投稿日:2020-05-18 Mon
キハ601に乗って浜駅へ移動。
霞ケ浦のそばにある浜駅。

国道355号が鹿島鉄道線をオーバークロスする陸橋へ。
筑波颪が吹き荒れ霞ケ浦には白波も見えます。
中央奥には2つの角のような筑波山

玉造町から浜の間で小さな丘陵越えをする場所を狙います。
石岡行きのキハ431が切通しから飛び出してきました。

キハ430型は非冷房車で夏場は動かないので冬場が狙い目。

浜駅に戻ってまた次の列車に乗ります。
今度は1992(平成4)年新潟鐵工所製のKR500型KR505。
よくある三セク向けレールバスのようでいながら意外と類型車がいません。
浜駅はかつては島式ホームの交換駅だったようで前後で線路が曲がっていました。

締めは坂戸~鉾田でキハ601を後打ち。
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投稿日:2020-05-15 Fri
石岡機関区をお暇してキハ601に乗り常陸小川駅へ。
この列車は鉾田まで行かない常陸小川止まりで石岡への折り返し待ち中。
駅舎は関東鉄道時代に建て替えられたものと見られるこれといった特徴のないのコンクリート造り。
しかしこの規模の地方私鉄の駅で珍しく有人駅だったのでどこか温かみがありました。

ここに来たのは旧貨物側線で保存されていたDD901を撮るため。
石岡機関区で見たDD902はこの車の続番ですがまるで似ていません。
DD902は標準的なDD13の形状ですがこちらは何だか不気味で「巨神兵」とでもいう感じ。

1955(昭和30)年に日本車輌が試作した運転整備重量51.6tのロッド駆動式ディーゼル機関車。
国鉄で試用されたときはDD42 1を名乗り名古屋工場の入換などで使われたそう。当時は笹島辺りによく現れていたのでしょうか。
1958(昭和33)年に関東鉄道の前身である常総筑波鉄道が購入し常総線で使っていたものが航空自衛隊百里基地のジェット燃料輸送で貨物輸送量が増えた鹿島線へ1974(昭和49)年に異動、1979(昭和54)年に鹿島線が関東鉄道から分離されてそのまま鹿島鉄道に残ったもの。
見た目は当時日車が作っていた20~25tスイッチャーを2台背中合わせにしたような感じ。
名鉄可児川駅の名古屋パルプ専用線にいたDB20などとよく似ています。

大谷石でしょうか?の石積みの貨物ホームと上屋も枯れてなかなか味わい深くなっています。
この時点では屋根付き駐輪場とされていました。

貨物上屋越しにDD901の前面を狙い。
バックにホキ800もいて貨物輸送を行っていた頃のイメージ。

DD901と貨物ホームで40分ほど楽しんだ後は次の目的地へ。
石岡まで往復して今度は鉾田行きとしてやって来たキハ601に乗車します。
投稿日:2020-05-12 Tue
鹿島鉄道車庫見学の続き。昭和30~40年代の地方私鉄の雰囲気を色濃く残す車両や施設群に心が躍りましたね。

石岡駅のホームから下りたところにあった乗務員詰所とキハ431。
常磐線から下りてここへ来ると時代が一気に巻き戻されたよう。
キハ431は元加越能鉄道加越線のキハ125。1957(昭和32)年東急車輌製。

キハ601と石岡機関区の看板が掲げられた建物。
キハ601は1936(昭和11)年川崎車輌製の元国鉄キハ42000型。
昭和20年代に天然ガスカーのキハ42200型、さらにディーゼル化されてキハ42500型となるなど車号の変遷が激しい車です。
国鉄キハ42032→キハ42205→キハ42528→キハ07 29→鹿島参宮キハ42503→関東キハ601→鹿島キハ601
国鉄時代は常磐線我孫子、木更津、大原など千葉地区、二俣線遠江二俣、長野周辺で使われ1964(昭和39)年廃車後鹿島参宮鉄道に譲渡。

1965(昭和40)年には機械式変速から液体式変速に改造、1972(昭和47)年には西武所沢工場で総括制御下、前面6枚窓の丸い運転室が改造され関東鉄道の標準的な顔になっています。
その後も貫通扉を埋めたりワンマン化されたり、冷房化(!)されたりととんでもないことに~。
台枠はキハ42000として製造当初の流線形のままなのか連結器の周りに見える台枠左右が引っ込んでいますね。

キハ601のエンジン始動。
雲一つない常陸の青空に白煙が噴き上がります。
この日は冷え込んでたのでエンジンはややご機嫌斜めだった様子。
当初はガソリンエンジンでしたがこの頃はDMH17。何代目のエンジンだったのでしょうね。

キハ431と色違いのキハ432。
こちらも元加越線のキハ126でキハ431と同時期の製造。
元は前面窓の天地幅が大きくもっとパッチリ目な感じでしたが外板張替えで窓が小さくなっています。

建屋の前ではキハ714が整備中。塗装が終わったばかりだったようで美しい姿を見せていました。
こちらは元夕張鉄道キハ251。1953(昭和28)年新潟鐵工所製。
北海道で初の液体式気動車だったとのことで函館本線や千歳線に乗り入れたこともあったとか。
鹿島鉄道の母体となった関東鉄道は気動車の屋根を銀色塗装するのが特徴でした。
非電化私鉄の東の横綱が関東鉄道なら西の横綱は江若鉄道でしたがこちらも銀色屋根。何か理由があったのでしょうかね。
投稿日:2020-05-09 Sat
2005(平成17)年1月に友人と鹿島鉄道へ出かけたときのこと。車庫の見学許可を頂いて構内を撮影させていただきました。

DD902形DD902号
見た目は国鉄DD13そのものですが1968(昭和43)年日本車輌製の自社発注機。
一緒にいたDD13形171、367の2台は既に中国へ譲渡されていました。そちらはその後どうなったのか。
この茶色に白帯塗装が渋くて好きでしたね。

協三工業20t貨車移動機がいましたがこれは保線MC代わりだったそうです。
機関車表フルコンプリート版(沖田 祐作/編 ネコ・パブリッシング/刊)によると1978(昭和53)年協三工業製で製番A20021とのこと。
国鉄に納入され機械番号06-28-01-084で東京レールセンターで使用ということからすると越中島貨物で使われていたのでしょうか。
DD902とこの移動機は末期にオレンジに塗装されていましたがその姿は見ることなく終わりました。
どちらも2007(平成19)年4月1日の廃止より前に日本製鋼所室蘭製作所構内鉄道に移ったそうですが今はどうなっているのやら?

後ろには1963(昭和38)年日車製の鉄側有蓋車スム1000形(スム1003、1005と思われ)が並んでいました。
近過ぎてあまりまともに撮れなかったのでロクな写真ではありません~(^ ^;)
しかも庫内にいたであろう整備されたスム1002の方は撮っていない(整備前に銀塩で撮影した覚えはあるけど・・・)という大失態。

関東鉄道の社紋と関東の文字に常総線の上に鉾田線を重ね書きした跡。

トラック型モーターカーと軽トラ荷台を載せた保線トロ。
このトラック型モーターカーは前面を相当に改造されている感じ。末期には顔を描かれていましたね(^ ^)

向かって右のヘッドライト下に銘板がありますがチェックしてなかった~(- -;)~
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