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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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賤母発電所工事軌道(?)~その2~
木曽の入り口にあった短い発電所工事軌道の続きです~。

P1010169.jpg
木曽川を跨ぐ対鶴橋を渡ります。
賤母発電所建設時に架けられた吊り橋です。
すぐ隣には中央本線の第二木曽川橋梁が架かっています。

P1010170.jpg
老朽化のため四輪車は通れず、歩行者と二輪車(ただし手押し)で通行可。
2005(平成17)年まではこの橋の上が岐阜・長野県境でした。
手前の駅側が岐阜県恵那郡坂下町、発電所側は長野県木曽郡山口村でしたが現在は越県合併によりどちらも岐阜県中津川市になっています。
山口村の馬籠宿が観光地として信州ブランドを持続するため長野県に残るか住民の利便性を取って岐阜県に入るかで紛糾したニュースを覚えている方も多いのでは?

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対鶴橋の銘、当時の帝室林野管理局の南部光臣長官による題字。
対鶴と言う名前も南部家の家紋に因んだものとか。

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木製トラス桁をワイヤーで吊る方式は近隣の桃介橋とも似ています。
2009(平成21)年に改修工事が行われています。

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対鶴橋を渡ると賤母発電所の構内。
敷地の一部は発電所と同時につくられた賤母公園として公開されています。

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フェンスを隔てた発電所内に見える記念碑。

DSC_0544-2.jpg
人物像のレリーフが施されています。
名古屋電燈、木曽電気製鉄の重役の面々でしょう。
最上段左から2番目は福沢 桃介社長、「電力王」として毀誉褒貶が激しい人物ですが様々な企業の設立や経営に関わっており現在の産業の基盤をつくったことは確かです。
その右は下出 民義副社長でしょうか。こちらの人物も実業家ですが私財を投じて現在の東邦高校(名古屋市)をつくるなど教育家としての面もありました。


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ナローゲージ | 00:05:11 | Trackback(0) | Comments(0)
賤母発電所工事軌道跡(?)~その1~
木曽川の岐阜・長野県境近くにある賤母(しずも)発電所は名古屋電燈が1917(大正6)年8月に工事を始め、途中1918(大正7)年9月に分かれた木曽電気製鉄が引き継いで完成させた水路式水力発電所(現在は山口ダムからの取水に変わっているためダム水路式)です。
水力発電所建設にあたり従来から行われていた木曽川の木材流送の代替交通機関として木曽川沿岸森林鉄道が建設されておりナロー軌道との関係の深い発電所です。
この発電所の工事にも中央本線坂下駅~発電所工事現場で手押し軌道が敷設されたようで跡を辿ってみました。

坂下駅から途中までは1926(大正15)年開業の坂川鉄道→坂下森林鉄道が路盤を利用した様子。

P1010183.jpg
坂川鉄道新坂下駅から300mほどは同鉄道の廃線跡がそのまま発電所軌道の廃線跡でもあるようです。
左の2車線道路が坂川鉄道の線路跡、直進する細い道が発電所軌道の跡と見られます。

P1010181.jpg
細い道に入ったところ。右下に用地境界標があります。

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賤母発電所を戦後運営している関西電力の社章が刻まれています。
賤母発電所の運営企業は改称や戦時統合、解体などややこしい歴史をたどっています。
名古屋電燈→木曽電気製鉄→木曽電気興業→大同電力→日本発送電→関西電力

P1010177.jpg
一旦太い道に飲み込まれまた奥の方へ細い道となって分岐。

P1010176.jpg
坂下駅方向を見た様子。上に見える建物は坂川鉄道跡の道に面しています。
急勾配で上って行く坂川鉄道線に対し発電所軌道は緩く木曽川の方へと下って行くためかいつの間にかかなり高度差が付いています。

P1010173.jpg
人家が尽き木曽川に面した渓谷区間の趣になって来ます。

P1010171.jpg
右上に見えるガードレールは岐阜・長野県境を越えて田立方面へ向かう岐阜・長野県道6号中津川田立線。


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ナローゲージ | 23:08:09 | Trackback(0) | Comments(0)
梅雨のくびきのレールパーク 頸城鉄道~その3~
いよいよホジ3も出てきます。

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ワ14とワ7
ワ14は木製で製造年、製造元不明(元・魚沼鉄道→国鉄ケワフ100(1810?))
ワ7は1914(大正3)年日本車輌製で1960(昭和35)年に鋼体化されてます。
雨天なので表には出されず庫内で見ただけ。

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ホジ3
1914(大正3)年日本車輌製の団臨用客車ホトク1を1932(昭和7)年に自社でガソリンカー化したもの。
当初は両端デッキで運転席はデッキ内側にあり運転士の前を乗客が出入りするという破天荒な構造だったようです。
戦後中央扉化して両端デッキ部を埋めて運転台化しディーゼルエンジンに換装。
運転士の視界を良くする為左右非対称の独特な顔つきになりました。

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妻面の窓は向かって左の窓はオリジナルのサイズと見られます。
中央に通路があって右にも同じサイズの窓があったところが埋められて大小の窓に変わったのでしょう。

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ホジ3の運転席は別室とはなってませんが囲いを乗り越えないと客室側から出入りでない構造。
目立ちませんが足元にはアクセルペダルとクラッチ、その左にシフトレバー、左端にはエアブレーキも装備しています。
引き通し管はないので自車にしか制動できません。
鉄道車両でアクセルペダルと言うと都電のPCCカー5500形が連想されますね。
因みに逆転機は運転席にレバーが無く車外で床下に潜り込まねば操作できません。

