■プロフィール

にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■閲覧数(2014/8/12~)

閲覧数(2014/8/12~)

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
名古屋市郊外のコキフ50000の車掌室
名古屋市郊外某所にコキフ50000の車掌室が置いてありました。
ワフやヨなら珍しくもない(とは言えこれもだいぶ数も減りましたね)のですがコキフとなると希少価値が高いですね。
名古屋近辺では名古屋貨物ターミナル構内と他にもう1か所で見た覚えがありますがそちらはまだあるかどうか不明。
P1000082.jpg
中央に低いガラベン、右にT字形の背の高いガラベンの2つがあるのでコキフ50000と見られます。
コキフ10000は中央のガラベンのみとのこと。
コキフはどちらも現役時代を見たことがない車両なので大雑把なイメージしかなくてよく分かってませんが(爆)

P1000077.jpg
乗務員扉の窓が大きいタイプです。
運送業者さんが倉庫代わりに使っている(いた?)ようですね。

P1000080.jpg
コンテナ側は壁だけでのっぺらぼうです。

P1000078.jpg
道を挟んで反対側にはワム60000かワラ1と見られる貨車も。
上半分しか見えずこれだけではどちらかまでは判別不能。

スポンサーサイト

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

保存車 | 23:00:41 | Trackback(0) | Comments(0)
畑の中の静岡鉄道→日立電鉄クモハ352
鉾田市内の畑に残る日立電鉄クモハ352の廃車体。
塗装が静岡鉄道時代末期から日立電鉄譲渡後初期の塗装に復元されています。
元は静岡鉄道のクモハ352でクモハ351+クモハ352の固定編成を組んでいました。
IMG_2000.jpg
元を正す1930(昭和5)年新潟鐵工所製の鶴見臨港鉄道モハ107(後モハ117に改番)、国有化後1953(昭和28)年にモハ1503に改番されたものの2年で廃車されて静鉄モハ19に。
仲間のモハ18(鶴臨モハ103→113→国鉄→モハ1503→)と編成を組んで静岡~清水の都市間輸送に就いていました。
1964(昭和39)年には静鉄の型式称号改正でモハから私鉄では珍しいクモハに。
1968(昭和43)年10月には静鉄長沼工場でこの車体を新造して日立電鉄譲渡後までの車番であるクモハ352に改番、同様に車体新造されたクモハ18改めクモハ351と引き続き編成を組んでいました。

IMG_2004.jpg
製造当時としては垢抜けた車体で静岡鉄道の技術力の高さを窺わせます。
先に登場していた300系と同等の車体ですが機器流用車のため足回りは古めかしい吊り掛け電車でした。
日立電鉄には1985(昭和60)年に転入しましたが足回りが旧型なため1994(平成6)年に営団地下鉄(現・東京メトロ)銀座線2000形に置き換えられています。

IMG_2005.jpg
クモハ351も払い下げられ最近まで日立電鉄のオレンジクリーム色のまま残ってたらしいのですが撤去されたそうで。
北陸出身者としては福井鉄道に転属してた静鉄300系と同型車体なので親近感があります。

DSC_0768.jpg
2009(平成21)年8月7日銚子電鉄外川にて撮影
鶴見臨港→国鉄時代に同型式、同型車体だった銚子電鉄デハ301。
こちらも同じ新潟鐵工所製でモハ105→モハ115と改番。一足先の1949(昭和24)年に国鉄で廃車となり銚子電鉄入りしてます。銚子には60年あまり居着いてました。
営業運転からは外れ足場を取り付け架線点検用に使われてたそうですがこの撮影後まもなく解体されたとのこと。
静鉄長沼工場には無車籍の牽引車として車体未更新のまま残ったクモハ20(鶴臨モハ109→モハ119→国鉄→モハ1505)が2007(平成19)年まで残っていましたが車内から見ただけで撮影してません(^ ^;)
こちらも同型車ですがメーカーが違い浅野造船所製でした。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

保存車 | 23:58:27 | Trackback(0) | Comments(0)
米原市米原公民館キ555の銘板
米原駅からほど近い米原市米原公民館に保存されているキ555。
学生時代からの馴染みの保存車ですが塗装し直したのか綺麗になっていました。

