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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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福井鉄道ホサ1、2~その2~
P1080192.jpg
昨年のホサ1修復時のこと。
貨物鉄道博物館搬入後何度か修復、塗装が行われてきたホサ1ですが車輪はこれまで手付かずでした。
で、今回は車輪も黒を入れてみようということでけれん作業を始めたらドロ錆でえらいこっちゃ(笑)
それでも落としていると数字やアルファベットの社名らしき刻印が彫られているのが見えてきました。

P1070974.jpg
プレート車輪には楕円形の窪みが2か所見えますがこのような形で発見されました。

富田側から順に見て行くと
・第1軸
P1060742.jpg
HB HV GERMANY
Hörder Bergwerks und Hütten Verein(ヘルダー鉱業所&フッテン社)と英語でジャーマニー。
ドイツのドルトムント ヘルデにあった老舗鉄鋼メーカー。残念ながら2001(平成13)年に閉鎖されてしまったとのこと。

P1060740.jpg
1912
1912(明治45、大正元)年製造ということでしょうね。製造年がわかったものはこれが最古。

・第2軸
P1060767.jpg
RSW14
これだけでは何だかわからなかったのですがお客様より「ライン製鋼所ではないか?」というアドバイスをいただきました。
ありがとうございます(_ _)
ドイツ語だとRhein Stahlwerkかな?と調べているのですが言語の壁とそれ以上にドイツの製鉄業に関して土地勘が乏しいため該当しそうな会社を見つけられていません。

・第3軸
P1060750.jpg
BOCHUMER VEREIN D.R.P
ボーフマー社とD.R.PはDeutsches Reichspatent(ドイツ帝国特許)の略称。
ボーフマー社はドルトムントの西隣ボーフムの鉄道車輪メーカー。
こちらは現在も盛業中です。

P1060765.jpg
1913
1913(大正2)年製造。
この車輪が作られた翌1914(大正3)年6月28日サラエボでオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルデナント夫妻がセルビア人青年に暗殺されたことをきっかけにオーストリアと同じドイツ民族国家のドイツ帝国が一緒になってセルビア王国と開戦。
ヨーロッパ全体を巻き込んだ第1次世界大戦が起き泥沼の戦争を味わった末に革命で帝国は崩壊、皇帝ヴィルヘルム2世はオランダへ逃亡しています(貨車に全財産詰め込んで逃げおおせたそうな- -;)。
少なくとも第1、3軸目はドイツ帝政時代最末期の輸出品と言ってよさそうです。

第4軸はスポーク車輪で国産の住友の井桁マークが出てきました。
どうもホサ1本来の車輪はこの第4軸のみで他は国鉄から福井鉄道に払い下げられたときか福井鉄道で交換されたものと見られます。
これらのドイツ製車輪は元々他の車両が履いていたもののお古と思われますがどんな車両から回ってきたのでしょうね。
車輪がドイツ製と言っても車体は国産で輸入した車輪を使用したものと思われます。
福井鉄道は前身の武岡軽便鉄道が1914(大正3)年1月29日に後の南越線に当たる新武生(後の社武生)~五分市を開業させていますがこの時は762mm軌間なのでこの車輪を使っていたことは無いはず。
やはり国鉄由来でしょうかね。

情報提供:Eisenbahnmuseum Bochum(ボーフム鉄道博物館)

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保存車 | 22:36:10 | Trackback(0) | Comments(0)
福井鉄道ホサ1、2~その1~
コロナウイルスの影響で4月5日(日)は貨物鉄道博物館も臨時閉館となります。
ご自宅でも見ていただけるよう代わりにちょっとバーチャル開館?

P1080192.jpg
昨年春に修復作業を終えたホサ1。
1930(昭和5)年浅野造船所製の23t積みホッパ車です。
最初は車掌室付きのホサフでしたが今は車掌室が無くなってバラスト散布時に側扉を開閉するためのハンドルが付いたデッキになっています。
当初は浅野セメントの私有貨車で武蔵野鉄道(現西武池袋線)吾野駅や奥多摩方面から浜川崎への石灰石輸送に使われていたもの。同系列でも車籍が武蔵野鉄道にあるもの、青梅電気鉄道にあるものとわかれていたものの後に南武鉄道に移され1944(昭和19)年4月1日に路線ごと国有化され国鉄籍になっています。

fukui-hosa2-011020.jpg
1966(昭和41)年に国鉄で廃車になり福井鉄道へ譲渡され線路バラスト散布に使用され廃車になった直後の様子。
福井新(現赤十字前)駅で踏切から撮影していたら中に車を止めていた福鉄の社員さんが手招き~「本線に入らなければ中から撮ってくれていいよ」というわけで有難く撮影させていただきました。
福井県の県民性は大らかと言われますが京福→えちぜん鉄道、福井鉄道とも出かけたときによくこういう親切に巡り逢いました。
手前は今は亡きホサ2ですがこちらは今貨鉄博にあるホサ1がプレート車輪なのと違ってスポーク車輪でしたがどうやらこちらが新製時の原型に近いようです。
2001(平成13)年11月20日 福井鉄道福武線福井新

fkui-hoki1642-011020.jpg
横には後任の元JR西日本ホキ800形ホキ1641、1642もいました。
2001(平成13)年11月20日 福井鉄道福武線福井新

