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にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

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大浜臨港線運送専用線(仮称:玉津浦臨港線 名鉄三河線玉津浦駅)~その2~
大浜港臨港線運送専用線(通称)の続き。

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国道247号線を横断してからも暫くは道路として残っています。
前方に霞みつつも見える大煙突は中部電力碧南火力発電所。
かつてはこの線路で石炭を運んでましたが現在市内で石炭を最も使っているのはあの発電所でしょう。
なお石炭を焼いた後の灰を太平洋セメント藤原工場で再利用するためセメント製造過程で再利用するため今でも衣浦臨海鉄道が碧南市駅から三岐鉄道東藤原駅まで鉄道輸送が行われています。

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廃線跡の道は区画整理で途切れます。
2013(平成25)年頃には200mほど先までまだ道が続いてたのですが・・・。

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反対側から廃線跡を見た様子。
真っ直ぐ廃線跡の道が続いてましたが見事に消え失せました。
住宅が建ってないラインが一直線になっているのが唯一の名残り。
奥に玉津浦駅付近のトヨタ自動車の寮が見えてますね。

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その先は終点まで1980年代に区画整理済みのため全く跡は残ってません。

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終点の一ツ橋付近。右の辺りが専用線の末端でした。
その1で紹介した大浜臨港線株式会社設立功労者の顕彰碑「故渡邊秀治君之碑」は移設前は一ツ橋袂の碧南市一ツ橋ポンプ場内に置かれていたそうです。


~玉津浦臨港線で運転されたお伽の国電車について~
昭和20年代から30年代初頭にかけて専用線を利用して当時存在した玉津浦海水浴場へ旅客列車が運転されました。
玉津浦~玉津浦海岸の運賃5円だったとか。

碧南市の資料第50回 棚尾の歴史を語る会 次第の最後のページに玉津浦の構外側線で海水浴客を乗せたという「お伽の国電車」が運転されたときの貴重な写真が掲載されています。
この写真を見て気付いたことを以下書き散らします(^ ^;)

写真には2両の名鉄車両が写ってますがどちらも2軸単車。
写真に写ってない先頭(右)側には電車か電気機関車が連結されていたのでしょうか。

写真に写った車両は手前がモ140形(初代)。
窓配置ドアの間に2段窓6枚が並ぶD1Dの窓配置、屋根に見えるベンチレータから特定。
電動車のモを名乗ってますが実際には電装解除されてたようです。
奥はサ20形。
妻面の窓が大きいのに対し側面は幕板が広く小さい窓が並んでおり、2軸車としては近代的なスタイルのモ140と比べると古めかしく鈍重な感じがします。
サ20形は当時築港線で朝夕に電車や電気機関車に挟まれたプッシュプル編成で通勤列車として使われていたようです。

●モ140形140~142
mei-mc140.png
1942(昭和17)年に日本車輌で製造した半鋼製2軸単車。
1912(明治45、大正元)年製の名古屋電気鉄道最初期の電動貨車デワ1の機器を流用して3両が製造されました。
当初はモ90形91~93を名乗り、間もなくモ140形140~142に改番されてます。
戦時中の車両不足を補うため何とか捻出した部品でつくられたものと思われます。
渥美線で使われていたようで1954(昭和29)年10月に渥美線と共に豊橋鉄道へ引き継がれますが当時渥美線は乗客が増え2軸単車では輸送量に見合っておらず果たしてまともに使われたのか・・・その後の消息は不明。

●サ20形21,22
mei-t21.png
1908(明治41)年に瀬戸電気鉄道(現・瀬戸線)が自社印場工場で製造した2軸附随車。
瀬戸電時代の形式はレ5,6、れ5,6、VS5,6とあるがどれが正解か不明。
あるいは改番されており全部正解かも?国立公文書館所蔵の鉄道省文書を見れば出てるかな?
瀬戸電時代に車体を載せ替えており初期の車体とはだいぶ違うものなっています。
また台車も当初はブリル21Eだったのが貨車のようなものに代わり製造当初とは全く別の車両になっていた様子。
名鉄合併後も2両とも引き継がれサ20形21、22号に改番されています。
後に築港線へ移り1957(昭和32)年10月に廃車されたようです。

参考文献:
写真が語る名鉄の80年(名古屋鉄道)
鉄道ピクトリアル1971年4月号 私鉄車両めぐり[87] 名古屋鉄道[終] 渡辺 肇、加藤 久爾夫(電気車研究会)


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専用線跡 | 00:25:53 | Trackback(0) | Comments(0)
大浜臨港線運送専用線(仮称:玉津浦臨港線 名鉄三河線玉津浦駅)~その1~
三河線海線廃止区間で碧南駅の次の駅、玉津浦駅から分かれていた構外側線です。
困ったことに大浜港(現・碧南)~大浜口駅の支線が大浜臨港線という名前でこの専用線の使用者名も大浜臨港線運送と非常に紛らわしいことになっています。
ここではこの専用線について詳しい棚尾の歴史を語る会の記述に倣って仮称「玉津浦臨港線」とします。

