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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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座間の砂利軌道~その7(相模興業専用道路転用区間~四ツ谷、新田宿採取所)~

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再び住宅地の舗装道路になります。
複線が敷かれてただけあってか不自然に広い道路となっています。

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道路が未舗装になるとく並走してきた四ツ谷軌道と、新田宿軌道の分岐点、四ツ谷軌道は直進してから左方向へ、新田宿軌道は右へ直角に曲がって相模川の旧堤防に沿って上流へ向かっていました。
正面の軽トラがいる場所が旧堤防。画像では高低差がごとんど見られず実感がありませんね~現地で見てもかなりこじんまりとした堤防です。

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四ツ谷軌道は旧堤を越えて直進する路線が描かれていたり左へカーブして下流へ向かう線路が描かれて居たりします。
砂利採取の作業場所が移動することで線路も敷き直されていたものと思われます。

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新田宿軌道の跡。旧堤上に線路を敷きそうなものですが地形図を見ると線路は堤防に沿って敷かれており、この画像では左側に線路があったようですが実際のところは不明。

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旧堤防はここまででこの先は新田宿の採取所まで特に何の変哲もない2車線道路(交通量があり幅も狭いので危ない- -;)と河原があるだけ。

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採取所そばのグランドの名前「新田宿グランド」に名残があるくらいでしょうか。

IMG_4262.jpg
砂利採取所で活躍していた採取船の模型~。
この模型画像はリンク先の奥野君の専用線日記の奥野さんの作品を撮影させて貰ったものです。
相模川では砂利採取最盛期の1956(昭和31)年時点でこのような採取船が29隻いたそうです。
河床の砂利を掘ってはナベトロやダンプカーへ積み込んでいました。
木造の平底船に櫓を載せて河床の砂利を掘っては運び上げるコンベアを設置しています。

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ナローゲージ | 22:53:12 | Trackback(0) | Comments(0)
座間の砂利軌道~その6(県道交差~相模興業専用道路転用区間)~
軌道と交差する一番大きな道路、神奈川県道51号線。
踏切警手が配置され、列車が接近すると県道を遮断していました。
戦後の占領下の時代、河原へ向け推進運転中のナベトロ列車と進駐軍のジープが衝突してジープが田んぼに跳ね飛ばされる事故もあったとか。
入谷駅の積卸桟橋が行き止まり式で機回しできないため駅行きは牽引、河原行きは推進運転だったようですね。
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県道の先は普通の路地のように見えますが左のあまり目立たない位置に相模興業専用道路のため通行禁止の看板が立っています。

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1964(昭和39)年4月1日に相模川の砂利採取が全面禁止となった後は田畑の地下に溜まった砂利を採取してダンプカーで運んでいた名残だとか。
この看板に書かれた3社に織戸組を加えた座間資源管理組合という砂利組合が結成されてましたが田畑での砂利採取も終わり、1988(昭和63)年3月には組合も解散しています。
相模興業は人の森株式会社と名前を変えて山砂利採取を続けいていますが、武相砂利は既にありません。
最も老舗の宮代砂利は情報が無く現状不明。専用道路として使われたのも30年前までのことですがこの看板は現在も有効??

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専用道路となった軌道跡を県道と反対側から見た様子。
この辺で入谷駅からの四ツ谷軌道、新田宿軌道共用の3線区間はこの辺まで。
分岐してしばらくは2本の軌道が並走していました。
道路の左側が小田急の新田宿軌道(762㎜軌間)、右が相鉄の四ツ谷軌道(610㎜軌間)でした。
こちらから見ると特に立入禁止の看板も何もなく道路標識も公道にしか見えません。
この通りに面した飲み屋さえあります(^ ^;)

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相模川方面を見た様子。バリケードがあって入りにくくはしているものの特に立入禁止措置は取られていません。
地元の人も普通の道路として使っており曖昧な感じ。

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さらに先へ行くと車は入れないように柵で囲われた廃線敷となります。大山をバックになかなかアヤシゲな雰囲気。
8年前は相模興業の専用道を示す看板があったような記憶がありますが今は枠だけになってます。


