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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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晩秋の七宗森林鉄道に寄り道
今日は丸瀬布いこいの森雪中運転撮影会のため予約投稿です~。
今シーズンは北海道もなかなか雪が降らないようですがどうなるでしょうか?
10月に58年振りに帰還した10tディーゼル機に会えるのが楽しみ~♪

久し振りに七宗町の七宗森林鉄道跡へちょっと寄り道。
高山本線上麻生駅からも遠い室兼~佐口谷4,852mの短い林鉄です。
ここも元は帝室林野局名古屋支局の御料林ですが管轄は変遷が多くややこしいところ。
1935(昭和10)年に開設された頃は太田出張所、1941(昭和16)年1月1日に太田出張所が廃止されたため下呂出張所へ移管。
林政統一後は元々農林省大阪営林局から引き継がれ帝室林野色が薄い岐阜営林署の管轄になりました。

P1050108.jpg
いつみても大迫力の空のふさがりを通り抜ける廃線跡。
この場所で現役時に撮られた写真が林野庁のサイトで公開されています。
全国の林鉄の写真の下の方に「七宗森林鉄道・岐阜営林署(昭和27年)(JPG:596KB)」と言うキャプションで掲載されています。
林野庁:森林鉄道
機関車は逆機で背面しか見えませんが加藤製作所製の代燃装置搭載機のようです。
帝室林野局では代燃装置を機関車と分けて貨車に搭載して機関車と連結することが多く機関車直付けは少数派でした。
運転席横をどっかりと炉が占領し運転手は蒸気機関車に乗せられるのと同じくらい暑かったのでは・・・(・・;)

P1050109.jpg
当時はこの岩の隙間の流れの上に桟橋を架けて列車を通していましたが今は川を半分埋めて林道を通している様子。
川の水が冷たいためか凍り付くような寒さです。

P1050123.jpg
奥の佐口谷側から見た空のふさがり。その真下に橋脚が残っているのですが・・・。

P1050113.jpg
今回初めて河原に降りて撮影。
左(室兼側)の橋脚には木橋の木材が僅かに残存。

P1050115.jpg
その100mほど佐口谷寄りに林道から分かれて対岸へ渡って行く木橋の跡が見えます。

P1050118.jpg
そしてまた50mほどでまた林道に合流して来る木橋跡。
このすぐ先に国有林の車止めゲートがあり砂小屋の土場が拡がっています。

七宗国有林は一見林鉄を敷くほど貯材量があるように見えないのですが古くからの良質のヒノキやマツの産地として知られていました。
江戸時代には尾張藩領となり名古屋城が火災に遭った時のための備蓄林になっています。
木曽や裏木曽と比べると名古屋から近く緊急時に短期間で木材を届けられるという点が重視されたとか。
その少し前豊臣 秀吉(当時はまだ木下 藤吉郎)が1566(永禄9)年に築き一夜城伝説で知られる墨俣城の木材も七宗から伐り出され飛騨、木曽川経由で墨俣へ送られたという説もあります。
因みに現在墨俣城の横を流れているのは長良川ですが秀吉の時代までは治水技術も低いため木曽川の流路が水害で頻繁に変わっており、当時の木曽川は各務原から現在の境川に近いルートで岐阜市南部を通り墨俣城へ流れていたそうです。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 08:39:01 | Trackback(0) | Comments(0)
小坂森林鉄道鹿山線~その4(滝ヶ平)~
小坂森林鉄道鹿山線4回目~この先通行止めなので一先ずは滝ヶ平(たきがなる)までです。

P1030580.jpg
滝ヶ平の鹿山造林事業所寄宿舎。
手前に物置、奥が宿泊所で共に1963(昭和38)年取得となっていたので鹿山線廃止と入れ替わりに建て替えられたのかも知れません。
宿舎自体はもっと古くから存在し御料林時代は鹿山筋休泊所と呼ばれてたようです。
1944(昭和19)年の記録ではここまで事業用の電話線が引き込まれてたようですが鉄道用電話は置かれてませんでした。

P1030581.jpg
寄宿舎玄関側。
線路を挟んで向かいに鹿山苗畑(滝ヶ平地区)、1㎞ほど上ったところに鹿山苗畑(砂小屋地区)、1km弱下ったところには小ヶ倉苗畑があり現地で働く人が泊まり込んでいたのでしょう。
造林事業は営林署内の経営課の担当で、森林鉄道を運行、管理していたのは事業課と管理部署が異なります。
とは言え苗畑から山元へ苗を運ぶのには当然林鉄が使われ、人員、資材、生活物資輸送も林鉄で行っていたはず。
林鉄が廃止になると車で自宅から通うようになったとのことなので寄宿舎としてより休憩所として日中使われるのが主だったのでは?

