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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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檔鳥坂隧道
1912(明治45)年の土倉鉱山採掘から杉本隧道(丹生隧道)が1918(大正7)開通するまでは現国道303号線のルートで木ノ本駅へ鉱石を運んでいましたが当時は高時川沿いに大きく南へ迂回するルートで杉本隧道(丹生隧道)開通後は中ノ郷駅へのルートが使われました。

tsuchikura-map1png.png
それでもこの辺の中心地である木之本はやはり交通の要衝、土倉鉱山~木之本の索道が開通する2年前の1932(昭和7)年に杉本隧道(丹生隧道)開通前の木ノ本~杉野~土倉鉱山の迂回区間を短絡する滋賀県道県道揖斐高月線(現在は国道303号線に昇格)にトンネルができました。

P1040142.jpg
揖斐、土倉鉱山側から木之本へ向かい市街地目前の峠を越える個所。
国道303号線の新檔鳥坂トンネルより上に続く旧道に入りました。
現トンネルの銘板には1996(平成8)年3月とあったのでそれまではこちらの道がメインだったようです。
左下に何やら妙なものが(・ ・;)

P1040143.jpg
台風21号にやられたのか大木が根こそぎ倒れています。
湿地帯で根元が弱かったのか同じような木が何本かありました。

P1040138.jpg
現れた檔鳥坂(あっとりざか)隧道東口。
土倉鉱山~木之本索道はこの右上の方を通っていたものと思われます。

P1040141.jpg
檔鳥坂隧道の銘板。
周りに赤レンガの賤ヶ岳、横山隧道や強烈な個性を放つ杉本隧道(丹生隧道)、旧北陸本線柳ケ瀬隧道など濃ゆい面々に囲まれてしまい地味な印象は拭えませんがこれでも現役国道トンネルです。

P1040140.jpg
工事予告の看板。
こちらでは名前が「アットリ隧道」になってます。
この名前が強烈で何だか後で調べる気になってしまいました(^ ^;)

P1040132.jpg
西口(木之本側)。
すぐに向こうが見えるごく短いトンネルです。


・土倉鉱山方面へのバス路線
全国乗合自動車総覧(鉄道省/編 鉄道公論社出版部)を見ると1927(昭和2)年11月8日には藤田 市蔵氏経営のバス路線が木之本駅前~杉野村音羽10.0kmで開業しており5人乗りのフォードA、A.D型バスが走り始めています。
戦後1948(昭和23)年4月10日には運輸省の省営バス(後の国鉄バス→JRバス)が杉野地区で区間輸送開始、木ノ本~金居原には省営トラックによる貨物輸送も始まっています。
翌1949(昭和24)年3月15日より省営バス琵琶湖線(江若鉄道近江今津~木ノ本)の杉野支線が一般運輸営業開始。
金居原までの旅客営業区間延長がいつかは不明です。

20010914.jpg
今庄付近に置いてあった国鉄→JRバスの廃車体。
この個体が実際に木ノ本で使われていたものかはわかりませんが近所と言うことで~。
2001(平成13)年9月14日撮影

湖西線開通前の近江今津~木ノ本、北陸本線旧線→柳ケ瀬線引継ぎの木ノ本~敦賀代行バスなど鉄道色の濃いバス路線が多い木ノ本でしたが金居原へのバスもこれらの路線の一部として運行していたのは土倉の鉱山町が控えていた事もあったのでしょうか。
現在周辺のJRバスは近江今津~小浜の若江線以外は全て撤退し。
近江鉄道系の湖国バスや余呉バスが運行を継続、土倉鉱山最寄りの金居原までバスで行くことも可能です。

参考文献:
近江伊香郡志(富田八右衛門 編)
全国乗合自動車総覧(鉄道省/編 鉄道公論社出版部1934(昭和9)年刊)(国立国会図書館デジタルコレクション)1080コマ目


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未分類 | 23:52:00 | Trackback(0) | Comments(0)
中川口通船門
中川運河クルーズで通った通船門を外からも見て見たいということで見て来ました。
船上から見た様子はこちら
P1000721.jpg
まずはささしま方から。
屋形船タイプが出て来ました。

P1000729.jpg
船が出るとすぐ閉まる通船門。

P1000732.jpg
名古屋港方から。
こちらは防波堤の意味もあるので扉高さも高く頑丈そうです。

P1000738.jpg
動くときは特に何の音もなく開くので水上バスの時刻表から時間を読むしかありません。
裏を返せば時刻表さえわかっていれば手軽に閘門が動くところを見られる大変貴重なポイントとも言えます。
時刻表は水上バスの公式ページから見られます。
【公式】クルーズ名古屋 | 中川運河と名古屋港・金城ふ頭エリアを巡る水上バス
中川通船門通過はガーデン埠頭→ささしまライブ・キャナル・リゾート 便ではガーデン埠頭発10~20分後
ささしまライブ・キャナル・リゾート→ガーデン埠頭便ではガーデン埠頭着10~20分前くらいでしょうか?
潮の状態によって前後します。

P1000771_20180318220616064.jpg
この前乗った大型船の便。
通船門の扉開閉や注排水操作は閘門上の部屋ではなく右に見える緑色の建物・・・運河事務所内から行っているようです。