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ナローゲージ | 21:15:20 | Trackback(0) | Comments(0)
座間の砂利軌道~その5(四ツ谷・新田宿軌道共用区間~県道交差)~
四ツ谷軌道が相模線交差部まで来たことでいったん入谷駅開業後に同駅へ乗り入れた四ツ谷軌道の新線の方へ移ります。
四ツ谷軌道と共に小田急砂利の新田宿軌道も3線軌条で線路を共用していたので2路線の廃線跡が重なります。

なお地図で入谷駅付近を拡大してもらうと相模線の貨車への積卸桟橋は四ツ谷軌道と新田宿軌道で別々になっているのがわかります。

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今では1面1線だけの入谷駅。かつては右の雑草雑木で覆われたスペースに側線と軌道桟橋がありました。
奥が茅ヶ崎方で左に見える送電線の紅白の鉄塔と奥の鉄塔の間で旧軌道が交差していました。
桟橋は旅客ホームの茅ヶ崎寄りにあり、左から四ツ谷軌道、新田宿軌道の桟橋が各1線入りその両側を囲むように相模線入谷駅構内側線が入る配線だったそうです。軌間で言うと1067㎜の本線1&側線4、610㎜1本、762㎜1本と3つの軌間が並ぶ駅でした。
現在の桑名駅をれんそうしてしまいました。(桑名にも当時砂利の積替桟橋と側線が有った)

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入谷駅の橋本方。敷地の拡がりから側線の分岐があったことがわかりますね。

入谷駅構内側線は専用線一覧表にも以下のように載っており、相模鉄道の専用線扱いだったようです。
専用者:相模鉄道(株)
第三者使用:小田急砂利(株)、相模興業(株)
作業方法:国鉄機
作業キロ:0.2km

なお終戦時に陸軍士官学校を接収した進駐軍は同地にキャンプ座間を置いています。
キャンプ座間の最寄駅は隣の相武台下駅ですがこちらだけでは物資、兵員輸送列車を収容しきれないためバッファとして入谷駅にも進駐軍用側線が増設されていたそうです。

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入谷駅を出て相模線と少し並走すれば間もなく新旧分岐点。
相模線横の砂利道が軌道跡で奥が入谷駅です。
猫が座っている場所でほぼ直角にカーブして既存の区間に入ります。
ここから右を向くと相模線の踏切越しに前回の田園の中の軌道敷が見えます。

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610㎜、762㎜の3線が並んでいた区間ですが今では何の変哲もない住宅街の道路。
緩やかなカーブが線路らしい線形と言うくらい。

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神奈川県道51号線との交差手前からわずかながら軌道の幅そのままらしい敷地が見られます。
そしてガードレールの向こうには・・・。

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上半分が埋められて分かりにくいですが軌道の開渠跡の橋台が残ってます。

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その隣には9kgレールが2本。

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ナローゲージ | 21:27:06 | Trackback(0) | Comments(0)
座間の砂利軌道~その4(四ツ谷軌道インクラ~相模線交差)~
四ツ谷軌道インクライン区間。

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この切通しの上を左上(座間駅方)から右下(相模川方)へインクラ木橋が架かっていたそうですが痕跡無し。
座間駅から徒歩数分でこんな鬱蒼とした森があるのが面白いところ。
森のインクラなど山奥の森林鉄道にありそうな光景ですがここは小田急の電車の音や座間高校のグランドで部活動をしている学生の声などが響いて森閑とはしていません。

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切通しの坂を上に戻ってインクラと平行に緩やかに下る道へ入るとレールが一本だけ柵に利用されています。

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切断面が変形していますが6kgレールよりも小さい様子。
酷使と長年の放置で肉痩せしたのか規格外の貴重な舶来品レールなのか・・・。

