投稿日:2020-10-17 Sat
揖斐川上流に1964(昭和39)年に完成した横山ダム。そのダム湖に沈んだ集落がいくつか存在します。

国道417号線から見えた吊り橋の跡。
左には平坦地の跡が残り集落跡だろうと想像が付きます。
調べてみると集落の名前は鬼姫生(きびゅう)・・・横溝 正史に出てきそうなパンチのある名前ですね。

国土地理院の空中写真からかつての鬼姫生周辺を見た様子。
現在は揖斐川町ですが平成の大合併以前は藤橋村でした。
右上の鶴見や東杉原には住宅や耕地が広がり人口が多かったことが窺えます。鶴見、東杉原は横山ダムへの水没を免れプラネタリウムの藤橋城など観光施設がつくられましたが集落としては離村しており居住人口は0。
鬼姫生橋は揖斐川左岸の鬼姫生集落と右岸の親集落を結ぶ道路に架けられたものだったことがわかります。

鬼姫生橋の親集落側(右岸)主塔とアンカーの跡。
鬼姫生から渡ってきた場合道は手前側に直角に折れていたはずですが主塔とアンカーの距離が近過ぎ。
歩行者なら主塔と斜面の隙間を抜けることもできそうですが自動車には無理ですね。
現役時はどんな吊り橋だったのでしょう。
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投稿日:2020-10-13 Tue
旧・根尾村(現・本巣市根尾)と旧・徳山村(現・揖斐川町)の間、根尾川と揖斐川本流の谷を隔てる馬坂峠。この峠には1934(昭和9)年に徳山村の人々により掘られ開通した馬坂トンネルがあります。

根尾西谷川沿いうすずみ温泉のある門脇集落から岐阜県道270号藤橋根尾線を延々上ってきて到達するかつての村境。
雪崩でトンネルポータルが埋没するのを防ぐためか坑口から鉄製のスノーシェッドが飛び出しています。
徳山村にとって当時は安定的に往来できる道が無かった揖斐川の谷沿いに対し冬場でも外界と連絡できる山越えルートの開通は悲願だったはず。
なお現在は冬季通行止めになります。昭和30年代までは徒歩で冬山越えをしていたそうです。

徳山村方の坑口。こちらもスノーシェッドで固められています。
かつてはこの狭小トンネルを岐阜バスが通って徳山へ乗り入れてたそうですがここも伊勢神トンネルの名飯急行バスのように、車掌さんが誘導していたのでしょうかね?

スノーシェッド奥のトンネル本体。
向こうに根尾方坑口からの光が見えておりトンネル自体は177mと大した長さはありません。
トンネル内壁はコンクリートブロックで固められています。開通時は素掘りだったのでしょうか。

峠から見た旧徳山村。村の中心の本郷地区は中央に見える尾根を回り込んだ先なのでここから村落はまだ見えなかったはず。

徳山方坑口前には2つの祠、3体の野仏さんが並んでいます。
豪雪地帯なので祠も頑丈なコンクリ製。

立像の野仏さんの台座には「昭和9年11月 隧道開通記念」の文字。側面には施主さんの名前と在所の「徳山村」の文字が刻まれていました。
おらが村のトンネル開通を祝してか素朴ながらもどこか誇らしげな表情。
現在でも花を供えたりお世話をする方があるようですが元の村民の方が通って来られるのでしょうか。
投稿日:2019-10-28 Mon
来週11月3日(日)は貨物鉄道博物館開館日なので貨鉄博近所にある見どころ発掘~。
貨物鉄道博物館前の道を進んで三岐鉄道丹生川駅前を通り過ぎ200mほどでしょうか。
旧・丹生川村役場そばのT字路にあります。

旧・丹生川村中心のT字路(ここは三つ辻と言いたい)にチョコンと佇む旧・丹生川郵便局の局舎。
丹生川郵便局は1935(昭和10)年6月開設とのことでこの局舎もその時に建てられたものと思われます。
模型化したらコンパクトで小さなローカル線レイアウトにもいい感じに収まりそうな好ましい建物。

やたらと低い正面玄関の硝子戸には〒マークがあしらわれています。
左のドアには「公衆電話」の文字がある電話ボックスも。
中を見ると電話機は残っていないものの壁掛け式のデルビル式電話機が掛っていた跡がくっきり。

