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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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八百津の木造バス車庫
今回は鉄道一切関係なしネタ。
岐阜県八百津町篠原バス停は八百津方面から八百津町コミュニティの802バスと恵那方面からの恵那市コミュニティバス(運行しているのは東濃鉄道)の結節点です。
現実にはどちらのバスも平日のみ運行な上に篠原で泊まらない限り乗り継ぎは出来ないダイヤですが(^ ^;)
その篠原バス停にお宝が・・・。

DSC_1340.jpg
802バスと東濃鉄道バスが夕日を浴びて仲良く道端の渋い木造車庫に収まっています。

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バックの雑貨店も相まって恰好良いですね~。

DSC_1344_201703262118186d8.jpg
車庫の前は細い長閑な田舎道。この道は恵那から国道418号の有名な「酷道」不通区間の迂回ルートとなる岐阜県道412号恵那八百津線です。
この狭い道を行く東濃鉄道の大型バスを見て見たい、乗って見たいところですが。

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テーマ:バス関連 その1 - ジャンル:車・バイク

未分類 | 19:17:47 | Trackback(0) | Comments(0)
桑名駅~貯木場連絡側線&運河 ~その2 桑名貯木場~
桑名貯木場への流送材は飛騨材が主だったということから飛騨小坂の朝六橋~桑名貯木場~桑名駅までのルートを描いてみました。

川の形は明治時代のヨハネス・デレーケによる治水工事以後の姿としてます。それ以前は流路が複雑過ぎて良く分かっていない(^ ^;)
実に160㎞以上の長さ。途中下麻生綱場(岐阜県川辺町。高山本線下麻生駅付近)までは1本ずつの管流しを行い、下麻生で筏に編成、犬山や笠松で乗り組む筏師が交代して桑名まで下ります。
途中木曽川、長良川、揖斐川と移りますが木曽川と長良川では水位に大きな差があるため両河川間に船頭平閘門を挟みます。

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揖斐川から桑名貯木場への入り口。
石積みは大半が積み直されているようですがこの水門付近は当時からのものでしょう。
桑名貯木場は桑名城址の堀を利用し1882(明治15)年に農商務省山林局が設置。
宮内省御料局(後の帝室林野局)が新設されるとそちらに引き継がれ名古屋の白鳥貯木場を補完する役割を持っていました。

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水門から水中貯木場(堀)を見た様子。
桑名城は廃城後石積みが四日市築港に利用され城郭時代の石垣はあまり残っていません。
桑名藩幕末の藩主松平定敬は幕府側の会津藩主松平容保の弟で明治新政府側からも敵視されてましたが桑名では会津若松のような市街戦が行われることはなく無血開城してます。

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がここまで徹底的に城址が潰されてるのは賊軍の城と言う考えが山林局の役人にあったのか・・・ついつい勘繰ってしまいます。
今は水中貯木場がそのまま九華公園の池となっています。

DSC_0096_20170113222541886.jpg
桑名貯木場の運河とは別に堀を利用したこんな風情のある運河もあります。
ここの石積みは桑名城時代のものが残っているとのこと。

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そしてこんな運河も。
この運河は三重交通北勢線桑名京橋駅(西桑名~桑名京橋は1961(昭和36)年11月1日廃止)に続いておりかつては北勢線とも水陸連絡が行われていたのでしょうか。
背後は諸戸氏庭園。重厚な和風建築の諸戸家本邸、コンクリート倉庫、赤レンガ倉庫が並び建物見本市状態。
諸戸家の諸戸清六は明治時代に桑名で急成長した実業家ですが紀伊半島などで木材業も営み現在の諸戸ホールディングスに連なります。
紀伊半島には諸戸林業の森林軌道(スーパーカブで運材貨車を牽いていた!)もありました。

テーマ:散策・自然観察 - ジャンル:趣味・実用

未分類 | 23:10:35 | Trackback(0) | Comments(0)
笹島散歩~その3~
笹島シリーズの終わりは向野橋。
笹島貨物駅廃止後も信号場として残っている側線や名古屋車両区を見渡せるため鉄道ファンの人気スポットです。

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この橋自体も旧・山陰本線保津川橋梁からの転用と言う年代物のトラス橋。

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1899(明治32)年アメリカA&Pロバーツ社製のプラットトラス橋です。
この橋は1928(昭和3)年に架け替えられていますが新設から30年足らず・・・とやけに早い時期に架け替えられてます。

