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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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大船渡ダムの木材流送施設遺構
飛騨金山駅からほど近い中部電力大船渡ダムと同発電所。
高山本線や森林鉄道が開通し木材輸送が鉄道輸送に切り替わる前の川狩りに関連した施設遺構が残ってるので見てきました。
ダムは飛騨川の川幅いっぱいなので広いですが高さは低くダムから水路、発電所までの全てがほぼ駅前だけで完結する小規模な発電施設です。
ダム、発電所は岐阜電力により1929(昭和4)年10月完成。
同時に岐阜電力は親会社の東邦電力に買収され、同社の金山発電所になりました。
1941(昭和16)年10月には大船渡ダム、発電所に名前が変わっています。
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大船渡ダム。両岸とも市街地で町中のダムと言う感じ。
東邦電力は戦時中電力の鬼と呼ばれた松永安左エ門社長が軍部の圧力を恐れず電力の国家統制に反対したものの国策会社日本発送電に統合され残ってません。それでも東邦ガスを始め「東邦」の名前を受け継ぐ企業が現在でも見られます。

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ダム横から延びる発電所への水路。
木材もここを流していたそうですが発電所完成1年半前1928(昭和3)年3月21日には高山線が飛騨金山まで開通。
東邦電力もダムサイトの土場から運材軌道を駅まで敷いていたというので水路がどの程度流送に使われたかは不明。

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駅前の市街地を貫流する水路。古典的な高圧線鉄塔が水路を跨いで立ってます。

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下呂市役所金山振興事務所の横。片足を伸ばして跨ぐ鉄塔が何だかユニーク。

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間もなく大船渡発電所に入って行く水路。有効落差が12.3mしかなく出力も6,400kwと今他の発電所と比べると小さなものです。
左の分岐部がコンクリート壁で塞がれた細い水路が流木路跡。使わなくなって80年は経つ流木路ですが何だか塞いであるコンクリートの色が真新しい気が・・・。

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大船渡発電所の水路出口側。右に発電器を通らず地下をバイパスした流木路のトンネルが残っています。

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流木路トンネル拡大~。

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ダムでは補修工事が行われていたのですがその表示板を見ると・・・流木路を塞いだのは至極最近だったんですね・・・惜しかった。

参考文献:
飛騨川(中部電力株式会社/編)1979
飛騨川水力開発史(東邦電力株式会社/編)1939

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未分類 | 20:14:57 | Trackback(0) | Comments(0)
四角い電柱のこと
電柱と言えば通常円筒形ですが稀に四角い電柱があります。
なお函館にある1923(大正12)年建植の日本最古のコンクリート電柱も四角です。

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三岐鉄道の西藤原駅から北上、国道306号線が三重、滋賀県境を越える鞍掛峠の麓にある白石工業桑名工場の跡。
鉱業所の跡が廃墟ファンには有名でしたが鉱業所の建物は撤去されました。
その後も周辺の道路沿いにかつての鉱業所へ送電していた四角い電柱が残ります。

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下の方には安全第一の文字も残る。

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工場跡だけでなく電源供給元だった岐阜県上石津町(現在は大垣市)の時水力発電所跡付近にも四角い電柱が見られました。
なおこの鉱山では炭酸カルシウムを採掘しており鉱石はトラックで西藤原駅のホッパーまで運び貨車積みしていたようです。



もう一つは名鉄の四角い架線柱。
岐阜地区の路線を開業した美濃電気軌道やその系列会社が四角い架線柱を使っていたようです。
かつては美濃町線赤土坂付近や竹鼻線西笠松駅構内でも見られました。
また旧・長良軽便鉄道の高富線にもあったようです。
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名鉄美濃町線赤土坂駅の四角い架線柱。

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美濃町線廃線後、赤土坂~新田の線路敷上に横たえられた四角い架線柱。
2007(平成19)年8月撮影

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右上に積み上げられた電柱からは鉄筋が見えてますがレールが使われていました。

なお交換されていなければ現在も名鉄岐阜駅すぐ東の各務原線上に四角い架線柱が見られるはずです。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

未分類 | 23:59:29 | Trackback(0) | Comments(0)
八百津の木造バス車庫
今回は鉄道一切関係なしネタ。
岐阜県八百津町篠原バス停は八百津方面から八百津町コミュニティの802バスと恵那方面からの恵那市コミュニティバス(運行しているのは東濃鉄道)の結節点です。
現実にはどちらのバスも平日のみ運行な上に篠原で泊まらない限り乗り継ぎは出来ないダイヤですが(^ ^;)
その篠原バス停にお宝が・・・。

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802バスと東濃鉄道バスが夕日を浴びて仲良く道端の渋い木造車庫に収まっています。

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バックの雑貨店も相まって恰好良いですね~。

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車庫の前は細い長閑な田舎道。この道は恵那から国道418号の有名な「酷道」不通区間の迂回ルートとなる岐阜県道412号恵那八百津線です。
この狭い道を行く東濃鉄道の大型バスを見て見たい、乗って見たいところですが。

テーマ:バス関連 その1 - ジャンル:車・バイク

未分類 | 19:17:47 | Trackback(0) | Comments(0)
桑名駅~貯木場連絡側線&運河 ~その2 桑名貯木場~
桑名貯木場への流送材は飛騨材が主だったということから飛騨小坂の朝六橋~桑名貯木場~桑名駅までのルートを描いてみました。

