投稿日:2020-04-30 Thu
熊切森林鉄道の山側からの帰り道編。熊切森林鉄道路線図
既存の鉄道と全く接続が無く山中にポツンと存在した熊切森林鉄道の立地はこんな状態。
最寄りは大井川鐡道大井川本線下泉駅ですが見ての通り道はクネクネ・・・きつい峠越えが必要(- -;)

いつから掲げられたままなのかかなり古めかしい「作業中 MEN WORKING」の標識がありました。

ゲートを越えて車まで戻る途中起点の麦島土場から3km地点付近で同行のSKW氏が道の真ん中に埋まったレールを発見。
これまであちこちに枕木は埋まっていましたが線路が出てきたのは初めて。

ゲージが762mmより広くなっていたので当時からの軌道そのままのものかは不明。

奥に見える橋は杉川本流を渡る橋・・・くずし字解読辞典によると「鍋石橋」のようです。
熊切林鉄跡の道路橋は皆このようにくずし字で刻まれているためくずし字解読辞典がないと読めませんでした。
今は亡き祖母からの手紙が読めなかったことを思い出します。
なお祖母の実の娘である母にもその手紙は読めなかった(^ ^;)
参考文献:
くずし字解読辞典 普及版(児玉 幸多/編 東京堂出版)
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投稿日:2020-04-27 Mon
5年前の熊切森林鉄道ゲート奥巡りの続きです。以前の記事はこちら↓
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~1~
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~2~
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~3~
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)ゲートの向こう~その1~

索道や積み込み設備があったという玄馬沢を渡ります。
春先で林道は冬眠から覚めたヒキガエルが一杯。
見た目に似合わず遠慮がちな小さな声でケロケロと鳴いている声があちこちから聞こえました。

玄馬沢から間もなく杉川本流を渡る鉄橋。
3連ガーダーだったのが中央1連を残して撤去されています。

起点の麦島側の橋脚は四角の上に台形を載せたような奇妙な形状・・・いや、この形どっかで見たぞ。

東京営林局水窪営林署水窪森林鉄道の戸中川に架かっていた橋梁跡。
2014(平成26)年6月29日撮影で水窪森林鉄道戸中川の鉄・木橋跡に取り上げたことも。
高さはまるで違いますが基本形状は一緒です。
東京営林局でこの形を好んだ技官さんがいたのでしょうか?

橋の向こうも路盤は残ってますが間もなく終点らしいです。
前後に木橋が作られ、ガーダーにも踏板が乗せられていますが木橋部分は既に橋脚が折れて人が乗れる状態にありませんでした。
夏場なら川を直接渡った方がまだマシかも知れませんが流されたらすぐ下流にあるかなり高い砂防堰堤から放り出されることに。
ここで事故を起こしたらもう当分は林鉄巡りで入れてもらえなさそう(- -;)
終点側の橋脚は普通の四角い形状、脇には木橋時代の橋脚も残っています。

この角度で協三5t機牽引の運材列車が撮れたらなあ。

杉川の河原から真横狙い。

杉川上流方面。軌道敷は右にあります。
道路林道はここから急勾配で上って行ってしまうので軌道終点を見ることはできません。
道路もこのすぐ上で大崩落が起きていてすっかり岩石に埋もれていました。
そんなところでも石の間でヒキガエルが一杯ケロケロ言ってました。
これで引き返すのですが帰りにもまだ発見がありました。
投稿日:2020-04-24 Fri
5年前に一部区間を取り上げた浜松市天竜区(元の春野町域)の熊切森林鉄道。ゲートの先は立ち入り許可が必要ということで後日正式に許可を得て末端近くまで辿っていたのですが記事にしないまま長いこと経っていたのですが5年越しでUPします。
以前の記事はこちら↓
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~1~
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~2~
東京営林局気田営林署熊切森林鉄道(2級線)~3~
撮影日は2015(平成27)年3月22日です。

ゲートから先は許可が必要ということで森林管理署に提出しましたが事由に「森林鉄道跡調査」など林鉄を臭わせることを書いたらダメとのことで「登山」と書きました。
以前に旧水窪林鉄の鉄橋から転落死亡事故があったため当時の天竜森林管理署管内で林鉄はタブーらしかったです・・・。
正直登山の方が危なそうなんですが・・・(^ ^;)