この構外側線は1935(昭和10)年(故渡邊秀治君之碑の碑文によれば8月)に完成し大浜臨港線株式会社が使用しています。
三河鉄道大浜口~神谷(後の松木島)は1926(大正15)年9月1日の開業時から直流1500Vで電化されていましたがこの構外側線まで電化されたかは不明。
蜆川から陸揚げされる石炭の輸送に使われましたが1959(昭和34)年9月の伊勢湾台風で港が被害を受け同年12月3日に廃止されています。

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大浜口駅跡付近から続く碧南レールパークの一角になってます。

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こちらは三河線碧南~吉良吉田廃止直前の様子(2004(平成16)年3月16日)。

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碧南方から分岐する専用線の線形が模様として表現されて存在が強調されるようになりました。

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その先には専用線末端付近から移設された故渡邊秀治君之碑が建っています。
元三河鉄道の支配人で退職後に大浜臨港線運送設立に携わった人です。

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専用線の説明板も完備。

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現役時代末期の専用線分岐より先。(2004(平成16)年3月16日)

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既に2車線道路化されていました。(2004(平成16)年3月16日)

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今では大きな寮ができて雰囲気が変わりました。


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未分類 | 22:26:20 | Trackback(0) | Comments(0)
長野営林局三殿営林署丸山沢作業軌道
中央本線南木曽駅裏の三殿土場から出ていた与川森林鉄道、さらにその先から出ていた作業軌道です。
1956(昭和31)年~1965(昭和40)年度の三殿営林署三殿経営区の経営計画の中に与川森林鉄道から分岐する丸山支線の新設があります。

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三殿経営区第七次編成経営案 昭和三十一年度実施(長野営林局) 国立公文書館つくば分館所蔵

上山沢と丸山沢の合流点312林班で与川森林鉄道と分岐し隣の302林班まで行く2級森林鉄道ですがその後の森林鉄道の路線一覧には名前が出てきません。
道路化計画が早く進展して未成線に終わったか・・・と思いきやそう単純でもないようです。


路線略図はこんな感じ。緑が丸山沢作業軌道(丸山支線)と見られるルートです。
他の記録では1935(昭和10)年度に丸山沢作業軌道を全線撤去、レールなどの資材を上山沢作業軌道へ振り向けるという記述もあり、伐採、造林事業がどこで行われるかによって敷設と撤去・・・を繰り返した様子。
あくまで仮設の線路で正式な森林鉄道とは認められない作業軌道らしい話です。

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圧倒的な迫力で上山沢を堰き止める与川砂防堰堤。与川森林鉄道はこの堰堤の奥へと続いていたのですが廃止後にこの堰堤ができて現在上山沢沿いの林道はありません。
与川森林鉄道はヘアピンで堰堤の左上に上り上山沢を再度横断して白口沢まで行ってました。
白口沢では上山沢線と接続していました。

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堰堤前の車止めゲート。与川林鉄も暫くはこの林道で西進してからヘアピンで折り返し高度を稼いで上山沢へ入っていました。

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与川林鉄と丸山作業軌道分岐と思われる付近。
与川林鉄はここで折り返して斜面を登っていた様子。時折斜面上に線路敷と思われる平場が見えました。
丸山沢にはただの林道が続きますが・・・。

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丸山沢を渡る個所で隣にコンクリート製の橋台と橋脚2本が現れます。
昭和20年代までに建設された林鉄は橋台が石積みで橋脚はコンクリート製という例が多いですがこの橋脚は昭和30年代に作業軌道の2級線昇格に備えて線路強化したもの?

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もう1本の橋脚。
作業軌道は根元まで木製の高架線と言うことが多くこれだけ立派な土木構造物を残すことはあまりありません。
計画通り2級森林鉄道としての線路工事は行ったものの作業軌道扱いのまま終始したのか。

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丸山沢と上山沢の分水界から見た丸山沢。
伐採直後のようですっきりしてました。昔ならこういうときに作業軌道を敷いて終わったら撤去という具合だったのでしょう。
ここを越えるとすぐに上山沢線の線路跡ですが、こちらは何も痕跡無し。
上山沢線は常設の2級線ですが木橋高架線ばかりで路盤がない作業軌道並の路線だったのかも。
上山沢線も作業軌道が常設の2級線に昇格したものです。