DSC_0162_20161022204735d11.jpg
単線用ラッセル車のキ100形に対する復線用キ550形です。

DSC_0163_20161022204735070.jpg
米原駅常備で大垣~米原の除雪に使用ということなので東海道本線の隘路・関ヶ原を守るためにいたわけです。
前照灯はごっつい雪覆いに守られた主灯と両脇に副灯2つ。左上には吹鳴時以外は蓋が覆っているタイホーンを備えています。

DSC_0166.jpg
説明板。製造年月は1943(昭和18)年3月とありますがこれには若干疑問点があります(後述)。
製造所は国鉄土崎工場・・・現在のJR東日本の秋田総合車両センターですがファンの間では今でも土崎工場と言った方が通りは良いですね。
説明板の下にはATSの車上子が見えてます。ATSは除雪車を後押しする機関車のを使用していたものと思ってましたが発見でした。

DSC_0167_20161022204738ef9.jpg
ブレーキ用だけでなくブレードの開閉や上げ下ろしに圧搾空気を使用するため屋根上にはエアタンクを6本も搭載。
運転席(というより除雪装置操作&監視室と言うべきか)の後部から突き出し前後に延びる煙突はダルマストーブのものでしょう。
見えてる後部台車は古典的なTR20タイプのアーチバー台車、そのため走行速度は65km/h以下に制限されてました。
速度制限がある貨車であることを示すため(機関車に押される無動力の除雪車は貨車に分類されてました)車体周りに黄帯、キ555の番号前には「ロ」の文字が入ってます。

DSC_0159_20161022204734f09.jpg
側面の銘板には「運輸省 土崎工場 昭和21年」とあります。
1943(昭和18)年製造とありましたがこちらは製造銘板でなく改造銘板なのか?
それより「運輸省」と入っているのは非常に珍しいです。
メーカー名や「鉄道省」「日本国有鉄道」「JR○○○」は多いですが運輸省と入るのはごく限られた時期。
 1943(昭和18)年11月1日 鉄道省と逓信省を統合。「運輸通信省」に。
 1945(昭和20)年5月19日 旧・逓信省の通信関係業務を逓信院に分離し「運輸省」に改称。
 1949(昭和24)年6月1日  国有鉄道業務を公共企業体「日本国有鉄道」に移管。
1945(昭和20)年5月19日から1949(昭和24)年6月1日の4年間に製造、改造された車両に付いた銘板のようで、戦中から戦後に掛けた混乱期の省庁組織の目まぐるしい変化の名残りです。
2001(平成13)年には運輸省も国土交通省に改組されたのでこの名前も忘れられていくのでしょうね。

IMG_2246.jpg
キ550が引退した後は除雪装置と機関車が一組のDE15(美濃太田区所属)が活躍してましたが関ヶ原の積雪減少で使用頻度も下がりこちらも引退してしまいました。
この画像は13年も前・・・2003(平成15)年11月醒ヶ井駅での撮影です。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

保存車 | 21:53:45 | Trackback(0) | Comments(0)
元・井笠鉄道ホハ13、14
こちらもホハ18、19と同じく1925(大正14)年日本車輌製。
見た目もほとんど変わりませんがこちらは井笠鉄道が発注した客車。
井笠ではそれ以前の客車がオープンデッキだったのに対し扉付で登場しましたが、ホハ18、19と同じく西武でオープンデッキに改造されました。
ホハ18、19と同じ経緯で丸瀬布まで来ています。
なお西武山口線時代はホハ13→37、ホハ14→38となっていました。

DSC_0883.jpg
ホハ13の後ろ姿。
こちらは後部妻板が撤去され展望車となっています。

DSC_0962.jpg
ホハ14は上回りを解体され、現在どのように改造するか検討中とのこと。
台枠には西武鉄道の文字がそのまま。

DSC_0909_20160728235442309.jpg
丸瀬布林鉄21号+井笠ホハ19+井笠ホハ13の編成。
西武で改造される前はホハ18、19は両端のドア下に大きなステップが垂れ下がっていたのに対し、ホハ13、14はドア下もストレートになっていました。
ホハ18、19のステップが撤去されると区別を付けにくいですね。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

