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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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三重交通北勢線の砂利貨物輸送~その2~

軽便鉄道博物館所蔵の戦前の絵ハガキにあった写真と国土地理院の1946(昭和21)年3月27日米軍撮影の航空写真から推定。
以前の三重交通専用線(関西本線桑名駅・三岐鉄道北勢線西桑名駅)2記事を書いた時の想定より合理的な配線でした。旧記事は訂正~こちらも更に訂正すべき事実が解ったら面白いです。
2番線、3番線は高架木橋(一部コンクリート橋だったらしい)になっており国鉄からの専用線両脇に入っています。
砂利貨物は発着時2番線を使いますが木橋上に自重12.6tの凸電が入る光景が見られたようです。
しかもそのまま機回しができるように木橋は急角度で折れて地上へと降りて本線と合流していました。
桑名からほど近い長島スパーランドにある木造コースター「ホワイトサイクロン」はこれに着想を得たわけじゃないですよね(^ ^;)

timetable.png
●矢田、星川での通票(タブレット)扱い
1948(昭和23)年9月23日改正版ダイヤグラムにはタブレットの孔形状も出ていました。
北勢線は単線なので列車同士の衝突を防止するため当時ごく一般的なタブレット閉塞を行っていました。
タブレットを持っている列車だけが交換駅間の線路に入れる通行証を駅が列車に交付するというものです。
ダイヤグラムによると貨物専用の矢田、星川でもタブレットを交換してます。
なお矢田は当初閉塞区間を西桑名~馬道としていたので、上り貨物列車が矢田に到着すると出張してきた西桑名駅の駅員さんがタブレットを受け取り駅まで自転車で運んで閉塞手続きを取り下り電車に渡していたとか。発車時はその逆手順です。
1948(昭和23)年当時旅客電車は矢田、星川で一旦停止してタブレットの授受を行っていたのでしょうか?
それとも通過授受!?
駅間距離は西桑名~矢田0.4km、矢田~馬道は0.7kmとどちらも非常に短いのでタブレット閉塞機取り扱いで駅員さんはかなり忙しそうですね(+ +)


と言うわけで上のダイヤを元に星川から到着した貨物列車をシュミレーションして見ましょう。
星川発の砂利貨物の1番列車22レを想定してますが交換列車などは他の列車も同じパターンダイヤでした。
かなり妄想入ってるのでどれくらい当たっているかは??です~(^ ^;)~


P1010271.jpg
22レはデ71+トブ821、891混成10連で近鉄名古屋線、関西線を乗り越え左急カーブしながら下り勾配を通過。
上り場内信号機進行現示を確認し慎重にブレーキを掛け矢田構内へ進入。

P1010498.jpg
2番線への分岐器を通過し機関車は平坦な高架線に進入したが後ろからは員弁川の砂利50tを満載した貨車がガンガン押し込んで来る。電車ならこんなにブレーキの利きが鈍くはないんだが・・・。

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2番線木橋上で信号所員の停止合図位置に09:55定時到着。
タブレットを渡すと信号所員はすぐに詰所へ飛んでいき西桑名駅へ連絡。下り場内信号機を緑に変えた。

P1010300.jpg
前方400m先の西桑名駅に前だけ見えていた桑名京橋発阿下喜行き955レが動きだし1分ほどですれ違う。
モニ226がトレーラー1両を牽いて来て一旦停止、信号所員からタブレットを受け取った。「通票ヨンカク!」
すぐに発車、重い貨物と違って軽快に坂を上って行く。

P1010492.jpg
今日はトブから砂利を下ろす国鉄の貨車が3番線側で待ってるのでこちらは機回しして貨車を引上げ線に引上げ、推進で3番線に入れなければならない。
推進で行き止まりの線路に貨車を入れるのだからボサッとしてると木橋の端から貨車を落としてしまう。
神経を使う作業だ。今日の操車担当は誰だっけ?


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私鉄貨物 | 00:11:56 | Trackback(0) | Comments(0)
三重交通北勢線の砂利貨物輸送~その1~
三岐鉄道北勢線は現在旅客輸送専門ですが近鉄時代まで貨車を保有していました。
実際に貨物輸送が盛んだったのは開業から三重交通時代の1959(昭和34)年の員弁川砂利貨物廃止まで。
北勢線の砂利貨物輸送の実態がどの程度のものだったか時刻表や残された車両の一部を元に探ってみます。

timetable.png
阿下喜駅の軽便鉄道博物館で展示されている1948(昭和23)年9月23日改正のダイヤを元に作成した北勢線貨物時刻表。
三岐鉄道になってから駅が整理されたため今となっては懐かしい駅名が並びます。
赤字の駅は信号場、貨物駅。
矢田は西桑名~馬道間に置かれた信号場だったようで国鉄桑名駅からの専用線が入っていました。
星川、畑新田は戦時中の1944(昭和19)年7月1日に休止、1969(昭和44)年5月15日廃止となっていますが休止時に止めたのは旅客扱だけだったのか戦後も貨物扱いを行っていたようです。
なお星川駅は三岐鉄道に移管された後2005(平成17)年3月26日に元の位置の200mほど西桑名寄りで旅客駅として復活してます。