P1030583.jpg
林鉄時代の宿舎には石置き屋根がよく見られましたが林鉄が廃止になった頃だったためか石の代わりに不要になったレールを載せた様子。

P1030573.jpg

P1030577.jpg
物置の看板。

1935(昭和10)年度に鹿山軌道が敷設され鹿山筋休泊所が増築された頃の図面。
kayama_zorin_1.jpg
正面とあるのが線路(谷)側のようです。

kayama_zorin_2.jpg
既存の建物の全体像がわかりませんが敷地の広さからすると8畳間2部屋(便所付)+8畳間2部屋でしょうか

kayama_zorin_3.jpg
炊事場は外に独立していました。
模型で再現してみたいですね。

P1030569.jpg
滝ヶ平谷を第九号橋梁で渡った下呂俣寄り鹿山線起点5,100m付近で通行止めになっていました。

1m3.jpg
下呂俣まで行けるのはまだ先かな?


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森林鉄道(名古屋営林局) | 22:48:15 | Trackback(0) | Comments(0)
小坂森林鉄道鹿山線~その3(小ヶ倉~滝ヶ平)~
小坂森林鉄道鹿山線3回目~

P1030593.jpg
小ヶ倉谷を渡ると谷側に苗木を育成する小ヶ倉苗畑がありました。
ここにも側線(鹿山線起点3,984m地点)があり、起点側より分岐する行き止まり式の側線だった様子。

P1030592.jpg
小ヶ倉谷から勾配を登り絶壁上の区間に入ると林鉄のレール利用柵が現れます。
森林鉄道二級線なので9kg、10kgレールが多いようです。
なお鹿山軌道として開設された時は8kgレールと前年の小坂線工事で残った10kgレールを使用していた様子。

P1030591.jpg
線路上から鹿山川を見下ろした様子。
森林鉄道現役時代より沿線の樹木が成長したため川まで見通せる場所は案外少ないです。

P1030587.jpg
谷側、山側とも絶壁。
これまでと比べて険しい地形になって来ました。

P1030572.jpg
絶壁区間はすぐに終わって鹿山線起点4,837m地点にあった滝ヶ平(たきがなる)の複線跡はよく分からず。
間もなく鹿山筋休泊所→鹿山造林事業所の宿舎が見えて来ました。
滝ヶ平の複線は造林事業所や線路を挟んで谷側に広がっていた鹿山苗畑への物資搬入や苗木搬出、人員輸送のため設けられたものだったのでしょう。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 21:46:45 | Trackback(0) | Comments(0)
小坂森林鉄道鹿山線~その2(鹿山~小ヶ倉谷)~
昨日は軽便祭プレイベントで仙北鉄道について講演を聞きに馬喰町へ~。
起点の東北本線瀬峰駅を通った時に車内から「あの辺が廃線跡かな?」と見たことしかありませんが廃止時まで貨客とも賑わっており業績が悪かったわけではなく会社がバス化方針を取ったため姿を消したようで。

では停電する前に小坂森林鉄道鹿山線2回目~

P1030619.jpg
鹿山集落の外れからは1914(大正3)~1915(大正4)年に大洞林道として開設された区間に入ります。
現在は下呂小坂林道と言う名称で下呂俣から下呂温泉へ抜けることも可能ですが訪問時(2018年8月19日)は通行止めになっていました。

P1030610.jpg
図面を見ると鹿山線起点2,225mのコウチ小屋付近には複線(側線、列車交換を行っていたかは不明)があったようで実際に現地へ行くと線路が2本敷けそうな拡がりがあります。

P1030611.jpg
コウチ山複線(仮称)を下呂俣・カエル俣側から見た様子。

P1030609.jpg
コウチ小屋とはこの沢の名前。
全国的に「○○沢」というように名前が付くところで岐阜県ではよく「○○洞」と名前が付くのを良く見かけます。
それでも「小屋」と付く沢は滅多に聞きません。複線の手前には「六郎小屋」と言う沢もあるのでほかにもあるのかな?
この先すぐ鹿山線起点2,519m地点で国有林へ入ります。

P1030606.jpg
鹿山線起点2,899m犬ヶ谷の第五号橋梁手前。
山手には立木に混じって何やら細く真っ直ぐな柱が建っているのが見えます。

P1030607.jpg
赤く塗られた(錆止めの色?)レール利用電柱のようです。
鉄道用か事業用かわかりませんが電話用の電信線が架かっていた跡と見られます。
木製電柱なら付いている小坂営林署の銘板は見当たりません。

P1030596.jpg
小ヶ倉谷を全長25mの第六号橋梁で渡っていました。
木橋の跡は見られませんが森林鉄道末期はこのコンクリート製道路林道橋の上を列車が走っていた可能性があります。
残念ながら橋の架設年がわかる銘板などは見当たりません。


