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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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富山営林署治山事業専用常願寺川軌道~その2~
治山事業専用常願寺川軌道は現在立山砂防軌道の終点がある水谷からスイッチバックで上りさらに300mのインクラインで上り上部軌道に連絡して松尾谷まで延びていた。
joganji-map1.jpg
1969(昭和44)年8月の水害で軌道が壊滅する3か月前に撮影された国土地理院の航空写真。
水谷の上にもスイッチバックやインクライン、さらにその先の上部軌道も写っているものの泥鰌池上の辺りがわかりにくい状態。

joganji-map2.jpg
常願寺川軌道の線路を赤線で書き加えるとこんな感じ?途中トンネルが2か所あったようですが現在も人知れず残っているのでしょうね。

富山営林署の車両数一覧
富山営林署には通常の運材を行う762mm軌間の長棟森林鉄道も存在したので車両数は一緒に統計を取られているものと見られる。
toyama-c.png
1977(昭和52)年8月に千寿ケ原の常願寺川治山事業所の車庫で松岡産業製のDLとGL(No.41)が撮影されており、営林署の軌道が完全撤去された後もしばらくは保管していた。
DLは保存予定で搬出されたものの、結局保存展示は実現しなかったとのこと。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 21:07:29 | Trackback(0) | Comments(0)
富山営林署治山事業専用常願寺川軌道~その1~
育児と小坂森林鉄道研究会の活動とで更新が止まってますが、久し振りに一つ木材搬出に使われない異色の森林鉄道ネタで行きます。
現在も国交省の砂防軌道があることで知られた立山カルデラ。
かつては国交省(当時は建設省)の軌道だけでなく、林野庁の富山営林署治山事業専用常願寺川軌道も通っていました。
当時の松岡の機関車などは見ることが叶わず、現地に立ち入りもできないので写真が乏しいです(T T)

① 立山カルデラの砂防、治山事業
立山カルデラは1858(安政5)年4月9日(旧暦2月26日)に起きた飛越地震による大崩壊(鳶山崩れ)以後、膨大な土砂が不安定な状態にあり、立山カルデラから流れ出る常願寺川を通じ、富山市などの都市部や穀倉地帯を抱えた越中平野に土石流を起こす危険を孕んでいる。
明治期より富山県が砂防工事を行っていたが、1926(大正15)年より内務省(後の建設省、現 国土交通省)直轄で事業が行われるようになり、1927(昭和2)年より砂防軌道による資材輸送が始まった。
DSC_0028_20210604212549bad.jpg
内務省とは別に立山カルデラ内の国有林では1916(大正5)年より農商務省(後の農林省、現 農林水産省)山林局富山小林区署による湯川本流及び松尾谷の治山工事が始まった。
1938(昭和13)年に一旦中断されるまで堰堤や護岸工事が行われたが、この頃は山林局の治山事業用の軌道は敷かれていなかった。
立山国有林での砂防事業が再開されたのは戦時中を挟み、林政統一により名古屋営林局富山営林署となった後の1952(昭和27)年のことで、長期の治山事業計画に基づき、軌道の敷設が行われる。

② 治山事業専用常願寺川軌道
1952(昭和27)年度より1954(昭和29)年度にかけ建設省の立山砂防軌道終点の水谷から国有林の事業地である湯川、松尾谷までの軌道や通信線、宿舎の建設工事が行われた。
工事の詳細は以下の表の通り。
joganjigawa-n.png
全長6,070mで水谷からスイッチバックで上り、全長300.5mのインクラインを挟み、松尾谷までの上部軌道と連絡した。立山砂防軌道と直通するため、非電化の軌間610mm、ガソリン、ディーゼル機関車が使用された。
森林鉄道2級線ではあるが国有林で産出する木材輸送のために敷かれた他の路線とは異なり、治山事業専用の異色路線だった。
1955(昭和30)年度から本格的な治山事業が始まり、軌道は湯川の砂防堰堤の資材などの輸送に使用された。
しかし1969(昭和44)年8月の集中豪雨により建設省、林野庁の砂防施設や軌道は大きな被害を受ける。
常願寺川軌道も全線が寸断され、翌1970(昭和45)年度の作業資材はヘリにより行われ、その後の湯川での治山事業は見合されることとなった。
常願寺川軌道は1976(昭和51)年度まで存続したが実質開店休業状態だったものと見られる。