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その原因としてはこのトラス橋が保津川に架かっていた当時起きた脱線事故が絡んでいるようです。
1922(大正11)年4月3日山陰本線園部17時2分発京都行110列車。
編成は251+ト25123+ト18612+ト18652+カ5749+ワ50509+クム34355+ホト6075+ワフ31196+ヨ4428+ハ4992+ハ4990+ロ459+ハ4986+ハ4985+ハフ2857。
タンク機が貨車9両、マッチ箱客車7両を牽く貨客混合列車でした。
ホトだけボギー車で後は全て二軸車ばかりの編成です。
この列車は亀岡を17時36分に発車、17時45分頃に保津川鉄橋東口第二隊道通過中に4両目の貨車(ト18652)が脱線、後続の貨車、客車も巻き込まれて保津川橋梁に突っ込み車両は大破、トラス橋を破損して一部車両が乗客、乗務員もろとも保津川に転落。
この列車には当時の京都を代表する実業家 田中源太郎が乗車していました。
彼は京都電燈(現在の関西電力、京福電気鉄道)や京都株式取引所(京都証券取引所)、さらに山陰本線国有化前の京都鉄道設立にも携わり社長を務めています。
明治になって寂れていた京都を産業、政治面から建て直した人物でしたが皮肉なことに元の自分の会社の鉄道事故で亡くなりました。

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事故の後しばらくは折れた梁を修復して使っていましたが新しいトラス(汽車会社製)を調達できたためか事故から6年後に名古屋の現在位置へ道路橋として転用されています。
よく見ると今でも当時列車がぶつかって破損した個所を切り継いだ跡が残ります。


以下は話まで脱線して余談です・・・。
事故列車ですが編成が切れて無事だった牽引機230形251号(汽車会社製)はトラス橋と同じ名鉄局に移ったようで戦後1951(昭和26)年美濃太田区で廃車。

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客車にはハ4975形が4両(ハ4986,4985,4990,4992)も入ってますが加悦SL広場で保存されてるハ4995号と同型車。
ロ400形(ロ459)も同型ロ481号がJR四国の多度津工場で保存されてます。
牽引機の230形251号も同型の233号が京都鉄道博物館で保存されてますね。

参考文献
機関車表 フル・コンプリート版(沖田 祐作・著/ネコ・パブリッシング)
京都企業家の伝統と革新(安岡 重明・著/同文舘)

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

未分類 | 22:53:36 | Trackback(0) | Comments(0)
モノクロ写真のカラー化について~3~
自動でカラー化するWEBサービスが公開されています。
http://colorize.dev.kaisou.misosi.ru/
元となっているサイトは「ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け」
http://hi.cs.waseda.ac.jp:8082/

最後は1958(昭和33)年の奥飛騨の三井金属鉱業神岡軌道。後継の国鉄神岡線→神岡鉄道さえも無くなってしまいましたが神岡鉱山の鉱石、製品輸送名古屋営林局神岡営林署金木戸森林鉄道と、接続して木材輸送も行っていました。但し金木戸林鉄762㎜ゲージ、神岡軌道610㎜ゲージで接続はしても車両の直通はできません。営林署としては神岡軌道ルートをあまりあてにしてなかったようで1955(昭和30)年には林鉄と接続してた浅井田支線が早々と休止されています。

現在当時の塗装が残った有蓋貨車が1台、東茂住付近の軌道跡から旧・大津山の町跡へ上る林道途中に転がっています。
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下半分が黒っぽい青、上半分はアイボリー・・・かつての上田丸子電鉄→上田交通(現・上田電鉄)の旧型電車に近いような色でしょうか。

今回もモノクロ写真を「はーさんの鉄道・旅・よしなし草 (別館)40年前の鉄道風景」管理人様より画像をお借りしました。昭和30年代の奥飛騨で列車本数も少ないため当時の写真はあまり残っておらず大変貴重なものです。

DL602m.jpg
元のモノクロ写真。
猪谷駅構内の602号。鋳物台枠の酒井工作所A型ディーゼル機関車。
6t機で車番の百の位で車体重量を表していたようです。
酒井製としてはあまり多くない角張った屋根が特徴。
陽刻文字のSAKAIとWORKSの間に楕円で囲まれたSKWのマークが入るなど森林鉄道の類型機の例から見て昭和20年代半ば以降の製造でしょうか。
神岡の酒井はこの6t機と大型の8t機がいました。6t機や舶来品のアウストロダイムラー機が構内入換、8t機が本線用と言うところでしょうか。

kamioka1-sky1.jpg
「ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け」の「フレーバー」機能からsky1を選択してカラー化。
実際のところは黒っぽい青色の塗装だったらしいのですが鮮やかになり過ぎか。

