■プロフィール

にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■閲覧数(2014/8/12~)

閲覧数(2014/8/12~)

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
近江鉄道クハ1212→モハ204→モユニ11のこと
クハ1212は1973(昭和48)年にモハ203形モハ204、さらに郵便荷物合造車モユニ11形モユニ11に改造されたことになっています。

img093.jpg
見ての通り全く別の車両で京王デハ1700形デハ1707の車体と手持ちの電装品、台車を組み合わせてつくった車両。
郵便荷物合造車に改造され廃車された後の姿ですが正面右窓上には「204」の番号も残っていました。
この手持ちの部品にクハ1212の部品があったのかどうかは分かりません(- -)
2001(平成13)年10月14日 彦根車庫 ※許可を得て撮影

モハ204の種車となったデハ1707もややこしい歴史を持ったクルマです。
1946(昭和21)年汽車会社製で当時東急の井の頭線に入ったデハ1700形のラストナンバー車。
片運転台車で正面3枚窓の平凡な関東私鉄スタイルの電車です。
当初はこちらも当時東急の路線だった京浜線(現・京浜急行)へ入れるはずだったのが1945(昭和20)年5月25日の山手空襲で永福町車庫が壊滅し車両不足に陥っていた井の頭線へ回されます。
戦後は東急から分離して京王帝都電鉄となり引き続き井の頭線で20年ほど使われますがステンレス車3000系が増備されると軌間の違う京王線へ移ります。
当初1,435mm軌間の京浜線に入るはずが1,067mmの井の頭線、そして1,372mmの京王線へ~

keio-mc1707-1-2.png  keio-mc1707-1-1.png
京王線時代のデハ1700形デハ1707
末期はオデコに前照灯を2つ載っけた京王独特の2灯化改造が行われていました。

京王線でも新形車が増えてくると1972(昭和47)年に廃車、車体だけ近江鉄道に譲渡されます。
元小田急デハ1600形の車体と近江手持ち部品を組み合わせたモハ203形モハ203の次の番号モハ204が当てられました。
小田急デハ1600も同時期製造の似たようなスタイルの電車で編成を組んでもあまり違和感は有りません。
近江では両運転台に改造、元々運転台があった側にも貫通扉が追加されて表情が変わりました。

img094.jpg
京王時代からの運転台側前面。中央の狭窓部分に貫通扉が設けられた。
彦根車庫留置時はこちらにモハ103が常に連結されており上手く撮れませんでした(- -)
車体検査標記は1980(昭和55)年7月になっておりモユニ改造前の表記だった様子。
2001(平成13)年10月14日 彦根車庫 ※許可を得て撮影

img093_2018051723230804f.jpg
こちら側は近江入りの際に増設された運転台。
貫通化せず前面2枚窓にしていたらクハ1212と似ていたかも?
2001(平成13)年10月14日 彦根車庫 ※許可を得て撮影

両運転台を生かし単行や増結運用に就いていましたが1981(昭和56)年1月26日付で郵便荷物合造車のモユニ11に改造。
しかし国鉄の1984(昭和59)年2月ダイヤ改正で郵便輸送が縮小されると近江鉄道の郵便荷物輸送は廃止。
休、廃車として彦根車庫に留置されていました。

img093-2.jpg
増設運転台側の郵便室。
鉄道郵便現役時の姿は物心つく前で見た覚えが無く貴重な存在でした。
2001(平成13)年10月14日 彦根車庫 ※許可を得て撮影

大正、昭和、平成と変転を重ねたこの車両、1914(大正3)年のフホハ26登場から90年目の2004(平成16)年に彦根駅東口の再開発でついに姿を消しました。
フホハ26→クハ1212→モハ204→モユニ11

参考文献:
鉄道ピクトリアル2000年5月増刊号(No.685)【特集】関西地方のローカル私鉄(鉄道図書刊行会/刊) ~近江鉄道電車沿革史(藤井 信夫)~
鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション19 私鉄車両めぐり 関西(鉄道図書刊行会/刊) ~私鉄車両めぐり 近江鉄道(白土 貞夫)~