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森林鉄道(名古屋営林局) | 21:37:50 | Trackback(0) | Comments(0)
小坂森林鉄道の踏切警報機、遮断機
コロナ騒動の影響で軽便鉄道模型祭の会場展示、販売が中止になり、同祭で発売予定だった「小坂森林鉄道 下巻」は販売方法検討中ですが今秋刊行予定に変わりありません。
上巻刊行後の取材で新事実もわかり謎の多い森林鉄道の姿を浮き彫りにしていきたいと思います。

今回はその中から一つ小坂営林署で通信を担当していた方(運転指令員に当たります)からお聞きした踏切警報機、遮断機について。
森林鉄道は記録が少ないため警報機、遮断機があったというのは初耳でした。
森林鉄道には都市部に入っていた秋田の仁別森林鉄道や青森の津軽森林鉄道もあるので恐らく踏切警報機、遮断機があったのではと思いますが具体的な証言は聞いたことがありません。

設置時期はかなり末期(小坂線は1961(昭和36)年中に実質運行停止)、昭和30年代に車が増えてきたので設置。
警報機、遮断機はメーカーの人が設置工事を行い管理は営林署の通信担当で行ったとのこと。
残念ながらメーカー名はご記憶にないとのことでしたが鐘が鳴るタイプだったとのことなので電鈴式か電鐘式警報機と思われます。

小坂で踏切警報機、遮断機があったのは小坂線の以下2か所
①飛騨小坂駅、大島貯木場の下(現・岐阜県道88号下呂小坂線との交差部)
飛騨川左岸を通る国道41号線に対し右岸を通って補完する県道。狭隘区間が多いですが交通量は比較的多い道。
P1000532.jpg
小坂線の大島側から踏切跡を見た様子。S字カーブの途中でここから貯木場へは最大20‰の上り勾配で山から下ってきた運材列車にとっては最後の難所。
そのため列車はこの奥で3車ずつ程度に編成を分けて貯木場へ入れるため機関車は貯木場とその下を数往復して列車を引き上げる必要がありました。

osaka-no13.jpg
この踏切を通過する協三5t機No.13。
ボンネット上には安全旗がはためきエギゾーストが立ち上りエンジンの唸りが迫って来そうな迫力ある1枚。
この背後では踏切が鐘を打つ音も鳴り響いていたものと思われます・・・この場を動画で撮りたい!

②旧・湯屋小学校そばの湯屋街道(現・岐阜県道437号湯屋温泉線との交差)
湯屋街道と呼ばれ小坂町が大正時代に整備した道路。
飛騨街道(現・国道41号線)や飛騨小坂駅と湯屋温泉郷を結ぶ観光道路で小坂森林鉄道開通前は馬車による御料林材輸送にも使うため整備時には小坂町に帝室林野局からも補助金が出されています。
現在は2車線道路にまでないっていますが湯屋温泉街の観光客減少で交通量は減っています。
P1000664.jpg
大島側から踏切を見た様子。

P1000665.jpg
踏切から小坂市街方面を見た様子。
小坂線もこちらに急カーブして一旦川下へ向かい正面の住宅裏の尾根を回りこみ濁河川の谷へ入って右へ進んでいました。

