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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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近江鉄道トム200形他~その2~
近江鉄道トム200形で1台車号不明なのがいました。

20041120-1.jpg
彦根 2004(平成16)年11月20日
整理されてずらりと並んだ有蓋貨車やレールバス。
その中に・・・

20041120-2.jpg
彦根 2004(平成16)年11月20日
アオリ戸を撤去された無蓋貨車が1台。
特に狙って撮ったわけでは無いので写真では半分で切れちゃってます(^ ^;)
軸箱両側の軸箱守がW字型の古いタイプ。他のトム201~206は左のワ(車号不明)のようにがっちりとした台形1枚板の軸箱守でした。
W字型の軸箱守の方が恐らく国鉄トム5000形の原型に近いものと思われます。

20061022.jpg
彦根 2006(平成18)年10月22日
近江鉄道ミュージアム開館時の様子。
大量にいる貨車の中でアオリ戸も無く地味なせいかあまりまともに撮っていないです。(反省)

●この貨車はトム何号?
このトムについて近江鉄道ミュージアムではトム206と説明が付いていました。しかし同ミュージアム閉館後有田川町鉄道交流館に譲渡される際は部内の資料からトム203に訂正されているそうです。
しかしトム206はレール工臨編成、トム203は高宮で放置されているのを上写真撮影と同時期に見掛けておりどちらの車号でも矛盾が・・・(汗)
さらに和歌山の某御大より現車の台枠には「トム20~」のペイント跡があるものの一の位は不鮮明で7とも3とも取れるとのこと。
私も有田川で撮影させて貰ったのですが写真データが消えてる・・・(- -;)
因みにトム207はトム208、209と共に1985(昭和60)年12月26日付けで廃車になっています。

国立公文書館所蔵の近江鉄道トム200形、トム300形竣工図面
トム200、300とも中央に観音開きの開き戸がある国鉄時代の原形。
200と300では荷台の内寸は同じですが全長、床面高さなど細かい点が異なっています。
ohmi-tom205-210.jpg
国鉄より払い下げを受けたトム205~210

ohmi-tom219-224226.jpg
有田鉄道より譲渡されたトム219~224、226

ohmi-tom305307-311.jpg
有田鉄道より譲渡されたトム305、307~311

参考文献:
鉄道ピクトリアル 2000年5月臨時増刊号 関西地方のローカル私鉄(電気車研究会)

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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

関西私鉄 | 21:09:49 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道トム200形他~その1~
近江鉄道ト50形の続き。
国鉄から大量購入した無蓋貨車群は他にも~。
まずは10t積みクラスのト形。1948(昭和23)~1951(昭和26)年にかけて国鉄ト1、ト4900、ト6000、ト10100、ト30000、トフ100形が入ってますが近江での形式は国鉄の複数形式が入り混じりわけのわからない状態。
実質タネ車として買っただけで近江では改造して原形を留めてなかったのでは?

ト100、ト150、ト500形
ohmi-to.png


15t積みクラスのトムも同時期に入っています。
一部有田鉄道から譲受していますがこちらも元を正せば国鉄トム1、5000形です。

トム200、トム300形
ohmi-tom.png

実際に見ることができたのはトム200形201~206だけ。
アオリ戸が改造されて観音開きの扉があった国鉄トム5000形時代からはかけ離れた姿になっていました。
27台もいた内から綺麗に201~206が残っていたことになりますが実際に譲受当時の番号とは思えません。
状態が良い車を残し番号を201からの順で取り直していたのではないかと思われます。

20001014-204.jpg
トム204 高宮 2000(平成12)年10月14日
中央で2枚分割の鋼製アオリ戸に改造されたトム200形。
高宮に留置されていたのをガチャコン祭りの時に撮影したもの。
この後トム204号のみ姿を見なくなったのですがどこへ消えたのか??

20020926-203.jpg
トム203他 高宮 2002(平成14)年9月26日
時折留置車両は差し替わって西武401系が留置されていたり。

20021019-206.jpg
トム206(推定) 彦根 2002(平成14)年10月19日
レール工臨編成の中間に連結されていたトム200形。
番号が見えませんが消去法で行くとトム206のはず。
アオリ戸が撤去されているためか車側部に設けられていたアオリ戸のストッパーのバネも撤去されていました。

img0006.jpg
トム206(推定) 彦根 2002(平成14)年10月31日
ロコ1101により編成組み換え作業中。
車籍は6両ともあったものの実際に使われていたのはこの車だけ。

20071125-205-201.jpg
トム205(左)、トム201(右) 高宮 2007(平成19)年11月25日
レール工臨控車トム206以外のトム201~205は何で残されていたのかわかりません。
2段リンク化はなされていなかったので国鉄乗入は1968(昭和43)年10月以降認められなかったはずですが業務用でバラスト輸送に使っていたのでしょうか?彦根工場で1985(昭和60)、1986(昭和61)年に国鉄ホキ800形を元にホキ11~13が製造されて失職してたのかも??