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水上バスと名古屋市交名港工場内の2000形の組み合わせ。
全線地下線の名城、名港線の電車と船という組み合わせも良いですね~。

未分類 | 22:29:50 | Trackback(0) | Comments(0)
中川運河~金城埠頭クルーズ~その4~
P1000425.jpg
ガーデン埠頭から港内を南下~

P1000433.jpg
稲永埠頭。
各倉庫の間には西名古屋港線からの側線が入っていました。
以前は一部レールも残ってましたが今は見られません。

P1000445.jpg
次に現れるのは石炭埠頭。
巨大なクレーン群が目を引きます。

P1000465.jpg
上路トラス橋に操縦車が乗っているような姿。
1950(昭和25)年6月1日の西名古屋港線開通と同時期から使われているもののはず。
この下にも側線が入りトキなどに石炭を積んでいました。
輸送と荷役の機械化が急速に進みそれまでの人手に頼る作業が大きく減りました。
そのため西名古屋港線開通式に解雇を恐れた港湾労働者が乱入する労働争議「西臨港線事件」が発生しています。

P1000455.jpg
太平洋戦争中に空襲を受けた姿のまま残る10号地灯台。
艦載機の機銃弾を受けたのかコンクリがえぐり取られています。
地上からでは立ち入ることができない場所ですが船上からなら見ることが可能。

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金城埠頭には懐かしのJR東海キハ40、48、11がまだいます。
まだ全車ミャンマーには渡っていない様子。
海に出ました。

P1000484.jpg
残念ながら各車の番号まではわかりません。

P1000488.jpg
金城埠頭到着~。
料金は大人一人ささしま~ガーデン埠頭900円、ささしま~金城埠頭1500円。
普段見られないものが見られることを考えると手頃な値段と感じました。

クルーズ名古屋 中川運河ラインについて
【公式】クルーズ名古屋 | 中川運河と名古屋港・金城ふ頭エリアを巡る水上バス

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

未分類 | 22:09:15 | Trackback(0) | Comments(0)
蘭、与川森林鉄道、津別の移動機
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

休み中に西宮後停留場のコンテンツ構成を見直し、時事的な記事はブログで掲載することにして古い記事を整理しました。
森林鉄道コンテンツ用に新たに森の鉄路を作って廃線巡りだけでない詳細なレポートを移設してます。

今回の新記事は以下の二つです。
蘭、与川森林鉄道
araragi171223-32.jpg

津別21世紀の森キャンプ場の保存機
tsubetsu-min.jpg


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未分類 | 14:00:18 | Trackback(0) | Comments(0)
大船渡ダムの木材流送施設遺構
飛騨金山駅からほど近い中部電力大船渡ダムと同発電所。
高山本線や森林鉄道が開通し木材輸送が鉄道輸送に切り替わる前の川狩りに関連した施設遺構が残ってるので見てきました。
ダムは飛騨川の川幅いっぱいなので広いですが高さは低くダムから水路、発電所までの全てがほぼ駅前だけで完結する小規模な発電施設です。
ダム、発電所は岐阜電力により1929(昭和4)年10月完成。
同時に岐阜電力は親会社の東邦電力に買収され、同社の金山発電所になりました。
1941(昭和16)年10月には大船渡ダム、発電所に名前が変わっています。
P1020493.jpg
大船渡ダム。両岸とも市街地で町中のダムと言う感じ。
東邦電力は戦時中電力の鬼と呼ばれた松永安左エ門社長が軍部の圧力を恐れず電力の国家統制に反対したものの国策会社日本発送電に統合され残ってません。それでも東邦ガスを始め「東邦」の名前を受け継ぐ企業が現在でも見られます。

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ダム横から延びる発電所への水路。
木材もここを流していたそうですが発電所完成1年半前1928(昭和3)年3月21日には高山線が飛騨金山まで開通。
東邦電力もダムサイトの土場から運材軌道を駅まで敷いていたというので水路がどの程度流送に使われたかは不明。

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駅前の市街地を貫流する水路。古典的な高圧線鉄塔が水路を跨いで立ってます。

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下呂市役所金山振興事務所の横。片足を伸ばして跨ぐ鉄塔が何だかユニーク。

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間もなく大船渡発電所に入って行く水路。有効落差が12.3mしかなく出力も6,400kwと今他の発電所と比べると小さなものです。
左の分岐部がコンクリート壁で塞がれた細い水路が流木路跡。使わなくなって80年は経つ流木路ですが何だか塞いであるコンクリートの色が真新しい気が・・・。

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大船渡発電所の水路出口側。右に発電器を通らず地下をバイパスした流木路のトンネルが残っています。

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流木路トンネル拡大~。

P1020549.jpg
ダムでは補修工事が行われていたのですがその表示板を見ると・・・流木路を塞いだのは至極最近だったんですね・・・惜しかった。

参考文献:
飛騨川(中部電力株式会社/編)1979
飛騨川水力開発史(東邦電力株式会社/編)1939

未分類 | 20:14:57 | Trackback(0) | Comments(0)
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