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MicrosoftOffice2010附属のPictureManagerでちょっと彩度を落としてみました。
大体こんなイメージでしょうか?
小坂森林鉄道の酒井、協三5t機はこんな色だったそうですが。
そう言えば小坂林鉄の酒井には角屋根でヘッドライトが左に寄ったスタイル・・・と言うこの602号とそっくりなのがいました。

Pcam.jpg
元のモノクロ写真。
木曽のC形客車を大型化したようなスタイル。こちら側にはドアが無く反対側中央にのみありました。
車体は小さいですがボギー車です。

kamioka2.jpg
「ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け」でカラー化。
下半分に青味が足りないような・・・それともこれで正しいのか判断に迷うところ。

kamioka2-sky1.jpg
「ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け」の「フレーバー」機能からsky1を選択してカラー化。
これもちょっと鮮やか過ぎるかな?

kamioka2-sky1_2.jpg
MicrosoftOffice2010附属のPictureManagerでちょっと彩度を落としてみました。
神岡軌道の客車、貨車の車体は木造で屋根のみ落石対策のため鋼板張りになっていたと聞いていますがこうして見ると妻面も鋼板張りになっているのがわかりますね。

kamioka4.jpg
神通川の巨大上路トラス橋を渡り猪谷に到着する貨客混合列車。
今でもこの橋脚の根元コンクリート部や橋台の一部は残っていますがその残骸だけでも巨大なもの。
やはり軽便鉄道とは言え大資本の鉱業施設だけあってスケールが大きいです。

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沿線は長く厳しい奥飛騨の冬が過ぎて漸く来た春の開放的な雰囲気。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

未分類 | 23:07:25 | Trackback(0) | Comments(0)
モノクロ写真のカラー化について~2~
自動でカラー化するWEBサービスが公開されています。
http://colorize.dev.kaisou.misosi.ru/
元となっているサイトは「ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け」
http://hi.cs.waseda.ac.jp:8082/

引き続き今度は青・緑系・・・というわけでまたもモノクロ写真を「はーさんの鉄道・旅・よしなし草 (別館)40年前の鉄道風景」管理人様より画像をお借りしました。

まずは三重交通の場合。
現在は近鉄湯の山線、四日市あすなろう鉄道、三岐鉄道北勢線に分かれていますがかつては三重交通の路線でした。
現在三岐北勢線で連接電車200系(旧・三重交通4400系)が三重交通時代のリバイバルカラーで走っているので知られています。
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三岐鉄道北勢線 穴太~東員

三重交通4400系だった頃の写真を触ってみました。
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元のモノクロ写真。
1961(昭和36)年まだ内部、八王子、湯の山線がまとめて三重線と呼ばれていた時代。

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「ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け」でカラー化。
緑色になるはずの車体下半分が茶色と言うか錆色と言うか微妙な色になってしまいます。

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「ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け」の「フレーバー」と言う機能からsky1を選択してカラー化。
ややまともに青系の色になりました。
ここからはphotoshopでも使わないと緑の三重交通色そのものにはできなさそうです。

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元のモノクロ写真。
1961(昭和36)年・・・今日の近鉄湯の山線沿線は四日市市近郊のベッドタウンに農村の残り香があるという程度ですがこの頃はローカルムードたっぷりだった様子。1964(昭和39)年に762㎜ゲージから標準軌へ改軌された湯の山線ですが当時は湯の山~内部・伊勢八王子へ通しで列車が運転されていました。

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「ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け」でカラー化。
やはりそのまま変換しただけでは緑色が茶色になってしまうようです。
植物の緑に対し人工物の緑は色変換が苦手なようですね。
これはこれでフリーランスのローカル電車とすれば十二分に良い雰囲気ですが・・・(^ ^)

mieko4_sky1.jpg
「ディープネットワークを用いた白黒写真の自動色付け」の「フレーバー」と言う機能からsky1を選択してカラー化。
これも青系の色になりますが緑色そのものにはできませんね。
電車はモ261(初代)+サ2000形×2連。
モ261は松阪線(当時は松阪鉄道)で同タイプの電車(モ250,251)に合わせてつくられた客車でしたが三重線転属時に電装され晴れて電車になる事が出来ました。サ2000形は現在も三岐北勢線でサハ、クハ140形として活躍中ですね。

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未分類 | 23:39:31 | Trackback(0) | Comments(2)
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