樫乃澤(?)橋を渡ると傾城(けいせい)造林作業所。

橋から見下ろすと木橋の橋脚が横倒しになっていました。
熊切森林鉄道は鉄橋に架け替えられたところが多くこの橋脚は旧橋のものと見られます。

傾城造林作業所。
森林鉄道があった頃は熊切事業所(製品事業所か)で林業手が寝泊まりしていたと思われますが現在は休憩所程度の利用と見られ規模は縮小しているようです。
左の上がっていく林との間にある擁壁は林鉄時代からのもののようで軌道と一緒に写っている写真がありました。
傾城っていうと国王が美女に現を抜かして政治を顧みず「城(または国)が傾く」という中国の故事に由来したもので遊女や美女の意味で使われる言葉ですが何かそれに因むことがあったんでしょうかね?

ゲートの先もずっとただの自動車林道歩きですがあちこちに枕木が埋まっているのが見られます。
熊切林鉄はレールだけ撤去して枕木は全く撤去せずに砂利を敷いて道路化したのではないでしょうか?

中には枕木4,5本がずらりと並んでいる場所も。掘り出してレールを敷きたいですね。
ここは谷側に枕木が寄ってますがどうも複線区間(交換所)だったようで埋もれて見えないものの山側にも線路が並んでいたようです。
投稿日:2018-04-17 Tue
帝室林野局機関誌「御料林182号」(1943(昭和18)年7月)掲載の「森林鉄道名称統一」を元に作成した一覧表。神奈川、静岡と都市部に近い路線のはずなのですがいずれも接続交通が不便な秘境路線ばかりです。
他の鉄道路線と接続していたのは千頭のみです(^ ^;)

PDF版
名古屋支局のうちこれら静岡県内の路線は敗戦直前の1945(昭和20)年8月1日に静岡地方帝室林野局として分離。
1947(昭和22)年の林政統一後は東京地方帝室林野局分を含め東京営林局に引き継がれています。
千頭、気多、水窪など家から近いところになって来たので今までもブログ記事でよくUPしてる路線。
瀬尻はインクラ下を通っただけでまだ探索したことがありません。
●世附森林鉄道
帝室林野時代は小田原出張所、林政統一後は平塚営林署管轄でした。
丙線とあるように規格が低く馬力軌道だったところにガソリン機関車を入れるようになったとか。
世附では長野営林局No.63と同じ珍しい板バネ付き鋳物台枠の酒井機の写真を見たことがあります。
板バネ付き鋳物台枠機は1941(昭和16)年頃しか作られていないようなのでこの頃動力化したのでしょうか。
気多林鉄廃止時に気田からエアブレーキ付き協三機(千頭DB12と同タイプ)と貫通ブレーキ装備のモノコックトロが入ったもののそれから間もない1963(昭和38)年に撤去されてます。

水ノ木線で世附川を最初に渡るところでは結構長い木橋が架かっていました。
上流側(左)に木橋があったのですが・・・

水ノ木側の石積み橋台と路盤が残っています。
●熊切森林鉄道
狭い酷道362、473号線のみでアクセスできる麦島からさらに山奥へ。
気田出張所→営林署管内ですが気多森林鉄道とは遠く離れたところにポツンとある路線。
一応ここは政令移指定都市浜松市天竜区内なのですが・・・。

橋の手前に敷設された状態の9kgレールが2本。
他にも犬釘付きの枕木が林道に埋まっているのが多数見られます。
ここも気田署内だけあってエアブレーキ付き協三機+モノコックトロの豪華編成(?)が使われていました。
●気多森林鉄道
出張所、営林署名は「気田」で路線名は「気多」で紛らわしい・・・というかどちらの表記も混在してあまりこだわりはないのかも(^ ^;)
県道からの分岐点の看板に林道上を徒歩で入る場合でも天竜森林管理署の入林許可が必用とあったので許可を貰って行って来ました。

機関庫やループ線があったという山住停車場・製品事業所跡にはガソリン庫らしきごついドーム型コンクリート造りの倉庫があります。

山住からすぐの伊老沢のガーダー橋跡。
橋の手前(都沢側)で伊老沢線が分岐していました。
伊老沢線は戦時中の資材不足の中1945(昭和20)年度に熊切林鉄のレールをはがして敷いたもので、4年程度でレールを熊切へ返して廃線になったとか。
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投稿日:2018-03-26 Mon
運材貨車も緑で再塗装。2台とも富士重工業製モノコックトロです。


