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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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東濃鉄道駄知線山神駅貨物側線
東濃鉄道駄知線山神駅の貨物側線跡。
駄知線の駅で唯一周囲が市街地になっていない駅。
下石駅から駄知へ向けて盆地境を隔てる山越え区間にポツンと存在していました。
土岐盆地と下石盆地の間は妻木川でつながっていますが駄知盆地との間は峠越えが必要でこの先には駄知線唯一のトンネルである日帰トンネルが控えています。
隣に1つ工場があるだけで他は住宅がまばらにある程度の場所で貨物取扱量は他の駅と比べ物にならないほど少量でした。

P1060385.jpg
下石から土岐市総合運動公園の周囲を半周して来たところで土岐川橋梁跡からずっと続いてきた線路跡の遊歩道が尽き路盤そのままの浅い切通しに入ります。
廃線跡の切通しから土岐市方を見た様子。

P1060383.jpg
そのまま切通しで山神駅へ進入。

P1060377.jpg
現在も唯一旅客ホームが残る山神駅。

P1060375.jpg
旅客ホームの駄知側末端。

010905-yama-1.jpg
以前はホームに上がる階段がもう少し分かり易かったのですが埋もれてしまった様子。
2001(平成13)年9月5日撮影

010905-yama-2.jpg
貨物側線の車止めが残っていましたが工場が別の会社に変わって建て替えられたときに埋められたのか消滅。
右が東駄知方なので側線は東駄知方から分岐する行き止まり式の短いものだったようです。
側線のあった場所は工場敷地内ですが専用線ではなく東濃鉄道の駅構内側線だった様子。
2001(平成13)年9月5日撮影

P1060373.jpg
かつて車止めがあった場所は左向かい側の柵の下と見られます。奥が東駄知方面。
側線があった頃あった工場は陶磁器関係と見られますが現在この地にあるのは青木転写というデカールのメーカーさん。
模型やプラモが趣味の方はお世話になっているかもですね。
なお美濃焼が盛んな土地柄のためか主力は陶磁器に使うデカールのようですね。

P1060374.jpg
駅から東駄知方を見た様子。この辺で左に側線が分岐していたのでしょうか。

yamagami.png
山神駅の貨物取扱量の変遷。
発送はほとんど無く、到着量も1,000t以下。
駄知線内で逸早く1964(昭和39)年度を最後に貨物取扱いが無くなっています。

参考文献:
RM LIBRARY72 東濃鉄道(清水 武/著 ネコ・パブリッシング/刊)
岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)

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現役側線・専用線 | 23:46:23 | Trackback(0) | Comments(0)
お盆の影森~その2~
影森の太平洋セメント三輪鉱業所側線2回目~。

P1030207.jpg
D502が架線のないホッパー奥までヲキを牽きこみガラガラと石灰を積み込む音が聞こえる中、帰りの準備のためデキ507の連結作業が行われます。

P1030225.jpg
30分ほどで積込みが終わり三ヶ尻(貨)駅の太平洋セメント熊谷工場へ向け出発して行きます。
次の列車は臨時のスジになってるけど来るのかな?
影森駅で入線だけ撮ってお昼を食べに行こうとしてると・・・

P1030244.jpg
入ってきたのは何と黄色塗装のデキ502。
昼食予定中止~!と鉱業所前へとんぼ返り(笑)

P1030252.jpg
さっき一緒に撮影してたファンの方もやはり戻って来て撮影再開~。
「そりゃこんなもんが来たら戻るよね~(笑)」
ホッパー前で黄色いデキが見られるとは思ってませんでした。

P1030255.jpg
デキ502は上の青いデキ507と同じデキ500形ですが製造は1973(昭和48)年7月と7年先輩。
前面窓は庇なしで高運転台のためかデキ507はパッチリ目、デキ502は切れ長目という印象。

P1030273.jpg
三輪鉱業所からヲキ、を寄付を従えて降りてくるデキ502。
背景の緑によく映える色です。

P1030280.jpg
独特の面構えのヲキフ100形ヲキフ129を殿に影森駅へと下って行きます。
現在貨物列車の車掌乗務は省略されてますが三輪側線内では車掌室に操車さんが乗車していました。
端面の窓は全部Hゴム抑えで開けることができないので黒塗りなことも相まって車内はかなり暑そう(- -)
ヲキフの向かって左下に栓が黄色いエアホースが2本。それぞれ根元に開、閉と書かれていました。
恐らく太平洋セメント熊谷工場での石灰石取り降ろし時に底蓋を開閉するためのエアを供給するためのものと思われますが地上設備に接続するのでしょうか。
ヲキ100、ヲキフ100には底蓋開閉のほか積み荷を振い落すためのバイブレータ機能も備わっているそうです。

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現役側線・専用線 | 00:03:01 | Trackback(0) | Comments(0)
お盆の影森~その1~
武甲山の麓、秩父鉄道影森駅から太平洋セメント三輪鉱山へ延びる側線。
首都圏内であまりに有名なため今更感はありますが実は初訪問~(^ ^;)
専用線一覧には載っていないので秩父鉄道影森駅の構外側線と言うことになるのでしょうか。

P1030168_20180828220627226.jpg
影森駅から20‰の勾配を猛スピードで駆け上がってくるデキ507。
滑り止めのため砂箱から散布した砂が砂煙となって巻き上がり、咆哮するモーター音と共に予想外の大迫力。
デキ507は1980(昭和55)年9月製造の50t機。秩父電機の中では一番の若手です。
この車だけ秩父セメント→秩父小野田セメント→太平洋セメントの私有機らしいですが特に違いは見られません。
費用負担の問題でしょうか?