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道路の右辺りにインクラ下の停車場があったようです。この道路を軌道が横断する個所には手旗を持った踏切番が配置されていたとか。
インクラを降ろしたナベトロを再度12両ほどの編成に組み下部軌道のガソリン機関車に牽かれた列車は画面右奥の停車場から急カーブで道を渡り左の座間高校の中を横切っていました。
当時もちろん高校はなく、高校のグランドの場所にあった桜田の沼の真ん中を横切っていたとのこと。
桜田の沼を築堤で横切っていた軌道が徐々に沈下してレールが水面下に沈んでしまい軌道を盛り上げては沈下を繰り返していたようです。

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座間高校のグランドを抜けると廃線後80年以上経てなお残る路盤が田園地帯を抜けています。
610㎜の軽便軌道にしては妙に幅が広いですね。
背後の緑はインクラで下った河岸段丘の崖。座間高校は校舎建て替えのためグランドにプレハブ校舎が並んでおりインクラ下までは見通せません。

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軌道跡を座間高校側から見た様子。
四ツ谷軌道は踏切の辺りで相模線の下をくぐっていましたがアンダーパスの跡は残ってません。
丁度入谷駅を発車した茅ヶ崎行の205系1000番台500番台車が通過。
背後は丹沢の山々。左のとがった山は大山(標高1,252m)です。

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ナローゲージ | 23:01:59 | Trackback(0) | Comments(0)
座間の砂利軌道~その3(四ツ谷軌道上部軌道)~
座間市内の砂利軌道路線図。2万5千分の1地形図 座間(昭和29年修正測量)を元に描いています。
上部軌道のルートは1941(昭和16)年の航空写真に見える廃線敷らしいルートと「座間むかしむかし 第28集(座間市教育委員会)」の記事「ナベトロ線のこと(佐藤 章/著)」を参考にしています。


まずは昭和砂利興業→相模鉄道砂利部の運行していた軌道です。
610㎜軌間でガソリン機関車がナベトロを牽引していました。
1933(昭和8)年の開業時から1937(昭和12)年頃に相模鉄道(現・JR相模線)入谷駅接続に変わるまでの積替え駅は小田原急行鉄道新座間駅・・・現在の小田急小田原線座間駅でした。

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現在の座間駅下りホーム。上りホーム横まで大木が延び風に揺れる葉擦れの音が爽やかです。
この木立と駐車場の有るスペースに四ツ谷軌道の木造桟橋が入っていたようです。
桟橋の横には小田急の側線が引き込まれ無蓋貨車にナベトロから砂利を落としていたのでしょう。
なお新田宿からの小田急砂利トラック輸送は東口(画像左手)に発着していたらしくこちらにも側線があったのでしょうね。

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側線と桟橋軌道の跡は駐車場や駐輪場になっています。
この土地は小田急の本線に合わせて周囲より高く平坦に造成されており元々側線が敷かれていたことを窺わせます。
なおこの平地は新宿方ではぷっつりと途切れていることから側線は小田原方から分岐していたものと思われます。

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座間駅西口。奥が積み替え桟橋の跡。
ここを桟橋軌道へ上り下りする土工用機関車牽引のナベトロ列車が通っていたはずですが今となっては信じがたいような光景。
戦前の短期間走っただけの上部軌道の跡は都市化、宅地化ですっかり消え失せて何も名残りはありません。
上部軌道は駅前のスクランブル交差点(道幅はごく狭いのですが)の場所を斜めに突っ切りS字カーブを描いてインクラへ達していたとか。
なお当時の周囲は殆んど畑ばかりだった様子。

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上部軌道はごく短距離の300mほどでインクラ上部にたどり着きます。
上部軌道の機関車はここで切り離し、ナベトロを4、5台ずつに分けてインクラ巻上げ機につなげインクラ下へ降ろしていました。
今ではごく一般的な住宅街と河岸段丘の緑地の境に過ぎません。

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1つ前の写真の位置から振り返った様子。ここからインクラインは前方へ向け崖に桟橋を掛け座間高校の横へ降りて行ってたようです。桟橋だったためか崖にインクラの路盤は見当たりません。
機械油が染みた巻き上げ機の据え付け跡が結構後まで残っていたらしいのですが・・・。

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ナローゲージ | 22:51:31 | Trackback(0) | Comments(0)
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