FC2ブログ
 
■プロフィール

にしみやうしろ

Author:にしみやうしろ
小田急沿線で生まれ、金沢で北陸鉄道にはまり、愛知では名鉄に臨海鉄道さらに森林鉄道、今ではすっかり私鉄・貨物ファンに・・・。
鉄道に由来していろんなものに興味を持つようになってしまいました。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■閲覧数(2014/8/12~)

閲覧数(2014/8/12~)

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その3~
二俣線(現・天竜浜浜名湖鉄道天浜線)の謎の側線3回目

P1030002.jpg
雨垂(うたり)川を渡る雨垂橋(1972(昭和47)年3月竣工)には鉄道用の橋台は残ってませんでした。
廃線跡の直上に新しい橋を架け橋台も作り直したのでしょう。
それにしても雨垂で「うたり」と読む地名は風情がありますね。

P1030005.jpg
雨垂の谷が狭まり栗下地区の集落の終りが近付いてきました。
何の関係があるのかシルクロード美術館という施設がありますが浜松の運送会社が元々ここにあった古民家を利用して美術品を展示している様子。

P1030008.jpg
集落を抜けると再度雨垂川を渡りますがこの橋は橋梁名や仮設時期が不明。
渡ると舗装も尽きます。

P1030009.jpg
雨垂川の左岸に戻ったところで間もなく左に土留擁壁が現れます。
この左側はすぐ雨垂川のはずですが何で谷側に擁壁が必要なの(・ ・?)

P1030023.jpg
擁壁の上には鉄筋として入れられたレールの切れ端が飛び出しています。
レールを鉄筋に使うのは珍しいことではないですが何やら怪しげな雰囲気になってきました。

P1030017.jpg
擁壁の区間を側線奥の側から見た様子。
カーブしながら微妙に上り勾配になっています。

P1030019.jpg
擁壁の上を見ると手前と奥の2列で柱の台座が無数に並んでます。
この形状や柱の密度・・・貯鉱用木造ホッパーの土台なのでは?
となるとこの謎の構外側線は鉱山から鉱石を運び出すための専用線だったということでしょうか?

スポンサーサイト

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

貨物側線跡 | 00:01:51 | Trackback(0) | Comments(0)
二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その2~
二俣線(現・天竜浜浜名湖鉄道天浜線)の謎の側線2回目

P1020989.jpg
静岡県道40号掛川天竜線を押しボタン式の信号交差点で渡ると磐田用水と交差。
コンクリート橋の本村上橋(1961(昭和36)年5月竣工)の南(右)側には・・・

P1020992.jpg
並行して橋梁が架かっていた跡が残っています。
コンクリートの橋台本体向かって左に石積みで補強したか拡幅したような跡。
側線廃止後に現本村上橋が出来るまでの間鉄道用の橋梁を道路橋として流用したときの施工でしょうか?

P1020990.jpg
反対側にも側線用と思われる橋台が残存。
磐田用水は江戸時代に計画されたものの計画への賛同が得られなかったり幕府が倒れたりで明治に入ると今度は内務省の設計ミスで失敗、昭和に入ると太平洋戦争でまたも工事中止かと思われたものの寄付や関係者の尽力で1944(昭和19)年7月に通水。
1945(昭和20)年の米軍地図Akiba-san(秋葉山)にも乗ってますね。
二俣線開通が1940(昭和15)年6月1日、側線開業は当然その後でしょうが用水と側線工事の前後関係は不明。

P1020997.jpg
その先は里道にしてはちょっと広いかな?という程度の道が続きます。

P1020998.jpg
小さな谷なのですぐに奥が見えて来ました。

P1020999.jpg
線路跡の道の両側に時折朽ちた枕木が刺してあります。

P1030001.jpg
鉄道柵のようにも思えますがかなり短いので用地境界標の代わりに刺してあるのかも?
この側線が敷かれたのは戦時中と見られコンクリートの節約のため古枕木を使ったのではないかと推測。