DSC_0731_20191020215729ae6.jpg
手前からトム205+トム201+トム202+トム203 高宮 2012(平成24)年12月18日
高宮駅構内の留置貨車解体作業中に撮影したもの

DSC_0734_201910202157318be.jpg
左からトム205+トム201+トム202+トム203 高宮 2012(平成24)年12月18日
高宮駅構内の留置貨車解体作業中に撮影したもの

今回ご紹介したトム201~206は解体して果てたはずですがこの他にも謎のトム200形が現存しています。
以下次回~

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関西私鉄 | 22:29:34 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道ト50形
近江鉄道の無蓋貨車ト50形は1948(昭和23)~1949(昭和24)年頃に国鉄より46台という大量譲受した国鉄初代ト1形(内3台はト4500、ト4700、ト4900形)が前身。
10年ほど前までト60、61の2台がレール工臨の控車として現役。ト59が高宮留置でしたがいずれも解体されたようです。

img0003.jpg
彦根で入換中のト60かト61。現役車両でしたが番号標記が見えずどちらか不明(- -;)
アオリ戸が撤去され、レールを置く枕が追加されていました。
ト60、61は元国鉄ト1形が多い近江ト50形の中で珍しく別形式の車でしたが途中で別の車両と番号がすり替わっている可能性も無きにしも非ずです。
一応ト60は元国鉄ト4700形ト4842、ト61は元国鉄ト4900形ト5120。
いずれも1948(昭和23)年3月20日に近江鉄道から竣工届が出されています。
2002(平成14)年10月31日 彦根

IMG_2026.jpg
高宮留置のト59。セキ1と一緒に止められておりこちらもアオリ戸がありませんでした。
こちらは旧国鉄ト1形ト16787。近江での竣工届はト60、61と同じく1948(昭和23)年3月20日です。
ト1形は側面アオリ戸が1枚開きとなっており、木材輸送では隙間が開き過ぎず狭すぎずで良いこと降ろす時はアオリ戸を開けるだけで良いので重宝されていたそうです。
2003(平成15)年11月12日 高宮

画像 027
ト59の米原側の車輪回り。
シュー式軸受で松葉スポークと古典的なタイプ。貴生川側はスポークでなくプレート車輪でした。
2002(平成14)年10月19日 高宮

DSC_0733_20190926231251d5f.jpg
解体待ちのト59。横のセキは番号不明。この後すぐに解体されたものと思われます。
2012(平成24)年12月18日 高宮

ohmi_to50.png
国鉄、近江の番号対照表。
国立公文書館所蔵の近江鉄道・免許書類からまとめました。

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関西私鉄 | 23:46:04 | Trackback(0) | Comments(0)
神戸電鉄粟生線加古川橋梁周辺
この日は伯母の墓参りで兵庫県小野市へ。
お墓は浄土寺の国宝浄土堂のすぐ傍。

P1090267.jpg
1194(建久5)年建築と鎌倉幕府ができたばかりの頃に建てられた浄土堂。
快慶作の巨大な阿弥陀三尊像が納められていますが内部は撮影禁止。
重源上人設計の浄土堂は夕日が差すと溜め池に反射した光で堂内が朱色に輝くように設計されているのですが時間的に昼でなおかつ紀伊半島を台風通過中のためそれは見ることができず~。

鉄分は全くないはずでしたが小野の市街から神戸電鉄粟生線加古川橋梁へ寄り道。
もうすぐ粟生行きの普通が通過することをダイヤで確認してから移動。
ところが加古川上で信号待ち中に時刻表より早く3両編成の電車が通過するのが見えました。
P1090274.jpg
粟生から折り返して来たところを後打ち。臨時のビアトレインでした。
しかもメモリアルトレインの1151F使用。サービス精神旺盛だった伯母がサービスしてくれたのかな?
デ1152+サ1251+デ1151の編成で1977(昭和52)年川崎重工業製。
この塗装はこの編成に塗られていたことはなくもっと前の昭和30年代~昭和40年代前半の塗装。

shintetsu-tc151-1.png shintetsu-tc151.png
実際にこの塗装だったというクハ151
モノクロ写真ではコントラストが無いため一色塗に見えてしまいますがこんな塗装だったんですね。
当時は神戸電鉄オリジナルの電動車が旧・神中鉄道→相模鉄道のガソリンカーや戦前の展望車改造のクハを牽くアヤシゲな電車が活躍していました。
このイラストのクハ151は元神中キハ41→キハ51に改番の1937(昭和12)年日本車両製流線型ガソリンカー。
1943(昭和18)年に同僚のキハ33、34と共に横浜から神戸へ来て川車でクハに改造・・・港町の郊外鉄道という似たような立ち位置の鉄道で活躍します。
台車は気動車用菱枠台車から電車用のイコライザ台車に履き替え1971(昭和46)年まで使われていました。
豊橋鉄道渥美線にも似たようなの(ク2401,2402)がいたなと思ったら同じ神中キハ40→キハ50形でした。