●砂利貨物21~30列車
朝夕ラッシュの間の閑散時間帯に5往復も設定されており矢田~星川間はノンストップだったようです。
とは言え貨物列車なので速度は遅く現在の各駅停車より少し遅い程度。

●臨時貨物100~103列車
桑名京橋~阿下喜直通の貨物は臨時列車となっていたようです。
阿下喜からは木材や白石工業桑名工場からの袋詰め炭酸カルシウムが出荷されていたそうです。
101レは上り電車と馬道、七和、大泉東、楚原、麻生田で交換、大泉東ではさらに下り電車に追い抜かれます。
102レは下り電車と交換する駅は101レと同じ、楚原で上り電車に抜かれています。

●砂利貨物の車両
1931(昭和6)年の北勢鉄道電化時に日本車輌、三菱電機で凸型12.6t機の20形20,21号が製造されました。
戦時中に三重交通に統合されてからはデ71形71,72号になっています。
MieEL72m.jpg
はーさんの鉄道・旅・よしなし草 (別館)40年前の鉄道風景」管理人様より貴重な三重交通デ72号の写真をお貸し頂きました。
北勢線の砂利貨物が廃止になって余剰となったため三重線(湯の山、内部、八王子線)へ転属した直後の姿です。
三重線ラッシュ時には客車列車の先頭に立っていました。
近鉄となった後も内部、八王子線でデ45形デ46号として事業用に1975(昭和50)年まで活躍しました。
1961(昭和36)年2月19日 近畿日本四日市(現・近鉄四日市、あすなろう四日市)

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北勢線に残ったデ71号は近鉄デ45形デ45号になります。本線に出ることも無くなり北大社車庫で無車籍の入換機械として使われた後解体され台車だけが現在もクレーンの検査に使うとかで現役。
なおデ71→デ45はボンネット中央に前照灯が乗っており、オデコに前照灯が付いたデ72→デ46と異なっていました。

mie-tobu821.png
トブ821形
星川~矢田の砂利輸送用5t積みダンプ貨車。
ナベトロよりは国鉄の土運車に近いような形状。左右に傾けると煽り戸が開いて側線の国鉄貨車へ砂利を落とせるようになっています。
砂利輸送には他に2軸無蓋貨車トブ891形がいたようですがこちらは見たところダンプしない普通の無蓋車。
係員が砂利を掻き落とさねばならなかったようです。
なお砂利輸送以外の貨車はボギー車が多かったようですがダンプ貨車が配置されるまではボギー無蓋車も砂利輸送に充てられていた様子。
北勢線では1952(昭和27)年2月に附随客車11両へエアブレーキが取り付けられ、電気機関車、電車から貫通ブレーキ操作ができるようになっていましたが貨車は最後まで貫通ブレーキ化されなかったようです。

DSC_0400_20171017222552acf.jpg
ダンプ貨車トブ821形を利用したという北大社検車区の仮台車。
見たところ台枠を切り詰め軸バネを取り去った軸箱、車輪と接合したようです。
北勢線100周年記念の工場公開で知人に教えてもらったもの。

DSC_0399_2017101722255124d.jpg
仮台車には記念なのか銘板まで律儀に残されています。
「昭和十六年製造 北勢電気鉄道」とあります。
国立公文書館所蔵の鉄道省文書に北勢電気鉄道の1941(昭和16)年8月25日付けで「貨車設計変更の件」というのがあるので候補車両が絞り込めるかも?
今度上京したらついでに確認して来たいところ~。

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私鉄貨物 | 23:35:54 | Trackback(0) | Comments(0)
坂下駅の専用線群(中央本線坂下駅)~その2~
中央本線坂下駅の側線続き。

P1010212.jpg
旧坂下営林署坂下貯木場の貨物側線利用と思われるバラスト積込み場。
貨物ホーム側の1線は撤去されています。
奥の貨物ホームは石積みですが名古屋寄りは直方体の石材を地面に並行に積んだ布積みになっています。

P1010210.jpg
一方で塩尻寄りは交互に斜めに積む矢筈積み。つくられた時期が違うのでしょうかね。
背後は国保坂下病院を建設したとき地面を掘り下げたのか貨物ホーム線路寄りの壁だけが張りぼてのようになっています。

P1010218.jpg
通過する下り特急しなの。
しなのがくぐっている歩道橋はかつて踏切で坂川鉄道新坂下駅の連絡道路でした。
奥には鐘釣トンネルがあります。

P1010184_20171016235708a51.jpg
近くで見ると鐘釣トンネルは新旧トンネルが並んでいます。

P1010214.jpg
元の一般貨物用と思われる駅前側の側線。
1922(大正11)年~1931(昭和6)年の間にはこの辺りに貨物索道の飛騨索道が接続しており下呂の三原まで発電所建設資材を輸送していました。
高山本線開通前のことで田瀬で北恵那鉄道と交差、付知、加子母を経由し舞台峠を越えて飛騨に入っていました。
一時は加子母森林鉄道と連絡して加子母御料林の木材を運んでいたこともあるとか。

