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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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厚木操車場のDE11形2000番台
何だか座間、厚木廃線シリーズになってしまいましたが厚木市在住時は厚木駅、厚木操車場までは自宅から相模川を越えると自転車で10分程度だったものでよく撮影してました。
IMG_2734.jpg
2009(平成21)年2月11日相模鉄道11000系第1編成が甲種回送された時の様子。
相鉄本線を通勤に使っていたので鉄道ファンだからと言うより利用者としての関心が強かったかな?
まあ真っ暗でほとんど見えませんでしたが(- -;)

IMG_2739.jpg
相模線茅ヶ崎~厚木での牽引機はDE11 2004。
国鉄色のDE11 2000番台車を撮ったのはこの時が最後。その後日中に相模貨物や横浜羽沢に出かけてもDE10が使われてたので撮れず気が付いたらみんな塗り替えられていました。(_ _;)

DSC_0549_2017063023491310d.jpg
その後相模貨物駅で撮ったJR貨物色のDE11 2003。

厚木駅、操車場は砂利貨物廃止後も小野田セメントや出光興産の石油到着、貨物日産自動車座間工場からの自動車出荷、相模鉄道の米軍厚木基地への石油貨物中継など貨物駅として賑わいましたが今ではその面影も薄くなりました。

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私鉄貨物 | 23:59:12 | Trackback(0) | Comments(0)
小田急相模川橋梁旧線と連絡線
戦後の復興需要や高度経済成長期、東京オリンピックへ向けての建設ラッシュを支えた相模川の砂利採取ですが軌道がダンプカーへ砂利採取船が重機へと置き換えられる昭和30年頃に問題も顕在化します。
軌道が使われていた頃は砂利の大量採取には軌道敷設や採取船導入など大資本を必要としていたため採取量が限られていましたが、零細業者も大量採取を比較的手軽に行えるようになったことで乱掘が進み河床の低下をもたらしました。
河床の低下は橋や堰の破損、洪水の危険を高めるなど市民生活に悪影響を及ぼしました。
神奈川県当局も採取業者に対し採取量の規制を行い相模川沿いにパトロールカーを出していましたが、ダンプカーや重機はパトロールカーが到着する前に逃げてしまうことが多く効果は上がらなかったそうです。

そして昭和30年代まで砂利採取、輸送を行っていた小田急線にも影響が及びます。
本厚木~厚木間の相模川橋梁が傾斜し電車の運転に危険が及ぶ可能性が出てきたことから架け替えの必要が発生。
新橋は1969(昭和44)年11月に着工、1971(昭和46)年8月に工事完成しています。
小田急小田原線の1927(昭和2)年開業以来の橋梁は多摩川橋梁が2003(平成15)年まで、酒匂川橋梁は未だ現役なことを考えるとあまりに短い橋梁生命でした。
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小田急線のJR相模線オーバークロス部に残る旧・相模川橋梁アプローチ部の橋台。

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その新宿側隣にはマンションが建っていますがこちらは相模線と小田急の連絡線跡。
ここに3線の貨物ヤードがあり貨車授受を行っていたようです。
この線は1939(昭和14)年12月に鉄道省へ工事の届出がなされていますが開通は1941(昭和16)年4月と時間を要しています。
戦争の影響か相模鉄道(当時)と小田急の間で調整が難航したか?
砂利輸送が終わった昭和40年代初頭には小田急の移動変電車イヘ900+イへ910の留置場所になっていたようです。
そう言えば上の写真を見ると今でも小田急の変電所がありますね。

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私鉄貨物 | 23:51:54 | Trackback(0) | Comments(0)
砂利輸送に使われた小田急電機
砂利軌道に引き続き砂利輸送で使われた小田急の電気機関車です。
私は子供の頃小田急小田原線栢山~富水の線路が良く見えるところに住んでいました。
当時は小田原~伊勢原の貨物最末期で見ようと思えば自宅から見れたはずですがダイヤも知らず、そもそも小田急に貨物があることも知らずで小田急の電機も荷電も生で見た覚えがありません。勿体ない・・・(_ _;)
存分に見れたのは相模大野の入換機のみ~。

小田原線開業時に用意されたのは1927(昭和2)年2月川崎造船所製の40t電機ED1、2・・・後のデキ1010形ED1011、1012です。
因みに小田急電機は「デキ」を名乗りながら車体には”ED”と標記する何ともへそ曲がり(?)なことをしてました。(^ ^;)
1929(昭和4)年11月14日より砂利輸送が始まるとこの2両では輸送力が足りず1930(昭和5)年11月より上田温泉電軌北東線(後の真田・傍陽線)デロ301を借り入れています。
DSC_2589.jpg
上田温電デロ301→名鉄デキ501→岳南ED501。小田急デキ1010形と同タイプ。
岳南原田~比奈


上田温泉電軌北東線デロ301は1928(昭和3)年2月川崎造船所製40t機。
上田では貨物が少なくて暇を持て余し、小田急から帰った後結局名古屋鉄道へ譲渡されデキ501なっています。
1969(昭和44)年9月に架線電圧を1500V昇圧した岳南鉄道へ貸し出され翌年移籍して2012(平成24)年3月の貨物廃止まで活躍。
写真はその後2013(平成25)年3月の検査切れ前にイベント運転された時のもの。

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元・小田急デキ1020形ED1021の岳南ED28 1
画像は奥野君の専用線日記の奥野さんよりお借りしました。貴重な画像ご提供ありがとうございます(_ _)
1930(昭和5)年11月川崎造船所製で側面にずらりと並ぶ船のような丸窓が特徴の50t機。
砂利輸送廃止後小田急電機も余剰となりこちらも名鉄デキ501と同じ経緯で岳南貸し出し、譲渡されています。
岳南では1988(昭和63)年12月に廃車になっていますが撮影の1987(昭和62)年11月9日時点で実質使われていなかったようです。
場所は岳南原田の側線のようです。

