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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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東濃鉄道笠原線滝呂駅の貨物側線
笠原から笠原川の小渓谷区間を抜けて滝呂の盆地に入ると滝呂駅の跡。
P1060516.jpg
笠原方から滝呂駅構内を見た様子。
ここは長めの貨物側線が右斜め方向へ分岐してワムやワキが留置されている写真を見ましたが駅、側線を含め公園になっています。

P1060518.jpg
駅舎があった辺り。

P1060519.jpg
1972(昭和47)年度には発着ともゼロになっており短距離なことから列車交換の必要性も薄く末期は駅としての存在意義を喪失していたようです。

P1060521.jpg
新多治見方から滝呂駅構内を見た様子。
島式ホームがあって遊歩道側が本線左が副本線(?)だったようですが現役時と変わり過ぎて正確な位置は良く分かりません。

P1060522.jpg
滝呂駅を出ると下滝呂まで滝呂の町を築堤で横切ります。
1928(昭和3)年7月開業時より連続立体交差が実現していた区間。

takiro.png
滝呂駅貨物取扱量。
笠原駅と同じく到着量が多く発送量が少ないパターン。
1955(昭和30)年度時点の到着量は笠原駅と似たようなレベルですが笠原駅が昭和30年代の高度成長期に伸びてから昭和40年代に落ち込んだのに対し滝呂駅は最初から下落傾向です。

参考文献:
RM LIBRARY72 東濃鉄道(清水 武/著 ネコ・パブリッシング/刊)
岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)

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現役側線・専用線 | 22:50:32 | Trackback(0) | Comments(0)
東濃鉄道笠原線の気動車
笠原駅の記念碑に移っている笠原線の気動車たち。
今回はボギー車、片ボギー車のみで単車のキハ1、2は別の機会に紹介できるかな?
キハ12以外は1971(昭和46)年6月13日の旅客営業休止まで使われていました。
tono-dc23.gif  tono-dcs1.gif
キハ23+キハ12
どちらも元駄知鉄道の日本車輌製ガソリンカーでエンジンはアメリカのウォーケシャ(Waukesha)6-SRL。
キハ12は1931(昭和6)年8月製の片ボギー車でボギー側前面に荷物用バケットを装備。
キハ23は1933(昭和8)年9月製のボギー車でバケットも両側に設けられていました。
駄知線電化後笠原線へ転入してキハ12はディーゼル化されず附随車化。
キハ10形キハ12号、キハ20形キハ23号なのですが駄知鉄道では気動車の番号の下1桁を通し番号としていたためで複数同型車がいるわけではありません。
キハ23は戦時中代燃ガス発生装置を取付け木炭、ガソリンのハイブリッド化、戦後ガソリン専燃に戻り笠原線移籍後の1952(昭和27)年に三菱DB5Lを積んでディーゼル化されています。
現在動態保存されている加悦鉄道キハ101(1936(昭和11)年日車製)と同一設計の車体だそうですが加悦キハ101が片ボギーなのに対しこちらは通常のボギー台車。
DSC_3656.jpg
加悦鉄道キハ101

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キハ501
1931(昭和6)年8月梅鉢鉄工所(後の帝国車輌→東急車輛→総合車両製作所)製の播丹鉄道レカ15→キハ500
播丹鉄道は現在の加古川線や支線となる北条線(現・北条鉄道)、廃止になった高砂線や鍛冶屋線、三木線(後の三木鉄道)で使われていました。
それまで小型の二軸レールカー(当初の形式称号レカの由来)ばかりだった播丹鉄道初のボギー式13m級ガソリンカーで車体両端にはキハ23と同じようなバケットを装備していました。
戦時買収で国鉄籍になりキハ40350に改番。1953(昭和28)年に東濃鉄道が譲受し車体延長やエンジンの日野DA57への載せ替えによるディーゼル化など大改造しています。
元の車体は両側にバケット付きでしたが車体延長で運転室を置いたようです。
台車構造もあって電車くさい外観になっています。