川の形は明治時代のヨハネス・デ・レーケによる治水工事以後の姿としてます。それ以前は流路が複雑過ぎて良く分かっていない(^ ^;)
実に160㎞以上の長さ。途中下麻生綱場(岐阜県川辺町。高山本線下麻生駅付近)までは1本ずつの管流しを行い、下麻生で筏に編成、犬山や笠松で乗り組む筏師が交代して桑名まで下ります。
途中木曽川、長良川、揖斐川と移りますが木曽川と長良川では水位に大きな差があるため両河川間に船頭平閘門を挟みます。

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揖斐川から桑名貯木場への入り口。
石積みは大半が積み直されているようですがこの水門付近は当時からのものでしょう。
桑名貯木場は桑名城址の堀を利用し1882(明治15)年に農商務省山林局が設置。
宮内省御料局(後の帝室林野局)が新設されるとそちらに引き継がれ名古屋の白鳥貯木場を補完する役割を持っていました。

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水門から水中貯木場(堀)を見た様子。
桑名城は廃城後石積みが四日市築港に利用され城郭時代の石垣はあまり残っていません。
桑名藩幕末の藩主松平定敬は幕府側の会津藩主松平容保の弟で明治新政府側からも敵視されてましたが桑名では会津若松のような市街戦が行われることはなく無血開城してます。

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がここまで徹底的に城址が潰されてるのは賊軍の城と言う考えが山林局の役人にあったのか・・・ついつい勘繰ってしまいます。
今は水中貯木場がそのまま九華公園の池となっています。

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桑名貯木場の運河とは別に堀を利用したこんな風情のある運河もあります。
ここの石積みは桑名城時代のものが残っているとのこと。

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そしてこんな運河も。
この運河は三重交通北勢線桑名京橋駅(西桑名~桑名京橋は1961(昭和36)年11月1日廃止)に続いておりかつては北勢線とも水陸連絡が行われていたのでしょうか。
背後は諸戸氏庭園。重厚な和風建築の諸戸家本邸、コンクリート倉庫、赤レンガ倉庫が並び建物見本市状態。
諸戸家の諸戸清六は明治時代に桑名で急成長した実業家ですが紀伊半島などで木材業も営み現在の諸戸ホールディングスに連なります。
紀伊半島には諸戸林業の森林軌道(スーパーカブで運材貨車を牽いていた!)もありました。

テーマ:散策・自然観察 - ジャンル:趣味・実用

未分類 | 23:10:35 | Trackback(0) | Comments(0)
笹島散歩~その3~
笹島シリーズの終わりは向野橋。
笹島貨物駅廃止後も信号場として残っている側線や名古屋車両区を見渡せるため鉄道ファンの人気スポットです。

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この橋自体も旧・山陰本線保津川橋梁からの転用と言う年代物のトラス橋。

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1899(明治32)年アメリカA&Pロバーツ社製のプラットトラス橋です。
この橋は1928(昭和3)年に架け替えられていますが新設から30年足らず・・・とやけに早い時期に架け替えられてます。

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その原因としてはこのトラス橋が保津川に架かっていた当時起きた脱線事故が絡んでいるようです。
1922(大正11)年4月3日山陰本線園部17時2分発京都行110列車。
編成は251+ト25123+ト18612+ト18652+カ5749+ワ50509+クム34355+ホト6075+ワフ31196+ヨ4428+ハ4992+ハ4990+ロ459+ハ4986+ハ4985+ハフ2857。
タンク機が貨車9両、マッチ箱客車7両を牽く貨客混合列車でした。
ホトだけボギー車で後は全て二軸車ばかりの編成です。
この列車は亀岡を17時36分に発車、17時45分頃に保津川鉄橋東口第二隊道通過中に4両目の貨車(ト18652)が脱線、後続の貨車、客車も巻き込まれて保津川橋梁に突っ込み車両は大破、トラス橋を破損して一部車両が乗客、乗務員もろとも保津川に転落。
この列車には当時の京都を代表する実業家 田中源太郎が乗車していました。
彼は京都電燈(現在の関西電力、京福電気鉄道)や京都株式取引所(京都証券取引所)、さらに山陰本線国有化前の京都鉄道設立にも携わり社長を務めています。
明治になって寂れていた京都を産業、政治面から建て直した人物でしたが皮肉なことに元の自分の会社の鉄道事故で亡くなりました。

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事故の後しばらくは折れた梁を修復して使っていましたが新しいトラス(汽車会社製)を調達できたためか事故から6年後に名古屋の現在位置へ道路橋として転用されています。
よく見ると今でも当時列車がぶつかって破損した個所を切り継いだ跡が残ります。


以下は話まで脱線して余談です・・・。
事故列車ですが編成が切れて無事だった牽引機230形251号(汽車会社製)はトラス橋と同じ名鉄局に移ったようで戦後1951(昭和26)年美濃太田区で廃車。

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客車にはハ4975形が4両(ハ4986,4985,4990,4992)も入ってますが加悦SL広場で保存されてるハ4995号と同型車。
ロ400形(ロ459)も同型ロ481号がJR四国の多度津工場で保存されてます。
牽引機の230形251号も同型の233号が京都鉄道博物館で保存されてますね。

参考文献
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)
京都企業家の伝統と革新(安岡 重明・著/同文舘)

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

未分類 | 22:53:36 | Trackback(0) | Comments(0)
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