P1090278-2.jpg
加古川橋梁は1952(昭和27)年4月10日に粟生線電鉄小野~粟生延伸時に架設されたものですが橋桁は中古品を掻き集めたのか古いイギリス製の桁が使われています。
ポニートラスは1連が老朽化で架け替えられ公園へ移設されたものの他の2連は健在。
1888(明治21)、1889(明治22)年製で水戸鉄道(現JR水戸線)や東海道本線原野谷川橋梁(袋井~磐田)の橋桁が回り回って加古川に来たようです。
手前のガーダー2連もスティフナーの上下端が曲がってることからイギリス製でしょうね。

P1090288.jpg
元々撮る予定だった定期の普通列車は1103Fデ1103+サ1202+デ1104。1969(昭和44)年川崎車輌製。
同じ1000系ですが2扉や3扉、前パン車もいたりバラエティーに富んでいます。
どことなく小田急2320、2400形などの初期高性能車にも似たスタイルで元小田急沿線民としてもどこか親近感を覚えます。

P1090291.jpg
帰りにちょっと目に付いた加古川橋梁粟生側アプローチ部にある避溢橋。
ものすごい急勾配になっているのが気になりまして~(^ ^)

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関西私鉄 | 00:02:02 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道クハ1212→モハ204→モユニ11のこと
クハ1212は1973(昭和48)年にモハ203形モハ204、さらに郵便荷物合造車モユニ11形モユニ11に改造されたことになっています。

img093.jpg
見ての通り全く別の車両で京王デハ1700形デハ1707の車体と手持ちの電装品、台車を組み合わせてつくった車両。
郵便荷物合造車に改造され廃車された後の姿ですが正面右窓上には「204」の番号も残っていました。
この手持ちの部品にクハ1212の部品があったのかどうかは分かりません(- -)
2001(平成13)年10月14日 彦根車庫 ※許可を得て撮影

モハ204の種車となったデハ1707もややこしい歴史を持ったクルマです。
1946(昭和21)年汽車会社製で当時東急の井の頭線に入ったデハ1700形のラストナンバー車。
片運転台車で正面3枚窓の平凡な関東私鉄スタイルの電車です。
当初はこちらも当時東急の路線だった京浜線(現・京浜急行)へ入れるはずだったのが1945(昭和20)年5月25日の山手空襲で永福町車庫が壊滅し車両不足に陥っていた井の頭線へ回されます。
戦後は東急から分離して京王帝都電鉄となり引き続き井の頭線で20年ほど使われますがステンレス車3000系が増備されると軌間の違う京王線へ移ります。
当初1,435mm軌間の京浜線に入るはずが1,067mmの井の頭線、そして1,372mmの京王線へ~

keio-mc1707-1-2.png  keio-mc1707-1-1.png
京王線時代のデハ1700形デハ1707
末期はオデコに前照灯を2つ載っけた京王独特の2灯化改造が行われていました。

京王線でも新形車が増えてくると1972(昭和47)年に廃車、車体だけ近江鉄道に譲渡されます。
元小田急デハ1600形の車体と近江手持ち部品を組み合わせたモハ203形モハ203の次の番号モハ204が当てられました。
小田急デハ1600も同時期製造の似たようなスタイルの電車で編成を組んでもあまり違和感は有りません。
近江では両運転台に改造、元々運転台があった側にも貫通扉が追加されて表情が変わりました。

img094.jpg
京王時代からの運転台側前面。中央の狭窓部分に貫通扉が設けられた。
彦根車庫留置時はこちらにモハ103が常に連結されており上手く撮れませんでした(- -)
車体検査標記は1980(昭和55)年7月になっておりモユニ改造前の表記だった様子。
2001(平成13)年10月14日 彦根車庫 ※許可を得て撮影

img093_2018051723230804f.jpg
こちら側は近江入りの際に増設された運転台。
貫通化せず前面2枚窓にしていたらクハ1212と似ていたかも?
2001(平成13)年10月14日 彦根車庫 ※許可を得て撮影

両運転台を生かし単行や増結運用に就いていましたが1981(昭和56)年1月26日付で郵便荷物合造車のモユニ11に改造。
しかし国鉄の1984(昭和59)年2月ダイヤ改正で郵便輸送が縮小されると近江鉄道の郵便荷物輸送は廃止。
休、廃車として彦根車庫に留置されていました。

img093-2.jpg
増設運転台側の郵便室。
鉄道郵便現役時の姿は物心つく前で見た覚えが無く貴重な存在でした。
2001(平成13)年10月14日 彦根車庫 ※許可を得て撮影

大正、昭和、平成と変転を重ねたこの車両、1914(大正3)年のフホハ26登場から90年目の2004(平成16)年に彦根駅東口の再開発でついに姿を消しました。
フホハ26→クハ1212→モハ204→モユニ11

参考文献:
鉄道ピクトリアル2000年5月増刊号(No.685)【特集】関西地方のローカル私鉄(鉄道図書刊行会/刊) ~近江鉄道電車沿革史(藤井 信夫)~
鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション19 私鉄車両めぐり 関西(鉄道図書刊行会/刊) ~私鉄車両めぐり 近江鉄道(白土 貞夫)~

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関西私鉄 | 23:37:52 | Trackback(0) | Comments(0)
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