ED501とED281は一時期砂利輸送で共に小田急線を走った機関車同士が岳南鉄道線上で再会したわけですね。

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デキ1030形ED1031
1930(昭和5)年12月日本車輌製50t機。元ED201。
ED1021と同クラスの電機を日車にも発注してました。
ごついイメージの箱型機で田口鉄道のデキ53→豊橋鉄道デキ451に似てますね。
1997(平成9)年3月30日廃車。

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デキ1040形ED1041
1950(昭和25)年中日本重工業(財閥解体で三菱重工業が分社化していた)製50t機。
今もSL列車補機として活躍中の大井川鐡道E101、102と類似型ですが一回り大きいです。
末期はずっと故障してたらしく1996(平成8)年6月30日廃車。

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トフ100形トフ104
1929(昭和4)年より当時は日本車輌、新潟鉄工所で製造されたトフ1300形。東急合併時にトフ100形に改番。
砂利貨物廃止後も一般貨物列車に連結されトフ104は最後まで残りデキ1041と同時に廃車。
無蓋車中央に車掌室を置くこのタイプの貨車は前後面には窓が無く風は通らないし暗いしで執務環境が悪く国鉄からは早々に消えてます。
常総筑波鉄道(現・関東鉄道)には前後面にも広い窓を設けたトフがいたようですが実際車内はどんなものだったんだろう?

このほか当時稲田登戸(現・向ヶ丘遊園)でレールがつながっていた南武鉄道へも貨物列車が直通しており、南武1001形電機(1928(昭和3)年日立製作所製50t機)も小田急線内へ乗り入れてたとか。
こちらは国鉄買収でED34 1~4→ED27 11~14になりED27 14が国鉄で廃車後これまた1969(昭和44)年に岳南へ譲渡されてます。

私鉄貨物 | 23:05:28 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄三河線碧南駅 貨物の面影
現在三河線海線側の終着駅となっている碧南駅。
1954(昭和29)年に現駅名となるまでは大浜港駅と名乗っており三河湾の舟運との連携による貨物扱いも盛んでした。
三河線海線は1977(昭和52)年5月25日に衣浦臨海鉄道碧南線が開業すると貨物はそちらに移されて旅客専業となっています。

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運転扱い以外は無人化されてしまい改札口に駅員さんの姿はありません。
碧南市の中心市街地は一つ刈谷寄りの碧南中央駅の方に移っており駅前はガランとしてます。

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中に入るとかつての駅務室前にリヤカーがそのままになっています。
左にはタブレット扱い所の出っ張りもあります。
到着貨物があると駅員さんがカラカラと戸を開けてリヤカーを押してホームへ向かったのでしょうね。
当時のまま時間が止まっているのかのようなこの情景、そのまま保存したいくらいですね。

rearcar.jpg
リヤカーって引くものでは?と言われそうですが空荷や軽い荷物の場合こんな風に押してるのをよく見かけた気がします。
引っ張ると後ろが死角になってホーム上でお客さんを引っ掛ける危険があるからでしょうか?
実際僕も自転車通学中に曲がって来たリヤカーとすれ違いざまに引っ掛けられたことがあります(^ ^;)

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貨物側線はそのまま留置線として使われており線路は案外に残っています。
駅裏は鋳物工場。専用線はなかったようですがかつては一般貨物で原料の入荷や製品を出荷していたのでしょうか。

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非電化にされていた碧南~吉良吉田が2004(平成16)年3月31日に廃止される前は側線にディーゼルカーの給油設備がありました。
2004(平成16)年3月16日撮影

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左(東)には倉庫も3棟残っています。駐車場になっているスペースは貨物の積替えで賑わっていたのでしょうか。

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三河線沿線は三州瓦を始め土管など陶器産業が盛ん。陶磁器輸送用の貨車ポム1形などがよく見られたそうです。
奥には倉庫も並び・・・。

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こんな貨物列車が現れそうな雰囲気。
2006(平成18)年5月3日 瀬戸線喜多山駅で撮影

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ポムは積載した陶磁器が割れないようワムの車内に区分棚を設けただけで外観はあまり変わらないのでここでは似合いそうです。
ポム1形は倉庫として利用されたものが1両だけ東海市内に現存するらしいですが場所を知らないので未見。
2006(平成18)年5月3日 瀬戸線喜多山駅で撮影

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実際には現在現れる列車は6000系ばかりです。
以前は名鉄支線区も現れる車種にバリエーションがありましたがいつの間にか線区別に使われる車種が固定化されてしまいました。うちの近所の路線も朝ラッシュ時以外6800しか来ないです。

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私鉄貨物 | 22:43:49 | Trackback(0) | Comments(0)
名古屋臨海鉄道 赤い1つ目機ND5527
1965(昭和40)年8月1日に名古屋臨海鉄道開業50周年ということでND5527が旧塗装の国鉄DL色に塗りかえられたようです。
とある方から情報をもらって石灰貨物が新日鐵前に着く頃に行くと重連の笠寺方(つまり次位)に付いてました。
ND5527が前に付く折り返しの列車を待って撮影しました。
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荷降ろしを終え石灰石専用線から出てきたところ。

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名古屋貨物ターミナル入換が中心の旧・十勝鉄道や国鉄DD13の非総括制御車は今でもこの塗装ですが名古屋臨海オリジナルの1つ目機でこの色を見るのは初めて。
なお臨海鉄道開業当時は赤の部分が国鉄交直電機のローズピンクに近いような色合いだったそうで。

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私鉄貨物 | 23:47:51 | Trackback(0) | Comments(2)
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