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森林鉄道(長野営林局) | 23:17:55 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄三河線大浜口駅
1914(大正3)年2月5日に三河鉄道が大浜港駅(現・碧南駅)まで延び、その翌1915(大正4)年11月29日大浜口駅まで0.4㎞の臨港線が開業しています。大浜口駅は碧南駅からすぐの源氏橋付近にあったとのこと。
陶器や鋳物産業の燃料となる石炭や日用品などを輸送する舟と貨車を連絡させていましたが貨物取扱量の減少から1946(昭和21)年8月1日に廃線となっています。
廃線と言うよりは短距離なので合理化のため大浜港駅構内扱いとしたもののようです。
実際三河鉄道時代の1926(大正15)年9月1日に大浜港~神谷(後の松木島)が開業すると臨港線の大部分が本線となり、そこからちょっと分かれるだけになっていたものと思われます。大浜港~大浜口支線分岐点までは本線と臨港線の2重戸籍になっていたのでしょうか。
実際にいつレールが撤去されたかはわかりません(航空写真でも側線の有無が判別できない)が、中小港での貨物取扱いが大規模港湾に統合され消えて行ったものと思われます。

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本線だった碧南~吉良吉田間さえ廃止されてしまい行き止まりとなっている吉良吉田、大浜口方から碧南駅構内を見た様子。
車止めのある2線がかつての本線。
かつての駅名はこちらが「大浜港」駅で舟と連絡してた臨港線の駅の方が「大浜口」駅であり一般的なイメージと逆のネーミングなため何ともややこしい(^ ^;)

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暫くはレールが撤去されただけの路盤でカーブしながら続き・・・。

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源氏橋西交差点を越えたところ。奥にはまだ碧南駅が見えてます。

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源氏橋西交差点より南は碧南レールパークという三河線をテーマにした遊歩道となっています。
この場所で西側に分岐し運河に突き当たり行き止まりとなる側線が大浜口駅だったそうで。
ここには大浜口駅をイメージさせるためか分岐の模様や転轍標識なども置かれ、詳細な説明板まであります。

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名鉄 | 19:41:02 | Trackback(0) | Comments(0)
名鉄三河線碧南駅 貨物の面影
現在三河線海線側の終着駅となっている碧南駅。
1954(昭和29)年に現駅名となるまでは大浜港駅と名乗っており三河湾の舟運との連携による貨物扱いも盛んでした。
三河線海線は1977(昭和52)年5月25日に衣浦臨海鉄道碧南線が開業すると貨物はそちらに移されて旅客専業となっています。

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運転扱い以外は無人化されてしまい改札口に駅員さんの姿はありません。
碧南市の中心市街地は一つ刈谷寄りの碧南中央駅の方に移っており駅前はガランとしてます。

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中に入るとかつての駅務室前にリヤカーがそのままになっています。
左にはタブレット扱い所の出っ張りもあります。
到着貨物があると駅員さんがカラカラと戸を開けてリヤカーを押してホームへ向かったのでしょうね。
当時のまま時間が止まっているのかのようなこの情景、そのまま保存したいくらいですね。

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リヤカーって引くものでは?と言われそうですが空荷や軽い荷物の場合こんな風に押してるのをよく見かけた気がします。
引っ張ると後ろが死角になってホーム上でお客さんを引っ掛ける危険があるからでしょうか?
実際僕も自転車通学中に曲がって来たリヤカーとすれ違いざまに引っ掛けられたことがあります(^ ^;)

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貨物側線はそのまま留置線として使われており線路は案外に残っています。
駅裏は鋳物工場。専用線はなかったようですがかつては一般貨物で原料の入荷や製品を出荷していたのでしょうか。

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非電化にされていた碧南~吉良吉田が2004(平成16)年3月31日に廃止される前は側線にディーゼルカーの給油設備がありました。
2004(平成16)年3月16日撮影

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左(東)には倉庫も3棟残っています。駐車場になっているスペースは貨物の積替えで賑わっていたのでしょうか。

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三河線沿線は三州瓦を始め土管など陶器産業が盛ん。陶磁器輸送用の貨車ポム1形などがよく見られたそうです。
奥には倉庫も並び・・・。

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こんな貨物列車が現れそうな雰囲気。
2006(平成18)年5月3日 瀬戸線喜多山駅で撮影

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ポムは積載した陶磁器が割れないようワムの車内に区分棚を設けただけで外観はあまり変わらないのでここでは似合いそうです。
ポム1形は倉庫として利用されたものが1両だけ東海市内に現存するらしいですが場所を知らないので未見。
2006(平成18)年5月3日 瀬戸線喜多山駅で撮影

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実際には現在現れる列車は6000系ばかりです。
以前は名鉄支線区も現れる車種にバリエーションがありましたがいつの間にか線区別に使われる車種が固定化されてしまいました。うちの近所の路線も朝ラッシュ時以外6800しか来ないです。

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私鉄貨物 | 22:43:49 | Trackback(0) | Comments(0)
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