スポンサーサイト

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

関西私鉄 | 23:37:52 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道クハ1212のこと~その2~
クハ1212その後~。
1961(昭和36)年に近江鉄道彦根工場自家製の車体に載せ替えています。
台枠は鋼体化改造のため取り換えられた上毛クハ1061(元西武の木造電車クハ1251)の旧車体のものを使用。
因みに車体のどこか初代クハ1212の部品がどこか一部にでも使われていたのかは不明~。多分ないんだろうな(^ ^;)
当初僅かな期間のみ前面3枚窓だったようですが間もなく2枚窓に改造。
湘南フェイスを扁平にした顔つきで側面はモハ1、前面スタイルはモハ51、52(→銚子電鉄モハ701、702)そのもの。
ohmi-tc1212-2-2.png
モハ52(右)と編成を組んだ姿で描いて見ました。
日本鉄道自動車製の標準車体だったモハ51もクハ1212と同様の前面に改造されていました。
側面形状は後に多数自家製で登場させた湘南フェイスモハ1、131系と同じ。
通風器は独特の尖った形状のグロベンを載せています。
ohmi-tc1212-2-1.png
クハ1212前面
その後1系や500系の増備が進み標準化が進むとクハ1212は使い難くなったのか1973(昭和48)年に廃車。
十和田観光電鉄へ譲渡の話もあったようですが実現してません。
クハ1212は廃車になったものの車籍は使い回され、同年購入のモハ203形モハ204号に改造したことになっています(- -;)
と言うわけでまだ続きます(爆)


クハ1212の仲間~近江型の電車~
img092.jpg
クハ1212の側面スタイルを引き継ぎ自社彦根工場で大量増備した近江鉄道モハ1系。
これらの新製車も木造電車改造名義のため車籍は複雑怪奇。
モハ5+クハ1221
1998(平成10)年3月28日 高宮

DSC_1050.jpg
銚子電鉄モハ702。クハ1212と前面スタイルが同じで近江時代はコンビを組んでいたモハ52。
1978(昭和53)年に銚子電鉄に譲渡されたモハ51、52は2010(平成22)年まで活躍、現在も千葉県いすみ市ぽっぽの丘で保存されて旧近江型の姿を偲ばせる存在となっています。
銚子電鉄モハ702(元近江モハ52)+モハ801(元伊予鉄クハ405→モハ106)
2010(平成22)年1月23日 仲ノ町

DSC_1151_20180514225640050.jpg
銚子電鉄モハ701(元近江モハ51)
モハ51もクハ1212タイプの前面を持つクハ1207と編成を組んでいた。
クハ1207は名義上1898(明治31)年福岡工場製だが車体は1927(昭和2)年川崎造船所製(豊川鉄道モハ22→国鉄モハ1601→上信電鉄クハニ21、台車は旧西武と言うとんでもない怪車。
2010(平成22)年1月23日 銚子

関西私鉄 | 23:19:46 | Trackback(0) | Comments(0)
近江鉄道クハ1212のこと~その1~
今から20年以上前の話~
京都からの帰りに草津線貴生川で乗り換えた電車が日野までの区間運転だったため日野で途中下車。
夕暮れの雰囲気がとてもいいローカル駅だったので次の米原行まで30分待ちの間に駅の周辺を見ることに。
写真の撮影は3枚とも1997(平成9)年8月15日です。

img091.jpg
乗って来たモハ224が貴生川へ折り返していくのを見送り。
左のLEカー車庫は今も残ってますね。右の小屋の間に黄色い物体が見えますがどうやらタッグローダーだったようです。
このタッグローダーが最近復元されイベントなどで日野駅に展示されるようです。
ここから目線を右に振って行くと・・・

img090.jpg
ホーム横に怪しい木造の廃車体がありました。
クハ1212形クハ1212号の初代車体です。

img090-1.jpg
拡大~。
クハ1212は片運転台車で右(米原側)に乗務員扉があることから右が前面。
この車体が現役当時の写真を見ると当時も米原方向を向いていた様子。
前面幕板にはピンクっぽい塗装(茶色が退色した?)、側面窓周りには黄色の塗装が残ってました。