tono-dc502-1.gif tono-dc502.gif  tono-dc502-2.gif
キハ502
笠原線最大の17m級ディーゼルカー。
1934(昭和9)年日本車輛製の中国鉄道(現・中鉄バス)キハニ172。
前面4枚窓で国鉄キハ04系列に似ていますが幕板が広く屋根もやや深いためおデコが広く見えてやや鈍重な顔つき。
新多治見方にのみ荷物用バケットが付いており前後でやや印象が異なります。
現在の津山線、吉備線で使われこちらも戦時買収で国鉄籍となりますが戦中、戦後の燃料入手難でまともに使われることなく1949(昭和24)年に廃車。
1952(昭和27)年より山口県の防石鉄道キハ101として使われますが1964(昭和39)年7月1日に廃線。
東濃鉄道へ譲渡され翌1965(昭和40)年10月に笠原入りしています。
なお中国鉄道キハニ170形はキハニ170~172の3両がいましたがキハニ171は三岐鉄道キハ82となっており電化後も1964(昭和39)年までは四日市直通運用に使われ、使用停止後も1972(昭和47)年まで在籍、偶然にも両車とも名古屋近郊で晩年を迎えています。
なお残るキハ二170は島原鉄道キハ201になってやはり昭和40年代まで在籍していたようです。



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気動車 | 23:28:42 | Trackback(0) | Comments(0)
東濃鉄道笠原線笠原駅の貨物側線
東濃鉄道笠原線終点の笠原駅跡。
多治見から土岐川(庄内川の上流)の支流笠原川を遡って愛知県瀬戸市との境に近い丘陵地帯の盆地にある笠原町の北の外れにある駅でした。
東濃鉄道沿線の例に漏れず美濃焼の産地で特にタイルの生産が盛んな地域で、以前は岐阜県土岐郡笠原町でしたが2006(平成18)年1月に多治見市と合併しています。

kasahara-map.png
笠原線の車庫があり運転の中枢だった笠原駅。
島式の旅客ホームとその奥にはこれまた島式の貨物ホームが存在。
また旅客ホームのそばに陶土や陶石を無蓋車から降ろすためコンクリート壁で仕切られた陶土、陶石卸場と見られる設備がありました。

P1060481.jpg
旧笠原駅前。
正面の東濃鉄道バス車庫入口付近に木造の駅舎がありました。

P1060480.jpg
構内は舗装されてすっかりバス車庫に変わっています。
正面手前に旅客ホーム、奥に給水塔や車庫が建っていたはずですがご覧の有り様。
旅客輸送量が少なく貨主客従だった笠原線ですが後方の山の上に巨大な滝呂団地ができており線路が通っていた谷底より山の上に人口が密集している状態。

P1060478.jpg
どん詰まりの貨物ホーム周辺。
笠原の市街地へ登る勾配の途中にあり貨物ホームがあった場所は切通しのようになっています。

P1060486.jpg
今度は車庫の新多治見側。
笠原を出てすぐの本線築堤ですがかなりの急勾配。

2019(平成31)年2月17日追記
元々勾配区間でしたが笠原車庫をバス車庫化した際に道路に接続するため鉄道時代の築堤を削ってより急勾配になったようです。



P1060484.jpg
新多治見寄りから笠原駅構内を見上げた様子。
線路はバスの入出庫用の専用道になっていますがこうして見ても勾配がかなりきついです。

2019(平成31)年2月17日追記
かつては築堤が続いて手前の道路をオーバークロスしていたところを平面クロスするように改築したためこのように見上げるような急勾配になりました。



P1060489.jpg
笠原線跡の遊歩道「陶彩の道」にある笠原駅の説明板。
実際の駅跡にはバス車庫があるためか実際の笠原駅より300mくらい新多治見寄りに設置されています。
末期の貨物輸送の主力だった元中部電力→大井川鉄道井川線DD100型(DD105か106かは不明)や笠原線のボギー式気動車全形式が写されています。

kasahara.png
笠原駅の貨物取扱量。
元来到着貨物が主体ですが昭和40年代に発着とも激減。
1973(昭和48)年度以降は駅別の統計が無かったのですが1972(昭和47)年度時点で発送、到着ともほとんど無くなっているようなものです。
1958(昭和33)年度だけ発着量とも飛び抜けて多くなっていますが何があったのでしょう?