まあ以前も紹介してるので今回はこの貨車にも使われている空気ブレーキのお話。
●森林鉄道用SA型空気ブレーキ
森林鉄道では貨車にブレーキ手が添乗して汽笛合図などでブレーキハンドルやテコでブレーキを掛けてました。
しかしブレーキ力が弱くレスポンスが遅いこと、ブレーキ手にとっては非常に危険な仕事であることが問題視され戦後自動空気ブレーキの導入が図られます。
とは言え国鉄、私鉄用の機構をそのまま載せるスペースも無く費用もかかるため、森林鉄道用に簡略化したブレーキ機構とする必要がありました。
新三菱重工業(現・三菱重工業)が開発したSA型空気ブレーキがモノコックトロに搭載され東京局では内燃機、北見営林局では蒸機をエアブレーキ化改造して使われ始めます。
恐らく東京局ではこの千頭林鉄、北見局は温根湯林鉄に導入されたものと思われます。
ブレーキの仕組みは大雑把に↓のようなもの。

・運転位置
ブレーキを解除して運転する時。
機関車はブレーキシリンダ内の空気が抜けてブレーキ解除
貨車はブレーキ管に空気が供給され空気圧約2.3kg/㎠でシリンダのバネを押しブレーキを緩め、2.7kg/㎠で完全にブレーキ解除。
ブレーキ管圧力は3.5kg/㎠まで上昇させる。
・ブレーキ位置
機関車は元空気ダメからブレーキシリンダに空気が送られてブレーキが掛かる。
貨車は元空気ダメからの空気がカット、排出されるためバネがシリンダを押し戻しブレーキが掛かる。
連結が切れた場合もエアホースからブレーキ管内の空気が排出されて自動的にブレーキが掛かる。
・重なり位置
機関車、貨車とも元空気ダメからの空気供給をカット、一方でブレーキ管の空気も排出しないので一定のブレーキ力が維持される。(実際には空気が少しずつ隙間から漏れるのでだんだんブレーキ力は弱くなる)

岩崎レール製運材貨車では三菱のスリーダイヤマーク付きブレーキシリンダとブレーキ管が見える。
要するに機関車は直通空気ブレーキ、貨車はバネ代用の自動空気ブレーキです。
通常は貨車にも補助空気ダメを設け、運転時は元空気ダメの空気圧が補助空気ダメの空気圧に押し勝ってブレーキを解除、ブレーキ時は元空気ダメからの空気をカットして補助空気ダメの空気圧でブレーキを掛けますが、林鉄ではややこしい三動弁や補助空気ダメを省略しバネで済ませています。
このバネで止めるブレーキについて某私鉄に勤めていた方に話したときは「そんなので本当に止まるのか」と驚いておられました(^ ^;)
営林署内でもやはり同じ疑問があったようで長野局野尻営林署ではエアブレーキ試作車を勾配線上で機関車から切り放し約60km/hまで加速、ブレーキ管を解放して非常ブレーキで止めるという実験を行ったそうです。
実験で添乗、ブレーキ操作した人の恐怖は計り知れませんね(汗)
営林署の工場では機関車や貨車だけでなくトラックや集材機その他もろもろの林業機械を修理しなければならず部品点数は少ないに越したことはありません。
またそこまで費用を掛けてられないというのも大きかったでしょう。
そう言えば旅客軽便私鉄でも大半の場合エアホースは見られませんね。

頸城鉄道DC92。機関車自体はエアブレーキ装備だが客車、貨車の貫通ブレーキ化はなされていない。

なお赤沢自然休養林の森林鉄道客車は現役当時の運材貨車を台車としている(一部新製車を除く)のでSA型空気ブレーキシステムを堅持する貴重な存在と言うことに。
なお王滝せせらぎ線は最初の林鉄フェスでは運材列車で貫通エアブレーキを使いましたが見てる限りその後は使ってないはず。
参考文献:
伐木運材経営法(加藤 誠平/著 朝倉書店 1952)
林業機械(三品 忠男/著 林野共済会 1956)
近代化遺産国有林森林鉄道全データ 中部編(矢部 三雄/編著 信濃毎日新聞社)
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