デルビル式電話機の電話ボックス例
電話を掛ける時は右のハンドルを回すと交換手につながり、交換手に相手の番号を伝えてつないでもらう代物。
1896(明治29)年から昭和30年代まで70年近く製造、昭和40年代まで使われたという偉大なるロングセラー商品です。
写真は日本大正村(岐阜県恵那市明智町)の通信資料館の復元電話ボックス

1950(昭和25)年3月31日時点で丹生川村(現在のいなべ市、三岐鉄道丹生川駅周辺)の人口2,370人に対し電話の引かれた戸数はたった3戸・・・電話があるのは村役場、郵便局、駅だけだったのでしょうか?
当時の丹生川村の人が電話を掛ける際はこの郵便局の電話ボックスを利用していたのでしょうね。
スマホ時代で公衆電話自体が激減してしまっていますがここの電話ボックスは局舎の外に出て健在。
右隣は2代目丹生川郵便局、こちらも現在は移転して空き家に。
3代目丹生川郵便局は少し離れた2車線道路沿い、車でアクセスし易い場所に移したようです。

この局舎今は塗装が落ちて枯れた雰囲気ですが側面を見ると明るい水色のペイントが残っています。
現役時は結構ポップな塗装だったようです。
整備再現できたらまちかど博物館にピッタリな建物でしょうね。

庭箱鉄道さんの軽便鉄道博物館(阿下喜)~貨物鉄道博物館(丹生川)シャトルバスもこの局舎横を通ります。
ミニバスと比べてもこのサイズ感~。
参考文献:
大安町史(大安町教育委員会/編)
投稿日:2019-09-30 Mon
昨日は軽便鉄道模型祭にお越しいただいた皆様ありがとうございました。
お陰様で「小坂森林鉄道 上巻 ~飛騨最大の森の鉄路~」は66冊販売と好成績でスタートすることができました。
小坂森林鉄道研究会として初参加、初出版で至らないところ、気付いたところもあり来年の下巻発売につなげたいと思います。
「小坂」というとやはり秋田の「こさか」・・・小坂精練、小坂鉄道が軽便、保存鉄道としてあまりに有名なため我々「おさか」はよく取り違えられてしまうことが多いですね~。
これを機会に飛騨の小坂も知って頂けると嬉しいです。
また来年の「小坂森林鉄道 下巻」の発売をお楽しみに!
上巻では車両を紹介したので下巻では個性的な各路線ごとの歴史や線路設備をご紹介する予定です。
会場では上部軌道跡に残っていた木橋群をはたちゅうさんが記録した美しい写真の展示や祭後半に放映していた濁河線の記録映像が大変好評で販売の要望も頂きました。
軽便鉄道模型祭ですからモデラーにとって貴重な資料に違いないです。これは商品化に向け動きたいと思います。
上巻を買いそびれた方もAmazon↓以下リンク先で販売しておりますのでご利用ください。
小坂森林鉄道 上巻 ~飛騨最大の森の鉄路~
投稿日:2019-08-02 Fri
以前乗った中川運河水上バスですがららぽーと名古屋みなとアクルスにも船着き場が出来て小型船が乗り入れています。かつては堀川までつながっていたものの現在は行き止まりになった支線運河の終点にららぽーとがあります。

以前は流れが無く運河の水が液体と言うよりはドロリとしたゲル状になって異臭を放ち名古屋港線撮影時は異臭に顔をしかめながらDE10を待っていました。

しかし今では船が入ってかき混ぜられて入れ替わるようになったのかほぼ無臭。水の色はオリーブ色ですが以前のようなゲル状ではなく正常な液体になっていました。

名古屋港線と旧東邦瓦斯港明工場専用線のガーダーをくぐる水上バス。

そのしばらく後に名古屋港線稲沢行きのDE10 1165が通過。

ららぽーとで買い物をしてから笹島まで乗船することにします。

前面貫通式で運転席の前から乗船・・・左側運転台なこともあって何だかデッキ付き旧型電気機関車のよう。
運航時の前後進は左のワンハンドルマスコンのような操縦桿で行っていました。
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