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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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新潟交通電車線月潟駅と白根駅付近
西長岡付近の渋滞で意外と時間を取られレンタカー返却時間のこともあり旧新潟交通月潟駅再訪の見学はほんの数分だけ。
前回行った時の様子は↓
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その1~
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その2~
新潟交通月潟駅の「電鉄」~その3~

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モハ11
現役時のような雰囲気は今回も維持されていました。

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モワ51
こちらも状態は変わりありません。

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キ116
前面ガラスが割れてしまったようです。
これは割られたのか、老朽化で割れたのか?
旋回窓付きなので修復は大変そうです。

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中ノ口川堤防下の白根駅跡。元の駅前売店は公園前売店となっています。
駅構内は左の拡張された堤防で埋められています。新潟交通電車線の主要駅だったのですがそんな面影は有りません。

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千日~白根の廃線跡。
枕木の柵と一本だけとなった木製架線柱が残ってます。
この架線柱だけ残ったのは街路灯が取り付けられているためでしょう。
この架線柱と線路を挟んだ反対側の木柱には4灯式の白根駅上り場内信号機が取り付けられていていました。

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千日~白根の廃線跡。
風雨で大荒れになった直後で暗い天気だったため暑いはずなのにどこか寒々とした光景に。
木造の小さな鉄工所に灯る裸電球だけが温もりを感じさせます。

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廃線跡(一般鉄道) | 21:16:03 | Trackback(0) | Comments(0)
越後交通長岡線深沢駅
今度は来迎寺から逆に海側へ分かれていた越後交通長岡線。
来迎寺~寺泊39.2kmの電気鉄道でした。
通常のローカル線は貨物が先に無くなった後に旅客列車も廃止と言う例が多いですがここでは1975(昭和50)年4月1日の旅客営業廃止後も来迎寺~西長岡~越後関原の貨物営業が続けられ部分廃止はあったものの最終的に1995(平成7)年4月1日まで残っていたのが特徴です。
なお来迎寺~西長岡は他区間より貨主客従の強い区間で旅客営業は1972(昭和47)年4月16日に一足早く止めていました。
西長岡~寺泊はちゃんと電車が使われてましたがこの区間では木造二軸客車やモーターを外した電車を貨車の後ろにつなげた貨客混合列車が走っていました。
しかもここでの貨物は有蓋、無蓋車のような一般貨車だけでなく高圧ガス、化成品タンク車に客車が連結されるわけですから何とも異様です。

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来迎寺駅を出てすぐ信越本線と分かれて渋海川橋梁へ至る築堤。この区間には水路を渡るガーダー橋も残ってます。
小学生の頃(1992(平成4)年)に家族旅行で新潟へ行くとき「西長岡駅に行きたい!」と希望を出したところ速攻却下(爆)
特急「北越」の車内からこの何ともそそるカーブ築堤(当時はもち現役線路!)と来迎寺駅構内留置の越後交通社車のワラ1だけ見て終わりでした(T T)
四半世紀を経てようやくこの先の区間を見ることに。

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渋海川を渡って北東へカーブする場所が1つ目の深沢駅。
奥が来迎寺方。プラットホームや農業倉庫が残ります。
最後の1995(平成7)年4月1日廃止区間ですが末期は全く駅としての機能を果たして無かったようです。
1面2線で左から本線、側線、プラットホーム。
本線側には元々ホームが無かったようで停車列車だけがホームに面した側線へ入っていたということでしょうか。

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プラットホームレールと木組みで土盛りを囲った簡素なホーム。

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それでもホーム上は舗装されてます。一応肥料などの到着貨物があったらしくホーム上に倉庫も建っていたようです。

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架線柱の台座と架線柱を囲っていたガードのアングルが残ってます。
作業中の車が架線柱に引っ掛けて破損、倒壊してしまうのを防ぐために設置したのでしょう。
かつてはトラックなどがホームに横付けして荷物を積み替えることが多かったのでしょうか。

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元の駅前は広場や床屋さんがあって意外と駅前らしい風情が感じられます。

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もうぼろぼろですが農業倉庫も。

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西長岡方の踏切に残っていた標示板。
錆びの濃さの違いから「ふみきりちゅうい」と書いてあったのではないかと推定。

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廃線跡(一般鉄道) | 00:12:15 | Trackback(0) | Comments(0)
別府鉄道キハ2修復プロジェクト
クラウドファンディングで別府鉄道キハ2の修復資金募集を行っています。
日本最古の機械式気動車 旧別府鉄道車両キハ2号を永久保存へ!!
元・三岐鉄道のキハということもあり応援の意味を込めて臨時UPします~。
募集期限は2017(平成29)年6月28日23:00までとなるので応援してもいいよと言う方はよろしくお願いします。

代燃車になったり、戦車のエンジンを載せたりと昭和史を体現した貴重な生き証人。残したいものです。

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別府鉄道野口線円長寺駅跡付近に保存のキハ2。
この写真を撮った13年前はまだ大部分の窓枠が原形をとどめていたが・・・
2004(平成16)年8月19日撮影

●三岐鉄道キハ5→別府鉄道キハ2
三岐鉄道が1931(昭和6)年の開業に向けて日本車輌で新製したガソリンカー5両キハ1~5の末っ子キハ5でした。
戦時中の燃料統制下では代燃装置を積んでガソリン代燃併用車となります。
キハ2のチャームポイントともいえる前後の荷物バケットは代燃ガス発生装置を搭載するためのスペースでもあったようです。
1951(昭和26)年には終戦で不要となっていた旧陸軍の戦車用ディーゼルエンジン相模N-80を搭載してディーゼルカーに変わっています。エンジンはさらに日野DA-55へ交換されます。