鹿山軌道の機関車
osaka4-1.png osaka4-2.png
4.5tガソリン機関車4号機
岩崎レール工業1935(昭和10)年9月29日製作で時期的に鹿山線向けに製造されたものと思われます。
エンジンはアメリカのレロイ製JMI50馬力を搭載していました。
同時期に同タイプ機(台枠のIWASAKI RAIL Coの陽刻位置が大杉谷は中央に付くなど異なる点もあり)が愛知出張所管轄の三重県大杉谷森林鉄道に入っており、帝室林野局名古屋支局でまとめ買いして小坂、愛知出張所にそれぞれ割り当てた可能性もありそう。
この大杉谷の機関車の写真は昨年熊野古道センターの企画展「尾鷲林業物語 森林鉄道と索道の軌跡」でポスターに印刷されておりこちらに上げてます。
大杉谷の機関車は林政統一後の大阪営林局時代は3号機となり車体上回りを大改造、エンジンもディーゼル化されて大杉谷上線の1966(昭和41)年度運材廃止まで生き残っていたようです。
イラストは小坂4号機の正面写真が無いため大杉谷の機関車を参考にしています。
また塗装は比較的濃い色だが木曽の灰黒色機関車よりはやや明るい感じというくらいしかわからないので想像です。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 16:18:03 | Trackback(0) | Comments(0)
小坂森林鉄道鹿山線~その1(正子鉄橋~鹿山)~
●鹿山軌道→小坂森林鉄道鹿山線
区間:正子鉄橋~下呂俣~カエル俣付近 12,971m
等級:軌道→森林鉄道乙→森林鉄道二級

小坂森林鉄道(1933(昭和8)、1934(昭和9)年度建設)、若栃軌道(1934(昭和9年度)建設)に続いて建設された帝室林野局名古屋支局小坂出張所の鹿山軌道。
帝室林野局名古屋支局の技手(ぎて)監督の元で1935(昭和10)年5月に起工。
2工区に分けて工事が進められ同年12月に若栃軌道大洞鉄橋分岐点~下呂俣8,841mが竣工しています。
大部分の区間は帝室林野局小坂出張所が1914(大正3)~1915(大正4)年度に建設していた道路林道の大洞林道に線路を敷いており廃線後は再び道路化されてるので道路→線路→道路と変遷。
1943(昭和18)年7月1日より路線名は小坂森林鉄道鹿山線になっています。
途中の上田俣や終点下呂俣からは作業軌道が奥へ延びており、下呂俣より奥の作業軌道は土木軌道に格上げされて鹿山線に編入。
最盛期の1954(昭和29)~1959(昭和34)年度の鹿山線全長は12,971mに達していました。
他の路線と同じく昭和30年代に撤去が進み1964(昭和39)年度で全線撤去完了。
末期は下呂俣より奥の作業軌道格上げ区間が残っていたようですが人知れず山中だけで運材列車が走り中継土場でトラックに積み替えてたのでしょうか?

IMG_20170502_141443.jpg
1935(昭和10)年度に正子鉄橋~下呂俣8,841m建設時の路線図。


小坂森林鉄道の全路線図はこちら。鹿山線は赤い線です。

P1030642.jpg
正子鉄橋の若栃線、鹿山線分岐点跡。
ここには大洞保線夫詰所があり鉄道電話機も置かれていました。
左に大洞川が流れており若栃線正子鉄橋跡に架かる道路橋が見えています。
線路は右の斜面寄りを通り左に90度カーブして正子鉄橋へ、鹿山線は正面に続いてました。

IMG_20170502_142114.jpg
若栃軌道、鹿山軌道分岐点の建設図面。
上に曲がって行くのが若栃線、右へ直進する赤線が鹿山線の計画線。
若栃線建設時からここには側線があり鹿山線建設のため構内配線変更が行われたことが見て取れます。

P1030635.jpg
線路分岐跡には濃飛バス中重口(ちゅうじぐち)バス停の待合所があります。
背後の石積みは恐らく鹿山線開設時に上の図面を元に建設されたものでしょうか。

P1030627.jpg
鹿山集落へ向かうと100mほどで道路と線路が分岐。
線路跡は1段高い藪の中に突っ込んでいきます。

P1030625.jpg
鹿山集落内は集落より一段高い山際を線路が通っていましたが削られたり柵ができたり家に遮られたりであまり面影なし。

P1030622.jpg
濃飛バス鹿山バス停。
バスはここが終点。鹿山線沿線で人が住む場所もこの鹿山までです。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 23:03:54 | Trackback(0) | Comments(0)
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