P1030177.jpg
デキは鉱業所入口で貨車を切り放しホッパーの手前に待避。
代わりにD502がホッパー下から出てきました。

P1030181.jpg
根岸の製油所専用線から来た機関車で1964(昭和39)年新潟鐵工所製50t機。
機関車表フルコンプリート版(沖田 祐作編 ネコ・パブリッシング)によると根岸での番号はDL501だったようですが根岸での番号標記は影森と同じで「D501」のように書いて「DL」とはなってなかった気が。

DSC_0071_20180828224155e85.jpg
根岸線根岸にいる元同僚のD504。
こちらは1981(昭和56)年製造と17年も離れているためか各部が近代化されてるようです。
D502と比べるとどことなく曲線、曲面が減って直線、平面的な感じがします。
2009(平成21)年12月14日撮影

P1030190.jpg
鉱業所入口に止められた空車ヲキ編成を牽き出すD502。
貨車は編成の大部分が勾配上に止められているため牽き出しは勾配起動となり盛大なエギゾースとを上げます。
それでもやはり影森駅方にズルズルと後退り、負けじと踏ん張るD502。

P1030195.jpg
勾配を引き摺り下ろそうとする貨車に勝利(?)してホッパー下へ凱旋~。

P1030201.jpg
鉱業所内まで入ってしまえばほぼレベル区間。
貨車も大人しくホッパー下に1編成全車が収まります。
電機もディーゼルも精一杯の走りが見られ何ともエネルギッシュな側線です。

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現役側線・専用線 | 22:59:28 | Trackback(0) | Comments(0)
中部電力側線?(大井川鐡道井川線川根両国駅)
川根両国から少し千頭寄りにある側線。
よく無蓋車が留置されていたり貨物ホーム上に荷物が置かれていたりで大井川鐵道貨物現役を感じさせる貴重なポイントです。
普段は中部電力の社員さん専用のため近付くことが出来ませんが千頭駅トーマスイベントの時はこの駐車場も来客用に開放されます。
P1020521.jpg
この場所はかつて両国貯木場の水中貯木場があったところと思われます。

P1020522.jpg
駐車場から見た貨物ホーム。今日は何にもいない?

P1020519.jpg
かつてのリバーサイド線から分岐して貨物ホームがあるだけの単純な線路配置。

P1020520.jpg
側線の奥にはCト109号が入っていました。アオリ戸が撤去されてフラットカーになっているため最初は存在に気付きませんでした(^ ^;)
1954(昭和29)年日立製作所製の8t積無蓋貨車です。

線路の反対側から撮った写真は大井川鉄道SLフェスタ2017~その2~に上げてます。


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現役側線・専用線 | 23:13:59 | Trackback(0) | Comments(0)
川辺ダムのインクライン
飛騨川にある中部電力の川辺ダム。
高山本線中川辺駅から歩いて10分程度でしょうか。
ダム堤体に大規模なインクラインが有るのが特徴です。

P1000086.jpg
東邦電力が建設した川辺ダム。
ネット上では1936(昭和11)年竣工と出ていることが多いですが当事者である東邦電力が出した「飛騨川水力開発史」には1937(昭和12)年12月竣工と有りました。
ダムの竣工が1936(昭和11)年、発電所の竣工が1937(昭和12)年と言うことかも知れません。
有効落差24.2m、発電所の最大出力30,000kw、常時出力6,500kw。
ダム、発電所の所有は戦時中に日本発送電、戦後中部電力に移って現在に至ります。
問題のインクラは向かって左(右岸)に見える滑り台のような舟筏路上にあります。

P1000096.jpg
舟伐路は飛騨地方から飛騨川で流送される木材を通すために設けられたもの。
この少し上流の下麻生綱場までは丸太を一本一本流す管流しが行われ、下麻生で筏に組んでいたため幅広な舟伐路となっています。
しかし現実には1934(昭和9)年時点で高山本線が既に全通しており下麻生綱場も1933(昭和8)年に廃止、御料林からの官材は鉄道輸送に切り替わっており実際に筏が通ったことがあるのかは不明。民材が細々と通ったことはあるかもですが・・・。
インクラインは木曽川河口・桑名~下麻生湊に舟運があったため舟を上下させるために設けられたものです。

P1000097.jpg
舟伐路の壁上にレールが敷設されその外側にワイヤーロープをガイドするためのプーリーがあります。
左右からワイラーロープで台車を支持するようですが曲線部の内輪差はどうやって調整するのでしょうね?
舟伐路やインクラ線路、その左の魚道も草生して使われている感じがありません。
今でも舟を通したいと言えば動かしてもらえるのでしょうか???

P1000092_2018021522520173e.jpg
ダム堤体上に見える巻揚機と台車。
舟を載せるため船底型の荷台になっています。
2軸単車で車輪は両輪とも両フランジです。

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現役側線・専用線 | 23:31:10 | Trackback(0) | Comments(0)
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