参考:
水土里ネットいわた用水(磐田用水東部土地改良区)耕地整理~悲願の用水編<偉人達の活躍>


テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

貨物側線跡 | 00:02:16 | Trackback(0) | Comments(0)
二俣線野部駅構外側線?(二俣線野部駅(現・天竜浜名湖鉄道天浜線豊岡駅))~その1~
アメリカのテキサス大学が太平洋戦争中から終戦直後にかけ米軍が作成した日本の地形図が大量に公開されています。
テキサス大学Perry-Castañeda Library Map Collection Japan Maps
その中でも1/12,500都市地図、1/50,000地形図は所々欠けがあるものの本州、九州、南西諸島、樺太を網羅しておりたびたび参照させてもらっています。
国土地理院の前身に当たる陸軍参謀本部陸地測量部が作成した地形図などを元にしているものと思われますが都市から僻地ま大字にまで全てアルファベット表記がなされ、工場はプラントの配置まで、鉄道では専用側線や森林鉄道までもが描かれ米軍の情報取集能力の精密さに驚かされます。

その中のAkiba-san(秋葉山)に気になる線路を見付けました。
現在の浜松市天竜区に当たり、図中左よりに見える大きな天竜川の下の方にはFutamata(二俣)の町が開け、二俣線(現・天竜浜名湖鉄道天浜線)が横切り、対岸のNishi-kajima(西鹿島)からは遠州鉄道二俣線(現・西鹿島線)が分かれる現在と変わらない姿が見られます。
その二俣線の天竜川の右側下の方にkurishita(栗下)とある辺りで二俣線から線路が分かれ谷の奥の何もないところで終点になっているのが見えます。

同じ場所を写した国土地理院の空中写真を見ると・・・
nobe-map1.jpg
確かに線路らしきものが見えますね。


googleマップに落としてみると緑の線に当たります。
長さは野部駅(現・豊岡)から分岐点まで950m、分岐点から終点まで1,000mほど。
専用線一覧で野部駅は見たことが無いし、そもそもこの谷に一体何があって線路が敷かれたのか??
あれほど工場や軍事施設を事細かに書いた米軍地図もその線路末端には何も書いていないというのも何だか不気味です。

P1020983.jpg
この側線分岐に近いのは現在の上野部駅。
Akiba-san(秋葉山)の地図ではKandakoen-mae(神田公園前)という駅の場所。
神田公園前という駅は1928(昭和3)年~1935(昭和10)年の短期間だけ存在した光明電気鉄道のもの。
旧版の電車駅を消し忘れたまま新設の二俣線を描いてしまったのでしょうか。

P1020985.jpg
光明電鉄廃止後に国鉄二俣線が1940(昭和15)年6月1日に開業かつての光明電鉄の電車が走っていた線路上を汽車が走り出し1955(昭和30)年6月1日に上野部駅が開業しました。
しかし神田公園前駅と全く同じ位置なのかは不明。

P1030029_201808112340488af.jpg
豊岡側から見た分岐点。
手前から3番目の電信柱辺りで右に分岐していたものと思われますが名残りは何も無し。
分岐点付近は早い時期に圃場整備されたようです。

P1030030.jpg
カーブが終わる辺りからは線路跡が道路になっています。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

貨物側線跡 | 00:02:02 | Trackback(0) | Comments(0)
柿其森林鉄道柿其停車場
中央本線十二兼駅から木曽川を渡り支流の柿其川を少し上ったところにある旧・柿其森林鉄道柿其停車場。
かつては野尻森林鉄道と接続して中央本線野尻駅隣接の土場まで線路が延びてました。
当初は帝室林野局木曽支局野尻出張所の管轄で周囲の御料林自体は三殿出張所の管轄とややこしいところです。
戦時中には御料林自体も野尻管轄にしたものの今度は野尻出張所が飛び抜けて広大な地域を管轄しなければならないことになってしまいました。
林政統一で出張所が営林署になった後昭和30年頃には管理地域の大きさの均一化と林鉄が道路化された後のことを鑑みて再び三殿営林署管轄に戻され柿其森林鉄道も野尻駅~柿其は野尻署、柿其~北沢~大沢は三殿署管轄となっています。
P1010717.jpg
大沢側から見た柿其停車場。
柿其川には林鉄の橋脚が残っています。
この橋は野尻署末期に森林鉄道2級線から1級線へ昇格した際に木橋からプレートガーダー橋に架け替えられた様子。
左奥に見える建物が柿其停車場の機関庫。

