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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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日立セメント貨物索道
福島臨海の後で立ち寄った茨城県日立市。
その目的は~
IMG_1982_201801272123205c6.jpg
日立セメントの石灰石貨物索道。
鉱山から町外れのベルコンの起点まで索道が来ています。
日曜のため休みで止まってましたが現役唯一の貨物索道は前から見たかったのでした。

道路が整備される以前、起伏が多い鉄道を敷くのが難しいルートを通すため全国各地に貨物索道が存在しました。
鉱石や石炭、木材、生活雑貨、表向きは禁止されていたものの人が便乗することもあったり・・・。
山深い地域へのダム建設時にも資材輸送のため最寄りの国鉄駅などから索道がセメントや骨材を運んでいました。
貨物索道の多くは自動車道路や鉄道が延伸された昭和初期までに姿を消しています。
山深い急峻な地域で残ったダム建設索道や鉱山索道も昭和40年代にはほとんどが姿を消したようです。
戦後占領下の時代に進められたあるダム建設で索道によるセメント輸送を行おうとしたときGHQから送られてきた顧問の突っ込み「索道なんて仮設備をつくって撤収するくらいなら工事道路をつくって工事後は地元に払い下げた方が役立つだろ?」
・・・まあ、仰る通りで(^ ^;)
ダム工事の仮設索道もつくられることがほとんど無くなりました。

IMG_1983.jpg
そんなわけで専用線や専用鉄道よりもずっと希少価値の高い貨物索道ですがここまで関心を持つのはよほどコアなファンしかいないのでしょうか。

IMG_1981.jpg
動いてる平日であれば公道からでも搬器のおナベがひっくり返されるところまで見えそうですが。

IMG_1988.jpg
隣にはゴルフの打ちっぱなしがありその上に貨物索道の搬器がぶら下がっている奇妙な光景が。
SKW氏と「いっそのことプレイして中から撮ろうか?」などと話していましたが次の目的もあったので今回は保留~。

IMG_1991.jpg
阿字ヶ浦まで行ってキハ205を撮りたかったもので~。

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鉱山 | 22:04:48 | Trackback(0) | Comments(0)
金丸鉱山の索道跡
米坂線は小国からは荒川の渓谷区間を進み越後金丸駅を過ぎたところでとんでもないものが目に入りました。

P1000140.jpg
岩船ダムのダム湖となった荒川対岸に錆びた鉄塔が見えます。
高さは30m超というところか。見た感じからして高圧線の鉄塔などではありません。

P1000142.jpg
上部にはワイヤーロープガイドのためのプーリーがしっかり付いてます。これは間違いなく索道の支柱ですね。
鉄塔の向きからしてこの索道の向かう先は越後金丸駅・・・と言うことで資料調査して見ました。

●日本窯業化学金丸鉱山索道
新潟県岩船郡関川村と山形県西置賜郡小国町の境にある荒川支流の上ノ沢。
ここに最近(2008(平成20)年頃?)まで陶磁器原料の長石を掘る金丸鉱山が有りました。

上ノ沢で鉱山開発が行われるようになった起源は1932(昭和7)年に行者がこの地で光沢を放つ石を発見し、地元のお寺に置いたことから始まります。
この石を鑑定したところタングステン鉱石であることが判明し、上ノ沢に採掘事業を行って採算の取れるタングステン、モリブデン鉱脈があると結論が出され鉱山開発が始まります。
この鉱山は石の有ったお寺の本尊に因んで観世音鉱山と名付けられ1936(昭和11)年から採掘がおこなわれますが1945(昭和20)年の太平洋戦争敗戦により休山となります。
戦後観世音鉱山付近に長石が多いことから1948(昭和23)年に日本窯業化学が上ノ沢鉱業所を開設、1949(昭和24)年11月には上ノ沢鉱業所~選鉱所(越後金丸駅に隣接)4,650mの貨物索道が開業。
索道の輸送能力は1日当たり約120tとのことです。
鉱山のあった上ノ沢には1966(昭和41)年10月時点で38世帯93人が暮らし、60人が他地区から鉱山へ通っていました。
当時は小中学校の分校まで置かれるほどで鉱山集落を形成してましたが長石需要が低下していくと在住者はいなくなり、通いの従業員で細々と採掘が続けられていたということです。
米坂線に9600形蒸機現役末期の写真で索道が写っているものがあるので索道は昭和40年代半ばまでは使われていたものと思われますが正確な使用停止時期は不明。

●長石の行先
索道終点選鉱所隣の越後金丸駅には日本窯業化学の専用線(国鉄側線と共用?)があり米坂線経由で名古屋方面へ出荷していたと言います。
名古屋地区での長石需要先と言うと瀬戸や多治見、土岐、瑞浪と言った陶磁器製造の盛んな地域、又は洋食器をつくっていた名古屋駅近くの工場向けだったのでしょうか。

参考文献:
関川村史(関川村)
新潟県金丸鉱山のペグマタイト鉱床について(上野 三義/著)

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

鉱山 | 17:00:29 | Trackback(0) | Comments(0)

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