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三岐鉄道キハ5

三岐鉄道が直流電化された後も当時非電化の関西本線乗り入れ四日市駅直通列車に使われていましたがこの乗入運転が1964(昭和39)年5月に廃止されると不要になり翌1965(昭和40)年1月廃車、別府鉄道に譲渡されキハ2(二代目)となり1984(昭和59)年2月1日の同鉄道廃止まで野口線で使用されました。

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別府鉄道キハ2



廃線跡(一般鉄道) | 22:47:37 | Trackback(0) | Comments(0)
東野鉄道箒川橋梁跡
那珂川清流鉄道~番外編 最寄りの鉄道跡~
那珂川清流鉄道保存会の最寄り駅は烏山ですが、それより近い駅がありました。
東野鉄道那須小川駅(現在の那珂川町立小川中学校の位置)です。

東野鉄道は1918(大正7)年に西那須野~黒羽13.1kmが開業、常陸大子を目指し延伸を進め1924(大正13)年黒羽~那須小川11.3kmを延伸しています。
間には那珂川の支流箒川を跨ぐ長大橋梁がありました。
那須小川より先の工事は進まず黒羽~那須小川の区間は存在意義が薄れてしまい、箒川橋梁も1938(昭和13)年夏の水害で破損、何とか復旧させたものの1939(昭和14)年6月1日に廃止されています。

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那須小川駅から延びる廃線跡の道を北へ進むと国道294号線バイパスができておりそのまま箒川を渡ります。
新箒橋 橋長179.5m、幅14.5m5連桁の橋で今年2月26日に開通したそうな。
廃線跡は一足間に合わず潰されてしまったのか?(・ ・;)

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反対側は箒川の広い河川敷に山科の大カーブのような巨大築堤。

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すぐ横に那須小川方(右岸)橋台が残ってました!
右岸は切り立った崖になっており両岸の高低差が大きいです。
鉄道現役時は那須小川方に掘割区間を設け橋高を抑えていたようですが今は畑になって埋められています。
それにしても橋台の幅が広く2車線道路の橋梁跡かと思えそうなほど。
架かっていたのはトラス桁だったのでしょうか。
ごつい橋梁ですが2軸ガソリンカーか蒸機の貨客混合列車程度しか走ってないはず。

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箒川の流れの中に残る橋脚基部。

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西那須野方(左岸)の橋台・・・ひょっとすると左岸河川敷区間は築堤になっていてこの橋台は架道橋の橋台に過ぎないのかも知れませんが。

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橋台の下まで行って見ました。
こちらは標準的な単線鉄道幅、載せられる桁の厚みを考えるとIビーム桁が架かっていたのか。

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箒川橋梁跡から箒川沿いに那須の山々へ延びる高圧線鉄塔の列が見事だったのでつい一枚。

東野鉄道西那須野~黒羽は1968(昭和43)年12月16日廃止まで残ります。
地味な鉄道ながら蒸機は朴訥な坂東武者と言う感じのボールドウィン1,2号機(元・播但L2→山陽→国鉄200)が昭和30年代まで生き残り、非電化私鉄では有り勝ちな元国鉄キハ04のほかキハ04の側面にキハ07の前面を持つ旧・五日市鉄道のキハ501や津軽鉄道からやって来た箱型ロッド駆動ディーゼル機関車DC20などアヤシゲな車両がいました。
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キハ501 1936(昭和11)年新潟鉄工所製 五日市キハ501→南武→国鉄→東野

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DC201 1952(昭和27)年新潟鐵工所製20t機 津軽DC201→東野

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廃線跡(一般鉄道) | 22:12:58 | Trackback(0) | Comments(0)
城北線のこと~5~未成区間(小田井~清州)
線路建設予定地跡はしばらく消えますが東海道本線(稲沢貨物線)合流直前で再び現れます。

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愛知県道67号名古屋祖父江線(国道22号旧道)と交差すると清洲文化広場という遊歩道になっています。
左に見えるのは清洲城復元天守閣。

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復元天守のすぐ横を未成線・・・あの上から線形がよく見えるのでは?

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と言うわけで上から(笑)
まずは五条川を渡り稲沢線と合流する予定だった方向。
この辺は城北線(計画時は瀬戸線)とどのように合流させる気だったのか全く見当がつきません。
丁度左の稲沢線上をEF64-1000牽引のコキが通過中。
前方に見える高架は小田井で城北線と並走してから分かれ東名阪道へと続いている名二環。

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そして今歩いて来た方向を見ると鉄道らしい緩くカーブした線形の清洲文化広場が。
遠くには名古屋高速や城北線の高架も見えています。

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この辺で合流するつもりだったのでしょうかね?
前方左の木立は実際の清洲城跡(復元天守閣の場所は実際の清洲城跡ではない)です。
その左から瀬戸線の高架が延びて来る計画だったのでしょうが実際にできていたら清洲城跡は鉄道に蹂躙されつくした史跡となっていたところ。
因みに清洲城址は右(西方向)に拡がっており稲沢線、東海道本線、東海道新幹線は清洲城を東西に分断しています。

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廃線跡(一般鉄道) | 22:33:43 | Trackback(0) | Comments(0)
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