P1060407.jpg
修復作業中に撮影したホサ1の内部~。長年働いた粉塵が溜まっておりここでブロアーを吹いたら大変なことになるのは必至。

P1060749.jpg
アーチバー台車~
当初は車輪の泥まで落としていなかったのですが車体に対してヨレヨレに見えるのはちょっと見栄えが悪いかな~と泥を落とし始めたらこの作業が地獄を招くことに~ただの泥ではなく日干しレンガのようになっていたのです(- -;)
「まずい作業に手を付けちゃったかな」と思いつつもついつい続けたくなってしまうのは仕事と違うところ~(爆)

保存車 | 22:51:47 | Trackback(0) | Comments(0)
2020年3月21日ひめしゃがの湯活動報告
ひめしゃがの湯のNo.118復元作業ですがコロナの影響で事前の発表は行わず作業も規模を縮小して行いました。
P1120782.jpg
暖かくなってきたので外板塗装の剥離を考えていましたが人数も少ないので発電機を持ち込んでの作業は無し~。
ということで新規購入の充電式グラインダがどれくらい使えるかを実験。

P1120784.jpg
片側の扉を外して扉のガイドレールの塗装を剥がしました。
フル充電で40分くらい可動、この2枚の錆を落としたらバッテリー切れでした。

P1120790.jpg
シートを被せなければならないので塗装も午前中に塗れる程度でお終い。

P1120791.jpg
扉を付け直すだけで意外と苦労することになりました。
気を付けないと線路のバラストの上にスペーサーやボルトを落っことしてしまうので大変なことに~(^ ^;)

大々的に塗装を落として錆止めを塗ってしまいたいのですがコロナで大ブレーキですね。
まあ気長に見るしか無いですがコロナが終息したところで今度は景気がそれどころでなくなってそうなのが気掛かり。

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小坂森林鉄道保存活動情報 | 21:57:06 | Trackback(0) | Comments(0)
新川口臨港線(名鉄三河線新川町駅)~その2~
新川口臨港線の続き

線路は新川北岸の工場、倉庫街へ延びていました。新川口駅と言っても特に駅舎などがあった様子はなく元々が構外側線のようなもの。
1955(昭和30)年2月1日の建前上の廃止前後で変化はあったのでしょうかね?

P1050161.jpg
新川町駅の碧南寄り踏切には臨港線の分岐跡がしっかり残っています。
コンクリート舗装の箇所は元々の線路の周りの舗装。その間のアスファルト舗装が臨港線を埋めた跡です。

P1050162.jpg
その先は住宅地の道路になりますがすぐに住宅の敷地に突っ込んでしまうのでたどれなくなります。

P1050160.jpg
次に線路と交差するのは新川交差点付近。
愛知県道50号、302号線などが集まる五差路交差点を横断していました。
臨港線も含めるとかつては七差路というカオス交差点・・・(^ ^;)

こことは関係ないですが現役の三河線すぐ近所の北新川駅にも交差点のど真ん中を横断するカオス踏切が存在します。
P1050135.jpg
北新川駅北交差点を斜め横断する知立行6000系~

P1050159.jpg
閑話休題~新川交差点南東角には臨港線の線形の名残をとどめる箇所があります。
県道50号の標識裏住宅と車道の間にある三角スペースがそれ。
臨港線は左奥の新川町駅からカーブして中央の茶色い倉庫上屋辺りから県道50号の標識の場所を通り手前へ続いていました。

P1050156.jpg
新川交差点の先は道路沿いに店舗や住宅、倉庫、その裏を臨港線が通っていましたが痕跡はあまり残っていません。
フレア、ゴーストの酷い画像ですが道路に面した車庫と右のマンションの間にわずかに臨港線跡の敷地が残っています。
奥が新川町駅方向。

P1050154.jpg
新川口の臨港線末端付近。
臨港線があった頃の倉庫に木製電柱、黒いデキ、ワムが屯していたアヤシゲなヤードの雰囲気はほぼ皆無。

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貨物側線跡 | 23:44:55 | Trackback(0) | Comments(0)
新川口臨港線(名鉄三河線新川町駅)~その1~
名鉄三河線の支線だったのが側線扱いになって残っていた路線です。
1915(大正4)年8月17日に三河鉄道新川町~新川口0.6kmが開業、新川港周辺三州瓦など焼き物が盛んな工業地帯で貨物扱いを行う臨港線でしたが1955(昭和30)年2月1日に廃止・・・と言っても扱いが構外側線に変わっただけで1977(昭和52)年5月24日まで貨物列車が運転されていました。
今でいうと四日市港駅が廃止になってもセメント貨物が走っている関西本線の支線四日市港線みたいなものでしょうか。
最終的に廃止になった理由は衣浦臨海鉄道碧南線が開業するためでこちらは入れ替わりに1977(昭和52)年5月25日に開業しています。

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古いんだか新しいんだかよくわからない雰囲気の新川町駅。
タブレット扱い時代の名残があることからかなり古い駅舎のはずですがあまり古さを感じさせません。

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現在の三河線はワンマン対応6000系電車の天下。新川町では上下列車が交換します。
どちらも6000系ですが製造が長期に渡り、窓や方向幕の大きさLED表示機への変更などバラエティーに富んでいます。

P1050171.jpg
新川町駅の貨物ホームがあったのは2番ホームの裏。架線柱や用地に名残があります。

P1050169.jpg
貨物側線跡は車いす用スロープなどに利用、貨物ホームや倉庫の跡は名鉄パーキングになっています。

P1050168.jpg
新川口への臨港線は貨物ホームとは反対に碧南方の海側に延びていました。

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貨物側線跡 | 22:56:00 | Trackback(0) | Comments(0)
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