折角設置された自動踏切ですが夜中に雨が降っているとき踏切が誤作動して呼び出されることが多かったそうです。
不気味なシチュエーションですが別に怪談ではなく枕木に雨水が溜まって軌道短絡が発生し踏切の制御ユニットが「列車がいる」と誤検知するのが原因でした。
crossing1.png
列車がいない時は軌道回路が成立しておらず踏切が鳴りません。

crossing2.png
列車が絶縁を越えて踏切動作圏内に入って来ると軌道回路に電流が通ることで踏切の制御ユニットが起動、警報機が鳴り、遮断機が降ります。

crossing3.png
踏切が誤動作するのは普段電流を通さないはずの木枕木が水気を含んで電流を通してしまうのが原因。
いずれの踏切も前後がカーブした区間にあり鉄粉も多めに飛び散っていたことで絶縁が不十分になっていたものと見られます。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 17:50:46 | Trackback(0) | Comments(4)
小坂森林鉄道鹿山線~その7(下呂俣官行事業所跡)~
小坂森林鉄道鹿山線の拠点下呂俣官行事業所跡。
官行事業所は後には製品事業所と呼称されますが要するに伐採事業の最前線にあった事務所兼宿舎のこと。
鹿山線起点の大洞より8,644m、高山本線飛騨小坂駅と隣接する大島貯木場から18,824mの奥地です。

P1110363.jpg
かつて事業所前に3本の線路が並んでいた跡。
左には事業所建物基礎の石積みや石段が残存。

geromata_2.jpg
鹿山線現役時代の同一地点。
左の木造石置き屋根の建物は線路が引き込まれていることから機関車庫、中線には富士重工業製のモノコックトロが留置されています。
横では割烹着のまかないさんが窓枠のようなものを干している様子?障子の張り替えをしようとしているのでしょうか??

geromata_3.jpg
鹿山の機関車庫図面。
1935(昭和10)年の鹿山軌道下呂俣開通時に設けられたもので線路が貫通して前後に扉があるのに対し上の写真は庫内で行き止まり式のように見えます。改築された後なのかも知れません。
庫内には点検用のピットも設けられています。

P1110372.jpg
車庫があった辺りを見ると笹でわかりにくいものの長細い窪みがあります。
ピットが埋もれているのかも?

P1110322.jpg
下呂俣事業所の建物跡。中央に玄関前の石段があります。

geromata_1.jpg
かつてはこのような事業所建物が建っていました。
下呂俣より奥にもカエル俣まで作業軌道が延び戦後二級森林鉄道に昇格してますが工事中で立入不可でした。
少し見た限りではここまでの線路は忠実に林道に利用されたのに対し奥地の区間はヘアピンカーブなど林道から大きく外れた部分もある様子。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 23:39:46 | Trackback(0) | Comments(0)
小坂森林鉄道鹿山線~その6(上田俣~下呂俣官行事業所跡)~
上田俣の事業所へ作業軌道が分岐していた上田俣。

P1110274.jpg
上田俣橋梁と下呂俣へ続く軌道跡。
鹿山線時代の橋台などの遺構は残っていません。

P1110275.jpg
直進が上田俣作業軌道跡と見られます。
この作業軌道は戦後森林鉄道2級線の上田俣線とする計画でしたが鹿山線自体に編入されている可能性あり。
この先事業中らしくすぐにゲート。
地形的に大して遺構は残って無さそうですが次の課題かな?

P1110284.jpg
上田俣から再び鹿山筋本流へ戻って来ました。
何やら裏返った標識があります。

P1110285.jpg
警笛鳴らせの標識でした。
軌道時代の警笛吹鳴標もほぼ同デザイン(文字は「警笛」の2文字だけ)ですが軌道時代からの標識ではないでしょう。

P1110289.jpg
下呂俣手前付近は再び川との高低差が大きくなった断崖絶壁区間。

P1110314.jpg
第十一号橋梁を渡ると間もなく1935(昭和10)年度の建設当初の終点下呂俣官行事業所です。

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森林鉄道(名古屋営林局) | 22:18:55 | Trackback(0) | Comments(0)
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