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専用線跡 | 00:08:53 | Trackback(0) | Comments(0)
坂下駅の専用線群(中央本線坂下駅)~その1~
坂下駅には日本の専用線がありました。
いずれも短いので見た目では恐らく国鉄構内側線とあまり区別が付かない程度のものと思われますが1957(昭和32)年には国鉄動車(貨車移動機)まで入っています。

●日本発送電
作業キロ:0.1km
作業方法:手押
専用線一覧表1951(昭和26)年版で確認
賤母発電所の資材取り降ろし用か?
建設時には発電所まで手押し軌道があった様子

●長野営林局(坂下営林署?)
作業キロ:0.1km
作業方法:手押→国鉄動車
1951(昭和26)年、1957(昭和32)年版で確認
坂川鉄道→坂下森林鉄道起点の営林署貯木場が駅に隣接していた。

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坂下駅名古屋方。
右から下り本線、中線、上り本線、旧・貨物側線が並んでいます。
中線は上り名古屋方、下り松本方面とも利用可。
日に何本か普通列車が特急「しなの」通過待ちを行います。
左端の分岐器が営林署の土場、森林鉄道機関区方面へ分岐しています。
専用線もこちらにあったものと思われます。

P1010190.jpg
同じ位置から振り返り下り塩尻方を見た様子。
右に保線用と化した側線が続いています。
裏手の営林署貯木場は移転して国保坂下病院や製材所になっています。
ここには坂川鉄道→坂下森林鉄道の車庫もありました。

P1010191.jpg
側線は保線トロへバラスト積込みのため現役。
貨物ホームも一部が残っています。

P1010204.jpg
塩尻方から構内を見た様子。
現在の保線側線が専用線そのものなのか、国鉄側線に当たる部分だけなのかは確定できません。
それでも側線の残存率は結構高い駅と言えそうです。

参考文献:
専用線一覧表(日本国有鉄道貨物局)

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専用線跡 | 00:12:44 | Trackback(0) | Comments(0)
吉野貯木場専用線(近畿日本鉄道吉野線吉野神宮駅)~その4~
吉野貯木場専用線には近鉄吉野線の機関車がそのまま入っていました。
というわけで近鉄南大阪、吉野線の電気機関車の紹介。
旧吉野鉄道には1924(大正13)年電化時導入のスイス・ブラウンボベリ製凸電デ1形3~5(後に改軌、車体を大改造されデ81形→デ35形に改番。大阪線で保線用に使用)を始めユニークな電機が集まっていました。

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デ51形デ51
1929(昭和4)年川崎車両製(1928(昭和3)年に川崎造船所から分社化)の48t機。
吉野鉄道51形として製造され大阪電気軌道に合併、関西急行、近鉄と会社は変わっても吉野線、南大阪線で使われ続けていました。デ52が1975(昭和50)年、デ51は1984(昭和59)年に廃車されてます。

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デ61形デ64
1927(昭和2)年三菱電機、三菱造船所製35t機。
現南大阪線の前身大阪鉄道のデキA1001形1001~1004号で同時期、同メーカー製の名鉄デキ300形とよく似ています。
大阪鉄道時代からレールがつながる吉野線に車両の乗り入れや貸し出しが行われていました。
後に伊賀線、養老線へ転じたものもありましたが1984(昭和59)年に全廃されました。

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デ31形デ33
1948(昭和23)年三菱電機製40t機。
今でもデ32号が車籍のない入換機械として塩浜工場にいますがデ33号が1964(昭和39)年まで南大阪線配置でした。
写真は2000(平成12)年11月5日に養老線東方操車場で廃車前に行われた撮影会での様子。
運用によっては吉野貯木場専用線にも入ってたのではないかと思われます。

吉野貯木場の名残編~
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製材所群の中に欄干だけが残るこんな光景が見られます。
かつてはここに吉野川の分流がありこの先は吉野川内の中州になっていました。


1回目にも出した地図ですが吉野川はこんな流れ方をしてました。

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もう1本の橋の跡。
こちらには水中貯木場へ取水するための水門があり現在も水門の櫓が残っています。
欄干には「吉野川」の文字も見えます因みにかつては川幅が広く欄干ももっと長かったはずですが奥の方は撤去済み。

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橋の先には吉野木材協同組合連合会の貯木場事務所。
恐らく県営貯木場ができた1937(昭和12)~1939(昭和14)年頃に建てられたものと思われます。

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「聯」の文字や軒下の飾り、羽を拡げた鶴の絵柄の鬼瓦も渋いですね~。

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専用線跡 | 00:05:25 | Trackback(0) | Comments(0)
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