参考文献:
RM LIBRARY72 東濃鉄道(清水 武/著 ネコ・パブリッシング/刊)
岐阜県統計書(岐阜県総務部統計課)

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貨物側線跡 | 23:56:57 | Trackback(0) | Comments(2)
高山本線高山駅の貨物側線・専用線群~その3~
高山本線高山駅専用線で唯一所在がはっきりしている専用線で岐阜方の引上線から分岐していました。

●三菱石油専用線
作業方法:国鉄機
作業キロ:0.1km
総延長キロ:0.1km

P1060697.jpg
専用線が見えるのは高山駅岐阜方の花里跨線橋から。
威風堂々8両編成で「山都」高山を発車して行くワイドビューひだ8号。
飛騨が行く本線手前に見える線路が引上線。

P1060699.jpg
花里跨線橋から岐阜方を見た様子。
引上線(左)は掘割の中を平坦に進み、本線(右)は宮峠へ向けた勾配を上って行きます。
三菱石油専用線は引上げ線末端付近で左に分岐してすぐ終わりと言うささやかなものでした。
左に見える赤十字マークの高山赤十字介護老人保健施設はなさとの場所に生糸の紡績工場と油槽所があったとのこと。
ここにあった油槽所は地元石油販売店のものだったと思うとのことでしたが専用線名義は元売り企業名なのでよくわからないところ。

takayama-map.jpg
国土地理院の空中写真より1977(昭和52)年9月16日の高山駅。
三菱石油専用線とその末端の油槽所のタンク群、専用線上にはタキが1台留置中のようで貨車の陰が見えます。

P1060700.jpg
引上げ線末端を拡大・・・すると何やらアヤシゲな曲線が見えます。
掘割上のダンプカーが止まっているところが油槽所のタンクが並んでいた辺りで現在は高山赤十字介護老人保健施設はなさとの駐車場になっています。

P1060703.jpg
角度を変えて見たところ。三菱石油専用線跡が雪の上にくっきり現れていますね。
引上げ線の停止位置目標と比べて見てもせいぜい貨車1台分しか有効長がなさそうなごく短い側線だったことがわかります。
↑の空中写真でもタキが1台しか写っていませんがそれでも入線可能な限界目一杯だったようです。

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専用線跡 | 23:23:24 | Trackback(0) | Comments(0)
高山本線高山駅の貨物側線・専用線群~その2~
駅裏側にあった貨物ホーム。
こちらは何の積込みに使われていたかはわかりませんが木工所が多かったこと、高山営林署、久々野営林署がこちら側にあったのでやはり木材でしょうか。

P1060657_201902082218062c1.jpg
奥に見える車止めの向こう側にホームがあったようですが駐車場になって跡形もなし。

P1060722_20190208221807cb4.jpg
下り6番線の車止め。

P1060724.jpg
その反対側がホームだったはずですが現在は高山駅白山口ができています。

P1060726.jpg
橋上駅舎から富山側を見た様子。
高山機関区跡地。扇形庫や転車台、大型の炭積み装置がありましたが駐車場になっています。
それでも留置線が多く利用者(ほとんど特急ワイドビューひだですが)も多いためJR東海の非電化駅としては最大級の規模。

P1060733.jpg
この日はキヤ95第一編成が止まっていました。

P1060689.jpg
かつての機関庫北隣、高山市社会福祉協議会横の公園には元高山機関区所属の19648(1917(大正6)年12月川崎造船所製)、高山客貨車区所属のキ132(1934(昭和9)年浜松工場製)が保存されています。
前面3枚窓のキ100は珍しいです。

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専用線跡 | 23:07:02 | Trackback(0) | Comments(0)
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