投稿日:2021-09-28 Tue
自宅から最寄りの廃線の名鉄起線。全線単線の5.3kmと規模が小さく、廃止が古いためか、岐阜市内線や岡崎市内線と比べるとどうも地味なイメージが否めません。
廃線跡である起街道も岡崎のように「電車通り」と呼ばれることもなく地元でもあまり知られていない感があります。
近所なので姪っ子のお散歩がてら撮影してきました。

起側から見た尾張三条駅跡(路面電車なので尾張三条電停というべきか)
新一宮(現・名鉄一宮)側は野府川を渡る橋となっているため堤防の分高くなっています。交換駅だったためここだけ複線分の
車庫線は新一宮寄り(黒いワンボックスカーがいる辺り?)から分岐して左の西松屋の位置にあった車庫へ入っていました。
車庫跡はバス車庫になっていたものの、車庫の整理統合で駐車場に、さらにドラッグストアとなり後に西松屋となりました。

新一宮方面乗り場跡と尾張三条車庫跡
バス待合小屋は以前は古レール利用の渋いものでしたがいつの間にか建て替わりました。
車庫跡が駐車場だった頃構内に何本か木製電柱が立っていました。電車の架線柱だったのか廃線後建て替えたものかは不明です。
起線は路面で社の割には片持ちの立派な鉄製アングル電柱の写真が多く見られますが廃線後現在まで残ったものは無し。
なぜか名古屋市電の架線柱に建て替えられた交差点はあったりしますが(^ ^;)

西松屋駐車場の東側の柵はかつて名鉄の敷地だった名残で、名鉄の線路柵が利用されています。
車庫構内で車庫線は2線に分岐して小さな木造建屋に突っ込むだけの単純な配線だったようです。
電車は二軸木造単車のモ25型とモ40型が主力で、線路が敷設された起街道が狭いことからボギー車は終始入りませんでした。

尾張三条駅を新一宮側から見た様子
右に車庫線が分岐していた跡には「名鉄バス」の看板が付いた街路灯が建っています。
これも名鉄バス車庫の名残でしょうか。
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投稿日:2020-10-29 Thu

旧オーミケンシ(近江絹糸)工場の住宅地横を通る伊勢鉄道(左)と紀勢本線。
右の築堤が伊勢線上り線で現在の伊勢鉄道は下り線となるはずでしたが現在は単線なので上下列車ともそちらを通っています。

三軒屋踏切を通過する紀勢本線下りキハ25。

三軒屋踏切の亀山方で伊勢鉄道は右へ分岐。
伊勢線上り線も紀勢本線を跨いでいます。線形からすると元々伊勢鉄道の線路部分が紀勢本線だったようですね。
なお紀勢本線のこの区間は1891(明治24)年11月4日に一身田~津が関西鉄道津支線として開業、国有化後は旧参宮鉄道区間と一緒に参宮線に編入されており、紀勢本線となったのは1959(昭和34)年7月15日のこと。

三軒屋踏切横には伊勢線上り線の三軒屋架道橋が架かっています。

見上げてみると枕木はあるもののレールは敷かれていません。
投稿日:2020-10-26 Mon
1973(昭和48)年9月1日に四日市市内の川原田~津を結ぶ伊勢鉄道伊勢線の前身国鉄伊勢線が開通。名古屋から伊勢、熊野方面へ向かう短絡線として開通しており複線用地も確保されていましたが伊勢鉄道転換後の現在も津側は単線のまま。
しかし津付近で紀勢本線を乗り越す上り線用橋桁や路盤も完成しており後はレールを敷くだけの状態になっています。
比較的新しい路線とは言えそれでも完成から半世紀近く放置されもうそのままでは線路を敷ける状態ではないでしょうね(- -)

津に到着する伊勢鉄道イセⅢ形。手前は紀勢本線でバックの住宅地は近江絹糸津工場跡。
伊勢線上り線はこの辺で手前側に分岐するはずでした。

入れ替わりに亀山方面へ発車していく紀勢本線キハ25。
左に分岐した伊勢線上り線路盤と築堤が見えて来ます。

開渠跡。

徐々に高度を上げていく路盤。

一見現役の線路のようにも見えますが枯草が茂って生気がありません。

ところどころに見られる1972-3の刻印。
1972(昭和47)年3月に完成していたのでしょうね。
投稿日:2020-02-24 Mon
嵯峨野線(山陰本線)梅小路京都西駅開業に伴い寸断されることになり廃止された京都貨物(梅小路)~丹波口短絡線(東海道本線支線)。昔から帰省の時見てましたが列車が走っているところは一度も見ることがありませんでした。
1996(平成8)年まで二条行の石油貨物があったようですが覚えがないなあ(爆)
廃線後は七条通を跨ぐガーダー橋が歩道橋として利用され高架の一部はイベントスペースに変わりました。

梅小路京都西駅前。短絡線は電化設備が撤去されていますが非電化現役時代の姿そのままで廃線には見えません。
左は京都鉄道博物館。

高架へ上がると京都貨物方はイベントスペースになっています。
歩道橋側は軌道を撤去してますがイベントスペース側はスラブ軌道を利用しているためため高くなっています。
カントの付いたスラブ軌道の構造がよくわかる断面ですね。

保線退避設備もそのまま。

半径300の曲線標も残っています。
歩道橋は京都市建設局の設計のようですが実際に設計した方はかなりの鉄道好きなのでしょうか?
随所に鉄道由来とわかるアイテムを残してくれています。

七条通を跨ぐガーダー橋。
かつては京都市電七条線が地上の山陰本線、短絡線をアンダーパスする地下道が存在しましたが市電専用で自動車は踏切を渡っていたところ。
山陰本線と短絡線の高架化は1976(昭和51)年ですがその翌1977(昭和52)年10月1日に七条線は廃止されています。
丹波口駅設備の内京都市場への専用線を地上で残す必要があったため1984(昭和59)年2月1日ダイヤ改正まで丹波口駅地上の貨物設備を別個の京都市場駅として残し短絡線は地上、高架の2本が並行していました。
さらに右の方には梅小路(貨)分岐の中央倉庫専用線が入っていた痕跡が見えています。

山陰本線との分岐部。
ここで短絡線が梅小路京都西駅のホームと支障するため線路としては廃止になったようです。
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