投稿日:2020-03-21 Sat
近江鉄道ホキ10懐かしの画像シリーズ(?)2回目。以下3枚は2004(平成16)年3月9日の五箇荘。

珍しい3月に雪が降った時。彦根はまだ降り続いてましたが五箇荘は暖かい日差しが降り注ぎ気温が上がって雪も溶けかけ。
五箇荘駅側線で佇むED313。ホキの姿はありません。

五箇荘駅から歩いて砂利側線末端へ行ってみるとやはりここにいました。
手前からホキ12ちょっと離れてホキ11+ホキ13既に砂利は積み込まれていますが日中・・・というより今日動く気配は無し

周囲は郊外形の新し目な工場が集まる何の変哲もない場所ですがその片隅にこんな怪しげな側線が入っているのが面白いところ。
かつては愛知川の河原まで乗り入れ、側線末端には砂利プラント、さらにナローの砂利軌道が接続するさらにアヤシゲなところだったそうですがさすがにその面影はありません。
以下は2006(平成18)年8月19日撮影。SKW氏と大津歴史博物館へ江若鉄道展を見に行こうと出かけた途中、国道8号で彦根駅裏を通ったときED31 3のパンタが上がってホキ2両(米原方がホキ11でしたが貴生川方の車号を失念)を従えて米原行きホームに入っているのが見えちゃいました。これは寄らねばなるまい!と直ちに方転~。スケジュールに大遅延を引き起こすことに(爆)
これは工臨ではなく誰かがチャーターしたフォトラン列車だったようなのですがたまたま見かけて撮影させてもらいました。

米原駅へ行くとED31 3が櫛型ホームの1番線に突っ込んだ状態。
そのままでは機回しができません。牽き逃げを行えばできなくはないですがどこかの専用線じゃあるまいしまさかそんな離れ業はしませんよね。どうするのかな?

ほどなく反対の2番線に後続の米原行きモハ222が到着。

モハ222が乗客を降ろすと1番線にやってきて彦根方にホキを引き出し2番線へ押し込み。
直ちに彦根方へと逃げます。

今度はED31 3が1番線からモハ222の後ろまで出てきて2番線にいるホキの彦根方に連結されました。
入換を旅客列車に手伝ってもらう入換は伊豆箱根鉄道大雄山線小田原駅で甲種回送が行われるときも行われていますね。

折り返しの列車は雲量多めで陰ってあまり良い写真は撮れず。
その後彦根へ戻ってくるところを彦根口~彦根の芹川橋梁右岸の踏切で撮影することに。
40分ほどで戻って来ましたがどこまで行ったのかは知りません。
時間的に高宮辺りで折り返したのでしょうかね。

同じ列車を後打ち。
既にホキの端面にはジャンパ線受けが付けられており電車で牽くことができるように改造されていました。
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投稿日:2018-11-18 Sun
田口鉄道には貨物牽引用に40t電機デキ53がいました。機関車や電車の番号は豊川、鳳来寺、田口鉄道で通番になっており各社同士で電車の乗り入れが行われていました。
豊川、鳳来寺国有化、田口鉄道運行管理国鉄移管時はデキ53が実質豊橋機関区配置状態で田口線内へなかなか帰って来なかったとも聞きます。
デキ53は田口、田峯から主要株主である宮内省帝室林野局の御料林材輸送のため用意されたものですが輸送料が案外少なかったことや1947(昭和22)年4月の林政統一により帝室林野局が無くなったため持ち出されてしまったのでしょうか?
それでも貨物が無いわけでは無いので出力の小さいED28(旧・鳳来寺デキ50、豊川デキ51)辺りが入っていたのかも知れません。
デキ53は田口鉄道が豊橋鉄道合併後に渥美線へ移って廃車になりましたが写真は撮れていません。
豊川、鳳来寺鉄道の電気機関車は残存率が高かったので見ることができました。
これらの機関車も田口鉄道へ入っていたのかも?
●豊川鉄道デキ50、鳳来寺鉄道デキ51(→国鉄ED28 1,2)
1925(大正14)年11月英イングリッシュエレクトリック(English Electric)社製25.4t機、定格出力240Kw。
豊川、鳳来寺鉄道電化時に新製されています。2両の車番が入れ替わったりしてややこしいことをしてます。
豊川鉄道50→デキ50→デキ51→国鉄デキ51→ED282→京福電気鉄道福井貸出→返却→遠州鉄道ED282
鳳来寺鉄道51→100→デキ100→デキ50→国鉄デキ50→ED281→近江鉄道ED281→山形交通高畠線ED281

遠州鉄道で健在のED282。
山形交通高畠線で使われリナワールドで保存されたED281は撤去されてしまったそうです。

田峯の土場側線でこの機関車と田峰林鉄の加藤GLが並んでたら面白そう。
●豊川鉄道デキ52(→国鉄ED29 1)
1926(昭和元)年12月日本車輌製40.7t機、定格出力400Kw。
メーカーが日車に変わり見た目も田口デキ53にやや近い箱型機。
豊川鉄道デキ52→国鉄デキ52→ED291→岳南鉄道ED291

