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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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1991(平成3)年秋の新潟交通
ちょっと前にfacebookに上げるためスキャンした29年前の新潟旅行の時の写真。
白山前~東関屋の併用軌道区間、月潟~燕が廃止になる直前に新潟市内の区間だけ乗車。
その後残った東関屋~月潟に乗ることもなく最初で最後の乗車となってしまいました。

19911104_1.jpg
新潟市内の併用軌道区間白山前~東関屋だけ乗りました。
白山前にいたのはモハ18。元は1925(大正14)年蒲田車両製の宮城電気鉄道(現仙石線)モハ220らしいですが日車標準車体に載せ替えられているので面影なし。
車体左右に反射板が付いてますがその時は「何で電車にウィンカーが付いてるんだろう?」と思ってました。
1991(平成3)年11月4日 白山前

19911104_4.jpg
側線にモハ16+モワ51が留置中。
もっと近くで撮りなさい(^ ^;)と思いますが子供がホーム上走り回られては親としては気掛かりだからと放してもらえなかったのでしょう(笑)
モハ16は元伊那電ですが車体が元小田急デハ1409のものに載せ替えられています。
無骨な鉄箱という感じで今日の小田急どころか次のモハ2229ともまるで違うイメージ。
1991(平成3)年11月4日 東関屋

19911104_5.jpg
モハ25と元小田急モハ2229。
小田急沿線育ちには嬉しかった2220形、僕が生まれた頃はまだ小田急にいたはずですが物心ついたころには片開扉の電車は覚えがないですね。
小田急で乗った覚えがあるのは2400形以降。
1991(平成3)年11月4日 東関屋

19911104_6.jpg
東関屋に到着するモハ21。西日でモハ21が白飛びしてたので画像処理で暗くしてみました。
この後白山前まで乗った電車がモハ何号だったのか写真にも記憶にもないです。
1991(平成3)年11月4日 東関屋

この次に新潟交通へ行く機会は廃線後の月潟駅までお預けでした。
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その1~
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その2~
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その3~

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

北陸私鉄 | 22:10:03 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄高運転台車の記憶 譲渡車編~その4~
福井鉄道にも高運転台車が譲渡されていますが福鉄でさらなる改造を受けています。

1929(昭和4)年日本車輛製の三河鉄道(現・名鉄三河線、蒲郡線など)デ300形デ301。
デ301、302の2台が導入されており三河鉄道初の半鋼製電車でした。
当時愛知電気鉄道、知多鉄道(現・名鉄)、伊勢電気鉄道(現・近鉄)に類似スタイルの電車が導入されていました。
三河鉄道の名鉄合併後はモ3000形モ3001、モ3002となっています。
名鉄時代1963(昭和38)年にモ3001のみ車体整備で高運転台化されておりク2326のような顔つきになっていました。
しかし高運化改造3年後の1966(昭和41)年に3730系に電装品を譲って廃車。
抜け殻となった車体のみが福井鉄道へ譲渡され南越線モハ150形モハ151となっています。
南越線でも名鉄高運スタイルで使われていました。

20050619_1.jpg
福井でもややこしい(?)改番、改造は続き南越線の粟田部~戸ノ口が1971(昭和46)年9月1日に廃止されると必要な車両数も減るため福武線へ転用。
福武線に2両いたモハ120形モハ121、122と編成を組むクハとして使われクハ151がクハ121、モハ151も電装解除されクハ122となります。
2005(平成17)年6月19日 武生新(現・越前武生)

20060625_5.jpg
クハ122への改造と同時なのかはわかりませんが高運の前面窓がHゴム化され一風変わった顔つきになりました。
2006(平成18)年6月25日 西武生(現・北府)

20060625_4.jpg
側面は比較的原型の雰囲気が残っていますがここも改造済み。
名鉄、福鉄モハ151時代は両運転台だったのが乗務員扉設置、片運転台化による武生方運転室撤去で窓配置は1D7D7D1からdD7D7Dに変化。
2006(平成18)年6月25日 西武生(現・北府)

20060625_1.jpg
1982(昭和57)年には福井市内併用軌道区間で足羽川を渡る幸橋の重量負担軽減のため電装品を2両に分散することになりました。
クハ122も再度モハ化されてモハ122-1(元モハ122)+モハ122-2(元クハ122)となりますが1997(平成9)年機器更新によるカルダン駆動化時に電装品が軽量となるため2台に配分する必要が無くなり再びモハ122+クハ122に戻り2006(平成18)年6月の廃車まで使われました。
2006(平成18)年6月25日 市役所前(現・福井城址大名町)

20060625_2.jpg
ラッシュ時のみ使用だったので動いているのはほとんど見たことが無いけれど子供の頃北陸本線の車窓から武生新の側線で休んでいるのをのよく見た馴染みの車両。
120、140、160形は編成を組んでる車両がみんなチグハグで「なんでこんな編成を組ましたんだろう?」と子供心に不思議に思ったものです。
2006(平成18)年6月25日 福井新(現・赤十字前)