P1010721.jpg
林鉄地帯名物のレール利用半鐘櫓も立ってます。
なお停車場は現在も柿其森林事務所として使われています。

P1010722.jpg
現在も車庫として現役の旧柿其機関庫。
さすがに給油設備は林鉄廃止後のものでしょうね。

P1010714.jpg
中にはピットのレールも残ってるのが見えます。
ここの主だったのは機関車2台、モーターカー1台。
機関車は酒井工作所製No.39、三殿営林署自作No.106
モーターカーは富士重工業製No.49がいました。

P1010727.jpg
この石段上に機関車が並んだらなかなか格好いい風景でしょうね。

P1010715.jpg
車庫から見て下段には野尻営林署管轄の線路が入ってましたがこちらは1958(昭和33)年より撤去が進んでおり柿其森林鉄道は他の鉄路と接続が無い状態になってました。

P1010725.jpg
停車場の片隅にある「昭38.4.15作 中継土場」の文字が入った三角形の台座。
スローガン看板か何かだったようでここにも林鉄の古レールが使われてます。
柿其森林鉄道で奥地から運ばれてきた木材はここからトラックで三殿土場へ運ばれていました。
森林鉄道からトラックへ中継するための土場となっていたわけです。
この状態が1966(昭和41)年度の柿其森林鉄道による運材廃止まで続いてました。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

森林鉄道(名古屋営林局) | 22:44:17 | Trackback(0) | Comments(0)
飯田線七久保の富士重工業15t機
飯田線七久保駅の日本石油伊那油槽所専用線で使われていた1968(昭和43)年富士重工業製15t機。
DB15と言う番号もありました。
飯田線貨物末期1996(平成8)年3月17日に専用線が廃止されるまで使われていました。

P1020473_201808082056041ab.jpg
伊那谷を見下ろす与田切公園で保存されてる富士重15t機DB15。
横を流れる川は木曽山脈の越百山(標高2,614m)から流れる与田切川。
越百山から木曽側に下れば伊奈川森林鉄道伊奈川、越百、浦川線が通っていた辺り。

P1020466.jpg
富士重製のモーターカーは数あれどスイッチャーはあまり多くないので保存車は貴重な存在。


P1020465.jpg
この機関車の現役時代の様子は奥野さんの奥野君の専用線日記七久保報告で動画付きで見ることができます。
権利問題のためか日石マークは消されてますが塗装は現役時に忠実なようです。

P1020469.jpg
機関車なので台枠の厚味がありますがどことなく同じ富士重製モーターカーのTMC300っぽい雰囲気も漂います。

P1020468.jpg
背面も2枚窓。そう言えばDB15のナンバープレートが無いですが別で記念に保存されてるのでしょうか。

P1020467.jpg
説明板では1980(昭和55)年9月から七久保で使われるようになったようですが機関車の製造は先述の通り1968(昭和43)年。
どこか他所から転属してきたのでしょうか?
因みに七久保の日石専用線は専用線一覧では1967(昭和42)年版には無く1970(昭和45)年版から載っています。
素直に考えると1968(昭和43)年に専用線開業、機関車も新製配置と考え勝ちですが実際のところはどうなんでしょうね。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

スイッチャー | 23:08:24 | Trackback(0) | Comments(0)
次のページ

FC2Ad

まとめ