クハ1212は1914(大正3)年多賀線開業時に用意された両端オープンデッキの加藤車輌製作所製ボギー客車イ4号が前身。
因みにメーカーの加藤車輌製作所は小形内燃機関車製造の加藤製作所とは別会社です。
国鉄で「イ」は1等車を意味しますが当時の近江鉄道では1、2等合造車の意味だったそうで1926(大正15)年には形式称号変更でフホロハ4号に変わります。
当初は蒸気機関車に牽引されてましたが1930(昭和5)年に電化されると電車に牽かれるようになり、また優等車廃止によりフホハ26号へ再改番。
1940(昭和15)年には両端のオープンデッキをやめて扉に改造、さらに戦時中には中扉を増設して3扉車となっています。

ohmi-fc26-1-2.png
3扉化改造後のフホハ26
戦中、戦後のガラス不足の時代のままなのか縦桟の入った窓になっている。

戦後西武鉄道の木造電車が大挙して転入、1956(昭和31)年に他の客車たちは台車を西武から譲り受けた車体に渡してクハ1205~1211になり車体は廃棄されましたがフホハ26号は車体の状態が良かったのでそのままクハに改造。
続番でクハ1212形クハ1212号になっています。

ohmi-tc1212-1-2.png
元・神姫電鉄(現在の山陽電鉄)デハニ2(左)と編成を組んだクハ1212
クハ化に際し両端の客扉が内側に移され乗務員室を設置、窓も新たに開けられていくらか整った外観になった。

ohmi-tc1212-1-1.png
クハ1212前面(米原方)

台車を高野山電気鉄道放出品の汽車会社製BW54-18Lに履き替え使われたものの1958(昭和33)年には結局西武クハ1203の車体に載せ替え、製造時からの旧車体は半分に切られて日野駅で倉庫として利用されました。
旧車体は車両としては引退したもののクハ1212はまだ変転を続けます。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

関西私鉄 | 18:25:43 | Trackback(0) | Comments(0)
近鉄名古屋駅の装飾架線支柱
近鉄名古屋駅の優等列車発着に使われる4,5番線の気になるもの。
P1010325.jpg
用事で関西へ行く途中寄り道のため名張まで特急利用。
右の4番線に止まっている22600系に初乗車。

P1010324.jpg
今回話題とするのはちょっと引いて右上に見える鋼体架線を支える支柱。

P1010321.jpg
クローバーっぽい装飾が入ってますがこの形状は何と言えばよいのでしょうね。

P1010322.jpg
大小2つずつ入ったものも。

P1010320.jpg
見る角度によっては非常に複雑な形状にも見え面白いです。
これらの装飾支柱は関西急行鉄道時代の1938(昭和13)年6月26日の関急名古屋駅開業以来のものなのでしょうか。

続きを読む >>

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

関西私鉄 | 22:18:18 | Trackback(0) | Comments(4)
夕暮れの大阪モノレール
京阪電車と一緒に寄り道したのが大阪モノレールこと大阪高速鉄道。
京阪本線と乗換の門間市駅自体が普通と区間急行(朝夕のみ・・・)しか止まらないので降りたことがなく、モノレールと交差する鉄道も乗換駅があまりないという有り様で乗ったことがありませんでした。
とは言え長距離のモノレール路線と言うのは何だか気になってました。

DSC_0424_20160630221134d93.jpg
門真市から淀川を渡り南摂津駅で途中下車。
後方に見えるのは淀川橋梁と谷町線接続の大日駅前高層マンション群。
1000系21編成。

DSC_0430_20160630221136ed0.jpg
高速道路(近畿道)と一緒に都市部の外周を行く姿は名古屋では東海交通事業城北線に近い雰囲気ですがこちらは列車本数も乗客も多いです。

DSC_0434_20160630221137252.jpg
急勾配を駆け上ってきたのは2000系17編成。見た目には1000系と大差ありませんが制御方式が違うとのこと(1000は界磁チョッパ、2000はVVVF)。どちらの系列も日立製作所、川崎重工業製の編成が存在します。

途中並走する大阪貨物ターミナルへの貨物支線では吹田へ向かう貨物列車と並走。
向こうは防音のため高架が壁ですっぽりと覆われているので突き出た2丁のパンタだけが走る珍妙な光景になってました。

DSC_0437.jpg
終点の大阪空港手前では文字通り羽を休めるプロペラ機も見下ろすことも。
大阪空港は市、県境が複雑に入り組んでおり、モノレールの敷地も場所によっては僅かながら兵庫県に入ってるそうです。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

関西私鉄 | 23:08:54 | Trackback(0) | Comments(0)
次のページ

FC2Ad

まとめ