20060625_6.jpg
編成を組んでたモハ122。
1950(昭和25)年日本車輛製で全面3枚窓の平々凡々な顔だったのがこちらも運転席の窓だけHゴム化したことで独特の表情に変わっていました。
福井鉄道オリジナル車ということでこちらは旧南越線の走っていた奥に保存されましたが最近見に行ってないな。

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北陸私鉄 | 21:54:19 | Trackback(0) | Comments(0)
北陸鉄道石川線のH型断面コンクリート電柱
12年前の2008(平成20)年3月の写真ですが思い出したことがあったのでUP~。
加賀平野の田園地帯の真ん中にポツンとある北陸鉄道石川線小柳駅。
現在の石川線の駅では最もローカルムードに溢れる駅で撮影に降りたわけですが。

IMG_6458.jpg
田園地帯に大カーブがあってなかなか良いところです。
野町行きの7200系モハ7201+クハ7211を後打ち。
撮影に来たことで満足行く風景ですが手前の架線柱の陰に何だか違和感が・・・。

IMG_6452.jpg
H型段面のコンクリート架線柱。H型鋼にコンクリートを吹き付けたかのような形です。
H形鋼の架線柱であれば見たことがありますがコンクリート製でこの形は不思議。

IMG_6456.jpg
両持ち式の架線柱では海側のみがH型で山側は普通の丸い断面。

石川線でも元々住んでた家から近かった西泉や野町付近にこんな架線柱は無く井口~日御子付近に固まって存在している電柱のようです。
他で見たことが無い電柱ですが目撃情報ありましたら募集しています(_ _)

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北陸私鉄 | 21:54:38 | Trackback(0) | Comments(2)
旧・尾小屋鉄道DC121とじどうかんまえのエンジン
なかよし鉄道キハ3運転の一方で反対の終点側に留置されていたDC121。

P1090937.jpg
1952(昭和27)年10月協三工業製の12t機。
エアブレーキ搭載機ですが引き通し管はなく自車にのみ利くタイプ。
末期は前面向かって右の窓2枚がHゴム支持の1枚窓に交換されていましたが元の3枚窓に復元されています。

P1090936.jpg
扉の向きからするとこちら側が元の新小松方だったようです。

P1090930.jpg
センターキャブ機でエンジンがどちら側に積まれているのかはよくわかりません。
ロッド式の足回りは1917(大正6)年大日本軌道鉄工部製12t機を利用したとも言いますが軸距が全然違うので可能性は薄そう。

P1090931.jpg
元の尾小屋方前面。
こちらは向かって左の前面窓2枚がHゴム支持1枚窓化されていましたが3枚窓に復元されています。

P1090941.jpg
起点のじどうかんまえに展示されているエンジン。

P1090942.jpg
銘板を見ると真ん中に穴が開いており形式が読めませんが三菱重工業製で最大出力140HP 1300rpm、定格出力115HP 1000rpm、1952(昭和27)年7月製造ということからDC121の初代エンジンDF2L型と思われます。
動態保存後現在のエンジンへ換装した際に展示することになったのでしょうか。

P1090944.jpg
エンジンを後ろから。
左に接続されている機器は五光製作所製の変速機。

P1090945.jpg
五光製作所はかつて国鉄向けに貨車移動機も製造していました。
現在は列車やバスの車内トイレを製造しており鉄道に関わり続けている企業です。

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北陸私鉄 | 23:28:43 | Trackback(0) | Comments(0)
なかよし鉄道の旧・尾小屋鉄道キハ3運転~その2~
なかよし鉄道出張時の旧・尾小屋キハ3の2回目

P1090892.jpg
尾小屋方の附随台車。動台車と見た目は大差ありません。

P1090896.jpg
キハ3の車内を新小松側より見た様子。
ロングシートな上に中央運転台で3枚窓の真ん中が大窓なので市内電車然としています。

P1090897.jpg
エンジンが床下だけでは収まらず床上に飛び出している点は軽便気動車らしいです。
なお遠州鉄道時代のエンジンは90HPのいすゞDA45でしたが尾小屋ではキハ1、2と共通化のためか110HPの日産UD3に換装しています。

P1090895.jpg
新小松方運転席。
当然尾小屋方と同じですが計器を取り換えた時に配置が換わったのか微妙に違いが出て来ています。
左のシフトレバーがありませんが運転する時には尾小屋方のレバ-を引っこ抜いてこちらに持ってきて使います。
着脱式のブレーキハンドルと同じ発想。

P1090960.jpg
じどうかんまえを出発するキハ3。
指差し喚呼の瞬間を捉えることができました。中央の大型窓様々ですね。

P1090966.jpg
遠州鉄道時代のキハ1803の切り抜き番号の内尾小屋時代は3だけを白塗りしてキハ3としてましたが現在のところ元新小松方前面は180も白塗りしています。

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北陸私鉄 | 23:47:02 | Trackback(0) | Comments(0)
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