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ホジ3車内。軽便ファンにはあまりに有名なこの縁台のようなエンジンカバー。
マイクロバスも前の方の席はエンジンの上を乗り越えて行かねばなりませんがあのイメージか。
エンジンはいすゞDA-45とのこと。トラック用のエンジンですが静岡鉄道駿遠線の気動車にも使われてたようです。
駿遠線では車輪系の大きい気動車用台車を使ってるので床も高くこんな出っ張りはないです。

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見れば見るほど不思議なご面相。左下には警笛のホーンが見えてます。
前後で警笛の音色が違いこちらの浦川原方は漁船かトラックのような音色。
新黒井方は通常のタイホーンの音色でした。

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ナローゲージ | 22:15:36 | Trackback(0) | Comments(0)
梅雨のくびきのレールパーク 頸城鉄道~その2~
9時から15時まで30分おきに運転というフリークエントダイヤ。
雨が降ったり止んだりなので雨漏りがするというホジ3は天候を見計らって運転。
雨が降ってきたらDC92+ト5+ハ6の編成に切り替え、豪雨なら運休というものでした。

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車庫兼乗降場となる客車庫からDC92が列車を牽き出し。

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混合列車は百間町駅構内を入換運転します。
当時の本線は後ろの道路辺りを走っていたようです。この道は頸城鉄道線跡をそのまま利用しているのでこの道を行けば新黒井駅までたどり着けます。距離は2駅分5.4km。

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DC92
1954(昭和29)年11月協三工業製9tディーゼル機。
銘板を見るとDC9形2号機のようです。1952(昭和27)年森工業製のDB81(DB8形1号機)の続番としているようです。
この車も六甲山より帰還組。
蒸機1号機の足回り利用と言いますが実際には車軸くらいしか再利用してないそうです。
同型車がいそうでいないカマですが帯広営林局十勝上川森林鉄道D102~104(協三10t機)が頸城DC92をL型機にしたようなスタイルでした。

P1000201.jpg
ト5
1914(大正3)年日本車輌製。
六甲山帰還組で木部のアオリ戸を美しく復元。
検査標記があるとやはり良いですね。

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ハ6
1911(明治44)年新潟鉄工所製?(完全な特定はできないそうな)
同じ新潟県内の魚沼鉄道ロハ1。国有化で魚沼線となった後も引き継がれケハ390。
頸城入線は戦後1949(昭和24)年とのこと。戦時中の魚沼線休止中は工事局軌道で使ってたのでしょうか。
これだけ小さい車体で合造車というのがすごいですね。
因みに同僚のハ5は新潟県立自然科学館で保存されてますが時間と高校野球予選開催で混雑してたので見に行ってない~(^ ^;)

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ナローゲージ | 00:15:53 | Trackback(0) | Comments(0)
梅雨のくびきのレールパーク 頸城鉄道~その1~
が頸城鉄道初訪問~。
米坂線から羽越、信越線回りで黒井泊でした。初日はとても天気が良かったのですが2日目は曇り時々豪雨~(+ +)

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黒井駅南口広場に立つ頸城鉄道新黒井駅跡の碑。
向かいは信越化学や新日鐵直江津製造所(旧・日本ステンレス)で色々なスイッチャーがいたのですが今はコンテナヤードにJR機牽引でコンテナが発着するだけ。

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新黒井駅の駅舎があった辺りは駅南口広場になって何も残ってはいません。
加悦SL広場で保存されてる加悦鉄道加悦駅をやや野暮ったくしたような(失礼 )感じの駅舎でした。

P1000170.jpg
新黒井駅を出てすぐ渡る川にはガーダー橋が架かってたらしいのですが現在は橋台を含め見当たりませんでした。
見たところ黒井周辺は元来湿地帯のようです。
信越本線の近隣の駅に「犀潟」、「潟町」、「土底浜」とあるように海岸砂丘とその裏手に湿地帯が拡がっていたのでしょう。

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新黒井を出ると廃線跡は2車線道路に。
宿の部屋から撮影したものです。
奥の車が止まっている辺りから道路に合流し左下方面が浦川原方面。
この辺は工業団地化しており全く軽便の面影はありません。

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工業地帯を抜け田園地帯を通り百間町へ。
旧頸城鉄道の本社屋と客車庫を中心にくびきのレールパークとなっています。
客車庫には当時の車両たちがまた戻って来ており、往時のように塒として使われています。

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2号。
1911(明治44)年独Orenstein & Koppel Arthur Koppel製。
土工用に輸入され品川の埋め立て工事に使われたようです。
その後流山鉄道4号→頸城鉄道3号と転属したとか。
また頸城では2号機(先代)を売却したときに番号をもらって2号機(新)となっています。
頸城では1966(昭和41)年まで現役、その後1972(昭和47)年よりしばらくの間西武鉄道山口線で「謙信号」として走ったことも。

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ニフ1
元は青梅鉄道か型客車。か型は1894(明治27)年平岡工場製6両、1897(明治30)年三田工場製2両、二等車からの改造車1両、自社製作車1両の10両があり、その内のどれかだそうです。
青梅鉄道の内ナローで開業したのは現在の青梅線立川~日向和田の区間で1908(明治41)年には早くも1067mmに改軌されています。改軌後は売却されたものの在庫状態でしばらく使われてなかった様子。
魚沼鉄道に入ったものの平行して上越線が開業したため使われず1920(大正8)年に頸城鉄道入りしハ4となっています。
その後は手ブレーキ取り付けやニセスチール化されたりして1958(昭和33)年には荷物車化されニフ1となりました。
廃車は1968(昭和43)年の部分廃止の時だそうで、その後は神戸の六甲山で保管されてました。
木部はボロボロだったので上回りは一部を除いてほとんど復元新製のようです。


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ナローゲージ | 23:10:30 | Trackback(0) | Comments(0)
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