和30)年開場の東枇杷島の枇杷島市場(現在は豊山町へ再移転して北部市場)へ移され現在では住宅街になっています。

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貨物側線跡 | 22:39:27 | Trackback(0) | Comments(0)
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