投稿日:2020-04-08 Wed
南四日市は何度も通っているのですが足繁く通ったのはコンテナ化後でタンク車時代は実は1回しか撮っていません。撮影は2002(平成14)年9月18日。完全コンテナ化が2003(平成15)年だったので残すところあと1年も無かったんですね。
この日は特に狙ってきたわけではなく近鉄内部線泊駅辺りからからJR関西線乗り継ぎのため歩いて来て列車待ちの間撮影した程度のもの。
タム、タサ、タキと3種類の重量区分のタンク車が揃って豪華な駅だな~と印象に残っています。
いずれも銀色のアルミ製タンク体を持つ過酸化水素専用車で三菱瓦斯化学(現・三菱ガス化学)の私有車でした。
過酸化水素はオキシドールとも呼ばれ漂白剤などに使われています。
小学校の理科の実験で過酸化水素水を二酸化マンガンにかけて酸素を発生させる実験をやった覚えがありますが実際見た覚えがあるのはその時くらいかな?
●タム8000
貨物鉄道博物館にタム8000が収蔵されており現在でもこの車両だけは見ることができます。

番号の下1桁が見えないのでタム800?号(^ ^;)
貨物鉄道博物館で保存しているタム8000号かも知れませんが記録が無いのでわかりません。

タム8012号
1964(昭和39)年汽車会社製。当初は御殿場線山北駅常備でした。
山北駅に化学工場なんてあったっけ?と思われそうですが駅から2kmくらい南の酒匂川に面したところに工場がありその間はトラック輸送をしていたものと見られます。

日輸15t機。このスイッチャーは使われなくなってからも結構後まで残っていました。
この時はまだDB15という番号は入っていませんでした。
●タサ5600

タサ5608。
1966(昭和41)年富士重工業製。この車だけ社名、社章がCI化されておらず三菱マークや社名板の字体が渋いです。
会社を跨いで移籍しており元は東北本線郡山駅常備だったとのこと。
●タキ7650

タキ7650
1964(昭和39)年にタム2300形改造で登場した1形式1両の希少車だったそうですが当時はそんな意識もなく無造作に撮っただけ。
改造以来最後まで南四日市常備であり続けたようです。
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投稿日:2018-11-14 Wed
学生時代に撮影したマヤ検。いずれも撮影は2004(平成16)年1月29日。吹田か向日町(だったと思う)から東海道本線を米原まで往復し機関車牽引ではなくクモヤ145がプッシュプルするものでした。

米原に到着したクモヤ145。
この米原方先頭車のみ車番を失念。
前面窓が珍しく灰色Hゴムの車なので調べれば特定できるかも??

中間に挟まれていたのは京都総合車両所のマヤ34-2007。

電車+客車+電車の編成ですがクモヤとマヤで車体断面はあまり変わりないため違和感が有りません。
機関車よりしっくり来るくらい?


大阪方に付いていたのは吹田工場のクモヤ145-1006。

彦根で通学用自転車を拾って米原~彦根の東海道本線新旧線分岐跡への旧線築堤へ。
前パンのクモヤ145-1006を先頭に駆け抜けていきました。
本線上でクモヤを撮ったのは今のところこれ1枚だけ。
投稿日:2016-06-24 Fri
学生時代たまたま撮ってたJR東海113系の変わりダネ幕です。
静岡地区の「通勤快速」。
名古屋地区にはJR、私鉄とも「通勤快速」という列車がなくJR東海では「区間快速」がこれに当たります。
一方で静岡地区には静岡~島田間ノンストップの通勤快速がありました。
この時は就職活動で上京したときでしたがやはり行き帰りには何らかの楽しみが欲しかったので(爆)
用宗を過ぎ石部トンネルを飛ばして焼津、藤枝と比較的大きな駅も快調に飛ばしていくのに牧の原台地の小駅にはのんびり停車する妙な列車でした。
2003(平成15)年2月 静岡

2つ目は113系の新快速。
通学中に夏場の台風でダイヤが乱れたためこんなことになったようです。
既にこの頃は313系が増備されて大垣区に113系はなかったと思われます。
確かこの時も中央線にしばらく残ってた神領車を使ってたはず。
この日は名鉄尾西線に5500系白帯車が走ったり、原色583系が現れたり(台風で遅れた甲子園臨でした)と現場の方々のご苦労は大変な1日だったのでしょうがファンとしては何とも豪勢な1日に・・・。
2003(平成15)年8月 尾張一宮
投稿日:2015-03-21 Sat
うちらしくない(?)JRネタが続きましたが今回は金沢駅から出ている北陸鉄道浅野川線内灘駅まで足を延ばします。
1958(昭和33)年日本車輌製のモハ3301
浅野川線は1996(平成8)年に架線電圧を直流600Vから同1500Vに昇圧するまで昭和30年代に相次いで新製した日本車輌製の電車たちが主力でした。
この北鉄標準車ともいえるオーソドックスなデザインの電車・・・案外と類似車が存在しないのです。
側窓の構造などは当時の名鉄3700系列に近いですが角張った車体に貫通扉下のアンチクライマや巨大な渡り板は何とも武骨。車体裾まで位置を下げられた尾灯も相俟って独特な風貌です。
車体も独特なら台車も結構変わっています。

モハ3301のND4B台車。
釣り掛け電車の台車にしては国鉄形新性能電車でお馴染みのDT-21のような見た目。
ですがよく見ると軸ばねがウイングばね構造になっておらず、軸箱上には隙間から板バネが少し見えています。
どこかでこんな台車を見た気が・・・。

えちぜん鉄道MC2110が履いていた住友金属工業製FS107。
名鉄の3300系(2代目)廃車時にえちぜん鉄道入りした台車です。
3300系以前は3850、3900系(1951(昭和26)~1952(昭和27)年日車製)が履いていたものです。
軸ばねに板バネとコイルばねを組み合わせたゲルリッツ式の構造を取り入れたもので、2011(平成23)年まで瀬戸線の6750系も同じ台車をはいて大手私鉄最後の吊り掛け電車として活躍していたのは記憶に新しいところ。
北鉄モハ3301の台車は型式名頭の「ND」から日車のメーカー形式と思われますが住友ゲルリッツ式(本場のゲルリッツ式とは厳密には違うもの)の構造そのもの。
当時はカルダン駆動車が増えていく頃で結果として子の台車は新製電車用の吊り掛け台車としては末期の珍しい一品となってしまったのでしょうね。
なお次の「西宮後停留場」更新ではこれら浅野川線の旧型電車時代末期の姿をUPする予定です。
投稿日:2015-03-15 Sun
北陸新幹線開業記念3回目~。1989(平成元)年9月16日の北陸本線西金沢~金沢です。

当時の家から最も近い電車が見える場所というわけで家から市街地へ向かう道路が北陸本線をオーバークロスする陸橋の下。
家から1.5㎞ばかり離れた場所で小学校低学年ではそうそう1人で出かけられる場所ではありませんでしたが中学に入るとこの先(金沢駅方)の線路端に通っていた中学校があったため、嫌でも毎日北陸線を見ることになったわけですが(^ ^;)
現在は線路端にフェンス、背後に北陸新幹線入出庫線の高架が建設されたため雰囲気はだいぶ変わってます。
419系というと食パン顔の中間車改造のクハ418、クモハ419の方が多く、この581、583系の前面が見られるクハ419を見られるとちょっと得した気分になる当たり車両でした。
この後愛称幕の上に"TOWN TRAIN"のヘッドマークが付き、いつしか愛称幕部分も埋められてしまったため「普通」の表示を出していた風景は貴重なものとなってしまいました。
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