故障して動けなくなってからも岳南富士岡で保管されて久しいです。
写真はイベントのため再塗装されて綺麗な頃のもの。

左右非対称の側面。
岳南鉄道の電機の中でもあまり動いている写真は見たことが無いです。
●田口鉄道デキ53
1929(昭和4)年4月日本車輌製40t機、定格出力360Kw。
田口鉄道デキ53→国鉄運行管理→田口自主管理→豊橋鉄道田口線デキ53→渥美線→デキ451
デキ52より若干出力が落ちるもののほぼ同クラスと言って良いでしょうか。
田口線末期は貨物が電車で牽ける程度しかなく逆にセメント貨物で輸送力が必要な渥美線へ移されました。
しかし渥美線でもあまり走ってる写真を見たことが無いような・・・。
●豊川鉄道デキ54(国鉄ED30 1→ED25 11)
1944(昭和19)年6月日本車輌製40.0t機、定格出力500Kw。
豊川鉄道が発注したものの現車が届いた時には国有化されて飯田線となっていた機関車。
国鉄デキ54→ED301→ED2511→伊豆急ED2511→東急長津田工場入換機ED301

東急長津田工場の入換機械になっていたときに撮っています。
しかしいつもいまいちな場所にいてまともに撮れなかった機関車~(^ ^;)

何度か取りに行ったものの上手く撮れないうちにアントが投入されて引退、解体されちゃいました。
これらの機関車全部が田口線に入ったことがあるかはわかりませんが写真が出てきたら面白そうです。
投稿日:2018-11-16 Fri
田口鉄道1949(昭和24)年9月15日改正の運行図表から貨物列車の運行をあぶり出して見ました。元々つながりの深かった豊川鉄道、鳳来寺鉄道が国有化されて国鉄飯田線となり田口鉄道も国鉄が運行管理を行っていた時代のダイヤです。

通過駅が多いですが運行図表では停車時間が短い場合通過か停車かがよく分からないので取り敢えず通過としています。
実際には少し停車して少量の貨物積み降ろしを行っていた可能性はあります。

因みに元ネタは国立公文書館所蔵の鉄道省文書。
戦後間もない物資不足の時期に作成されたためか紙質が非常に悪いです。
なおこの運行図表は滝上~田峯(運行図表では「田峰」)駅間の砂利側線で砂利積込みを行うことに関し運輸省に申請するための書類で該当する貨物列車が赤線で表記されています。
前日の貨物で無蓋車を三河田口まで送り込み翌日の折り返し502レで側線に置き去り、積込み作業を行い504レで回収、本長篠で飯田線へ継走していたのでしょうね。
田峰森林鉄道と接続し構外側線のあった田峯では503、504、505レが長時間停車しており停車時間中に入換を行っていたようです。
投稿日:2018-10-18 Thu
碧南市駅での撮影会の折に見ることができたもの~。
碧南市駅には保線車両もいました。
今回見かけたのは小形のカートと軌陸トラック。

2003(平成15)年2月8日に碧南市駅構内を見学させてもらった時の写真。
こんなモーターカーがいました。当時でもこんなトラック形モーターカーは珍しい存在でした。

廃止になった権現崎からのタブレット通過授受を行っていた頃のタブレット受器が残っています。
碧南市~権現崎は2006(平成18)年廃止ですが実際に運行停止になったのはもっと昔で一度も列車が走っているところを見たことはありません。

権現崎方面に続いているように見える線路。
実際にはこの先の道路でレールは切られています。
投稿日:2018-10-16 Tue
碧南市駅撮影会2回目~。
前位のKE65 3を切り放し、次位のKE65 5(二代目)と並べて撮影。

左のKE65 5(二代目)は1970(昭和45)年2月14日川崎重工業製で元国鉄DE10 573。
佐倉、品川機関区など関東方面で使われましたがJRには引き継がれず国鉄清算事業団経由で衣浦臨海入りしてます。
衣浦臨海鉄道は開業後鉄道貨物低迷期を迎え機関車を売却してましたが、1990(平成2)年に碧南線でこの炭カル・フライアッシュ輸送を始めたことで息を吹き返し機関車を再増備しています。

KE65 3のヘッドマーク。

KE65 5のヘッドマークは社員さん手描きとのこと。
衣浦港を横断するフライアッシュ輸送列車。バックの山は方向や形からして御嶽山でしょうね。
暖か味のある良いヘッドマークだと思います。
こうして並べて見ると自連の左右に元DE10のKE65 5にはスノープラウの取付穴が4つずつ開いているのに対し衣浦オリジナルのKE65 3は開いてないのがわかりますね。
参考文献:
機関車表フルコンプリート版(沖田 祐作/編 ネコ・パブリッシング)
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