保存車 | 00:04:00 | Trackback(0) | Comments(0)
元・井笠鉄道ホハ18、19
丸瀬布の客車というと元・井笠鉄道の客車がいますが標記が消されてていまいち元の番号がよく分かってませんでしたが一応特定できました。

と言うわけでまずは元・井笠鉄道ホハ18、19号から。
ルーツを辿ると両備軽便鉄道(現在のJR福塩線 福山~塩町の前身)が1925(大正14)年に日本車輌で新製したナ19、20号。
両備軽便鉄道は同時にナ16~20の5両を購入してますがナ16~18は1933(昭和8)年に両備鉄道(国有化時には「軽便」の2文字が取れてた)が国有化されたとき路線と一緒に鉄道省に籍が移ったものと見られます。
ナ19、20は国有化からから漏れた支線(高屋~神辺)を別会社化した神高鉄道に引き継ぎ。
ところがこの会社も一支線だけでは経営が立ち行かなくなり、両備時代から神辺で接続、相互乗り入れも行っていた井笠鉄道が1940(昭和15)年1月1日に運営を引き継ぎ同鉄道の高屋線に編入しました。
ナ19、20は井笠鉄道ホハ18、19となり、井笠鉄道線全廃の1971(昭和46)年まで使われたようです。
その後1972(昭和47)年より西武鉄道山口線の蒸機運行用として井笠鉄道1号機とともに西武鉄道へ送られ西武35,36号となっています。
1985(昭和60)年に山口線が新交通システムに改修されてからは西武鉄道が運営していた遊園地ユネスコ村に静態保存されてましたが1993(平成5)年に丸瀬布入りして動態復活したとのことです。

DSC_0918_20160728000322c1f.jpg
両備ナ20→神高→井笠ホハ19→西武36と移り変わった客車。
丸瀬布では番号標記がないですが展望スペースがない方の車両ということで見分けられます。
井笠時代はオープンデッキではなくドアがあり、ドア下には大きめのステップもあったのですが西武(ということは所沢工場でしょうね)でオープンデッキに改造されたようです。
原形のままと思ってましたが結構大胆にいじられてますね~。

DSC_1086.jpg
両備ナ19→神高→井笠ホハ18→西武35。
こちらは西武時代のまま。ローズピンクは西武旧型電機のイメージでしょうか。
そう言えばステップだけでなく台車もより小型のダイヤモンドトラックに交換されています。
両備鉄道の本線はナローながら1927(昭和2)年に直流600Vで電化(神高鉄道となる支線は非電化)されておりこれらの客車も日立製凸型電機に牽かれたこともあったはず。

DSC_0884_2016072800032034d.jpg
35(井笠ホハ18)の妻面には西武時代の標記もそのまま。


2016(平成28)年8月5日追記

両備鉄道から鉄道省に移った3両内2両の行方が分かりました。
ナ16、18は両備鉄道引継ぎの福塩線(福塩南線)が1935(昭和10)年に改軌完成したことで同線起点の福山から瀬戸内海の鞆の浦へ延びていた鞆鉄道へ払い下げられていました。
鞆鉄道は1954(昭和29)年3月に鉄道営業を廃止しておりこの2両も同時に廃車されたと見られます。
残るはナ17ですがどこかに払い下げられたのか国鉄で廃車になったのか?

両備ナ16→鉄道省ケコハ235→鞆ボハ11 
両備ナ17→鉄道省ケコハ236?→?
両備ナ18→鉄道省ケコハ237→鞆ボハ12
両備ナ19→神高ナ19→井笠ホハ18→西武35→ユネスコ村(静態保存)→丸瀬布いこいの森
両備ナ20→神高ナ20→井笠ホハ19→西武36→ユネスコ村(静態保存)→丸瀬布いこいの森


テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

保存車 | 00:25:30 | Trackback(0) | Comments(0)
次のページ

FC2Ad

まとめ